吾妻さんが出るというので、あの人のネタも

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ムコーダ御一行、トレセン学園へ行く

 

 

## 一、森を抜けたら

 

「なあフェル、この森、さっきから同じところをぐるぐる回ってないか?」

 

ムコーダこと向田剛志は、リュックのストラップを握り直しながら、前を悠々と歩く巨大な灰色の狼に声をかけた。

 

『たわけ。我が道を間違えるはずがなかろう。ただ、この森は妙に魔力の流れがおかしい。気を抜くでないぞ』

 

フェルは長い尾をゆらりと振った。

伝説の魔獣フェンリルである。

その背中ではスライムのスイが、ぷるぷると身体を揺らしていた。

 

『あるじー、スイ、おなかすいたー!』

 

「さっき食べたばっかりだろ……。いや、まあ育ち盛りか」

 

『おい、オレもだぞ。腹が減ったぜ』

 

ムコーダの肩の横をふわふわ飛んでいるのは、ピクシードラゴンのドラちゃんである。

小さな翼をぱたぱたさせながら、当然のように食事を催促した。

 

「お前らなあ。その前に、まずここを抜けないと飯どころじゃないんだって」

 

そうぼやいた時だった。

 

木々の向こうが、ふっと明るくなった。

 

「お、出口か?」

 

ムコーダが枝をかき分けて進む。

ぬかるんだ土の匂いが消え、かわりに刈り込んだ芝のような青い香りが鼻をくすぐった。

 

森を抜けた先は小高い丘の上だった。

眼下には、見たこともないほど整った景色が広がっていた。

 

どこまでも続く緑の芝生。

白い柵で区切られた楕円形のコース。

その向こうには、赤レンガ造りの立派な校舎と、時計塔のある建物が見える。

ひらけた場所では、揃いの体操服を着た少女たちが走っていた。

 

「……学校? いや、競馬場か?」

 

ムコーダは目をこすった。

異世界に来て久しいが、こんなに整備された施設は見たことがない。

 

『あるじー、あのコ、はやいよ!』

 

スイが驚いた声を上げた。

 

コースを駆け抜けていく少女たちの速さは尋常ではなかった。

風を切って芝を蹴り、ほとんど地面を滑るように走っていく。

 

「あんな速さ、人間じゃないだろ……って、あれ、耳?」

 

目を凝らすと、少女たちの頭には揃って動物の耳がついていた。後ろには尻尾も揺れている。

 

『ふむ、面白い。人でも獣人でもない、不思議な気配だな』

 

フェルが鼻を鳴らした。

 

その瞬間、丘の下にいた数人の少女が、ぴくりと耳を立てて振り向いた。

 

「あれ? 誰かいる!」

 

元気な声がした。

 

「え、でっかい犬!? いや、狼!?」

 

「テイオーさん、待ってください! あれ、普通の動物じゃないですよ!」

 

駆けてきたのは六人の少女だった。

ふわりと広がる黒髪に赤いリボンの子、跳ねるような足取りの小柄な子、背筋の伸びた凛々しい子。

みな動きやすい運動着姿である。

 

先頭の栗毛の子が、目を輝かせてムコーダたちの前で足を止めた。

 

「すっごーい! こんなに大きな狼、初めて見た! あのっ、あなたたち、どこから来たんですか?」

 

「え、えーっと……」

 

ムコーダが言葉を探していると、少女たちは次々に集まってきた。

 

「スペシャルウィークです! あの、あなたは新しい先生ですか?」

 

「ボク、トウカイテイオー! ねえねえ、この狼、触ってもいい?」

 

「キタサンブラックです! わあ、ふかふかしてそう!」

 

「サトノダイヤモンドと申します。……あの、どちらの学校のかたでしょうか?」

 

「オグリキャップだ。……いい匂いがするな」

 

「タマモクロスや。なんやおっちゃん、変わった連れ歩いとるなあ」

 

六人にぐるりと取り囲まれ、ムコーダは冷や汗をかいた。

みな好奇心いっぱいの顔で、近づく距離がやけに近い。

 

「あ、あの、俺はムコーダって言って、冒険者というか……行商人みたいなもんでして」

 

『ええい、騒がしい』

 

フェルがむくりと身を起こした。

 

『近い。我の身体に気安く触れるな』

 

低い声が響いた瞬間、フェルの全身から濃密な威圧が漏れた。

 

『おい、オレたちはただの通りすがりだぜ? ぐるぐる囲むなよな』

 

ドラちゃんも小さな牙を見せて、ぱちぱちと帯電するような気配をまとわせる。

 

「ひっ!?」

 

スペシャルウィークが尻餅をつきかけた。

サトノダイヤモンドは真っ青になり、キタサンブラックはその場に硬直した。

テイオーも思わず後ずさる。

 

「ちょっ、フェル、ドラちゃん! 威嚇しなくていいから!」

 

ムコーダが慌てて両手を広げて割って入った。

 

「ご、ごめんな! こいつら、ちょっと人見知りで! 別に襲ったりしないから!」

 

『ふん』

 

ようやくフェルの威圧が収まった。

少女たちはその場にへたり込み、ほっと息をついた。

 

「び、びっくりしたあ……」

 

「すごい圧だったな。……だが、悪意は感じなかった」

 

オグリキャップが冷静に言う。

 

タマモクロスは額の汗を拭った。

 

「ほんまやで。心臓止まるかと思たわ。ちゅうか、そっちの犬は喋っとるんか?」

 

「あ、これはその、念話っていう……説明すると長くなるんだけど」

 

困り果てたムコーダは、必死に頭を回した。

 

(まずい、完全に怖がらせた。このままだと通報されるかも。どうにか空気を和ませないと……)

 

その時、ふとネットスーパーのことを思い出した。

 

## 二、シャトレーゼコーナー、オープン

 

ムコーダの固有スキル「ネットスーパー」は、異世界にいながら日本の商品を購入できる、まさに反則級のスキルである。

 

「そうだ、お近づきの印に何か出せばいいんだ」

 

ムコーダは小さく呟いて、頭の中でネットスーパーのメニューを開いた。

 

「あれ? 前に見た時と画面が違う……?」

 

新しいタブが増えていた。

 

【新規オープン! シャトレーゼコーナー】

 

「おお、シャトレーゼ!? 来たのか、とうとう!」

 

思わず声が出た。

少女たちがきょとんと見つめる。

 

ムコーダは震える指で商品一覧を眺めた。

ケーキ、アイス、洋菓子、和菓子。

どれも魅力的だが、ひときわ目を引いたのが、あの名物だった。

 

「バターどら焼き……!」

 

フェルの耳がぴくりと動き、スイがぴょんと跳ねた。

ドラちゃんまで空中で一回転した。

 

『あるじ、それは前に食ったやつか!』

 

『ふむ、あれは良いものだった』

 

「おいおい、お前らは後だ。まずはこの子たちに」

 

ムコーダは購入ボタンを押し、手元に現れた箱を開けた。

ふわりと甘いバターの香りが広がる。

 

「はい、お詫びの印。バターどら焼き、食べてみて」

 

差し出されたのは、ふっくらしたどら焼きだった。

ふっくらした生地の間に、たっぷりのバターと粒あんが挟まっている。

 

「バ、バターどら焼き……?」

 

スペシャルウィークが目を丸くした。

 

「いただいても、いいんですか?」

 

「もちろん。遠慮しないで」

 

スペシャルウィークは恐る恐る一つ手に取り、ぱくりとかぶりついた。

 

その瞬間、彼女の目がきらきらと輝いた。

 

「おいしい……! なんですかこれ! バターの塩気とあんこの甘さが……! うわあ、幸せ!」

 

「え、そんなに?」

 

テイオーが身を乗り出す。

 

「ボクも食べる!」

 

「わ、私も!」

 

「じゅ、順番に! 数はあるから!」

 

少女たちが次々と手を伸ばし、ほおばっては歓声を上げた。

 

「おいしいです!」

 

「これは……うまいな。もう一つもらえるか」

 

「オグリ、あんた早すぎや! ウチにも一個寄越し!」

 

場が一気に和んだ。ムコーダはほっと胸をなで下ろした。

フェルたちにもどら焼きを分けてやると、三者三様に満足そうな顔で食べている。

 

「いやあ、よかった。これで仲直りだな」

 

そう思ったのも束の間だった。

 

「ねえ、何の匂い?」

 

「甘い匂いがする!」

 

「どこどこ?」

 

校舎の方向から、新たな足音が聞こえてきた。

 

「あ、あれ?」

 

最初は数人だったのが、どんどん増える。

ウマ娘たちが、風のように丘を駆け上がってきたのだ。

 

「バターどら焼き……?」

 

「どこで売ってるんですか!?」

 

「私にも、くださーい!」

 

「ちょっと待って! 数に限りが!」

 

ムコーダの悲鳴は、少女たちの歓声にかき消された。

気づけば二十人、三十人と集まっている。

 

「うわあ、こんなに!? ご、ごめん、足りない!」

 

「あなた、食べ物の匂いに釣られたな……!」

 

「フェル、ドラちゃん、助けて!」

 

『知らぬ。我はもう食った』

 

『オレも』

 

『スイもたべたー』

 

「薄情者ー!」

 

ムコーダは箱を抱えて走り出した。

少女たちは我先にと追いかけてくる。

しかも速い。

尋常ではない速度で、あっという間に距離が詰まる。

 

「ひいいっ、速っ!? ちょっと待て、俺はただの会社員だったんだぞ!」

 

「待ってくださーい!」

 

「どら焼きをー!」

 

「止まってくださいー!」

 

「止まれるか! こんな状態で止まったら踏み潰される!」

 

ムコーダは校舎の周りをぐるぐる逃げ回る羽目になった。

途中、芝生の斜面をころころ転がり、花壇の縁に引っかかり、噴水のそばで水をかぶった。それでも追っ手は緩まない。

 

「ひい、ひい……もう無理……」

 

ムコーダが木の根元でへたり込んだ、その瞬間だった。

 

「みなさん、そこまでです」

 

凛とした声が響き渡った。

 

全員がぴたりと止まった。

 

## 三、たづなさんの一言

 

声の主は、緑の制服に身を包んだ、柔らかな雰囲気の女性だった。

帽子をかぶった優しげな顔立ちで、にこにこと笑っている。

しかし、その笑顔には有無を言わせぬ迫力があった。

 

「理事長秘書、駿川たづなです。みなさん、お客様を追い回してはいけませんよ?」

 

「た、たづなさん!」

 

「あ、あの、その……」

 

ウマ娘たちは一斉に姿勢を正した。

 

「だって、どら焼きが……」

 

「だってじゃありません。順番に、礼儀正しく。いいですね?」

 

「は、はいっ!」

 

少女たちが見事にそろって返事をした。

たづなさんは満足そうに頷き、ムコーダに向き直った。

 

「大変失礼しました。うちの生徒たちが、ご迷惑をおかけしたようで」

 

「い、いえ、こちらこそ……いきなり押しかけたみたいで……」

 

ムコーダはぜえぜえ息を切らしながら立ち上がった。

 

「俺はムコーダといいます。ちょっと森で道に迷ってたら、こちらに出てしまって」

 

「ええ、先ほどからグラウンドの裏山に、大きな魔力反応があると報告を受けておりました。もしやと思いまして」

 

たづなさんは意味深に微笑んだ。

 

「あなたがたは、別の世界からいらしたのですね?」

 

「!? わ、分かるんですか?」

 

「ええ、時折いらっしゃるんです。この学園は、ちょっと不思議な場所でして」

 

どうやら、トレセン学園は異世界の訪問者に慣れているらしかった。ムコーダは拍子抜けしたが、同時にほっとした。

 

「それで、ムコーダさん。突然で申し訳ないのですが、一つお願いがございまして」

 

「お願い、ですか?」

 

「はい。実は明日、吾妻さんという方が学園にいらっしゃるのです」

 

たづなさんは少し困ったように眉を寄せた。

 

「中央のとても大切な賓客です。ただ、この吾妻さん、ひと癖ありまして」

 

「ひと癖?」

 

「ええ。とにかく、食べ物にはうるさいかたなのです。以前も、学園のおもてなしを厳しく評価されまして……」

 

「うわあ、それは難しそうですね」

 

「それに、一説では、どこか遠い世界で艦長を務めていたとか」

 

「艦長?」

 

「はい。巨大な船の指揮を執っていたそうです。戦いを経験されたかただという噂ですが、詳しいことは誰も知らなくて」

 

ムコーダは頭の中で「どこかのアニメで聞いたことがあるような」と首を傾げたが、深く考えないことにした。

 

「そこで、ムコーダさんにお願いしたいのです。先ほどの、あのバターどら焼きを見て思いました。あなたなら、きっと美味しい料理をお作りになれるのではないかと」

 

「いやいや、俺なんて素人ですよ! しかも、そんな偉い人の接待なんて」

 

「そこをなんとか。お礼はさせていただきますし、元の世界へ戻る方法も、学園の者で探させますから」

 

たづなさんが深々と頭を下げた。

そこまでされては断れない。

ムコーダは頭をかきながら、渋々承諾した。

 

「分かりました。その、あんまり期待しないでくださいね」

 

「ありがとうございます!」

 

たづなさんがぱっと顔を輝かせた。

 

『あるじ、また面倒ごとを引き受けたな』

 

「うるさいなフェル。この状況で断れるか」

 

『まあ、飯が出るなら我は構わんぞ』

 

「お前は結局そこだろ」

 

## 四、カレーに決めた

 

その夜、ムコーダ一行は学園の調理室を借りることになった。

広々としたステンレスの調理台に、立派なコンロ。

食堂の厨房らしく、設備は申し分ない。

 

「さて、何を作るかだな」

 

ムコーダは腕を組んだ。

 

「偉い人で、食にうるさい。しかも艦長経験あり……か」

 

彼は考え込んだ。

艦長といえば、長い航海で食事が楽しみの一つだったはずだ。

大人数に出せる料理で、かつ、ちょっと贅沢感のあるもの。

 

「カレーだな」

 

ムコーダは即答した。

 

「カレー?」

 

調理室の入口から顔を出したのは、スペシャルウィークとオグリキャップ、タマモクロス、テイオー、キタサンブラック、サトノダイヤモンドの六人だった。

 

「あれ、みんな、まだいたのか」

 

「お手伝いしたくて!」

 

スペシャルウィークが元気よく答えた。

ただしその視線は、すでに食材の方を向いている。

 

「それに、どんなカレーを作るのか気になって」

 

「ウチもや」

 

「私も味見なら……」

 

「お前ら、味見が目当てだろ」

 

ムコーダは苦笑しつつも、少女たちを調理室に招き入れた。

 

「普通のカレーじゃ面白くないからな。ネットスーパーで、いい肉を探してみる」

 

画面を開き、肉のコーナーを眺める。

国産牛、和牛、輸入牛。

その中で、一つの商品が目に留まった。

 

「タスマニアビーフ……?」

 

聞き慣れない名前だったが、説明を読むと、豊かな自然で育った上質な牛肉で、赤身の旨味が強く、柔らかいらしい。

 

「これだな。カレーにするなら、旨味の濃い赤身がいい」

 

ムコーダは大きな塊肉をいくつも購入した。

ずっしりと重い肉が調理台に並ぶ。

 

「うわあ、立派なお肉……!」

 

「じゅるり」

 

スペシャルウィークの口から、思わず本音がこぼれた。

 

「次は香辛料だな。市販のルーを使うのもいいが、せっかくだから何か一工夫したい」

 

ネットスーパーの調味料コーナーを探していると、ひときわ見慣れたボトルが目に飛び込んできた。

 

「ほりにし……!」

 

アウトドアスパイスの王様。

肉料理に使えば、あらゆる肉を一段上の味に引き上げる万能調味料だ。

 

「あ、ほりにしだ!」

 

「ほりにしですね!」

 

「ほりにしやん!」

 

突然、少女たちが声を揃えた。

 

「え、知ってるのか?」

 

「もちろんです! キャンプで使うと最高ですよね!」

 

キタサンブラックが胸を張った。

 

「トレーナーさんが、合宿で使ってたんですよ。お肉に振ると、もう別物になるって」

 

「ウチも知っとる。というか、学園の備品にもあるで」

 

「ええっ、こっちの世界にもあるのか!?」

 

ムコーダは驚いた。

まさか、トレセン学園の面々がほりにしを知っているとは。

この世界の食文化、侮れない。

 

「ほりにしがあるなら話が早い。実はこれ、カレーの隠し味に使うと、驚くほど味に深みが出るんだ」

 

「カレーに、ほりにし!?」

 

少女たちがどよめいた。

 

「ああ。ルーの味を壊さずに、スパイスの香りと奥行きが加わる。やってみれば分かる」

 

## 五、タスマニアビーフのカレー作り

 

調理が始まった。

 

ムコーダはまず、塊肉を大きめに切り分けた。

鮮やかな赤身に、細かな脂が霜降りのように入っている。

フェルがちらちらと覗き込んできたが、手で追い払った。

 

「つまみ食いは後だ」

 

『まだ何も言っておらん』

 

「顔に書いてあるんだよ」

 

切った肉に塩、胡椒、そしてほりにしを軽く振る。

 

「え、もう振るんですか?」

 

「肉の下味にも使うんだ。こうすると、焼いた時の香りが違う」

 

フライパンを熱し、油を少量引く。

肉を投入すると、じゅわっと派手な音が響いた。香ばしい匂いが調理室中に広がる。

 

「うわあ、いい匂い……」

 

「お腹が鳴りそう……」

 

少女たちが涎をこらえて立ち尽くす。

特にオグリキャップは、お腹の音を隠すこともなく、じっと肉を見つめていた。

 

「オグリ、よだれ出てるで」

 

「む、すまない。つい」

 

肉の表面に焼き色がついたところで、ムコーダは大きな寸胴鍋を取り出した。

玉ねぎ、人参、じゃがいも。

野菜は少女たちに手伝ってもらい、皮をむいて、ざくざくと切っていく。

 

「あ、ボク得意! 包丁、貸して!」

 

「テイオー、気をつけろよ」

 

「だいじょーぶ! あっ」

 

「おい、危ない!」

 

「えへへ、ちょっと切っちゃった……」

 

「ほら、貸して。無理するな。指を切ったら元も子もないぞ」

 

「ごめんなさーい……」

 

「サトノダイヤモンド、キタサン、じゃがいもを頼む」

 

「はい、お任せください」

 

「任せてくださいっ!」

 

皆で協力して準備を進めた。

玉ねぎはあめ色になるまでじっくり炒め、焼いた肉を加え、水を注いで煮込む。

アクを丁寧に取り、弱火でことこと。

 

「これで一時間くらいかな。あとは、ルーだ」

 

ムコーダはネットスーパーで、少し辛口のルーを数種類購入した。

それらを混ぜ合わせ、鍋に溶かし込む。

 

「さあ、隠し味だ」

 

ムコーダはほりにしのボトルを手に取った。

 

「一気に入れすぎると、スパイスが勝っちゃうから、少しずつ。まず、これくらい」

 

ぱらぱらと、鍋に振り入れる。かき混ぜると、ふわりと複雑な香りが立ち上った。

 

「あっ、何だか、いい匂いが変わった!」

 

「ほんまや。奥行きが出た感じやな」

 

「ひと口、味見してみるか」

 

ムコーダが小皿にルーを取り、少女たちに配った。

 

「どうだ?」

 

ぱくり。

 

「…………!」

 

スペシャルウィークの目が丸くなった。

 

「お、おいしい! さっきのカレーより、ずっとコクがあります!」

 

「確かにスパイスの香りが立っているのに、全体がまとまっているな。うまい」

 

オグリキャップが真剣な顔でうなずく。

 

「これ、ほんまにほりにし入っとるん? 辛いのとちゃうやん、旨いんや」

 

「だろ? ほりにしは塩気のバランスもいいから、ルー全体の味を引き締めてくれるんだ」

 

「すごい……」

 

サトノダイヤモンドが感嘆の息を漏らした。

 

「それで、今夜はこれで終わりですか?」

 

「いや、ここからが大事なんだ」

 

ムコーダは人差し指を立てた。

 

「カレーは、一晩寝かせると、味がぐっと馴染んで格段に旨くなる。明日の本番に合わせて、今夜は寝かせておこう」

 

「ええっ!? 今食べられないんですか!?」

 

スペシャルウィークの悲痛な叫びが調理室に響いた。

 

「我慢だ。その代わり、今夜は別のものを用意するから」

 

「別のもの?」

 

「ああ、ほら」

 

ムコーダはにやりと笑って、残りのバターどら焼きを取り出した。

 

「やったー!」

 

「やはり、これは外せませんね!」

 

その夜、調理室はささやかな宴の場となった。

フェルは別の鍋で用意してもらった大量の肉を堪能し、スイは野菜くずを溶かして満足げに揺れ、ドラちゃんは甘いものを両手に抱えて至福の表情だった。

 

「いやあ、これがムコーダさんの冒険なんだ」

 

テイオーがしみじみ言った。

 

「毎日こんなふうに、ご飯を作ってるんだね。なんか、いいなあ」

 

「いや、毎日必死なだけだよ。こいつらの食欲がすごくてな」

 

ムコーダは苦笑した。

 

『あるじ、肉が足りんぞ』

 

「はいはい、今出す」

 

こうして、トレセン学園の夜は、笑い声とともに更けていった。

 

## 六、吾妻さん来校

 

翌朝。

 

校門の前に、一台の黒塗りの車が停まった。

 

学園の関係者が緊張した面持ちで並んでいる。

たづなさんも、いつもの笑顔ながら、どこか張り詰めた空気をまとっていた。

 

「いらっしゃいました」

 

ドアが開き、降り立ったのは一人の女性だった。

 

落ち着いた物腰、整った身なり。

柔らかな微笑みの中に、どこか人を包み込むような温かさと、ひとたび怒らせると怖そうな芯の強さを感じさせる人物である。

 

「ようこそおいでくださいました、吾妻さん」

 

たづなさんが深々と頭を下げた。

 

「お出迎え、ありがとうございます。今日はお世話になりますね」

 

吾妻さんは穏やかに微笑んだ。

しかし、その瞳の奥は、鋭く校舎や生徒たちを観察していた。

 

「あ、あの人が……」

 

校舎の窓から覗いていたムコーダは、思わず唾を飲み込んだ。

 

「何か、ただ者じゃない感じがするなあ。オーラが違うっていうか」

 

『ふむ、確かに只者ではないな。ただ、悪い気配ではない』

 

フェルがのんびりと言った。

 

「吾妻さん、まずは学園をご案内いたしましょう」

 

たづなさんが先導し、一行は学園内を巡った。

トレーニング施設、図書室、レース場。

吾妻さんは興味深そうに眺め、時折感心したようにうなずく。

 

「みなさん、とてもよく鍛えられていますね。素晴らしいわ」

 

「ありがとうございます」

 

「ところで、お昼ですが」

 

吾妻さんがたづなさんに微笑みかけた。

 

「学園の皆さんが、特別な料理を用意してくださっているとか?」

 

「は、はい。実は、少し変わった客人が、腕を振るってくださいまして」

 

「あら、それは楽しみ」

 

そして、いよいよ昼食の時間がやってきた。

 

食堂には長いテーブルが用意され、中央の席に吾妻さんが座った。

周囲には、たづなさんをはじめ、スペシャルウィークたち六人の姿もある。

 

調理場では、ムコーダが緊張でがちがちになっていた。

 

「だ、大丈夫かな。口に合わなかったらどうしよう」

 

『案ずるな、あるじ。我が毒見した限り、昨日より旨くなっておる』

 

「いつの間に毒見したんだよ!?」

 

『夜中にこっそり、少しな』

 

「少しなのか? 鍋の量、減ってない?」

 

『気のせいだ』

 

「絶対減ってる! まあいい、とにかく出すぞ」

 

ムコーダは大きく息を吸い、鍋の蓋を開けた。

 

もわっと立ち上る湯気。

昨日よりも濃厚で、複雑な香りがふわりと広がった。

 

「……いい感じだ」

 

一晩寝かせたカレーは、とろりと濃厚な色合いに仕上がっていた。

ごろりと大きなタスマニアビーフが、煮込まれてほろほろに柔らかくなっている。

 

炊き立ての白飯を皿によそい、たっぷりとカレーをかける。

つけ合わせに福神漬け、そして少しだけ、ほりにしを小皿に添えた。

 

「お待たせしました。タスマニアビーフのカレーです」

 

ムコーダが一礼して、吾妻さんの前に皿を置いた。

 

「まあ、いい香り」

 

吾妻さんの目がわずかに見開かれた。

 

「それでは、いただきます」

 

スプーンを手に取り、一口。

 

しばらく、無言だった。

 

食堂中の人間が、息を詰めて見守っている。ムコーダの心臓は、早鐘のように打っていた。

 

(頼む、頼む、口に合ってくれ……)

 

吾妻さんは、ゆっくりと咀嚼した。

もう一口、さらにもう一口。

 

そして、ふっと目を閉じた。

 

「…………」

 

(ダメか!? やっぱりダメだったか!?)

 

ムコーダが青ざめた、その時。

 

吾妻さんが、静かに口を開いた。

 

「……すごい」

 

「え?」

 

「このお肉、柔らかくて、旨味が濃いわ。それに、このスパイス。ただ辛いだけじゃない、深いコクがある。何かしら、この香りは」

 

「あ、あの、隠し味に、ほりにしというスパイスを少し」

 

「ほりにし……なるほど。これは、とても繊細な使い方ね」

 

吾妻さんは満足げに微笑み、さらにスプーンを進めた。

 

「おかわり、いただけるかしら」

 

「は、はいっ!」

 

ムコーダが慌てておかわりを用意する。食堂中が安堵のため息に包まれた。

 

「やった……!」

 

「よかったですね、ムコーダさん!」

 

少女たちが小声で喜び合う。

 

吾妻さんは二杯目も、あっという間に平らげていく。

時折、ほりにしを少しだけカレーに加えて味の変化を楽しみ、感心したように頷いていた。

 

「なんて素敵なお料理。こんなカレー、初めて食べました」

 

「恐縮です!」

 

「それにしても」

 

吾妻さんは、ふと遠くを見るような目をした。

 

「このカレーを食べていると、昔を思い出すわ」

 

「昔、ですか?」

 

「ええ。長い航海の間、乗組員たちの疲れを癒すのは、いつも美味しい食事だったの。どんなに厳しい戦いのあとでも、温かい料理を前にすれば、みんな笑顔になれた」

 

吾妻さんは、静かに微笑んだ。

 

「あの頃を、思い出したわ」

 

食堂が、しんと静まり返った。

 

(やっぱり、本当に艦長だったのか……)

 

ムコーダは息を呑んだ。

 

そして吾妻さんは、三杯目のカレーを完食し、満足そうにスプーンを置いた。

それから、ふと何かを思い出したように、真剣な表情になり、すっと立ち上がった。

 

「皆さん」

 

「はい?」

 

「このカレー、あまりに美味しいので、つい昔の血が騒いでしまいました」

 

吾妻さんはスプーンを高々と掲げ、凛とした声で叫んだ。

 

「タンホイザー、撃てーッ!」

 

食堂に、その声が響き渡った。

 

一瞬の静寂。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………あの」

 

最初に口を開いたのは、タマモクロスだった。

 

「吾妻さん、今、何て?」

 

「あっ」

 

吾妻さんは、はっと我に返り、みるみる顔を赤く染めた。

 

「ご、ごめんなさい! つい、癖で……! 昔の癖が、出てしまって……!」

 

「ぶはっ!」

 

誰かが吹き出した。

それをきっかけに、食堂は一気に爆笑の渦に包まれた。

 

「あははは! タンホイザーって!」

 

「おもしろーい!」

 

「す、すごい迫力でした!」

 

「いや、あの、本当にすみません! 恥ずかしい……!」

 

吾妻さんは両手で顔を覆い、耳まで真っ赤になった。

 

「ええんや、ええんや! 最高に面白かったで!」

 

「素敵な号令でした!」

 

「うむ、カレーが旨いと、叫びたくなる気持ちは分かる」

 

オグリキャップが真顔でうなずいたので、さらに笑いが広がった。

 

ムコーダもつられて、思わず笑ってしまった。

 

「いやあ、まさか本当に艦長さんだったとは」

 

「もう、忘れてください……」

 

「いえいえ、忘れませんよ。最高のお褒めの言葉でした」

 

たづなさんも、お腹を抱えて笑っている。

 

こうして、賓客のおもてなしは、思わぬ笑い話として、大成功に終わったのだった。

 

## 七、帰り道は追いかけっこ

 

昼食会のあと。

 

ムコーダが後片付けをしていると、たづなさんが近づいてきた。

 

「ムコーダさん、本当にありがとうございました。おかげさまで、吾妻さんも大変満足されていました」

 

「いえ、俺は作っただけで。こっちこそ、色々お世話になりました」

 

「それと、ご帰還の件ですが」

 

たづなさんは懐から、小さな紙片を取り出した。

 

「調べましたところ、あの裏山の森が、おそらく異界の出入り口になっているようです。同じ場所に、もう一度入っていただければ、元の世界に戻れるかと」

 

「本当ですか! ありがとうございます!」

 

ムコーダは深く頭を下げた。

 

「みんな、帰るぞ。支度してくれ」

 

『ようやくか。まあ、ここの食い物も悪くなかったがな』

 

「お前はどんだけ食ったんだ」

 

『あるじー、スイ、あのどら焼きまた食べたいー!』

 

『オレも』

 

「また今度な。帰ったら、ネットスーパーで買ってやるから」

 

ムコーダは荷物をまとめ、フェルの背中に乗って、学園の裏山へ向かった。

見送りには、スペシャルウィークたち六人と、たづなさんが来てくれた。

 

「ムコーダさん、また遊びに来てくださいね!」

 

「どら焼き、また食べたいです!」

 

「カレーも最高でした!」

 

「ほりにし、買うて帰るわ!」

 

「はは、ありがとう。みんなも元気でな」

 

別れを惜しみながら、ムコーダは森の入口に立った。

 

その時だった。

 

「待ってください! ムコーダさーん!」

 

遠くから、凛とした声が聞こえてきた。

 

振り返ると、走ってくる人影があった。

 

「あ、吾妻さん!?」

 

吾妻さんだった。長いスカートの裾をたくし上げ、全力疾走で丘を駆け上がってくる。

 

「ムコーダさん! お待ちください!」

 

「え? え? どうしたんですか?」

 

「あのカレーのレシピを! ぜひ、教えていただきたくて!」

 

「レ、レシピ!?」

 

「それと、できればあと一杯! いえ、三杯!」

 

「三杯!? さっき三杯食べたでしょう!?」

 

「足りないんです!」

 

吾妻さんの目が、ぎらりと輝いていた。

 

『あるじ、あの者、本気だぞ』

 

フェルが低く呟いた。

 

「ええい、冗談じゃない! フェル、行くぞ!」

 

『承知』

 

ムコーダが森に飛び込む。フェルが猛然と駆け出した。

スイとドラちゃんも後に続く。

 

「ま、待ってください! ムコーダさーん!」

 

吾妻さんは、驚異的な速度で追いすがってきた。

ウマ娘に匹敵するかと思うほどの俊足である。

 

「速っ!? あの人、本当に人間か!?」

 

「ムコーダさん! どうか、カレーをー!」

 

「無理です! もう鍋は空です!」

 

「ならば、レシピを!」

 

「ほりにしを入れるだけです! あとは普通です!」

 

「それでは納得できません! もう少し詳しく!」

 

「だから、タスマニアビーフを一晩寝かせて!」

 

「詳しく!」

 

「ひいいっ!」

 

追いかけっこは森の奥まで続いた。

木々をかき分け、枝をくぐり、岩を飛び越える。

それでも吾妻さんは諦めない。

 

「あの人、タンホイザーを撃つ時より、迫力あるぞ!」

 

『撃たれる前に逃げるのだ、あるじ!』

 

「分かってる! フェル、もっと飛ばせ!」

 

『これが全力だ!』

 

「嘘だろ!?」

 

そう叫んだ瞬間、森の奥から、まばゆい光が溢れ出した。

 

「あ、あれは!」

 

『出口だ! 飛び込め!』

 

「うおおおお!」

 

ムコーダを乗せたフェルが、光の中へ飛び込んだ。

 

背後から、吾妻さんの声がかすかに響いた。

 

「ムコーダさーん! また、来てくださいねー!」

 

「……っ」

 

光に包まれる直前、ムコーダはその声を、確かに耳にした。

 

## 八、元の森にて

 

気づけば、ムコーダはいつもの森の中にいた。

 

湿った土の匂い。鬱蒼と茂る木々。遠くで鳥のさえずる声。

 

「……戻って、きたのか?」

 

『うむ。いつもの森のようだな』

 

フェルが周囲を見渡した。スイがぷるんと身体を揺らし、ドラちゃんがほっとしたように飛び回った。

 

『あるじー、帰ってきたねー!』

 

『やれやれ、長い一日だったぜ』

 

「はあ……」

 

ムコーダはその場にへたり込んだ。

 

「疲れた……。まさか最後に追い回されるとは思わなかった」

 

『だが、悪くない経験だったであろう』

 

「まあな。みんな、いい子だったし。どら焼きも、カレーも、喜んでもらえたし」

 

ムコーダは空を見上げた。木漏れ日が、優しく降り注いでいる。

 

(それにしても……)

 

先ほど、光に飲まれる直前に聞こえた、吾妻さんの声。

 

「ムコーダさーん! また、来てくださいねー!」

 

どこかで聞き覚えのある声だった。いや、聞き覚えどころではない。

ずっと昔から、画面の向こうで何度も耳にしたような、不思議な懐かしさがあった。

 

(どこで聞いたんだっけ。あの、艦長の声……)

 

考え込むムコーダの脳裏に、遠い記憶がちらつく。

深夜のテレビ。

ロボットアニメ。

艦橋で凛と指示を飛ばす、一人の女性の姿。

 

「うーん、思い出せそうで、思い出せない……」

 

『あるじ、何を考えておる』

 

「いや、あの吾妻さんの声がさ。妙に気になって」

 

『声?』

 

「ああ。なんか、すごく聞き覚えがあるんだよ。でも、誰だったか……」

 

『ふむ。あるじの世界の者かもしれんな』

 

「そうかもな。まあ、考えても分からないか」

 

ムコーダは立ち上がり、ズボンの土を払った。

 

「よし、そろそろ行くか。腹も減ったし」

 

『同感だ。あるじ、今夜は何を作る?』

 

「そうだなあ。さっきのカレーで、また食べたくなったから……カレーうどんとか、どうだ?」

 

『おお! それは良いな!』

 

『スイ、うどんすきー!』

 

『オレも!』

 

「はいはい。じゃあ、安全な場所を見つけて、準備するか」

 

ムコーダはリュックを背負い直し、歩き出した。

 

足元では、フェルが悠然と歩く。

その背中のスイがぷるぷる揺れ、頭上ではドラちゃんが楽しそうに飛んでいる。

 

いつもの、騒がしい旅の再開である。

 

ただ、ムコーダの胸の奥には、あの不思議な声が、いつまでも小さく残っていた。

 

「ムコーダさーん、また来てくださいねー」

 

(……あの声、一体誰なんだろうな)

 

答えの出ないまま、ムコーダは空を見上げた。

 

木漏れ日の向こうに、どこかの世界の学園と、芝生の匂いと、笑顔の少女たちが、ふっと浮かんだ気がした。

 

「また、いつか行けるといいな」

 

そう呟いて、ムコーダは前を向いた。

 

森の道は続く。

美味しい飯と、騒がしい仲間たちと、そして新しい出会いを求めて。

 

――了

 

 


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