BLEACH ~No Future Worth Your Ruin~ 作:冬冬✻
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預かったモンを未来へと運んでやることが
俺たちにできることであり
それは俺たちにしか出来ないことだ
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瀞霊廷、十三番隊隊舎。
「お! 久しぶりじゃないっすか、柊さん!」
門をくぐったところで、威勢のいい声が飛んできた。声のする方へ目を向けると、一人の男がこちらへ手を振っている。黒髪を無造作に逆立て、少し長めの襟足を揺らしながら、男は柊の方へ歩いてくる。その顔には、人懐っこい笑みが浮かんでいる。
志波海燕。
十三番隊に所属する席官であり、柊とは以前から付き合いのある人物だ。
「久しぶりだね、海燕。席官の仕事には慣れた?」
「いやあ、俺の実力だとまだまだてんてこ舞いっすよ」
「そう? 海燕なら上手くやれてそうだけど」
「いやいや! 柊さんみたいに器用じゃねえんで!」
そう言って、海燕は豪快に笑った。いつも、この調子である。初めて会ったのは彼がまだ死神になって間もない頃だった。異例の速さで死神になった若者がいるという話を聞いたが、世の中にはそれくらいの天才もいるんだろう、とそこまで気にしていなかった。だが、隊務で十三番隊を訪れた際に、彼と直接会い、話す機会があった。そこで噂話の中の彼ではなく、志波海燕という人物を知ることができた。仲間思いであり、豪胆さと思慮深さを併せ持つ。それからというもの、何かと会う機会があり、いつからか、二人で酒も呑み交わす仲になっていた。ちなみに、初めて会った頃から彼はあまり変わっていない。少なくとも、笑い方に関しては。
「それで、今日は何の用っすか? わざわざ柊さんが十三番隊まで来るなんて珍しいじゃないっすか」
「うん。合同巡察の件でね。五番隊から応援を出すことになったんだ」
「ああ、あれか!」
海燕は得心したように手を打つ。
「じゃあ、今日の相方って柊さんだったんすね!」
「そうみたい。よろしく、海燕」
「こちらこそ!」
差し出された手を握ると、随分と力強い握手だった。初めて会った時も握手の後、しばらく手が痺れたことを思い出した。
「……海燕、痛い」
「あっ、すんません!」
慌てて手を離す海燕に、柊は苦笑した。
「相変わらずの元気っぷりだね」
「そりゃもう! 元気だけが取り柄みたいなもんすから!」
「それだけじゃないでしょ」
「お、褒めてくれるんすか?」
海燕は何を言われるのかと少し期待した表情をしている。
「少なくとも、握力はあると思うよ」
「そこっすか!?」
十三番隊の門前に、二人の笑い声が響いた。今日は退屈しない日になりそうだ。
***
流魂街、東地区。
二人が今回の調査で向かうことになったのは、地区の外れを流れる大きな川沿いの集落だった。数日前から、付近で虚と思われる霊圧が断続的に観測されているのだが、これまで住民が襲われたという報告はなかった。そう、昨日までは。
問題が起きたのが、今朝方である。川を渡って行った小舟が戻ってこなかったとのことだ。
「なるほど……」
道すがら、柊は渡された報告書に目を通していた。
「どうっすか?」
「虚の霊圧が観測された地点と、小舟が消息不明になった地点が近いってところは繋がりを感じさせるけど、結局は見てみないとわからないかな」
「同じ原因とは限らねえ、ってことっすね」
「うん。川の流れが変わったり、舟が故障したり、原因自体は他にも考えられるからね」
「じゃ、とりあえず現場を見てみるしかねえわけだ」
「そうなるね」
柊が渡された報告書を懐に収めた。海燕は軽く肩を回しながら、大きく息を吐いている。
「よっしゃ! じゃあ、さっさと行きましょうか!」
歩く速度を上げようとした海燕を止める。少し聞いておきたいことが出来たのだ。
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
「その前に、一つだけ聞いていい?」
「何すか?」
「海燕、現場の人たちとはもう話した?」
「ああ。昨日、先に行ってきましたよ」
「どうだった?」
海燕は少し考えてから、口を開いた。
「虚が近くにいるかもしれねえってんで、皆ソワソワしてましたよ。特に、今朝方居なくなっちまった船頭の爺さんなんて、お客に何かあったら腹括るつもりだって言ってましたね」
「そうなんだ……」
「ええ。源爺っていうんすけど、あの辺じゃ昔から渡し守やってる有名人なんすよ。昨日も川の様子が少しおかしいって、帰り際に俺に話してくれましてね」
「川の様子?」
「古い水路の辺りで、流れが変わってるらしいんすよ。妙な渦ができるんだとか」
「……ほう」
柊はもう一度、報告書を広げ、視線を落とした。川の増水については記載がある。しかし、流れの変化については何も書かれていなかった。
「海燕、その水路って今も使われてるの?」
「いや、ずっと前に塞がれたらしいっす。増水した時に、水を逃がすために作ったみたいなんすけどね」
「なるほど……」
「何か気になるんすか?」
「うん。ちょっとね」
柊は報告書を再び懐に収めて、足を早める。
「とりあえず、現場で確認しよう」
「了解っす!」
海燕はそう答え、柊の速度に合わせて、自分も歩くペースを上げる。やがて、海燕は柊より前を歩き、柊が後ろをついていく形になった。だが、しばらく進んだところで、ふと何か思い出したように振り返る。
「ああ、そういや柊さん」
「何?」
彼のことだ、何か調査の手がかりを掴んだのかもしれない。そう思っていた矢先。
「川の向こうに、昔から魚がよく獲れる場所があるんすよ」
「そうなんだ?」
一瞬、戸惑った。だが、これが今後の鍵になる話かもしれない。
「任務終わったら、ちょっと寄ってきません?」
「魚釣り?」
「ええ! 俺、結構得意なんすよ!」
どうやら、手がかりとは全く関係が無いようだった。まあこれはこれで、海燕らしくはあるんだが。ただ、話の唐突さは彼らしいが、釣りをすること自体は、正直あまりイメージが湧かない。
「なんか、意外だね」
「意外って何すか!?」
「いや、どちらかと言えば、魚を釣るより、銛で捕まえてそうだから」
「俺のこと、何だと思ってるんすか!」
また、二人の笑い声が響いた。問題の集落の屋根も見え始めていた。
***
川沿いの集落の人々は皆、落ち着きがなかった。行き交う住民たちの表情は暗く、川岸には数人の男が集まり、向こう岸を指さしながら何やら話し込んでいる。そして、海燕たちの姿を見つけると、そのうちの一人が駆け寄ってきた。
「海燕さん!」
「おう! どうした、何か分かったか?」
「それが、まだ何も……。源爺の舟も見つかってないんです」
「そうか……」
海燕の表情から、先程までの笑みが消えた。
「爺さん以外にも、誰か乗ってたんだよな?」
「はい。若い衆が一人、一緒だったはずです」
「分かった。こっちは俺たちに任せてくれ」
海燕は男の肩を軽く叩いた。
「ただし、何かあっても川には近づくなよ。今はまだ危ねえかもしれねえからな」
「……はい」
男は頷いたものの、すぐには立ち去ろうとしなかった。
その視線は、何度も川の方へ向けられている。
海燕はそれを見て、少し声を落とした。
「心配なのは分かる。けど、もし何かいた時にあんたらまで巻き込まれたら、爺さんだって困るだろ?」
「……そう、ですね」
「大丈夫だ。見つけたら、ちゃんと連れて帰ってくる」
そう言って笑う海燕に、男はようやく頭を下げ、集落の方へ戻っていく。柊は、黙ってそのやり取りを眺めていた。
「海燕」
「はい?」
「ずいぶん慕われてるんだね」
「いやあ、そんな大したもんじゃないっすよ。何回か顔出してただけですし」
「それでも、あの人は海燕が来て安心したみたいだったよ」
「だといいんすけどね」
海燕は頭を掻いた。その表情は、あまり納得していないように見える。まあ、彼は他人をよく見ているが、自分のことになると直ぐに謙遜する癖がある。
「……ん?」
辺りを見渡していた海燕の視線が、突然止まった。
「どうしたの?」
「柊さん、ちょっと着いてきて貰えます?」
海燕が向かったのは、川岸に残る古い水路の跡だった。水路の入口は、まるで洞窟の口を塞ぐように、大小の岩で埋められている。苔むした石の隙間からは、かつて奥へ続いていた暗い通路がわずかに覗いている。
「ここ、昨日ちらっと見た時は塞がれてたはずなんすけど……」
石積みの一部が崩れ、川の水が奥へ流れ込んでいる。
「……本当だ」
「昨日、源爺が俺の帰り際に川の流れの異変に気づいた。んで、今朝になって舟が行方不明になった」
海燕は崩れた石積みを見つめた。
「……柊さん。これ、偶然だと思います?」
「どうだろう。でも、調べる価値はありそうだね」
柊はしゃがみ込み、流れをしばらく眺める。少しして、海燕も隣にしゃがみ込んだ。
暫くの間、二人で水面を覗き込む。
海燕が何かに気づいたように顔を上げる。
「柊さん」
「何?」
「……今、聞こえませんでした?」
「音?」
「ええ」
耳を澄ませる。
川のせせらぎ。風に揺れる草木。遠くで人々が話す声。その中に、かすかな音が混じっていた。
――コン、コン、コン。
何か、硬いものを叩くような音。少し間を開けて、また同じように音が繰り返される。
「……三回?」
柊が呟くと、海燕は頷いた。
「舟からの合図っす」
「合図?」
「この辺じゃ、舟で何かあったら船板を三回叩いて知らせることになってるんすよ。源爺が昔から教えてるらしくて」
海燕は素早く立ち上がった。
「柊さん、俺、ちょっと見てきます」
「……待って、海燕」
「はい?」
柊はもう一度、水路へ目を向けた。石積みの奥。暗い隙間の向こうで、水面に不自然な揺らぎが見える。
「……さっきの音、海燕はどこから聞こえた?」
「川下の方っすね。あそこら辺に、この水路の出口があるんすよ」
「なら、まず住民を川岸から離そう」
「……!」
海燕も何かに気づいたように、すぐに川へ目を向けた。
「もし虚がいるなら、あの音を聞いて人が集まってくる可能性がある……。そういうことっすね?」
「うん。それに、水路の中に何がいるか分からないからね。近づくのは俺たちだけにしたい」
「了解っす。じゃあ、俺は川沿いの連中を動かしてきます!」
「お願い。俺は上流側を確認してくるよ」
「分かりました!」
二人は同時に動き出した。
***
数分後。川岸にいた住民たちは、海燕の指示通りに避難を始めていた。誘導先は、川から離れた集落の高台。家々の裏手を抜け、そこへ続く石段を上っていく。
「おい、そっちじゃねえ! 高台の方に向かってくれ!」
「で、でも海燕さん! 源爺がまだ……!」
「大丈夫。爺さんは俺が探す! だから今は、あんたら自身の身の安全を優先してくれ!」
普段の気さくな声とは違う。強く、しかし相手を突き放さない口調。その言葉に、川岸を気にしていた残りの住民たちも互いに声を掛け合いながら歩き出す。その様子を確認すると、海燕は川岸へ振り返った。
「……さて、と」
その時だった。
――コン、コン、コン。
再び、あの音が鳴り響く。先程よりも近くで。
「……!」
海燕は即座に斬魄刀の柄に手を掛けた。同時に水面が、揺れる。最初は小さな波紋だった。小石を投じたような、微かな揺らぎ。しかし、それは次第に大きくなり、川の中央へ向かって広がり出す。
そして。
――ザバァッ!!
「ッ!!」
水飛沫と共に、巨大な影が波紋の中心から飛び出した。
白い仮面。異様に長い両腕。背中には、骨のような突起が幾つも並んでいる。間違いない。
それは虚だった。
「やっぱりいやがったか!」
虚は避難していく住民の背を眺めながら、その口を開く。
「死神風情が、よくも邪魔してくれたなぁ……。オメエが来なきゃ、俺は今頃、アイツらを食い放題だったのによぉ……」
海燕の表情が微かに強張った。刀を抜き、戦いの構えを取る。虚は、そんな彼を見下ろしながら、その長い腕を振り上げた。
「まずはオメエから、食ってやるよ!その後に、アイツらの前にその首を持ってけば、いい顔が見れそうだよなぁ!」
その言葉に海燕が顔を歪めた。
このゲス野郎……
直後、巨大な爪が振り下ろされた。眼前に迫るそれを、横へ跳び難なくかわす。爪は石畳へ突き刺さり、轟音と共に破片を撒き散らす。それを横目に見ながら、着地と同時に、虚の腕を斬りつけた。碧色の外皮に刃が食い込み、虚が苦痛の声を上げる。腕を引き戻し、再び川へ身体を沈めようとする。
「逃がすかよ!」
ここで終わらせようと、追撃を試みたその時。
「海燕!」
背後から、柊の声が飛んでくる。
「今は、追わない方がいい!」
「……!」
その言葉に咄嗟に足を止める。次の瞬間、虚が沈んだ川面が、大きく盛り上がった。中から現れたのは虚の尾であり、直後、強烈な尾撃が迫ってくる。
「うおっ!?」
尾が届くその瞬間。咄嗟に身を引き、何とかそれを躱した。掠めた死覇装の袖は裂け、先程まで自分が立っていた石畳は大きく抉られている。虚は、その感触を確かめると、そのまま水中へ尾を引き戻した。
あの時、踏みとどまらなければ、無防備な状態であの一撃を食らっていただろう。
柊が瞬歩で隣へ現れた。
「大丈夫?」
「ええ、助かりました!」
「なら、よかった」
柊は安心したように肩の力を抜いた。
「それにしても、妙っすね」
海燕は刀を構えたまま、虚が潜った川面を見つめていた。裂けた袖から覗く腕には、細かな擦り傷がついている。だが、本人はそれを気にする様子もなく、少しずつ下流へ視線を移した。
「何が?」
「あいつ、俺と戦ってる時も、何度か川下の方を気にしてたんすよ。逃げるにしたって、毎回同じ方に向かおうとしてる」
「……川下」
柊もそちらへ目を向けた。先程、三回の打音が聞こえてきた方向だ。
「海燕。この水路の出口って、あの辺りなんだよね?」
「ええ。ここから、もう少し下った所っす」
「じゃあ、その辺りに何かあるのかもしれないね」
「……なるほど」
海燕は一度川下へ目をやると、直ぐに柊へ向き直った。
「柊さん。一つだけいいっすか?」
「何?」
「俺があいつを引きつけるんで、その間に、水路の出口を調べてもらえないっすか?」
「うん。虚の方は一先ず任せるよ」
「任せてください!」
海燕は力強く頷き、刀の握りを確かめた。その目は、もう川面へ戻っている。
「ただ、あいつ、結構頭が回るみたいっすからね。何か仕掛けてる可能性もあるんで、気をつけてください」
「そうだね。海燕も気をつけて」
「了解っす!」
返事とほとんど同時に、水中から低い唸り声が響いた。川面が大きく膨らみ、白い仮面が再びその姿を現す。海燕の一撃で切り裂かれた腕を水から引き上げながら、二人を忌々しげに睨んだ。
「……ゴチャゴチャとうるせえなァ。オメエらさえいなけりゃ、もう何匹も食えてたってのによォ……!」
「そういうわけにはいかねえんだよ」
海燕が一歩、前へ出る。それに合わせて、柊は川下へ身体を向けた。
「柊さん!」
「うん。お願い」
返事を残し、柊の姿が消える。虚はすぐさまそちらへ顔を向けたが、追おうとした瞬間、一筋の斬撃が行く手を阻む。
「おっと。どこ見てんだ?」
海燕は虚の前に立ち塞がり、刀の切っ先をその鼻っ面に突きつけた。
「オメエの相手は、俺だぜ」
「……ッ! 邪魔すんじゃねえ!」
虚の激情に対して、海燕は鼻を鳴らしながら応える。
「だったら、力ずくで退かしてみな!」
その言葉は虚の表情に怒気を浮かべさせた。それを示すよう、感情のままに振り上げられた腕が海燕を捉える。直後、振り下ろされる両腕を見据えながら、海燕は刀を持ち上げた。川から吹きつける風が、逆立った黒髪を揺らす。そして、その霊圧が爆発した瞬間。
「――水天逆巻け」
刀身の周囲に、水が渦を巻いた。白い飛沫が弾け、その向こうで刃の輪郭が変わっていく。海燕が握り直した柄の先には、三又に分かれた穂先が伸びていた。
「『捩花』!」
海燕は長槍を大きく振り抜いた。穂先にまとわりつく水流が弧を描きながら、迫る腕を横から打ち払う。その衝撃に巨体が傾いたところへ、間髪入れずに突きの一撃を入れる。虚は咄嗟にもう片方の腕で槍を受け止めようとするが、海燕はそれを読んでいたかのように手首を返した。すると、三又の穂先を覆う水流が、その腕を外側へと押し流す。虚の守りが完全にガラ空きになったと同時に、長槍の強烈な一撃が顔面に叩き込まれた。仮面の端は砕け、白い破片が水面へ散っていく。
「ぐああッ!!」
虚が思わず後退する。海燕はそれを、すぐには追わず、相手の足と尾の動きを見ながら、川下側を塞ぐように再び立ち位置を変えた。虚がそちらを向けば槍で押し返し、身を沈めようとすれば水流で押し戻す。そのたびに、長い爪が海燕の立っていた場所を掠めたが、難無くそれを躱し、川下を塞ぎ続けていた。
水路の出口には、まだ何があるか分からない。舟の二人が生きているのなら、柊が救助を終えるまで、そちらへ行かせるわけにはいかなかった。その行動に虚は不機嫌な波を立たせながら吠える。
「……チッ! さっきから何がしてえんだ、テメエ!」
「さあな!」
海燕は疑問には答えず、ただ槍を構え直す。
「そんなことより、俺と遊ぼうぜ!」
「ふざけやがってェ!!」
咆哮と共に両腕が迫る。海燕は高く飛び上がり、交差した腕に乗り上げると、そこに長槍を突き立てた。虚は苦悶の表情を浮かべながら、腕を暴れさせ海燕を振り払う。しかし、海燕は瞬歩で再び元の位置へと舞い戻り、構えを整えた。
テメエを行かせるわけには行かねえんでな……。もう少し付き合ってもらうぜ……!
一呼吸置いて、再び虚へと踏み込んで行く。
***
川岸に沿って進んだ柊は、古い石壁の前で足を止めた。壁の下には、人が屈んで通れるほどの穴が開いている。その奥から流れ出した水が、本流へ細く注いでいた。
「……あれか」
水路は川岸の内側を通り、ここで再び本流へ合流しているらしい。こちらは、入口側とは違い、石で塞がれているわけではない。だが、出口の脇には、木片や折れた櫂がいくつも引っかかっていた。
その間に、古びた小舟が横倒しになっている。片側の縁が大きく割れ、船底を水流に叩かれながら、石壁との間で軋んでいた。
これが、行方不明となった舟だろうか。柊はそれを観察しながら、船に残った深い傷へ目を向けた。これを人が叩いてやったようには思えない。
そんな時、水音に紛れて、かすかな声が聞こえた。
「……誰か、いるんですか……?」
その声に柊は顔を上げ、暗い水路の奥へ目を凝らす。中には、水面より一段高くなった石の足場があった。そこに、二人の男が身を寄せ合っている。
「……死神様!」
若い男が目を見開き、柊へ呼びかけた。彼の膝の上では、老人が片脚を投げ出している。
「た、助けてください! 爺さんが……!」
「大丈夫。今、そっちに行くよ」
柊は刀を抜き、水路の中へ足を踏み入れた。崩れた石材や舟の残骸を避け、頭上から垂れた木の根を掻い潜っていく。二人のいる足場まで辿り着くと、まず老人の傍らへ膝をついた。
「怪我は?」
「俺は大丈夫です。でも、爺さんが脚を……!」
老人の片脚には布が巻かれていた。赤黒く染まったそこを、若い男が押さえている。柊は老人の顔を覗き込むと、ゆっくり声をかけた。
「源爺さん、ですね?」
源爺は苦痛に顔を歪めながらも、強く頷く。
「……ああ。すまねえ……まさか、こんなことになっちまうとは……」
「事情は後で聞きます。それより、まずはここから出ましょう。立てそうですか?」
源爺は脚を動かそうとするが、その激痛に思わず、呻吟してしまう。その様子を見ていた柊は源爺の肩に手をやり、首を振る。源爺めその意図を察したのか、脚の力を抜いた。
「すまねえな……。立つのは、ちと無理そうだ……」
「大丈夫です。俺が運びます」
柊は源爺に背を向け、身体を預けてもらった。若い男にも手伝ってもらい、痛む足に触れぬよう、慎重にその身を背負い直す。その間も、出口の方からは、激しく水が打ちつけられる音が響いていた。
「死神様! 外に、化け物が……!」
「うん。分かってる」
柊は出口を確かめ、それから不安そうな男へ目を戻した。
「今、仲間が相手をしてくれてるから、大丈夫だよ」
「……仲間?」
「うん。とても頼りになる人だから」
若い男は何か言いかけたが、やがて頷いた。柊は足元に注意しながら、来た道を戻って行く。途中、背中で源爺が小さく呻くたびに、歩幅を調整した。
***
「……クソが。何なんだ、オメエはよォ……!」
虚は裂けた腕を引き寄せ、海燕を睨んでいた。仮面の片側には亀裂が入り、肩からは黒い血が川へ滴っている。一方の海燕も、飛沫を浴びた死覇装が肌へと張りつき、額には汗が浮かび始めていた。しかし、海燕の表情には焦りや不安は無く、そこには誰かへの信頼だけが浮かんでいた。
「ただの死神だよ。もっとも、まだまだ未熟者だけどな!」
「……ふざけやがって!」
虚が両腕で川面を叩いた。高く上がった水飛沫が、その姿を覆い隠す。海燕は一瞬、踏み込もうとしたが、すぐにその足を止めた。
また、水の中だ。こいつにとって、水は強力な主戦場。さっきはそれを追って、尾をまともに食らうところだった。
水飛沫が落ちきる前に、海燕は水面の微かな揺れに目を走らせた。巨体が沈んだ場所から、川下へ向かって不自然な波が伸びている。小さな波紋へと狙いを定めた長槍。それを握る手首を返し、その先へと水流を叩き込む。
「……そこか!」
「ぐおッ!?」
水中から虚の肩が飛び出した。だが、姿勢を崩しながらも、虚は長い腕で川底を突き、強引に身体を捻る。海燕は直ぐさま、虚へと追い着くが、そこで違和感を感じる。虚の視線が自分へと向いていない。自分の背後、もっと遠くへと伸びているように見えた。
「……あァ?」
そんな海燕を他所目に、虚は訝しげな声を上げた。水路の出口で、死神が老人を背負い、岸へ上がろうとしていたのだ。後ろには若い男もいる。足元の石に手をかけ、ようやく水際を越えようとしているところだった。
「テメエら……何してやがる……?」
虚の顔が歪んだ。海燕はその言葉から、柊が今まさに川下で源爺たちを助け出していると確信する。
「俺の餌に、何してやがんだァ!!」
虚は勢いよく前に飛び出し、巨大な腕を三人へ向かって伸びていた。だが、その爪が届く前に、海燕が柊たちとの間へ割り込んだ。
「――させるかよ!」
捩花の柄を両手で握り、突き出された腕を受け止める。衝撃は肩まで伝わり、足元の石が軋んだ。虚は構わず力を込め、海燕の身体を押し退けようとする。
「ぐッ……!」
濡れた石の上で、踏ん張っていた足がわずかに滑った。背後では、柊が源爺たちを助けている。彼は虚を任せたと言った。そして、自分が止めることを信じて、今も救助を続けている。ここで退けば、この腕が三人へ届く。海燕は足を踏ん張り、槍にまとわせた水で虚の腕を押し返し始めた。
「……ヒヒッ」
虚が不気味に笑った。その直後、海燕の足元で、水が不自然に持ち上がる。
尾だ。
海燕は即座に気づいた。だが、正面の腕を受けたままでは、そちらへ槍を回せない。身を引くにも、この腕を通す訳には行かない。
海燕は歯を食いしばった。ここで尾の一撃を食らうとも、せめて腕だけは外へ弾こうと、柄を握る手に力を込める。
「――柊さん。すまねえけど、後は任せます……」
海燕の口から、覚悟の声が漏れ出す。
その時、背後から鋭い声が飛んだ。
「――海燕!」
風が、自分のすぐ側を横切る。その瞬間、虚の尾が弾き飛ばされていた。海燕は思わず、後ろへ振り返ると、そこには刀を抜いた柊の姿があった。源爺を左腕で支えたまま、右腕で始解した風切の斬撃を飛ばしていたのだ。
「なッ!?」
その思わぬ一撃に虚の気が、一瞬だけ海燕から離れた。
「……ッらァ!!」
海燕はその隙を見逃さず、迫っていた腕を横へ押し流し、三人から離れる方へ弾き飛ばした。その勢いで、虚の身体は水流の方向へ一気に傾き、倒れ込んだ。
「……海燕! 大丈夫!?」
「ええ! 何とか!」
海燕は息を吐き、槍を握り直した。
「また助けられちまいましたね!」
「いや、こっちこそ。海燕が止めてくれなかったら、源爺さんたちを守れなかったよ」
「ははっ! じゃあ、お互い様ってことで!」
「うん。そうだね」
二人は短く笑い合った。海燕はそのまま虚へ向き直り、川岸へ戻ろうとする巨体の前へ出る。
「こっからは、俺の仕事っすね」
「うん。任せるよ」
柊は頷き、源爺たちを川から離れた場所へ連れていった。三人の足音が遠ざかるのを聞きながら、海燕はゆっくりと長槍を構える。
「よくも俺の餌を……! 全部……全部、滅茶苦茶にしてくれやがってェ……!」
虚は岸の向こうを睨んでいた。その口から漏れる言葉を聞き、海燕は眉を寄せる。
「お前こそ、随分と好き勝手やってくれたじゃねえか」
「……あァ?」
「あの音も、お前じゃねえのか? 船板を三回叩くやつ」
虚は一瞬目を丸くし、それから口元を歪めた。
「……ヒヒッ。ああ、そうだよ。舟を三回鳴らしゃ、岸の連中は顔を出す。何度も見たからなァ……。だから俺もやってみたってわけだ」
源爺の教えで、ここいらの舟は何かあれば、三回音を鳴らす。村の者たちが川を気にしていたのも、あの音を待っていたからかもしれない。虚はそれに気づき、同じことをしたのだろう。
ほんとに、悪知恵ばっか働くな……。
「何匹もまとめて食えると思ったのによォ……!」
「……そうかよ」
海燕の声が低くなった。
「だったら、なおさら逃がせねえな」
「死ねェ!!」
虚が吠え、両腕を振り上げた。海燕は穂先を低く下げ、その腕が落ちてくるのを見据える。瞬間、川の水が、捩花に引かれるように渦を巻いた。
爪が届くその寸前。海燕は虚の側面へ回り込み、低い位置から槍撃を振るった。穂先に連れた水流が虚の足元を払い、その巨体が大きく傾く。
虚は咄嗟に片腕を引き戻し、身体を支えた。海燕はその動きに合わせ、長槍を突き出すと、三又の刃は手首を捕らえ、水流と共に
虚の巨体を完全に薙ぎ倒した。
「な――」
倒れた、虚の眼前には、先程までと違い、自らを見下ろす、忌々しき死神の姿。
「これで終わりだ!」
海燕は柄を握り直し、白い仮面へと真っ直ぐに槍を突き刺した。その手に鈍い感触を感じながらも、更に奥へと槍を突き立てる。直後、捩花を中心に亀裂が入り、瞬間、真白の上に一輪の花が咲くかの如く黒い罅割れが広がった。そして、虚の口からは、声にならない息が漏れた。
その輪郭が崩れ始めたことを確認し、海燕はその槍を引き抜いた。黒い影が薄れ、砕けた仮面も、やがて飛沫の向こうへ消え去っていく。
「……ふう」
海燕は長く息を吐いた。川面に、虚の姿はもうない。岸を打っていた大きな波も、少しずつ小さくなっていた。そして、久方ぶりの静寂が辺りを包んだ。
「……終わったっすよ、柊さん!」
声を張ると、源爺の傍らにいた柊が顔を上げた。
「うん。お疲れさま、海燕」
「そっちも、無事みたいっすね!」
「おかげさまでね」
柊が小さく笑う。その顔を見て、海燕もようやく肩の力を抜いた。
***
源爺たちが集落へ戻ると、避難していた住民たちも、次々に高台から下りてきた。担架に乗せられた源爺の顔を見て、その生還を喜ぶ者。若い男の肩を何度も叩き声を掛ける者。川岸を覆っていた張り詰めた空気は、ようやく薄れ始めたようだ。
源爺が脚の手当を受けている間に、柊たちは、今朝何があったのかを聞いた。彼の話によれば、昨日は、ただ川の流れがおかしいと気づいただけだったらしい。しかし、今朝になって改めて確かめると、古い水路を塞ぐ石積みに穴が開いていたという。
「あんなところに水が流れ込みゃ、渡し場の流れも変わっちまう。放っとくわけにもいかなくてな……」
そこで、若い男を連れて舟を出し、下流側の出口を見に行った。虚に襲われたのは、その時だった。
「いきなり水の中から飛び出してきやがって……舟を掴んで離さねえんだ。まるで、俺達よりも舟を欲しがってたようだったぜ……」
海燕はその言葉を聞き、先程の虚との会話を思い出した。舟を叩けば人が来ると、それをアイツは口にしていた。
「そこからな、舟を壊されて、二人で水路へ逃げ込んだんだが……俺の脚は動かねえし、反対側は石が詰まってる。外へ出ようにも、あいつがうろついてやがるしな」
「それで、あそこで待ってたんですね」
「ああ。若いのまで巻き込んじまって……情けねえ話だ」
「でも、二人とも戻って来てくれたじゃないですか」
柊がそう言うと、隣の若い男も何度も頷いた。源爺はその顔を見て、何か言いかけた口を閉じる。それから、小さく息を吐いた。
「……なあ、源爺」
黙って聞いていた海燕が、口を開いた。
「今朝、穴が開いてるのを見つけたんだよな。そん時、崩れた石はどうなってた?」
「石?」
「川岸の方へ、散らばってなかったか?」
源爺は少し考えてから頷いた。
「……そういや、転がってたな。」
「……やっぱりか」
海燕は柊へ顔を向けた。
「柊さん。あの穴、内側から壊されたんじゃないっすか?」
「うん。その可能性が高いね」
「出口から入り込んだ虚が、奥の石を崩した。そんで水の流れが変わりゃ、誰かが気づいて見に来るかもしれねえ」
「源爺さんたちみたいに、ね……」
水路の出口近くに残っていた舟を思い出す。あそこで待ち構えていれば、川から様子を見に来た者は、無防備なところを虚に襲われることになる。あの虚なら、考えそうなことではあった。仮に、死神が調べに来ても、その状態であれば、そのまま水中へと引きずり込むことも容易だっただろう。
「改めて思い出しても、本当に危険な相手だったね……」
「ええ。それに……随分と悪知恵の働く野郎だったわけだ」
「そうだね。ただ、全部が狙い通りだったとは限らないけど」
「ま、それもそうっすね」
海燕は頷き、源爺たちへ向き直った。崩れた水路には、修復が済むまで近づかないこと。それだけ改めて伝え、立ち上がる。
「海燕さん! 柊さん!」
二人へ、住民の一人が頭を下げた。
「本当にありがとうございました!」
それを皮切りに、周りの者たちも次々と礼を口にし始める。海燕は慌てた様子で両手を振っていた。
「いやいや! 頭なんか下げなくていいって! 二人とも無事だったんだ。それで十分じゃねえか!」
「でも、海燕さんが来てくれなかったら……」
「それに、俺一人だったら危なかったかもしんねえしな。柊さんも、すげえ頑張ってくれたんだよ!」
急に話を振られ、柊は少し困ったように笑った。
「ああ、いや……俺はそんな大したことしてないよ」
「またまた! 柊さん、そういうところ変わんねえっすね!」
海燕が楽しそうな顔で、柊の肩を肘で小突く。
「それ、海燕に言われたくないんだけど」
「え?」
「さっき、自分のこと大したことないって言ってたの、誰だっけ?」
「……あ」
海燕は一瞬言葉に詰まり、それから大きく笑った。
「はっはっは! そりゃ一本取られた!」
その声につられ、周りの住民たちも笑い始めた。柊は苦笑しながら、手当を終えた源爺へ目を向ける。彼も、若い男の肩を借りながら、どこか呆れたように海燕を眺めているのが見えた。
***
夕暮れ。任務を終えた二人は、川沿いの道を歩いていた。集落からは、まだ人々の声が聞こえている。源爺たちが戻ってきたので、今夜はちょっとした宴会になるらしい。二人も誘われたが、帰ってからの隊務が残っていたため、今回は遠慮することになった。
「……はあ」
隣を歩く海燕が、深い溜息を吐いた。
「どうしたの?」
「いやあ……惜しいことしたなあと思いましてね」
「何が?」
「源爺のとこ、結構いい酒があるみてえで、宴の場にはいつもそいつらを持ってくるらしんすよ。中にはとっておきのやつも隠してるらしくて、銘柄を聞いてみたんすけど、実物なんてお目にかかったことがねえ品でした」
「じゃあ、今日はそれ出してくれたかもしれないね」
「……あっ!」
海燕の足が止まった。
「しまった! そういう可能性があったか!」
「いや、今気づいたの?」
「くっそー! ほんとに、もったいねえことした!」
大げさに肩を落とす海燕に、柊は思わず吹き出した。宴会の話が出た時には、随分とあっさり断ったように見えたのだが。
「釣りもできなかったし、残念だったね」
「そうなんすよ。せっかく、いいとこ見せようと思ってたのに」
「握力以外の?」
「まだ言うんすか、それ!」
海燕は口を尖らせたが、すぐに笑った。そのまま、集落の方へ一度振り返り。
「……ま、爺さんが無事だったんで、それで十分なんすけどね」
「うん。そうだね」
柊も深く頷く。
そして、二人は再び歩き出した。柿色に染まった川面は、風が吹くたびにその肌を楽しげに揺らしている。まるで、源爺の帰りを祝福しているかのように。
集落の人々の声も少しずつ遠ざかり、やがて完全に途絶えた頃。
「……それにしても」
海燕が不意に口を開いた。
「何?」
「柊さんには、助けてもらってばっかっすよ」
「そんなこともないよ。今日、海燕がいて俺も助かったし」
「だと、いいんすけどね」
海燕は少し困ったように笑い、川の方へ目を向けた。柊もその横顔を見ながら、歩調を合わせる。
「……もし仮に、俺がポックリいっちまっても」
「ん?」
「柊さんになら、全部任せて逝けそうっすね」
「……え?」
柊は思わず海燕の顔を見た。さっきまで酒の話をしていた口から、随分と物騒な話が出てきた。
「任せて逝かないでよ。そもそも、海燕がポックリ逝くところなんて、あんまり想像できないけどね」
「はっはっは! 冗談っすよ! 冗談!」
「ほんと?」
「ほんとっすよ!」
海燕はいつも通り、豪快に答えた。だが、その笑い声が途切れた後も、顔は川へ向けられたままだった。
「……ただ、最近ちょっと、考えることがありましてね」
「考えること?」
「ええ。最近、うちの隊のモンが一人、戦死したんす」
柊は口を閉じた。海燕の歩く速度が落ちたので、自分も少し足を緩める。
「……そうだったんだ」
「巡察中に虚と遭遇したらしくて、俺が駆けつけた時には、もう助からねえ状態でした。そんで、結果的に俺が最期を看取ったんすけど……」
海燕はそこで一度、言葉を切った。川を見ていた瞳が、僅かに揺れ、今度は自分の手元へ落ちる。柊は急かさず、その言葉の続きを待った。
「そんなこともあったからか、最近思うんすよね」
「……何を?」
「……あいつは俺に預けて逝けたのかって」
「……預けた?」
「ええ。結局、俺らを作る一番大切なモンは、こんな霊子の身体なんかじゃなくて……心にあると思うんすよ」
海燕は、いつになく真剣な面持ちで柊へ顔を向けた。先程まであれほど豪快に笑っていた男が、今は、返す言葉の一つずつを深く考えて選んでいるようだった。
「だから、最期を看取るやつは、そいつを預かってやらねえと。死んだやつも、死にきれねえじゃないすか」
二つの死覇装を揺らす様に風が吹く。そして、布がはためく音だけが、沈黙の隙間を埋めていた。
何と返せばいいだろうか。海燕がその隊士の心を預かれたのか、柊には分からなかった。最期に何を話し、何を思っていたのかも知らない。大丈夫だと言ってしまうには、あまりに何も知らなかった。
ただ、隣にいる海燕は、その人のことを、今も考えている。ならば……。
「……海燕」
「はい?」
「その人のこと、聞いてもいい?」
海燕はわずかに目を開いた。
「……あいつのことっすか?」
「うん。どんな人だったのかなって?」
「……どんな、か」
海燕は胸に当てていた手を下ろし、少し考え始めた。それから、不意に口元を緩める。
「まず、とんでもねえ大馬鹿野郎でしたね」
「……そうなの?」
「ええ。何回注意しても同じ失敗ばっかするし、先輩に怒られりゃ、すぐヘソ曲げるし」
話し始めると、海燕の言葉は少しずつ増えていった。初めは困ったものを思い出すように眉を寄せていたが、その口元には、もう笑みが浮かんでいる。
「だけど、困ってるやつを放っておけねえ奴でした。自分の仕事が終わってないのに、誰かが困ってると、すぐ手伝いに行っちまうんすよ。そのせいで、結局いつも、俺に怒られてましたね」
「それは……海燕も大変だったね」
「はっはっは! まったくっすよ!」
海燕は笑った。それから、その笑みに少しだけ感傷の色が浮かび、川面へ目を戻す。その瞳には柿色の水面が反射して、火が灯るように見えた。
「……最後まで、そんな奴だったんすよ」
「……そっか」
「ええ」
また、短い沈黙があった。夕日を映した水面を眺めながら、柊は、今聞いた隊士の姿を思い浮かべようとする。顔も声も知らないが、誰かの仕事を手伝っているうちに、自分の仕事が残ってしまう。そんな部分は何となく想像できた。
「……海燕」
「はい?」
「その人のこと、もっと聞かせてよ」
「……え?」
「せっかくだし、俺も覚えておきたいからさ」
海燕は、すぐには答えなかった。柊の顔をしばらく眺め、それから困ったように頭を掻いた。
「……柊さん、ほんと変わってるっすね」
「そう?」
「ええ。普通、こんな話聞かされても困るもんじゃないっすか?」
「別に困らないよ」
「……ははっ」
小さな笑いが漏れた。海燕は一度顔を伏せ、やがて、いつものように柊へ笑いかけた。
「そういうところっすよ! 柊さんのそういうところ、俺は好きっすよ」
「そっか」
柊は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐにいつもの柔らかい表情に戻る。
「ええ。んじゃまあ、まずは、あいつが初めて隊舎に来た時の話からっすね!」
「うん」
「いやあ、あの時はひでえもんでしたよ! 何せ、初日からいきなり遅刻しやがりましてね」
「初日から?」
「ええ。道で困ってる爺さんの荷物を持ってやったらしいんすけど、そもそもあいつ自身が、道をよく知らなかったんすよ。そのせいで、二人して迷っちまったみてえで」
「……それ、どうやって帰ってきたの?」
「いや、俺が探しに行ったんすよ!」
海燕の答えに、柊はとうとう笑ってしまった。海燕もつられるように笑い、それから、まだ他にもあるのだと話を続ける。
先程まで知らなかった隊士の失敗談を聞きながら、柊は隣で時々相槌を打ち、あれこれ尋ねていた。そのたびに海燕は、忘れかけていたことを思い出すように目を細め、一つ、また一つと言葉にしていく。
やがて川沿いの道が終わり、十三番隊へ向かう分かれ道に差しかかる。それでも、二人の間には誰かを思う言葉が飛び交い続けていた。
第7話 THE THINGS WE CARRY 完
Q. 番外編(ギャグ・コメディ)はどちらの形式がいい?
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1. 本編の時系列に沿った番外編
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2. 時系列無視のオールスター番外編