学園祭当日。一年一組の教室は「メイド喫茶」として様変わりしていた。窓には可愛らしいカーテンが掛けられ、机には白いテーブルクロス。あちこちに飾られた花とリボンが、いつもの教室とはまるで違う雰囲気を醸し出している。一夏は執事服を着て、メイド服姿の箒、セシリア、シャルロット、ラウラと共に押し寄せる客達を相手に接客していた。
「いらっしゃいませ、お嬢様。ご注文はお決まりでしょうか」
「はい、えっと……オムライスを」
「かしこまりました」
一夏がそう言って笑顔で注文を取ると、女性客が頬を赤らめて小さく歓声を上げた。一夏は基本的に女性客達に引っ張りだこだった。教室のあちこちから「執事さーん」という声がかかる。一方、箒たち四人はというと余裕をもって接客していた。一夏ほどではないにせよ、それぞれがしっかりと客を捌いている。箒は丁寧に、セシリアは優雅に、シャルロットは愛想よく、ラウラはきびきびと。さすがは各代表候補生といったところだろう。
そんな中、教室の入り口にチャイナ服姿の鈴音が現れた。鮮やかな赤いチャイナ服がよく似合っている。
「一夏。空いてるテーブルに案内して」
「ああ、鈴。ちょっと待ってくれ」
一夏は手近なテーブルを拭き終えると、鈴音を窓際の席へと案内した。
「鈴の所は何やってるんだ?」
「中華喫茶よ。でもね——」
鈴音は椅子に腰かけながら、じとりとした目で一夏を見上げた。
「一夏が居るから全然客が来ないのよ。こっちは閑古鳥が鳴いてるわ」
「俺に言われてもどうしようもないだろ……」
「分かってるわよ。でも言いたくなるのよ」
鈴音はそう言って小さくため息をついた。一夏は苦笑しながらメニューを差し出した。鈴音はそれを受け取って、しばらく眺めていた。そしてふと目を止めた。
「ねえ、一夏。この『執事のご褒美セット』って何?」
「ああ、それは……」
一夏は嫌そうな顔をしながら説明した。
「俺が客にケーキを食べさせるっていう……」
「へえ。つまり執事が直接ケーキを食べさせてくれるのね」
「そういうことになる」
「——これにするわ」
「迷いなく注文しないでくれます?」
一夏はそう言ったが鈴音はもうメニューを閉じていた。その目はどこか楽しげだ。
「少々お待ちください」
一夏はそう言ってテーブルキッチンへと向かった。料理班からショートケーキと紅茶を乗せたトレイを受け取る。ケーキは厨房班の力作で、ふんわりとしたスポンジに甘すぎないクリームがたっぷりと塗られていた。一夏はトレイを持って鈴音のテーブルへと戻った。
「お待たせしました」
ケーキと紅茶をテーブルに置く。鈴音は少し緊張した面持ちで一夏を見上げた。一夏はフォークでショートケーキを一口サイズに切り取ると、鈴音の口元へと差し出した。
「ほら、どうぞ」
「う、うん」
鈴音はわずかに頬を染めながら、差し出されたショートケーキを口にした。しばらく咀嚼して、小さく息を吐く。
「……結構美味しいわね」
「だろう? 厨房班が気合い入れて作ったんだ」
「ふうん。でも——」
鈴音はそこで言葉を切り、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。
「一夏に食べさせてもらうから、余計に美味しいのかもね」
「そういうことは言わなくていいんだぞ」
「あら、照れてるの?」
一夏は答えに詰まった。その時。
「私も注文しようかしら」
楽しそうな笑みと共に、メイド服姿の楯無が現れた。一夏はその姿を見て、なぜこの人がメイド服を着ているのかという疑問が一瞬頭をよぎった。だが、すぐに思った。聞いても無駄だ。この人に何を聞いても無駄なのだ。一夏はそう自分に言い聞かせて、楯無の注文を受けようとした。その瞬間だった。
「織斑君。ちょっといいかしら」
振り返ると、そこには黛薫子が立っていた。新聞部の腕章をつけ、手にはカメラを持っている。取材に来たのだろう。
「薫子先輩」
「あら、楯無会長も一緒ね。ちょうどいいわ」
「こんにちは、薫子さん。今日は取材?」
「ええ。学園祭の特集を組もうと思ってね。特に——」
薫子はそう言って一夏と楯無を交互に見た。その目は獲物を見つけた記者のそれだ。
「この二人のツーショットは是非とも欲しいところね」
「ちょっと待ってください。俺はまだ仕事が」
「はい、ポーズ」
薫子は一夏の言葉を聞くでもなく、カメラを構えた。楯無はそんな薫子の様子を見て楽しそうに笑い、一夏の隣に並んだ。
「ほら、一夏君。ちゃんと笑って」
「先輩まで……」
「はい、チーズ」
シャッター音が響く。薫子は撮れた写真を確認すると満足そうに頷いた。
「うん、いい感じ。じゃあ次は箒ちゃん」
「え? 私?」
「そうよ。一夏君とのツーショットを撮らせて」
箒は一瞬戸惑ったが、やがて小さく頷いて一夏の隣に立った。少しだけ緊張しているのが分かる。薫子はそんな箒の様子もお構いなしにシャッターを切った。
「はい、次はセシリアちゃん」
「わ、私ですか」
「そうよ。さあ、一夏君の隣へ」
セシリアもまた一夏の隣に並んだ。その表情はどこか誇らしげで、同時に少しだけ照れている。続いて鈴音、シャルロットラウラの順でツーショットが撮られていった。鈴音は先ほどのケーキの件もあってか、少しだけ得意げな顔をしていた。シャルロットは終始穏やかな笑みを浮かべていた。ラウラはというと、写真を撮られるのがあまり慣れていないのか少しぎこちなかったが、それでもしっかりと一夏の隣に立っていた。
「はい、お疲れ様。いい写真が撮れたわ」
薫子はカメラをしまいながら満足そうに言った。そして、ふと何かを思い出したように付け加えた。
「そうだ。一夏君。後で少し話を聞かせてね。学園祭の感想とか、色々と」
「ええ、まあ……」
「楽しみにしてるわ」
薫子はそう言って次の取材場所へと向かっていった。その背中を見送りながら、一夏は小さく息を吐いた。まだまだ仕事は続く。楯無もまた、そんな一夏の様子を見て楽しそうに微笑んでいた。
「私も手伝うから一夏君も校内を見て回ったら?」
楯無がそう言ったのはちょうど客の波がひと段落した頃だった。一夏は手に持っていたトレイを一旦置いて、楯無の方を見た。
「でも、俺が抜けたらクラスメイトに迷惑がかかるんじゃないですか」
「大丈夫。そこら辺の説明は私がするから」
「先輩が……?」
「あら、何か不満?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど……」
一夏は少し考え込んだ。楯無がそう言うなら大丈夫なのだろう。この人はこう見えて、というと言葉は悪いがやるべきことはきちんとやる人だ。一夏はその厚意に甘えることにした。
「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」
「どういたしまして。楽しんできてね」
一夏は執事服の上着を脱いでハンガーに掛けると、教室を出た。廊下は学園祭の熱気に満ちていた。あちこちから笑い声や歓声が聞こえてくる。出店の匂い、飾り付けの色彩行き交う人々の活気。普段の授業とはまるで違う空気だ。一夏はそんな廊下を歩きながら正面玄関へと向かった。
だが——その途中だった。突然、何人もの人影が一夏の前に立ちはだかった。スーツを着た男たち、白衣を着た研究者風の男女どこか外国の香りがする者もいる。彼らは一斉に一夏へと詰め寄ってきた。
「織斑一夏君! 我が社に来ないかね?」
「いや、ぜひ我々の研究所へ!」
「白鴉・熾天の解析をさせてくれ! 世界初の男性IS操縦者の機体だ、学術的価値は計り知れない!」
「うちの企業なら君の才能を最大限に活かせる! 条件は何でも飲む!」
「お願いだ、少しだけでいい! データを取らせてくれ!」
一夏は圧倒された。四方八方から浴びせられる言葉の嵐。彼らの目はどれも真剣で、中には異様な熱を帯びているものもあった。IS関連企業や研究者たちにとって、一夏はまさに垂涎の的だったのだ。世界で唯一の男性IS操縦者。その上、白式から派生した特異な機体を駆る存在。彼らが黙っているはずがなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺は今、校内を見て回ってるだけで……」
「そこを何とか! 少しだけでも!」
「いや、本当に……」
一夏は後ずさりしたが人垣はますます厚みを増していく。数人の手が一夏の袖を掴もうと伸びてきた。まずい、と思ったその時。
「おい、そこまでだ」
「学園祭中だぞ。生徒の邪魔をするな」
その場に居た教師たちと警備員が事態の収拾に動いてくれた。彼らは慣れた様子で人垣を割り、一夏を守るように立ちはだかる。
「ですが、我々は」
「企業関係者の方々は所定の場所でお待ちください。生徒への直接交渉は禁止されているはずです」
「しかし……」
「移動をお願いします」
教師の有無を言わせぬ口調に、研究者たちはしぶしぶといった様子で下がっていった。一夏はその隙を見逃さなかった。
「すみません、ありがとうございます!」
一夏は教師と警備員に頭を下げると、そのまま正面玄関へと向かった。背後からまだ何か声が聞こえた気がしたが、振り返らずに足を速めた。やがて正面玄関の広い空間に出る。そこには眩しいほどの光が差し込んでいた。外の喧騒がここまで届いている。一夏はようやく足を止めて、大きく息を吐いた。
(——危なかった)
頭の中の声が静かに言った。
(ああ。まさかあそこまでとはな。あの様子だと、学園祭の間は気が抜けないぞ)
(そうだな……)
一夏は苦笑した。せっかく楯無が気を利かせてくれたのに、こんなことになるとは。だが気を取り直して一夏は正面玄関の外へと一歩踏み出した。学園祭はまだ始まったばかりだ。
―――
IS学園の正面ゲート付近で、五反田弾はチケット片手に歓喜に震えながら笑いを堪えていた。
(やばい……やばいやばいやばい! 本当に来ちまった! IS学園だぞ! 男子禁制の花園、IS学園だぞ!)
弾はチケットをぎゅっと握りしめた。周りを見渡せばそこら中に女子、女子、女子。制服姿の少女たち私服の少女たち、コスプレ姿の少女たち。そのどれもが弾にとっては眩しすぎる光景だった。学園祭の熱気と相まって、弾の脳内は軽く沸騰しかけている。
さかのぼること三日前。弾は友人の御手洗数馬と共に楽器の練習をしていた。一夏がIS学園に居るのが羨ましいと話しながらギターを爪弾いていたその時、携帯が鳴ったのだ。
「もしもし?」
「弾か? 俺だ、一夏だ」
「一夏? どうしたんだよ、急に」
「IS学園の学園祭に一名だけ参加できるチケットがあるんだけど、要るか?」
弾はその瞬間、ギターを落としそうになった。
「はあ!? 要るに決まってんだろ! ていうか何でそんなもんが」
「色々あってな。じゃあ、封筒で送るから当日にそれを必ず持って来いよ。忘れたら入れないからな」
「分かった! 絶対行く! ありがとう一夏!」
「おう。じゃあな」
電話が切れた後弾は数馬と二人でしばらく固まっていた。そして次の瞬間、弾はガッツポーズを決めて叫んだものだ。「IS学園に行けるぞー!」と。
——そして現在。弾はチケットを大事に持ちながら、正面玄関前で一夏が来るのを待っていた。だが、待てども待てども一夏は現れない。その間にも周りの女子たちが弾に視線を向けてくる。珍しいものを見る目、好奇の目あるいは少し冷たい目。弾はそんな視線を一身に浴びながら、緊張で汗をかいていた。
(うう……居たたまれねえ。俺、ここに居て良いのか? いやチケットあるし大丈夫なはずだよな? でも視線が痛い……)
弾は落ち着きなく周囲を見回した。その時。
「君。ちょっと良いかしら」
声をかけられて弾は飛び上がりそうになった。振り返ると、そこには長い三つ編みに眼鏡をかけた女性が立っていた。どこか間延びした雰囲気を纏ったその人は、じっと弾を見つめている。
「は、はい! 何でしょう!」
「チケットの確認をさせてもらうわ。学園祭の参加証、持ってる?」
「も、持ってます! これです!」
弾は慌ててチケットを差し出した。虚はそれを受け取ってしげしげと眺めた。そして、チケットに記された配布者名を見て、少しだけ目を丸くした。
「あら。これ、一夏君が配ったのね」
「知ってるんですか?」
「ええ。IS学園で知らない人は居ないわよ。何せ世界で唯一の男性IS操縦者ですもの」
虚はそう言って、チケットを弾に返した。弾はそれを受け取りながら、目の前の女性に見惚れてしまった。三つ編みに眼鏡。どことなく儚げで、それでいて落ち着いた雰囲気。弾の心臓が少しだけ速く鳴った。
(やべえ……綺麗な人だ……。何とかして話しかけたい……でも何を話せば……)
弾は頭の中で必死に言葉を探した。天気の話か? 学園祭の話か? それとも一夏の話をもっと? だが、どれもこれもパッとしない。そもそも弾はこういう時、決まって何もできなくなるのだった。
「それじゃあ、楽しんでいってね」
「あ、はい! ありがとうございました!」
虚はそう言ってのんびりとした足取りで去っていった。弾はその背中を黙って見送ることしかできなかった。やがて虚の姿が見えなくなると、弾はがっくりと肩を落とした。
「あー……俺のヘタレ……」
思わずそう呟いていた。何か一言でも言えただろうに。名前を聞くことすらできなかった。弾は自分の不甲斐なさに落ち込みながら、再び一夏が来るのを待った。
(でもまあ……IS学園に来られただけでも儲けもんだよな)
弾は気を取り直して顔を上げた。周りの女子たちの視線は相変わらず痛い。だが、それにも少しずつ慣れてきた気がする。一夏はまだ来ない。だが、待つことには慣れている。弾はチケットを握りしめて、正面ゲートの前に立ち続けた。