IS学園の正面玄関前に着いた一夏は、待ちくたびれた様子の弾と合流した。
「悪い、待たせたな」
「おせーよ! どれだけ待ったと思ってんだ!」
「ごめんごめん。色々あってさ」
「色々って何だよ……まあいいや。それより早く回ろうぜ!」
弾はそう言って早速歩き出した。一夏もそれに続く。二人で校内を回り始めると、行く先々で多くの女子に声を掛けられた。
「あ、織斑君!」
「一夏君だ! ねえねえ、一緒に写真撮らない?」
「執事さん、こっちの出し物も見てってよ!」
一夏はそれらに笑顔で返事をしたり手を振ったりしながら歩いていく。弾はその様子を見て呆れながら言った。
「滅茶苦茶人気があるじゃねえか」
「物珍しいだけだって。珍獣を見るような目だろ」
「いや、それは言い過ぎだと思うが……」
弾は周りの女子たちの視線を見て、とても珍獣を見る目ではないなと思ったが、あえて口にはしなかった。まず二人が入ったのは美術部だった。看板には「美術部展示会」と書いてある。だが、中に入ってみるとそこに絵画は一枚もなかった。代わりに置かれていたのは、なぜか爆弾解体ゲームのセットだった。
「え……? 美術部だよな、ここ」
「ああ。なんで爆弾解体ゲームなんだ……?」
一夏と弾は首を傾げた。すると美術部の女子が誇らしげに言った。
「芸術は爆発よ!」
意味不明なその言葉に一夏と弾は顔を見合わせた。だが美術部の女子たちはそんな二人の様子などお構いなしに、一夏を無理矢理爆弾解除の席へと連れて行った。
「ほら、織斑君。やってみて!」
「え、ちょっと……」
「大丈夫、簡単だから!」
一夏は仕方なく椅子に座った。目の前には精巧に作られた爆弾の模型。赤と青のコードが何本も出ている。一夏はラウラから教わった爆弾解除のやり方を思い出しながら、頭の中の声に話しかけた。
(——どう思う?)
(まずは外装を確認しろ。それから配線の順序だ。ラウラに教わった通りにやれば問題ない)
(分かった)
一夏はテキパキと爆弾の解体を進めていった。その手際の良さに、弾は戸惑いながら言った。
「お前、そんなことまで学ぶのか?」
「ああ。ラウラに教わったんだ。色々と役に立つからな」
「いや、普通に生活してて爆弾解除が必要になることなんてないだろ……」
「IS学園だと必要になるんだよ」
一夏はそう答えながらも手を止めない。弾は友人が何処に向かっているのだろうかと遠い目をした。やがて爆弾解除の最終フェーズに入った。赤と青のコードが残っている。
(——どっちだ?)
(赤だ)
(分かった)
一夏は迷わず赤を切った。すると美術部の女子が「爆弾解体成功!」と叫び、他の女子達が拍手を送った。
「すごい! 織斑君、慣れてる!」
「かっこいい!」
景品として美術部が作ったとされる可愛らしい白い鳥のぬいぐるみを渡された。一夏はそれを受け取り、弾と共に教室を出た。弾は少し疲れた様子で言った。
「疲れたから何処かで休憩しない?」
「そうだな。鈴の中華喫茶にするか」
「鈴? ああ、鈴音か。元気にしてるのか?」
「ああ、元気だよ。今日も中華喫茶やってるはずだ」
二人は一年二組へと向かった。教室の前には「中華喫茶」と書かれた看板が掲げられている。中に入ると、チャイナ服姿の鈴音が二人を出迎えた。
「いらっしゃいませ……って、一夏に弾じゃない」
「よぉ鈴。久しぶりだな」
「久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
鈴音はそう言って笑った。三人はテーブルに座って昔の話を始めた。中学校の頃の話、一夏と弾がやらかした話、鈴音がそれを叱った話。懐かしい時間が流れていく。だが、その時だった。一夏の携帯電話が鳴った。画面を見るとシャルロットからだ。
「もしもし?」
「一夏君! どこにいるの? お客さんから『執事はどこだ』ってクレームがすごくて! すぐに戻ってきて!」
「わ、分かった。すぐ戻る」
一夏は電話を切ると、二人に申し訳なさそうに言った。
「ごめん、呼び出しがかかった。戻らないと」
「しょうがねえな。行ってこい」
「また後でな」
「ええ。頑張って、執事さん」
鈴音の少しからかうような言葉に見送られて、一夏は自分の教室へと戻った。教室に着くと、シャルロットが早速接客をお願いとばかりに一夏を迎えた。
「一夏、お願い!」
「ああ、任せてくれ」
一夏はそう答えてすぐに接客を始めた。その時、ふと楯無の姿が見えないことに気付いた。
「そういえば、楯無先輩は?」
「生徒会の方があるって出て行ったよ。何でも緊急の用事があるとかで」
「あの人が緊急の用事……」
一夏は相変わらずの自由奔放さに呆れながらも、急いで客の接客を始めた。楯無のことだ。きっとまた何か面白いことを見つけて、ふらふらとどこかへ行ってしまったのだろう。そう思いながらも、一夏はどこか引っかかるものを感じていた。緊急の用事。その言葉が、妙に頭に残った。
一時間後、ようやく引っ張りだこから解放された一夏は、へとへとになりながら教室の隅で一息ついていた。
「やっと……終わった……」
その時、クラスメイトの鷹月静寐が近づいてきて、優しく声をかけた。
「織斑君、お疲れさま。しばらく休憩してきたら? お店は一階体制を整えるのに一時間くらいかかるから、その間に他の女子と一緒に学園祭を回って来たら?」
その言葉を聞いた瞬間箒、セシリア、シャルロットラウラの四人が一夏に一斉に詰め寄った。
「一夏、一緒に回りましょう」
「私もご一緒しますわ!」
「一夏君、行こうよ」
「一夏。行くぞ」
一夏は四人に囲まれて、思わずたじろいだ。
(うわ……この人数で回るのは色々と大変そうだ)
四人の目が一夏をじっと見つめている。それぞれの想いが込められた視線。一夏はしばらく考えた。そして、ある名案を思いついた。
「あのさ。一人十分くらいの待ち時間で、それぞれ順番に行こう」
それを聞いた四人は一瞬きょとんとした顔をした。だが次の瞬間、その表情が変わった。一夏と二人きりになれるチャンス。そう思ったのだ。
「それ、いいわね」
「ええ、公平ですわ」
「うん、それなら」
「異議なし」
四人はあっさりと了承した。そして、順番を決めるじゃんけんが始まった。
「最初はグー、じゃんけん……」
「ポン!」
結果は、箒、セシリアラウラがパーで、シャルロットがチョキだった。
「やった! 私が一番!」
「くっ……」
「まさか……」
「シャルロット……!」
シャルロットは「えへへ~♪」と嬉しそうな顔をして、チョキの手のままピースをした。その笑顔は、普段の穏やかなシャルロットからは想像もつかないほど、無邪気で輝いていた。
「じゃあ一夏君、行こうか」
「あ、ああ」
一夏はシャルロットに手を引かれるようにして教室を出た。残された三人は、それぞれ複雑な表情でその背中を見送っていた。箒は悔しそうに唇を噛み、セシリアは「くっ……シャルロットさん、一番か」と呟きラウラは「次は私だ。絶対に楽しんでくる」と闘志を燃やしていた。静寐はそんな四人の様子を見て、小さく笑った。
―――
一夏とシャルロットは並んで廊下を歩いていた。
「それで、どこに行こうか?」
「そうだね。うーん……あ、あれ見て」
シャルロットが指差した先、教室の入り口に可愛らしい看板が掛かっている。星と月の飾りが施されたその看板には「占い研究会」と書かれていた。
「占いか。面白そうだな」
「ねえ、入ってみようよ」
二人は看板に誘われるまま教室の中へと入った。中は薄暗く、天井から垂れ下がった布や星の飾りが独特の雰囲気を醸し出している。テーブルの上には水晶玉やタロットカードが並べられ、占い師役の女子生徒がにこやかに迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。占い研究会へようこそ。お二人とも、占って差し上げましょうか?」
「お願いします」
「じゃあ、私からお願いしますわ」
シャルロットが椅子に座ると女子生徒は彼女の手を取ってじっと見つめた。しばらくして、静かに口を開く。
「あなたは……とても強い意志を持った方ですね。普段は穏やかで優しいけれど、内に秘めた決意は誰にも負けない。大切な人のために、自分を犠牲にすることも厭わない。そんな強さがあります」
「え……」
「でも、それゆえに一人で抱え込んでしまうこともある。もっと周りを頼ってもいいんですよ。あなたのことを大切に思っている人は、たくさんいますから」
シャルロットは少し驚いたように目を丸くした。そして、ふっと優しく微笑んだ。
「ありがとう。なんだか、心に響きました」
「よかった。では次は……そちらの彼」
「え、俺?」
「はい。どうぞ、こちらに」
一夏はシャルロットと入れ替わりに椅子に座った。女子生徒は一夏の手を取って、じっと見つめる。するとその表情が少しずつ変わっていった。眉をひそめ、首を傾げそして小さく唸った。
「これは……」
「ど、どうしたんですか?」
「いえ、失礼。あなたの運命線が……かなり複雑なんです」
女子生徒は水晶玉を覗き込みタロットカードを何枚か引いて、しばらく黙り込んだ。一夏とシャルロットは顔を見合わせた。
「複雑って……どういうことですか?」
「あなたの運命は、一本の線では語れません。いくつもの運命が絡み合って、今のあなたを作っている。出会うべき人と出会い、背負うべきものを背負い……本来なら交わらないはずの世界が、あなたの中で交差している」
「そんなにすごいんですか、俺」
「すごいというより……稀有、ですね。それに」
女子生徒は少しだけ声を潛めた。
「これから先、あなたの運命はさらに大きく動きます。大きな選択を迫られるでしょう。その時、あなたが何を選ぶかで周りの多くの人の運命も変わっていく」
「俺の選択で……?」
「ええ。でも安心してください。あなたの運命線は、決して暗いものではない。たくさんの人に支えられ、そしてあなたもまたたくさんの人を支える。それはとても……温かい運命です」
女子生徒はそう言って、にっこりと笑った。
「占いって、当たるものなんですね」
「ふふ、どうでしょうね。でもあなたがこれからも自分らしく生きていけば、きっと良い方向に進みますよ」
一夏はその言葉に、なんだか少しだけ背中を押されたような気がした。シャルロットも隣で嬉しそうに微笑んでいる。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「またのお越しをお待ちしています」
二人は占い研究会を後にした。廊下に出ると、シャルロットがくすりと笑った。
「一夏、複雑な運命なんだって」
「自分でもよく分かってないんだけどな……」
「でも、温かい運命だって言ってたよ。それ、すごくいいことだと思う」
「そうだな。そうだといいな」
一夏はそう答えて、隣を歩くシャルロットの笑顔を見た。占いの結果よりも、今こうして一緒にいられることの方が、自分にとっては大切なのかもしれない。そう思った。
―――
シャルロットと別れた一夏は、約束の場所へと向かった。廊下の角を曲がると、そこにラウラが待っていた。腕を組み、壁にもたれかかるその姿はいつもながらの凛とした佇まいだ。だが、よく見るとその頬はほんのりと赤く染まっている。
「遅いぞ、一夏」
「ごめん、シャルロットとの話が弾んでしまって」
「ふん。まあいい」
ラウラはそう言ってそそくさと歩き出した。一夏はその後に続く。しばらく二人は無言で廊下を歩いていた。学園祭の喧騒が遠くに聞こえる。ラウラはちらりと一夏の方を見て、またすぐに前を向いた。
「どこか行きたいところはあるか?」
「そうだな……」
ラウラは少し考え込んだ。そして、少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「射撃訓練場が模擬体験をやっているらしい。行ってみないか」
「射撃訓練場? 学園祭で?」
「ああ。ISの射撃シミュレーターを一般向けに調整したものだそうだ。なかなか好評らしいぞ」
「へえ、面白そうだな。行ってみよう」
一夏がそう答えると、ラウラの表情がほんの少しだけ緩んだ。二人は射撃訓練場へと向かった。訓練場に着くと、そこには長い列ができていた。だがラウラが受付で何かを言うと、係の女子生徒はすぐに二人を通してくれた。さすがは代表候補生、顔が利くようだ。
「さあ、一夏。どちらが多く当てられるか勝負だ」
「勝負か。いいぞ、受けて立つ」
二人は並んでシミュレーターの前に立った。画面に映し出された仮想の標的を、光線銃で撃ち抜いていく。ラウラの動きは正確で無駄がない。さすがは軍人。一方の一夏も負けじと食らいつく。だが、やはりというべきか結果はラウラの圧勝だった。
「ふっ。私の勝ちだな」
「くそ……もう一回やらせてくれ」
「何度やっても同じだ」
ラウラはそう言って得意げに笑った。その笑顔は、普段の彼女からはあまり見ることのできない、年相応の無邪気さを感じさせた。一夏はそんなラウラの笑顔を見て、なんだか嬉しくなった。
「ラウラ、笑うと可愛いな」
「なっ……! ば、馬鹿なことを言うな!」
ラウラは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。だが、その耳はまだ赤いままだ。一夏はそんなラウラの反応が面白くて、ついくすりと笑ってしまった。
「笑うな!」
「ごめんごめん。でも本当にそう思ったんだ」
「~~っ! もういい! 次はあそこに行くぞ!」
ラウラは一夏の手を掴むと早足で訓練場を後にした。その手は少しだけ汗ばんでいたが、一夏は何も言わずにその手を握り返した。ラウラは一瞬だけ驚いたように一夏を見たが、すぐに前を向いてそれ以上は何も言わなかった。二人はそのまま、しばらく手を繋いで歩いていた。
―――
ラウラと別れた一夏は約束の場所へと向かった。廊下の突き当たり、窓辺に差し掛かったところでセシリアが優雅に佇んでいるのが見えた。メイド服の裾をそっと押さえ、窓から差し込む光を受けてまるで絵画の中の一場面のような姿だ。一夏が近づくと、セシリアはくるりと振り返った。
「遅いですわよ、一夏さん」
「ごめん。ラウラとの勝負が白熱しちゃって」
「あら、ラウラさんと何をなさっていたの?」
「射撃訓練場でシミュレーター対決。見事に完敗だったよ」
「まあ。ラウラさん相手に勝とうなんて、百年早いですわね」
「言うなよ……」
セシリアはくすくすと笑った。その笑い方には、どこか誇らしげな色も混じっている。さて、とセシリアは一夏の腕にそっと手を添えた。
「それでは一夏さん。わたくしにエスコートをお願いしますわ」
「え? あ、ああ」
「まずはあちらへ参りましょう。わたくしがどうしても行きたい場所があるのです」
セシリアに導かれるまま一夏は廊下を進んだ。向かった先は、一年三組の教室だった。入り口には「英国風ティーサロン」と書かれた上品な看板が掲げられている。中に入ると、そこはまるで本場のサロンのような雰囲気だった。白いテーブルクロス、銀のカトラリーそしてふわりと漂う紅茶の香り。
「まあ、素敵……」
「でしょう? わたくしのクラスメイトが本格的に用意したのですわ」
セシリアは窓際の席を選び優雅に腰を下ろした。一夏もその向かいに座る。ほどなくして、紅茶と共に三段のケーキスタンドが運ばれてきた。スコーンにクロテッドクリーム、小さなタルトにフィナンシェ。どれも丁寧に作られたものばかりだ。
「一夏さん。紅茶はストレートでよろしいかしら?」
「ああ。任せるよ」
「では、わたくしが淹れますわね」
セシリアはポットから丁寧に紅茶を注いだ。その手つきは流石に慣れたもので、所作の一つ一つが美しい。一夏はその様子をじっと見ていた。
「どうしましたの? わたくしの顔に何か?」
「いや。なんか、様になってるなって思って」
「当然ですわ。わたくしは英国の名家の出ですもの」
セシリアはそう言って胸を張ったが、その頬はほんのりと赤い。二人はしばらく紅茶を楽しみながら、とりとめのない話をした。学園祭の話、授業の話セシリアの故郷の話。話せば話すほど、時間はゆっくりと流れていく。
「一夏さん。今日は……楽しいですわ」
「ああ、俺も」
「ふふ。こんなに穏やかな時間は久しぶりですわね」
「そうだな。いつもは楯無先輩とかに振り回されてばかりだし」
「あの方と一緒にいると、本当に落ち着きませんものね」
セシリアはそう言って小さく笑った。そして、少しだけ声を潛めて付け加えた。
「でも……わたくしは、こういう時間も好きですのよ」
「セシリア……」
「さあ、ケーキが余ってしまいますわ。召し上がって?」
一夏はスコーンを手に取った。口に運ぶと、ほのかな甘さとバターの香りが広がる。紅茶とよく合う。セシリアも同じようにスコーンを口にして、幸せそうに目を細めた。窓の外では、学園祭の賑わいが続いている。だがこの教室の中だけは、まるで時間が止まったかのような静けさに包まれていた。一夏はふと思った。こういう時間も、悪くないなと。
―――
セシリアと別れた一夏は最後の相手である箒を探して廊下を歩いていた。約束の場所は正面玄関の近くにある中庭だった。学園祭の喧騒から少し離れたその場所は、木々に囲まれた静かな空間でベンチや植え込みが整えられている。
一夏が中庭に足を踏み入れると、箒はすでにそこにいた。ベンチに腰掛け、じっと地面を見つめている。その横顔はどこか緊張しているようにも、物思いにふけっているようにも見えた。
「箒」
「……一夏」
顔を上げた箒は一瞬だけほっとしたような表情を浮かべたが、すぐにいつもの真面目な顔に戻った。
「遅かったな」
「ごめん。セシリアとのティーサロンが長引いちゃって」
「ふん。セシリアと何を話していたんだ」
「色々だよ。故郷のこととか、学園祭のこととか」
「そうか」
箒は短く答えてまた少し黙り込んだ。一夏はそんな箒の隣に腰を下ろした。しばらく二人の間に沈黙が流れる。だが、それは気まずいものではなくむしろ落ち着くような静けさだった。
「なあ箒。どこか行きたいところはあるか?」
「……いや。特にない」
「そうか」
「だが……」
箒は少し言いよどんでから、ぽつりと言った。
「少し、歩かないか」
「ああ、いいぞ」
二人は中庭を抜けて学園祭の喧騒の中へと歩き出した。箒は一夏の半歩前を歩いている。その背中はいつもより少しだけ小さく見えた。しばらく歩いたところで、箒がふと足を止めた。
「一夏」
「ん?」
「今日は……その、色々な奴と回っていただろう」
「ああ。シャルロットにラウラにセシリア。みんなそれぞれ行きたいところがあったみたいで」
「楽しかったか」
「ああ。楽しかったよ」
一夏がそう答えると、箒は少しだけ唇を噛んだ。そして、小さな声で言った。
「……ずるいな」
「え?」
「何でもない。忘れろ」
箒はそう言って再び歩き出した。一夏はその言葉の意味を考えながら、箒の後を追った。しばらくして、箒がまた口を開いた。今度は少しだけ声が明るい。
「一夏。剣道場の体験入門があるらしい。付き合え」
「剣道? 俺が?」
「当然だ。私の稽古に付き合うくらい、昔からやっているだろう」
「まあ、そうだけど……」
一夏は苦笑しながらも箒の誘いに乗ることにした。剣道場に着くと、箒は慣れた手つきで竹刀を取った。その姿はやはり様になっている。
「ほら、一夏も」
「はいはい」
一夏も竹刀を手に取った。二人は向かい合って構える。周りにいた女子生徒たちが「わあ」と声を上げて見物し始めた。
「手加減しろよ」
「何を言う。手加減などせん」
箒はそう言って打ち込んできた。一夏はそれを何とか受け止める。昔取った杵柄というべきか、体は何とか覚えているものだ。だが、やはりというべきか箒の方が一枚も二枚も上手だった。何度か打ち合ううちに、一夏は何度も竹刀を弾かれた。やがて、箒が面を打ち込んできたのを一夏は紙一重でかわす。そして、思わず笑みがこぼれた。
「やるじゃないか、一夏」
「昔の勘が戻ってきただけだよ」
「ふふ」
箒が小さく笑った。その笑顔は、いつもの凛とした表情とは違う、年相応の少女の笑顔だった。一夏はその笑顔を見て、なんだか胸が温かくなった。稽古が終わると、箒は竹刀を置いて一夏の方を見た。
「一夏。今日は……その、ありがとう」
「え?」
「付き合ってくれて。楽しかった」
箒はそう言って少しだけ照れくさそうに顔をそらした。一夏はそんな箒を見て、ふと気づいた。箒はずっと自分と過ごす時間を大切に思ってくれていたのだと。
「こちらこそ。ありがとう、箒」
「……うむ」
箒は小さく頷いた。その耳は少しだけ赤くなっていた。学園祭はまだ続いている。だが一夏にとっては、この一時間のほうがずっと特別な時間のように思えた。