三十二歳の会社員、佐伯修一には同居人がいる。

彼女の名前は田中ミラーカ。金髪の美しい女性だが、その正体は吸血鬼だった。

ひょんなことから始まった同居生活。
彼女は毎日の食事を作り、掃除をしてくれる。
ただし、少々口うるさい。

食生活、飲酒、服装に至るまで、何かと小言が飛んでくる。

そんな彼女に振り回されながらも、修一は今の生活を悪くないと思い始めていた。

これは、口うるさい吸血鬼と、彼女に惹かれてしまった男の、少し変わった同居生活の物語。

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同居人は吸血鬼

 正午になり、事務作業に一区切りつけて昼休憩に入る。

 

 藤田さんが席を立った。

 

「お茶淹れてきますね」

 

 そう言って、給湯室へ向かう。

 

 彼女は四十八歳の女性社員だ。世話を焼くのが好きで、俺が入社して間もない頃には、いろいろと面倒を見てもらった。

 

 カバンから弁当箱を取り出す。絹の風呂敷の結び目をほどき、テーブルに広げた。

 

 弁当の蓋を開けると、戻ってきた藤田さんが湯呑を静かに置き、笑みを浮かべた。

 

「佐伯くん、最近お弁当だけど、彼女でもできた?」

 

 俺は三十二歳にもなって、未だに童貞で彼女もいない。

 

 ただ、同居人がいる。

 

 弁当は、その同居人が用意してくれたものだ。

 

 もし彼女だと言えば、きっと同居人は怒るかもしれない。

 

 とはいえ、つい最近までコンビニ弁当だった男が、手作り弁当に変わったのだ。

 

 藤田さんが詮索したがる気持ちもわからなくはない。

 

「お袋です。たまに心配になって、弁当を作ってくれるようになったんですよ」

 

 少々無理があったかもしれない。

 

 藤田さんは俺の背中を軽く叩いた。

 

「私が言うことでもないけど、早く奥さんを見つけて、お母さんを安心させてあげなよ」

 

 俺は苦笑した。

 

「出会いがあればいいんですがね」

 

「気づけば三十代なんて、あっという間に過ぎてるよ」

 

 俺は十代、二十代を振り返り、返す言葉も見つからなかった。

 

 藤田さんは自分の席に戻った。

 

 俺は手を合わせ、「いただきます」と言ってから弁当を食べ始めた。

 

 主菜は鮭の塩焼き。副菜はほうれん草の胡麻和え、ブロッコリー、にんじんの煮物。卵料理はだし巻き卵。ご飯は雑穀入りご飯に梅干し。箸休めにミニトマト。

 

 鮭の塩焼きは、小骨まで抜いてある。

 

 同居人の気遣いに感謝しながら、しっかり咀嚼することも忘れない。

 

 また小言を言われてしまう。

 

 以前と比べて食事のペースは遅くなったが、胃の調子がよくなったような気がする。同居人に注意されてから気をつけるようになったが、もしかしたらプラシーボ効果かもしれない。

 

 そんなことを言えば、また小言を言われてしまう。

 

「ごちそうさまでした」

 

 空の弁当箱をカバンにしまい、湯呑を洗いに給湯室へ向かう。

 

 藤田さんが湯呑を洗っていた。

 

「佐伯くん、そこに置いといて。ついでに洗っておくから」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 湯呑をシンクに置き、自分の席へ戻る。

 

 まだ休憩時間が残っていたので、携帯でメールを作成した。

 

『お弁当美味しかったです。今日は定時で上がれそうです』

 

 メールを送信すると、すぐに返事が返ってきた。

 

『うむ』

 

 俺はついニヤついてしまった。

 

 メールだと同居人は口数が少ない。

 

 午後一時になり、携帯を傍らに置いて仕事を再開する。

 

 同居人の名は、田中ミラーカ——吸血鬼だ。

 

 話は二日前の夜に遡る。

 

 同僚と飲んだ帰り、女性に声をかけられた。

 

 振り向くと、金髪の美しい女性が微笑んでいた。俺は彼女に目を奪われた。

 

 彼女は柔らかく微笑むと、いきなり俺に抱きついてきた。

 

 首筋に顔を寄せ、肌に唇を触れさせる。

 

 ちくっとした。

 

 次の瞬間、彼女は俺を突き飛ばし、苦虫を噛み潰したような表情で言った。

 

「不味い! 温泉に浸かってリラックスしていると、突然ゴリラが乱入し、ドラミングを奏でたような味じゃ!」

 

 俺は尻もちをついたまま首を傾げた。

 

「血が不味いと言っておるのじゃ!」

 

 彼女は俺を指さした。

 

「正座せよ! 聞こえぬのか!」

 

「……はい」

 

 彼女の言う通りにすると、説教が始まった。

 

 いろいろと言われた気もするが、酔っていたので何を言われたのか、よく覚えていない。

 

 そして、家に連れていけと言われた。

 

 人生初の逆ナンをされたのかと思いきや——。

 

 家のドアを開け、彼女が放った第一声は「汚い!」だった。

 

 彼女は靴を脱いで部屋に上がると、掃除を始めながら小言を漏らした。

 

「コンビニ弁当や酒ばかり——道理で血が不味いわけじゃ」

 

 唖然として立ち尽くしている俺に、彼女は振り向いてため息をついた。

 

「しわがついたよれよれのスーツ。だらしなさが滲み出ているな」

 

 さすがにその一言には少し傷ついた。

 

「掃除は妾に任せて、貴様は風呂に入って、もう寝ろ」

 

 俺はドアを閉め、靴を脱いで部屋に上がった。

 

 リビングでスーツを脱ぎ捨てると、彼女の小言が飛んできた。

 

「スーツはハンガーにかけよ。これ以上、しわを増やしてどうする」

 

 彼女には有無を言わせぬ圧があった。

 

 俺は素直に従った。

 

「アルコールは肝臓に負担をかける。別に飲むなとは言わん。だが、飲みすぎは見過ごせん」

 

 ほかにもいろいろと言われた気がするが、酔っていたこともあって、よく覚えていない。

 

 翌朝、部屋は綺麗に片付けられていた。

 

 彼女はキッチンで料理をしているし、リビングの片隅には棺桶が置かれていた。

 

 その日から、吸血鬼の田中さんと同居することになった。

 

 ——午後六時になり、仕事を終える。

 

「先輩、この後、飲みに行きません?」

 

「倉田、悪いな。この後、予定があるんだ」

 

「もしかして、女ですか?」

 

「知り合って間もないし、ま(・)だ(・)友達だな」

 

 ……俺は田中さんとお近づきになりたいのだろうか。

 

 彼女は吸血鬼だが、外見は二十代半ばの女性と変わらない。

 

 食事を必要としない代わりに、毎晩血を一滴飲むくらいだ。

 

 それは些細な問題だ。

 

 それよりも小言が多い。

 

 と、早く帰らねば、また小言を言われてしまう。

 

「倉田、そろそろ行くな」

 

「先輩、応援してます」

 

 妙な誤解をさせてしまったが、まあいいだろう。

 

 事情を話せば、話がこじれてしまう。

 

 定時で上がると伝えた以上、これ以上、時間を無駄にはできない。

 

 だが、ふと考えてしまう。

 

 なぜ、彼女は俺のような冴えない中年に固執するのだろうか。

 

 電車に乗り、賃貸マンションに帰る頃には、空は暗くなっていた。

 

 ドアを開けると、料理のいい香りが漂ってきた。

 

 キッチンから田中さんの声が聞こえてくる。

 

「修一、風呂は沸かしておる。洗面所でうがいを忘れるな」

 

 俺は一つ深呼吸をして、彼女の元へ近寄った。

 

 そして、手に持った花束を差し出した。

 

 エプロン姿の彼女は、いつ見ても新鮮だった。

 

「日頃の感謝の気持ちです」

 

 田中さんは無表情のまま、花束を見つめた。

 

「して、花瓶はあるのか?」

 

「……ありません」

 

 彼女はため息をついた。

 

「気が利くのか利かぬのか、よくわからぬ男だな」

 

 花束を受け取ると、柔らかく微笑んだ。

 

「ドライフラワーにすれば、湯船の香りづけに使えそうではあるな」

 

 彼女と目が合った。

 

「修一、いつまでボーっとしておる」

 

「お風呂いただきます」

 

「肩まで浸かって百数えるようにな」

 

 俺はカバンから弁当箱を取り出し、キッチン台に置いた。

 

「田中さん、今日の弁当も美味しかったです」

 

「うむ」

 

 俺は洗面所へ向かった。

 

 うがいを済ませ、脱いだスーツを折り畳んで置いておく。

 

 浴室には、俺の私物と彼女の私物が並んでいる。

 

 それだけで、人間の女性らしい一面が見えてくる。

 

 体を洗い、シャワーで流す。

 

 湯船に肩まで浸かり、心の中で百まで数える。

 

「修一、バスタオルと部屋着を置いておく」

 

「ありがとうございます」

 

「うむ」

 

 彼女が立ち去り、よからぬ雑念を振り払う。

 

 少しでも何か起こることを期待した俺がバカだった。

 

 頭を冷やすために、一から数え直す。

 

 風呂から上がり、バスタオルで体を拭いて部屋着に着替える。

 

 ドライヤーで髪を乾かしてから、リビングへ向かった。

 

 テーブルの上には食事が並べられていた。

 

「いいお湯でした」

 

「うむ。食事もできておる。消化器官に負担をかけぬよう、五十数えてから飲み込むようにな」

 

 イスに腰を下ろし、料理に手を合わせる。

 

「いただきます」

 

 主菜は豚の生姜焼き。千切りキャベツとミニトマトが添えられている。副菜はほうれん草のおひたし。豆腐とわかめの味噌汁に、炊きたての白米。

 

 彼女は俺が食べている姿をひとしきり見終えると、席を立った。

 

「妾も湯浴みをしてくる。修一は変な気を起こさぬと信じておる」

 

 俺はむせ、慌てて味噌汁を飲んだ。

 

 その一言が心臓によくない。

 

 俺にその気がなくても、言葉にされると意識してしまう。

 

 咀嚼を一から数え直し、頭を冷やす。

 

 疑問に思うことはある。

 

 なぜ、彼女は俺に固執するのだろうか。

 

 食事を済ませ、食器を洗っていると、湯上がりの彼女が俺に言った。

 

「修一は洗い方が雑じゃ。洗い物は妾に任せよ」

 

 少しでも彼女の役に立てればと思ったが、裏目に出てしまった。

 

「寝室へ行け。今宵もマッサージをしてやろう」

 

 俺は水道の蛇口を閉め、タオルで手を拭き、彼女とともに寝室へ向かった。

 

 ベッドでうつ伏せになると、彼女は俺の上に跨り、細い指で腰回りの筋肉をほぐし始めた。

 

 背中、肩回り、首と……。

 

 ——時間にしてほんの数分。

 

 あまりの気持ちよさに、俺は眠っていた。

 

 首筋から消毒液のにおいが漂い、手で触れると絆創膏が貼られていた。

 

 彼女はキッチンで洗い物をしていた。

 

「田中さん、ありがとうございます。おかげで身体が軽くなりました」

 

「礼には及ばん」

 

 彼女は洗い物を終え、振り向いた。

 

「何か聞きたそうな顔じゃな」

 

「なぜ、俺みたいな冴えない男に良くしてくれるんですか?」

 

「簡単な話じゃ。食事のために、毎日違う相手を探すのは非効率じゃ」

 

 そして、妖艶な笑みを浮かべた。

 

「妾好みの味にするのも一興かと思った」

 

 腑に落ちた。

 

 理由はどうあれ、俺が抱いた彼女への感情は伏せておこうと思う。

 

 ——今の関係を壊したくないから。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

本作は短編として執筆しましたが、読者の皆様からの反応がよければ、長編連載も検討しています。

面白いと思っていただけましたら、評価や感想をいただけると嬉しいです。

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