月明かりが、静かに浜辺を照らしていた。白い砂が、夜の海風にさらされてさらさらと音を立てる。波打ち際では、寄せては返す波が月の光を砕いて、無数の銀の欠片を撒き散らしていた。束は、浜辺にぺたりと座り込んでいた。膝の上には、小型の端末が置かれている。その上に浮かぶ空中ディスプレイには、三機の無人機ISのデータが映し出されていた。青、赤、そして銀。先の戦いで確認された三種類の機体。束は、そのデータをじっと見つめながら、時折指先でディスプレイを操作していた。その横顔は、普段のおちゃらけた雰囲気とはまるで違う。真剣で、どこか冷徹な研究者の顔だった。
「ふむ……」
束は、小さく呟いた。ディスプレイには、無人機ISの内部構造が表示されている。フレーム。動力系。そして、コア。束の指がそのコアの部分をなぞった。
「やっぱり、おかしいなあ」
その時だった。背後から足音が聞こえた。砂を踏む、規則正しい音。束は振り返らなかった。その足音の主を、すでに知っているかのように。
「遅かったね、ちーちゃん」
束は、そう言って、ようやく顔を上げた。そこには、千冬が立っていた。制服のまま、腕を組んで束を見下ろしている。その表情は、月明かりの下でもはっきりと分かるほど険しかった。
「束。聞きたいことがある」
千冬の声は、低かった。束は空中ディスプレイを指で弾いて消した。そして、立ち上がる。
「なんだい、改まって」
「あの無人機ISをけしかけたのは、お前か?」
千冬の問いは、単刀直入だった。束はその問いを聞いて、少しだけ目を細めた。そして首を横に振る。
「違うよ」
その声は、どこか軽やかだった。だがその奥には、確かな真剣さが潛んでいる。千冬は、束の答えを聞いても表情を緩めなかった。
「では、何故だ。あの機体は、お前の技術がなければ作れないはずだ」
「確かに、作ってはあるよ」
束は、あっさりと認めた。千冬の眉が、わずかに動く。
「けどね、ちーちゃん。私はあんな外見の機体は作ってない。私が設計した無人機ISは、もっとこう……可愛らしいというか、洗練されたデザインなんだよ。あんなゴツいの、私の趣味じゃないよ」
束は、そう言って肩をすくめた。千冬は、その言葉を聞いて少しだけ眉をひそめた。
「では、あの機体は何なのだ」
「それがねえ」
束は、そう言って、千冬の目をまっすぐに見た。その目は、笑っているのにどこか鋭い。
「あの無人機ISのコア。あれは、私が作ったものじゃない」
千冬は、その言葉に、はっとしたように息を呑んだ。束は続ける。
「私の設計したコアなら、私の刻印がある。けどあの機体のコアには、それがなかった。つまり……」
束は、そこで一度言葉を切った。月明かりが、彼女の横顔を照らしている。その表情は、笑っているのにどこか冷たかった。
「あのコアは、私以外の誰かによって作られた模造品だよ」
その言葉が、夜の浜辺に静かに響いた。千冬は、目を見開いた。その表情には驚きと、そしてどこか予感めいたものが混じっている。束は、そんな千冬の様子を見て小さく笑った。
「どうやら、面白いことになってきたねえ」
束は、そう言って、海の向こうを見つめた。月明かりが、彼女の横顔を照らしている。その目は、笑っているのにどこまでも鋭かった。
「私の技術を模倣する存在がいる。しかも、それは私の知らないところで動いている。これは……」
束は、そこで言葉を止めた。そして千冬の方へと向き直る。その顔には、研究者としての好奇心とそして、どこか挑戦的な笑みが浮かんでいた。
「ちーちゃん。これは、私にとっても他人事じゃない。私の技術が、誰かの手で悪用されている。それだけは、看過できないね」
千冬は、束の言葉を聞いてゆっくりと頷いた。その表情は、依然として険しい。だがその目には、確かな決意が宿っていた。
「分かった。束。お前の協力を、正式に要請する」
「うん。任せて。私の技術を騙る奴は、私が直接ケリをつけてやる」
束はそう言って、にっと笑った。その笑顔は普段の彼女らしい、明るいものだった。だがその目の奥には、冷たい光が宿っている。千冬は、そんな束の姿を見て小さく息を吐いた。
「頼りにしている」
「まかせときなって」
束は、そう言って、浜辺に背を向けた。月明かりが、二人の影を長く伸ばしている。波の音が、静かに夜の浜辺に響いていた。千冬は、束の後ろ姿を見送りながら小さく呟いた。
「模造品、か……」
その声は、夜風に溶けていく。海の向こうで、月が、静かに輝いていた。
―――
翌朝。旅館の周辺は朝から慌ただしい空気に包まれていた。朝食を終えた女子生徒たちが、ISおよび専用装備の撤収作業に追われている。機体の解体、パーツの梱包運搬用のコンテナへの積み込み。慣れた作業とはいえ、数が数だけに人手がいくらあっても足りない。一夏も、その輪の中にいた。両腕に抱えたのは、紅椿の展開装甲の予備パーツが詰まったケース。ずっしりと重いそれは、見た目以上に腕に応える。
「よいしょ……っと」
一夏は、ケースを運搬用の台車に載せると、額の汗を拭った。朝の海風が火照った体に心地よい。周囲では、女子生徒たちがきびきびと動き回っている。その光景を、一夏は少しだけ眩しそうに見つめていた。と、そこへ。
「おはよう」
不意に、横から声をかけられた。一夏は振り返る。そこに立っていたのは、ナターシャ・ファイルスだった。昨日までとは違い、彼女は旅館の制服に袖を通している。長い金髪は、朝の光を受けて鮮やかに輝いていた。左耳の認識票らしきイヤリングも、変わらず光っている。その表情は、昨日の戦いの時とはまるで違う。どこか穏やかで、そして少しだけ照れくさそうな、そんな笑みだった。
「ナターシャ……さん。体、もういいんですか?」
「ええ。おかげさまでね。摩耶先生の診察も問題なし。今日からは、普通に動けるわ」
ナターシャは、そう言って軽く肩を回してみせた。その仕草には、確かな元気が感じられる。一夏は、ほっと胸をなでおろした。
「それはよかった。無理しないでくださいね」
「ふふ。あなたに心配されるなんて、思ってもみなかったわ」
ナターシャは、そう言って小さく笑った。その笑みは、昨日までの張り詰めた雰囲気が嘘のように柔らかい。
「あのね、一夏」
ナターシャが少しだけ声を潛めた。その表情が、ふと真剣なものに変わる。
「何ですか?」
「助けてくれて、ありがとう」
その言葉は、まっすぐだった。一夏は少しだけ面食らった。
「あの子……銀の福音を止めた後、あなたが私を抱き留めてくれたこと。あれがなければ、私は海に落ちていた。そしてあのまま……」
ナターシャはそこで言葉を切った。その瞳に、一瞬だけ影が差す。だがすぐに顔を上げた。
「だから、お礼を言わせて。本当にありがとう」
そう言って、ナターシャは一夏に近づいた。そして
「えっ……」
一夏の頬に、柔らかな感触が触れた。一瞬のことだった。ナターシャが、つま先立ちになって一夏の頬にキスをしたのだ。あまりにも突然のことで、一夏は何が起きたのか理解できなかった。ナターシャは、一夏から離れるといたずらっぽく笑った。
「またね」
その声は、どこか楽しげだった。ナターシャは、ひらりと手を振ってそのまま歩き去っていく。金髪が、朝の光の中で揺れていた。一夏は、その場に立ち尽くしていた。頬に残る、かすかな温もり。それが今の出来事が現実であることを物語っている。
「え……ええっ!?」
ようやく、一夏は声を上げた。だがナターシャの姿はもう遠い。一夏は、呆然とその背中を見送ることしかできなかった。と、その時だった。背中に不穏な気配を感じた。いや、気配というよりは視線。それも、一つではない。複数のそれもかなり強烈な。一夏は、恐る恐る振り返った。そこには――
箒。セシリア。鈴音。シャルロット。ラウラ。五人が、並んで立っていた。全員無表情だった。いや、無表情なのは表面だけでその奥には明らかな不機嫌さが滲み出ている。箒は腕を組み、セシリアは扇子を握りしめ鈴音は目を細め、シャルロットは笑顔のまま固まり、ラウラは明らかに眉をひそめている。
「……何か、用か?」
一夏は、恐る恐る聞いた。五人は一斉に一歩前に出た。
「一夏」
箒が、低い声で言った。その声はどこか冷たい。
「今の、何だ」
「何って……お礼を言われただけだ」
「お礼で頬にキスをするか、普通」
鈴音が、じとりとした目で言った。一夏は、言葉に詰まった。
「いや、それは……向こうが勝手に……」
「勝手に、ねえ」
セシリアが、扇子をぱちんと閉じた。
「随分と、嬉しそうでしたわね」
「嬉しそうって……別に……」
「顔が緩んでいましたわよ」
「えっ、そんなこと……」
一夏は、思わず自分の顔に手をやった。その仕草が、余計に五人の不機嫌を煽ったらしい。シャルロットは、笑顔のまましかし目だけは笑っていない。
「一夏。女の子にキスされて、嬉しかったんだ?」
「だから、それは……」
「へえ。そうなんだ」
ラウラが、腕を組んだまま言った。その声には、明らかな棘がある。
「お前は、そういう奴だったのか」
「ラウラ、お前まで……」
一夏は、完全に包囲されていた。逃げ場はない。朝の海風が、やけに冷たく感じられた。
「と、とりあえず! 撤収作業、まだ終わってないだろ! 俺運搬の続きを……」
「待て」
箒の声が、一夏の背中に突き刺さった。一夏は、その場に立ち止まった。
「作業が終わったら、少し話がある」
その声は、静かだった。だがその静けさの中にこそ、最大の危険が潛んでいることを、一夏は本能で悟った。
「……はい」
一夏は、小さく返事をして再び運搬作業へと戻っていった。その後ろ姿を、五人の視線がじっとりと追いかけていた。朝の旅館に、撤収作業の喧騒が響いている。その中で、一夏だけがどこか浮かない顔をしていた。
―――
一夏から離れたナターシャは旅館の裏手へと回り込んでいた。撤収作業の喧騒が遠く聞こえる。そこには、千冬が立っていた。腕を組み壁に背を預けるその姿は、どこか監視する者のそれだった。ナターシャが近づくと、千冬はゆっくりと顔を上げた。
「やれやれ。余計な火種を作るなと言ったはずだが」
千冬の声は、呆れを含んでいた。ナターシャは、その言葉に小さく肩をすくめた。
「思ったより素敵な男性だったから、つい」
そう言って、ナターシャははにかんだ。その頬は、ほんのりと赤い。千冬はその様子を見て深く息を吐いた。
「お前という奴は……」
千冬は、額に手を当てた。その仕草には、確かな疲労の色が滲んでいる。ナターシャは、そんな千冬を見て少しだけ悪戯っぽく笑った。
「冗談よ、半分は」
「半分は本気か」
「さあ、どうかしらね」
ナターシャはそう言って軽く笑った。だが、その笑みはすぐに消えた。千冬は、そんな彼女の変化を見逃さなかった。
「体の調子はどうだ」
「大丈夫。摩耶先生の診察も受けたし、問題ないわ」
ナターシャはそう答えた。そして、少しだけ声を潛めた。
「銀の福音が、私を守ってくれたの。あの暴走の中でも、コアだけは私を守るように動いていた。だから、私はこうして無事でいられる」
その言葉には確かな感謝が込められていた。千冬は、その言葉を聞いて複雑な表情を浮かべた。その目が、わずかに揺れる。
「そうか」
千冬は、短くそう言った。それ以上は何も言わなかった。ナターシャは、そんな千冬の反応を見ても特に気にした様子はなかった。彼女の表情が、ゆっくりと変わる。その目に冷たい怒りが宿った。
「でも、だからこそ許せない」
ナターシャの声は、怒りを押し殺した低い響きだった。
「銀の福音は、私を守るために自分の世界を捨てた。あの子は、本来ならもっと自由に飛べるはずだった。それなのに……」
ナターシャの拳がぎゅっと握りしめられる。その指先が、わずかに震えていた。
「元凶を追って、必ず報いを受けさせる。あの子の世界を奪った者に、このまま黙っているつもりはないわ」
その声には、確かな決意が込められていた。千冬は、そんなナターシャをじっと見つめていた。やがて、静かに口を開く。
「あまり無茶な事をするな」
その声は、諭すようだった。
「この後も査問委員会があるんだろう? しばらく大人しくした方が良い」
千冬の言葉は、ナターシャを気遣うものだった。ナターシャは、その言葉を聞いて少しだけ表情を緩めた。
「忠告、どうも」
ナターシャはそう言って、千冬に背を向けた。その足取りは、しっかりとしていた。千冬はそんなナターシャの後ろ姿を見送りながら、小さく呟いた。
「銀の福音が、彼女を守ったか……」
その声は、誰にも届かない。千冬はしばらくその場に立ち尽くしていた。朝の海風が、彼女の髪を揺らしていく。その表情には、どこか複雑なものが滲んでいた。やがて、千冬は小さく息を吐くと撤収作業の喧騒の中へと戻っていった。