ついにエリザさんが再登場!

というわけでエリザさんと1999年の風都探偵とのクロスオーバーです。

1 / 1
風の吹く街

 俺と一緒に、この街の涙を拭おう。

 

 胸に刻みつけられたこの言葉を、俺は生涯忘れることはないだろう。何しろ、おやっさんに助手として認められたときに初めてかけてもらった言葉だ。おやっさんを失った今でも、この言葉は俺の中に息づいている。

 今も、小さな一つの涙を拭ったところだ。

 

「おじちゃんありがとー!」

 

 三毛猫を抱き締めた女の子は、満面の笑顔で俺に言った。

 ズッコケかけるのをかろうじて踏みとどまる。視界の端に、見慣れたかもめビリヤードの看板が映り込んだ。

 苦笑いを浮かべながら、俺は三毛猫の頭を撫でてやった。

 

「お兄さん、な。お前ももう逃げるなよ」

 

 三毛猫は気持ち良さそうに目を細めている。捕まえた時にはシャーをされたが、現金なもんだ。女の子も猫の喉をコチョコチョして、喉を鳴らさせる。続けて頬ずり。ヒゲがくすぐったそうだったが、それが嬉しいのだろう。

 猫から顔を離した女の子は、さながら赤ベコのように大きく頷き、

 

「うん! じゃーね、おじちゃん!」

 

 大きく手を振って走り出した。

 

「おいおい……」

 

 後ろ姿はもう小さくなっている。わざわざ追いかけて訂正するわけにもいかない。

 肩をすくめていると、助手のときめが俺の顔を覗き込んできた。

 

「お疲れ、おじちゃん」

 

 声が楽しそうに弾んでいる。からかわれている事実に苦笑しつつも、踵を返す。彼女も軽やかな足取りで付いてきた。

 事務所へ向かう狭い階段に二人分の足音が反響し、アンサンブルを奏でる。そこにときめが声を重ねてきた。

 

「それにしても翔太郎、本当に猫を見つけるのはうまいね」

 

「猫も、だ」

 

 振り向き、美しい顔を見ながら訂正する。危ない行動ではあるが、ガキの頃から歩き慣れた階段だ。他所見はおろか、たとえ目をつぶっていたとしても踏み外すわけがない。

 

「猫探しもおやっさんに習ったの?」

 

「なんでそんなことを聞くんだよ?」

 

「猫を探している翔太郎の姿と、話に聞いた所長さんのお父さんとじゃイメージがまるで合わないもの」

 

 答えに詰まる。

 猫になりきり、ニャンニャン鳴きながら探す俺のやり方は、確かにハードボイルドのイメージからは程遠い。

 たが、それも当たり前のことではある。

 

「猫探しだけは、別の人のやり方を参考にしたからな」

 

「へえ。どんな人?」

 

 興味深そうに聞いてくるが、俺はまだ答えない。事務所の扉はもう目の前だ。コーヒーでも淹れながら話してやろう。

 そう思っていると、いきなり扉が開いた。

 

「翔太郎くん!」

 

 風圧で乱れた前髪が、耳をつんざくような金切り声で揺れる。

 無意識に足が一歩下がるが、そこに階段は無かった。重心を乗せられた踵は空を切り、体勢が崩れる。

 

「おわっ!?」

 

 鍛えられた反射神経で左右の壁に両手を突っ張る。ときめも背中から支えてくれたおかげで、事務所の階段から転げ落ちるなどという無様をさらさずにすんだ。狭い階段に感謝する日が来るとはな。

 体勢を立て直してからほっと息を吐く。両の足で階段を踏みしめ、揺るぎない大地のありがたみに感謝する。前髪を直しつつ、目を三角にした亜樹子へと向き直った。

 

「亜樹子! 危ねえだろうが!」

 

 だが、俺より頭一つ低い上に中学生と間違えるような童顔ながら、亜樹子は我らが鳴海探偵事務所の所長だ。これしきで怯むはずがない。

 

「ぬわにが危ないよ! また変なもの経費で買って、事務所の財布の方が危ないのよ!」

 

 突き出された彼女の手には多くのレシートや領収書が握られていた。全て見覚えがある。俺が提出したものだ。

 

「変なものじゃねえよ! ハードボイルド小説は男の教科書、立派な必要経費だ」

 

「んなわけ無いでしょうが、このハーフボイルド! この分は翔太郎くんのお給料から引いておくからね!」

 

「なんだと!?」

 

 怒鳴り返すが、亜樹子は般若さながらの表情を向けてくる。彼女の陰からは、苦笑混じりの声が聞こえてきた。

 

「またかい? 翔太郎も懲りないね」

 

 相棒であるフィリップがどんな顔をしているのか、見なくても想像がつく。

 フィリップの声に刺激されたのか、亜樹子の勢いはますますヒートアップしていく。

 

「そもそもこれなんてハードボイルド小説ですらないでしょうが!」

 

 紙の束から1枚のレシートを抜き取り、突きつけてきた。殴られるかと思って、またのけぞりそうになる。

 ってか、近すぎて何のレシートか分からねえよ!

 あらためて確認しようとレシートに手を伸ばす。しかし、亜樹子の後ろからフィリップが先に取り上げた。

 

「名探偵エリー……。推理小説か、確かに翔太郎にしては珍しいチョイスだ」

 

 相棒はレシートを覗き込みながら顎へ手をやっている。興味があるときのいつもの癖だ。

 

「これは違えよ! なんていうか、応援というか……」

 

 この件についてはなんと言えばいいのやら。

 うまい表現が思いつかず、応援という言葉が口をついて出た。

 それがいけなかったようだ。

 

「はあ、応援? 私聞いてない!」

 

「著者は来栖エリザ……。ミステリー作家と翔太郎の間に接点があるとは思えないが……」

 

「翔太郎、ちょっと重いよ? いい加減に事務所へ帰らせてくれない?」

 

 前から後ろから、どいつもこいつもピラニアのように食いついてくる。俺は耳を押さえ、腹の底から声を張り上げた。

 

「あ〜、もう……うるせえ! 全部まとめて話してやるから、そこをどけ!」

 

 * * *

 

 事務所には焦げたような深い香りが漂っている。そろそろ頃合いだろう。俺はコーヒーメーカーを手に取った。

 亜樹子の睨みつけ、フィリップの興味津々の視線は無視して、コーヒーメーカーの中身をカップへと注いでいく。

 俺は目を閉じ、コーヒーの匂いを堪能する。さすがは鈴鳴珈琲の最高品質、まるで俺そのものを表すような深みと苦みを含んだ香りだ。

 今日はなかなか上手く淹れられた……気がする。自信だけなら、白銀のマスターが淹れたコーヒーにだって負けてはいない。

 気取りながら、カップをときめの前に置く。

 せっかくの自信作だが、フィリップと亜樹子は断りやがった。失礼な奴らめ。

 

「ありがとう、翔太郎」

 

 ときめはカップを口元に近づけ、小さな鼻をヒクヒクさせた。続けてカップを傾け、細い喉を上下させる。

 どんな反応をするのか、ときめの表情を横目に見る。眉尻が下がり、コーヒーカップも戻された。

 またダメか……。

 肩を落としている俺に向かって、亜樹子が低い声で言ってきやがった。

 

「さ、話してもらおうかしら?」

 

 目を吊り上げ、例のレシートを印籠のように突き出してくる。

 それはもういいっての。レシートを取り上げ、ポケットにしまう。

 

「僕も興味がある。さあ、話したまえ」

 

 フィリップも本を閉じてまで促してくる。そこまで興味を持つことか?

 俺は小さく息を吐く。

 

「分かったよ」

 

 自信作のコーヒーを口に含む……ときめの舌は正しかった。

 今日はうまくいったと思ったのによ。

 それでも、喉は潤った。

 他愛もない話とはいえ、長くなるからな。

 

 * * *

 

 俺が小学生の頃だったかな。

 アリジゴクの化物に襲われた後、おやっさんに弟子入りを断られた俺は一人で探偵の真似事をしていた。事件を解決したら、認めてもらえるって思ったんだよ。

 その時はルビー連続盗難事件について調べていた。夕暮れ時になると密室からルビーの装飾品が盗まれるという事件で、既に三件もの被害が出ているとニュースで見たんだ。

 で、一人で聞き込みをした俺は次の標的になりそうな家を見つけた。宝石商で、デカいルビーを海外から購入したんだとか。で、話を聞きに行ったんだが、その家――緑川家に門前払いされちまってさ。どうしようかと家の周りをうろついていたら、家が大騒ぎになっていた。飼い猫が逃げ出して、子供が大泣きしていたんだ。

 俺は思った。猫を見つけたら、家に入れるってな。それで、人生初の猫探しにチャレンジしたんだ。

 泣いていた緑川家の子供に声をかけて、一緒に猫を探したんだよ。けど、そうそううまく行くわけがなくてな。

 何しろ、その時の俺は今と違って猫探しの素人。家の周りを探しても影も形も見つからない。せめて目撃情報でもないかと思って今度は人の姿を探すと、近くの電柱の影に女の姿を見つけた。藁にもすがる思いで聞きに行ったよ。

 

「あんた、この猫見かけなかったか!?」

 

 子供に借りた猫の写真を見せる。三十路くらいの地味な女は、ぎょっとした様子で俺を睨みつけてから、立ち去っていった。

 

「何も睨みつけることないだろ……」

 

 他に人の姿はない。家を囲む塀に沿って、もう一廻りする。当てもなく探したところで、見つかるわけもなかったけどな。

 

「お〜い、エクレア〜! 早く出てこいよ……」

 

 猫の名前を呼びながら、俺はだんだん不貞腐れてきた。早く事件を解決して、俺の力を証明したいと焦っていた。

 猫は人間の感情に敏感だ。あのままじゃ一生見つけられなかっただろうな。

 そんな時、後ろから声をかけられたんだ。

 

「ねえ君、何をしているの?」

 

 振り向くと、甘い匂いがしたのをよく覚えている。

 そこにいたのは、蝶の髪飾りを付けた女だった。さっきの女とは違って高校生くらいだったな。俺は女を半目で見ながら、苛立ちもあらわに応えたよ。

 

「見りゃ分かんだろ。猫探しだよ」

 

「猫探し? このお屋敷の猫なの?」

 

 返事もしないで首だけを僅かに動かすと、女は笑顔になった。

 

「それならわたしに任せて!」

 

 胸を張って宣言した女は、一緒に猫探しをしていた子供に声をかけた。そこで猫の写真を見せてもらい、メモを取りながら話を聞いていた。

 

「エクレアちゃんは家猫なのね。外には一度も出たことがないのに、部屋に入ってきた大きな蛾に驚いて窓から飛び出して……」

 

「うん……」

 

 子供はまた泣き出しそうだった。女はしゃがみ込んで子供の肩に手を置き、目線を合わせて微笑みかけていた。

 

「任せて。わたし、キュアット探偵事務所の探偵試験にだって合格したし、猫探しには自信があるのよ?」

 

 子供がこくりと頷く。俺も、女の言葉に食いついた。

 

「探偵試験って、あんた探偵なのか?」

 

「ううん、小説家よ。でも、名探偵と一緒に事件を解決したことだってあるんだから!」

 

 自信ありげに女は立ち上がり、二階の半開きになった窓を見上げた。いつ戻ってきてもいいように、猫が飛び出した窓を開けっ放しにしていたんだ。

 

「まず、室内飼いの猫は普通、遠くには行かないはずよ。しかもエクレアちゃんは外には出たことが無いうえ、虫に逃げ出すくらい臆病な子。きっと今も怯えているわ。だから、近くにいると思うんだけど……」

 

「家の周りにはいなかったぜ」

 

 植込みを覗き込んだ女に対して俺が言うと、うんうんと頷いていた。

 

「そうなのね。あの窓から飛び出したのなら、屋根を伝ってあの塀に降りて……でもこの辺にはいない」

 

 猫の動きをシミュレートして、細い指で追っていく。指が地面を指した辺りで、口元に手を当てた。

 しばらく考え込む様子を見せてから、女はボソッと呟いた。

 

「ここからは猫の気持ちになるしかないわね」

 

「猫の気持ち?」

 

 直後に俺は唖然としたよ。

 何しろ、女がいきなり猫耳と猫しっぽを付けたんだ。

 

「猫の気持ちになって、どこに行ったのか推理するにゃん! エクレアちゃんは塀からこの辺に降りて……」

 

 声もやけにテンションが高かった。

 猫の着地予想地点に立ち、猫ポーズをしながら周囲を見回す。

 すると身体の大きなサビ猫が現れた。エクレアではない。首輪は無かったから多分野良。まさか女を本物と思ったんじゃないだろうが、そいつは毛を逆立てて不審者を威嚇した。

 

「フー!」

 

「にゃっ!?」

 

 女は身体をビクッと震わせ、後ずさった。だが、猫はジリジリと迫って距離を詰めていく。

 

「こ、ここでエクレアちゃんは野良猫に驚いたにゃ……」

 

「シャー!」

 

 野良猫が一際激しく鳴いた。

 

「それで……遠くまで逃げたー!」

 

 女は踵を返して全力で逃げた。大きな声で推理を披露するのはいいんだが、猫耳と猫しっぽを付けたままで、だぞ。ガキの俺もドン引きだったぜ。

 野良猫は満足したのかどこかに行ったが、あの女を放ってはおくわけにはいかない。緑川家の子供と一緒に歩いて追いかけたんだ。

 女が走っていった先には公園があってな。茂みには、荒らされたばかりの跡が残っていた。

 俺達は遠回りして、入口から公園に入った。女がいると思われる方向へ向かって歩いていったんだが、あの時は本当に驚いたよ。

 公園のベンチに座った女がアメショの猫を抱き抱えていたんだ。向こうも俺達に気付いたのか、大きく猫を掲げた。

 

「エクレアちゃんはこの子にゃ〜!?」

 

 猫は赤い首輪をしていた。子供は大きく声を弾ませて、名前を呼んだよ。

 

「エクレア!」

 

 子供の歓喜の声が聞こえたのか、猫はピンとしっぽを立てて鳴いた。

 

「にゃ~」

 

「嘘だろ!?」

 

 信じられないが、あのやり方で本当に猫を見つけたんだよ。

 

 * * *

 

 エクレアを渡した時、子供にルビーを見たいって言ったらママに聞いてくれるってさ。子供が聞きに行っている間、俺はお礼代わりに自動販売機で買ったジュースを女に渡した。

 

「ありがとにゃん」

 

「それ、取れよ……」

 

 言われて初めて気付いたらしい。顔を赤らめながら、女は猫耳と猫しっぽを取ってバッグにしまった。女の持ち物はその小さなハンドバッグだけだったんだが、その中にわざわざあんなものを入れてきたらしい。

 呆れた俺に対して、ベンチに座った女は隣を叩いてきた。俺も座ると、プルタブを空けながら尋ねてきた。

 

「君はブラックコーヒーなの?」

 

「コーヒーはおれの人生の相棒だ。指図は受けねえよ」

 

 おやっさんが言っていた言葉、真似る機会をずっと待っていたんだよ。けど、ガキの頃の俺には苦くて飲めたもんじゃなかったぜ。渋い顔で缶を置いて項垂れたよ。カッコつかねえ……って、まったく成長していないってどういう意味だ!?

 まあ、いい。

 女も笑って、俺はそっぽを向いたんだよ。彼女は慌てて両手を合わせて、謝る仕草をした。

 

「ごめんなさい。そういえば、まだ名前を聞いていなかったわね。聞いてもいい?」

 

「おれは左翔太郎。あんたは?」

 

「わたしは来栖エリザ。小説家っていうのはもう言ったわね」

 

 言いながら女は単行本を名刺とばかりに差し出してきた。著者名は確かに来栖エリザで、タイトルは名探偵エリー。

 

「ふ〜ん、ミステリー作家か。で、小説家がどうして風都に?」

 

 小説を返しながら聞く。文庫くらいならベストのポケットに入るけど、単行本はさすがにな。

 エリーは気分を害した風も無く、単行本をハンドバッグにしまった。

 

「ここで奇妙な事件が起きているって聞いたから。ルビー連続窃盗事件……、あなたも知ってる?」

 

 同じ目的だ。驚きながらも、俺は当然頷く。

 

「知っているのね。わたしのデビュー作は消えた宝石っていうの。縁を感じるじゃない? それに、もし怪盗団ファントムの仕業なら、キュアット探偵事務所のみんなに伝えないとだし」

 

 怪盗団やらなんやら知らない言葉が出てきたが、俺は探偵事務所って言葉に真っ先に反応した。

 

「キュアット探偵事務所? そんなの必要ねえよ。風都にはおやっさんの鳴海探偵事務所があるんだからな!」

 

 そうしたら、エリーは大きな目をキラキラと輝かせながら、身を乗り出してきたよ。

 

「鳴海探偵事務所? この街にも探偵がいるのね! ぜひ話を聞きたいわ!」

 

「すげーカッコいい、男の中の男なんだぜ! おやっさんに会いたいんなら、俺が案内していやるよ」

 

「本当? お願い!」

 

 急に手を握られたもんだから、俺は慌てて手を振り解いて目も逸らしたよ。

 ちょうど、子供が大きく手を振りながらこっちに走ってくるのが見えた。その笑顔が、ママの返事を雄弁に語っていたよ。

 

「そ、それより早く事件の話を聞きに行こうぜ!」

 

 うるせえ! 人が話している時に茶々入れてくんじゃねえよ!

 当然ながら、今度はちゃんと緑川家に歓迎してもらえた。

 

「あなた達がエクレアを見つけてくれたのね。とうもありがとう」

 

 迎えてくれた緑川家の母親は品のいいマダムだった。警備員も二人いたが、チラッと見られただけだった。俺はもちろん、エリーも子供扱いって感じでほとんど警戒していなかった。思い出してみると、エリーはかなり子供っぽかったから、中学生に思われたのかもな。

 

 なんでエリーって呼ぶかって? ガキなりにハードボイルドを気取ってカッコつけてたに決まってんだろ! いちいち笑うな!

 

 そんなわけでルビーのネックレスが保管された小部屋に案内してもらえたんだ。

 人が入れないような小さな窓が一つあるだけの小部屋だ。その中心にガラスケースが置かれていて、人の首元を模した台座へかけられたネックレスが入っていたんだ。

 

「すげ〜、でっけ〜!」

 

 金のネックレスにはめ込まれた赤い石は、俺の親指程もあったよ。

 あんなデカい宝石を見たのは初めてだった。もともと宝石に興味なんて無かったのに、本物は違うよな。興奮して、ついガラスケースにへばりついちまったぜ。警備員にもさすがに引き剥がされたよ。

 マダムは笑いながら、俺達に説明してくれた。

 

「海外のブローカーから購入したものだけど、あなた達は幸運よ。明日には店の金庫に保管するから、見せられるのは今日だけなの」

 

 エリーがメモ帳を片手に聞いていた。なんでもしっかりと記録しようとする辺り、さすがは小説家だよなと感心したよ。

 

「そうなんですね。でも、なんで今日から入れなかったんですか?」

 

「主人が急な仕事で地方に行ってしまったのよ。金庫を開けられるのは主人しかいなかったから」

 

「だから、今日の間だけ警備員を雇ったんですね。でも、こんな小さな部屋に警備員を二人も?」

 

「警備員は部屋の外よ。出入口はこの扉だけだもの」

 

 実際、この小さな部屋はもともと倉庫として使われていたんだろう。マダムと俺達の三人が入っただけでかなり窮屈だった。警備員も俺を引き剥がしてからは部屋の外で待機していた。

 

「そうですね。あんな小さな窓じゃ翔太郎くんだって……あれ?」

 

 エリーが急に俺の顔を覗き込んだ。ずいと近づいてきたもんで、反射的にのけぞった。

 

「なんだよ?」

 

「翔太郎くん、顔がなんかキラキラして……粉みたいなのが付いているわ。拭いてあげる」

 

「いや、いいって……。自分でやるから」

 

 袖口で顔を拭こうとしたんだけど、エリーの動きは早かった。片手で俺の顔を押さえて、ハンカチで顔を拭いたんだ。

 

「袖口でなんてダメよ。身だしなみはきちんとしなきゃ」

 

 マダムに微笑ましいものを見る目を向けられて、恥ずかしいったらなかったな。仲の良い姉弟ね、とか言われたよ。

 ……好きに笑ってろ。

 話は先に進めるからな。

 

 * * *

 

 ルビーを見せてもらった後は高価なお茶とお菓子をご馳走になって……、美味いカステラだった。で、家を出たらエリーを鳴海探偵事務所へ連れて行ったんだ。

 何しろ、堂々とおやっさんのところへ行く口実ができたんだ。意気揚々と向かったよ。

 エリーは事務所の外観に釘付けになっていたよ。

 

「ここが鳴海探偵事務所……。キュアット探偵事務所とは随分違うのね。なんていうか……雰囲気があるわ」

 

「キュアット探偵事務所ってどんなところなんだ?」

 

「素敵なところよ。プリティホリックっていうコスメショップもやっているの」

 

「コスメショップ? ……ハードボイルドじゃねえな」

 

「ハードボイルド?」

 

 自慢のおやっさんのことだからな。ここぞとばかりに胸を張ったぜ。

 

「何事にも揺らぐことのない、男の中の男だ。おやっさんを見ればエリーにだって分かるぜ」

 

 階段を駆け上り、鳴海探偵事務所をノックする。少し待つと扉が開き、おやっさんが渋い顔を見せた。

 

「翔太郎、助手にはしねえって何度言や分かるんだ?」

 

「そうじゃねえよ! 今日は依頼人を連れてきたんだ!」

 

「依頼人?」

 

 おやっさんは俺の後ろにいたエリーへと顔を向ける。彼女は緊張した面持ちで、ぺこりと頭を下げた。

 

 * * *

 

 事務所に招き入れられた俺達へ、おやっさんはコーヒーを振る舞ってくれた。カップに口を付けたエリーは顔をしかめたけどな。で、彼女は一緒にルビー連続窃盗事件を解決してほしいって話を始めた。

 最後まで聞いてから、おやっさんは小さく首を振った。

 

「小説のネタ探しか。悪いが力にはなれん。まことみらい市に帰って、キュアット探偵事務所に行くんだな」

 

 おやっさんの返事を聞いたエリーは目を丸くしていたな。

 

「どうしてまことみらい市から来たって? それにキュアット探偵事務所のことも……」

 

「同業だ。キュアット探偵事務所が活動再開したのは知っている。それに、嬢ちゃんが使っているのはキュアット探偵事務所が発売したコスメショップ、プリティホリックのものだろう?」

 

 さすがおやっさん、すごい知識と洞察力だぜ。

 エリーも大きな目をキラキラと輝かせていたよ。

 

「翔太郎くんの言う通り名探偵なんですね!」

 

 エリーは鼻息も荒く、身を乗り出したよ。ペンとメモも構えてな。おやっさんは額に手を当てて、呆れたように天を仰いでいたよ。

 

「ルビー連続窃盗事件、ぜひ一緒に調べてください! わたしもキュアット探偵事務所の探偵と一緒に事件を解決したこともあるし、探偵試験にも合格したんです! 足手まといにはなりませんから!」

 

「おれからも頼むよ、おやっさん。一緒に泥棒を捕まえようぜ!」

 

 俺達の熱意は半端なかったよ。それでも、おやっさんはすげなく首を横に振る。

 

「それは警察の仕事だ」

 

 それでもエリーは諦めなかった。ほとんど立ち上がって、おやっさんに詰め寄った。

 

「名探偵なら怪盗と対決しましょうよ! キュアット探偵事務所だって、怪盗団ファントムから何度も盗まれたものを取り返していましたよ!」

 

 おやっさん相手にあの押しの強さは、正直尊敬ものだったぜ。なんか親近感が湧いちまったよ。

 

「うちはそういう探偵じゃない。それで、ルビーのネックレスだったか?」

 

「ああ! すげえ大きくてキレイだったぜ!」

 

「明日には金庫に入れられるって言っていました。だから見られるのは今日だけだって……」

 

 その瞬間、おやっさんの目つきが鋭くなった。部屋の温度が下がったように感じたよ。

 

「……他に何か変わったことは?」

 

 声のトーンも一段低くなった。今にして思えば、既に何かを感じ取っていたんだろうな。

 気圧された俺は、何も答えられなかったよ。

 

「いや、別に……」

 

「そういえば、翔太郎くんの顔に何か付いていたわね」

 

「翔太郎に?」

 

 鋭い眼光が俺に向けられ、緊張に背筋を伸ばした。続いてエリーも見据えられたが、彼女は臆することなく、落ち着いて応えたよ。

 

「はい。翔太郎くんがガラスケースにへばりついた後、顔に粉みたいなものが付いたんです」

 

「言うなよ……」

 

 恥ずかしくて顔が真っ赤になるのを感じたよ。けど、おやっさんはもう俺のことなんて見ていなかった。

 

「どんな粉だった?」

 

「どんなって、すごく細かくてキラキラしていて……。そうだ!」

 

 エリーはすぐにハンカチを取り出し、拡げてみせた。あの粉が残っていたみたいで、まだキラキラしていた。

 

「このハンカチで翔太郎くんの顔を拭ったんです」

 

「見せてくれ」

 

 素直にエリーはハンカチを渡した。おやっさんはレースのハンカチを丹念に調べた。僅かに落ちてきた粉を手のひらに載せ、指に付け、光に透かす。つぶさに観察していくうちに、目を細めた。

 

「助かった。返すぜ」

 

 おやっさんは丁寧にハンカチを畳んで返した。俺はおろか、受け取ったエリーも頭にハテナマークを浮かべていたよ。

 

「何かあったんですか?」

 

「悪いが野暮用だ」

 

 言うなり、おやっさんは立ち上がった。

 

「何か分かったんですか?」

 

 エリーの声も聞こえていない様子だった。おやっさんは俺達に背を向け、クロークに架けられていた白い帽子を手に取る。

 帽子を被ったおやっさんは、眼光鋭く告げてきた。

 

「出ていけ。今日はまっすぐに家へ帰るんだ」

 

 有無を言わさぬ迫力に、思わず頷いちまったよ。

 

 * * *

 

 俺達を追い出した後、おやっさんも事務所を出た。扉に鍵をかけてから、おやっさんは無言で赤い夕焼けの中へ消えていった。

 取り残された俺とエリーは、なんとなく顔を見合わせた。 

 

「今日は帰るのか?」

 

「そうね。でも、エクレアちゃんの様子を見てからにしようかな」

 

「なら、俺がエスコートしてやるよ」

 

 おやっさんを真似たつもりで気取って言ったんだけどな。またエリーに笑われたよ。

 

 緑川の屋敷へ向かう途中は、お互い知っている名探偵の話をしていたよ。おやっさんの話をできる相手なんて真里奈くらいしかいなかったからな。ついついはしゃいじまった。

 

「どうだ! おやっさん、ハードボイルドでカッコよかっただろ!」

 

「そうね。でも、キュアット探偵事務所の二人もとっても可愛いのよ」

 

「そっちの名探偵は二人なのか。おやっさんもおれを助手にしてくれれば、いいパートナーになれるのになあ」

 

 今にして思えば、とんでもない地雷発言だよな。この場におやっさんがいなくてよかったぜ。

 そんな無知な俺に、エリーは笑顔で言ったよ。

 

「なら、私の助手になって一緒に探偵やってみない? 私、探偵にも憧れていたのよ」

 

「やんねえよ! 俺はおやっさんのもとでハードボイルドな探偵になるって決めたんだ!」

 

「冗談よ。でも、パートナーにいてくれたら、私もあの子達みたいな名探偵になれたかもって思っちゃうのよね」

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎるもんなんだよな。塀越しに緑川家の屋敷が見えた、その時に気づいたんだ。

 

「なんだ?」

 

 開け放たれた屋敷の窓から、何かが出てきたのを。ふわふわと浮遊したそれは、夕陽を反射してきらりと光った。

 

「見て!」

 

 エリーが指差したのは、さっきみたばかりの大きなルビーのネックレスだ。大きな蛾が、ネックレスのチェーンを掴んで飛んでいたんだ。

 

「なんだ、あの蛾?」

 

 見たこともないほどに大きな蛾だった。とはいえ、蛾があんなものを持って飛べるなんて聞いたことがない。

 

「捕まえようぜ!」

 

「待って!」

 

 駆け出そうとした俺の襟首をエリーが掴んで止めた。息が詰まって、彼女の大きな目を睨みつける。

 

「何すんだよ!」

 

「このまま追いかけるの。もしルビー連続窃盗事件の犯人なら、他のルビーも見つかるかも」

 

「そ、そうか……」

 

 二人で物陰に隠れながら、蛾を追いかけた。

 ネックレスなんて重いものを下げていたせいだろうな。あまり高くは飛んでいなかった。

 それでも気を抜いたら見失ってしまう。少し離れたところで、俺は後ろへ声をかけた。

 

「エリー、見失っちまうぞ」

 

「ごめんなさい」

 

 地面に指を這わせていたエリーはすぐに駆け寄って来た。

 蛾から目を離さないままで聞いたよ。

 

「何をしていたんだ?」

 

「地面にこれが落ちていたのよ」

 

 歩きながら、指を見せてきた。白い指にキラキラと光る粉が付いている。

 

「粉?」

 

「そう。翔太郎くんの顔に付いていたのと同じだと思う。蛾の鱗粉みたいね」

 

「それがあったってことは……、蛾が下見をしていたってことか?」

 

 エリーは黙って頷いた。

 下見なんてする知能まであるとか、何者かに操られているとしか思えなかった。

 お前達なら、もう分かるだろ?

 

 すっかり辺りも暗くなった。まったく人気のない、街外れの寂れた倉庫街まできて、俺達の追跡もようやく終わりを迎えた。その中の一つの倉庫へと蛾が入っていく。

 俺とエリーは頷き合って、倉庫の中を覗き込んだ。

 

「ひ……」

 

 エリーの小さな悲鳴が漏れた。中にいたのは、ライトのように頭が光っている怪物ーードーパントだった。誘蛾灯、バグザッパードーパントだって分かったのはずっと後のことだ。

 彼女は怯えていたけど、俺はまだ少しは落ち着いていた。この時点でもう二回、ドーパントに遭遇していたからな。

 

「エリー、あれ見ろよ」

 

 俺は奥の方にある机の上を指差した。いくつも積み上げられた赤い宝石が、バグザッパードーパントの光を反射して輝いている。

 

「あれ……盗まれたルビーね」

 

 彼女はごくりと唾を飲み込んでいた。そして思い出したようにバッグへ手を突っ込んだ。

 

「そ、そうだ。警察に通報を……」

 

 携帯電話を取り出し、震える指でボタンを押していく。

 が、手から携帯電話が落ちた。

 

「え、何!?」

 

 大きな蛾が体当たりしてきたらしい。地面の携帯電話には鱗粉が付いていた。いつの間にか、何十匹もの蛾に取り囲まれていた。

 あまりに異様な光景に、呆然と立ち尽くしたよ。エリーも震えてはいたが、俺の前に出て、

 

「来ないで、来ないでー!」

 

 悲鳴を上げながら、バッグを振り回した。単行本が入っているバッグはそれなりの重さだ。目を固く瞑っていたけど、何匹かの蛾が巻き込まれて潰される。それでも蛾の包囲網は揺るがなかった。

 肩を大きく上下させながらも、エリーは大きくバッグを振りかぶった。だが、彼女の手からバッグが消えた。彼女が恐る恐る瞼を開き、顔を上げたところで、バグザッパードーパントの恐ろしい貌が目に入ったんだろうな。

 エリーは口を開けたまま、声にならない空気を吐き出した。

 

「あ、ああ……」

 

「わたしの可愛い蛾をよくも殺してくれたわね?」

 

 バグザッパードーパントがバッグを遠くへ投げ捨ててしまった。

 得物を失ってしまったエリーは、俺に抱きついてきた。もはや、エリーの震えか俺自身の震えなのかすらも分からなくなった。細い指先が俺の肩に食い込んで、痛かったよ。けど、それが俺の意識を戻してくれた。

 俺はすぐにエリーの腕を掴んで、腹の底から叫んだ。

 

「逃げるぞ!」

 

 手を引くと、エリーもすぐに脚を動かしてくれた。バグザッパードーパントの脇をすり抜け、蛾の壁も突き抜けた。無我夢中で廃倉庫から出たが、また目の前に蛾が集まって壁になった。一瞬、足が止まる。

 

「こっち!」

 

 今度はエリーが俺の手を引いてくれた。蛾の壁は横が空いていたんだ。そうやって、何度も逃げた。

 誘導されていたんだ。

 無茶な走り方で息も切れ、脚も動かなくなる。気が付くと、俺達は三方を壁に囲まれた行き止まりに追い込まれていた。

 

「何、ここ……」

 

 思わず鼻を押さえたよ。むせかえるような、甘く濃密な花の香りだ。しかも、ほんの僅か腐臭まで混じっていて、呼吸もしづらかった。

 足元をよく見れば、見たこともない白い花が咲き乱れていた。

 こんな不気味な花畑、すぐにでも逃げ出そうとしたよ。だが、開いた方向からは大量の蛾を引き連れた女が歩いてきた。緑川家の近くで俺を睨みつけてきた女だった。その手には、ガイアメモリが握られていたよ。

 

「甘い匂いに誘われて、養分になりに来たのね」

 

 ヒトの姿のままであっても、恐ろしさは微塵も変わらなかった。

 女に睨みつけられ、背筋を冷たいものが走る。エリーもまた俺の肩にしがみついた。へっぴり腰で、歯が鳴る音まで聞こえてきそうなほどに震えていた。

 肩に痛みを感じながら、声を振り絞る。

 

「お、お前……なんでこんなことをするんだ!」

 

「私は蛾を操ることができるけど、今は夜だけ。けど、ルビーの輝きを使えば昼間でも操れるようになる。そうすれば、この街は私の思いのまま……神にだってなれるのよ」

 

 俺は何も言えなくなった。完全に正気を失っていた……メモリの毒素に負けていたんだ。

 するとエリーが俺を押しのけて前に出た。へっぴり腰のまま、今にも泣きそうな声で。

 

「わ、分かったわ……。でも、この子はまだ子供なの。逃してあげて……」

 

「おい、何言ってんだよ! 女を見捨てるなんてできるわけないだろ!」

 

 俺は掴みかかったよ。けど、エリーは首を横に振った。

 

「翔太郎くんはまだ子供よ」

 

「エリーだって子供だろ!」

 

 お互いに引くことなく言い争う。エリーがまた口を開こうとした瞬間、

 

『バグザッパー!』

 

 不気味な電子音が響いた。女の姿が再びバグザッパードーパントへと変貌し、エリーが眼前から消えた。声を上げる間もなく、俺の身体も花畑へと投げ出される。

 

「うるさいわね。安心なさい、二人仲良く、畑に撒いてあげるわ」

 

 痛む腕を押さえて上体を起こすと、横たわったエリーに近づく怪物が見えた。

 俺は痛みも忘れ、その脚にしがみついたよ。

 

「このバケモノ! ……エリーから離れろ!」

 

 バグザッパードーパントは脚を跳ね上げ、俺を蹴り飛ばした。花畑の上を転がり、塀に背中から叩きつけられる。蹴られた腹だけじゃない、全身がバラバラになりそうだった。

 

「そんなに死にたいのなら、あんたから撒いてやるわ」

 

 花を踏みにじる音が近づいてきた。もう、顔を上げる力も残っていなかった。エリーの悲痛な叫びが耳に残った。

 

「ダメ……翔太郎くん!」

 

 意識を失う瞬間、かすかにバイクの爆音が聞こえた気がした。

 

 * * *

 

 どれだけの時間が経ったかは分からなかった。身体中がミシミシと痛む中、俺は顔に冷たいものを感じた。ゆっくりと瞼を開けると、エリーの大きな瞳が目に入った。

 

「気が付いたの!? よかった……」

 

 彼女の瞳は揺れていて、今にも涙が溢れそうになっていた。それがくしゃってなった。俺もつられて頬が緩んだよ。

 で、気付いたんだ。随分と柔らかい枕だな……って!?

 

「う、うわあぁ!?」

 

 彼女の膝から慌てて頭を上げた。濡れたハンカチが落ちて、俺の顔を覗き込んでいたエリーの額に俺の額がぶつかってな。

 目の中で星が散ったよ。

 

「いった〜。何するのよ〜」

 

「わ、悪かったよ……」

 

 お互いにうんうん唸りながら額を押さえていたら、なんかおかしくなってきたよ。

 二人で顔を見合わせて、声を出して笑ったよ。

 少し前まで、命の危機だったのが嘘みたいにな。

 辺りは真っ暗だったけど、俺達のいるベンチは街灯で照らされていた。

 

「エリー、さっきの化け物は?」

 

「大丈夫よ。もう現れないって」

 

 大きな目が倉庫街の方に向けられる。地平線が僅かにオレンジ色に光っていた。

 

「怪我とかは?」

 

「う〜ん、今のでコブができたかも」

 

 そう言って、また笑った。けど、声には震えが混じっていた。

 笑いを止めたエリーは、ベンチから立ち上がった。肩に提げたバッグは、鱗粉や虫の体液で汚れたままだ。

 

「翔太郎くんが起きてよかった。今からなら、まことみらい市に帰れるわ」

 

 その途端、胸にぽっかりと穴が空いたような気分になった。短い時間だったにもかかわらず、やたらと濃い時間を過ごしたからな。

 

「そうか……。今回のこと、小説にするのか?」

 

 俺が聞くと、エリーは視線を泳がせた。肩が震えているのは、街灯のせいじゃなかった。

 

「今すぐには書けないわ。この街にも来ないつもり。でも、いずれは……」

 

「いずれって?」

 

 彼女は言葉を探すように目を伏せた。古い街灯の灯りが僅かに消え、再び点灯したところで顔を上げた。

 

「そうね。翔太郎くんが鳴海探偵事務所で立派な探偵になったら……っていうのはどうかな?」

 

 無理をしたような笑顔だ。俺も作り笑いを返すのが精一杯だったよ。

 

「あ、ああ。おれ、絶対にハードボイルドな探偵になってみせるからな。その時はカッコよく描いてくれよ!」

 

「任せて。それじゃあ……、またね!」

 

 大きく手を振ってから、エリーは夜の闇に消えていった。

 遠くの方から、消防車のサイレンが聞こえてきた。

 

 * * *

 

「結局、ルビー連続窃盗事件の犯人が捕まることはなかった。だが、盗まれたルビーは後日、警察に届けられたらしい」

 

「バグザッパードーパントを鳴海荘吉が倒してルビーも返したってことかい?」

 

 頷き、カップを口に運ぶ。

 思った以上に長い話になった。喉もカラカラだ。それにしてもこのコーヒー、随分温かいな。香りもさっきより良くなっているが、カップの中で熟成されることなんてあるのか?

 中身をすすってみれば、最高品質の豆の味が口の中で弾けた。

 俺もいつの間にか上達したんだな……って、そんなわけあるか! この味は……!?

 慌てて顔を上げる。真っ赤なレザーで身を包んだ男が目に入った。

 

「照井!?」

 

 風都署の刑事にして亜樹子の夫、そしてこの街を守るもう一人の仮面ライダーだ。

 

「なかなか面白い話を聞かせてもらった礼だ」

 

 照井はコーヒーメーカーを掲げてみせた。あの野郎……。

 

「お前、いつの間に……。ってか、勝手に使ってんじゃねえよ!」

 

「私が許可したに決まってんでしょ! 竜君、どうしたの?」

 

 いつも思うが、俺と照井とでは態度が違い過ぎるな。亜樹子に対しては、照井も心なしか声が優しい。

 

「フィリップに調べて欲しいことがあってな。あと左に届け物だ」

 

 デスクに小包が置かれた。事務所の郵便受けに入っていたのか。

 小包に手を伸ばそうとしたところでときめが聞いてきた。

 

「エリザさんとはまた会ったの?」

 

「いや……。エリーと再会することは無かった。あの後は風都には来なかったようだ」

 

「ふ〜ん。猫探しはエリザさんのやり方を真似たのね」

 

「ああ。あのやり方がよほど俺に合っていたらしい」

 

 小包を持ち上げる。そこそこ重いな。誰からだ?

 視線を落とそうとしたところで、今度はフィリップの声。

 

「それで感謝の意を込めて応援というわけか。彼女の本は読んだのかい?」

 

 顔を上げる。が、気まずい返事になるので目は逸らした。

 

「いや……、買ったきりだ……」

 

「何それ! 買ったんならちゃんと読みなさいよ!」

 

 今度は亜樹子だ。照井と話しているんじゃなかったのかよ。

 無視してようやく送り状の差出人欄に視線を走らせる。

 来栖エリザ。

 

「エリー!?」

 

 俺の大声にみんなの視線が集中した。構わず、小包を破る。

 出てきたのは俺が買ったのと同じ単行本、名探偵エリー〜風の吹く街〜。

 ただ、違う点もあった。

 中のページに直筆のサインがされている。

 そして、サインの下にはこう綴られていた。

 

『街の涙を拭う探偵さん、近いうちにまた風都を案内してね エリーより』

 

 頬が緩む。騒ぎ出した仲間達に対して、俺は再び腹の底から声を張り上げることになった。

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。