果たして、ニアたちを無事に送り帰せるか!?
第一章 今日も今日とて、ガンプラ日和
日向家の地下深く。ケロロ小隊の秘密基地は、今日も今日とて平和だった。
平和というのは、すなわち、地球侵略計画が一ミリも進んでいないという意味である。
「ふむふむ……ここのパーツをこうして、ゲロ……よし、ゲート処理も完璧であります」
作業台の中央で、ケロロ軍曹はニッパーを片手に胸を張った。机の上にはHGAWガンダムヴァサーゴの箱とランナーが整然と並び、組み上がった上半身が禍々しくも美しい爪のシルエットを誇っている。
「軍曹さぁん、さっきから『作戦を考えてる』って言ってるのに、手が動いてるのはプラモだけですぅ」
ソファに寝転んでポテトチップスをかじっていたタママ二等兵が、呆れ半分、尊敬半分の声を上げた。
「失敬な! これは侵略作戦会議と並行して行う、ガンプラ組み立てという名の高度な戦術シミュレーションであります! 見よ、このヴァサーゴの爪! 地球人のハートをガシッと鷲づかみにする、侵略の象徴でありますよ、ゲロゲロ!」
「ただの趣味だろうが」
部屋の隅で愛用のライフルを磨いていたギロロ伍長が、赤い顔をさらに険しくして吐き捨てる。
「貴様は毎度毎度そうだ。地球侵略の第一歩は情報収集と地形把握、そして地球人の戦力分析だと何度言えば……だいたい夏美のいる家でプラモなど組み立てて、気づかれたらどうする!」
「ギロロ、ほんとは夏美殿の名前を出したいだけでありましょう?」
「ばっ……! そ、そんなことは断じてない!」
「クーックックック。隊長のガンプラ予算が、今月の侵略予算を上回ってるデータが出てるぜぇ。会計報告、聞きたいかい?」
モニターの前で怪しく笑うクルル曹長に、ケロロは即座に耳をふさいだ。
「聞こえないであります! 我輩には何も聞こえないであります!」
「あの……お茶が入ったでござるが」
全員が振り返った。部屋の隅、天井近くの配管の陰に、湯のみを載せた盆を持ったドロロ兵長が、ひっそりと立っていた。
「ドロロ、いたでありますか!?」
「最初からずっといたでござる……」
今日も小隊は平常運転であった。
第二章 ルシファースピアの調整事故
「ごめんくださーい。軍曹さーん、クルルさーん」
基地のハッチが開き、ひょっこりと顔をのぞかせたのは、アンゴル=モアだった。手には禍々しい光をまとった長い槍、ルシファースピアが握られている。
「あ、モアちゃん! よく来たであります!」
「クルルさんに頼まれて、ルシファースピアの調整に来ました。ここに置けばいいんですよね?」
「ああ、そこの装置に先端を向けてくれ。次元共鳴装置のテストだ。ルシファースピアの波長なら、安定した基準値が取れるはずなんでなぁ。クックック」
「あの装置、危なくないでありますか?」
「大丈夫だ、隊長。理論上はな」
「理論上って言ったでありますな!? 今、理論上って!」
ケロロが突っ込んだ拍子に、一歩下がった。その手には、組み上がったばかりのヴァサーゴの腕が握られている。ふと、ケロロの頭に天啓が降りた。
「そうだ! ヴァサーゴのストライククローを、ルシファースピアと並べて記念撮影したいであります! ほら、魔王の槍と魔獣の爪! 絵になるでありますよ、ゲロ!」
「あっ、おい隊長――」
クルルの制止より早く、ケロロはヴァサーゴの爪をルシファースピアの穂先に、ぴたりと触れさせた。
キィィィン、という耳障りな共鳴音が基地に響き渡った。
「あれ? あれれ? なんだか、いつもより出力が上がっちゃってます……軍曹さん、これ、ちょっとだけ強すぎるかも……?」
「ちょっとじゃねえ! 装置が悲鳴上げてるぞ!」
「撤退! 撤退であります! ゲロォォォ!」
まばゆい光が、基地の全員を飲み込んだ。
光が収まったあと、静まり返った作業台の上に、四つの人影が折り重なるように落ちてきた。
第三章 召喚された令嬢たち
「……あら」
最初に身を起こしたのは、銀に近い髪の、まだ六歳ほどの小さな少女だった。制服姿のまま、きょろきょろと辺りを見回す。
「ここは地下室でしょうか。ごきげんよう、皆様」
スカートの埃をぱんぱんと払う仕草は、一分の隙もなく淑やかだった。ただし、その瞳の奥には、獲物を探すような光が宿っている。
「お嬢様ぁぁぁ! ご無事ですか!? お怪我は!? どこか痛いところは!? ああ、このリノキス、また目を離して……!」
少女の下から飛び出してきた侍女が、半泣きで少女の全身をぺたぺたと確かめ始める。リノキス・ファンク。ニア・リストンに仕えて、病弱だった頃から支え続けてきたリストン家専属の侍女である。
「まあ、見たことのない建築様式ですわね。この壁、金属? それとも魔導装置の一種かしら」
別の少女が、気品ある所作でドレスの裾を整える。アルトワール王国第三王女、ヒルデトーラ。通称ヒルデ。
「ちょっと、ちょっと待って! なんで学院の中庭から、こんな変なところに来てるのよ! ニア、あなたのせいでしょ!」
三人目の少女、レリアレッド・シルヴァーが、赤い顔で地団駄を踏む。
「失礼な。わたくしは何もしておりませんわ、レリア」
「今日は入学準備の撮影をしてたのに……!」
四人は魔法映像の撮影の最中、突然まばゆい光に包まれて、ここへ転送されてきたのである。
対する小隊側は、全員が固まっていた。
「ゲ、ゲロ!? 地球人……いや、角も尻尾もない、異星の少女たち!? 見られた! 我輩たちの存在を見られたであります! ここは緊急措置、記憶消去銃を――」
「待て、隊長」
クルルが、いつになく真面目な声で遮った。画面に流れる解析データを、素早く目で追っている。
「こいつら、地球人じゃねえ。それどころか、この宇宙の住人でもないな。ルシファースピアの共鳴で、別の次元から引っ張ってきちまったらしい」
「べ、別の次元……ゲロ?」
「あんたらの世界は、この宇宙とは別に枝分かれした、並行宇宙のひとつだ。いわゆるマルチバースの一部ってやつだな。クックック……だが安心しな。次元座標が合う瞬間さえ来れば、ルシファースピアで送り返せる。次のタイミングは、地球時間であと六時間ってとこだ」
「六時間……」
ヒルデが顎に手を当てて、にっこりと笑った。
「承知いたしましたわ。では六時間、お世話になります」
「承知が早すぎであります!」
「それより、そこの赤い方」
ニアが、すっと首を傾げた。視線の先には、ライフルを抱えたまま固まっているギロロがいる。
「あなた、とてもお強そうですね。戦場を何度も越えてきた方の、いい目をしていらっしゃいます」
「む……!? 貴様、地球の子供のくせに、見る目があるな」
「お嬢様、いきなり手合わせの目をなさらないでください!」
「それから、そちらの青い方」
ニアの目が、今度はいちばん奥の配管の陰へ向いた。そこには、気配を消して立っていたドロロがいる。
「気配を絶つのが、実にお上手ですね。わたくし、お声をかけるまで、まったく気づきませんでした」
「…………え?」
ドロロの目が、みるみる潤んだ。
「せ、拙者を……拙者の存在に、気づいてくだされたのでござるか……!? 初対面で、しかも、褒めて……!」
「感動のポイントがそこでありますか、ドロロ」
そのとき、基地の天井から階段を降りる足音が響いた。
「ちょっと! さっきから地下で何を騒いでるの! 家が揺れたんだけど!」
現れたのは、日向夏美。手にはすでに、侵略者を制裁するときの臨戦態勢が整っていた。
「げっ、夏美殿!」
「アンタ、またガンプラで何か爆発させたんでしょ! こっち来なさい!」
夏美の右手が、ケロロの顔面を、がしっと鷲づかみにした。ミシミシ、と不吉な音が響く。
「ゲ、ゲロォォォ! 痛い痛い痛い! 夏美殿、握力が! 握力がぁぁ!」
その様子を、ニアはじっと見つめていた。
「……素晴らしい握力ですわ」
「お嬢様、感心なさらないでください」
夏美はそのとき、ようやく見知らぬ少女たちの存在に気づき、手をゆるめた。
「……え? この子たち、誰?」
「と、とりあえず、事情を話すでありますぅ……」
ケロロは床に落ち、顔にくっきりと夏美の指の跡を残したまま、弱々しく手を挙げた。
第四章 ガンプラと魔法映像
十分後。日向家のリビングは、異様な光景になっていた。
ちゃぶ台を囲んで座るのは、ケロロ小隊の五人と、日向冬樹、日向夏美、そして四人の異世界の少女たちである。ちなみに言葉が通じるのは、クルルが全員の耳元に貼りつけた、ケロン製の翻訳シールのおかげだった。
「なるほど……つまり、事故で別の世界に呼び出されてしまったんだね」
事情を聞き終えた冬樹が、心から気の毒そうな顔をした。
「大変だったね。六時間くらいなら、うちでゆっくりしていってよ。ね、姉ちゃん」
「……まあ、子供を放り出すわけにもいかないしね。で、そこのバカガエルは、原因が自分だってわかってるのよね?」
「は、はいであります! 全面的に我輩の過失であります!」
ケロロは正座の姿勢のまま、顔に指の跡を残してうなだれた。
「しかし、しかしであります! 事故の産物であるとはいえ、異世界の方々との友好を深めることは、侵略の……いえ、親善の第一歩でありまして!」
「今、侵略って言いかけたわよね」
「言ってないであります!」
そのやりとりを、ヒルデはまったく別の場所を見つめたまま聞き流していた。視線の先にあったのは、リビングの隅に鎮座するテレビである。
「ニア、レリア。あれをご覧なさい」
「テレビ、と言うそうですよ」と冬樹が教える。
「テレビ……! 先ほど映像が動いていましたけれど、あれは魔晶板の進化形ではありませんか? 魔石を使っている様子もありませんのに、これほど鮮明に、しかも多数の人間が同時に見られるなんて……!」
ヒルデの瞳が、野心の炎でぎらぎらと燃え上がった。
「素晴らしいですわ。魔法映像による世界征服の、完成形がここに……!」
「ヒルデ、目が怖い! 目が怖いから!」
レリアが慌ててヒルデの肩を揺さぶる。一方、ニアはテレビには目もくれず、ちゃぶ台の上のヴァサーゴを、じいっと見つめていた。
「ケロロさん、これは武具の一種でしょうか。人の形をした鎧、あるいは小さな傀儡のようなものでしょうか」
「おお、お目が高いであります!」
ケロロの目が、きらりと輝いた。
「これぞガンプラ、すなわちガンダムのプラモデル! 部品を切り出し、組み上げ、自分だけの機体を完成させる、地球人の知恵と情熱の結晶であります! ちなみにこれは、ガンダムヴァサーゴ。爪がチャームポイントの、悪役っぽい機体であります!」
「悪役……素敵な響きですわね」
「でしょう? さあ、よろしければ、お嬢さんも一体、組み立ててみるでありますか? 初心者向けのHGなら、こちらに在庫が」
ケロロが差し出した箱を、ニアはうやうやしく受け取った。ランナーから部品を切り出すのに使うニッパーも、あわせて手渡される。
「ゲートは、部品の根元ぎりぎりのところをですね、慎重に――」
ぱちん。
ニアは、ニッパーを使わなかった。人差し指と親指でランナーを軽く弾いただけで、パーツが一枚、鮮やかな切り口で外れた。
「……ゲート跡が、ない……?」
「氣を、少々通しましたの。切り口に殺気を乗せないのが、コツでございます」
「ニッパー、いらないのでありますか!?」
ケロロが震える手でパーツを受け取る。断面は、鏡のように滑らかだった。
「クーックックック。こいつは面白えサンプルだぜぇ。ぜひ解剖……いや、研究したいねぇ」
「お嬢様に何をするつもりですか!」
リノキスが、ニアの前に立ちはだかる。その後ろでニアは、次々とパーツを弾いては、器用に組み上げていった。
「ふふ、面白いですわ。関節がこのように動くのですね。武具の稽古にも使えそうです」
十五分後には、ニアの手の中に、見事なHGAWガンダムヴァサーゴが完成していた。ケロロは、自分の組んだ機体とニアの機体を見比べ、呆然とつぶやいた。
「我輩より、仕上がりが綺麗であります……」
「軍曹さぁん、元気出してくださいですぅ」
そのとき、ヒルデが、ぱん、と手を打った。
「ニア。今すぐその組み立ての様子を、魔法映像で撮影しましょう」
「まあ、ヒルデ?」
「考えてもごらんなさいな。小さな武具のような人形を、お嬢様が自分の手で組み立てる。これは新しいジャンルですわ。続いて、ひろめ隊オリジナルの人形、名づけて『ニア・リストン、変形合体モデル』を作成して発売し、魔法映像と連動させれば、普及が一気に進みますわ。幸い、そこの方々は、作り方をご存知のようですし――」
「ヒルデ!」
レリアが、ヒルデの腕をがしっとつかんだ。
「他所の世界の技術を、勝手に商売に使っちゃだめでしょ! そもそも、持って帰れるわけがないじゃない!」
「では、頭の中の設計図だけでも」
「それも、だめ!」
「あら、残念ですわ」
ヒルデが、ほんの少しも残念そうでない顔で、扇子を口元に当てた。その隣で、ニアはすでに二体目のランナーに手を伸ばしている。
「ケロロさん、もう一体、組んでもよろしいでしょうか」
「どうぞどうぞ! 好きなだけ組むであります!」
「……お嬢様、私より先に、プラモデルの友達ができてしまいました……」
リノキスが、がくりと肩を落とした。
第五章 和食と暗殺術
「さて」
夏美が腕まくりをして、台所に立った。
「六時間もあるんなら、夕飯はちょっと豪華にしましょうか。冬樹、手伝って」
「うん、わかった。あの、リノキスさんも、よかったら一緒にどうですか?」
「私も……よろしいのですか?」
「いつもお嬢様のお世話をしているんでしょう? こっちのごはんの作り方に、興味ありませんか?」
冬樹の穏やかな提案に、リノキスの目が、ぱっと輝いた。
「ぜひ! 異世界のお料理を、お嬢様にお出しできるなんて……このリノキス、一生の宝にいたします!」
台所には、リノキスと冬樹と夏美の三人が並ぶことになった。
夏美が最初に取り出したのは、昆布と鰹節である。
「和食の基本は、出汁。昆布を水から入れて、沸騰する前に引き上げて、そこに鰹節を入れて、すぐ火を止める。これだけで、味噌汁も、煮物も、ぜんぜん違ってくるの」
「海の恵みを、お湯にゆっくり溶かす……まるで、戦いの間合いを計るようなものですね」
「えっ、そ、そうなの……?」
「火を入れるのが早すぎれば苦味が出て、遅すぎれば旨味が逃げる。見極めが、重要なのですね」
「あ、うん、まあ、そんな感じかな……?」
夏美が戸惑う間にも、リノキスは真剣な顔で、出汁を取る動作を一つひとつ頭に叩き込んでいく。冬樹は、その隣でだし巻き卵を巻いていた。
「卵液を少しずつ流し入れて、手前に巻いていくんです。ちょっとコツがいるんですけど」
「このように……ふむ。巻き返す力加減が、重要なのですね……やりました!」
「す、すごい。一回で成功してる」
リノキスは、お嬢様のためなら、本当に何でもできる侍女だった。
一方、庭では、もうひとつの授業が始まっていた。
「拙者が教えられるのは、忍びの基礎でござる。気配の殺し方、足音のなくし方、そして……闇に溶ける呼吸の仕方でござる」
「お願いします、ドロロ先生」
食材の下ごしらえの合間に、リノキスは庭へ出て、ドロロに弟子入りしていた。冒険家を目指していた過去を持つ彼女にとって、気配を断つ技術は、護衛としての新しい武器になる。
「先生ではござらぬ……拙者、そんなふうに呼ばれたこと、一度もござらぬ……」
「ドロロ先生?」
「あ、いや、なんでもござらぬ。まず、呼吸でござる。吸うときは小さく、吐くときは長く」
リノキスが呼吸を整えると、庭の木の陰にいるはずの彼女の気配が、すうっと薄れていく。
「おお……見事でござる。まるで、最初から拙者の弟子であったかのような覚えの早さ……」
ドロロは、感極まって目頭を押さえた。
「ちなみにこの技術は、侵入や不意打ちにも使えるでござるが、本来は、大切な人を守るための影の技でござる。そこだけは、忘れないでほしいでござる」
「はい。お嬢様をお守りするためなら、どんな技でも、迷いなく身につけます」
「…………その覚悟、拙者、嫌いではないでござる」
庭先で、ひそかに師弟関係が結ばれたころ、リビングでは別の一幕が起きていた。
「ケロロ先輩に、こんなにベタベタして……なんなんですぅ、あの小娘ぇ……」
部屋の隅で、タママがぶつぶつと呟いていた。その背後から、どろりとした黒いオーラが立ちのぼる。
「軍曹さんは、ボクの先輩ですぅ。ボクだけの先輩ですぅ……! うふふふ……」
「あら」
ニアが、ゆっくりと振り返った。
「ドロドロとした、よい闘気ですわね。わたくしと、遊んでくださいますか?」
「望むところですぅ! 黒タママ、いくですぅぅぅ!」
黒く染まったタママの口が大きく開く。
「タママインパクト、発射ですぅ!」
轟音とともに放たれた光線を、ニアは頭を少し傾けただけでかわした。そして、すっと近づいて、タママの額を、人差し指で、ぴん、と弾いた。
「ぷぎゃっ!?」
タママは、ちゃぶ台を飛び越えて、壁にめり込んだ。
「……加減は、いたしましたわ」
「ひ、ひいいぃ……かわいいのに、かわいいのにぃ……」
黒タママが、涙目で白タママに戻っていく。その様子を見ていたギロロが、渋い顔で腕を組んだ。
「……あの娘、本当にただ者ではないな」
第六章 商店街の大事件
夕方。夏美の買い物リストには、肝心の肉じゃがの豚肉と醤油が抜けていた。
「しまった、お肉がない。冬樹、買い出し行ってきてくれる?」
「うん。じゃあ、みんなで商店街まで行こうか。外の景色も、見せてあげたいし」
こうして、冬樹を先頭に、ニア、ヒルデ、レリア、リノキスの四人が、日向家を出発することになった。ケロロたちは、さすがに外に出すわけにはいかず、クルルが作った光学迷彩のバッジで姿を消し、こっそりとあとをつけている。
「ふむ……この世界の石畳は、なんと平らなのでしょう」
ヒルデが、ビルの隙間から覗く夕日を見上げた。
「あの高い建物は、尖塔ではなく、住居なのですか。この世界の人間は、空に近いところで暮らしているのですわね」
「わあ、見て、あれ、全部お店でしょ! すごい人!」
レリアが、通りの人混みに目を丸くする。ニアは、ゆったりとした足取りで進みながらも、周囲の人間の動きを、一人ひとり、視線だけで確かめていた。
「この世界の方々は、争いごとが少ないのですね。腕の立つ者の気配が、ほとんどありません」
「いいことじゃないですか、お嬢様!」
「ええ。少し、残念ではありますが」
異世界のメイド服を着たリノキスは、道行く人々の視線を集めていた。ただ、「コスプレかな」と思われているのか、誰も深く追及してこない。
そんな平穏が、商店街の裏手の路地に差しかかったところで、崩れた。
「おい、そこの兄ちゃん」
前方に、三人のチンピラが立ちふさがっていた。金髪に派手なジャケット、いかにも地元の不良といった風体である。
「その子たち、外国のお嬢ちゃんだろ? 俺たちが、街を案内してやるよ」
「い、いえ、結構です。急いでいるので」
冬樹がやんわりと断った瞬間、リーダー格の男が、冬樹の肩を乱暴につかんだ。
「遠慮すんなって。なあ、そっちのメイドのお姉さんも、一緒に遊ぼうぜ?」
「あ、あの、やめてください……!」
冬樹が後ずさりしたとき、すっと前に出たのが、ニアだった。
「その手を、お離しなさい」
「あ? なんだ、このガキ」
「冬樹さんは、わたくしたちの恩人でございます。無礼を働くのであれば、わたくしが、お相手を務めます」
男たちが、顔を見合わせて、げらげらと笑い出した。
「ガキが、いきがってんじゃねえよ!」
男の一人が、ニアに向かって拳を振りかぶる。その拳が届く、ほんの一瞬前。
ニアの小さな右手が、男の手首を、ひょい、とつまんだ。
「――え?」
次の瞬間、男の体が、くるりと半回転して、壁に叩きつけられた。
「ぐえっ」
「ご安心を。死なないように、手加減しておりますわ」
「な、なんだこのガキ!?」
残りの二人が同時に飛びかかる。ニアは、一人の拳を紙一重でかわし、そのまま足払いをかけて転ばせ、もう一人の腹に、軽やかな掌底を叩き込んだ。
「かはっ……」
「いけません、お嬢様! もう少し、お淑やかに!」
「あら、リノキス。淑やかに、手加減しておりますのに」
騒ぎを聞きつけて、路地の奥から、さらに十人ほどの不良が駆けつけてきた。
「何だ、何があった!」
「あのガキだ、あのガキがやりやがった!」
ニアの顔に、ぱっと花が咲いたような笑みが浮かぶ。
「まあ。たくさんいらっしゃいましたのね」
「お嬢様、とっても、楽しそうな顔をしていらっしゃる……!」
「ヒルデ、止めなくていいの!? ニアが、すごいことになってる!」
「ええ、止めませんわ。それより、レリア、撮影の準備を」
「え、撮るの!?」
「もちろんですわ。これほどの映像、放っておくのは惜しすぎますもの。いい画が撮れますわよ」
ヒルデは、魔法映像の撮影具を、素早く構えた。
「撮らないで! これ、放送できないから! 絶対に放送できないから!」
そのあいだにも、ニアは、チンピラの集団のただ中を、まるで舞踏会の広間のように、軽やかに舞っていた。
ひとり、またひとり。拳が肉を打つ音、不良たちの悲鳴、そして、ニアの穏やかな声。
「次の方、どうぞ」
「ひいぃ、こいつ、化け物だ!」
「失礼ですわね。かわいらしい、令嬢でございますのに」
最後のひとりが、ナイフを抜いて突っ込んでくる。ニアは、それを、指先ひとつで弾き飛ばした。ナイフは回転しながら宙を舞い、路地の看板に、すとん、と突き刺さった。
「ひ、ひいいっ」
「お疲れさまでした。準備運動には、ちょうどよい運動でしたわ」
路地に倒れ伏す十数人の不良の中心で、ニアは、スカートのすそを軽くつまんで、優雅に一礼した。
「――お嬢様、素敵です!」
リノキスが、涙を流しながら拍手した。
「怪我をした方は、いらっしゃいませんか? 痛みのある方は、おっしゃってくださいませ」
「死ぬほど痛えよ……」
「死んではおりませんでしょう?」
「冬樹君! だ、だ、だ、大丈夫なの、これ! 警察に通報されたら!」
レリアが慌てふためくと、ビルの上から、小さな声が降ってきた。
「クックック。心配はいらねぇぜ。周辺の監視カメラの映像は、全部書き換えておいたからなぁ。ついでに、この連中の記憶も、軽く調整しといたぜぇ」
「クルル曹長、さすがであります……」
光学迷彩を解いたケロロたちが、物陰から顔を出した。ギロロは、あきれ顔で腕を組んでいた。
「あの娘、地球の戦力としても、普通にトップクラスではないか……」
「ギロロ伍長、感想がそこでありますか」
「……俺が戦っても、勝てる気がしない」
「えっ、珍しく弱気であります!」
その後ろで、ドロロが、ぽつりと言った。
「あの娘の動きには、一切の無駄がないでござる。……拙者、弟子がいてよかったでござる」
「ドロロ、お前の弟子は、あの娘の侍女だろうが」
夕日が、路地の隅々を赤く染めていた。ニアは、倒れた不良たちを丁寧に壁際へ寄せると、満足げに両手を払った。
「さて、買い物に戻りましょうか。お夕食の肉じゃが、楽しみですわ」
第七章 異世界の夕餉と、お別れの時間
夜。日向家の食卓には、湯気の立つ料理がずらりと並んだ。
炊きたての白いご飯。昆布と鰹節で取った出汁の味噌汁。ほくほくの肉じゃが。冬樹が巻いただし巻き卵。そして、リノキスが初めて自分ひとりで仕上げた、ほうれん草のおひたしである。
「いただきます、と言うのですね」
ニアが両手を合わせて、小さな口に肉じゃがを運んだ。しばらく静かに咀嚼したのち、ゆっくりと顔を上げる。
「……おいしゅうございます。血が滾るような味ではございませんが、心が凪ぐような、不思議な味ですわ」
「お嬢様……!」
リノキスが、箸を持ったまま感激に震えた。
「覚えました! この肉じゃがの味つけ、一語一句、一匙一匙、すべて覚えました! 帰ったら、毎日お作りいたします!」
「毎日は、さすがに飽きますわ」
「では、三日に一度で!」
「それなら、よいでしょう」
そのやりとりを、夏美が微笑ましそうに見つめていた。
「ほんとに、仲がいいのね。見てて、こっちまで楽しくなっちゃう」
「私が侍女である以上、お嬢様のお世話は、私の生きがいですから」
「うん、それはよくわかった。わかったけど、さっきのスキンシップの強さは、ちょっと」
「ほんの愛情表現でございます」
食卓の向こうでは、レリアが、ヒルデに小声でぼやいていた。
「ねえヒルデ、さっきの商店街のこと、本当に撮影した映像を持って帰るつもりなの?」
「ええ、もちろん。ですけれど、なぜか映像が、真っ白になっておりますわ」
「えっ?」
「クックック。お前らの世界の機材とこの世界の機械が干渉して、記録が消えるように細工させてもらったぜぇ。悪く思うなよ」
食卓の隅で、クルルが笑った。
「ひどいですわ。せっかく、素敵な素材でしたのに」
「あ、あの映像、放送できなくて本当によかったわ……」
レリアは、心の底から安堵した。
食事が終わるころ、庭に光の輪が浮かび上がった。アンゴル=モアが、ルシファースピアを構えて、ぺこりと頭を下げる。
「お待たせしました! 次元座標、ぴったり合いました! これで、皆さんの世界に、送り返せます!」
「ありがとうございます、モアさん。……ほんとうは、もう少し、遊んでいたかったのですけれど」
ニアが、名残惜しそうに言った。ヒルデは、日向家の面々に向き直って、スカートのすそをつまみ、優雅に一礼した。
「皆様、短い間でしたが、たいへんお世話になりましたわ。アルトワール王国第三王女として、深く感謝申し上げます」
「こちらこそ。ええと、無事に帰れるといいね」
冬樹が、穏やかに手を振った。
「夏美さん、冬樹さん。お料理を教えてくださって、本当にありがとうございました」
リノキスが、深々と頭を下げた。その後ろで、ドロロが、ひっそりと立っていた。
「リノキス殿。そなたの腕なら、拙者の教えなど、すぐに追い越してしまうでござろう。……だが、一つだけ。技は、守るためにあるでござる。それを、お忘れなく」
「はい、師匠。決して、忘れません」
「し、師匠……!」
ドロロが、またしても感涙にむせんだ。
一方のギロロは、少し離れた場所で、腕を組んでいた。ニアが、そちらに近づいていく。
「ギロロさん。次にお会いできるときまで、さらに腕を磨いておいてくださいませ。いつか、本気でお手合わせを」
「……俺は、貴様のような子供と戦うつもりは、ない」
「ふふ。では、いつかの約束ということで」
ニアは、そう言って、くすりと笑った。それから、ちゃぶ台の上の、二体のヴァサーゴを振り返る。
「ケロロさん。こちらの一体は、記念にいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんであります! 友好の証でありますよ。向こうの世界でも、ガンプラの楽しさを広めてほしいであります!」
「承知いたしました。大切に、飾らせていただきますわ」
ニアは、自分の組んだヴァサーゴを、そっと両手に抱え上げた。小さな機体が、ニアの手のひらの中で、静かに爪を光らせている。
「それから、夏美さん」
「え、私?」
「いつか、お手合わせをお願いしたいですわ。あなたの握力は、ぜひ一度、この身で確かめてみたく存じます」
「……全力でお断りするわ」
夏美が、ひきつった笑顔で首を横に振った。
モアが、ルシファースピアを高く掲げる。庭に浮かんだ光の輪が、まばゆい輝きを増していった。
「それでは、いきますよー! みなさん、お元気で!」
「ごきげんよう、皆様。またいつか、お会いしましょう」
光の中に、ニアたちの姿が溶けていく。最後に、レリアが、ぶんぶんと手を振った。
「ありがとう! すっごく楽しかった! ニアが、あんなにおいしそうに食べるところ、初めて見たわ!」
光が、ふっと消えた。庭には、虫の声だけが残った。
「……行ってしまったであります」
「静かになっちゃったね」
冬樹が、夜空を見上げて、小さく息をついた。
第八章 マルチバース侵略計画、撃沈
その夜。ケロロ小隊の秘密基地には、不穏な空気が漂っていた。
ケロロが、作戦会議用の巨大モニターの前で、腕を組んでいる。その背中には、妙な風格が漂っていた。
「……諸君。今回の事件で、我輩は気づいたのであります」
「何にですか、軍曹さん?」
タママが、ポテチを口に運びながら尋ねた。
「異世界の存在、すなわちマルチバースであります! 無数の並行宇宙、無限の可能性、無限の領土! 地球ひとつを侵略するより、はるかにスケールの大きな作戦が、我輩たちの前に、広がっているでありますよ!」
「……何を言っているんだ、貴様」
ギロロが、ライフルを磨く手を止めた。
「聞くであります、ギロロ伍長。ニア殿たちの世界の座標は、クルルがすでに記録しているはず。つまり、あの世界を足がかりにして、さらに別の世界へ、さらに別の世界へと――」
「クックック。座標データは、ばっちり取ってあるぜぇ。ルシファースピアの出力を安定させれば、理論上は、かなりの数の並行宇宙に干渉できるなぁ」
「やはりであります!」
ケロロが、ぐっと拳を握りしめた。
「題して、マルチバース侵略作戦! ケロン軍の名のもとに、無限の世界に、我輩たちの旗を立てるのであります! 地球征服どころか、全次元の英雄として、永遠にその名を刻むでありますよ! ゲーロゲロゲロゲロ!」
「軍曹さぁん、すごいですぅ! ボク、一生ついていきますぅ!」
「ちょ、ちょっと待て! 地球一つさえ手こずっているのに、無限の世界を侵略などできるか!」
「それに、ニア殿たちの世界は、あのような強者がごろごろいる世界でござるぞ。たいへん危険でござる」
ドロロが、心配そうに口を挟んだ。
「大丈夫であります! ニア殿のような強者は、きっと例外であります! 向こうの世界には、チョロそうな連中もいるに違いないであります! 例えば……」
「例えば?」
「我輩の勘では、あの世界の王様あたりは、わりと押せばいけそうであります!」
「根拠がまったくないぞ、貴様」
「クーックックック。その勘は、確率でいうと、ほぼゼロパーセントだがなぁ」
「失敬な!」
そのとき、基地の床が、ぎしり、と軋んだ。
全員が、ぴたりと動きを止めた。ゆっくり、ゆっくりと、振り返る。
階段の上に、ひとつの影が立っていた。
「…………ケロロ」
その声は、低く、静かで、それゆえに恐ろしかった。
「な、夏美殿……いつから、そこに……」
「『マルチバース侵略作戦』のあたりから、ずっと」
夏美が、一段、また一段と、階段を降りてくる。その足音は、まるで処刑台への階段のようだった。
「アンタ、あの子たちに、あれだけお世話になっておいて。あの子たちの世界を、侵略しようっていうの?」
「い、いえ、違うであります! これは、その、あくまで学術的な、仮定の話でありまして!」
「仮定の話で、ガンプラの横に、作戦図が広げてあるわけ?」
「ゲロッ!?」
ケロロが慌てて背後を振り返ると、作戦図の横に、はっきりと『マルチバース侵略 第一段階』と書かれた付箋が貼られていた。
「ま、待つであります、夏美殿! 話せばわかるであります! 我輩たちは、友好の――」
「問答、無用」
夏美の右手が、ケロロの顔面を、がっちりとつかんだ。
みし、みし、みしり。
「ゲ、ゲロォォォォ! 痛い痛い痛い! 夏美殿、握力が、握力がぁぁぁ!」
「さっきの子の言葉、ちょっとだけ、わかったわ。アタシの握力、そんなに魅力的なのね?」
「魅力的なのは、確かでありますが、これは魅力ではなく、凶器であります!」
「誰が、凶器よ!」
みしり、が、ばきり、に変わった。
「ゲロォォォォォォォッ!」
基地の天井まで届く悲鳴が、日向家の地下に響き渡った。その様子を、ギロロ、タママ、クルル、ドロロの四人は、微動だにせず、黙って見守っていた。
「……軍曹さん、ごめんなさいですぅ。ボク、助けられなかったですぅ……」
「あれは、助けられんな」
「クックック。ガンプラ一体分、予算が浮くかもなぁ」
「南無でござる……」
ケロロは、顔面に夏美の指の跡をくっきりと残したまま、床の上でぐったりと伸びていた。
「ゲ……ゲロォ…………マルチバース侵略……我輩の……夢が……」
「夢じゃなくて、悪夢よ。ほら、さっさと片づけなさい」
夏美は、ぱんぱんと手を払うと、くるりと背を向けて階段を上がっていった。
終章 ごきげんよう、また会う日まで
数日後。アルトワール学院の寮の一室で、ニアは、机の上に飾られた小さなガンプラを、静かに眺めていた。
「お嬢様、お茶が入りました。それから、先日お教えいただいた肉じゃが、うまく仕上がったと存じます」
「ありがとう、リノキス。……ふふ、あの方たちのことを、思い出していましたの」
「ケロロ様たちですか? あの世界のことは、夢だったのではと、時々思ってしまいます」
そのとき、部屋の扉が、勢いよく開いた。
「ニア! ヒルデが、また変なことを思いついたのよ!」
レリアが飛び込んでくる。その後ろから、ヒルデが、悠然と現れた。
「変なこととは失礼ですわ。わたくしはただ、『ニア・リストンの変形合体モデル』の企画書を、頭の中で、練り上げただけですもの」
「それが変だって言ってるの!」
ニアは、くすりと笑って、窓の外の空を見上げた。
「……あの方たちは、今ごろ、何をしているのでしょうね」
――その同じ頃、日向家の地下基地。
「軍曹さぁん、新しいHGの在庫、届いたですぅ」
「おお、ありがたいであります! さあ、気を取り直して、今度こそ作戦を……」
顔面に湿布を貼ったケロロが、再びニッパーを握りしめる。
「地球侵略は、まず情報収集と、ガンプラの組み立てからであります!」
「結局、そこに戻るのか」
ギロロが、深いため息をついた。
今日も日向家の地下では、地球侵略が、一ミリも進んでいなかった。
――おわり