放課後。いつもの訓練を終えた一夏は、頭の中の声の助言を聞きながらアリーナの整備室で白鴉・熾天の調整をしていた。キャノンボール・ファストまで残りわずか。スラスターの出力特性、エネルギー分配の最適化武装の再チェック。やることは山ほどある。
(この配分だと、長時間の高速巡航で熱が溜まりやすいな)
(ああ。冷却系をもう少し強化するか、出力を抑えるか……)
(冷却系の強化でいこう。本番で出力を落とすのは避けたい)
(だな)
一夏が空中ディスプレイを操作していると、整備室の入り口に人影が現れた。一夏と同年代の少女だった。
「こんにちわ」
「ああ、こんにちわ」
それだけの短い挨拶を交わすと、少女は一夏の隣の作業スペースに着き、何も言わずに空中ディスプレイを開いて作業を始めた。一夏も特に会話を続けることなく、自分の作業に戻る。二人の間に流れるのは、不思議と居心地の悪くない沈黙だった。
(相変わらず、静かな子だな)
(ああ。でも、この距離感が妙に落ち着くんだよな)
一夏は作業をしながら隣の少女との関わりを思い出していた。初めて会ったのは、白鴉が白鴉・熾天へと二次移行を果たした頃だった。あの頃、一夏は新しい機体の調整のために毎日のように整備室に通っていた。ある日、先客がいた。空中ディスプレイとにらめっこしている少女。それが彼女だった。
最初は一方的に邪険に接せられていた。一夏が挨拶をしても、返事はそっけないものだった。だが、白鴉・熾天の異様な外見と兵装を見た時の彼女の反応は、少しだけ違っていた。驚きとそれから好奇心。何度も会ううちに、自然と挨拶を交わす間柄になった。
それでも、今だに彼女の本名は聞けていない。何度か聞こうとしたことはあったが、そのたびに彼女の作業の手が止まり、どこか拒絶するような空気が漂ったので、聞けずじまいだった。
(それにしても、この子の顔つきと髪の色どこか楯無先輩に似てるんだよな)
(確かにな。血縁者か?)
(分からん。でも、そういうことなら尚更名前を聞きづらいっていうか……)
今日も二人で黙々と作業をしていると、珍しく少女の方から話しかけてきた。
「ねえ」
「ん? どうした?」
「今日は何の調整をしているの?」
一夏は少し驚いた。彼女から話しかけてくるのは珍しい。だが、その質問には素直に答えた。
「今月に開催されるキャノンボール・ファストに向けた調整だよ。スラスターの出力特性と、エネルギー分配の最適化をな」
「そっか」
少女はそう言って一夏の空中ディスプレイをちらりと覗き込んだ。それから自分のディスプレイに視線を戻す。一夏はふと、彼女の作業内容が気になった。
「君は何をしているの?」
「専用機を完成させるために、システムを調整している」
「専用機……? どういうこと?」
少女は少し躊躇ってから、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私のISは、倉持技研が作ってた。でも……途中で、あなたの専用機が優先されて未完成のまま放置された」
一夏は言葉を失った。自分の機体が優先されたせいで、彼女の機体が未完成のまま放置された。その事実が、胸の奥に重くのしかかる。
「……ごめん」
「あなたのせいじゃない」
少女はそう言って首を振った。だが、それでも一夏の罪悪感は拭えなかった。自分が白鴉を受け取ったせいで、この少女は未完成の機体と向き合わざるを得なくなった。それは紛れもない事実だ。
「俺に出来ることがあれば、協力させて欲しい」
一夏はそう言った。少女は少し驚いたように一夏を見た。
「いい。悪いから」
「悪くない。俺が原因の一部なんだから、責任を取らせてくれ」
「……本当にいいの?」
「ああ。遠慮しないでくれ」
一夏がそう言い切ると少女はしばらく黙ってから、小さく頷いた。
「分かった。お願いする」
「ああ。で、いつにする?」
「……今日はもう、アリーナの使用時間が迫ってるから。次にお願い」
少女はそう言ってディスプレイを閉じた。一夏も頷いて、作業を片付ける。二人で整備室を出て、通路を並んで歩いた。しばらく沈黙が続いた後、一夏は意を決して口を開いた。
「そういえば、名前、聞いてなかったな」
「……簪」
「簪?」
「うん。簪」
「簪……。俺は織斑一夏。改めて、よろしく」
「知ってる」
簪はそう言って、少しだけ口元を緩めた。一夏はその表情を見て、ようやく名前を知ることができた嬉しさと、これから彼女の力になれるかもしれないという安堵を感じた。寮の前まで来ると、簪は立ち止まった。
「じゃあ、また」
「ああ。またな、簪」
簪は小さく手を振って寮の中へと入っていった。一夏はその背中を見送ってから、自分も寮へと向かった。頭の中の声が、静かに呟く。
(簪、か。話を聞くに倉持技研の関係者だろうな)
(ああ。それに、やっぱり楯無に似てる。親戚かなにかだろうな)
(だろうな。しかし……未完成の専用機、か。彼女も色々と背負っているんだろう)
(ああ。力になれるといいんだけどな)
(お前ならできるさ。少なくとも、あの機体のことは誰より分かっているんだからな)
(そうだな。ありがとう)
一夏はそう心の中で答えながら、自分の部屋のドアを開けた。窓の外では、夕陽がゆっくりと沈みつつあった。
―――
薄暗い部屋に通信のノイズが走る。壁面に映し出された複数の影——それはこの場に集う者たちの顔を象ったものだった。男と女が入り混じった声が、静かに、しかしどこか楽しげに響く。
「さて、今月開催されるキャノンボール・ファスト。あの織斑一夏と白鴉・熾天が参加するとなれば、黙って見ているわけにはいかないな」
主任と呼ばれる男が陽気な声でそう切り出した。その声には、戦いを前にした高揚感のようなものが滲んでいる。
「じゃあ、俺が行こうか? ちょうど腕が鳴るってところだ」
だが、その提案に待ったをかける声があった。財団——落ち着いた、重みのある声だ。
「まだ貴方の機体の最終調整が済んでいない。現状では、白鴉・熾天との正面衝突はリスクが高すぎる」
「ちっ、つまらないな」
主任はそう言って笑ったが、その声に不満が混じっているのは明らかだった。そこで、男と女が入り混じった声が静かに告げた。
「では、スティンガーが担当する。異論はないな?」
その言葉に、場の空気が少しだけ引き締まった。スティンガー——その名を呼ばれた男は、しばらく沈黙した後面倒くさそうに口を開いた。
「面倒だが、仕方あるまい。引き受けた」
スティンガーはそう言うと早速出撃の準備をするために通信を切った。彼の気配が消え、残された五人の間に再び沈黙が流れる。やがて、キャロルと呼ばれる女が口を開いた。
「それで、財団。今回の無人ISの性能はどうですか?」
その質問に、財団は少し間を置いてから答えた。
「今回は、こちらの世界の特殊兵器を再現してみた。我々の技術を持ってすれば、この程度の再現は容易い」
「こちらの世界の特殊兵器?」
オールマインドが興味深そうに問い返す。財団は静かに続けた。
「ああ。この世界の人間には理解できないかもしれないが、かの世界の兵器体系は我々の技術と非常に相性が良い。特に、あの白鴉・熾天が元々持っている特性を考えれば、それを模した兵器は有効な対抗手段となるだろう」
「つまり、あの機体と同じ源流を持つ兵器でぶつける、と」
「そういうことだ。スティンガーには、その性能を存分に試してもらう」
財団の言葉に通信に参加している者たちの間に、微かな笑いのようなものが広がった。主任が陽気に言う。
「そいつは面白そうだ。俺も早く出たくなってきたな」
「焦りは禁物です。貴方の出番は、もっと後ですよ」
キャロルがそう制すると、主任は「分かってるさ」と笑った。オールマインドが静かに締めくくる。
「では、スティンガーには期待するとしましょうか。キャノンボール・ファスト——あの男がどれほどのものか、じっくりと見極めさせてもらいましょう」
通信が切れる。薄暗い部屋に再び静寂が戻った。だがその静寂の奥には、確かな企みが息づいていた。キャノンボール・ファストまで、残りわずか。一夏たちがその存在をまだ知らない脅威が、着実に牙を研いでいた。