フリスの街でムコーダ、大活躍

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とんでもスキルで異世界放浪メシ×アズールプロミリア ~2km先の貿易都市で、大宴会が始まった件~

 

 

### 一、違和感

 

「む……」

 

最初に異変に気づいたのは、いつもどおりフェルだった。

 

その日、ムコーダ一行は街道をのんびり歩いていた。

ムコーダが朝飯に出したのは、ネットスーパーで取り寄せたホットサンドだ。

具材はたっぷりのチーズとハム、それに甘めのスクランブルエッグ。

フェルが三枚、スイが五枚、ドラちゃんが二枚と、いつもの調子でぺろりと平らげた。

食後の麦茶まで出して、ムコーダは「今日もいい天気だなあ」などとのんびり考えていたのである。

 

そこで、フェルの足が止まった。

 

「どうしたんだ、フェル。腹でも壊したか? いや、お前が腹を壊すとか想像できないけど」

 

「違うわ、たわけ。……空気が変わった。我の知っている場所の空気ではない」

 

フェルは鼻先をひくつかせて周囲を見渡した。灰色の毛並みが、さわりと風に逆立つ。

伝説の魔獣フェンリルが「知らない」と言うのだから、ただ事ではない。

 

「ええ? いやいや、さっきまで普通に街道を歩いてたじゃないか。景色だってほら、そんなに変わっては……変わってる!?」

 

ムコーダは目を丸くした。

さっきまで見ていた緑の丘陵は消えていた。

視界の先には、やや青みがかった空と、風に波打つ草原が広がっている。

街道の石畳は見慣れない模様で、ところどころに知らない花が咲いていた。

 

「あるじー、なんかね、お空の匂いが違うよー」

 

肩にちょこんと乗っていたスイが、ぷるぷると震えながら言った。

 

「おいおいおい、ちょっと待てよ。俺たち、また転移させられたのか? ダンジョンの罠にも引っかかってないのに?」

 

ドラちゃんが翼をぱたぱたさせて上空に舞い上がり、しばらくして戻ってきた。

 

「おい、ムコーダ。向こうに城壁みたいなのが見えるぞ。結構でかい街だ。歩いて……そうだな、二キロくらいか?」

 

「二キロ先に街か。なるほど、それなら一旦立ち寄って、ここがどこなのか聞いてみるのが筋だよな」

 

ムコーダは頷いた。見知らぬ土地に飛ばされたときは、情報収集が最優先だ。

どこの国か、どんな通貨か、どんな食材があるか、そして肝心の「ネットスーパーで取り寄せたものを売っても怪しまれないか」。

そんなことを考えながら、ムコーダは無意識に最後の項目を一番重要視していた。

 

「よし。フェル、スイ、ドラちゃん、街に入るぞ。ただし! 絶対に騒ぎは起こすなよ!」

 

「我は何もせぬ」

 

「お前がそこにいるだけで騒ぎになるんだよ、フェル」

 

ムコーダは深くため息をついた。この嫌な予感は、おおむね当たる。

 

### 二、貿易都市フリスの門前にて

 

城壁に近づくにつれ、街の大きさがはっきりしてきた。

高い壁の向こうに、色とりどりの旗が翻っている。

街道は商隊の荷馬車で賑わい、門の前には衛兵と商人が列をなしていた。

 

看板には「フリス」とあった。

ムコーダには読めない文字のはずなのに、なぜか意味が頭に入ってくる。

いつもの神様の加護の便利機能だろう。

 

「フリス、か。貿易都市って雰囲気だな。いろんな人がいるし、荷物も多い」

 

「うむ。人の気配が多すぎて、肌がざわつくわ」

 

「だから、お前が言うな」

 

列の最後尾に並ぼうとしたそのとき、前方の商人たちがこちらを振り返った。

最初はただの好奇心の視線だった。

しかし、それが数秒のうちに、凍りついた。

 

「あ、あれは……」

 

「け、獣……いや、魔獣だ!」

 

「巨大な狼!? まさか、フェンリル――」

 

悲鳴が上がった。

荷馬車の馬が暴れ、積まれた樽が転がる。

商人たちは荷物を放り出して逃げ惑い、衛兵が槍を構えたまま青い顔で後ずさった。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 害意はないです! 本当に!」

 

ムコーダは両手を振って叫んだが、効果はなかった。

フェルはといえば、ただ座っているだけなのに、その存在感だけで人々の膝を笑わせている。

 

「ムコーダ、我は何もしておらんぞ」

 

「分かってる、分かってるけど! 威圧が! 威圧が漏れてるんだよ!」

 

「漏らしておらん。これが我の標準だ」

 

「それが問題なんだってば!」

 

その混乱の中、ドラちゃんが小声で言った。

 

「おい、このままだと衛兵が総出で出てくるぞ。何とかしろよ」

 

「何とかって、何を!」

 

ムコーダの頭は真っ白になった。

こういうときこそ冷静に、と頭では思うのだが、体は正直だった。

気がつくと、ムコーダは「ネットスーパー」の画面を開いていた。

慌てたサラリーマンの本能である。

困ったら、とりあえず買い物だ。

 

視界に浮かぶ見慣れた画面。そこで、ムコーダの手が勝手に動いた。

 

「炭酸……! 場を和ませるといえば炭酸だろ……!」

 

何がどうしてその結論に至ったのか、本人にもよく分からない。

ただ、画面の隅に「コカ・コーラ」の赤いラベルが見えた瞬間、これだ、と思った。

 

### 三、シュワッと一本

 

ごとん、ごとん。

 

ムコーダの目の前に、冷えたコカ・コーラのペットボトルが次々と現れた。

ざっと二十本。

さらにプラスチックのコップを人数分と、念のため氷の袋もつけた。

 

「み、皆さん、落ち着いてください! これを! これを見てください!」

 

ムコーダはペットボトルを一本掲げ、キャップをひねった。

 

ぷしゅうううっ。

 

小気味よい音とともに、細かい泡が立ち上る。

人々の悲鳴が、ぴたりと止んだ。

 

「……な、何だ今の音は」

 

「毒ではないのか? 爆発するのか?」

 

「いえいえいえ、違います! 飲み物です! これは、ええと、異国の……炭酸の飲み物で!」

 

ムコーダは自分のコップにコーラを注ぎ、ごくごくと飲んでみせた。

冷たい刺激が喉を通る。

ああ、やっぱりうまい。

緊張で乾いた体に、砂糖と炭酸が沁みわたった。

 

「ぷはあっ。ほら、大丈夫です! 安全です!」

 

そのとき、人混みをかき分けて、一人の女性が歩み出てきた。

淡い色の制服に、清潔な白いエプロン。

柔らかな眼差しと穏やかな足取りは、混乱の中でも一人だけ別の時間が流れているようだった。

 

「あらあら、すごい音でしたね。それは、お薬の一種ですか?」

 

「く、薬ではないんですけど……いや、気分転換にはなります!」

 

「看護師として気になります。少し、いただいても?」

 

「ど、どうぞ!」

 

ムコーダが差し出したコップを、彼女は両手で受け取った。

じっと見つめ、くんと香りを確かめ、そして口をつける。目が丸くなった。

 

「まあ。しゅわしゅわしていて、甘くて……冷たい。喉に、はじけますね」

 

「で、でしょう?」

 

「アニスさん、大丈夫ですか!?」

 

駆け寄ってきた衛兵に、彼女――アニスはにっこりと微笑んだ。

 

「ええ、大丈夫です。むしろ、とても美味しいですよ。皆さんも飲んでみたらいかがでしょう。ほら、怖がることはないですよ」

 

アニスが一人、またコップを飲み干す。

それを見て、おそるおそる近づいてくる人々。

ムコーダは必死にコップにコーラを注ぎ、人々に手渡していった。

 

「うおおお、なんだこれ!」

 

「口の中で、泡が踊ってるぞ!」

 

「甘い! けど、冷たくて、すっきりしてる!」

 

あっという間に、パニックは歓声に変わった。

フェルを遠巻きに見ていた子どもたちも、親の手を引いて、コーラのコップを求めて集まってくる。

 

「ふむ。我にも寄越せ」

 

「お前、さっきまで騒ぎの元凶だったくせに……ほら、器に入れてやるから」

 

ムコーダは深皿にコーラを注いでフェルの前に置いた。

フェルは舌を伸ばして一口なめ、目を細めた。

 

「悪くない。シュワシュワが面白いのう」

 

「スイもー! あるじー、スイもほしいー!」

 

「はいはい、スイにも。ドラちゃんもな」

 

「おう。これ、うまいな」

 

人垣の向こうでは、衛兵たちが顔を見合わせてほっと息をついている。

 

こうして、ムコーダ一行は貿易都市フリスの門をくぐる前に、すでに街中の話題をさらうことになった。

 

### 四、アニスの提案と、キャスベルの圧力

 

「それで、旅の方。ご事情をお聞かせ願えますか?」

 

衛兵に案内された広場の一角で、アニスが穏やかに尋ねた。

ベンチに座ったムコーダの隣では、フェルが堂々と寝そべり、スイとドラちゃんがコーラ片手に落ち着きなく周囲を見回している。

 

ムコーダはできる限り正直に、しかし神様の加護やネットスーパーの詳細は省いて説明した。

旅の途中で、気づいたら見知らぬ街道にいたこと。

ここが何という国か分からないこと。

フェンリルは仲間で、人を襲う気はまったくないこと。

 

「まあ、フェンリルさんがお仲間なんですね。それは、頼もしいこと」

 

「さん付けですか……」

 

「ええ。体の大きな方は、診察のときに気を遣いますから」

 

何の話だ、とムコーダは思ったが、アニスが本気でフェルの体調を心配しているようなので、突っ込むのをやめた。

 

「事情は分かりました。実は、そこの飲み物が気になって……ああ、いいえ、ごめんなさい。それだけではなくて、皆さんが驚かせてしまったお詫びも兼ねて、何かできることはないかと思いまして」

 

「いえいえ、こちらこそお騒がせして……」

 

「そうだ。いっそのこと、大きなパーティを開きませんか?」

 

「……パーティ?」

 

アニスは、ぽんと両手を叩いた。

 

「ええ。街の皆さんも怖がってしまいましたし、このまま帰っていただくのは、あまりにも寂しいです。こういうときは、美味しいものをみんなで食べるのが一番ですよ。さっきの飲み物のように、皆さんで分け合えば、きっと仲良くなれます」

 

「え、いや、あの」

 

「素敵な提案ですわね」

 

ひんやりした声が、アニスの背後から響いた。

 

現れたのは、整った身なりの女性だった。

背筋はまっすぐで、立ち居振る舞いに一分の隙もない。

手には、丸められた羊皮紙が抱えられている。

にこやかな笑顔なのに、ムコーダは不思議と背中がぞわりとした。

 

「ごきげんよう。わたくし、キャスベルと申します。領主さまの命により、このフリスにて務めを果たしております」

 

「あ、ああ、どうも。ムコーダです」

 

「ムコーダ様。先ほどの『炭酸の飲み物』、領主さまにも献上いたしたく存じますの。もちろん、正当な対価はお支払いいたしますわ」

 

「え、あ、そ、そうですか」

 

「つきましては、こちらの契約書にご署名を」

 

「展開が早い!」

 

キャスベルは、丸めた羊皮紙をするすると広げた。

細かい文字がびっしりと並んでいる。

ムコーダは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。

サラリーマン時代の「契約書は読め」という鉄則が脳裏によみがえる。

 

「あの、ちょっと待ってください。内容を確認させて……」

 

「もちろんですわ。ごゆっくり。ただ、領主さまのお慈悲にも限りがございますので、本日中にご決断いただければ幸いです」

 

笑顔が崩れない。

圧が、すごい。ムコーダは、

フェルの威圧よりもこの笑顔のほうが怖いかもしれないと思った。

 

「キャスベルさん、そんなに急かしては可哀想ですよ」

 

「アニスさん。契約とは、お互いの信頼を形にするものです。曖昧にしてはなりませんわ」

 

「でも、まずはお料理を楽しんでいただくのが先でしょう?」

 

二人のやりとりを聞きながら、ムコーダはふと気づいた。

この街の人々は、フェルの存在よりも、新しい飲み物や料理に興味を持っている。

ならば、ここは腹を括って、やるしかない。

 

「わ、分かりました。パーティ、やりましょう。俺の……俺たちの得意な料理で、皆さんをもてなします。契約書は、そのあとで、じっくり拝見させてください」

 

「まあ、嬉しい。楽しみにしていますわ」

 

キャスベルの目が、ほんの少し光った気がした。

 

### 五、石狩風キムチ鍋と串焼きの大宴会

 

会場に選ばれたのは、フリスの中央広場だった。

 

噂は千里を走る。夕刻には、広場に人が集まり始めていた。

商人、職人、冒険者、子ども連れの家族。

ざっと数百人はいる。

ムコーダは頭の中で食材の計算をし、思わず天を仰いだ。

 

「無理、これ絶対無理。普通に考えて無理だろ」

 

「あるじー、スイ、お手伝いするよー!」

 

「俺もやるぞ。肉の下ごしらえなら任せろ」

 

足元で、スイとドラちゃんが頼もしい声を上げた。

そうだ。

こいつらがいる。

ムコーダは頬を叩いて気合を入れた。

 

「よし、ネットスーパー、オープンだ!」

 

視界に浮かぶ画面。

まず選んだのは、大量の鮭の切り身だ。そ

れから白菜、大根、にんじん、長ねぎ、豆腐、じゃがいも、バター、味噌、白菜キムチ。

調味料に昆布だし。

巨大な寸胴鍋は、あらかじめ異空間にしまってあった大鍋を引っ張り出す。

 

「今日のメインは、石狩風キムチ鍋だ。北海道の石狩鍋をベースに、キムチでピリ辛を効かせる!」

 

鮭のあら出汁と昆布だしで、味噌をたっぷり溶いていく。

そこにキムチを投入。

じゅわっ、と赤いスープが泡立ち、辛みと発酵の酸味が混ざった香りが、広場に広がった。

 

「うおおお、なんだこの匂い!」

 

「腹が減る匂いだ!」

 

「あるじ、スイ、野菜切るねー!」

 

スイが触手をしゅぱぱぱと伸ばし、大根もにんじんもあっという間に食べやすい大きさに切っていく。

ムコーダも驚くほどの精度だ。

ドラちゃんは豆腐を崩さないよう慎重に運びながら、「おい、こっちの火加減も見ろよ」と指示を出している。

 

鍋が煮えるころには、仕上げにバターをひとかけ。

じゅわあっと溶けて、味噌のコクとキムチの辛さが丸くなる。

ここが石狩風の肝だ。

 

「できたぞ! 順番に並んでくださーい! 熱いから気をつけて!」

 

並んだ人々の器に、鮭と野菜がたっぷり入った赤い鍋が注がれていく。

一口食べた商人が、目をかっと見開いた。

 

「からっ! ……うまい! 辛いのに、後からバターのまろやかさが来る!」

 

「魚がほろほろだ!」

 

「体がぽかぽかしてくる! これはいいぞ!」

 

アニスも器を受け取り、ふうふうと冷ましながら一口。

 

「まあ、体が芯から温まりますね。お野菜もたくさん摂れて、とてもバランスがいいです」

 

「ありがとうございます。あ、辛いのが苦手な方には、牛乳を足したマイルド版も用意してますよ」

 

「それはありがたいです。患者さんにも、分けていただきたいくらい」

 

「さすが看護師さん……」

 

そのころ、フェルは、鍋の匂いを嗅ぎながら鼻をひくひくさせていた。

 

「ムコーダ。鍋もよいが、我の分はどうなっておる」

 

「分かってる、分かってるって。ほら、こっちが本命だ」

 

ムコーダがインベントリから取り出したのは、ブラッディーホーンブルの肉の塊だった。

以前に狩った、血の気の多い牛のような魔物だ。

これを大きめの一口サイズに切り分け、串に刺していく。

味つけは、ネットスーパーで取り寄せたあの万能スパイス、ほりにしだ。

 

ぱらぱらぱら、と全体にまぶして、炭火の網にのせる。

じゅううう、と肉の脂が落ち、ほりにしのスパイスが焼ける匂いが立ち上る。

 

「うおお、この匂い!」

 

「肉の焼ける匂いと、何かの香辛料が混ざって……たまらん!」

 

焼き上がった串を、まずフェルの前の大皿に山盛りにして置いた。

 

「ほら、フェル。ブラッディーホーンブルの串焼き、ほりにしがけだ」

 

フェルは無言で、一本、二本、三本と平らげていった。

そして、ふう、と息をつく。

 

「……うむ。やはりこれは格別だ。肉の旨味に、この香辛料のぴりりとした刺激と、ほのかな甘みが絡み合う。ムコーダ、おかわりだ」

 

「はいはい、焼くよ。ほんと、お前は分かりやすいな」

 

「おい、こっちにもくれよ!」

 

「スイもー!」

 

串焼きの列も、鍋に負けず劣らず長くなった。

ムコーダは汗だくになりながら串を焼き続けた。

 

### 六、宿儺かぼちゃのポテトサラダ

 

そのうちに、広場の端のほうから、元気のいい声が聞こえてきた。

 

「おーい! アタシにも、その肉くれ!」

 

駆け寄ってきたのは、動きやすそうな軽装に、使い込まれた革のベルト、背中に弓と短剣を背負った少女だった。

日に焼けた肌に、いかにも活発な瞳。

獲物を狙う獣のような身のこなしだが、顔は人懐っこい。

 

「アタシはテララ! シャルル村の生まれで、村一番のハンターだ! いやー、いい匂いにつられて、森から走ってきたぜ!」

 

「森から? 街まで?」

 

「ああ! 獲物を追ってたら匂いがしてさ。ちょうど腹ペコだったんだ。お、すげえ、でっかい狼がいる! アンタ、強いな!」

 

テララは、フェルを見て目を輝かせた。

恐れる気配は、かけらもない。

フェルが片眉をぴくりと動かした。

 

「ほう。我を前にして、怯えぬか」

 

「怯える? なんでだ? 強い奴には敬意を払うもんだろ! アタシ、村一番のハンターだからな。強い奴は大好きだ!」

 

「……面白い娘だ」

 

フェルが、ほんの少しだけ機嫌を良くした。

ムコーダは胸を撫でおろす。

 

「テララさん、串焼き、どうぞ。熱いから気をつけて」

 

「おう、ありがとな! ……うっまあ!! なんだこれ、肉がとろける! ピリッとして、また食べたくなる!」

 

「それ、ブラッディーホーンブルだよ」

 

「ブラッディー? あの凶暴な牛か!? アタシも狩ったことあるけど、こんなに旨くなるなんて!」

 

テララが串を頬張りながら感激していると、その背後から、静かな声がかけられた。

 

「テララ。人様にご迷惑をかけてはいけませんよ」

 

「あ、シンフォーリア!」

 

現れたのは、落ち着いた佇まいの女性だった。

背には美しい弓。凛とした眼差しの中に、確かな腕前を感じさせる風格がある。

その隣には、柔らかい雰囲気の女性が、花の香りを連れて立っていた。

淡い色のドレスの袖口には、小さな土の汚れがついている。

 

「ローズランサから来ました、シンフォーリアです。こちらは、同じ旅の仲間のメーツァです」

 

「私はエヴァーガーデンのガーデナー、メーツァよ。素敵な香りに誘われて、思わず立ち寄ってしまったの」

 

「あ、どうも。ムコーダです。よかったら、食べていってください」

 

シンフォーリアは丁寧に頭を下げた。

 

「ありがとうございます。実は、少し気になるものがありまして」

 

「気になるもの?」

 

「あの、緑と橙のものです。ほかの料理とは違う、とても優しい匂いがします」

 

指さした先にあったのは、大きなボウルいっぱいのポテトサラダだった。宿儺かぼちゃ入りだ。

 

「ああ、これはポテトサラダだよ。宿儺かぼちゃっていう、ちょっと珍しいかぼちゃを使ってるんだ。ネットスーパーで見つけて、つい買っちゃってさ」

 

宿儺かぼちゃは、飛騨高山の特産だ。

普通のかぼちゃよりも水分が少なく、ほくほくとした食感と濃厚な甘みが特徴である。

ムコーダは、じゃがいもと宿儺かぼちゃを蒸して、粗めにつぶし、そこに玉ねぎ、きゅうり、ハム、茹で卵を加えて、マヨネーズで和えた。

味つけは塩こしょうと、ほんの少しの粒マスタードだ。

 

「どうぞ、味見してみて」

 

シンフォーリアは、小皿にとったポテトサラダを一口。

ゆっくりと咀嚼した。

 

「……っ」

 

「どう?」

 

「とても、美味しいです。かぼちゃの甘みが、まるで菓子のようで。それなのに、マスタードの酸味が、全体を引き締めています」

 

「シンフォーリアがそこまで言うなんて、珍しいな! アタシも食べる!」

 

テララも一口。目をまん丸にした。

 

「うっ、うまい! ほくほくで、甘くて、でもしょっぱくて! これ、永遠に食える!」

 

「落ち着いて食べなさい、テララ」

 

メーツァは、かぼちゃの欠片をそっとつまんで、光に透かした。

 

「この色、本当に綺麗ね。土の力をたっぷり吸った作物だわ。ねえ、ムコーダさん。このかぼちゃの種は、手に入るかしら?」

 

「種ですか? ネットスーパーで、野菜の種って売ってたかな……あ、あった。宿儺かぼちゃの種も出てますね」

 

「まあ、ありがたい! 私の庭で、育ててみたいの。花が咲くのが、今から楽しみで」

 

「えっ、すごい。そんな簡単に決めて大丈夫ですか」

 

「ええ。庭づくりは、一期一会ですもの」

 

メーツァが柔らかく微笑んだ。ムコーダは、種の袋をいくつか取り寄せて渡した。

 

「栽培方法のメモも、おまけで添えますね。日当たりと水はけが大事らしいので」

 

「ありがとう。あなた、優しい方ね」

 

ポテトサラダのボウルは、あっという間に空になった。

ムコーダは二杯目、三杯目と作り足したが、追いつかない。

テララは三回おかわりして、シンフォーリアにそっと諭された。

 

「テララ、食べすぎです」

 

「だって、うまいんだもん!」

 

「テララさん、食べすぎてお腹を壊さないように、あとで胃薬を持っていきますね」

 

アニスが、にこにこしながら声をかける。

 

「アニス、アタシ、そんなヤワじゃねえよ!」

 

「あらあら。強がりは、いけませんよ」

 

賑やかな笑い声が、広場に広がった。

 

### 七、バターどらやきの魔力

 

宴もたけなわ、というころ。

 

ムコーダは、ネットスーパーの画面をそっと閉じ、もうひとつの画面を開いた。

以前に開店していた、シャトレーゼのお菓子コーナーだ。そこには、数々のスイーツが並んでいる。

 

「そろそろ、デザートの時間かな」

 

「む? デザートだと?」

 

フェルの耳がぴくんと動いた。ドラちゃんとスイも、すぐに集まってくる。

 

「おい、ムコーダ。今日は何だ? 甘いもんか?」

 

「あまいの、あまいのー!」

 

「そうだ。今日は、これでいくぞ」

 

ムコーダが選んだのは、シャトレーゼの『北海道産バターどらやき』だった。画面をタップすると、ひんやりとした紙の包みが、ぽんぽんと山のように現れた。

 

「ほう、また新しい菓子か」

 

「どら焼きだ。でも、ただのどら焼きじゃない。しっとりした生地に、粒あんと、塩味のバタークリームが挟んである」

 

「バタークリーム? あんこと?」

 

「そう。意外と合うんだ、これが」

 

ムコーダは包みをひとつ開け、半分に割った。

しっとりとした焼き色の生地の間に、つやつやの粒あんと、白いバタークリームが挟まっている。

あんこは十勝産の小豆を使っているらしい。

バタークリームには、北海道産バターに沖縄の海水塩を加えているそうだ。

 

まず、ムコーダ自身が一口。

 

「……っ。やっぱりうまいな、これ」

 

ふんわりした生地、小豆の優しい甘み、そして、塩気の効いたバターのコク。

口の中で、甘じょっぱさが渾然一体となって広がる。ムコーダは思わず目を閉じた。

 

「あるじー、スイにも! スイにも!」

 

「ほら、スイ」

 

スイは、どらやきをぽよんと包み込んで、体の中でゆっくりと溶かしていく。

ぷるぷる、と揺れて、数秒後。

 

「おいしーーーい!! あるじ、これ、すっごくおいしーー!! あまくて、しょっぱくて、とろーってするーー!!」

 

「そうか。気に入ったか」

 

「俺にもよこせ!」

 

ドラちゃんが、両手でどらやきを抱えて、もぐもぐ。

 

「うまっ! なんだこれ、あんことバター、こんなに合うのか! 甘いだけじゃなくて、塩気が絶妙だぞ!」

 

「だろ?」

 

「我にもだ」

 

フェルが、前足でどらやきの包みをぺしぺしと叩く。

ムコーダは、一口大にちぎって差し出した。

フェルはぱくりと食べ、しばらく無言になった。

 

「……ムコーダ。これは、危険だ」

 

「は? 危険?」

 

「これは、人を堕落させる味だ。あんこの優しさと、バターの背徳。そして、この塩気が、また次を呼ぶ。我が全力で抗わねば、永遠に食べ続けてしまう」

 

「それ、褒めてるんだな?」

 

「当然であろう」

 

広場の人々にも、どらやきを配った。

大人も子どもも、最初は不思議そうに眺めていたが、一口食べると、全員が同じ表情になった。

 

「な、なんだこれ!」

 

「甘いのに、しょっぱい! けど、最高だ!」

 

「お母さん、これ、もっと食べたい!」

 

「バターが入ってるのに、ちっとも重くないわ。ふわふわの生地が、全部まとめてくれてる」

 

テララは、一つ目をあっという間に食べ終わり、二つ目に手を伸ばしていた。

 

「これ、やべえ! アタシ、これのために狩りしてもいい!」

 

「テララ、落ち着いてください」

 

「シンフォーリアも食べろよ! ほら!」

 

差し出されたどらやきを、シンフォーリアは丁寧に受け取り、一口。

目が、静かに見開かれた。

 

「……これは。一矢で射抜かれた心地です」

 

「でしょ!?」

 

「どんな弓矢でも外さない私が、完全に撃ち抜かれました。これは、おそろしいお菓子です」

 

シンフォーリアのまじめな顔での感想に、周囲がどっと笑った。

 

メーツァは、どらやきを少しずつ割りながら、ゆっくり味わっていた。

 

「バターの塩気が、あんこの甘さを引き立てているのね。まるで、花と土の関係みたい。互いに支え合って、美味しくなるの」

 

「メーツァさん、詩人ですね」

 

「あら、そうかしら。ふふ」

 

そんな和やかな空気の中、キャスベルがすっと近づいてきた。

手には、先ほどの契約書がある。

 

「ムコーダ様。このどらやきを、定期的にフリスへご供給いただく契約を結びたく存じますの。もちろん、報酬は相応にお支払いいたしますわ」

 

「いや、これは俺が作ったものじゃなくて、取り寄せ品でして……」

 

「だからこそ、安定供給の確約が重要なのですわ」

 

「圧がすごい」

 

「ご署名、いただけますわね?」

 

ずい、と契約書が迫る。

笑顔のまま、一歩も引かない。

ムコーダは、じりじりと後ずさった。

 

「ええと、あの、一旦保留で、お願いします」

 

「では、仮契約ということで」

 

「仮契約!? それ、どう違うんですか!」

 

「些細な違いですわ」

 

絶対に些細じゃない。ムコーダは確信した。

 

「キャスベルさん、そろそろ解放してあげてください。ムコーダさん、困っていますよ」

 

アニスがやんわりと割って入った。

 

「アニスさん。わたくしはただ、契約の重要性を……」

 

「それはまた、明日にしましょう。今夜は楽しい宴です」

 

「……そうですわね。今夜は、引き下がることにいたしましょう」

 

キャスベルが、ようやく契約書を下ろした。

ムコーダは、全身の力が抜けるのを感じた。

 

### 八、クラフトコーラで、ほっと一息

 

夜が更けるにつれ、広場の空気は少しずつ落ち着いてきた。

 

満腹の人々は、あちこちで地べたに座り込み、賑やかに語り合っている。

子どもたちは、スイと追いかけっこをしている。

ドラちゃんは酔っぱらいの商人に絡まれて、「おい、俺は鳥じゃねえぞ」と抗議している。フェルは、広場の真ん中で満足げに寝そべり、串焼きの残りを丁寧に舐めていた。

 

「ふう。ちょっと休憩するか」

 

ムコーダは、ベンチに腰を下ろした。そして、ふと思いついた。

 

「そうだ。最後の仕上げに、あれを出そう」

 

ネットスーパーのさらに別の画面を開く。それは、クランドというクラフト酒の専門店から取り寄せられる商品の画面だ。

ムコーダは、その中のノンアルコール飲料の欄から、ひとつを選んだ。

 

「厳選スパイスを贅沢にブレンドした、クラフトコーラ」

 

手元に、茶色の瓶がことりと現れた。

五百ミリリットル入りの、コーラシロップだ。

ラベルには、シナモンやカルダモン、クローブなどのスパイスの名が並んでいる。

きび砂糖と柑橘の果汁で仕上げた、大人向けの味わいだという。

 

「このシロップを、炭酸水で割るんだ。おすすめは、シロップ一に対して炭酸水五」

 

ムコーダは、ネットスーパーで炭酸水を大量に取り寄せ、コップにシロップを少し注いだ。そこに、しゅわっと炭酸水を加える。

ぱちぱちと弾ける泡の間から、スパイスの香りが立ち上った。

 

「ふあ……いい匂い」

 

最初に反応したのは、メーツァだった。

 

「シナモンと、クローブと……あら、柑橘も入っているのね。奥のほうに、バニラの香りもあるわ」

 

「分かるんですか?」

 

「ええ。私、香りには敏感なの。庭で、いろんなハーブやスパイスを育てているから」

 

メーツァは、一口飲んだ。しばらく目を閉じて、味わう。

 

「……素敵。甘さの奥に、少しだけ苦みがあって、大人の味ね。スパイスの重なりが、まるで花壇の色の重なりみたい」

 

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 

「ムコーダ、我にも」

 

フェルが、のそりと顔を上げた。深皿にクラフトコーラを注いでやると、ぺろりと舐めて、ふむ、と唸る。

 

「先ほどのコカ・コーラとは、まるで違うな。こちらは、香りが奥深い。スパイスのぴりりが、舌に残る。……悪くない」

 

「だろ? 大人の味ってやつだ」

 

「おい、俺にもくれよ」

 

ドラちゃんが、戻ってきた。ムコーダが差し出したコップを両手で抱え、ちびちびと飲んでいる。

 

「おお、こっちのほうが、俺は好きかもな。さっきのは甘くて飲みやすかったけど、これは、なんか、深いぞ」

 

「ドラちゃん、味が分かるようになってきたな」

 

「うるせえ」

 

スイも、シロップをほんの少し混ぜた炭酸水を、ぷるぷると嬉しそうに飲んでいる。

 

アニスは、コップを両手で包んで、ほっとした表情を浮かべた。

 

「体が、ぽかぽかしますね。スパイスの力かしら。夜風が冷たくなってきたので、ちょうどいいです」

 

「あ、お湯割りもできますよ。ホットにすると、また違った感じで」

 

「それは素敵。ぜひ、教えてください」

 

テララとシンフォーリアも、コップを手に、星空を見上げていた。

 

「なあ、シンフォーリア。今日、楽しかったな」

 

「ええ。珍しいものをたくさん食べさせていただきました」

 

「ムコーダたち、いい奴らだな。また会えるかな?」

 

「それは、ご縁次第です」

 

そこへ、キャスベルが静かにやってきた。契約書は、さすがに今は、手にしていない。

 

「ムコーダ様。今日は、素晴らしい宴をありがとうございました。領主さまも、きっとお喜びになりますわ」

 

「いえいえ。こちらこそ、騒ぎを起こしてしまって、すみませんでした」

 

「結果として、フリスの皆が笑顔になりました。それが、何よりです」

 

キャスベルは、コップを傾けて、クラフトコーラを一口。ほんの少しだけ、表情が柔らかくなる。

 

「……契約の件は、明日、改めてお話しいたしましょう」

 

「えっ、あ、はい」

 

その「明日」が、ムコーダにとって、とんでもない一日になることを、このときの彼はまだ知らなかった。

 

### 九、翌朝、全力で逃げる

 

翌朝。

 

ムコーダは、夜明けとともに目を覚ました。

宿屋の一室で、フェルが大の字になって眠っている。

その腹の上で、スイが丸くなっていて、ドラちゃんは枕元で寝言を言っている。

 

「おい、みんな。起きろ。そろそろ、出発するぞ」

 

「む……もう朝か」

 

「ふあああ。ムコーダ、早えな」

 

「朝のうちに出たほうがいい。理由は聞くな」

 

ムコーダは、荷物をまとめながら、昨夜のことを思い返していた。

アニスの優しさ、テララの元気、シンフォーリアの真面目さ、メーツァの穏やかさ。

みんないい人たちだった。

だが、問題はキャスベルの契約書だ。

あれに一度でも署名したら、絶対に、帰れなくなる。

 

「悪い人たちじゃないけど、ここに長居したら、絶対に流される。サラリーマンの勘だ」

 

「勘というより、実績であろう」

 

「うるさいな、フェル」

 

宿を抜け出し、静かな朝の街を歩く。

まだ人通りは少ない。

ムコーダたちは、そっと城門のほうへ向かった。

あと百メートル。

あと五十メートル。

 

「ムコーダさーん! どちらへお出かけですか?」

 

背筋が凍った。

 

振り向くと、広場の向こうから、アニスが両手を振っていた。

その隣には、書類の束を抱えたキャスベル、元気いっぱいのテララ、弓を背負ったシンフォーリア、花束を持ったメーツァ。

全員が、朝から全力で、にこやかに立っていた。

 

「みんな、早いな!?」

 

「朝食の準備を、もうしているんですよ。ムコーダさんたちも、ぜひご一緒に」

 

「いや、ありがたいんですが、俺たち、そろそろ……」

 

「ご出立ですか? それは、少々お待ちくださいませ」

 

キャスベルの笑顔が、輝いた。

 

「昨夜の契約の件、まだお返事をいただいておりませんわ」

 

「ええと、それは、ですね……」

 

「ムコーダ! アタシ、いいこと思いついた!」

 

テララが、元気よく手を挙げた。

 

「アンタたち、フリスに住めばいいじゃん! あの料理、毎日食えるなんて、最高だろ!」

 

「いやいやいや!」

 

「どらやきも、毎日いただけますね」

 

「シンフォーリアさんまで!」

 

「私の庭にも、ぜひ来てほしいわ。かぼちゃが育つところを、見せたいの」

 

「メーツァさんも!?」

 

「ご安心ください。住居と食事、それに報酬は、領主さまがご用意いたしますわ。こちらが、その条件を記した契約書です」

 

キャスベルが、分厚い書類をぱさりと広げた。

 

「分厚い!」

 

「ええ。細かいところまで、きちんと記載しておりますの」

 

ムコーダは、一歩、また一歩と、後ずさった。

フェルが小さく鼻を鳴らした。

 

「ムコーダ。我の勘では、これは逃げたほうがよいぞ」

 

「だよな。俺もそう思う」

 

「走れ」

 

「走る!」

 

ムコーダは、フェルの背に飛び乗った。

スイとドラちゃんも飛び乗る。

 

「あっ、お待ちを!」

 

「逃がしませんわ!」

 

「待ってー! アタシも一緒に行くー!」

 

「テララ、そういう意味ではありません!」

 

地鳴りのような足音とともに、フェルが疾走し始める。

朝の石畳を、フェンリルが全力で駆け抜ける。

 

だが、相手も只者ではなかった。

 

「ムコーダさん、危ないですよー!」

 

アニスが、にこにこと両手を伸ばしながら、なぜかものすごい速度で追いかけてくる。

看護師の本気の足の速さなのか、あるいは何かの加護なのか。

 

「あの人、速くない!?」

 

「お待ちなさい! 契約書は、まだ有効ですわ!」

 

「署名してないから!」

 

「口頭契約という概念もございますの!」

 

「そんなの聞いてない!」

 

さらに上空から、ひゅん、と風を切る音がした。

 

「失礼します」

 

シンフォーリアの矢が、フェルのすぐ脇をかすめ、石畳に刺さった。

そこに、ムコーダの外套の裾が、見事に縫い留められている。

 

「ぐえっ! 外套が!」

 

「申し訳ありません。ですが、どんな弓矢でも外しませんので」

 

「その自信、今は要らなかった!」

 

ムコーダは外套の留め具を外して、外套ごと置き去りにした。

正面の路地に入ると、今度は、足元から緑の蔦がするすると伸びてきた。

 

「うわっ、蔦!?」

 

「ごめんなさい。逃がすわけにはいかないの」

 

メーツァが、にこにこと花束を揺らしている。

花の香りが、ふわりと漂う。

蔦はムコーダの足首に絡みつき、じわじわと動きを封じていく。

 

「メーツァさんまで本気だ!」

 

「スイ、蔦、溶かせるか!」

 

「うん! やってみるー!」

 

スイが、ぶるんと体を震わせて、蔦に酸の液を吹きかけた。

蔦がしゅうしゅうと溶けていく。

ドラちゃんも、風の魔法で蔦を切り払う。

 

「ふー、助かった。……って、あれ?」

 

前方の道が、塞がっていた。

そこには、仁王立ちのテララがいた。

 

「ここは通さねえぜ!」

 

「テララさん、何でそこまで!?」

 

「だって、せっかく仲間になれたのに、もう行っちゃうなんて、寂しいだろ!」

 

「仲間になった覚えは……いや、あるかも」

 

「だろ!? アンタはもう仲間だから、アタシが守ってやる! だから、ここに残れ!」

 

「守る方向が間違ってるんだよ!」

 

フェルが、低く唸った。

 

「ムコーダ。そこの娘を、蹴散らしてよいか」

 

「ダメだ! 絶対ダメだ! 穏便に!」

 

「穏便に、とはまた難儀な」

 

八方塞がりだった。

背後からはアニスとキャスベルが、前方にはテララが、頭上からはシンフォーリアの矢、足元にはメーツァの蔦。

ムコーダは、サラリーマン人生で一番の危機を感じた。

 

「どうすれば……どうすれば、いいんだ……!」

 

そのとき。

 

『……ムコーダさん』

 

頭の中に、聞き覚えのある、涼やかな声が響いた。

 

### 十、神々の手引き

 

『ムコーダさん。聞こえますか?』

 

「そ、その声は……ニンリル様!?」

 

風の女神ニンリル様だった。

いつもの、少し弾んだ明るい声だ。

 

『はい。なんだか、とっても賑やかなことになっていますね。ふふ』

 

「笑ってないで助けてください! 今、ほんとうにピンチなんです!」

 

『分かっています。実は、昨日からずっと見ていたんですよ。あの、バターどらやき、私にも食べさせてほしかったのに』

 

「えええ、そこですか!?」

 

『とっても美味しそうでしたもの。それに、ムコーダさんが、見知らぬ世界で、頑張っていましたから。ちょっと、お手伝いをしようかと』

 

「ありがとうございます、ニンリル様! それで、どうすれば!?」

 

『実はですね。今、ほかの神様たちと相談しているところなんです』

 

ニンリル様の声の向こうから、別の声が聞こえてきた。

 

『ほっほっほ。これはまた、面白いことになっておるな』

 

低く、威厳のある声。

ムコーダは、その声に覚えがあった。創造神デミウルゴス様だ。

 

「で、デミウルゴス様まで!?」

 

『うむ。世界の境目に、ちょっとした綻びが生じておってな。そこを通って、お主たちが、こちらの世界に迷い込んでしまったようだ。これは、こちらの手落ちでもある。すまなんだ』

 

「い、いえ、そんな。それより、元の世界に戻れるんですか!?」

 

『戻れるとも。ただし、その綻びを一時的に開く必要がある。少々、時間がかかるが、よいか?』

 

「どのくらいですか!?」

 

『ざっと、三分ほどだな』

 

「三分!? 長いです! この状況で三分は、絶望的です!」

 

『そこは、ニンリルが何とかしてくれる。のう?』

 

『はい。風で、足止めをします』

 

ニンリル様の声が、ふわりと明るくなった。

 

『では、いきますよ。ムコーダさん、フェルちゃんにしっかり掴まって』

 

「は、はい!」

 

ごおおおっ、と突風が吹き荒れた。

フリスの朝の通りに、渦を巻く風が現れる。

 

「きゃっ!?」

 

「風が!」

 

「あらあら。ずいぶん強い風ですね」

 

追ってきていた全員の足が、風圧に押されて止まった。

テララの髪が逆立ち、キャスベルの書類が舞い上がる。

 

「契約書が! お待ちなさい、わたくしの契約書ー!」

 

「キャスベルさん、書類より、ご自分の身を!」

 

アニスが、キャスベルの腕をつかんだ。

その間に、ムコーダたちの足元に、柔らかな光の円が広がっていく。

 

『綻びを開きますぞ。三、二、一……』

 

「ムコーダー! アタシ、また会いたいぞー!」

 

テララが、風の中で叫んでいた。

 

「ムコーダ様! 契約の件、また改めて……!」

 

「次は、ぜひ、お時間をたっぷりとって、いらしてくださいね」

 

「どらやきの味、忘れません」

 

「かぼちゃ、立派に育てるわ。咲いたら、見に来てね」

 

それぞれの声が、風に乗って届く。

ムコーダは、振り返って、深々と頭を下げた。

 

「皆さん、昨日は、本当にありがとうございました! 楽しかったです!」

 

「む。ムコーダ、そろそろ光が……」

 

「よし、フェル、スイ、ドラちゃん、掴まってろ!」

 

光が、ぱあっと弾けた。

 

まぶしさに目を閉じ、次に開けたとき、そこには見慣れた景色が広がっていた。

 

緑の丘陵。

いつもの街道。

遠くに見える、見覚えのある森。

 

「……戻って、きた?」

 

「うむ。空気が、我の知っているものに戻った」

 

フェルが、深く息を吸い込んだ。

ムコーダは、その場にへなへなと座り込んだ。

 

「はああああ……疲れた……」

 

『お疲れさまでした、ムコーダさん』

 

ニンリル様の声が、頭に響いた。

 

「ニンリル様、ありがとうございました。本当に助かりました」

 

『ふふ。お礼は、ぜひバターどらやきで』

 

「あ、そうでしたね。ちゃんとお供えします! どのくらい必要ですか?」

 

『そうですね。ひとまず、十個ほど』

 

『わしにも、頼むぞ』

 

「デミウルゴス様までですか!?」

 

『甘いものは、世界を救うのだ』

 

「そうですか……じゃあ、多めに用意しますね」

 

ムコーダは、苦笑しながらネットスーパーを開き、シャトレーゼのコーナーから、バターどらやきを神棚に捧げる分、たっぷりと注文した。

ほかの神様たちの分も、念のために追加しておく。

キシャール様やアグニ様に、あとから文句を言われたくない。

 

「ところで、ムコーダ」

 

フェルが、ふいに言った。

 

「何だ?」

 

「次にまた、ああいう場所へ飛ばされたら、街から十キロ手前で降ろせ。二キロでは、近すぎる」

 

「飛ばされる場所を選べるわけないだろ!」

 

「あるじー、スイ、あのどらやき、また食べたいなー!」

 

「俺も食いたい! あのクラフトコーラも、もう一本頼む!」

 

「お前ら、さっき食べたばかりだろ……」

 

ムコーダはため息をつきつつも、顔は緩んでいた。

 

見慣れた街道を歩き出す。ふ

と、ポケットに違和感を覚えて手を入れると、一枚の紙が出てきた。

 

「……あれ、何だこれ」

 

広げてみる。それは、キャスベルが持っていた契約書の、最終ページだった。末尾には、小さな文字で、こう書き添えられていた。

 

『本契約は、署名の有無にかかわらず、いつでも再開可能とする。フリス領主代理人 キャスベル』

 

その隣に、手書きで、落書きのような一行が付け足されている。

 

『次はちゃんと、お代をお支払いしますわ。 アニス』

 

『アタシも待ってるぞ!  テララ』

 

『弓の腕を、また披露いたします シンフォーリア』

 

『庭に、かぼちゃの花を咲かせて待っています メーツァ』

 

ムコーダは、しばらくその紙を見つめていた。

そして、くすりと笑って、そっと折りたたむと、大事に懐にしまった。

 

「……また、行くことがあるのかな」

 

「ふむ。その節は、我の分も忘れずに用意せよ」

 

「分かってるよ」

 

こうして、ムコーダ一行の、奇妙な異世界訪問は幕を閉じた。

 

後日、神棚にお供えされたバターどらやきの包みが、いつの間にか空になっているのを見て、ムコーダは、神様たちの食欲に、改めて恐れ入ったという。

 

そして、クラフトコーラの瓶は、ほんのりと、あの街の風の匂いを残していたのだった。

 

――終――

 

 


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