遂にか、と思った。
その日は土曜日で、私は平日通えない色々の病院へ、諸々の薬を処方されるべく自転車を漕いでいた。
その時は種々を終えての帰り道で、多分に寄り道を楽しんで、リュックには4冊の新しい本が、足には20km程度の追加距離によるほどよい熱と充実感があった。
そしてその瞬間は、ちょっとした遊び心から、数ヶ月ぶりに前後のギアを最も軽い段へ切り替え、まるで空転したように不確かな抵抗の中を、呼吸のみを頼りにもがいてみようとした刹那だった。
左手の人差し指が、カツンッとした抵抗と解放を奏でて、フロントギアが変速した。
同時に右親指はカチチとした小気味良さを返して、チャチャチャッとした慣れた振動を発して、リアギアが変速した。
股関節を軸とするイメージで、一体どんな坂を想定しているのだというギア比を駆動させる。
そして、無いはずの抵抗を感じた。
ギャィィィ、という悲鳴。
何かを捻じ曲げているような、嫌な抵抗。
臀部より生じた力みが、エネルギーが、意図しない
即座に停止を試みる。
こんな時でも、律儀にブレーキレバーは左から。後輪より開始して、遅れて右手が追従した。
アスファルト上を僅かに滑りながら、そろそろリムも交換時かもしれないという考えが浮かぶ。次いでディスクブレーキへの関心が湧き起こり、完全停車したことで霧散した。
振り向きながら、左脚へ体重を移動し、まるで後ろ回し蹴りのように右脚を跳ね上げ、着地した。
両手でそれぞれ、ステムとサドルを捕まえている。そのまま突っ張るように、突き放すように距離を作り、愛車の俯瞰に努めた。
愛車は『SIRRUS Expert』。2003年か2005年かに我が家へ来てから、父のポタリングや通勤に従事し、その後私のポタリングや通勤を支えた相棒である。
父と私では、その体格に大きな差が横たわっており、矮躯の身である私には、フレームサイズのやや大きなバイクだった。「お前には厳しい」とか、「姿勢が辛いだろう」とか。そんな父の気遣いこそ、父の望むような体躯を得られなかった私には堪えた。父の予定では、何の不安なく私に譲る手筈に違いなかったのだから。
だからこそ、むしろ譲り受けることに固執して強請ったのが懐かしい。兎に角、父の愛品を受け継ぎたかったのだ。そして無理にでも帳尻を合わせたかったのだ。
サドルを目一杯下げ、目一杯ハンドル側へ近づけて、ステムも短いものへと交換し、それでなんとか乗りこなすような……否、乗せてもらっているようなものだった。
そんな私のワガママに付き合ってくれていた相棒の様子が、一目で異変を示していた。
「はぁ……?」
声が出ていた。
リアディレイラー、つまりは後輪側の変速機は、リアギアの下部に位置しているものだ。どんなギアへ変速しようと、この位置関係は変わらない。それが私の中の常識だった。
だから、その常識が破られたとき、私は混乱をきたしたのである。
変速機はリアギアの上部に、その伸び切った、横臥した姿を見せていた。僅かに捻れても見える。
後悔の汁が、ジワリと広がった気がした。
「ぁぁ……」
やってしまった、だった。
その光景に唖然としながら、身の“覚え”が沸々と湧いてくる。チェーンもギアも、譲り受けて以降交換していない罪。同じギアばかり使い続け、摩耗を放置していた罪。普段ならやらなかった、急速なギアチェンジもまた重ねて罪で、どれが原因かも分からなかったが、その全てが頭を過った。
道の端へと移動する。
デパートの駐車場。夕方の薄暗さを、その強烈な灯りが遠ざける。くっきりした私の影が、動かない車体に落ちていた。影は項垂れて見えた。そんな暇があるなら手を動かせと、その姿は他人のように私を苛立たせる。
頭の中では、なぜチェーンもスプロケットも交換して来なかったかを探る自我があり、しかし考えるまでもなく答えは常にそこにあった。
私は、このバイクを受け継いだ時のままに、その“原型”で保ち続けたかったのだ。
ブレーキワイヤーやブレーキシューは付属品でも、どういう訳か、スプロケットとなるとバイクの一部として分ち難く思われたのだ。
私は諦めていなかった。重たいリュックを、音を立てて降ろし、憚ることなく中身を探った。
本が邪魔だった。放り出す。アスファルトに傷つけられても、どうでもよかった。
折り畳み傘。投げ捨てた。ゴミと変わらない扱いだった。
そうしてリュックの底の端に、普段意識もしていないソレを見つける。
マイナスドライバー。
これも父から受け継いだものだった。
古くはゲームセンターでのアルバイト時代、レール上でサボタージュする怠け者のメダルたちを、貧乏揺すりの止まらぬ客前で、速やかに叩き起こして蹴り上げた名監督である。
以来、社会人になっても持ち続け、あるときはトンカチに、またあるときはプラスドライバーの代役をも担い続けてきたのである。
私はマイナスドライバーを傍に置き、両手でディレイラーの位置をなんとか元に戻した。黒くなった両手に悲しくなる。単に汚れたからでは当然なかった。
スプロケットの下へと、その異常な位置関係を正されたディレイラーではあったが、それでもやはり歪み、捻れていた。このままではスポークと干渉し、甲高い連続音を奏でる金管楽器と化すだろう。
私は傍らのマイナスドライバーを掴み、あてがった。
左手は、マイナスドライバーとスポークの間に差し込まれている。
支点である。
テコの原理に頼ろうと言うのだ。
「ッ痛ゥ……」
金属の歪みを、無理やり解消しようとしている。
支点となる手に細いスポークが深く食い込み、痺れと熱、その程度の麻痺でどうにもならない痛覚の訴え。
しかし同時に、私はその痛みを必要としていた。
こんな時に限って、私の中にはすでに、修理のためにどれだけかかるか、どこまで出せるかという計算が生じていたのである。
計算は、購入当時の販売価格、物価の違いによる補正値と、20年乗ったという特殊事情、今後増えるであろう手間暇費用。そんな、今まで気に留めず、よって存在しなかったはずの“欠点”を論っていた。
痛みこそ相応しかった。
「ダメかぁ……ダメなのかぁ……? ぁぁ……悪いなぁ」
これ以上はスポークがマズかった。ディレイラーもマズかったし、それとフレームの接合部はもっとマズかった。
手にはしばらく残りそうな痕が残る。当然に思えた。
撒き散らしたものを回収する、無の時間を過ごす。駐車場では、家族連れの声がよく聞こえた。子供が親に何か強請っているのが、見てもないのに情景として浮かんだ。
ステムに手を添え、転がす。
妙な抵抗がある。それでも進みはした。
抵抗は規則的に、失われては現れてを繰り返した。
それがまるで、痛む足を庇って進むようなぎこちなさを想起させ、居た堪れない思いばかりが込み上げる。
「…………」
歩きながら、寄り添いながら、労わるようにステムを指で叩く。いつからか乗る際のルーティンと化していた、合図とも挨拶ともつかない動作だった。
フロントギアは2枚目に、リアギアは4枚目に固定され、もう動かすことはできそうにない。ディレイラーがスポークに干渉せず、かつまたチェーンも捉えていられるのが、たまたまこの段だったのだ。
それは偶然にも、平地において最も多用していた段だった。停車時には一段落とし、初速を得てから戻ってくる、平常の段。だから何ということもなく、ただただその段数だけが、妙に残ったのだった。