ゼルダの伝説時のオカリナアフターストーリー〜とんでもスキルで異世界放浪メシ〜 作:騎士誠一郎
原作:とんでもスキルで異世界放浪メシ
タグ:R-15 残酷な描写 クロスオーバー AI本文利用 ゼルダの伝説時のオカリナ
序章 ほこらの向こう側
「フェル、頼むから変なものに首を突っ込むなよ」
ムコーダがそう釘を刺したのは、もう何度目かわからない。
夕暮れの森の入口である。
今夜の野営地を探して歩いていた一行の目の前に、岩肌に半ば埋もれるようにして、小さな石造りのほこらが口を開けていた。
苔むした入口の奥には、淡く青白い光がゆらゆらと揺れている。
『ふむ。妙な気配だな。魔力とも違う。神気に近いが、もっと古く、静かな何かだ』
フェルは鼻先をひくひくと動かし、金色の瞳を細めた。
伝説の魔獣フェンリル、その巨体が興味津々といった風情でほこらへにじり寄っていく。
「だから言ってるだろ! そういう『なんか凄そうな気配』がするものには近づくなって! 俺の胃が持たないんだよ!」
『主、我はちょっと覗くだけだ』
「その『ちょっと』で毎回ろくなことにならないんだよ!」
「あるじー、おなかすいたー」
ムコーダの肩の上で、スライムのスイがぷるぷると震えた。
水色の小さな体は、夕飯の気配に誰よりも敏感だ。
「おいムコーダ、とっとと今夜の宿を決めようぜ。腹減ったし、早く飯にしろよな」
頭上をふよふよと飛んでいたピクシードラゴンのドラちゃんも、小さな翼をぱたぱたさせて催促する。
「わかってるって。ほら、フェル、行くぞ……っておい!」
言い終わる前に、フェルの前足がほこらの光にちょん、と触れていた。
ぱあっ、と視界が真っ白に染まる。
「ちょっ、待て、俺たちまだ――」
足元の地面が、ふっと消えた。
ムコーダの情けない悲鳴は、青白い光の渦の中に吸い込まれていった。
第1章 見知らぬ草原と、牧場の灯
最初に感じたのは、風の匂いだった。
乾いた草と、土と、遠くの水の匂い。
ゆっくりと目を開けたムコーダの視界いっぱいに、茜色に染まった空と、果てしなく広がる草原が飛び込んできた。
「…………どこだ、ここ」
起き上がって周囲を見回す。
さっきまでいた森はどこにもない。
見渡す限りの平原の向こうには、いくつもの山々が連なり、さらに遠く、黒く崩れた巨大な城の影が夕焼けに浮かんでいた。
『ほう。ずいぶんと開けた土地に出たものだ』
悪びれもせず、フェルが隣で伸びをしている。
「お前のせいだろうが! 一回でいいから反省しろよ!」
『我は触れただけだ。勝手に光ったのはあのほこらの方であろう』
「屁理屈をこねるんじゃない!」
「ひろーい! あるじ、ここ、ひろーい!」
スイは草の上をぽよんぽよんと跳ね回っている。
ドラちゃんは空高くまで上がって周囲を見渡し、やがてすいっと戻ってきた。
「おいムコーダ、あっちに建物が見えるぞ。牧場っぽいな。煙も出てるし、人がいるんじゃねえか?」
「牧場? 助かった、とにかく人がいるなら話を聞けるな」
ムコーダは胸をなで下ろし、念のため意識を内側に向けた。
(ニンリル様、キシャール様、アグニ様、ヴァハ様、ルカ様……聞こえますか?)
返事はない。ただ、体の奥でこちらの世界の神々の加護が、ぽうっと温かく灯っているのは感じられた。つながりが途切れたわけではなく、ただ、ひどく遠いのだ。
(ああ、これは、遠くまで来ちゃったやつだな……)
遠い目をしながらも、ムコーダは気を取り直した。
とにかく、まずは今夜の寝床だ。
一行が牧場へ向かって歩き出すと、柵に囲まれた広い放牧地が見えてきた。
大きなサイロ、白い壁の母屋、のんびりと草を食む牛たち。
その放牧地のただ中で、栗毛の馬に乗った赤い髪の若い女性が、澄んだ声で歌を口ずさんでいた。
素朴で、どこか懐かしい旋律だった。
馬は耳をぴくぴくと動かしながら、気持ちよさそうに歌に合わせて足を運んでいる。
「あの、すみませーん!」
ムコーダが声をかけると、女性はぱっとこちらを振り向き、そしてフェルの巨体に気づいて目を丸くした。
「え……ええっ!? お、おっきい……! それ、狼……?」
「あ、いえ、大丈夫です! 襲いませんから! うちの、その、仲間でして!」
慌てて両手を振るムコーダの横で、フェルがふん、と鼻を鳴らす。
『ずいぶんと良い馬ではないか』
栗毛の馬は、フェルを前にしてもまるで怯えなかった。
むしろ首を伸ばして、フェルの鼻先と自分の鼻先をちょんと触れ合わせる。
『ほう、我を恐れぬか。肝の据わった馬だ』
「驚いた……エポナが怖がらないなんて。あなたたち、旅の人?」
「ええ、実は道に迷ってしまいまして。今夜、泊まれる場所を探しているんです。馬小屋の隅でも構いませんので」
ムコーダがそう頼み込むと、女性は少し考えてからにっこりと笑った。
夕日を受けた髪が、燃えるように輝く。
「私はマロン。ここはロンロン牧場よ。父に聞いてみるわ。最近は魔物がいなくなって、旅の人も増えてきたの。きっと歓迎してくれると思う」
「ありがとうございます! 助かります!」
マロンに案内されて母屋へ向かうと、そこには、立派な口ひげを蓄えた恰幅のいい中年男が、椅子に座ったまま気持ちよさそうにいびきをかいていた。
「父さん! 父さんったら! お客さんよ!」
「ふがっ!? ……んあ? お客? ああ、いらっしゃい……ふあ……」
目を覚ましたと思ったら、タロンはもう次の瞬間には船を漕ぎ始めている。マロンが「もう!」とため息をついた。
「ごめんなさいね。この人、いつもこうなの。でも牧場は何も困ってないから、好きなだけ泊まっていってちょうだい」
「何を呑気なことを言っている、お嬢さん」
低い声が割って入った。奥の厩舎の方から、がっしりした体つきの男が不機嫌そうな顔で現れる。
インゴーだ。
ムコーダ一行を、特にフェルを、じろりと睨みつけた。
「得体の知れん連中を、ただで泊めるのか」
「インゴー、お客さんにそんな言い方しないで。それに、ごはんも出せるわ。ミルクとチーズなら、いっぱいあるもの」
「ふん……」
インゴーはまだ疑わしげだったが、マロンに押し切られて口を閉じた。
ムコーダは慌てて頭を下げる。
「あの、ただで泊めていただくわけにはいきません。宿代代わりと言ってはなんですが、お礼に夕食を作らせてもらえませんか? これでも料理には自信があるんです」
「あら、本当? 嬉しい! ミルクとチーズ以外のごはんなんて、久しぶり!」
マロンの弾んだ声に、フェルの耳がぴくりと動いた。
スイとドラちゃんも、期待の眼差しをムコーダに向ける。
(よし、これで今夜の宿は確保。あとは、何を作るかだな)
ムコーダは、アイテムボックスの中身を頭の中でさらうのだった。
第2章 カオマンガイ風と骨抜きの夜
ロンロン牧場の母屋の台所は、あたたかな木の香りがした。
借りた調理台の上に、ムコーダはアイテムボックスから取り出した「それ」を置いた。
ラップにきっちりと包まれた、太めのソーセージのような円柱形。
「今夜はこれを使います。この間作り置きしておいた、チョップド鶏ハムです」
「ちょ、ちょっぷど……?」
マロンが不思議そうに首を傾げる。
「鶏肉を粗みじん切りにして、ハムみたいに固めたものです。もも肉と、むね肉を合わせてあるので、しっとりしているのに食べごたえもあって。味付けには、ちょっと特別なスパイスを使っているんですよ」
そう言って、ムコーダはネットスーパーで買った「ほりにし」の瓶を見せた。
アウトドアスパイスの定番で、肉にかけるだけで味が決まる魔法の粉である。
「作り方はシンプルです。薄切りのもも肉とむね肉を、包丁で一センチから一センチ半くらいに粗く刻んで、角切りのもも肉と一緒にボウルに入れる。そこに砂糖を少しと、ほりにし、それから片栗粉を加えて、粘りが出るまで手でしっかり揉み込む。あとはラップで空気を抜きながらきつく巻いて、お湯の余熱でじっくり火を通すだけ。砂糖と片栗粉が、しっとり仕上げの隠し味なんです」
「へえ……それが、この中に入っているの?」
「ええ。今日は時間がないので、先に作っておいたものを使います。これを使って、カオマンガイ風の料理を作ろうと思います」
ムコーダはまず米を研いだ。
この世界では珍しい米だが、ネットスーパーの米は優秀だ。
鍋にたっぷりの水と、すりおろしたショウガ、ニンニク、そして少しの塩を加え、鶏ハムを茹でたあとのスープを足して炊き上げていく。
蓋の隙間から、やがてたまらなくいい匂いが立ちのぼってきた。
続いてタレ作り。味噌、醤油、砂糖、酢、ごま油、ショウガ、ニンニク、豆板醤を小鉢に合わせて、さっとかき混ぜる。キュウリは薄く切って、皿の縁へ。
炊き上がったごはんの上に、一センチほどの厚さに切った鶏ハムを惜しげもなく並べていく。
断面からは、粗く刻まれた肉の粒がきらきらと脂を光らせ、ほりにしのスパイスの色が、ところどころに赤く映えていた。
「さあ、できました。チョップド鶏ハムのカオマンガイ風です。タレをかけて召し上がってください」
食卓に並べると、目を覚ましたタロン、マロン、そして渋々席に着いたインゴーが、それぞれ皿の前で目を丸くした。
「いい匂い……! いただきます!」
マロンが最初のひと口を運ぶ。
途端に、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「…………! なに、これ! お肉が、しっとりしてる……! 噛むたびにスパイスの香りがふわって広がって、この穀物にまで旨味が染み込んでる……!」
「ふがっ!? う、うまい! これは、牧場のどの料理より……うまい!」
さっきまで船を漕いでいたタロンが、スプーンを握りしめて震えていた。
そしてインゴー。
むすっとした顔のまま、無言で鶏ハムをひと切れ口に運んだ彼は、ぴたりと動きを止めた。
「…………」
一秒。二秒。三秒。
「…………………………あ」
インゴーの手から、スプーンが落ちた。
「な、なんだ……これは……肉が……肉がやわらかい……脂が……スパイスの香りが……ああ……」
がくり、とインゴーの体から力が抜け、椅子の背もたれにだらんともたれかかった。
目は遠くを見つめ、口元には、さっきまでの仏頂面が嘘のような、とろけた笑みが浮かんでいる。
「イ、インゴー!? しっかりして! インゴー!」
「……もう……もう、俺はここで死んでもいい……」
「死なないで!」
骨抜きになった牧場の従業員を、マロンが必死に揺さぶっている。
その横で、フェル、スイ、ドラちゃんは、それぞれ山盛りのカオマンガイ風をがつがつとたいらげていた。
『うむ、やはりこの鶏ハムは良い。しっとりとして、旨味が濃い。おかわりだ』
「あるじー、おいしー! おかわりー!」
「ムコーダ、俺にも追加しろ! タレ多めな!」
「はいはい、ちょっと待ってろ!」
ムコーダは苦笑しながら、次の皿を盛りつけていく。
この時のムコーダはまだ知らなかった。
この鶏ハムの味が、ハイラル全土を巻き込む騒動の、ほんの始まりに過ぎないということを。
第3章 タロンの頼みと、徹夜の鶏ハム
翌朝、ロンロン牧場に朝日が差し込むころ。
ムコーダは、母屋の食卓でタロンに深々と頭を下げられていた。
「頼む、ムコーダさん! あの鶏ハム、城下町の炊き出しで振る舞ってもらえないだろうか!」
「城下町、ですか?」
「うむ。半年前、あの恐ろしい大魔王が倒されただろう。だが城下町は、まだ瓦礫だらけなんだ。家を失った者、仕事を失った者、毎日の食事にも事欠く者が、まだまだたくさんおる。わしにできるのは、ここの牛乳とチーズを届けることくらいだが……あの鶏ハムなら、きっと皆に力を与えられると思うんだ」
タロンの目は、昨夜の居眠りが嘘のようにまっすぐだった。
「昨夜、あれを食べて思ったんだ。温かくて、旨くて、腹の底から元気が出る食べ物ってのは、それだけで人を救うんだな、と」
横でマロンも、胸の前で両手を組んでこくこくと頷いている。
「お願い、ムコーダさん。お礼なら、ミルクもチーズも、いくらでも持っていって」
ムコーダは頭をかいた。
「いやあ、そんな大層なものじゃないんですけど……そういうことなら、喜んでやらせてもらいます。復興のお手伝いになるなら」
「おお、ありがとう! ありがとう!」
「ただ、人数が多いなら、鶏ハムをたくさん作らないといけませんね。今ある作り置きだけじゃ全然足りない。……今日一日、台所をお借りしてもいいですか?」
「好きなだけ使ってくれ」
かくして、ムコーダの長い一日が幕を開けた。
ネットスーパーで、イオンの純輝鶏を購入する。
もも肉の薄切りと角切り、むね肉の薄切りを、それぞれ十パック単位で。
ほりにしは追加で五本。
砂糖に片栗粉、キッチンペーパー、そして大量のラップ。
会計の金額は、冷静に見ると目を背けたくなる桁になっていた。
「ふふふ、でも今は考えない。考えたら負けだ」
ムコーダは腕をまくり、包丁を握った。
「スイ、手伝ってくれるか? このお肉を、細かくしてほしいんだ」
「まかせてー! スイ、がんばるー!」
スイは酸の弾を調整して、薄切り肉をさくさくと細かく刻んでいく。ドラちゃんは水魔法で肉を洗い、フェルは「我は味見係だ」と言い張って台所の隅に陣取っている。
「お前は何も手伝わないのか」
『失礼な。我は完成品の質を確かめるという重要な任務があるのだ』
「ただ食いたいだけだろ!」
そんな掛け合いをしながらも、手は止まらない。
ボウルに肉を入れ、砂糖、ほりにし、片栗粉。
粘りが出るまで揉み込んで、ラップで固く巻き、さらにもう一重。
大鍋の湯を沸かして火を止め、余熱でじっくりと火を通す。
「これを何本分作ればいいんだ……」
気づけば、牧場の台所にあるすべての鍋に、鶏ハムの包みが沈んでいた。
マロンとインゴーも手伝いに加わった。
インゴーは昨夜の骨抜き状態から回復したばかりで、無言のまま肉を黙々と刻んでいたが、時折ちらりとほりにしの瓶に目をやっては、ほうっとため息をついている。
「インゴーさん、よかったら、あとでレシピを教えますよ」
「……! ほ、本当か」
「ええ。スパイスは分けられませんけど、作り方なら」
「……恩に着る」
そっぽを向いたインゴーの耳が、少し赤くなっていた。
その日の夜、日付が変わるころ。
牧場の台所には、冷めた鶏ハムがずらりと並んでいた。
数えてみれば、軽く五十本を超えている。
「できた……。できたぞ……」
ムコーダは椅子にへたり込み、天井を仰いだ。
「あるじ、おつかれさまー」
スイが頭の上でぷるぷると揺れて、ねぎらってくれる。
「明日は朝から城下町だ。ハムカツサンドにする分の揚げ物も、現地でやらないとな……」
眠る間もなく、夜は更けていった。
第4章 ハイラル城下町の炊き出し
ハイラル城下町は、ムコーダが想像していた以上に傷ついていた。
かつては石畳の立派な市場町だったという場所に、今は崩れた壁や焼け焦げた梁が点在している。
それでも、人々は瓦礫を片付け、新しい木材を運び、少しずつ町を作り直していた。
「たくさん、頑張ってるんだな……」
ムコーダは荷車を引くエポナの手綱を握りながら、小さくつぶやいた。
荷台には、鶏ハムの包みと、パン、キャベツ、油などがぎっしり積まれている。エポナはマロンが貸してくれたのだ。
広場の一角に、炊き出し用の天幕が用意されていた。
そこで待っていたのは、疲れた顔の大工や、母親に連れられた子どもたち、杖をついた老人たちだった。
「ほ、本当に食べ物を配ってくれるのか?」
「ええ。ちょっと待っててくださいね」
ムコーダは魔導コンロを三台並べ、鍋に油をたっぷり注いだ。
鶏ハムを厚さ一・五センチほどに切り分け、小麦粉、溶き卵、パン粉の順に衣をつける。
「スイ、衣つけ、頼めるか?」
「はーい!」
スイが触手のように体を伸ばして、次々と鶏ハムに衣をまとわせていく。
ドラちゃんが火加減を見て、ムコーダが揚げる。
じゅわあっ、と油が音を立てた。
途端に、広場全体に香ばしい匂いが広がる。
揚げた衣の香りと、ほりにしのスパイスが熱で立ち上がる香りが混ざり合い、列に並ぶ人々の鼻をくすぐった。
「な、なんだこの匂い……」
「腹が、鳴る……」
黄金色に揚がった厚切りの鶏ハムカツを、食パンにたっぷりのキャベツの千切りと一緒に挟む。
マヨネーズとマスタードを混ぜたものを塗り、とんかつソースをたっぷりと。
「さあ、できましたよ! 厚切りの鶏ハムカツサンドです! どうぞ召し上がってください!」
最初に受け取ったのは、頑固そうな顔つきの老大工だった。
「どれ、頂こうか」
老大工が、大きな口でかぶりついた。
サクッ。
じゅわっ。
衣の歯触りの向こうから、肉汁がとろりとあふれ出す。
ほりにしの塩気とスパイスが、キャベツとソースの甘みと絡み合って、舌の上で花が咲いた。
老大工の目が、かっと見開かれた。
「…………う」
「う?」
「うまあああああああい!」
老大工は叫んだ。
広場中に響き渡る声で。
「なんだこれは! これが肉か! わしが七十年生きてきて、こんなに旨い肉を食ったのは初めてだ! しっとりしていて、衣はサクサクで、おまけにこのピリッとした香りが……! ああ、涙が出てきおった……!」
老大工は、ぼろぼろと泣きながらサンドを頬張り続けている。
それを皮切りに、並んでいた人々が次々と歓声を上げた。
「うめえ!」
「おかあさん、これおいしい! おかわり!」
「ああ、温かい……こんなに温かいものを食べたのは、久しぶりだわ……」
「兵士さんたちにも食べさせてやりたい! 誰か呼んでこい!」
行列はみるみるうちに伸び、広場の端まで続いた。
ムコーダは汗だくで揚げ続け、スイは休みなく衣をつけ、ドラちゃんは「俺は料理人じゃねえぞ!」と文句を言いながらも、火加減の番をこなしている。
フェルはといえば、天幕の裏で山のようなハムカツを平らげ、満足そうに目を細めていた。
『うむ、揚げたてはやはり格別だな。ムコーダ、あと十枚だ』
「お前は今手伝え! 客を待たせるな!」
『だが我は、この炊き出しの質を保つため、あくまで品質管理を』
「それは単なる食いしん坊って言うんだよ!」
そんなやりとりをする一行の周りで、人々の顔に、少しずつ笑顔が戻っていった。
夕方、すべての鶏ハムが売り切れるころには、広場に集まった人々が口々に礼を言いに来た。
「ありがとう、旅のお人。あなたのおかげで、また明日も頑張れる」
「これは、勇者様が戻ってきたときの宴会にも出したいくらいだ……」
誰かがそうつぶやくのが聞こえて、ムコーダは首をかしげた。
「勇者様、ですか?」
傍らにいたタロンが、少し遠い目をして答えた。
「半年前、魔王を倒してくれた緑の服の若者だよ。あの子は、すべてが終わったあと、何も言わずに姿を消してしまった。誰も、どこへ行ったのか知らんのだ」
「そうなんですか……」
「だがきっと、どこかで元気にしておる。そう信じとるよ」
タロンの言葉に、マロンが小さく頷く。エポナが、かすかに鼻を鳴らした。
ムコーダは胸の中で、そっと手を合わせた。
(その勇者さんにも、いつか、うまい飯を食べてもらえたらいいな)
第5章 森の恵みと、ゴロン族とゾーラ族
炊き出しが終わった次の日の朝、ロンロン牧場に、見慣れない来客が訪れた。
緑の服に身を包んだ、小柄な少女だった。耳がとがり、背丈はマロンの胸ほどしかない。
肩のあたりに、小さな妖精がふわふわと浮かんでいる。
「あの、ここに、スパイスのお兄さんがいるって聞いたんだけど」
「スパイスの……お兄さん……?」
ムコーダが顔を出すと、少女はぱあっと顔を輝かせた。
「あなた! あなたが、昨日の炊き出しの! 私、コキリの森から来たの。城下町に用事があって、たまたま居合わせたのよ!」
「コキリの森の方なんですね。それで、何かご用ですか?」
「あのね、あなたが使っていたあの赤い粉、ちょっとだけ分けてもらえないかしら! どうしても気になって気になって、昨日の夜は眠れなかったの!」
ムコーダは苦笑いしながら、ほりにしの瓶を少女の前に差し出した。
「分けるのは、ちょっと難しいんです。これ、俺の故郷の……いや、遠い国の特別な品で、もうあまり手に入らなくて。でも、匂いを嗅いでみるだけなら」
「いいの!?」
少女は小さな鼻を瓶の口に近づけ、すんすんと鼻を鳴らした。目を閉じて、真剣な顔で、なにかをじっと探っている。
「……お塩。それから、ニンニク。ええと、コショウ? 赤いのは唐辛子ね。ハーブがいくつか。これは、オレガノかしら。それから、ええと、レモンみたいな酸っぱい香りと、お砂糖みたいな甘い匂い……」
「すごい、全部当たってますよ。本当に森の恵みに詳しいんですね」
「えへへ。コキリの森のみんなは、森の植物のことなら、なんでも知ってるのよ。……よし! 決めたわ! 私、これを作る!」
「えっ」
「ほりにしの味を、コキリの森の恵みだけで再現してみせるわ! 待ってて、ムコーダさん、いつか絶対、あなたをびっくりさせる粉を作ってみせるから!」
少女は胸を張って宣言すると、妖精と一緒に元気よく駆け去っていった。
「……行っちゃったな」
『ふむ。面白い娘だ』
「また凄いのに目をつけられたな……」
ムコーダは頭をかいた。
その日の午後には、牧場に新たな来客が訪れた。今度は、岩のような体をした巨躯の男たちと、青い肌をした魚人のような一団である。
「おお! あんたが鶏ハムの料理人か!」
野太い声で話しかけてきたのは、赤茶けた肌のゴロン族の長老だった。ごつごつとした巨体を揺らしながら、ずしんずしんと牧場の地面を鳴らして近づいてくる。
「昨日の炊き出しの話を聞いてな! 兄弟、あのハムとやらの作り方を、ぜひ教えてほしい! 我らゴロンは、岩を食うのが主食だが、あの肉の香りときたら、もう矢も盾もたまらんのだ!」
「岩を……食べるんですか……」
ムコーダが目を白黒させていると、青い肌の一団からも声が上がった。
「わたくしたちゾーラ族も、興味がございますわ。あの『ラップ』という包みで巻いて、お湯でじっくり火を通すという調理法。ゾーラの里の冷たく澄んだ水で締めれば、さぞ良い歯ごたえに仕上がるのではないかしら」
「あ、確かに、冷水で締めたら、肉がきゅっと引き締まって、切りやすくなりますね」
「でしょう? それに、魚のハムというのも、試してみたいわ」
「魚のハム……ありますね、確か。魚肉ソーセージとか」
「まあ! あるの!?」
ゾーラの女性が、目をきらきらさせて身を乗り出した。
ゴロン族の長老が、がはははと笑った。
「我らゴロンの里には、デスマウンテンの地熱がある! あれを使えば、湯を沸かさずとも、じっくり低温で火を通せるぞ! 兄弟、教えてくれ!」
「ええと……じゃあ、基本のレシピだけでも」
ムコーダはメモ用紙に、チョップド鶏ハムの作り方を書き出した。
肉を切る大きさ、砂糖と片栗粉の役割、ラップの巻き方、余熱調理の温度の目安。
説明を聞きながら、ゴロンもゾーラも、真剣な顔でうんうんと頷いている。
「なるほど! つまり、肉をしっかり揉んで、固く巻いて、温度を守る! これが肝なのだな!」
「そのとおりです。一番大事なのは、強火で煮立てないこと。肉が硬くなっちゃうので」
「承知した! 我ら、必ずやゴロン流の鶏ハムを完成させてみせるぞ!」
「わたくしたちも、ゾーラ流を!」
二つの種族の意気込みに、ムコーダは思わず笑みをこぼした。
(まあ、みんなに喜んでもらえたなら、それでいいか)
タロンやマロン、インゴーも、いつの間にか庭に出てきて、ゴロンとゾーラの会話を輪になって聞いている。
のどかな午後だった。
ムコーダは緑の草原に腰を下ろし、ほっと息をついた。
「いやあ、取り敢えずみんなから好評で、よかった……」
『主、それは少々、気が早いのではないか』
「え?」
フェルが、空の彼方を見上げていた。
『何か、大きな気配が近づいてくる』
「……だから、そういうことは、もっと早く言ってくれよ!」
「あるじー、おそらがぴかぴかしてるー」
スイの声に空を見上げると、さっきまで青かった空が、いつの間にか、金色と赤と青と緑の光の筋で彩られていた。
そして、ムコーダ一行の足元に、あの時と同じ青白い光の紋様が、ふわりと広がった。
「ちょっ、待て、まだ荷物の整理が――」
「ムコーダさん!?」
マロンの叫びが遠ざかる。
「いってらっしゃーい!」
「また来てくれー!」
タロンとインゴーの声も、光の渦の向こうに溶けていく。
ムコーダは、あの時と全く同じ情けない悲鳴を上げながら、光の渦に吸い込まれていった。
第6章 賢者の間
光が収まったとき、ムコーダが最初に感じたのは、「静かだ」ということだった。
風も、草の匂いも、牧場のにぎやかな声もない。
ただ、どこまでも澄んだ空気と、柔らかな白い光だけがあった。
足元には、淡い光で織られた床が広がり、その向こうには、色とりどりの光の柱が、ぐるりと円を描くように立ち並んでいる。
「…………えっと」
ムコーダはゆっくりと周囲を見回した。
フェル、スイ、ドラちゃんは無事だ。
それはいい。
問題は、その先だった。
光の柱の根元に、人影がある。
六人。
緑の髪の少女。
岩のように大きな、赤い肌の男。
青く透き通るような肌の、気の強そうな少女。
白い装束に身を包み、赤い瞳を伏せた、凛とした女性。
褐色の肌に、燃えるような赤髪の、勝ち気な女性。
そして、長いひげを蓄えた、穏やかな目の老人。
全員が、揃ってこちらを見つめている。
「…………あの」
「ようこそ、旅のお方」
老人が、重々しくも柔らかな声で口を開いた。
「わしはラウル。ここは賢者の間。時の流れから外れた、聖なる領域じゃ」
「け、賢者の間……」
ムコーダは喉を鳴らした。
嫌な予感がする。
この手の場所に呼ばれるとき、大抵ろくなことがない。
「あの、俺たちはただの旅の者でして……決してここに入ろうとしたわけではなくて……」
『主、落ち着け。害意は感じられぬ』
フェルが低く告げる。その金色の瞳は、油断なく六人を見据えている。
「ええ、害意はありません」
白い装束の女性、インパが静かに言った。
「ただ、あなた方を呼んだのは、わたくしたちではないのです」
「え?」
その時だった。
賢者の間の中心に、三つの光が現れた。
赤。青。緑。
光はゆっくりと形を取り、やがて三人の女神の姿になった。
赤い髪に、力強い気配を宿した、炎のごとき女神。
青い髪に、深い知性を湛えた、水のごとき女神。
緑の髪に、凛とした勇気を宿した、風のごとき女神。
「…………」
ムコーダは、言葉を失った。
(こ、これ、絶対、神様ランクの何かだ……!)
慌てて内側に呼びかける。
(ニンリル様! キシャール様! アグニ様! ヴァハ様! ルカ様! 助けてください!)
返事はない。
だが、体の奥の加護が、ぽうっと温かく灯って、かすかな励ましを送ってくれるのを感じた。
『我はディン。力を司る者』
赤い女神が、大地を震わせるような声で言った。
『我はネール。知恵を司る者』
青い女神が、澄んだ水のように静かに言う。
『我はフロル。勇気を司る者』
緑の女神が、風のように軽やかに告げた。
三柱の女神が、そろってムコーダを見下ろした。
『ハイラルを創りし、三柱の神として、汝に問う』
「は、はい!」
『汝、先日、ハイラルの城下町にて、とある料理を振る舞ったであろう』
「あ、あの鶏ハムカツサンドのことですか……?」
『その通りだ』
ディンの目が、きらりと光った。
『我ら三柱は、その香りを、はるか天上より感じ取った。そして、不覚にも、思ってしまったのだ』
「何を、ですか……?」
沈黙が、賢者の間に落ちる。
『……腹が、減ったと』
「………………え?」
『我らは神である。本来、食を必要とせぬ身。だが、あの香りは、あまりにも罪深かった』
ネールが、ほんの少しだけ頬を赤らめて続けた。
『勇者が去って、はや半年。祈りの声はあれど、供物は乏しく、我らの食卓は久しく寂しいものであった』
『そこへ、あの香りよ』
フロルが、人差し指をちょんちょんと合わせながら言う。
『だから、ね? その、ちょっとだけでいいから、私たちにも、何か作ってくれないかしら?』
「は、はあ……」
『それは、賢者たちも同じ思いなのだ』
ディンが振り返ると、六人の賢者が、そろってうなずいた。
「オレは、あの炊き出しの話を聞いて、もう居ても立ってもいられなくなったぜ、兄弟!」
赤い肌の巨漢、ダルニアが、大きな拳を胸に当てて声を張り上げる。
「ゴロンの里でも噂になっててよ! あんたの作ったハムってやつを、オレも食いてえ! 作ってくれ、頼むぜ!」
「わたくしも、ぜひ」
青い肌のルトが、きらきらとした目で前に出た。
「ゾーラの里では、あなたの料理の話で持ちきりなのよ。どんな料理か、自分の舌で確かめたいわ」
「アタシもだ」
褐色の肌のナボールが、にやりと笑った。
「砂漠の民は、うまいものには目がないんでね。それに、酒があるなら、なお良い」
「……わたくしも、興味がございます」
インパが、ほんの少しだけ視線を逸らしながら、小さく言った。
「あの香りは、シーカー族の鍛錬を以てしても、無視できるものではありませんでした」
「わ、私もっ!」
緑の髪のサリアが、ぴょんと跳ねるように手を挙げた。
「森のみんなが、あなたの話をしていたの! スパイスのお兄さんって! 私も、おいしいものが食べたい!」
「あ、あの時の……コキリの子が言っていた?」
「そう! 私の、お友達よ!」
サリアはにこにこと笑っている。その屈託のなさに、ムコーダの肩から少し力が抜けた。
老人のラウルが、ごほん、と咳払いをした。
「というわけでな、旅のお方。つまりは、そういうことなのじゃ。何でもよい。この老いぼれと仲間たちに、何か食べさせてもらえんか」
「…………」
ムコーダは、天を仰いだ。
(これは……断れる雰囲気じゃないな……)
九対の視線が、じっとムコーダに注がれている。
いや、正確には、九対と三組である。
三柱の女神と、六人の賢者。
そして、その視線の圧は、並の魔物の威圧など比べ物にならない。
「あ、あの、材料は何でも出せるので、大丈夫なんですけど……」
「ほう!」
「ただ、ちょっとだけ、お時間をいただけますか? 何を作るか、考えたいので」
「もちろんじゃ」
圧力に押される形で、ムコーダは額の汗をぬぐった。
(何を作ろう。鶏ハムカツは、もう噂になってるし……。いや、むしろ、鶏の次は、もっと本気の鶏料理で、一気に畳みかけるか?)
そこで、ムコーダの脳裏に、ひとつの料理が浮かんだ。
(そうだ。あれだ。名古屋コーチン。あの引きずり鍋)
「決めました」
ムコーダは顔を上げた。
「鍋を作ります。鶏肉の、特別な鍋を」
第7章 名古屋コーチンの引きずり鍋
賢者の間の中心に、ムコーダは魔導コンロを据えた。
鉄鍋を乗せ、ネットスーパーの画面を開く。
表示されているのは、「名古屋コーチン もも肉・むね肉 特上」の文字。
(高い……けど、神様と賢者に出す料理だ。ケチるわけにはいかない)
ムコーダは、覚悟を決めて購入ボタンを押した。
次に、白ネギ、白菜、春菊、焼き豆腐、しいたけ、そして麩。
割り下に使う醤油、みりん、砂糖、酒、さらにだし昆布。仕上げの生卵も、人数分以上。
ずらりと並んだ食材を前に、賢者たちが目を輝かせている。
「これが、鍋の材料か……」
「色とりどりだな。見たことのないものばかりだ」
「まずは、肉と野菜を切ります。スイ、頼むぞ」
「はーい!」
スイが野菜を細切りにし、焼き豆腐を食べやすい大きさに切り分けていく。
ムコーダは名古屋コーチンを、薄めのそぎ切りにした。
「引きずり鍋っていうのは、愛知県の……ええと、俺の故郷の近くの郷土料理なんです。名古屋コーチンっていう、特別な鶏を使います。すき焼きに似てますけど、割り下は醤油と砂糖と酒と、みりんで。卵をつけて食べます」
「ほう」
ラウルが目を細める。
「鶏肉を、鍋で引きずるようにして焼くから、そんな名前になったとか。なので、まずは鶏の脂を鍋にしっかりひくところから始めます」
ムコーダは、鍋に名古屋コーチンの皮付きの脂身を投入した。
じゅうう、と音がして、鍋底に脂がじんわり広がっていく。
ふわり、と甘い鶏の香りが立ち上った。
「おお……」
「いい匂いだ……」
賢者たちが、思わず身を乗り出す。
脂がなじんだところで、鶏肉を並べる。
ジュッ、と小気味よい音が響き、表面が白く色を変えていく。そこへ、割り下をたっぷりと注ぎ込んだ。
じゅわあああっ。
醤油と砂糖の甘辛い香りが、一気に立ち上がる。
「うおおおお! なんだこの香りは!」
ダルニアが、思わず鍋のそばに駆け寄ってきた。
「兄弟、これは、とんでもねえ匂いだぞ!」
「ちょ、近いです、危ないです! 火傷しますよ!」
ムコーダは慌てて制止しつつ、白ネギ、白菜、春菊、しいたけ、豆腐、麩を順番に鍋に加えていく。
煮汁がぐつぐつと沸き立ち、鶏肉の旨味と、野菜の甘みが溶け合う。
「完成です。生卵につけて、熱々のうちに召し上がってください」
小鉢に溶き卵を人数分用意し、賢者と女神たちに配る。
女神たちは、浮遊したまま器用に箸を持った。
「いただきます、って言うんですよ、俺の国では」
「いただきます?」
「食材への感謝の気持ちです」
「ほう、美しい習慣じゃのう」
ラウルが穏やかに微笑み、手を合わせる。
他の賢者や女神たちも、真似をした。
「「「いただきます」」」
最初に鍋に箸を伸ばしたのは、ダルニアだった。
名古屋コーチンの切り身を、溶き卵にたっぷりとくぐらせ、大きな口でぱくりと放り込む。
もぐ。
もぐもぐ。
…………ぴた。
「…………」
「ど、どうですか?」
「…………うおおおおおおおおおおおっ!」
賢者の間に、ダルニアの雄叫びが轟いた。
「うめえ! うめえぞ! なんだこの肉は! 噛めば噛むほど旨味があふれてきやがる! 甘辛い味に、卵のまろやかさが絡んで……兄弟! オレは今、猛烈に感動している!」
ダルニアは、ぼろぼろと涙を流しながら、肉を次々と頬張った。
「ちょ、ちょっと、他の人の分も残してくださいよ!」
「ダルニア、独り占めはいけません」
ルトが、ぷくっと頬を膨らませながら、自分も肉をぱくり。
「…………んっ」
彼女の目が、ぱちりと見開かれた。
「……なに、これ。柔らかいのに、ちゃんと歯ごたえがあって……噛むたびに、お肉の甘みがじわっと……ああ、ほっぺたが、落ちてしまいそうですわ……!」
ルトは両手で頬を押さえ、うっとりとした表情を浮かべた。
「ふむ……これは、確かに」
インパは、静かに箸を進めていた。白菜を口に運び、鶏肉を一切れ。そして、ふ、と目を閉じた。
「…………もう一杯」
「え?」
「もう一杯、いただけますか」
普段は冷静な彼女の声が、わずかに震えていた。
「ははは! あのインパが、おかわりを頼むとはな!」
ナボールが、豪快に笑いながら、同じく鍋をつついている。
「だが、アタシも気持ちはわかるぜ。このコクのある汁、たまらねえ。しかし、こいつを食うなら、ひとつ欲しいものがあるな」
「欲しいもの、ですか?」
「酒だよ、酒。こんなうまい鍋、水で食うなんざ、もったいねえ」
「あ、ありますよ。ちょうど、とっておきのやつが」
ムコーダは、すかさずネットスーパーの画面を開いた。
「これです。スーパードライ。冷たくて、すっきりした、俺の国のエールみたいなお酒で」
購入ボタンを押す。目の前に、銀色の缶がずらりと現れた。
「なんだ、この銀色の入れ物は?」
「缶、といいます。このプルタブを引いて……こう」
ぷしゅっ。
小気味よい音と共に、白い泡が立ち昇る。ムコーダは予め用意していたグラスに、黄金色の液体を注いだ。
「おお……!」
「なんと美しい黄金色だ」
フロルが、目を輝かせて言った。
『まるで、トライフォースのような輝きだ』
「え、そうですか?」
『うむ。この泡も、実に神々しい』
「いや、あの、ただのビールなんですけど……」
ムコーダは苦笑しながら、賢者や女神たちに、次々とグラスを配っていく。
「乾杯、っていって、グラスを軽くぶつけるんですよ」
「「「乾杯!」」」
カチン、と涼やかな音が重なった。
ナボールが、ぐいっと一気に飲み干した。
「…………っぷはあああっ! うめえ! なんだこの喉越し! キリッとしてて、冷たくて、後味がすっきりしてる! こんな酒、初めて飲んだぜ!」
「確かに、鍋の甘辛さとよく合うな」
ラウルも、穏やかにグラスを傾けながら、深くうなずいた。
「これは、実に良い。この年になって、こんな楽しい思いをするとはのう」
ムコーダは、胸を撫で下ろしていた。
(よかった……みんな喜んでくれてる)
「あの、お兄さん!」
くいくいと、服の裾が引かれた。振り向くと、サリアが、不満そうに頬を膨らませている。
「私も、お酒が飲みたい!」
「いや、サリアさんは、お酒は……見た目的にも、ちょっと」
「むー! 私、見た目は子どもだけど、もう何百年も生きてるのよ!」
「そ、そうなんですか……」
「でも、お酒は苦手そうな顔してるって、みんな言うの! だから、お酒じゃないものが飲みたい!」
サリアはぷんぷんと怒っている。ムコーダは少し考えて、ぽんと手を打った。
「それなら、ちょうどいいものがあります」
ネットスーパーを開き、赤いラベルの瓶を選ぶ。ペットボトルのコカ・コーラ。それを、氷を入れたグラスに注ぐ。
しゅわわわわ、と、黒い液体が泡立った。
「わっ! なに、これ! 泡が、しゅわしゅわしてる!」
「コカ・コーラっていう、甘くて炭酸の入った飲み物です。冷たいうちに、どうぞ」
サリアは恐る恐るグラスに口をつけた。
…………ごくん。
「…………!!!」
サリアの目が、まん丸になった。
「しゅわしゅわする! 口の中で、ぱちぱち弾けてる! 甘くて、冷たくて、おいしい! すごい! すごい! すごーい!」
サリアはぴょんぴょんと跳ねながら、ごくごくと飲み干した。
そして。
「……げふっ」
小さなゲップが、賢者の間に響いた。
しん、と静まり返る。
「…………あっ」
サリアの顔が、ぼっと真っ赤になった。
「ち、違うの! これは、炭酸だから! わざとじゃないの!」
「あはははは!」
ナボールが、腹を抱えて笑い出した。
「いやあ、サリア、いいゲップだったぜ! 最高だ!」
「もう、ナボールのばかー!」
サリアはぽかぽかとナボールを叩く。ルトがくすくすと笑い、ダルニアは「ガハハハ!」と豪快に笑い、インパまでもが、口元を隠して肩を震わせていた。
賢者の間は、いつの間にか、温かな笑い声に包まれていた。
『ふむ。この鍋、我らに、力を与えてくれるようだ』
ディンが、満足そうに腕を組んだ。
『力の源は、きっと、この味にあるのだな。我、今、全身に力がみなぎっておる』
『我は、この味の理を、知りたい』
ネールが、真剣な顔つきで鍋を覗き込む。
『割り下の配合、鶏肉の脂のなじませ方、野菜を入れる順番……すべてに、確かな知恵が宿っているわ』
『ねえ、私にも、もう一杯ちょうだい!』
フロルは、すでに空になった器を、ムコーダに差し出していた。
『この味、勇気が出る! 明日からもまた、頑張れそう!』
「は、はい、ただいま!」
ムコーダは、慌てて鍋の中身をよそった。
『主、我のも頼む』
「あるじー、スイもー!」
「ムコーダ、俺にもスーパードライをくれ!」
「はいはい、全部やるから、順番に待ってろ!」
フェルとドラちゃんにも、鍋とビールを。スイには、取り分けた鶏肉と野菜を。
賢者の間には、湯気と、笑い声と、鍋の香りが満ちていく。
「ふう……」
ムコーダは、ようやく自分の分を小鉢によそい、ひと口ぱくりと頬張った。
名古屋コーチンの、噛みしめるたびにあふれる旨味。甘辛い割り下の味。卵のまろやかさ。
(……うまいな)
異世界のどこへ行っても、結局、飯がうまいということが、一番の救いなのだ。
ムコーダは、しみじみと、そう思った。
終章 無事に帰れたと言うオチ
鍋の底が見えるころ、賢者たちも女神たちも、すっかり満ち足りた顔をしていた。
ダルニアは大の字になって床に転がり、満足そうないびきをかいている。
ルトは、空になった器を大事そうに抱えたまま、うとうとしている。
ナボールは三缶目を空にして、上機嫌で鼻歌を歌っていた。
インパだけは、凛とした姿勢のまま、そっと、満足そうに目を閉じている。
ラウルが、ゆっくりと立ち上がった。
「旅のお方。心より礼を言う」
「いえ、こちらこそ、こんな食事でよかったのかどうか……」
「何を言う。このような美味なる食事を、わしは生まれて初めて口にした。ハイラルの、いや、この世界の宝と言ってもよい」
「そ、それはさすがに、大げさですよ」
「大げさではないよ」
三柱の女神が、静かに前に進み出た。
『ムコーダ。汝に、礼を述べよう』
ディンが、赤い光を宿した手を差し伸べる。
『汝の料理は、ハイラルの人々の心を温めた。そして今、我らの心をも温めてくれた』
『その恩に報いるため、我らより、ささやかな贈り物を』
ネールが続け、フロルが微笑んだ。
『これは、ハイラルの森の恵みと、勇気と、知恵の証よ。受け取って』
三柱の女神の手のひらから、三つの光が溢れ、ムコーダの手の中に降り積もった。光が収まると、そこには、小さな緑色の宝石が、いくつも光っている。
「これは……?」
『ルピーという。ハイラルの通貨だ』
「…………つ、通貨……」
『いかにも。ハイラルで使えば、一生食うに困らぬほどだ』
「あ、ありがとうございます……(でも、ハイラルでしか使えないんじゃ……)」
ムコーダは頬を引きつらせながら、宝石をアイテムボックスにしまった。
「ところで、帰り道は、どうすればいいんでしょうか?」
「それは、わしらが責任を持って送ろう」
ラウルが、にっこりと笑った。
「ただし、旅のお方。ひとつだけ頼みがある」
「頼み、ですか?」
「うむ。サリアよ、こちらへ」
呼ばれたサリアが、とてとてと歩み寄ってきた。
その手には、空になったコーラの瓶が、大切そうに握られている。
「あのね、お兄さん。お願いがあるの」
「はい、何でしょう?」
「その、コカ・コーラっていうの、もう一本だけ、分けてくれない?」
「え? ああ、もちろん。何本でも……」
「ううん、一本でいいの」
サリアは、ぎゅっと瓶を胸に抱えた。
「もしかしたら、いつか、緑の服の男の子に会えるかもしれないから。そのとき、渡してあげたいの。ずっと、がんばってくれたあの子に」
その言葉に、賢者たちが、そろって静かに目を伏せた。
時の勇者。
ハイラルを救い、そしてすべてを背負って、時の流れの向こうへ去っていった、一人の少年。
ムコーダは、何も言わずに、ネットスーパーから、冷えたコカ・コーラを一本取り出した。
「……渡せるかどうかは、わかりませんが。どうぞ」
「ありがとう!」
サリアは、にっこりと笑った。その笑顔は、どこか泣きそうなほど、まぶしかった。
「それじゃあ、旅のお方。そなたの帰り道を、開こう」
ラウルが両手を掲げると、賢者たちが輪になって、静かに祈りの言葉を紡ぎ始めた。光の柱が、一斉に強い輝きを放つ。
「みなさん、本当にありがとうございました!」
ムコーダは、深々と頭を下げた。
「こちらこそ! また来てね、お兄さん!」
「次は、ゴロンの里に来いよ、兄弟! 岩の鍋で待ってるぜ!」
「ゾーラの里にも、ぜひ。魚のハムの試作、お待ちしておりますわ」
「砂漠にも来な。いい酒を用意しておくよ」
「……お気をつけて」
賢者たちの声が、遠ざかっていく。
三柱の女神が、最後に、静かに微笑んだ。
『汝の旅に、トライフォースの加護があらんことを』
白い光が、一行を包み込んだ。
――――。
「……あれ?」
ムコーダが目を開けると、そこは、見覚えのある森の入口だった。
夕暮れの空。苔むした木々。
そして、ほんの少し前まで、そこにあったはずの小さなほこらは、跡形もなく消えている。
「も、戻ってきた……のか?」
『ふむ。どうやら、そのようだな』
フェルが、平然とした顔で辺りを見渡している。
「無事に、帰ってこれた……」
ムコーダは、その場にへなへなとへたり込んだ。
「ああ、よかった……。本当に、よかった……。もう二度と、変なほこらには近づかないからな……」
「あるじー、おなかすいたー」
「おいムコーダ、今夜の宿、どうすんだよ」
スイとドラちゃんが、何事もなかったかのように催促してくる。
「お前ら、鍋たらふく食ったばっかりだろうが!」
「えー、でも、あれはあれ、これはこれー」
「そうだぞ、ムコーダ。食った分は、もう消化したからな」
「消化早すぎだろ!」
そんなやりとりをしていると、ふと、ムコーダは、アイテムボックスに何か入っていることに気づいた。
取り出してみると、それは、青い蓋の、大きな瓶だった。
ラベルには、見覚えのない文字で、「ロンロンミルク」と書かれている。
瓶の首に、小さな紙切れが結ばれていた。
『旅の安全を祈って。ムコーダさんへ マロンより』
「…………マロンさん」
ムコーダは、じんと胸が熱くなった。
瓶を開けて、ひと口飲んでみる。
濃厚で、甘くて、優しい味が、口いっぱいに広がった。
「……うまい」
『主、我にも寄越せ』
「あるじー、スイもー!」
「ミルクなら俺も飲む!」
「ああもう、順番だ、順番!」
そう言いながらも、ムコーダは笑っていた。
ふと、アイテムボックスの中を、もう一度のぞく。
そこには、ハイラルのルピーの宝石が、きらきらと輝いていた。
「…………ドラちゃん」
「なんだ?」
「これ、どうしようか」
「そりゃお前、どこの店で使うんだよ。誰も受け取らねえだろ、こんなの」
「……だよな」
ムコーダは、がっくりと肩を落とした。
「結局、使えないのかよ……」
『まあ良いではないか。記念品と思えば』
「そうだな。……まあ、いい思い出になったよな」
ムコーダは、夕焼けの空を見上げた。
遠い、遠い、どこかの世界。
鶏ハムのサンドを頬張って、涙を流していた老大工。
ほりにしを再現しようと息巻いていた、コキリの少女。
岩を食べながら、新しい料理に目を輝かせていたゴロンたち。
そして、大切そうに空き瓶を抱えていた、緑の髪の少女。
(いつか、あの子が、あの瓶を渡せる日が来るといいな)
心の中で、静かにそう祈った。
「さて、と。それじゃ、今夜の野営の準備を始めるか」
『うむ。今夜は何を食わせてくれる?』
「あるじー、今日はなにー?」
「ムコーダ、肉だろ、肉!」
「はいはい、わかったわかった。ちょっと待ってろ」
ムコーダは、ネットスーパーを開いた。
画面の隅に、見覚えのない文字が光っている。
「…………ん?」
「ロンロンミルク 限定入荷」
「……いや、さすがに、それはないよな?」
ムコーダは、画面をそっと閉じた。
「…………気のせいだ。うん、気のせいだ」
――こうして、ムコーダ一行の、ハイラルでの奇妙な一日は、幕を閉じたのであった。
(完)