死にかけた傭兵ジンが、馴染みの闇医者のもとで目を覚ます。

命は助かった。

だが、新しい身体はピンク髪にメイド服の、中古の不良品セクサロイドだった。
おまけに会話システムまで故障していて、声だけは渋いおっさんのまま。
酒も煙草も駄目、服さえ自由に脱げない。

そのうえ、こんな身体で命をつないだ代償は三百万円。
借金返済のため、ジンは愛銃を携えて一晩の仕事に出る。

ところが待っていたのは、聞いていたより物騒な警備と、思いどおりに動かない新しい身体で――。

1 / 1
カクヨムに投稿した物に、手を加えたり修正した物です。


ピンクの義体と確実な仕事

 ――視界の右隅、最悪の赤文字が明滅していた。

 

【警告:システム完全停止まで四十七秒。脳殻の生命維持を最優先します】

 

「クソが……、俺としたことが、最悪のハズレを引いたな」

 

 視界のノイズに舌打ちする。

 首から下はほとんど感覚がなく、辛うじて動く右足だけが、まだ俺を前に進ませていた。

 

 深夜の雨が、かつて軍用規格のチタン合金製だったはずの俺の肉体を冷たく叩いていた。

 

 誰の差し金かは知らねえ。恨みを買った覚えなら、腐るほどある。

 今回の襲撃も、そのうちの誰かが仕掛けてきた報復なんだろう。

 

 待ち伏せの徹甲弾を凌いだところまではよかった。

 だが、倒したはずの襲撃者が、最後の最後で自爆しやがった。

 

 まさか、奴自身の義体まで使い捨てにしてくるとはな――

 

 爆発をまともに浴びた俺の身体は、今や引きずり歩く右足から無様に火花を散らすだけの、文字通りのスクラップだ。

 

 損傷した箇所からは赤黒い生体オイルがボタボタとアスファルトへぶちまけられ、夜の闇に消えていく。

 

 脳殻の生命維持が止まればそ(・)れ(・)ま(・)で(・)だ(・)。

 根性で機械は直らないが、足だけは止められない。

 

 辿り着いたのは、裏社会の人間しか知らない雑居ビルの地下。

 錆びついた鉄扉の向こうは、馴染みの闇診療所。

 

 もはや、インターホンの小さなボタンを押せるほど指が動かない。

 

 俺は残る力で一歩踏み込み、肩を鉄扉に叩きつけた。

 

 ゴン、と鈍い音が響く。

 もう一度、全体重をぶつけ――ゴンッ。

 

 とうとう身体を支えていた右足からも力が抜け、俺は扉に寄りかかったまま、ずるずると沈んでいった。

 

 カチャリ、と無造作にロックが外れる音が聞こえた。

 

 開かれた扉の隙間から、不機嫌そうにタバコを咥えた男が顔をのぞかせたその瞬間、最後の支えを失い、俺の義体はドサリと床に崩れ落ちた。

 

「おいおい、こんな時間に誰だ……って、チェイサーじゃねえか! 何やらかした、その身体!」

 

 焦った声を最後に、俺の意識は完全に闇に沈んだ。

 

 

     *

 

 

【初期設定を行ってください。……設定が完了しました。ようこそ、新たな夜へ、お嬢様】

 

 視界の隅で、目障りなほど明滅するパステルピンクのシステム文字。

 ひどいシステムノイズと焦げ付いたオイルの匂いの中で、俺の意識は急浮上した。

 視界の輝度を調整しようとした直後、聞き馴染んだ声が耳に入る。

 

「お? 目覚めたか? 命拾いしたな、お前(チェイサー)」

 

 煙草の煙とともに、見慣れた無精髭の顔がニヤニヤと覗き込んできた。

 

「……おい、藪。俺は生きてるのか」

 

 男の声を発しながら、上体を起こすと身体が妙に軽かった。

 いつもの軍用義体なら返ってくるはずの重みも、身体を支える手応えもない。

 少し姿勢を変えただけで、重心がずれる。

 

「状況が掴めねぇ。……これは何の冗談だ?おい」

「冗談じゃねぇよ。前の義体なんざ、脳殻以外は綺麗にスクラップだったんだ。……そこの鏡を見てみろ」

 

 俺は処置台に座ったまま、藪の方から全身鏡へ身体の向きを変えた。

 そこに映った姿を見た瞬間、思考が止まった。

 

 鏡の中にいたのは、ウェーブのかかった鮮やかなピンク髪の若い女だった。

 

 大きな瞳。以前の身体よりずっと小柄な体格。フリルのついたメイド風エプロンドレス。どう見ても夜の店で接客する量産型セクサロイドだ。

 

「……おい、藪。鏡を取り替えろ」

 

 鏡の中の女が口を開く。

 そこから響いたのは、聞き慣れたガサツで渋いおっさんの声だった。

 

 

 見た目との落差に、俺自身が一瞬黙る。

 

 

「だから、さっきから冗談じゃねぇって言ってんだろ。こんな時間に瀕死で転がり込んできた自分を恨め」

 

 藪医者はあっけらかんと吸い終えたタバコを灰皿に押し付け、新しい一本に火をつけ、紫煙をくゆらせた。

 

「すぐ手に入る義体がそれしかなかったんだよ。会話システムが壊れて、おっさん声しか出ねえ。店が修理を嫌がって下取りに出した格安ジャンクだ。修理もされてねえから、中身の状況もそんなによろしくもねえ。軍用規格の男型なんぞ、あの時間で用意できるか。文句があるなら脳殻だけで生きてみろ」

 

 俺は、修理もされずに売り払われたジャンクへ押し込められたわけか。

 だが、この服装は頂けない。完全に夜の街の衣装だ。

 

 せめて着替えだけでもと、肩口のフリルを掴み、引き剥がそうとした、その瞬間だった。

 

【警告:認証外の衣装解除操作を検知】

【保護機構作動:該当する腕部動作を制限します】

 

 視界に赤い警告が走り、腕がぴたりと止まった。

 もう少し引っ張ろうとしても、肩と肘が言うことをきかない。手を離すと、何事もなかったように動きが戻った。

 

「……おい。服を脱ごうとしただけで腕が止まったぞ。こいつ、服まで脱げねえのか」

「営業用だ。認証なしで衣装を外そうとすると、その動きを止める。履歴も残るぞ。事故で破れた場合は止まらねえが、今度は警告がうるせえぞ」

「持ち主が替わってんだろうが、無効にしとけ」

「設定の名義変更が済んでねえ。俺のとこにゃ医療機材はあっても、店の営業ロックを外す鍵はねえんだ。権限の書き換えには専用の認証機材と金がかかる。出すってんなら手は探せるぞ」

「いらん。そんな金があるなら軍用の男型を探せ」

「ああ、探しとく。だが、すぐ見つかるとは思うなよ。それと、一応最低限のメンテはしたが、そのジャンク義体じゃ煙草も酒も扱えねえ。間違っても試すな」

「……は? それこそ冗談だろ?」

「そのジャンク義体の仕様だ。諦めろ」

「…………」

 

 酒も煙草も扱えず、関節は頼りなく、装甲もない。戦場で欲しいものが何一つ揃っていなかった。

 

 だが、恨みを買ったのは俺自身だ――

 

 いまさらどうにもならない。現実を受け入れるしかない。

 

「……チッ。生き残るためだ、背に腹は代えられん。生き延びさせてくれたことだけは、感謝してやる」

「おう、分かればよろしい。じゃあこれが今回の応急処置代とパーツ代だ。端数はサービスしておいてやる。締めて三百万円。耳を揃えて払ってもらうぞ、ジン」

 

 藪医者は容赦のない数字が書かれた請求書を俺の鼻先に突きつけた。

 ついでに、医療室の冷蔵庫から無機質なアルミパウチを取り出し、処置台の脇へ置いた。

 

「あと、飲むときは本当にその『純粋液』にしとけよ。そのジャンクのセクサロイドボディで本物だろうと偽物だろうと、酒なんか流し込んだら一発で身体がおじゃんになる可能性が高いからな」

 

 味も素っ気もない義体用の補充液だ。

 俺はパウチをポケットに突っ込み、ようやく処置台から足を下ろした。

 床に触れる感覚まで違う。以前とは別の身体なのだと、改めて思い知らされた。

 

「足も貸せ。今すぐ稼いできてやる」

「ハッ、相変わらず判断の早い野郎だ。――ほらよ」

 

 藪医者が錆びついたキーを放り投げる。俺は反射的に右手を伸ばした。

 

 掴めるはずの位置を、指先がわずかに外す。

 キーは胸元の大きな膨らみに当たり、床へと転がった。

 

「……チッ。間合いが合わねえ」

「身体が変わったんだ。いつもの感覚で動かすなよ?」

「分かってる」

 

 屈んでキーを拾う。

 自分の手があるはずの場所と、実際の位置がまだ噛み合っていない。

 

「車庫の奥に眠ってるオンボロのベスパを使っていい。ただし、ちゃんと燃料をレギュラー満タンに入れて返せよ?合成品じゃねぇやつだぞ?」

 

 すると、藪医者は顎で部屋の隅にあるスチール製のトレイを指し示した。

 

「あと、行く前にそこのを持っていけ。お前の前の義体(スクラップ)から、小道具だけは剥ぎ取っといてやった。……型遅れだが、そいつはお前の『お気に入り』だったろ?」

 

 トレイの上には、血痕と硝煙がこびりついたコルト・パイソンと、スナップ式の固定ストラップを備えた短銃身用ホルスター、補強ベルト、愛用の金属製電子タバコ、そして財布代わりに使っている端末と上位傭兵ライセンスカードが載せられていた。

 

 三インチ銃身、六連発の.357マグナム――

 昔から俺の最後の保険を務めてきたリボルバーだ。

 

 軍にいた頃、自動拳銃の排莢不良で肝心な一発が撃てなくなったことがある。

 あれ以来、最後の保険だけはリボルバーと決めた。

 こいつも故障しないわけじゃないが、長年手に馴染んだ銃を今さら替える気にはなれなかった。

 

「商売道具もなけりゃ、稼いできてくれんだろう?」

「……気が利くじゃねぇか、ヤブ」

「勘違いすんな。そいつらの清掃代も三百万にきっちり入ってる」

 

 俺はフッと笑うと、補強ベルトを腰に回し、右腰の側面に短銃身用ホルスターを固定した。

 そこへパイソンを収め、固定ストラップのスナップを留める。メイド服の腰帯の陰に収まる位置だ。

 

 腰帯だけに預ければ、安物の衣装ごとずり落ちかねない重さだ。

 今の細い腰にはいささか厳しい。

 それでも、馴染みのある重量感には少しだけ救われた。

 

 ライセンスをポケットに突っ込み、電子タバコを胸ポケットに入れ、いつもの癖で一本だけ取り出し、指先で転がしてから……元の場所へと戻した。

 

 今の義体では使えない。

 まだ慣れない足取りを意識して、俺は診療所の扉を開け、

 

「今度来るときは、金持って来いよ」

「……チッ。うるせー、わかってるよ」

 

 

 裏社会の夜へと滑り出した――

 

     *

 

 

「まっとうな仕事なら表のハローワークへ行きな。こっちは命を売り買いする場所だ。迷子の嬢ちゃんが来る所じゃねぇぞ」

 

 薄暗い雑居ビルの一室、鉄格子の嵌まった受付窓口の前で、仕事を待つゴロツキどもが騒ぎ立てていた。

 

 ピンク髪のメイド服――

 

 歩き方もまだぎこちない今の姿は、どう見ても荒事専門の現場に似合わない。

 周囲の待ち合い椅子に座る男たちからも、下品な口笛や野次が飛んでいた。

 

 俺は一瞥もくれず、鉄格子の窓口へと歩み寄る。

 そこに座っていたのは、ゴロツキどもの間で「あいつ、精巧なアンドロイドだろ?」と噂されるほど、冷徹な美貌を持つ受付嬢だった。

 

 俺は血痕のついた上位傭兵ライセンスカードをトレイに叩きつけ、接触端末へ指を乗せた。

 義体の神経接続を介して脳殻固有IDを読み取る仕組みだ。

 

 ――ピ。冷淡な電子音とともに、画面に【上位傭兵:JIN――認証成功】と冷たく表示される。

 

 同時に、俺は窓口の向こうへ地獄の底から響くような渋いおっさんの声を叩きつけた。

 

 

「能書きはいい。手間と弾薬代に見合うヤマを出せ」

 

 

 周囲のゴロツキどもの野次が一瞬で凍りつき、静まり返る。

 

 受付嬢が画面と俺の顔を見比べ、眉をわずかに動かした。

 だが、それだけだ。何事もなかったようにキーボードを叩き始める。

 

「認証を確認。……ですが【チェイサー】ジン、現在の義体登録に旧所有者の営業用プロテクトが残っています。機体情報の修正手続きを――」

「今は急いでる。仕事の受注はできるんだろ。余計な手続きは後だ」

 

 凄みを利かせた一言に、受付嬢は淡々と、ある一枚の依頼書を差し出してきた。

 

「……承知しました。対象は密輸商一名の排除。報酬は預託済みです。達成確認後、手数料を差し引いて支払われます。ただし、警備情報は依頼人の申告によるもの。損害補償もありません」

 

 俺は依頼情報を端末に受け取り、その場を後にした。

 受付嬢の視線が、ほんのわずかに泳いだ。ジャンクの義体でも分かるほどの動揺だった。

 

 それに、報酬に比べて情報が薄すぎる――

 

 

 裏を取る必要がある案件だと察した。

 

 

     *

 

 

 表の重い防音扉を開けると、安煙草とバーボンの匂いが鼻をくすぐった。

 もっとも、今のはセンサーがそう判断しているだけだ。

 

 内扉の強化ガラスからみえる磨かれた木のカウンターに、曇りひとつないグラス。

 客の顔ぶれとは不釣り合いなほど上品な、馴染みの闇バー。

 

 カウンターから奥へ延びる通路の突き当たりには、過去の銃撃騒ぎ以来、厚い防弾板が据え付けられている。

 客の顔ぶれを考えれば、用心しすぎとも言えない。

 

 強化ガラスのレトロなドアを開けるとベルが鳴り、俺が店に足を踏み入れた瞬間、カウンターで飲んでいた傷だらけの老人たちが一斉に振り返った。

 

「おいおいマスター、嬢ちゃんが店を間違えたようだぜ?ここは迷子が来ちゃいけねぇ場所だ。表のパフェ屋にでも案内してやりな」

 

 老兵の一人が、下品に笑いながらグラスを掲げる。

 

 俺はそれを無視し、カウンターの特等席にドカリと座ると、スカートの裾も気にせず足を組んだ。

 

 三つ揃えを着こなした、背筋の伸びた執事風の老人――店のマスターは、俺の座り方と視線の動かし方を見た瞬間、わずかに眉を動かした。

 

 だが、客のことは詮索しない。それがこの店の流儀だ。

 

 マスターは何も聞かず、丸氷をロックグラスに滑らせると、一本の青いストローを添えて無色透明な液体を注いだ。

 

「お待ちどうさまです。お嬢様」

 

 差し出されたのは、裏社会で広く流通している義体用補充液――『純粋液』のロックだった。

 味も素っ気もないそれを、俺はストローで不機嫌そうに吸い上げる。

 

 

「……チッ。まともな物が飲み食いできねぇ身体なのに、なんで口なんて精巧に作られてやがるんだよ。嫌がらせか?」

 

 俺を迷子扱いした隣の老兵が、声を聞いて目を丸くした。

 だが、すぐに下品な笑みへ戻る。

 

「そりゃあお前さん、アホ言っちゃいけねぇ! イチモツを咥えるために決まってんだろうが!」

「ギャハハハ! 間違いない! 夜の街のセクサロイド様だからな!」

 

 バーの奥から下品な笑い声が響く。

 俺はストローから口を離し、隣の老兵に視線を向けた。

 

「……先輩。七年前の南埠頭、第三倉庫の裏を覚えてるか?」

「あん?何だ、藪から棒に、お嬢ちゃん」

「あの夜は別々の雇い主についてたな。お前の左脇腹、肋骨の下から斜めに入った傷――俺がナイフでつけたやつだ。お前、傷を押さえながら『医者には落ちてきた鉄板にやられたことにする』って悪態ついただろ」

 

 老兵の笑みが消えた。

 

「……おい、お前」

「まだ消えてねえだろ。一本じゃ足りなかったか? 次はどこに増やしてほしい?」

 

 老兵の手が、無意識に左脇腹へ伸びた。服の下に隠れた傷を確かめるように押さえている。

 

「お前……まさか、ジンかよ……」

「ようやく気づいたか」

 

 俺はライセンスカードをカウンターへ滑らせた。

 生身だった頃の、愛想の欠片もない男の顔が載っている。

 老兵はカードと俺を見比べ、息を呑んだ。

 

 俺は右腰の腰帯の内側へ手を伸ばし、ホルスターの固定ストラップを留めていたスナップを外した。

 

 

 ――パチン。

 

「ジン様」

 

 カウンターの向こうから、マスターの穏やかな声がした。手元のグラスを磨く手は止まっていない。

 

「店内での発砲は、"なるべく"お控えください」

 

 俺は返事をせず、隣の老兵へ視線を戻した。

 

「……さて。老い先短い人生を、さらに短くしたい奴はどいつだ? ――なあ、先輩方」

「お、おっと……死神サマの逆鱗に触れちまった。悪かったよ、ハハ……」

 

 老兵が引きつった笑みで両手を上げた。笑いが止まる。

 だが、奥の通路脇、防弾板より手前の卓に座っていた別の老兵が、堪えきれずに吹き出した。

 

「待て待て待て。ジンがピンク色の嬢ちゃんになったっていうのか? ……おい、まんまカクテルの《ピンク・レディ》じゃねえか!」

 

 一拍、周囲の老兵たちが顔を見合わせた。

 

「ダァハハハ! 誰が上手いこと言えってんだ!」

「腹いてぇ!!」

「おいマスター! ピンク・レディを一杯頼む!」

「馬鹿野郎! もう目の前にいるじゃねえか!」

「おお! そうだった! そうだった!」

 

 あちこちから笑い声と野次が重なり、店内は一気に騒がしくなった。

 マスターまで口元をわずかに緩めていた。

 

 俺はパイソンを抜いた。

 

 銃口を、誰も立っていない通路の奥へ向ける。

 狙いは老兵から離れた、防弾板の中央だ。

 

 

 ――ドンッ!

 

 

 銃声が笑いを断ち切った。

 奥の防弾板が鈍い音を立て、表面に新しい傷が一つ増えた。

 

 反動で右肘がわずかに沈む。

 大きな板を狙った一発でさえ、今の義体では手応えが違った。

 

「……次はねえぞ」

「お、おう……」

 

 老兵が笑顔を引きつらせる。

 俺が銃口を下ろしたところで、カウンターの向こうから静かな声がした。

 

「ジン様」

「あん?」

「壁面の防弾板の補修費は、ツケに加算しておきます」

「……ああ。ツケといてくれ」

「かしこまりました」

 

 マスターは表情も変えず、伝票に一行書き足した。

 俺はパイソンを右腰のホルスターへ戻し、固定ストラップのスナップを留め直した。

 

 今の姿を面白がるのは勝手だが、限度というものがある。

 

「……ったく。笑い話は終わりだ。斡旋所でヤマを引いたが、情報が甘すぎる。裏を回せ」

 

 依頼書を端末に表示し、老兵たちへ向けた。

 

「口銭はいつもどおり払う」

 

 すると、古傷を押さえていた老兵がグラスを置いた。

 

「いや、今夜の情報料はいらねえ。さっきの詫びだ。あれは言いすぎた」

「……先輩がタダで情報を流すとはな」

「うるせえ。二度と言わねえぞ」

「ありがたく頂戴する」

 

 老兵は依頼書に目を落とすと、声を低くした。

 

「……お前、相変わらず鼻が利くな。あの密輸商には後ろ盾がある。表向きの警備は十人。だが別口で、重装甲の義体兵が一人ついてる。どこぞのでかい医療法人のお抱えらしい」

 

 医療法人の名前は誰も口にしなかった。

 それで十分だった。裏街で医療用義体の流通を握っている連中など、そう多くはない。それに、どこに耳があるかもわかったもんじゃない。

 

「契約書に判子でも押してあるのか?」

「さあな。だからこっちも、聞かなかったことにしてくれ」

「やはりな。このリボルバー一挺で正面からやり合う相手じゃねえ」

 

 俺は残った純粋液を飲み干し、空のグラスをマスターへ戻した。

 

「情報のない戦場に行くのは自殺志願者だけだ。助かった、先輩方」

 

 俺は席を立った。

 重装甲の護衛がいる以上、手持ちの装備だけでは心許ない。

 

 ……セーフハウスに寄って、準備を整えるか。

 

 

     *

 

 

 ベスパの頼りないライトが照らすのは、裏路地の奥にある寂れた貸し倉庫。誰にも教えていない隠れ家だ。

 

 シャッターの内側には、防湿コンテナが一つ。

 鍵を開けると、細長い黒の耐衝撃ケースが出てきた。

 

 抱えられる程度の大きさでも、金属の塊と交換部品は軽くない。今の細腕で持ち上げると、荷重に耐えきれず右肘が沈み、慌てて左手を添えた。

 

 ケースの接触認証部に指を当てる。

 脳殻IDが通り、二つのロックが外れた。

 

 収まっていたのは、流線型の旧式小銃――XM8-REV。

 

 かつて制式採用を逃したXM8を、後年になって再開発したモデルだ。今は狭い場所で扱いやすい短銃身仕様。その隣には、狙撃仕様へ組み替えるための長い銃身や照準器、支持具が並んでいた。

 

 こいつも軍には採用されず、民間向けに少数だけ売られた。俺が買ったのはそのうちの一挺だ。手に入る部品で改修し続け、今じゃ型式名より整備番号の方が長い。

 

 

「……待たせたな、相棒」

 

 

 故障もするし、部品の調達には苦労する。それでも癖は知り尽くしている。今の義体より、こいつの方がよほど手に馴染んだ。

 

 ケースを肩に掛け直して、俺は倉庫の外に停めたベスパへ戻った。

 

 

     *

 

 

 ベスパで敷地の外周を一巡し、河岸側の通りに停まった。

 標的が潜むのは、長い貨物ヤードの端に建つ旧物流棟だ。

 

 正面の出入口には見張り。

 裏手には古い整備区画があり、河岸沿いの搬出路はフェンスの内側を遠くの車両用ゲートまで伸びている。

 建屋からゲートまでは、およそ六百メートルといったところだ。

 

 河岸側の上階に、明かりの消えた窓が一つあった。

 

 今いる斜め前の位置からなら窓と搬出路を一緒に見通せる。

 あの部屋まで上がれれば、ゲートに向かう相手を見失わずに済むかもしれない。

 

 俺は裏手の整備区画へ回り、低い点検口を開けてケースを先に滑り込ませた。通路は人間一人が這って通れる程度。

 以前の軍用義体なら、どうということもなかった。

 

 だが、俺が続こうとした途端、胸元が縁に引っかかった。

 

「……おい、なんだこの無駄な出っ張りは」

 

 身体を捻ると、安物の外装が金属に擦れた。

 腕で引っ張るにも力が足りない。

 無理に押せば衣装のロック機構まで壊しかねない。

 

 一度退き、肩を傾けてから身体を滑らせる。

 ようやく両足まで通ったところで、胸のつかえが消えた。

 

「潜入なんかに、こんな胸は一ミリもいらねえ……」

 

 通れると思い込んだのは俺だ。

 愚痴はそこで切り上げ、ケースを引き寄せた。

 

 

     *

 

 

 物陰でケースを開け、XM8-REVを取り出す。

 短銃身仕様なら、狭い通路でも扱える。

 

 手元の重みだけは懐かしい。

 

 ケースは閉じて肩から斜めに掛け直した。

 背中で揺れる重さが、今の義体にはやけに堪える。

 

 角から見張りが二人、雑談しながら歩いてきた。

 警備は全部で十人。

 全員を相手にする必要はない。俺が抜けたいのは、この先の通路だけだ。

 

 灯りの下へ出ると、一人が目を丸くした。

 

「おい……お前、どっから入った?」

 

 視線がメイド服からピンク髪へと上がる。

 その間に、もう一人はようやく俺の手元を見た。

 

 短い銃声が二つ続き、二人とも床に倒れた。

 狙った位置には届いた。

 

 だが、踏み込んだ膝が思ったより内側に入り、反動を受けた右肘にも短い警告が走った。

 診療所でキーを取り損ねたときと同じ、ほんの少しのずれに収まってはいた。

 

「……覚えておけ、俺。今の身体(こいつ)は軍用品じゃねえ」

 

 通路の突き当たりにある執務室へ踏み込むと、左右に机が一台ずつ、中央寄りに太い柱が一本。

 その奥に、老兵たちが言っていた重装甲の義体兵が立っていた。

 

 幅広い肩に分厚い装甲。

 床を踏む足音だけで、今の俺とは出力が違うと分かる。

 相手は俺の姿を見るなり、一瞬だけ動きを止めた。

 

 その背後では、搬出路へ通じる扉が半開きになっていた。

 隙間からこちらを覗いていた男が姿を消す。

 義体兵が、扉への射線を塞いでいた。

 

「……警備は何をしている。客を入れるなと言ったはずだ」

「客じゃねえ。ま、夜のお仕事だ」

 

 その言葉と同時に、XM8-REVの発砲音が室内に響いた。

 だが、相手の装甲を正面から撃っても、こちらが望むほどには効かない。

 

 義体兵が右手側の机を俺の方へ跳ね飛ばした。

 横へ飛び退くつもりが、足が思ったほど早く出ない。

 机の角が脇腹をかすめ、視界に黄色い警告が一つ増えた。

 

 

 ――遅い。

 

 

 相手じゃない。俺の身体が、だ。

 以前なら躱せたはずの動きに、全力を使わされる。

 相手にも見抜かれたらしい。

 

「その玩具みたいな身体で、俺を殺れるとでも?」

「……正面から殴り合えば、そりゃ無理だろうな」

 

 相手は笑い、力任せに踏み込んできた。

 俺は先ほど転がった机の陰に身を沈める。

 次の瞬間、頭の上で木と金属が砕け散った。

 

 粉塵の中で立ち上がろうとして、右膝が空回りした。

 転びかけた身体を左手で支える。

 

 義体兵の動きは大きい。

 

 そのぶん狭い室内では、机や柱に行く手を阻まれる。

 俺はその間だけを使って、間合いを保った。

 

 だが、こちらにも限度はある。

 

 右腕が軋み、指先の反応が鈍る。狙いを付けたつもりの銃口が、わずかに下がった。

 

【警告:右腕関節部、許容負荷超過】

 

「……分かってる」

 

 義体兵が追いすがり、左手側に残っていたもう一台の机を蹴り飛ばした。

 俺は横へ逃れたが、肩から壁に衝突し、その衝撃に歯を食いしばる。

 

 右肘から火花が散った――

 

 

 床に散った机の残骸に裾を引っかけ、壁から突き出した金具で肩口のフリルを引き裂いた。その下に隠れていた衣装の固定部までひび割れる。

 

【警告:衣装外装の損傷を検知】

【保守認証が必要です】

「……今、それどころじゃねえ!」

 

 警告は視界に居座ったままだが、腕は動く。

 自分から脱ごうとしたわけじゃない。

 

 顔を上げると、義体兵が自分で蹴り飛ばした机の残骸に足を取られ、わずかに動きを止めていた。

 

 身を捻った装甲の継ぎ目が、こちらへ向いている。

 

 俺は震える腕を支え、XM8-REVの引き金を引いた。

 短い銃声がいくつか重なり、鈍重な装甲の内側で何かが弾ける。

 

 義体兵の足が止まった。

 数拍遅れて膝を折り、巨体が床に沈む。

 俺は銃口を下げず、動かなくなったことを確かめた。

 

 腕の警告は消えない。こちらの被害も、十分すぎるほど出ていた。

 

 執務室のさらに奥、搬出路へ通じる扉が閉まる音がした。さっき隙間から覗いていた男が、そちらへ逃げたらしい。

 別の通路では警備員たちが駆け回る足音がする。銃声に反応したのだろうが、まだこの部屋までは来ていない。

 

 なら、追う必要はない。

 出口は長い搬出路の先のゲートだ。

 奴がそこへ着くまでに、こちらも仕事ができる。

 

 

「先に行ってろ。こっちは寄り道だ」

 

 

     *

 

 

 俺は執務室の脇の通路に出て、来た道とは別の階段を上がった。

 肩からケースを外して左手で持ち直し、痛む右腕を庇う。

 

 上階の保守監視室には、外から見つけた河岸側の窓があった。

 ほこりを被った机と古いモニター。窓の先に貨物搬出路と車両用ゲートが見える。

 

 ゲートの開閉と通行認証には時間がかかる。

 しかも、搬出路の両側は高いフェンスで塞がれている。

 河岸側へ逃げるなら、あそこを通るしかない。

 

 窓際の机にXM8-REVを置き、狙撃仕様への交換部品を広げた。

 長い銃身、照準器、支持具――普段なら慣れた作業も、傷んだ右腕ではままならない。

 

 数分かけて構成を変え、以前に調整しておいた照準の補正値を呼び出す。

 固い窓の留め具を外し、窓を少し押し開けて支持具を窓台に据えた。

 作業の手順は頭に入っている。

 

 だが、今の手足はその手順についてこない。

 

 吹き込む雨を避けながら、搬出路の明かりを照準器越しに見る。

 義体の簡易ジャイロは揺れを拾っているが、軍用品ほど頼れない。数値は参考にとどめる。

 

 やがて、ゲートの手前に人影が現れた。

 照準器の望遠画像で顔立ちと服装を確認する。依頼書に載っていた密輸商だ。

 

 距離は約六百メートル。周囲にほかの人影はない。

 

 照準を合わせる。だが、揺れが収まらない。

 限界を超えた右腕では、銃を支持具に預けても姿勢が定まらない。

 肩でも支えてみるが、小さな揺れは収まらない。

 

 横風に流される雨粒が、照準器の向こうの灯りを滲ませる。

 

 

 

 ――――ああ、嫌だ嫌だ。

 

 悪い条件ってのは、どうしてこうも揃いも揃って重なるもんかね。

 

 だがな。

 

 こんなところで諦めるようなら、俺は《チェイサー》なんて呼ばれちゃいねえ。

 

 身体がボロボロになろうが、どれだけ逃げ回られようが。一度獲物を決めたら、最後まで追い詰める。それが俺の仕事だ。

 

 揺れが消えたわけじゃない。狙点が重なる、その一瞬を待つ。

 

 

「……逃がさねえよ」

 

 引き金を引いた。

 一発の銃声が雨を裂く。

 

 一拍遅れて、照準器の向こうの人影が崩れ落ちた。

 俺は数秒その場に留まり、結果を確かめた。

 

 照準器に残った記録を携帯端末へ転送し、斡旋所へ送信する。

 これで預託された報酬の確認手続きが始まるはずだ。

 

 時間をかけて短銃身仕様に戻し、XM8-REVと交換部品をケースへ収めるころには、右腕の感覚がかなり怪しくなっていた。

 格闘で関節を傷めたところへ、重い銃の保持が重なったのだろう。

 小さな火花が、肘の内側で跳ねた。

 

 右腕の破損に加えて、衣装の破損警告が消える気配がない。

 

 視界の端で赤い表示が繰り返し点滅する。

 命に関わる警告より、こっちの方がしつこいとはどういう設計だ。

 

「……授業料(しゃっきん)が高くつく(またふえる)な」

 

 警備員の怒号は、まだ執務室の方から聞こえていた。

 俺は連中を避けて整備区画へ戻る。

 

 例の点検口では、また胸がつかえた。

 傷んだ右腕を庇い、左腕と脚でどうにか外へ這い出す。

 余計な弾を使う気はねえ。

 

 

     *

 

 

 斡旋所から任務達成の通知が届いたのは、夜明け前だった。

 預託報酬は手数料を差し引いて口座へ入金済み。

 必要経費を引いても、藪に返す分は足りる。

 

 俺は高額決済端末で三百万円分のキャッシュチップを発行し、ベスパにも約束どおり混じり物の無いレギュラー燃料を満タンにしておいた。

 

 そうして、再び藪医者のいる薄暗い闇診療所へ戻った。

 

 

 俺は血と泥に汚れ、肩口と裾が裂けたメイド服のまま、三百万円分のキャッシュチップを左手でカウンターに滑らせた。

 

 右腕は火花を散らし、視界では衣装の破損警告が相変わらず明滅している。

 

「これで三百万円、チャラだ。文句はねえな、クソヤブ」

 

 藪はチップを決済端末へ載せた。

 俺が脳殻IDで譲渡を承認すると、画面に【決済完了】の文字が灯る。

 

 藪医者はニヤニヤと笑った。

 

「まいど。……で、その右腕はどうする? 安物ボディで軍用義体のつもりの動きをしたな。関節フレームが歪んで、中身千切れかかってるんじゃねえか?」

 

 俺はカウンターから処置台へ移り、腰を下ろした。右腕を持ち上げようとした途端、関節からまた火花が散った。

 

「……チッ。格闘で傷めたか。射撃まで持つと踏んだ俺の見積もり違いだ」

 

 藪は処置台の奥の棚から金属製のアームパーツを取り出した。

 作業台に置くと、ガチリと重い音が響いた。

 

「右利きのお前用に、先に探しておいた。警備用義体のジャンクから組み直した、リビルド品の補強アームだ。射撃の反動に耐えるよう調整してある。外見も今の義体に合わせた」

 

「……つまり、パイソンも相棒(XM8-REV)も扱えるってことか」

「腕の方はな。ただし、肩と胴体は安物のままだ。軍用品のつもりで暴れりゃ、今度はそっちが壊れるぞ」

 

 何年も俺の義体を診てきた男だ。俺がまた無茶をすると踏んで、先に手を打っていたらしい。

 俺はフッと笑い、すぐにまたいつもの不機嫌な渋い顔に戻った。

 

「……相変わらず手回しのいいヤブだ。で、いくらだ?」

 

 藪は俺の右腕を点検しながら、タバコの煙を天井へ吹き出した。

 

「調整と交換込みで五十万。左も同じ程度なら両腕で百万だが、そっちはまだ良品が見つからねえ。今は右だけ、ツケに入れとくぞ」

「……ああ。右だけでいい」

「あいよ」

「……それと、さっきからこの警報がやかましい。何とかしろ」

 

 

【警告:衣装外装の損傷/保守認証未了】

 

 

 例の赤い文字が、また視界の中央にせり出してきた。藪は俺の肩口を一瞥した。

 

「お前、衣装の固定部まで壊してるじゃねえか。そっちの修理は追加で八十万な」

「はあ!? なんで腕より服の方が高えんだ!」

「言ったろ、そいつは夜の店じゃ人気のシリーズだ。外装も認証もメーカー指定。元の店の保守権限まで取り直すから、部品より手続き代の方が高えんだよ!」

「八十万も払って、ようやく普通の服に着替えられるわけか?」

「寝ぼけんな。同じフリフリに直すだけだ。着替える権限は別料金」

「……ふざけた商売だな、おい」

「メーカーと店に言え。このまま動かせば割れた固定部が関節に食い込むぞ。修理の手配はツケで入れとく。今はシステムを一時的にごまかして、警告だけ黙らせてやる」

 

 藪が整備用の端末に触れると、ようやく赤い文字が視界の隅に引っ込んだ。消えたわけではないらしい。

 

 決済端末には五十万と八十万、計百三十万円の新たなツケが並んだ。

 三百万円を返したばかりで、もう次の借金だ。

 

 藪は裂けた肩口を避けて右肩の整備口を開いた。傷んだ腕が外され、代わりに補強アームが接続される。

 視界の右端で、新しい駆動系の調整表示が灯った。

 

「……ハッ、借金が減ったと思えばこれだ。頼むからまともな軍用ボディを早く探しとけ。酒も煙草も使えて、銃を撃ったぐらいじゃ腕が泣かねえ奴をな」

「へいへい、努力しとくよ。……そうだ、バーの爺さんから伝言が来てたぞ。お前の新しい渾名、傑作だってな」

「……余計なことを」

「ほら、動くな。先に腕の固定ボルトを締めるぞ、ピ(・)ン(・)ク(・)・(・)レ(・)デ(・)ィ(・)」

 

 ジジ、と火花が散る中で、俺は再び処置台の上で目を閉じた。

 まともな軍用義体へ戻るまで、この世知辛い夜はまだまだ続きそうだった。

 

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。