SAO~デスゲーム/リスタート~   作:マグロ鉱脈

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今回は2話同時投稿です。

まずは 上 からどうぞ。





Episode21-18 セイヤ ノ キセキ 下

 12月24日午後1時22分、終わりつつある街外のフィールドにて。

 雪原を歩む。何もない、モンスターさえも出現しない、白い世界を歩き続ける。

 クリスマス期間中は専用イベントがあるとはいえ、それは終わりつつある街とせいぜいが周辺フィールドに限定される。街から遠く離れてしまえれば、何もない真っ白な大地が続くばかりである。

 

「エイジちゃ~ん! オレ様にはふかふかの体毛があるとはいえ、この寒さは堪えるぜ! 早く温かい暖炉でメシにし~よ~う~ぜ~?」

 

「少し黙れ」

 

「いいや! 黙らないね! オレ様が黙ってたらエイジちゃんは黙々スパイラルに入っちまうからな!」

 

 さすがはノイジス。名前の理由は伊達ではない。まさしく騒音だ。エイジは素直にノイジスを意識から追い出そうとするが、視界の端どころかど真ん中に平然と居座られては無視も出来ない。

 幼体形態から元に戻ったのは構わない。だが、飛べるようになったらなったで鬱陶しい事この上ない。エイジはなるべく足下を見て前に進もうとするが、ノイジスは寒い寒い言いながらも雪に着地して見上げてくる。

 

「オレ様がこうして場を明るくしてやらないと、エイジちゃんはすぐに暗い顔をしやがる。そんなんじゃムライの旦那も仏師殿も報われないぜ」

 

「……2人の名前を出すな。卑怯だぞ」

 

「卑怯だと思うなら笑えよ、エイジちゃん。聞いたぜ! 人間の世ではクリスマスっていうお祭りらしいじゃねーか! 祭りの日くらいパーッと明るくいこうぜ!」

 

 僕がどんな顔をしていようと、ムライも仏師殿も気にしないさ。エイジは2人の後ろ姿を思い出す。

 だが、湧くべき感情は全て憎しみに塗り潰され、故にエイジの歩みは荒々しさを増す。

 

「しゅわしゅわのビール! 熱々の鉄板にのった分厚いベーコン! 真冬にこそ食べるアイスクリーム! 他にもオレ様が知らない食べ物が待ってるんだ! こんな何もない平原なんて、明日に回しちまえばいいじゃねーか! もう半日以上も迷い歩いてるんだからさ!」

 

「……うるさい。黙れ。焼き鳥にするぞ?」

 

「は? エイジちゃん、今、オレ様に、喧嘩売った? 売ったよな!? オレ様は鳥じゃねーんだよ! 竜なんだよ! 古竜様なんだよ! こんなナリになっちまってもなぁあああああ!」

 

 ノイジスの地雷を踏んでしまい、後頭部を嘴で突かれ、爪を立てられる。クリスマス期間でなければ、エイジは頭から血達磨になっていただろう。

 3本杉から西へ。そこから白い大岩から見て7時の方角。崖に着いたら反転してひたすら直進。そうして辿り着いた林で赤枝の枯木より北に進んだ先。

 ようやく辿り着いた。凍り付いた沼地にて、エイジはようやく待ち人の……ライドウの背中を捉える。

 

 

 

 

 

「ようやく来ましたね! ですが、私は気にしません! 待つのは騎士の仕事ですから!」

 

 

 

 

 

 違った。エイジは即座に反転して全力ダッシュをしようとするも、何故か赤褌1枚のグローリーに回り込まれてしまう。

 

「ライドウに頼まれて待つこと40時間! 貴方の待ち人とは……そう! この私! 騎士の中の騎士! グローリーです!」

 

「いいえ、人違いだと思います。では」

 

 ライドウとグローリー。どっちかと72時間行動を共にしろと命じられたならば、エイジア迷わずライドウを選ぶ。その程度にはグローリーという存在は精神を崩壊させるに足る。

 

「エイジくん、気持ちは分かります。私として褌1枚で極寒の中で待ち続けるなど……うぅ! 苦行でした! ですが、私は貴方が来ると信じて待ったのです! 騎士として! 騎 士 と し て ! 騎 士 と し て !」

 

[おい、エイジちゃん。オレ様のぷりてぃでジーニアスな頭でも、まったく騎士要素が見出せないんだが? 特に褌1枚で待つ意味が]

 

[安心しろ。僕もだ]

 

 心が1つになったエイジとノイジスに対し、グローリーはシステムウインドウを開く。ようやく服を着るのかと思えば、どうやらメッセージを作成しているようだった。

 

「どなたかに連絡を?」

 

「ええ、ライドウに。街の水着フラメンコ褐色ガールズパブにいるから、貴方が到着したら連絡して欲しいと」

 

「…………」

 

 最初から街にいるなら、待ち合わせはそこでいいだろ……! 叫びたい衝動をエイジは堪える。そもそもグローリーを40時間も無人の凍った沼で待たせる意味は何なのか!?

 たっぷり2時間後、もうすぐクリスマスも日暮れという時に、ライドウは姿を現す。いつもと変わらぬ、便所サンダルと『太陽万歳!』とプリントされた謎シャツ姿だ。

 

「グロや~ん! ごめーん! まさか雑魚くんがこんなにも時間にルーズだと思わなくってさー」

 

「……何度も『詳しい所在地を教えてください』とメールを飛ばした」

 

「なんと! それはいけませんね! いいですか、エイジくん!? 時間厳守! それが騎士の基本です!」

 

「色々言いたいが、そもそも騎士じゃない」

 

[エイジちゃんが……エイジちゃんが丁寧にツッコミを!? コイツら何なんだ!?]

 

 驚愕するノイジスであるが、エイジからすれば疲労が蓄積するだけだ。勝手に時間ルーズの駄目人間として認定されて非難されるのも聞き流す。

 

「グロやんを呼んだのはさ~、俺の目だとどうしても公平に見れないからなんだよね。先入観って奴? それに俺基準だと雑魚くんの今の実力がどれくらいか分からないしさ」

 

 凍った沼地の上に立ったライドウは手招きする。心配するノイジスを残し、エイジもまた氷上に立つ。

 

[ノイジス、手を出すな。お前の情報をライドウに渡したくない]

 

[マジかよ。エイジちゃん、分かってんのか? こ、コイツ……間違いなく怨嗟の鬼を超えてやがる……!]

 

 当たり前だ。強い。強いに決まっている。無名の剣士よりも、怨嗟の鬼よりも、遙かに強い。

 だが、怨嗟の鬼ではなく『仏師』ならば、ライドウに届く『牙』を持っていた。エイジにはそれだけの確信がある。

 牙の長さでも、多さでも、鋭さでもない。求められるのは『殺しきれる』か否か。

 たとえ絶対強者であろうとも、牙が届く隙間さえあれば、深海の底まで引きずり込んで殺す。それが出来るまで、何度でも噛みつくのだ。

 

(想像以上に薄いが、体重をかけたくらいで割れないな)

 

 氷上に立ったエイジは深呼吸もせず、だらりと木剣を片手で持ってぶら下げる。

 

「テストか。だったら、クリスマス期間の後が――」

 

「それだと殺しちゃうかもしれないじゃーん♪」

 

「どちらの意味で?」

 

 不合格として? それとも戦うに値すると判断して? エイジの質問の意味を正しく理解してくれたか否か、ライドウは返答せずに左足だけで立つ。

 ダーインスレイヴは破損している。故にか、グローリーはエイジに木剣を投げ渡す。対するライドウは防具すら身につけていない、武器無装備の無手だ。しかも右手しか使わないと示すように左手は拳を握った後ろ腰に押しつける。

 

「それじゃあ、とりあえず俺に両足をつけ――」

 

 踏み込みと同時に僅かな亀裂へと木剣の先端を突き刺し、瞬く炎の武器でエンチャントを施して溶解させながら斬り上げる。亀裂は拡大し、氷の破片と冷水が巻き上げられ、ライドウを襲う。

 

「うひょう! いきなりフィールド破壊なんてや――」

 

 大きくライドウが跳んで回避する。彼が生み出す影に連れ添うようにして音もなく移動したエイジは着地点を狙うのではなく、空中にいるライドウを狙う。

 鬼火の剣・【背剣影法師】。本来ならば瑠璃火で相手の視界を奪い、瑠璃火の噴出を足場にして音もなく加速し、後退した相手の背後を取る鬼火の剣だ。エイジはそれをフィールド破壊と氷の足場で再現し、ライドウの背後を取ったのである。

 だが、そこからの一撃を許すライドウではない。振るわれた木剣をあっさりと裏拳で逸らさんとする。

 それこそが狙い。エイジは敢えて裏拳に当たりにいって吹き飛ばされ、同時に隠し持った鉤縄を放る。身を捩って回避しようとしたエイジであるが、鉤縄はエイジの手元で繊細に操作され、まるで生きた蛇のように鉤爪をライドウのシャツに引っかける。

 先に着地したエイジはそのまま叩き付けようとするが、ライドウは縄を蹴って弛ませる。

 

「はは、やるじゃーん! でも、まだま――」

 

 ライドウの着地と同時に、彼の足下が『爆ぜる』。

 終わりつつある街で買っておいた、祭り用の爆竹だ。対モンスターどころか対人にすら効果がない、小さな火花と煙と少しばかり大きめの音が鳴るだけだ。

 ただし、終わりつつある街は積雪している。故に『耐水性』を持たせてある爆竹だ。最初の攻撃の時点でエイジは爆竹をばら撒いていたのだ。

 氷の中に埋もれていた爆竹が次々に音を立てる。ライドウは攻撃効果がない爆竹ではなく、威力を備えた爆弾と勘違いしたのか、咄嗟に防御行動を取り、その間に鉤縄を引っ張る。

 

「両足……ついたな」

 

 そして、エイジに引っ張られないように踏ん張るべく、ライドウは右足をつく。

 

「……やるじゃん」

 

 シャツに引っかかった鉤縄を、ライドウは左手で外した。

 ここからは右手も左手も両足も使う。ライドウはまるで蛇のように地面を這い、瞬く間にエイジの真下を取り、突如として地面から柱が生えたかのように蹴りを穿つ。

 紫色のエフェクトが散る。エイジの顎先を掠めた蹴りは、攻撃不能のエフェクトを示す。クリスマスでなければ、顎の肉が削がれかなかった鋭い蹴りだ。

 エイジが体勢を整えるより先に、足下の氷が砕け散るほどの踏み込みから全体重を乗せ、STRエネルギーを存分に伝達させた右肘打が放たれる。

 腹に炸裂したエイジは巨大な紫のエフェクトを爆ぜさせながら沼地の外に吹き飛ばされる。

 拳法? いいや、そんな次元ではない。ひたすらに対人殺傷だけを追い求めた先で『人間を超越した身体能力』を前提として編み出された破壊の格闘術だ。

 追撃してきたライドウは林の木々を蹴って飛び回る。図抜けた身体操作であり、これ程の3次元機動を相手にすれば、多くのプレイヤーは為す術がないだろう。

 だが、エイジは違う。蠱毒の穴で……菩薩谷で、1つ間違えれば落下死する谷間を、来る日も来る日も跳び続けた。鉤縄を枝に引っかけて舞い上がり、ライドウの動きを捉える。規則性はない。だが、攻撃を仕掛けるならばルートは限られる。

 いいや、違う! エイジは咄嗟に見もせずに木剣で頸椎を保護する。強烈な衝撃が木剣の破片を飛び散らせる。音もなく木々にぶつかって反射していた鉄球だ。

 あのライドウがわざわざ空中戦を許すはずがない。ならば誘いだ。狙いは何処か? 分からない。ならば首から背中にかけて木剣でガードするのが最適解だ。

 凌いだエイジに、ライドウは無表情だ。ガードで体勢が崩れたエイジに接近して掌底を穿つ。

 だが、これをエイジは木剣で弾く。この程度の手抜きの掌底は孤影衆には……忌み手には及ばない! 空中で攻撃を弾かれ、体幹を揺さぶられたライドウの額に木剣を振り下ろす。

 ライドウは拳同士を打ち合わせるように白刃取りをする。木剣はライドウの拳に耐えきれずに、伝播した衝撃で爆散する。だが、エイジは残った木剣の鋭い柄を握りしめ、ライドウに鉤縄を……いいや、縄を巻き付け、逃がさないように落下する。

 

「おぁああああああああああああああああああああ!」

 

 気付けば吼えていた。舞い上がる雪の中で転げ、エイジはライドウに馬乗りになると首に木剣の柄を突きつけ、だがライドウの右拳はエイジの胸を捉えていた。

 

 

 

 

 

「【虎砲】」

 

 

 

 

 

 

 初めて……初めてライドウが技の名を口にした。

 ソードスキルではない。能力の名前でもない。ライドウ自身が会得した『武技』の名だ。突き抜けた衝撃は紫のエフェクトと反動に変換され、エイジの体は軽く20メートルは舞い上げられる。

 直感する。本来ならば伝播した破壊エネルギーは打撃属性の拳でありながら、ダメージ到達深度を際限なく潜り、心臓を通過し、背中から突き抜けていただろう。ソードスキルでもない『ただの打撃』によって致死に至りかねないダメージを負っていたはずだ。

 必要だったのは打点のずらし、破壊力の浸透を防ぐ事だ。そうすれば威力を大きく削ぎ、せいぜいが『強力な打撃』で済ますことが出来たはずだ。

 空中で受け身を取り、片膝をつきながら着地したエイジに、ライドウは凶暴に嬉々と牙を剥き、右手の五指を開いて突進する。それに対してエイジは折れた木剣の柄を逆手に構え、突進攻撃に備える。

 

 

「そこまで!」

 

 

 だが、ライドウはあっさりと投げ飛ばされ、エイジは雪に顔面からひれ伏す。

 2人の間に入ったグローリーだ。ライドウはまるでギャグ漫画のようにくるくる回りながら、氷が割れて冷水ウェルカムしている沼へと着水する。

 

「ぐぎゃぁああああああああああああ!? さ、さむぅうううううううううう! グロやん、何すんのさ!?」

 

 派手な水飛沫を上げたライドウが……あのライドウが涙目になって地面に這い上がる。

 

「お忘れですか? 私はエイジくんの正当なる戦力評価をしたいと貴方に頼まれたから『試合』を見に参りました。貴方達の『死合』を見る為ではありません。2人とも無用に手札を開示する前に場を納めるのが騎士の礼儀です」

 

「いやぁあ、さすがはグロやん。あの流れで全く空気を読まないなんて……!」

 

 ガタガタと震えながら鼻水を垂らすライドウは、だがグローリーに感謝するように墨汁で染められたような黒髪を掻き上げる。

 一方のエイジはグローリーに後頭部を踏みつけられたままであり、クリスマス期間でなければ窒息判定でスリップダメージが発生しているところだった。

 

「エイジちゃん……と、とりあえず手足はくっ付いてるな! うん! 何よりだ!」

 

「へ~、喋れるんだぁ。面白いコトリちゃんだねぇ。テイム……とは違うみたいだ」

 

「ライドウ」

 

「はいはい。まずはグロやんの総評から、どうぞ~!」

 

 ノイジスに背中を捕まれて引っ張り上げられ、ようやく雪から脱出を許されたエイジは袖で顔を拭いながら、褌1枚で腕を組むグローリーを半ば睨むように見上げる。

 

「エイジくんも手札を隠していたようですし、あくまで基礎戦闘技術、鉤縄操作、戦術・戦略構築の評価になります」

 

 ラーニングした能力も≪瑠璃火≫も使っていない。見抜く手段はないが、それらを抜きにしても評価するには足る。グローリーはそう言っているのだ。

 瞼を閉ざして悩ましそうに唸り声を上げるグローリーは、やがて目を開く。

 

「おめでとうございます、エイジくん。貴方は強くなられた。その実力、もはや傭兵でも上位……1桁ランクと遜色ありません。中堅ランクの傭兵では、貴方に苦戦を強いられるでしょうね。ですが、貴方の戦闘スタイルの真骨頂はガード……とは少し違うようですね。ともかく体幹を崩す技術にあるようです。ライドウも何でもないフリして、防具無しでさすがに衝撃耐性が足りず、随分と揺さぶられて危うかったと思いますよ」

 

 まるで何ともない様子だったライドウだが、グローリーの目は誤魔化せなかったのか、雪を彼に蹴り飛ばす。だが、グローリーは男らしく笑いながら胸筋で受け止める。

 

「アクロバティックな体捌きと弾きを主軸にした剣術の融合。ライドウの攻防を切り崩して的確に体幹を揺さぶるまでの戦術・戦略構築。そして何よりも……ダメージの心配がないとは思えない程の、死の覚悟とライドウを仕留めようとした気迫。総合評価し、貴方はもはや上位プレイヤーの上澄み……トッププレイヤーの域です。手札と装備次第ならば、ネームドさえも単身で仕留める事も可能かもしれませんね」

 

[エイジちゃんは既に為し遂げてるけどな!]

 

[ネームドもピンキリだ。怨嗟の鬼はさすがに上位に食い込むと信じたいけど、世の中には【竜狩り】オーンスタインを単独撃破するような凄腕もいるんだ]

 

[あのオンスタを単身でぶち殺す? あ、あり得ねーぞ……!]

 

 腐っても神々と古竜の血戦の経験者。【竜狩り】オーンスタインの勇名には慄くということだろう。そして、ノイジスも端的にDBOプレイヤーにおける頂点の実力も理解したはずだ。

 後で録画してある【黒の剣士】と【渡り鳥】の戦いも見せておかなければなるまい。エイジはノイジスの弛んだ認識をあと何度上書きしなければならないだろうかと考える。

 

「えー? 過大評価しすぎじゃない?」

 

「ライドウ」

 

 文句を垂れるライドウに、グローリーは優しく諫めるように名を呼べば、彼は観念したように頭を掻き、やがて背中を向けて歩き出す。

 

 

 

 

「……想像以上に鍛えられたみたいだな。歓迎してやる、『エイジ』」

 

 

 

 名前を呼んだ。『あの時』とは違う。エイジは静かに拳を握り、ライドウへと頭を垂らした。

 たとえ『ユナ』の仇であったとしても、エイジが蠱毒の穴で戦い抜く土台を作り上げてくれたのはライドウだ。それだけは決して否定できないのだから。

 

「……ライドウと仲良くしてあげてくださいね。彼、ああ見えて寂しがり屋なんですよ」

 

「無理だ」

 

「はは、そうでしょうね。性根は腐った悪党で、人を不愉快にさせる事にかけては天才的で、自分が楽しむ為ならば弱き人々を踏み躙ることを嬉々として行う。そんな人ですから」

 

 むしろ、どうしてグローリーがライドウと友好的に接することができるのか、エイジには理解できなかった。

 視線が語ってしまったのか。グローリーは褌1枚の男らしい背中と尻を見せつける。

 

「私と彼も色々とあったんですよ! 色々とね! さぁ、帰りましょう! キミにも帰りを待っている人が1人か100人はいるでしょうしね!」

 

 その後、ノイジスは飛ぶのに疲れたのか、グローリーの頭の上で休み、エイジは終わりつつある街に着くまでに延々と意味不明な騎士の心得を聞かされる事になった。

 グローリーと別れたエイジは聖堂街に行く道中でスレイヴの隠れ家を覗くが無人であった。

 ダーインスレイヴで通信を試みるにしても彼女の負担が大きい。そもそもとして、気まぐれで、いきなり現れたり話しかけたり食事を要求したりするのがスレイヴだ。すぐに顔を出すだろうと楽観視する。

 

(とはいえ、その辺のチンピラにも負ける最弱とはいえレギオンだからな。人の姿をしている限りはそう簡単に見破られないが……)

 

 心配ではあるが、探すにしても心当たりがない。故にひとまず姿を現すまで待つしかない。エイジは大聖堂に辿り着き、溢れる信徒から正門より入るのは不可能だと悟る。

 12月25日……今宵は聖夜鎮魂祭だ。大ギルドの幹部も勢揃いする。信徒も聖堂街に集結するだろう。足の踏み場も残るか怪しい。エイジは通行証で大聖堂の裏口を通り、修道会の寮へと向かう。

 

「それでぇ? エイジちゃんの会いたい人って誰なんだ? アレだろ? 女だろ? ムライの旦那の言う通りだろ?」

 

「黙れ。いいか? ユナの前で蠱毒の穴に関しては一言も話すな。ライドウについてもだ。他にも……つまり全部だ。自己紹介以外、何も、喋るな」

 

「え!? じゃあ、俺様とエイジちゃんの出会いは!?」

 

「でっち上げる」

 

「嘘吐くのかよ!?」

 

「事実を少しだけドラマチックに脚色するだけだ」

 

 寮の廊下を進み、修道士や修道女と挨拶を交わすも、何故か不審者を見るような目をされる。

 少しの間ここで暮らしていたとはいえ、顔を憶えられている程ではなかったという事だろう。元より期待していない。通報されても堪らないとエイジは早足になる。

 アイテムストレージを開く。物資が限られた蠱毒の穴で、僅かでもアイテムストレージの容量を空けねばならなかった。だが、どうやっても捨てられなかった。

 必ず帰る。『約束』の証だからこそ残しておきたかった。エイジはユナの部屋の前に立ち、時間を確認する。約束の時間13秒前だ。

 これでスレイヴに口うるさく『約束は守れと常々言っているだろう!?』と罵られずに済む。

 呼び鈴を鳴らそうとして、だがエイジは迷う。本当にユナは待っているのだろうか。わざわざクリスマスに時間を割いてくれているのだろうか。いつもとおなじように、ユナに迷惑をかけているだけなのではないだろうか。

 

「……ふん!」

 

 動きを止めたエイジをじれったく思ったのか、ノイジスが呼び鈴の紐を引く。心の整理が付いていなかったエイジは睨むも、ノイジスは何処吹く風だった。

 ドアが開く。教会服姿のユナが姿を現れ、室内の光がエイジを照らす。

 何を言えばいい? どんな表情をすればいい? 頭が真っ白になったエイジであるが、ユナは顔面蒼白となって唇を震わせる。両腕を振り回し、だがスケッチブックを持っていない事を思い出したのか、エイジの手を掴んで室内に引っ張り込んだかと思えば半ば押し倒すように椅子へと座らせる。

 この香り……ハンバーグか? それもじっくり煮込まれたデミグラスソースだ。エイジが嗅覚から献立を推測している間に、ユナは医療用キットを手に戻ってくる。

 

「待ってくれ。何処も怪我なんか……」

 

 と、そこでエイジは部屋に立てかけられた姿見の鏡を見つけ、映った自分に頬が引き攣る。

 防具のコートは裾も襟も袖もボロボロで穴だらけ。上も下も破れ、解れ、千切れ、やはり穴だらけ、泥土だらけ、煤だらけ、血の染みだらけだ。顔も髪も乾いた血と泥と煤で汚れきっている。

 

「あー……悪い! エイジちゃん! 見慣れすぎてまるで気付かなかった!」

 

 蠱毒の穴では身だしなみに気を遣う余裕などなかった。せいぜいが体を洗うくらいであるが、最後は連戦に次ぐ連戦であり、カリンに報告後もシャワーも浴びずにライドウを探し回り、つい先程は『テスト』を済ませてきたのだ。

 クリスマスにこんな姿で訪問してきたら血の気が引く。エイジでも思考がフリーズする。泣きそうなユナの顔に、エイジは言葉が出なかった。

 思い出せ。ユナにはダミーの雇い先の葬儀屋ギルドのクリスマスパーティに昨日は出席したと伝えてある。だが、この格好では嘘だと看破されただろう。クリスマス期間中ではダンジョンに潜っていたとも通じない。いや、そもそも人と会う前にダンジョンに潜って身だしなみも整えていないなど頭がおかしい。

 そう、今のエイジは何処からどう見ても異常者だ。廊下ですれ違った修道士達がこれ以上と無く正常な反応をしていたのだと今更になって悟る。

 まずい。誤魔化さねばならない。どうやって? どんな嘘も演技も、この外観では取り繕いようもない……!

 沈黙して俯くユナにエイジは目を合わす事も出来ず、だが何か言葉にしたくて、彼女の震える肩に手を伸ばそうとして、しかし今の自分は余りにも血と憎しみで汚れていて、真っ白な教会服を着た彼女を醜く染めてしまうようで躊躇う。

 

「何も訊くんじゃねぇ! エイジちゃんは帰ってきた! これでハッピーハッピー! 違うのかよ!?」

 

 と、重々しい沈黙を続ける2人の間をノイジスが飛んで、双方に喝を入れる。

 ノイジス!? 勝手に喋られては困る! 慌てるエイジに、だがユナはその通りだと伝えるように笑いながら涙を拭って頷く。

 

「すま……ない。こんな……格好で……僕は……僕はただ……」

 

 何とか出た声は震えていて、エイジは憎しみに塗り潰されようとも吐き出しそうになる。

 戦った。戦って、戦って、戦って、ようやくここまで来たよ、ユナ。

 殺したんだ。自分の意思で決めたんだ。状況を言い訳になんかしない。僕の意思でムライを殺した。仏師殿に引導を渡したんだ。それがどうしようもなく、憎しみに染め上げられても、胸を掻き毟るように苦しいんだ。

 頭に響くんだ。怨嗟の鬼を……仏師殿を引き戻した、泣き虫の音色が頭から消えないんだ。

 ユナ。ユナ。ユナ……! 僕は……僕は強くなったはずなのに! ライドウにもグローリーにも認められたはずなのに、まるで足りないんだ。もっと『力』が必要だって訴えるんだ。僕の心は……憎しみは! 際限なく『力』を……!

 エイジがいつの間にか右手を伸ばしていて、ユナはそれに応えるように左手を持ち上げ、だが思い出したように首に取り付けられた、首の傷痕を隠す、見慣れぬチョーカーの金属部を押す。

 

 

 

<お帰り、エーくん>

 

 

 

 エイジの前に表示されたの『メッセージウインドウ』。プレイヤーが用いるシステムウインドウと同種のものであり、ゲーム側からの様々な通知を連絡に用いられる。

 半透明のブルーのウインドウに表示された黒い文字列。エイジは触れようとして、だが表示時間限界が来たように消失する。

 

「…………」

 

 エイジの沈黙に、ユナは驚かせてしまったと思ったのだろう。新たなメッセージウインドウを表示する。

 

<これ、キリトからのプレゼントなの。思考操作による一方向メッセージで、声が出せない私の為に、クリスマスプレゼントでくれたんだ。声帯感知で、声とは違うけど、喋るみたいにメッセージを表示できるの。あり合わせって言ってたけど、とっても高性能で、まだ慣れてないけど、いずれは普通に会話するみたいにメッセージを表示できるようになるかも>

 

「スゲー! よく分からないけど……スゲー! え? 何!? ユナちゃん喋れないの!? おいおい、エイジちゃん! それを早く言えって! どんだけ寡黙な子なんだって思っちまったじゃねーか! あ、俺様はノイジス。今ではこんなにぷりてぃな姿になっちまったが、昔は古竜でもイケメン枠だったんだぜ?」

 

<ノイジス……ちゃん? エーくんのペット?>

 

「失礼な! 俺様はエイジちゃんと一心同体……って、あ! 駄目! お腹カイカイは駄目ぇえええええ! く、悔しい! けど、お腹見せちゃう!」

 

 ユナの前で翼を広げて抗議したノイジスだが、好奇心で触れた彼女の指がお腹を撫で、あっさり撃墜され、床に転がって腹ばいになる。

 笑うユナに、面白い奴だろうと呆れながら笑ってやろうとして、だがエイジは声も出ない程に自分の心がより濃く深く憎しみで塗り潰されていくのを感じる。

 

「……ごめん、やっぱり、こんな格好だと、失礼だ。今日は帰る……よ。穴埋めはまた……今度にでも……」

 

 立ち上がったエイジは自分でも驚く程に言葉を紡げず、仮面も被れず、だが必死にユナの前だけでは笑おうとして、だがユナへと向ける笑顔さえも憎しみで形作られてしまいそうで、それだけは何故か嫌で、嫌で、嫌で堪らなくて、顔の皮膚を剥ぎ取る勢いで顔面を右手で覆う。

 

[行くぞ、ノイジス!]

 

[……ふぇ? え? 何処に? え? 何処に!? 待って! エイジちゃん!]

 

 玄関に向かって歩くエイジの後を追うノイジスさえも置き去りにする勢いで、ユナの前だけでは憎しみで汚れきった顔も声もまざなしも見せたくなくて、エイジは玄関のドアノブを掴む。

 

<待って!>

 

 エイジの前にメッセージが飛んでくる。彼女の感情を示すように文字の大きさも色もフォントも微細に変化していた。

 こんな事も出来るのか。自分の袖を掴むユナの弱々しい手の震えを感じ、だがエイジは振り返ってしまえば、八つ当たりにも等しく憎悪のままに声を荒げてしまいそうだった。

 だが、ユナをこのまま放っておきたくない。彼女がどんな気持ちで待っていてくれたのか、それさえも憎しみで想像できなくなっている自分であったとしても。

 だが、頭に反響する。囁き声にも似た、脳髄を這う蜘蛛の足音。闇の深海の滴る、湿った音色。エイジは自分の右目の瞳が蕩けて崩れて黄ばみ、また白目が深海の闇でどす黒く濁ったのを感じる。

 ダーインスレイヴとの強行リンクを続け、なおかつ深海の指輪を使いすぎた。エイジの憎しみに引っ張られている。深海の湿りとまるで後ろから抱きつくような純白の囁きを振り払うように、だがユナの手を振り払うことなく、前に進む。

 右目を右手で掴むようにして隠し、エイジは廊下を走る。

 蕩けた瞳はレギオンの兆しだ。たとえなり損ないであっても、エイジにも発症の兆候は残っている。ただでさえ目立つ格好である。見られて叫ばれたら終わりだ。

 

「エイジちゃん!? おい、エイジちゃん! 何で!? どうして!?」

 

「黙れ!」

 

「黙っていられるかよ! 何が……!」

 

 なんとか聖堂街の外、旧市街へと続く暗い路地まで全力で逃げ込めたエイジは、息荒く、だが追いかけてきたノイジスだけに見せるように右手を下ろした。

 

「深淵の兆し……! や、やっぱり、あの指輪はまずいぜ! エイジちゃん! 闇を侮ったら駄目だ! たとえ、どれだけエイジちゃんに『力』をもたらすとしても、ソイツは毒と同じだ! 使いこなせるとしても、徐々にエイジちゃんを蝕むぞ!」

 

「……それがどうした?」

 

「分からねぇのかよ!? 最後には……最後には仏師殿と同じみたいになっちまうかもしれねぇんだよ! 俺様も実物を見た事はねぇが、糞ハゲ竜に死体とソウルを弄られてた頃の記憶が残ってる。深淵狩りっていう、アホみたいに強い連中でも! 最後には多くが呑み込まれちまったんだよ! それなのにエイジちゃんが――」

 

「僕如きでは深淵には……闇には抗えない、か。そうだな。そうだろうな」

 

 僕は英雄じゃない。アイツとは違う。【黒の剣士】とは……キリトとは……違う。

 レギオンプログラムがもたらす囁きは確実に正気を奪っていくかもしれない。深海の闇はエイジを密やかに、密やかに、密やかに怪物へと変えていくかもしれない。

 それでも止まれない。這ってでも、這ってでも、這ってでも前に……!

 

「もっと……もっと……もっと……」

 

 たとえ死闘の中でも吐き出せたはずの、憎悪が求める『力』の渇望。だが、エイジの喉は震えるばかりだった。

 蹲ったエイジは手を伸ばし、雪を掴む。這うようにして、何度も、何度も、何度も、無意味に雪を掴む。

 

「……エイジちゃん」

 

 ノイジスがエイジの傍らに降り立ち、温かな体毛ですり寄るも、煩わしくてはね除けようとして、それすらも億劫で、エイジは瞼を閉ざす。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所で蹲ってんじゃねーよ! 通行の邪魔だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 そして、頭上から降り注いだのは、何処かで聞いた覚えのある声だった。

 顔を上げた先には少女と見紛う程に中性的な美しい顔立ち。だが、貴族のような気品をまるで感じさせない、野生で研ぎ澄まされたような活力で漲っている。

 眺めの淡い金髪を1本に結ってポニーテールにしており、レザーのズボンとジャケットはジャズミュージシャンを思わす風貌である。事実として巨大な楽器ケースを背負っていた。

 

「ん? お前……エイジか?」

 

「お前は……まさか……」

 

「そう! モルドレッド様だ! なーんだよ。聖剣が妙に騒がしいと思ったら、お前を見つけてたのか。そうかそうか。そうだったのか! にゃははは!」

 

 モルドレッドは嬉しいように楽器ケースを揺さぶると、蹲るエイジを腕を掴んで、馬鹿げたパワーで持ち上げる。

 強引に立たされたエイジは、体に付着した雪を手で払い除ける。一方のノイジスはエイジの足下で倒れて死んだフリをしていた。

 

[俺様、死体。動かない。喋らない。動かない。絶対に動くもんか、こんちくしょう!]

 

[ふざけるな。何の真似だ?]

 

[エイジちゃんこそふざけんな! コイツ、まるで人間の形をした古竜じゃねーか!]

 

[お前も古竜だろ。それとも僕の憶え間違いか?]

 

[古竜にも格付けがあるんだよ! 俺様はチャーミングなビジュアル担当! コイツは……そう! アレだ! カラミットとかギーラとか、古竜でもぶっ飛んでた奴らと同類だ!]

 

「このモルドレッド様に死んだフリは通じねーぞ? おら、焼いて食われる前に挨拶しろ」

 

 ヤンキー座りでノイジスを見下ろしたモルドレッドの脅迫に、ノイジスはあっさり屈して動き出す。

 

「お、おおおお、俺様はこう見えても古竜の末裔だぞ! あの糞ハゲ竜に、い、いいいい、弄くり回されてさえいなければ! お、おおお、お前なんかなぁあああああ!?」

 

「糞ハゲ竜って……あのハゲ糞公爵のことか?」

 

 モルドレッドの一声に、一瞬で心が通じ合ったのか、1人と1匹は満面の笑みで手と翼で握手する。どうやら2人は、白竜シースはハゲで糞という小学生レベルの罵りで、ソウルメイトとして認め合うことが出来たようだった。

 モルドレッドに強制的に案内されたのは、まるで大火災の跡地のような、廃墟群とさえも言えない、辛うじて建物の名残がある区画だった。

 

「旧市街でもこの一帯は焼け野原になっちまってな。これでもマシな方だ」

 

 木材を煌々と燃やすドラム缶の周りには、ボロボロの毛布を防寒着代わりに纏っている貧民プレイヤーが集っていた。

 

「モルさん! 焼けましたよ! 指示通りのカリカリです!」

 

「おう! サンキューな! ほら、酒だ! 飲め飲め!」

 

「さすがはモルさん! カッコイイ! ねぇ、今夜はあたしの相手をしてよね♪」

 

 場末の酒場さえも追い出されただろう娼婦が寄りかかり、だがモルドレッドは嫌な顔1つせず、溶けて変形した鉄材を椅子代わりにして腰掛ける。

 

「もちろんだぜ。だが、ちょっと待っててくれよな。なんでも教会でデカい祭りがあるらしい。このモルドレッド様が足を運んでやらないと華が足りなくなっちまう」

 

「……今日は大聖堂に入るなんて、余程のコネがないと無理だぞ」

 

「え? マジ?」

 

「ああ」

 

「……まっ、入れないなら仕方ないか。今宵は女の嬌声を聖歌にしてやるぜ」

 

「いやん。モルさんったら顔に似合わず、え・ろ・い♪」

 

 娼婦に頬を突かれ、モルドレッドは笑う。何を見せられているのだとエイジが溜め息を吐けば、モルドレッドがイモリとも蛇とも区別が付かぬ何かの串焼きを差し出す。

 

「食えよ。戦場帰りの戦士に褒美くらいやらないとな。俺はモルドレッド。始祖アルトリウスの使命を継ぐ者。たとえ、深淵に蝕まれていようとも、呑まれる事を良しとせず、戦う者には敬意を表す」

 

「……いいのか? 僕は闇を――」

 

「ゴチャゴチャうるせぇんだよ! 俺のメシが食えないのか!? あン!?」

 

 断ればトラブルが増えるだけと判断し、串焼きを受け取ったエイジは食い千切り、味付けもされていないパサパサの肉を咀嚼する。ノイジスにも千切って分け与える。

 

「……別に責めねぇさ。俺達深淵狩りの切り札も、始祖アルトリウスを蝕んだ深淵を招いて纏う、闇を借りても闇を討つ、禁忌の御業だからな。だが、ちょいとばかり目立つな。こっちじゃ思うように材料も集まらなかったし、どうにも調合が上手くいかなかったが、アリさんのお陰でなんとか数を揃えられた」

 

 モルドレッドが差し出したのは、小瓶に入った小さな丸薬だ。3粒ほどエイジの掌に落とし、身振りで飲むように指示する。

 飲めばすぐに苦味が下に広がる。それ以外の感想はない。だが、それも最初の10秒だけで、右目がまるで溶解するように熱くなり、エイジは体をくの字に曲げながら、奥歯で丸薬を磨り潰し、酒で流し込む。

 

「モルさんの薬は効くだろう? 出回ってるヴェニデ=ヒュドラ製のヤクの禁断症状にも効果があるんだ」

 

 髪はボサボサで髭面の男がエイジの背中をさする。だが、気安く触れるなと払い除ければ、怖い怖いと笑いながら遠ざかった。

 

「おいおい、アリさんに失礼だろ? これでもえらーい雑誌の編集長さんだったらしいぜ?」

 

「……昔の話だ。ここではどれだけ稼いでも、偉い立場になっても、安定なんてない。転げ落ちるのは一瞬だ。底まで落ちてしまえば、這い上がる気力なんて残らない」

 

「…………」

 

「アンタの右目、レギオン化の兆候だろう? 安心しろ。モルさんの友人だ。黙っててやる。モルさんの薬はレギオン化にも効果があるか試せるしな」

 

 とりあえず蕩けた瞳は治ったぞ、とアリと呼ばれた男は軽く伝える。エイジもそれは感覚で分かっていた。

 闇を押し退けたことで、蜘蛛の足音も引き下がったか。エイジは荒れた呼吸を整える。

 エイジの物欲しそうにした眼差しを気付かれたのか、モルドレッドはニヤニヤと嫌らしく笑う。

 

「トリスタンが作り出した秘薬さ。体内の深淵の侵蝕を少しでも遅れさせる効果がある。深淵狩りにとって常備薬だ。コイツがないと2、3回深淵の主をぶち殺す頃には深淵に呑まれちまう。深淵に挑む前と後に必ず飲むのさ」

 

「金は払う。レシピを教えてくれないか?」

 

「駄目だ。深淵狩り秘伝の調合だからな。アリさんはモルドレッド様の従者となるって契約したから、特別に教えてやったんだ」

 

「はは! モルさんが泣きながら『どうして出来ないんだよぉおおお!』って叫んでゴミ屑を量産してるのが見てられなくてね。≪薬品調合≫スキルが無いモルさんには無理な難易度だったのさ」

 

 あっさりとバラされ、モルドレッドが睨むも、アリは口笛を吹いて目を逸らす。その様を娼婦、老人、子どもといった貧民プレイヤー達が楽しげに笑う。

 アリとの出会いは分かった。だが、他はどういう集まりなのだろうか。エイジの疑念に答えるように、まるで月明かりを探す子どのような横顔でモルドレッドは雪雲で覆われた空を見上げる。

 

「暇だったからな。喧嘩を売ってきた連中を片っ端からぶちのめして、なんか弱い者虐めしてる連中も気に食わないからぶん殴って、娼婦に金も払わず逃げようとするアホがいたから蹴り飛ばして、そんなこんなで、いつの間にか、このモルドレッド様は用心棒代わりさ。お陰で野宿ばっかりだ」

 

「ここにいるのは、コミュニティでも居場所を守れなかった、弱い連中だ」

 

「それに、最近は死天使信仰に熱中する人ばかりで怖くて……」

 

 他の貧民プレイヤーもモルドレッドを頼りにしているようだったが、彼は頬杖をつくと鼻を鳴らす。

 

「俺の従者はアリさんだけだ。お前らに最低限の生きる術を叩き込んだらサヨナラだ。それを忘れるな」

 

 ああ、まさに英雄だ。モルドレッドの姿は誉れある英雄の姿の1つだ。

 僕には絶対になれない。俯いたエイジは残る串焼きを食い千切る。ノイジスはもっと欲しいと涎を流すも、モルドレッドは自分の分を美味そうに、見せつけるように食べる。

 

「……さっきの話だが、教えてはやれないが、1瓶だけくれやらん事もないぜ? ただし、今夜は俺達と付き合え。それが条件だ」

 

 背に腹は代えられない。頷くエイジに、満足した様子のモルドレッドは、焦げ付いた木製のコップを差し出し、強烈なアルコール臭がする酒を注ぐ。

 辛い。だが、猿酒に比べるまでもない。エイジの飲みっぷりに、モルドレッドは拍手を送る。

 

「……って、おいおい! 火が消えちまいそうだぞ!? アリさん!」

 

「あ、ああ! 新聞と、油とそれから……チクショウ! 消えないでくれよ! なぁ!?」

 

 1度でも火が消えれば着火に時間がかかる。アリがドラム缶に可燃物を放り込む中、エイジはダーインスレイヴを抜くと瞬く炎の武器でエンチャントし、ドラム缶に突き入れる。

 炎が息を吹き返す。だが、燃やしすぎた。すぐに新しい可燃物を入れねばならないだろう。アリが乾燥した枝や紙屑を入れる中に、エイジはアイテムストレージから実体化した、スケッチブックとカラーペンセットを手に取る。

 

「見た目は薄いが、1000枚分ある。よく燃えるはずだ」

 

「おいおい、いいのか? 新品だろ、これ?」

 

 アリの確認にエイジは燃え盛る炎を見つめ、やがて、ようやく、笑みの仮面を貼り付けることが出来た。

 

「構わない。もう……きっと……最初から……必要なかったんだ。『それでいい』んだ」

 

 エイジはペンセットを、そして次にスケッチブックを投げ入れる。ペンは瞬く間に融解してポリゴンの欠片となり、スケッチブックは火を燃やし続ける糧となる。

 

「アリさん」

 

「分かった」

 

「ノイジス」

 

「……へいへい」

 

 モルドレッドの静かな声に、アリは貧民を引き連れて距離を取る。エイジはノイジスを伴わせる。ドラム缶の火を前に、鉄材に腰掛けるエイジとモルドレッドだけが残される。

 微かな警戒心を残すエイジに、モルドレッドは容姿に相応しい穏和な笑みを浮かべる。

 モルドレッドは楽器ケースから橙色の光を帯びた大剣を取り出すとその場に突き立て、まるで結界のように粒子を散らす。

 

「これで聞かれる心配はないな。これから話すのは深淵狩りの禁忌だ」

 

「……は?」

 

「いいから黙って聞け」

 

 竜さえも睨んだだけで殺すような眼光で凄まれ、エイジは仕方なく口を閉ざす。

 

「始祖アルトリウスは導きの月光に出会いながらも水面の月明かりを掬い取った。水面より掬い上げるという行為は月光を聖剣と聖杯に分けた。聖杯こそが聖剣の『鞘』だと定義する奴もいる」

 

「……聖杯」

 

「お前の目を見れば分かる。お前が守ろうとしたあの女はくたばったんだろ?」

 

「…………」

 

「聖杯を探せ。お前が何を欲するかは知らないが、聖杯は月明かりを浸す。最強無敵のモルドレッド様には興味なんてないが、お前には探す意味があるかもしれない」

 

「どうして、僕に……教えるんだ?」

 

「聖杯探索は深淵狩りの禁忌だ。伝説の通りならば、始祖アルトリウスは月光を聖剣と聖杯に分けた理由があるはずだ。故に聖剣は深淵狩りの伝説として語り継がれ、深淵狩りを導いた。深淵狩りに聖剣の鞘なんていらない。俺達はいつだって抜き身の刃であり続ける。いつだって戦場こそが俺達の生き場所であり、死に場所だ。仮に鞘があるとするならば、それは俺達自身の心であらねばならない。聖剣の鞘たる聖杯を求めるのは、始祖アルトリウスの意図に反する」

 

 だが、モルドレッドの目には後悔にも似た、まるで遠い昔を思い出すかのような逡巡があった。それも一瞬であり、彼が見つめるドラム缶の火が木材を焼いて割る寂しげな音色が火の粉と共に舞い散る雪を溶かす。

 

「どうして、誰も彼もが聖杯を求めたのか、この最強無敵完璧のモルドレッド様には理解できない。だが、伝説はいつか『終わらせる』必要があるのかもしれない。深淵狩りから聖剣が失われたように、聖杯もまた深淵狩りの禁忌から解き放たれるべきなのかもしれない」

 

「聖杯には……どんな『力』があるんだ?」

 

「さぁな。だが、アノールロンドは始祖アルトリウス亡き後に聖杯探索に大部隊を派遣した。どれだけの成果があったか知らないが、聖杯を模して偉大な英雄や神々のソウルすらも溜め込むことができる『器』を作ったって巨人の鍛治屋から聞いた事がある。少なくとも探索の成果は贋作を作り出すので精一杯だった。聖杯を持ち帰ることは出来なかった」

 

「…………」

 

「この世界の理屈はよく分からねぇが、過去に行く事が出来るんだろ? だったらパーシヴァルを追いかけろ。奴は始祖アルトリウスが月光と出会った湖を探してた。聖杯はそこに『置き捨てられた』って確信があるみたいだった。パーシヴァルは陰気なカリムの出身だ。奴の聖杯探索には罪の女神ベルカが絡んでやがる。まずはカリムでベルカを探れ」

 

「……ありがとう」

 

「謝礼は聖杯を持ち帰ってからにしろ。あと、1つだけ忠告してやる」

 

 モルドレッドは右手の人差し指を立て、頭を下げようとしたエイジの額を突き返すように見せつけた。

 

「『どうして誰も聖杯を持ち帰れなかったのか』。歴史に名を残す探索者、英傑揃うアノールロンド、ギャラハットを連れていったパーシヴァルさえも無理だった。そこには理由がある。今の俺には何となーく分かるぜ? だが、お前には教えない。聖杯を探せ。その果てにお前の『答え』がある」

 

 と、瞬間にモルドレッドは何の悩みのないような快活な笑みを浮かべ、エイジの肩に腕を回す。

 

「以上! 真面目な話は終わり! 今日はお祭りだぜ!? 辛気臭いツラするんじゃねーよ! アリさん! 話は終わったから戻ってこい! 食えや! 飲めや! 歌えや! 踊れや! にゃはははは!」

 

 楽器ケースに聖剣を隠し入れたモルドレッドはアリを呼ぶ。ノイジスと友に戻ってきた彼らに、モルドレッドは両手に持った酒瓶を代わる代わる飲んで叫ぶ。

 

「我ら深淵狩り! 生きる場所も死ぬ場所も違うが! 個々の意思は我らの意志となり、そして受け継がれる遺志となる!」

 

 僕は深淵狩りじゃない、とツッコミを入れようとしたエイジに、先回りするようにモルドレッドは火を背負うようにして立ち、酒瓶を差し出す。

 

「たとえ、お前がいつか俺の前に立ち塞がるとしても、深淵に呑まれてバケモノになってしまったとしても、残された遺志は俺が継いでやる! 継ぐだけ継いで腐さらせてしまうかもしれないが、お前が名も残さずにくたばろうとも、俺が憶えておいてやる」

 

 これだから……これだから『英雄』というのは困るのだ。エイジは嘆息し、酒瓶を受け取ると半分ほど一気に飲む。アリは勿体ないとばかりに手を伸ばし、だがモルドレッドはそれでこそと喝采する。

 頭の芯まで酒で焼けそうだ……! 予定調和にむせ返ったエイジに、モルドレッドは馬鹿力で背中を叩いた。

 

「にゃははは! 酒だ! 酒だ! いいか? 酒ってのは飲むだけ飲んで吐いたらまた飲む。これが戦士の飲み方だ! それから女だ。女! 戦場帰りの戦士が女を抱かないでどうする!? おい! 好みを教えろ! 見繕ってやる!」

 

「誰が教え――」

 

「エイジちゃんの好みは、小柄で! 真面目そうで! 割と天然入ってそうな可愛い系女子です! こう……いかにもグヴィネヴィアの聖女やってまーすみたいな感じの! でも、グヴィネヴィアみたいにおっぱい大きくない! 小振りだったぜ!」

 

「ノイジス!?」

 

 まさかのリーク元に顎が外れそうになるエイジに、モルドレッドは心底から同情の視線を向ける。

 

「お前……厄介な女が好みなんだなぁ。あんなおっぱい以外に魅力が無い女神を信仰してる、それもおっぱいがそんな大きくない女なんて見え透いたフォース落下死狙いに決まってんだろ。ランスロちゃんが何度グヴィネヴィアの信徒の『私、清楚でーす☆』って全身アピールしてる人妻糞女に騙されたと思ってんだよ! 大人しくボインボインバイーンで色気ムンムンのカタリナ女にしておけよ。な? そうしろ。な!? よーし! 決まりだ! ムチムチババイーンなカタリナ女の紹介よろしくぅ!」

 

「えー!? クリスマスだし、予約詰め詰めで無理だと思うけどなぁ。あとカタリナ系女子ってどんな感じ? とりあえず乳と尻がデカいギャルでいいの? まぁ、やるだけやってみるわ。ただし、お値段は普段の10倍は覚悟しててよね」

 

 娼婦もモルドレッドに悪乗りして、エイジに確認も取らずにフレンドメールを飛ばす。その素早さたるや、【黒の剣士】も【渡り鳥】も霞む程だ。

 

「良かったな、エイジ!」

 

「良かったな、エイジちゃん!」

 

「…………」

 

 モルドレッドがエイジの右肩を叩き、ノイジスが左肩に止まる。エイジは無言無表情で酒瓶を口にし、飲み干し、立ち上がり、ドラム缶へと空き瓶を全力投球した。

 

 木材も、紙くずも、空き瓶も、スケッチブックも……何もかも焼いて炎は汚らしいドラム缶の中で揺れる。

 家無き英雄は気ままに飲んで笑い、明日も知れぬ貧者は陽気に歌い、行き先も知らぬ旅路に伴う古竜の末席は空を舞って踊る。

 

 鬼は笑わない。歌わない。踊らない。その心から憎しみは消えない。

 

 だが、聖夜の静寂を打ち消す宴は、雪風と寒気を凌ぐには十分だった。

 

 

▽      ▽      ▽

 

 

 12月25日、朝の6時。ヴェニデの館、メイド用寝室にて。

 頭が痛い。目覚めが悪い。吐き気がする。

 ユウキは額を押さえながら上半身を起こし、ずり落ちた布団を名残惜しそうに引き寄せる。

 いつからだろうか? 熟睡がまるで出来ていない。そもそもとして、安全がまともに確保されないDBOにおいて、熟睡の機会を得られる環境だけでも贅沢であり、なおかつ熟睡できる精神を持てるかも肝要なのであるが、ユウキは少なくとも優秀な戦士の条件である、疲労を効率よく回復させる睡眠には秀でていた。

 どれだけ現実世界以上の質感があろうとも仮想世界である。脳に疲労が蓄積する。故に良質な睡眠はある意味で装備やアイテム以上の生命線だ。

 特に仮想世界では現実世界以上に高い集中力を発揮しやすい代償に、脳疲労の蓄積しやすい。VR適性が高ければ高い程に低ストレスで仮想空間にて高精度かつ高密度の情報処理……アバター制御から近く情報処理まで可能であるにしても限度がある。

 全人類でも10人といないだろう最高ランクのVR適性を誇るユウキであっても、あの【黒の剣士】であっても変わらない。むしろ、VR適性が高すぎるからこそ、限度知らずになってしまい、脳を酷使してしまう事にもなる。

 特にユウキの場合は肉体が病によって細胞レベルで『限界』を迎えており、ほとんど肉体再生レベルの延命治療を施している。DBOログイン前は何とか自分の足で立ち上がれるまでに回復したが、逆にいえば長期ログインの負荷は休み無くかかる今はむしろ死のリスクが高まっている。

 故のリミッターだ。本来のVR適性で得られる反応速度を封印する事によって、結果的に脳にかかるストレスを軽減している。

 

『キミの延命には「彼」が開発したファンタズマ・エフェクト誘発プログラムも利用している。リミッター解除は60秒3回まで。それ以上はキミの肉体に精神は引き摺られて「死」を迎えるだろう。使いどころを誤らないように』

 

 茅場の駒としてDBOに参加した。『人の持つ意思の力』の証明。興味などなかった。【黒の剣士】を打倒し、仮想世界最強の称号を得て、不治の病に倒れて死んでいったスリーピング・ナイツの仲間達に捧げることができれば、それでよかった。

 だが、【黒の剣士】に負け、スリーピング・ナイツを弔い、残されたのは空虚ではなく未来を生きようとする意思だ。今では純粋にDBOを生き残り、現実世界に戻り、何としても会いたい人がいる。

 仮想世界の肉体とは違い、痩せ細り、繋がれたチューブの痕も残った、醜い体だとしても、それでも会いたい人がいる。

 

(単純だなぁ……。でも、ボクらしくていいかも)

 

 だからこそ、睡眠の質の低下は存外に深刻な問題だ。それだけ疲労回復できていないのだ。ユウキの場合、コンディションの悪化はそのまま現実の肉体の衰弱にも繋がりかねないのだ。

 ヴェニデのメイドとして酷使されているから? いいや、さすがに慣れた。憶える事ばかりのメイド業であるが、ブリッツの鬼のような指導もあり、今では周囲からも『1.5人前』として認められている。

 ならば? やっぱり? ユウキはベッドの傍らに置かれた、赤い包装紙に包まれた小箱を見て、顔が熱くなるのを感じる。

 

「クー……喜んでくれるかな?」

 

 選ぶのに時間をかけた。なにせ、本人が何を貰っても文句1つ言わないだろう事が予見できたからこそ、まるで目星がつけられなかった。

 だからと言って、折角のクリスマスプレゼントを実用性のある武器やアイテムにはしたくない。絶対にしたくない! 故に悩みに悩んで選んだプレゼントだった。

 そのせいで睡眠不足とは情けない。どれだけメンタルが弱いのだ。ユウキは溜め息を吐こうとして、自分の汗臭さに気づき、浴場へと向かう。

 ヴェニデの屋敷には地下に浴場がある。なお、稀によくある頻度で拷問部屋としても利用される。血を洗い流せて掃除が面倒ではないからだ。むしろ、そうした利用を前提として地下の防音仕様である。

 

「あら、ユウキさん。今日は早いんですね」

 

「いつもこの時間だもんねーだ!」

 

 先に浴場に来ていたブリッツに笑われ、ユウキは舌を出す。まだ始業時間ではないが故にこんな失礼も許される。

 

「申し訳ありません。セサル様への訪問客も多く、クリスマスだというのにギリギリまで休みが取れないなんて」

 

「いいよ。クーと会うのは夕方からだし、それまで時間を貰っても暇なだけだし」

 

 グリムロックとグリセルダは夫婦水入らず。ヨルコは断酒会のアルコール解禁パーティ。シリカはキリトを狙っているだろうから邪魔したくない。ミスティア? 馬に蹴られる前に槍で心臓を貫かれる事になるだろう。

 故にいっそ仕事をした方が時間も早く流れてユウキも助かるのだ。

 豪華絢爛とは程遠い、浴室灯があるとはいえ、地下室といった雰囲気を拭い切れていない浴場にて、ユウキはブリッツと並んで体を洗う。

 

「デートの前にも、もう1回ちゃんと入るんですよ? 香水で隠すのは女として三流です」

 

「分かってるよ!」

 

「あと、湯冷めもしないように2時間前に済ます事」

 

「だから分かってるよ!」

 

 口うるさいブリッツに頬を膨らませながらも、ユウキは悪い気がしなかった。仕事中は鬼かつセサルに対して盲信を超えた暴走の域を見せるブリッツであるが、それを除けばむしろ甘えたくなるような寛容さと気品があり、まるで姉のように尊敬できる人物だったからだ。

 だからこそ、昨日の厨房で、まるで世間話のように明かされた過去は衝撃だった。

 およそ幸福からかけ離れた肉親との関係。セサルに対する盲信、暴走、依存にも該当する忠誠心は、彼女の複雑な内面を端的に示しているようだった。

 

「相手に比べて自分は恵まれてるから負い目を感じるなど、傲慢なる主観です」

 

 視線が語ってしまったのか、ユウキには見向きもせず、ブリッツはお湯で体の泡を洗い流しながらユウキを戒める。

 

「アフリカの子どもはその日の食べ物にもなく餓死するから、それに比べれば日本の子どもは恵まれている? 違います。そんなものは国が積み重ねた歴史と選択の末。身も蓋もない言い方をすれば国力の違いです。貧富の差として語るなど烏滸がましいにも程があります」

 

「……そういうもの、なのかな?」

 

「そういうものですよ。国が違えば生き方も考え方も違う。木製ボートを漕いで漁に勤しみ、日が暮れれば薄板を組み合わせた家に帰って家族と食事を共にし、いつかは金持ちになってやると夢見て眠る発展途上国の少年。薄給で寝る間もなく、休日すらもサービス出勤し、体と心が壊れるまで酷使され、家では待っている人もいない先進国のプログラマー。どちらが恵まれているでしょうか? そうですね。賃金、環境の文明度、教育水準諸々ほとんど全て、後者が上でしょうね。では、後者は前者に比べて恵まれているから文句1つなく働くべきなのでしょうね。せいぜい自身の恵まれた環境に感謝しながら死ぬまで働いてもらいましょう」

 

「と、突拍子もない上に極端すぎるよ!」

 

「何を馬鹿な。それが『現実』ですよ。今も昔も変わらない、国境線どころか隣の家との塀を超えたら全く異なる主観の『現実』です」

 

「……ごめんなさい」

 

「いいえ。私も言葉が過ぎました。いけませんね。似たり寄ったりの環境で生まれ育った者ばかりだったので、どうにも『同情』という眼差しに慣れていません」

 

 同情。そうか。ボク、ブリッツさんに同情してたんだ。ユウキは不快を与えてしまった事実に俯けば、ブリッツは彼女の背後に回って頭からお湯をかける。

 

「同情も大切な事です。過ぎれば侮辱になりますが、欠片も抱けないのであれば冷血です。あるいは、心が壊れてしまっているのか。それに……同情を見せないフリをしても余計に相手を傷つけるだけです。大切な人であれば、心を離れさせてしまうだけです。それなら侮辱と取られても同情を素直に見せる方が何千倍も誠実というものですよ」

 

「経験?」

 

「ええ、もちろん」

 

 苦々しそうに笑ったブリッツは、ユウキを許すようにシャンプーを黒紫の髪に塗りつけると、世界中の美容師が列を成す程に心地良く髪を洗う。

 

「ほ、本当に何でも出来ちゃうんだぁ……」

 

「メイドであれば、主を完璧に映えさせる散髪、頭皮・毛髪を傷つけることなく脂だけを取り除く洗髪、体質・皮質・髪質に合致するシャンプーの開発、環境に合わせて保湿と体臭管理を万全とするリンスの調合は当然の義務ですから」

 

 うん! それは当然じゃないと思う! 絶対にメイドの仕事じゃないと思う! 否定したくても否定できない洗髪の楽園に連れて行かれたユウキに出来る抵抗は、蕩けた声を上げない事だけであった。

 

「私も家族と一緒にフライドチキンが食べたかった。クリスマスプレゼントが欲しかった」

 

「…………」

 

「叶いませんでした。でも、不幸だと思った事は1度もありません。私は敬愛する主とカルフォルニアロールを食べて、クリスマスプレゼントを貰って、恐れ多くもダンスもご一緒させていただきました。これ以上の栄誉はありません」

 

「そんな事があったんだぁ……」

 

「皆には内緒ですよ。私とユウキさんだけの秘密です」

 

 お湯で流してもらってるだけなのに、何でこんなにも気持ちがいいの!? シャワーですらないのに、身震いする程の洗髪による悦楽を味わったユウキは、もう自分の指がゴツゴツとした岩のように思えてならなかった。

 ユウキの髪を束ねたブリッツは湯船に誘う。ユウキが代わりに自分が編んであげると言う前に、ブリッツは既に髪を纏め終えており、本当に自分と同じ時間軸で生きているのだろうかと疑いながら湯に浸かる。

 

「…………」

 

「何か?」

 

「ベツニナンデモナイヨ」

 

 うん、いつ見ても『浮いてる』。本当に『浮く』んだよなぁ。ボク、知りたくなかったよ。ユウキはブリッツの体の1部を凝視した。

 

「1つ、訊いてもよろしいですか? どうして【渡り鳥】さんが好きになったのですか? 言葉を選ばずに断言すれば、あの御方に女性として惹かれるなどあり得ないのですが」

 

「ハッキリ言いすぎじゃないかな!?」

 

「そうでしょうか。存外に気遣い上手。顔は神様級。戦闘能力はいずれセサル様にも届く逸材。≪料理≫スキルが無いせいで分かり難いですが、≪薬品調合≫の応用で菓子を作る手腕からも分かる料理上手。あの様子だとその他家事にも穴はない。隠しきれない育ちの良さから窺える高資産。戦闘モードでさえなければ、交渉取引は苦手だからこその裏表がない穏和な態度。確かにこれだけ並べれば優良物件です。ですが、彼にはそれらの合算した評価をゼロどころかマイナスにまで下落させる要素が多すぎます」

 

「……ひ、否定できないけど、そこも魅力だし」

 

 ユウキは腕を組んで唸りながらクゥリの問題点を探す。

 何を考えているか分からない。美人過ぎて傍にいたら自己嫌悪+日常的正気度チェック。何を考えているか分からない。1度戦いだしたら容赦がなさ過ぎて周辺被害も風評被害も一切合切関係なし。何を考えているか分からない。戦いだしたら敵を殺し尽くすか死ぬまで止まらないから周囲の心労が半端ではない。何を考えているか分からない。資産運用のほとんどを装備に割り当てているせいで分かり難いが、むしろそれで分かる金銭管理スキルゼロ。何を考えているか分からない。何を考えているか分からない。何を考えているか分からない。

 

「うん。結局のところ、クーの問題って『何を考えてるか分からない』に帰結すると思うんだ!」

 

「そうですね。セサル様とそっくりです。実は私、【渡り鳥】様はセサル様の隠し子なのではないかと疑ってさえいます」

 

「ちゃんと言葉にしてくれたら助かるのに!」

 

「言葉に出来ないのでしょうね。多分、本人も自分自身の事が最も分かっていないのかもしれません。あるいは、誰にも理解されないと最初から分かっているからこそ、決して明かさないのかもしれませんが……」

 

 総じて面倒臭い。ユウキとブリッツは同じ感想に至って苦笑し合う。

 

「でも、セサル様と【渡り鳥】様は『違う』。2人が胸の内の……本心を明かさない理由はきっと『違う』。それだけは確かでしょう。そして、どちらの本心も、私達のような『普通の人間』に理解してあげられるはずがありません」

 

「それでも、セサルさんもクーも……『人間』だよ」

 

「そう言ってあげられる『強さ』。それこそが貴女の魅力なのでしょうね。私には無いものです」

 

 共に脱衣所に戻り、メイド服に着替えれば、職場の関係の開始だ。

 ヴェニデの屋敷を訪れるのは、クラウドアースの重鎮を筆頭にしたDBOの権力者にして資産家だ。普段は体調不良もあり、煩わしいとばかりにベッドで受け答えするセサルだが、今日ばかりはスーツ姿で応じている。

 セサルの物腰は穏和そのものであり、時折であるが毒こそ吐くが、相手を責め立てるような真似はしない。ブリッツ曰く、期待している相手程に叩いて反骨精神を煽って反逆されたくなるのがセサルらしく、『どうでもいい』ような相手には似たり寄ったりの対応をするらしい。

 それもまたクゥリに似ている。普段は穏和でふわふわとした態度を取るが、より親しい相手程に刺々しさ……というよりも容赦が無くなる。だが、それはセサルのような明確な区別というよりも、クゥリが持つ多面性の分かりやすい発露だ。親兄弟と友達では態度が違うのと理屈は似ている。

 故にキリトが妬ましい。ユウキ以上にキリトは乱暴に扱われている。それこそ、親しさはもしかせずともSAO以上なのかも知れないと感じてしまうのは、2人の間のわだかまりが殺し合いを経て打ち消され、本当の意味で正面から向き合っているからなのかもしれない。

 互いに刃を突きつけることになったとしても、理解できないとしても、『その時』が来たならば『友』として立ちはだかるだろうという破滅にも似た予感。それこそが2人の絆なのかもしれなかった。

 

「ユウキさん、お茶」

 

 考えすぎて体が止まってしまっていた。ブリッツに冷たく囁かれ、ユウキはセサルと談笑する客のティーカップにお代わりを注ぎ入れる。

 

「贈り物の中身は全て地下室でチェックを! 急いでください! 爆発物・毒物を決して見逃してはなりません!」

 

 もちろん、仕事はお茶を注いで終わりではない。ヘルプを頼まれた地下では、時限爆弾の解体や毒物の確認が行われている。指揮を執っているのはアーロン装備だ。

 

「クリスマス期間中は無効化されるとはいえ、抜け道は幾らでもある! 時限爆弾! 遅効性の毒! 何でも考えられる! 油断するな!」

 

「隊長ぉおおお! お客様が贈った和菓子でお茶したいって言ってますぅうう!」

 

「ブリッツを呼べ! 奴ならば1時間もあれば贋作を準備できる!」

 

「無理です! テツヤンの店です! しかもお客様は今すぐって言ってますぅううう!」

 

「ぐぅうううううう!? またあの男の店か!?」

 

 泣きながら訴えるメイドに、アーロン装備は頭を抱えて唸る。ケーキを細切れにする勢いで分解していたユウキは捲った袖を戻して手を上げる。

 

「ボクが同じものを買ってくるよ!」

 

「……無理だ。テツヤンの店はクリスマス休店だ。仮に開いててもクリスマスに売れ残っているはずがない」

 

「だ、だったら……えーと……同じ商品を買った人を探す!」

 

「何処の? 誰が? 買っているのか? お前に分かるのか?」

 

「……はい。分かりません」

 

 考えなしの発言だった。萎むユウキであるが、突如として浮遊感が襲いかかる。

 

「お客様の『食』歴を調べました。辛いもの好きでお菓子はほとんど食べられません。和菓子の味の区別が付くはずもありません。セサル様が甘い物好きだと知って、ご機嫌取りで贈られたのでしょう。見かけだけ取り繕えば十分です! ユウキさん! 貴女の≪料理≫スキルの高さ、期待させてもらいます! 10分で仕上げますよ!」

 

 ブリッツだ。地下室から厨房に連れ出されれば、いつの間にか準備された和菓子の食材が勢揃いしている。

 

「こしあん出来たよ!」

 

「お待ちを! 生地の着色がもう少しで……これで良し!」

 

 ブリッツがあんこを生地で包み、現物を隣に外観をトレースする。

 制作時間は僅か10分。半泣きのメイドに見た目だけは全く同じ和菓子を皿に並べて渡して送り出し、ユウキは額の汗を拭う。

 

「やったね!」

 

「この程度、メイドならば出来て当然です。皆、弛んでいますね」

 

 ……うん! 分かってたけど、汗1つ掻いてないよ! パーフェクトメイドっぷりを披露するブリッツは続いてシステムウインドウを開くと目を厳しくする。

 

「ヴェニデ管理の『ダミー』武器庫に侵入者あり。ユウキさん、後はよろしくお願いしますね」

 

 冷蔵庫をスライドさせたブリッツが取り出したのは人体を超える大きさを誇るガトリングガンだ。

 

「く、クリスマス期間は攻撃が……」

 

「ええ。ですので、クリスマス期間仕様非殺傷弾搭載モデルです。ある意味で『死んだ方がマシ』かもしれませんね」

 

 微笑むブリッツは厨房のタイルをスライドさせ、地下の抜け道へと飛び込む。

 

「……奴は行ったのか?」

 

 せめて見送りと足を運んだらしいアーロン装備の呆れ声に、ユウキは無言で頷くしかなかった。

 

「我々も奴に頼りすぎてる部分はあるが、それを抜きにしても働き過ぎだ。そうは思わんか?」

 

「でも、仕事大好きみたいだし、止めるのも……」

 

「奴は限度を知らん。『セサル様の為』を免罪符に、それこそ倒れるまで働く。私も必要とあれば不眠不休も辞さないが、奴のそれはもはや病的だよ」

 

「心配してるんだ」

 

「これでも恋人だからな。クリスマスデートに誘ったら『仕事はどうするのですか?』の一言で切り捨てられたがな。そのくせして、デートに誘わなければ誘わないで臍を曲げる」

 

「女心が分かってないなぁ。そこはもっと強引に迫ってきてよってアピールしてるんだよ! 隊長さんは奥手すぎ!」

 

「……難しいものだな」

 

 余った和菓子を爪楊枝で刺し、兜の隙間から戴いたアーロン装備の感慨深い溜め息に、ユウキは片付けをしながら横目で見る。

 

「……ねぇ、ブリッツさんはどうして、それこそ死ぬまで働こうってするのかな?」

 

「セサル様が休めと言ったら休むぞ」

 

「そうじゃなくて! いや、確かにセサルさんの一声があれば休むだろうけど、恋人の隊長さんが言っても止まらないんでしょう? どうやったら止まってくれるのかなぁって考えないの?」

 

「考えない。アイツにとって恋人は恋人、セサル様はセサル様だ。私よりも上位にセサル様がいる。セサル様が私を殺せと言えば殺すだろう。セサル様の世話をするのに、私を優先するはずがない」

 

「そうかなぁ。ああ見えて、隙あれば隊長さんへの惚気ばっかりだけど?」

 

「…………」

 

「どうなの?」

 

 問い詰めるユウキに、ヴェニデでもセサルを除けば1、2を争う実力者は、まるで追い詰められたネズミのように引き下がり、だがいつの間にか背後に集まったメイド達に気付いて逃げ場がない事を悟る。

 

「止める方法は……思いつく。だが実行したいとは思わん。やってみて、失敗すれば、落胆するだけだ」

 

「逃げるの!?」

 

「勝率が低いのに実行する理由が無い。それに愛情を確かめる方法としても不確実かつ不誠実だ。いいか? 憶えておけ。恋人に人生の2択を迫る。これ以上の裏切りは無い。人間は存外に即決できる生物だが、同時に優柔不断の弛みも好む。わざわざ片方を捨てさせるような真似は慎むべきだ」

 

「おぉ! さすがは13回も女に捨てられた男! 言葉に重みが違います、隊長!」

 

「その内の7人は寝取られて!」

 

「残る5回は自分が間男だった!」

 

「本当に酷い女難。いよいよ男に走りそうになってましたもんね」

 

 メイド達にヤジを飛ばされ、クリスマス期間は無力と分かっていても、アーロン装備は無言で抜刀する。だが、それで怯えるヴェニデの女ではない。むしろかかってこいとばかりに全員が得物を取り出せば、アーロン装備はやっぱり無言で納刀した。

 

「時としてハッキリさせない関係の方が良質かつ長続きするものだ。私とセサル様。どちらを選ぶのか分かりきっているが、それを明確化させる決断を強いても傷つけるだけだからな」

 

「もしかしなくても、隊長さんを選ぶかもしれないのに?」

 

「そうだとしても、嬉しいと同時に『苦しい』さ。アイツにとってセサル様がどれだけ大きな存在か、分かっているからな」

 

 そういう愛し方もあるのだろう。意見の1つに過ぎないが、アーロン装備の言葉には確かに重みがあった。積み重ねられた失敗の苦味があった。

 野次馬のメイド達の尻を蹴り飛ばす勢いで退出したアーロン装備を見送り、厨房に残されたユウキは思う。

 ブリッツもアーロン装備も大人だ。甘いも酸っぱいも味わって、大人の恋愛をしている。だが、それは『普通』とは言い難いもので、だがそもそも『普通』とは何なのだろうかという疑問が常に付き纏う。

 

「クーは……どうやったら止まってくれるんだろう?」

 

 キミは戦い始めたら、行き着く先に至るまで、決して止まらない。ボクはいつも追いつけなくて、待っている事しか出来ない。追いつこうとしても、何度も手を伸ばしても、キミに触れることさえ出来ない。ボクの祈りは『届かない』という事実だけが突きつけられる。

 それでも諦めることはない。必ず想いを届けてみせる。だから、今日から変わるのだ。キミに言葉を届けて、表面だけでもいいから関係性を変えてみせる。それが最初の1歩だと信じて。

 ユウキは早く終業にならないかと時計ばかりを気にし始めた頃、厨房のタイルが真上に吹き飛び、メイド服が煤で汚れたブリッツの勇姿が露わになる。

 

「お、お帰りなさい」

 

「ええ。ゴミ掃除は終わりました。まったく、まさかクラウドアースの手の者だったとは。しかもあんなにも簡単に口を割るなど、訓練が足りていません」

 

「クリスマス期間なのに、ど、どうやって口を割ったの?」

 

「男性は豚と、女性は馬と交尾させました。それだけでオチたので、手間は省けましたね」

 

「こ……っ!?」

 

 顔を真っ赤にするユウキを尻目に、何を驚いているのかとばかりにブリッツは無表情で嘆息する。

 

「尊厳をまず破壊する。拷問の初歩ですね。【渡り鳥】さんに比べれば優しいですよ。彼の場合、暴力は見た目だけ。性格・人格・記憶・欲望の全てを甘く剥ぎ取られ、まるで剥き出しの魂のようにされてしまう。彼の拷問を受けて生き残った者はほとんどいませんが、口を揃えて言うには、自分が自分で無くなっていく、まるで砂糖菓子になって口の中で溶かされていくように、延々と行使される暴力……それが堪らなく恐ろしくなっていくのだとか」

 

「……そうかな。クーの暴力は、そんなに怖いものじゃないよ」

 

 クーの殺意は深い愛情だから。あるいは、それを部分的にでも『理解させられてしまう』からこそ恐怖を覚えるのかもしれないが、ユウキからすればそれこそが理解しがたいものだ。

 

「……ユウキさんって、もしかしてマゾですか?」

 

「違うよ! た、ただ、クーの愛情表現なら受け入れたいなぁって思ってるだけで……」

 

「受け入れたいと思っても受け入れられないのモノはこの世に幾らでもありますよ。言っておきますが、【渡り鳥】さんは私の目から見ても、セサル様に匹敵する生粋のサディストです」

 

 あれ? なんか今日はいつになくセサルさんとクーの共通点を突きつけられてる? 頬が引き攣るユウキに、油を売っている暇は無いとばかりにユウキを厨房から追い出し、ブリッツは主の為に次なる仕事へと馳せる。

 そうして時間は瞬く間に過ぎ、ユウキはいよいよ終業時間を迎える。メイド達の怨嗟の声に耳を塞ぎ、お風呂で汗をしっかり流し、寝室に戻ると朝の内に準備していた服に着替える。

 悩んだ。思いっきりオシャレをすべきではないか、と。だが、同時にユウキは思った。

 

(あのクーがクリスマスに、ボクに会う為にわざわざオシャレとかする? 絶対に無い)

 

 だが、それでいい。オシャレ門番もいない庶民的な店。何処か懐かしさを憶える大衆料理。それでいて、実は少しだけ景色が良い窓際の席。それで十分だ。それだけで満足だ。むしろ、ユウキがドレス姿でホテルの最上階にある高級レストランに誘ってきたら『仕事』と疑われるだろう

 結果、ユウキは自分らしさをアピールすることにした。黒タイツの上からショートパンツ、温かなハイネック、ダッフルコート。平々凡々である。だが、これでいい。むしろ、今夜はクゥリに気遣わせたくないユウキは敢えてオシャレを封印している。

 

「……本気ですか?」

 

「本気だよ」

 

 様子を見に来たブリッツは目眩がしたのか体を傾け、何とか踏み止まる。

 

「いえ、駄目とは言いません。質もよろしいです」

 

「分かる!? これ、実はちょっとした防具くらいの防御力があるんだ♪」

 

「ああ、なるほど……って、そうではなく! クリスマスのデートに、如何なものかと……」

 

「いいの! ボクとクーは高級レストランよりも庶民の食堂! そっちの方が楽しいんだ♪」

 

「……安上がりですね。男を付け上がらせてしまうのではないか、心配になります」

 

「むしろ、クーに任せたら、天井知らずの高い店とか予約しちゃうから。ボクがお財布をコントロールしてあげないと!」

 

 それでは軽々しくお喋りすることもできない。きっと臆病になる。告白できなくなる。ユウキは自分の情けないまでの臆病に自信を持っていた。

 

「……セサル様も同じです。あの御方、金銭にまるで執着がないんです。経営手腕は一流なのですが、ご自身の貯金はほとんど無いんですよ」

 

「何に使ってるの?」

 

「さぁ? 私も聞いた事がありません。もしかしたら、煩わしいとばかりにほとんど全額を慈善団体に寄付しているのかもしれませんね」

 

 ユウキの髪を櫛で丁寧に梳き始める。

 

「動かないでください。せめて髪型くらいは変えないと。気付かないような男は殴って構いません」

 

「クーは気付いても何も言わないと思うよ?」

 

「それでも殴って構いません」

 

「い、意外と横暴だなぁ……。あ、だったら、して欲しい髪型があるんだ」

 

 伝えれば、ブリッツは瞬く間に仕上げると鏡で確認させる。

 アルヴヘイムで救えなかった人。彼女の意思を貫き通す為に、ユウキは【黒の剣士】の前に立ち塞がることを選んだ。そして、負けた。

 思えば、ユウキにとって本当の意味で生きる事を知れたのはあの日からだ。

 

(アスナ。ボク……アスナみたいに可愛くなれない。綺麗にもなれない。でも、頑張るよ。見ててね)

 

 プレゼントは持った。時間も良し。待ち合わせの場所を目指すだけだ。

 

「ユウキさん、どうか貴女に聖夜の祝福がありますように」

 

 出発の前に額にキスされ、ユウキは恥ずかしくて後退る。ブリッツはつい悪戯してしまったと上品に口元を隠しながら笑った。

 走りたい気持ちを抑える。肌を突き刺すような凍える寒さでも、寒冷対策バッチリならば、少し体を動かせば汗を掻きかねない。香水は主張しない程度に使っているが、やはり汗はいただけない。

 道行く人々はカップルばかりだ。だが、ちゃんと見れば違うと分かる。

 1人でポケットに手を突っ込んで俯いて歩く人。

 仲間同士でクリスマス専用イベントの成果を確認し合っている人。

 薄暗い路地裏で脅され、アイテムやコルを巻き上げられている人。

 と、ユウキがすれ違ったのは、クリスマスでなければ無視していただろう、全身を血と煤と泥で汚れた、ボロボロの防具を着た男だ。まるでモデルが雑誌から飛び出してきたかのような美形が台無しだ。だが、それ以上に右目を手で押さえて隠し、露わになった左目に宿る濁りきった底知れぬ感情の渦があった。

 それからしばらくして、教会服を着た少女とすれ違う。可愛らしい顔を必死な形相で歪めた、前髪を編んだ少女だ。淡い茶色の髪は汗でべっとり濡れ、息荒く両手を膝につき、だが頬に滴る汗を拭うこともなく走り出す。誰かを探しているのだろうか。だが、道行く人は声をかけない。気にもしない。ユウキも同じだ。

 目に付いただけで、先程の彼にも、今し方の彼女にも、どんな物語を生きているのか、気にもしない。

 そうだ。『誰か』からすれば、ユウキも『誰か』でしかない。過去も、今も、未来も興味を持たれないその他の1人でしかない。だが、それでも『誰か』がいる限り、出会って、話して、別れて、それでもやっぱり会いたいと思うようになって『誰か』は大切な人に、特別な人に、そして何にも揺るがされない例外になるのだ。

 黒鉄宮跡地の広場に辿り着く。巨大なクリスマスツリーは倒壊しかけ、だが持ち直し、修繕が施された後も窺える。美しくライトアップされ、煌びやかな装飾を輝かせ、恋人達はまるで願掛けするかのように見上げている。

 もうすぐだ。もうすぐだ。もうすぐだ。ユウキは早歩きになりそうになり、だが深呼吸して落ち着かせる。

 

「あ……」

 

 見つけたのは大好きな後ろ姿。まだボクに気付いていない。ユウキは紅潮する頬を両手で叩き、臆病で震え上がる足に勇気を送り込むように小さくジャンプする。

 ボクはアスナのように可愛くない。綺麗でもない。太陽みたいに明るく照らすこともできない。

 

「それでも……」

 

 ユウキは手を伸ばす。今度こそ手放したくない温もりを求めて。

 

 

▽      ▽      ▽

 

 

 12月25日AM6:00、起床。

 輪廻は瞼を擦り、狼耳を数度だけ跳ねさせ、試運転のように電磁索敵フィールドを展開する。

 不審な動きはなし。黄龍会のリーダーであるシャイは逃亡中であり、尻尾を掴ませていないが、安易に報復行動には出る程に短期でも無謀でも無かったようだった。

 マスターに買ってもらった犬柄パジャマは尻尾が出るように穴を開けてもらっている。尻を突き出すようなポーズで寝ぼけたまま尻尾を振り、冬の朝の寒さに身震いして頭から毛布に突っ込む。

 

「……あと5分」

 

「眠れると、本気で思っているのか?」

 

「思っていないです、マスター!」

 

 冬の朝霜よりも冷たい声に、輪廻は毛布から抜け出てベッドの上で敬礼する。

 いつもと変わらぬ教会服姿のマスターは、まるで深さも分からぬ程に澄んだ氷水のように透明感がある。だが、輪廻からすれば眼帯に覆われていない右目が発する絶対零度の眼差しの方が突き刺さった。

 

(スイレンさんの護衛の時と同じく、マスターは眠りません。眠る『フリ』がとてもお上手で、だけど眠っていないので、疲れが取れていないのではないか心配です)

 

 マスターは眠らない。傭兵寮にて、ベッドを早々に輪廻へと明け渡すと、本人は椅子に腰掛けて足を組み、愛刀を抱えるようにして瞼を閉ざした。

 試しに触れてみようとすれば目を開き、話しかけてみれば応じられ、たっぷり4メートル離れた場所で尻尾を振ってみれば鞘が飛んできて額に突き刺さった。比喩でも何でも無く突き刺さった。先端が尖ってもいない鞘でも力任せならば突き刺さるのだと輪廻は血の海で教えられた。

 

(せめて、どうにかして、もう少しでもお休みなれる方法を考えなければ)

 

 何処から仕入れたのか、黄龍会の皆殺しは密やかに行われた。輪廻は夜間用装備でサイレンサー付きスナイパーライフルで援護したが、出番はほぼ無かった。

 

『遺体の首は全て切断する。これで「誰」を敵に回したのか、十分に伝わるだろう』

 

 マスターは容赦がない。敵ではなく、自分に対して容赦がない。スイレンの墓を絶対に掘り返させない。たとえ、遺体は埋まって折らずとも、たった1つの遺留品……マスターが買ってあげた詩集が墓標と同化している。知られれば高値で売れると恥知らずが掘り返すだろう。そうでなくとも、≪ボマー≫の手がかりを求めてスイレンの墓に手出しを考えていた者は多かった。

 だが、マスターは黄龍会のメンバーを、敢えてシャイだけ不在の時を狙って皆殺しにした。首を晒すだけでは足りない。裏の奥深くまで、生き残ったシャイを通じて『【渡り鳥】を敵に回せばどうなるのか』を恐怖と共に知らしめる為に。

 もちろん、シャイの足取りは完全に掴んでいる。クリスマス期間が終われば、シャイが『どうすれば【渡り鳥】から身を隠せるのか』を相談した犯罪ギルドを1つ残らず皆殺しにする。徹底して追い詰める。そして、年明けに殺す。晒し首にする。

 マスターは怒っていない。シャイに対して何の感情も抱いていない。単純にスイレンの墓を守る為に、自身の悪名を最大限に利用し、シャイをわざと泳がせて≪ボマー≫を追っている他の犯罪ギルドを炙り出して皆殺しにし、最後にシャイ自身を殺して見せしめを完了する。

 敢えて言うならば『狩り』だ。シャイという生き餌を使い、スイレンの墓を暴かんとする害獣を炙り出し、1匹残らず駆逐する。そうする事で害獣が寄りつく事を防ぐ。

 

『安心しろ。普段はここまでしない。スイレンから貰った追加報酬分だけ、アフターサービスも多めにしているだけだ』

 

『反応剤のレシピはそんなに価値があるのですか』

 

『さぁな。グリムロックが決める事だ。だが、お前の名前にはそれだけの価値がある。良かったな。俺が名付けていたら「ワン子」「4代目コゴロー(養女)」だったぞ。本当に良い名前をもらったな』

 

 はい、スイレンさんには本当に頭が上がりません。輪廻は墓前に花を捧げに行かねばと決心している。

 

『それに、これで大ギルドも少しは≪ボマー≫探しも大人しくなるだろう。死者は墓を暴かれようと蘇らないが、スイレンの為に涙した彼女の客の心の安らぎは壊されない。「高級娼婦スイレン」の仕事も完遂される』

 

 マスターはスイレンに敬意を払っている。傭兵と娼婦。違いはあっても仕事に手抜きはしない。だからこそ、プロにはプロに払うべき敬意がある。それがマスターの流儀だ。

 ああ、本当に優しくなれない。『優しい人』にはなれない。道行けばマスターへの恐怖ばかりを人々は口にする。マスターはそれを狙って晒し首にしたのは事実であろうとも、そこに込められた真実など見向きもしない。

 いいや、誰も知ってはならない。輪廻さえもマスターとスイレン……2人の間で交わされた『真実』を知らないのだから。だが、それでいいのだ。残された名前を継ぐ。それ以上はマスターとスイレン……2人だけの秘密でいいのだ。

 

「ますたぁ、やっぱりベッドで寝られた方がいいのでは? 顔色がよろしくないです」

 

「欠伸をしながら喋るな。さっさとメシを食え」

 

「……ひゃい」

 

 焦げたトースト。バター。ジャム。コーンスープ(缶詰)。侘しい。折角の冷蔵庫も台無しだ。

 

「やっぱり輪廻が作りましょうか?」

 

「味覚が無いから何を食っても同じだ。栄養価だけなら味も気にしなく済んで安上がりだ。何より……」

 

「何より?」

 

「2度寝するようなヤツに、朝飯を作らせる気は無い」

 

「だ……だって、冬のお布団がこんなにもぬくぬくなんて、輪廻は知らなかったんです! もう魔法です! 頭からすっぽり被ると、意識が解けて夢現になります!」

 

 初召喚から直でスイレンの護衛であり、まともにベッドで寝た経験もなかった輪廻にとって、冬のやや厚めのふわふわ布団は恐ろしい魔法のアイテムだった。

 

「むしろ、どうしてマスターはしないんですか? あんなにも心地良いのに」

 

「落ち着かない。そもそも心地良いとは思えない。以上」

 

「だからどうして!?」

 

「……そもそも布団の中で丸まってたら、奇襲された時の対応手段が減る。そもそもベッドで寝ること自体があり得ない。ベッドに爆弾を仕掛けて60点。ベッドにダミーを置いて、ベッドの下に寝袋で寝るなら30点だ」

 

 思いっきり溜め息を吐かれ、輪廻はぼんやりと考える。マスターの返答が傭兵として模範解答なのか、情報不足で断定できない。

 

「待ってください。輪廻にベッドで寝るように勧めたのは……ま、ままま、まさか……!」

 

「オマエはタフだからな。対巨獣用ヒートパイルを頭にぶち込まれん限り即死しないと分かった以上、オマエの有用性……存分に活用させてもらうぞ」

 

 輪廻の有用性を評価した上での囮? ならば悪くない? むしろ良策? データ不足だ。トーストを囓りながら、狼耳を右に左に傾けながら思案する。なお、マスターの朝食は今日も謎の固形ゴム質携帯食だった。ニオイだけで輪廻の鼻は千切れそうだった。食べたら即死しかねないだろう。

 

「ちなみに、マスターの100点満点は何なんですか?」

 

「そもそも襲撃予定者を襲撃して皆殺しにして、安眠できる環境を確保する」

 

「……輪廻は0点だと思います」

 

「言うようになったな」

 

「敵を殲滅しても、マスターが安眠するとは思えませんから」

 

 スイレン護衛終了から1度としてベッドを使わず、眠りもしないマスターを見ていれば嫌でも辿り着く結論だったが、それこそがマスターにとって意外だったらしく、僅かに眉間に皺を寄せながら顎を撫でた。

 

「……確かに、その通りだ」

 

「マスターも安眠できるお家が早く見つかるといいですね」

 

 テーブルの上で纏められた物件資料を横目に輪廻が期待を込めて口にすれば、それこそ難題だとマスターは頬杖をついた。

 

「オマエも追加されたせいで探し直しだ。逃走経路、トラップ設置、ダミーホーム情報散布、警戒網構築……全てに合致する物件はなかなか見つからない。オマエの能力も加味して探し直しだ」

 

「輪廻は1つだけ該当する物件に心当たりがあります。正確にはカテゴリーですが」

 

「ほう。言ってみろ。参考にする」

 

「要塞です。軍事要塞です。マスターは家を探されているのですか? それとも要塞を探されているのですか?」

 

「……言うようになったな」

 

「輪廻は超高性能サポートユニットですから!」

 

 ドヤ顔して胸を張れば眉間に鞘入り贄姫が飛んでくる……ような理不尽はさすがにない。代わりにマスターは目を細める。

 

「よし。オマエの意見を考慮して探し直そう。そうだな。贅沢は言わんが、犬小屋付きを絶対条件とするか」

 

「輪廻は狼です!」

 

「だったら狼らしさを少しは見せてみろ。今のオマエは犬と変わらん。せめて豆柴からハスキー犬までランクアップしてみせろ」

 

 ま、豆柴? 輪廻が……豆柴ぁあああああああああああ!? 顎が外れそうになった輪廻の前で、先に食事を終えたマスターは何やら書物を捲る。

 

「マスター……何をお読みになっているので?」

 

「動物図鑑。オマエの耳が狼なのか、自信が持てなくなってきてな。調べている。そもそもオマエの側頭部には人間と同じ聴覚器官としての人耳が備わっている。あくまで狼耳はソウルコネクター発生装置の保護膜及び電磁索敵フィールドの精度補助がメインだ。そう考えると、わざわざ狼耳の必要性もないからな」

 

 マスターの目が本気です。本気で輪廻を狼じゃなくて犬、あるいは別のカテゴライズだと想定している目です……! いよいよ危機感で震えた輪廻に、マスターは目を逸らす。

 

「……冗談だ。9割くらいはな」

 

「輪廻、知ってます! 1割本気は100パーセント本気です!」

 

「朝からうるさい。さっさと食え」

 

 どうすれば輪廻が狼だと再認識してもらえるでしょうか? 尻尾を振った分だけ思考を回転させ、輪廻はまず自分がどれだけ狼っぽいのか確認できない事に気付く。

 皿洗いを済ませ、着替えた輪廻はシャワーを浴びる。そして、平然と置かれた『犬用シャンプー』に衝撃を受ける。

 

「マスター」

 

「オマエ用のシャンプーを買っておいたぞ。毛並みは……良いんじゃないか? 買って良かった」

 

「申し訳ありません。昨日と同じく、マスターと同じ人間用を使わせていただきました」

 

「そうか。目の錯覚だったか。すまないな」

 

 こちらに見向きもせずに平然と新聞を捲るマスターに、輪廻は更なる危機感を募らせる。このままでは本当に犬小屋送りにされてしまいかねないからだ。

 

(1歩譲って、それでマスターの安寧が守られるなら、輪廻の尊厳は要りません! でも、やっぱり、駄目です! 輪廻はもうお布団の魔法にかってしまいました! 犬小屋ではお布団ぎゅーでゴロゴロできません……!)

 

 更に言えば、マスターの部屋には無い『KOTATSU』なる対冬用決戦兵器があるとヨルコから聞いている輪廻は、何としても新居ではマスターに購入させるという野望があった。

 

(何としても、マスターにお布団を頭から被って丸くなる心地よさを教えねば! やってみせます! 輪廻なら出来ます!)

 

 その為にも、まずはマスターからの信用回復の為にも狼らしさを知らねば……! 輪廻はさりげないストレッチ体操をしながら動物辞典に近寄り、だがマスターは新聞を閉ざすとわざわざ動物辞典の上に置く。

 ば、バレ……ている? いやいや、まさか! 心の中で手を横に振る輪廻だったが、まるで冷水で清められた日本刀の如きマスターの眼光に射貫かれる。

 

「オレのサポートユニットならば、最低でもオレに気取られないように『狙え』。訓練にもならん」

 

 輪廻、知ってます。それ、『ムリゲー』って言うんです。輪廻はどんどん賢くなっているんです。マスター、知らなかったでしょう? 輪廻は感情の籠もらない笑みの後に頭を抱える。

 犬小屋送りは嫌だ! 犬小屋送りは嫌だ! 犬小屋送りは嫌だ! 首輪とリードで散歩は構わないが、犬小屋送りは嫌だ! マスターが外出の準備を始めた隙に動物図鑑を狙うが、投げナイフが飛んでくる。クリスマス期間で無ければ、動物図鑑に伸ばした右手、額、左脇腹、喉に突き刺さっていただろう。

 

「行くぞ」

 

「は、はい!」

 

 外出用の耳と尻尾を隠す大きめのコートを羽織り、輪廻はマスターの後に続く。

 マスターの気配を殺す技術は超一流……野生動物以上だ。≪気配遮断≫スキルも併用しているとしても、まるで道行く人々は気にも止めない。噂の【渡り鳥】が数センチ隣を通り過ぎても見向きもしない。

 

『あらゆる生物には意識の死角が存在する。それを意図的に作り出せばいい。機械相手ならもっと簡単だ。スペックを確認すればいい。そうすれば攻略法が見える』

 

 どうすれば同じ事を出来るのか、数日前に尋ねた時には1秒の躊躇いもなく回答された。

 輪廻、知ってます。それ、『出来たら苦労しない』って言うんです。凄いでしょう? 輪廻、どんどん賢くなってるでしょう?

 

「どうやって輪廻の気配も『殺す』んですか?」

 

「別に殺してない。今日はクリスマス。誰も彼もが心の内に隙を作る。すると通りに意識の流れが出来る。意識の死角……空白地帯を最短距離で渡り歩く。オマエはオレに続いてるから同じ事が出来ているだけだ」

 

「クリスマス限定という事ですか」

 

「やろうと思えばいつでも出来る。難易度が変わるだけだ」

 

 だったら輪廻も習得すれば、いつでもマスターとお出かけできる? だが、目を凝らせども、耳を澄ませども、最後には電磁索敵フィールドを展開までしても、意識の空白地帯など見えてこない。

 輪廻の奮闘を知ってか知らずか、マスターは足を止める。

 

「自分の五感では無く、道行く者の五感を辿れ。そうすれば見つかる」

 

「わ、分かりません。どうやれば、他人の五感など分かるのですか?」

 

「イメージしろ。オマエが狼だとして――」

 

「輪廻は狼です」

 

「……狩りをするならば、獲物の過去・現在の状態と未来に取るだろう行動から戦術・戦略を立てるはずだ。そうすれば自ずと分かる。意識の死角がな」

 

「な、なるほど?」

 

「だから、オマエの電磁索敵フィールドは有用だ。機械的情報収集能力は意識の死角を無効化する。だが、頼るなよ。欺く方法は幾らでもある。少なくとも、オレならオマエが電磁索敵フィールドを展開していても気付かれずに背後を取れる」

 

 さすがに言い過ぎだろう……とは、輪廻も口が裂けても言えない。マスターは戦い・殺しにおいて過信で発言しない。輪廻が電磁索敵フィールドを頼りすぎる癖を把握した上で忠告しているのだ。

 

「マスターは道行く人……この大通りの何百人もいるプレイヤーの過去・現在・未来の全てをシミュレートしている、という事ですか?」

 

「そこまで大層な事はしていない。ちょっとした頭の体操程度だ。狩りの基本だからな」

 

「……輪廻も頑張ります」

 

 マスターに出来て、マスターのサポートユニットである輪廻に出来ない道理はありません! 今すぐは無理でも、いずれはマスターの足下くらいまでは追いついてみせます! 意気込む輪廻であったが、そもそも人が密集して頻繁に行き交う大通りにて、誰の肩にもぶつからずに早歩きで進むマスターにさえも追いつけていなかった。

 

「……すまない。気配を殺して誰かと歩くのは、あまり慣れていない」

 

 ようやく輪廻を置き去りにしてしまったと気付いたのだろう。聖剣騎士団贈呈の噴水広場にて、フードを深く被ったマスターがベンチに腰掛けて待っていた。

 

「一昨日の黒髪の女性とは出来ていましたが?」

 

「だから気配の殺し方が甘かった。シノンには気付かれていなかったが、カイザーファラオとラビズリンには悟られた」

 

「そうでしたか」

 

「……ちょっと待て。リーファちゃんと出かけた時、オマエを伴った覚えはないが?」

 

「ふふふ! 輪廻が命じられたのは待機ではなく自由行動です。マスターを尾行しました! マスターを欺きました! 気付いてなかったんですね!」

 

 ドヤ顔をまたも披露した輪廻に、マスターは素直に口元を優しく歪める。

 

「よくやった。気付かなかったぞ」

 

「……え?」

 

「どうした?」

 

「いえ、ここはマスターから『その程度で調子に乗るな』と脳天叩き割りが来るものかと思っていたので」

 

 輪廻の無邪気な発言に、マスターは立ち上がると考え込むように1メートル間隔を右回転で歩き回り、やがて結論が出たように立ち止まる。

 

「……クリスマス用メンテナンス費、欲しいか?」

 

「はい! お小遣い欲しいです!」

 

「良し。オレは昼から人と会う約束やら仕事やらが詰まっていて、帰るのは深夜だ。好きに買って食べろ。ただし、寮から出るな。オマエの価値は高い。犯罪ギルドや大ギルドに拉致される危険性もある。そうなれば、オレも『自分の武器』を奪われて黙っているわけにはいかなくなる。いいな?」

 

「はい! マスターのご命令ならば、輪廻は傭兵寮マスター自室にて待機します!」

 

 マスターは輪廻の蝦蟇口財布に複数枚の小切手を入れる。それが100万コルの額面で、哀れな受取人が腰を抜かすのはまた別の話である。

 

「でも、お仕事なら輪廻も同行した方が……」

 

「要らん。戦闘でもない。そもそもサインズも通していない非正規だ。オマエはクリスマスを満喫していろ。折角ちゃんとした五感があるんだ。食道楽でもしろ。クリスマスなんだ。フライドチキン、クリスマスケーキ……ちなみに酒は?」

 

「輪廻は人間ではありません。飲酒制限はありません」

 

「そうか。だったら酒だな。スパークリングワインなんてどうだ?」

 

 他人事だ。仕方が無い。味覚が無い。正確にはほとんど残っていない。それさえも正常かどうか定かでは無い。

 マスターは味覚に僅かの未練も感じさせない。そう振る舞っているのかどうかさえも区別できない。だが、輪廻はマスターの袖を掴む。

 

「ワガママ言ってもよろしいでしょうか? 輪廻は……輪廻はマスターと一緒に『美味しい』を探したいです」

 

「無理だな。オレの舌はもうイカれてる」

 

 自身の舌を右手親指で撫でたマスターは、だが輪廻の心遣いだけは受け取るように、少しだけ歩みを緩め、売れる気配が無い『ふわふわ雪菓子店』という屋台の前に立ち止まる。

 

「い、いらっしゃい! おいくつで!?」

 

「1000個」

 

「……は?」

 

「1000個。1個ずつオレと彼女に。残りの998個は教会の孤児院に匿名でお願いします」

 

 マスターが小切手を差し出せば、店主は飛び跳ねてふわふわ雪菓子……ハッキリといえば何の変哲もない綿菓子を差し出す。

 

「ふわふわです! 甘々です!」

 

「そうか。たしかにふわふわだな」

 

 マスターと『ふわふわ』を共有できました! 輪廻は少しだけ楽しそうに見えたマスターの横顔に安心し、同時に急いで998個のふわふわ雪菓子を作る店主を振り返る.

 

「でも、どうしてあんなにたくさん? お客さんがいないから可哀想だったんですか?」

 

「気まぐれだ。どうせオレが食べても味なんて分からん。だが、オマエと食感は共有できた。オマエの理屈なら共有すればするほど美味くなる。だから届けたら喜びそうな連中用に買った」

 

「では、どうして1000個も?」

 

「気まぐれだ」

 

 本当に気まぐれなんだろう。もしかして、マスターってお金の管理……駄目な人なのでは? 輪廻は嫌な予感を募らせる。

 

「マスターの家計簿は何処にあるのですか? 輪廻は見た事がありません」

 

「かけい……ぼ?」

 

「分かりました。輪廻は超高性能サポートユニットです。今後の金銭管理は輪廻にお任せください」

 

 輪廻は犬小屋送りとは別の危機感を募らせる。

 

「マスターは傭兵。高給取りです。報酬の大半を装備に投資しているとはいえ、やはり個人資産の管理と運用は重要です。今後は輪廻にお任せください。超高性能サポートユニットとして、マスターの資産を1ヶ月で2倍にして――」

 

「オマエだけには絶対に任せない」

 

「わふぅ!?」

 

 0.1秒の思案の余地もなかった。だが、同時にマスターが見せた乾いた眼差しがフードの闇から見えた気がした。

 

「それに、金なんて持ってても仕方ないだろう。残すべき子孫もいないのに、持っていても仕方ない」

 

 ああ、違う。最初から興味などないのだ。必要なのは武器のみ。最低限の趣味さえもいつでも処分できる書物のみ。そもそも欲望を発散させようとしない。

 まるで、何か1つでも外れてしまえば、ダムが決壊するように。輪廻は何ともないように振る舞うマスターの右手を掴む。まだ感覚が僅かに残ってると知っているからこそ、自身の熱を届ける。

 

「マスター。今日は冷えます。手袋を忘れたら駄目です」

 

「……オマエもな」

 

「輪廻は狼です! 毛皮は無くとも耐寒性能は高いです!」

 

「だったら布団は要らないな」

 

「そ、それは……!」

 

「冗談だ。今度こそ10割だ」

 

 マスターは大きく1歩踏み出して輪廻の手を離そうとして、それが嫌で輪廻は腕まで掴んでしまい、不審と共に振り返らせてしまう。

 しまった! 自分の行動なのに自己分析できずに慌てる輪廻は、理由を探そうと視線を惑わせる。

 

「マスター! クリスマスは親しい御方からプレゼントをいただくと聞きました! 輪廻もマスターから欲しいです!」

 

「……確かに。メンテナンス費をクリスマスプレゼントにするとか、現金を渡してプレゼントを買えと言うのと同じ情緒の無さだな。何が欲しい? 骨か? ドッグフードか? フリスビーか?」

 

「マスター、輪廻は怒る権利があると思いますか?」

 

「……あるだろうな」

 

「だったら怒りません。その代わり、マスターにアレを買って貰います!」

 

 輪廻が指差したのはぬいぐるみだ。白くて、モコモコふわふわで、つぶらな瞳と可愛い首輪が付いた、何とも区別が付けがたい四足歩行の動物らしきぬいぐるみだ。

 山積みにした露天商が輪廻の接近に、客が着たとばかりに手揉みする。

 

「いらっしゃい! お得もお得! 1体たったの2万コルだよ!」

 

 黒い丸形サングラスをかけた露天商の言い値に、輪廻はマスターを見上げる。

 

「輪廻にはまだ価格相場が分かりません。安いのですか?」

 

「質による。だが、オレではな」

 

 マスターでは肌触りに『確信』が持てない。輪廻は抱えるのも大変である大きなぬいぐるみに全身を押しつける。

 

「お、お布団にも匹敵します! マスター! 輪廻はとっても価値があると思います!」

 

「……失礼ですが、ぬいぐるみのモデルは? 犬や猫には見えませんが」

 

「ん~? 実はね、ある酒場でこう……ワイルドな兄ちゃんが酒に酔いながら『俺の天敵~』とか言いながらテーブルにナイフで彫り込んでたのよ。だから名前は……『天敵ちゃん』かな?」

 

「ですから、モデルは何ですか?」

 

「分かんない。テヘ☆」

 

「マスター! モデルなんか関係ありません! 輪廻はこれがいいです!」

 

「……そうだな。クリスマスプレゼントに価格で制限をかけても馬鹿らしいか。これを1つ」

 

「毎度あり!」

 

 普通ならば、露天が売ってる2万コルのぬいぐるみなど買う人はいない。だが、悲しくもここにいたのは、まだまだ世間知らずの狼(仮)と交渉・取引の才能ゼロの傭兵だった。2人は良い買い物をしたと、大笑いする露天商にも気付かずに歩み出す。

 

「そろそろ時間だ。フライドチキンとケーキはこの店に予約してある。他に欲しい者があるなら店主に小切手を渡してオレの名前を出せ。揃えてくれるはずだ」

 

 渡された予約カードはそれこそ傭兵寮の隣、ワンモアタイムである。

 輪廻はようやく理解する。昼から会う約束があるのに、わざわざ午前中を使って街を歩き回ったのは、他でもない輪廻にクリスマスの賑わいを経験させる為だったのだと。

 

「……マスター」

 

「何だ?」

 

「いいえ、何でもありません」

 

 マスターは優しくない。それでも優しくありたい。だから、輪廻はいつだって笑います。マスターが優しくあろうとしてくれた時、少しでも意味があったのだって思えるように。

 

「行ってらっしゃい、マスター」

 

 輪廻は知ってます。今日は大切な人と会うのでしょう?

 どうか、マスターが少しでも笑えますように。

 どうか、マスターにとって有意義な1日でありますように。

 どうか、マスターに僅かでもいい、救いがありますように。

 

 輪廻は邪魔しません。だって、マスターに有用性を認められた超高性能サポートユニットですから。だから、輪廻は輪廻に出来る事をします。

 財布を手に、輪廻は笑みを耐えきれないまま、ワンモアタイムのドアを開いた。

 

 

▽      ▽      ▽

 

 

 12月25日12時01分。

 髪型、良し。

 服装、良し。

 軍資金、良し。

 

「待たせたな、クー!」

 

「……面倒臭い」

 

 うん。この返答だ。俺はこのクレイジーでぶっきら棒な返答を待ってたんだ! キリトは思わずガッツポーズをする。その様をクゥリは心の底から面倒臭いというアピールをするように息を吐く。

 

「何が悲しくて、野郎だけでクリスマスにイベントを回らないといけないんだ」

 

「欲しいレアアイテムがたくさんあるんだ! 昨日は諸々で時間が無かったし、日が落ちたら聖夜鎮魂祭の出席で拘束されるから、今しかないんだ! それなのに、まさかクーから時間をズラしたいって連絡があるなんて思わなかったぞ」

 

「……オレにだって、労に報いる義務がある。それだけだ」

 

「噂のサポートユニットか?」

 

「…………」

 

 あ、睨んだ。分かりやすい。キリトは苦笑する。

 

「キミらしくないと思ったけど、上手くいってるみたいで良かったよ。今度ちゃんと紹介してくれ」

 

「構わないぞ。オマエに懐いたら、契約の移譲も考えてやる」

 

「本気か?」

 

「どっちだと思う?」

 

 悪戯っぽく微笑むクゥリに、キリトの心は掻き毟られる! だから! 俺にだけ! どうして! そんな顔をするんだ!?

 

「冗談だ。契約は守る。アイツが望んでオマエの所に行きたいと望まない限り、オレも渡すつもりはない」

 

「……キミは相変わらず律儀だな。俺も見習いたいよ」

 

 俺は約束を破ってばかりだ。いつだって、最も守らないといけなかった約束を果たせていない。キリトの返答に、それこそ見当違いだとばかりにクゥリは嘆息した。

 

「出来ない約束をしていないだけだ。女絡みでも、自分の限界以上の約束を結べるオマエが時々だが羨ましくなりそうになる」

 

「守れもしない約束なんて不義理なだけだ」

 

「そうだな。そうかもしれないな。だが、守り通せた時、オマエは成長を遂げた事になる」

 

 キミは極端にポジティブだったりネガティブだったりして、本当に俺を惑わすよ。キリトは振り回されるのも慣れていると肩を竦める。

 

「それはそれとして、オマエは目立つ。変装くらい出来ないのか?」

 

「する必要あるか?」

 

「……オレにはある」

 

 教会服かつフードを被れば、クリスマスの影響もあり、クゥリだと気付く者は少ない。だが、キリトが隣にいれば関連から予測する者も少なくないだろう。

 キリトも自分の知名度には自覚がある。今も道行く人々の視線が突き刺さる。だが、だからと身を隠す道理もない。

 

「オレとキミの関係性なんて今更になって隠すものでもない。むしろ見せつけてやればいいさ」

 

「さすがはビーター様だ」

 

「元だよ」

 

「それは失礼」

 

 クゥリと気軽に会話できる。それだけでキリトは満足だ。本当は黄龍会の首晒し事件など問いたい事もたくさんあるが、クゥリは仕事について決して軽口にはならない。たとえ世界征服を目論む悪の軍団からの依頼であっても情報漏洩しない。だからこそ、大ギルドも安心して闇の仕事を回せるのだ。

 

「それで? 話したい事があるんだろ? 聞いてやる」

 

「キミもあるだろ。色々と大変だったはずだ」

 

「仕事だ」

 

「俺も仕事だよ。でも……報告しておきたい事はあるかな」

 

 キリトは淡々と感情を込めずにスゴウの事を告げる。クゥリにとっては重要ではないかもしれないが、自分達の新たな仲間として加わったスゴウについて知っていてもらいたかった。

 

「ラジードとユナには助けられた。俺はやっぱり人生ソロプレイヤーなんて無理だって改めて痛感したよ」

 

「…………」

 

「クー? 何か気になる事でもあるのか?」

 

「いや、別に。そうか。悪の心に蝕まれた善人を救う。『殺さずに救える』。よく分からないが、オマエならやはり可能なんだって分かった。それだけだ」

 

 俺だけでは無理だった。キリトの選択をユナが止め、皆で知恵を出し、聖剣の手助けを借り、スゴウがキリトを信じてくれていなければ、決して辿り着けなかった。

 自分だけで到達した結果だと驕らないし、そもそもそこまで自己肯定は出来ない。これまで調子に乗る度に凹まされ続けた人生経験は伊達ではないのだ。

 

「だから、『スゴウを殺さず救ってくれてありがとう』」

 

「キミが感謝する理由はないだろ」

 

「そうだな。そうだよな。でも、それでも、言いたい気分だったんだ。それで十分だ」

 

 キミは本当にミステリアスで、ふとした瞬間に今にも消えそうな儚い微笑みを描く。俺はそれを美しいと思う。堪らなく……大嫌いだというのに。キミにそんな顔をさせたくないはずなのに。

 キリトは拳を握り、だがクリスマスに言い争いになど発展させたくないと感情を呑み込む。

 

「それはそうと、キミもイヴのパーティに参加してくれたら良かったのに。ラジードも来てたんだぞ」

 

「『今日の仕事』の調整とかあったからな。失敗できないから打ち合わせも念入りに済ませた」

 

 クリスマスの仕事? さすがに殺しではないだろう事は予測できるからこそ、キリトには全く想像できなかった。

 目星のイベントを回るルート構築は出来ている。クゥリと2人ならば失敗することもないだろう。まだイベントクリアされていないのも確認済みだ。

 初回クリア限定レアアイテムは全ていただきだ。悪い笑みを浮かべながら、屋台で買った紙コップ珈琲をクゥリに渡す。

 

「ミルクを入れるのか。前はブラックだっただろ」

 

 クゥリの問いに、キリトは苦笑しながら珈琲を混ぜる。

 

「今日はミルクの気分なんだ。そう言うクーはマシュマロを入れなくていいのか?」

 

「オレがマシュマロを入れるのはココアだけだ。珈琲はブラックだ」

 

「じゃあ、今日はミルクを入れてみよう」

 

「要らん」

 

 キリトの手を払い除けて歩き出したクゥリを追いかける。

 ミルクが珈琲の深みにほんのり甘みを足してくれている。邪道と嫌う者もいるかもしれないが、これはこれで悪くない。いつも同じ飲み方だけでは楽しみ方が凝り固まってしまう。

 

「ところでキリト」

 

「ん?」

 

「オマエってイケメンだよな」

 

 クゥリの唐突な指摘にキリトは珈琲を危うく噴き出しそうになる。

 むせ返るキリトを気にする様子なく、クゥリは自分の珈琲を何でもなさそうに飲む。

 

「きゅ、急に何を……!?」

 

「悔しいが、身長は伸びた。体も筋肉がついて男らしさが増した。顔も中性っぽさは削がれたが、かわいい系で通る。そうだな。ルックスはアイドル向けだとオレは思う。そう、インドア系アイドルで売り出せば、ちょっとした時に見せる割れた腹筋で魅力倍増だ」

 

「新手の精神攻撃か!? お、おおお、俺には通じないぞ!?」

 

「だったら動揺するな。あと、最後まで話を聞け。俺は考えた。考えたんだ。オマエが表紙を飾った週刊サインズと3時間も睨めっこした。その上で出した結論だ」

 

「……それで?」

 

「とりあえず、身長を160センチくらいまで潰して、筋肉を削ぎ落として、メイクをすれば、まだまだ『キリ子』としてやっていけるんじゃないかってな」

 

「うん、キミが何を考えているのか分からないのは今に始まったことじゃないけど、今日は一段と分からないな」

 

 身長は置いておくとして、今のキリトが痩せて女装をしても『キリ子』は無理だ。喉仏、肩幅、筋肉を落としても男の骨格は余程に上手く女装しなければ隠せない。

 

「俺はもう無理だよ。『大人の男』の体さ。キミとは違う」

 

「ん? 喧嘩を売るなら喜んで買うぞ?」

 

「先に売ったのはクーだろ」

 

 それに比べてクゥリは、ハッキリと言えば華奢だ。ゆったりとした教会服でも分かる細いな首や小さな肩、まるで見えない喉仏、体の輪郭も柔らかさを感じさせ、緩やかなくびれがある。

 別に男でもくびれがあるのは不思議ではない。女性ほどにハッキリと出ないだけであり、横腹を鍛えた男のボディラインは美しいくびれが出来るものだ。キリトもシリカ監修の肉体強化細マッチョプランで獲得した。なお、シリカ好みに肉体改造されたとも言うのであるが、自覚は無い。

 だが、抱きしめて実感した。細くて柔らかい体。少女と勘違いしそうな程に小さな肩幅。ヒップラインは明らかに男のものではない。美脚レベルもアスナ相手に勝負できる程に高い。

 360度どころか1080度! 何処からどう見ても『美』である。なおかつ、完成された中性美は、美少女にも美少年にも見た者の望んだ通りに映ってしまうのだ。

 むしろ、キリト相手には小悪魔ムーブをしつつ、男友達として接してくるからこそ凶悪無比! いつの間にかキリトはクゥリの白桃のような唇が珈琲で黒く濡れている様に胸の高鳴りを――

 

「フン!」

 

 キリトは自身の額に全力の右拳をぶち込み、攻撃不可の紫のエフェクトを爆散させながら空高く舞い上がる。

 いつの間にかキリトの脳髄を埋めていたのは、ブーメランパンツ1枚とフルフェイス兜のみを装着した、筋肉ムキムキマッチョマンの集団だ。その先頭に立つのは凜々しい尻の後ろ姿を……『漢』の背中を語る今は亡きタルカスだ。

 

(失せろ、YARCA旅団の亡霊が!)

 

 YARCA旅団は旅団長タルカスを失って急速に減退していった。今や残党も散り散りとなってしまっている。ある意味で危険な集団を一括管理できなくなったと嘆く者も多いが、YARCA旅団の事実上の消滅は歓迎された。

 だが、YARCAの遺志は今も人々の心の内に密やかに、密やかに、密やかに受け継がれていると語るように、キリトの頭にも稀に侵蝕してくるのだ。

 

「オマエもオレの事を言えないぞ。訳が分からん」

 

「……これには深い事情があるんだ」

 

 ゴミ捨て場に落下したキリトを先回りしていたクゥリが手を差し出す。触れれば柔らかくて、艶やかで、口づけしたい程にきめ細やかな肌触りの指だった。

 

「フン!」

 

 そして、またキリトは空を飛んだ。

 

「オマエ、いい加減にしろよな」

 

「面目ない。あと、自分で立てる」

 

 またもゴミ箱に落下したキリトに先回りしてきたクゥリの手を丁寧に拒否し、自分で立ち上がったキリトは時間を確認して慌てる。最低でも回りたいクリスマス専用イベントが5つもあるのだ。

 

「最初は『ブラックサンタを捕まえろ』か。5分以内に黒いサンタを捕まえればいい。簡単だな」

 

「それが単純なスピードでは絶対に追いつけないそうなんだ。情報収集した限りでは、背後から追いかけたら近づけない。囲んだら強制的に吹き飛ばされる。真っ正面から捕まえるしか亡いけど、目からサンタビームを発射するから、最も危険なんだ。浴びると時間切れまで雪だるまの中に閉じ込められる」

 

「ビームを躱せばいい。もしくはガードだ」

 

「完全貫通かつ面制圧の拡散ビームだ。しかも3メートル圏内まで近付いたら空を飛ぶ」

 

「その程度で捕まえられないはずがない。トッププレイヤーなら可能だ」

 

「実はこのブラックサンタ、ゴリゴリの近接戦も可能なんだ。ラジードが腹パン喰らって終わりつつある街の外まで飛ばされたってさ」

 

 他にも隠された能力があるだろう。だが、キリトには作戦がある。

 

「武器・アイテムの持ち込みは禁止。防具や装飾品の能力も全て無効化。パーティ単位でしか参加できないけど、俺達は2人だ。そこで、俺達にしかできない作戦を考えた!」

 

 キリトはクゥリに作戦の詳細を伝える。瞬間にクゥリの目は呆れで覆われた。

 

「人、それをごり押しと呼ぶ。オマエらしくないな」

 

「時間が無いんだ! このままだと対策を立てられて初回クリア限定アイテムがゲットできないじゃないか!」

 

「……どんな経験しても、ゲーマー魂は朽ちないんだな。尊敬するよ」

 

 キリトも情報の限りでは幾つか対策を立てられた。だが、やはり現物を見ていない。初挑戦ではクリアも難しい。

 ブラックサンタの挑戦者は長蛇の列が出来ていた。情報が出回っているせいか、終わりつつある街の外まで吹き飛ばされるプレイヤーの割合も多い。逆に言えば、最後の接近戦モードをクリア出来ていないという事だ。

 

「ちなみに捕まえた判定は?」

 

「ホールド状態にして10秒」

 

「10秒……意外と長いな。報酬のレアアイテムは何なんだ?」

 

「さぁ? かなり有用な指輪らしい。いやー、俺もちゃんと調べておけばよかったなー。でも、それはそれでお楽しみだよなー」

 

 キリトが目線を逸らせば、途端に胡散臭さが増したのか、クゥリが露骨に嫌な顔をする。故にキリトは遠い目をして灰色の空を見上げる。

 

「なぁ、クー。たとえどんなアイテムだったとしても、1000人以上のプレイヤーが失敗したイベントを、俺達なら初回クリアできる。それだけで満足だと思わないか? 細やかな優越感こそがご褒美だと思わないか? 俺達の友情パワーを見せつけよう!」

 

「死ね」

 

「キミのそういうストレートな物言い、俺は嫌いじゃ無いけど、顔に似合わないから直した方がいいと思うぞ」

 

「分かった。言い直す。くたばれ」

 

 とはいえ、クゥリが本気で殺す気ならば、クリスマス期間であっても手段は幾らでもある。両手両足を縛って海に放り込めば、たとえクリスマス期間中は窒息死しなくても、終了と同時に死のカウントダウンが開始されるのだから。

 故にこれは子猫が牙を剥いてじゃれてるのと同じ感覚だ。キリトはクゥリの暴言をむしろ好意的に受け止める。なにせ、クゥリが安易に暴言を吐くのはそれだけ親しい間柄になっているからだ。

 ようやく順番が回ってきた。キリトは参加費の100コルをクゥリの分も含めて2人分払う。

 

「キリトだ!」

 

「【黒の剣士】だ!」

 

「隣は教会の女の子か?」

 

「けっ! また女連れかよ!」

 

 クゥリがブラックサンタを無視して野次馬に跳び蹴り1秒前にキリトは何とか肩を掴んで止める。

 終わりつつある街の騎士像が設置された十字路。赤が黒になった事を除けば、標準的な髭面の好々爺といった風貌の、標準的なサンタクロースだ。

 サンタに良い思い出は無い。苦々しい過去がフラッシュバックし、だが隣に立つクゥリが今いるのは思い出の中ではないと笑わせてくれる。

 

「要は『いつも通り』だろ。やってやるよ」

 

 クゥリはブラックサンタの正面を取る。キリトは側面だ。ブラックサンタの警戒はまず正面に立つクゥリに向けられる。

 サンタビーム! ブラックサンタの両目から真っ赤なビームが発射される。面制圧のそれをクゥリはまるで抜け穴でも知っているかのような、人外の体捌きで躱しきる。

 拡散範囲からして、3~10メートル圏内は被弾確定だ。だが、それはクゥリ以外ならば、の前提である。

 連射されるサンタビームをクゥリは軽々と躱しながら、右へ左へと揺さぶりをかけていく。その間に距離を詰めたキリトは準備を済ませて左側面で待機する。

 クゥリが回避行動を続け、そしてキリトの『正面』に移動する。

 完璧だ。サンタの正面からしか接近できず、なおかつ正面ではサンタビームが激しくて捕まえる準備が出来ないならば、サンタの『正面を移動させればいい』だけだ。クゥリは大きく跳んでサンタビームの射角を上に向け、その間にSTR・DEXエネルギーの出力を引き上げていたキリトが雪を舞い上げるスライディングで足下から接近する。

 1メートル圏内! だが、想定を超えた反応速度でブラックサンタが飛翔する。だが、クゥリは上空でサンタビームを回避しきっている。キリトに対する反応で飛行したタイミングでクゥリは踵落としをブラックサンタの額に炸裂させて墜落させ、キリトはサンタの首を背後から左腕で絞める。

 絵面は悪いが、これが最適解だ! 勝利を確信したキリトであるが、途端に左腕が外れ、腹で『爆弾』が炸裂する。そう思うほどのパンチが直撃する。

 ブラックサンタ、まさかのサンタ衣装……テイクオフ! しかもメタボ体型からムキムキマッチョに、好々爺のふっくらお顔からバーサーカーの如き凶貌へと変化している。なお、ブラックサンタはボクサーパンツだった。

 こ、これが接近戦モード……! 終わりつつある街の外まで吹き飛ばされると覚悟したキリトであるが、背中でも『爆弾』が炸裂する。先回りしたクゥリが空中でキリトの背中を蹴り、場外ホームランを阻止したのだ。

 まさかの打ち返しにブラックサンタは拳を握って振りかぶる。カウンターを決める気だ。キリトはそれに対してコートのポケットから取り出した雪玉を取り出す。

 装備・アイテムの持ち込みは禁止されているが、現地調達とスキルは禁止されていない! キリトは≪投擲≫のソードスキル【ジェットダウン】を発動させる。単純に投擲物の加速と威力を引き上げるソードスキルであるが、石を雪で包み込んだ雪玉(石混入)はキリトのSTRの高さも合わさり、破壊の威力と速度でブラックサンタの顔面を打ち抜く。

 逆にカウンター判定でノックバックしたブラックサンタの足を払って転倒させ、腕を捩って顔面を地面に押しつける。

 カウントが開始される。キリトはSTRを全開にするが、ブラックサンタは振り解こうとする。

 

「手助けはいるか?」

 

 そして、クゥリといえばキリトの目前で膝を曲げて、小悪魔微笑で愛らしく見下ろしながら問いかける。

 本当に……キミは……! キリトは汗を流しながら無言で否定し、ブラックサンタを10秒間ホールド判定を維持してイベントクリアのゴングを聞く。

 ブラックサンタが立ち上がり、キリトの右手を掴むと高々と掲げた。野次馬が歓声を上げ、我こそは初回クリアしてみせると意気込んでいた挑戦者達が泣き崩れる。

 

「やった……やったぞ! これが……これが【伝説の釣り師の指輪】か!」

 

 効果は≪釣り≫の大幅熟練度上昇及び専用ソードスキルの追加! これさえあれば主レベル相手でも勝率は倍増だ! ガッツポーズして指輪を見せつけるキリトに、クゥリは予想通りだとばかりに嘆息する。

 

「……そんな事だろうと思ってたぞ」

 

「ごめんごめん。でも、そっちも良いアイテムが手に入ったんじゃないか」

 

「俺は……【動いて踊れる雪だるまクン】?」

 

 クゥリがアイテムを実体化させれば、掌サイズの小さな雪だるまがくねくねと踊る。ただそれだけだった。どう見ても外れアイテムである。

 

「…………」

 

「あ、あははは。クリスマスにピッタリだな!」

 

「……あ、溶けた」

 

「そ、それにしても汗掻いたな! ブラックサンタがあんなにも強いなんて! 俺達が攻略法を見せたけど、簡単には真似できないだろうな!」

 

 クゥリの人外回避と先読みカバー、キリトの作戦と≪投擲≫カウンターの合わせ技でギリギリだ。もちろん、装備とアイテムをフルに使えるならば幾らでも対処は可能であるが、基本無手で挑むならばトッププレイヤーでも困難だろう。むしろ、あのブラックサンタ相手に接近戦モードまで持ち込んだラジードの実力とガッツを認めるべきだ。

 

「心意を使えば楽勝なのに、何で使わない」

 

 溶けた動いて踊れる雪だるまを名残惜しそうに、だがクゥリは踏み躙りながら問う。

 

「……お祭りだろ。ゲームであっても遊びじゃない。でも、クリスマス期間は……ゲームはゲーム。ズルは無しだ」

 

「そうか。オマエはそういうヤツだったな」

 

 感心とも呆れとも違う再認識。クゥリの物言いに、キリトはお互い様だと苦笑する。

 最後の最後は手助けしない。自分で決めたならば自分でやり遂げろと手出ししない。それがクゥリだ。

 

「そういえば、クリスマスプレゼントは開封したのか?」

 

 後継者から配布されたアイテムの事だろう。クゥリに問われ、キリトはまだ未開封のアイテムストレージを見せつける。

 

「オレもだ。どうせろくでもないアイテムだ」

 

「だったら、一緒に開けないか?」

 

「オマエにしては悪くない提案だ」

 

 音頭を取らず、キリトとクゥリは人気の無い、干涸らびた井戸だけがある路地の行き止まりにて、同時に開封を行う。人目を避けたのは万が一に備えてだ。

 

「……クリスマスカード?」

 

 クゥリの手に具現化したのは、小さなクリスマスカードだ。対してキリトは黒い包装紙包まれた正方形の箱である。

 自分で開けろ。そういう意味だろうか。リボンを外そうとしたキリトの前で、クリスマスカードを開いたクゥリは眉間に皺を寄せる。

 

「何か飲み物を買ってくる」

 

「……ああ」

 

 クゥリが不機嫌を隠さなかった。キリトはクリスマスカードに何が書かれているのか気になったが、ここで追いかけても教えてくれないだろうとひとまずプレゼントの開封を優先する。

 包装紙を外し、現れたのはまたしても黒。黒い箱だ。キリトは汗ばんだ手で箱の蓋を取り外せば、多量の梱包材が目に入る。手を入れば冷たい金属の感触が伝わり、キリトは嫌な予感と共に取り出す。

 中身は銃身が短いリボルバーのハンドガンだ。6連装で装弾済みである。

 

「【怪物殺しの拳銃】……?」

 

 武器ではない。アイテム扱いだ。訝しむキリトは、だが背後に気配を感じ、普段の癖で銃口を向ける。

 

 

 

 

 

「やぁ、こうして会うのは『はじめまして』かな、【黒の剣士】くん」

 

 

 

 

 

 目の前に立っているのは青年だろう。柔らかな金髪、容姿端麗で童顔の部類。青い瞳に映える白いスーツと青のネクタイ。まるで現代の白馬の王子様だ。

 だが、はたして男なのか。確信が持てない。女かもしれない。若いのか、老いているのか、それさえも区別が曖昧になる。

 脳が理解を拒んでいる。単純な視覚情報さえも、この人物に対して理解する事を拒絶しているのだ。

 

「ふむふむ。やはり『彼』のようにはいかないか。まっ、当然だよねぇ。ボクと彼は似たもの同士。呪われた血統の末。安心してくれ。キミの反応が普通なんだ。ボクが望まぬ限り、ボクを正しく認識するのは困難だ。それだけなんだよ。たとえ仮想世界であろうともね」

 

 ウインクした青年は井戸の縁に腰掛ける。途端にキリトは彼が『青年』だと確信が持てた。

 そして、だからこそ、気付く。気付かずにはいられない。

 キリトも聞いている。DBO初期3ヶ月間の参加禁止の待機中、ずっと頭から離れなかったデスゲーム開始の宣言。

 

「茅場の……後継者……!」

 

「そうだ。ボクはキミが嫌いだ。だが、同時に茅場さんの最大最強の駒として敬意も払おう。アイザックだ。アイザック=V=インターネサイン。それがボクの名だ。この意味が分かるかい?」

 

 Inc財団総帥……! キリトも知っている。世界にVR技術を拡散させるのに最も貢献した、アメリカに本拠地を置く財団の若きトップだ。総資産は世界1位であり、あらゆる産業をリードする企業グループの総帥でもある。ほとんどメディアにも露出しない事でも有名であり、彼の写真や動画はネット全盛期でもほとんど見かけることは出来ない。

 

「茅場が1人でナーヴギアを設計できたにしても、技術承認、資本協力、広告戦略……それらをあんな短期間でどうやって準備出たのか謎だった。まさか、世界最大の財団にして企業グループ総帥のアンタが……!」

 

「そう、ボクが協力した。茅場さんはボクにとって数少ない尊敬すべき師だ。ボクにVR技術の全てとジャパニーズカルチャーの薫陶を授けてくれた」

 

「ジャパニーズ……カルチャー……?」

 

「気にしないでくれ。しかし、ようやくプレゼントを開けてくれたね。嬉しいよ。これでやっと『ゲーム』が開始できる。時間が無い。ルールを説明しよう」

 

「聞く気は無い」

 

 キリトは銃口を改めて向けてトリガーを引く。だが、銃弾は茅場の後継者の眉間を撃ち抜く前に紫のエフェクトで阻まれる。GM権限による絶対防御だ。システムによって茅場の後継者から干渉も出来ないが、キリトからも手出しできない隔絶する壁があるのだ。

 

「【黒の剣士】くん、キミは後悔をしているかい? DBOに参加し、多くの人々を見殺しにしてしまった事を……」

 

「だったら何だ? 俺は……俺は確かに、DBOのデスゲーム化を見逃した。自分の願いを叶える為に、多くの人が命を失う選択をした! だからこそ、俺は完全攻略する! してみせる!」

 

「……ふーん。出来るかどうかは別として、キミの発言は『本気』みたいだ。認識を改めようじゃないか。てっきり、空虚な見栄のハリボテだと思ってたのにさぁ。まぁ、その方が『ゲーム』も面白いから別にいいかな」

 

 立ち上がった茅場の後継者は硝煙を上げるリボルバーを指差す。

 

「ルールを説明しよう。その銃で『怪物』を撃てばゲームクリアだ。狙ってトリガーを引くだけでいい。『必ず当たる』。必中判定があるようなものだと思ってくれて構わない。それで『怪物』は死ぬ。キミは街に潜む『怪物』を撃ち殺せばいい。それだけだ。簡単だろう? 制限時間は『怪物』と遭遇してから3時間……だけど、君の成長に敬意を払ってボーナスで日没までだ」

 

「遭遇時間次第だと3時間を切る。訂正を要求する」

 

「揚げ足取ってウザいなぁ。まっ、すぐに意味は分かるさ♪ さて、『怪物』を撃ち殺した場合、スペシャル報酬だ。当ててごらん」

 

「アンタを殺せる」

 

「まぁ、半分正解かな」

 

 即答するキリトに、茅場の後継者はこの世の悪意を煮詰めたような、だが子供ように無邪気な笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

「ゲームクリアすれば、24時の鐘……12月26日0時00分00秒に、全プレイヤーに『帰還』と『永住』の選択権を提供しようじゃないか。全プレイヤー分け隔て無く『デスゲームから解放される』。キミ達プレイヤーの完全勝利。ボクは敗者として『罰ゲーム』に甘んじるよ」

 

 

 

 

 

 キリトの脳裏にフラッシュバックしたのは、アインクラッド75層フロアボス戦にて、ヒースクリフの正体を茅場晶彦と看破した瞬間だった。

 茅場の後継者が望むのはあの時の再現。ただし、行われるのは決闘では無く怪物退治というハンティングゲーム。だが、ゲームとして破綻しているとキリトは奥歯を噛んで震える。

 これが『怪物』を探し出して撃ち殺せ、ならば時間制限もあるのでゲーム性が確保されている。だが、遭遇してからカウントダウン開始ならば必中の銃を向けてトリガーを引くだけで終わる。

 

「【黒の剣士】くん、これは破格の条件だ。キミがゲームクリアすれば、ボクもルール違反としてGM権限を剥奪され、完全消滅するだろう。そもそも、このゲームをセッティングする時点で大きなリスクを背負ってるんだ。それでも、キミに挑戦権を与えるのは、ボクなりの謝罪と敬意の示し方なんだよ」

 

「謝罪……だと?」

 

「ほら、オベイロンだよ。随分と迷惑をかけただろう? 不格好なコピーの後始末をキミに任せてしまった。殺さなかったのは残念だったし、英雄劇を見ているようで反吐が出たけど、まぁ、及第点の対応だったよ」

 

 スゴウの顛末を知り尽くしている口ぶりの後継者は、1歩前進してキリトの傍らに立つと肩を叩く。

 

「せいぜい頑張りたまえ、【バケモノ退治の英雄】くん。キミは自分の運命と向き合うしかないんだ。ボクは運命を前倒ししてあげた、優しい優しい魔法使いだ。後でお礼を言ってくれても構わないよ」

 

 ふざけるな! キリトが振り返って、命中しないと分かっていてもトリガーを引こうとすれば、既に後継者は跡形もなく消えていた。足跡すら途切れている。

 弄ばれた。そう信じたいが、キリトは右手に持つリボルバーの重さから説明されたゲームと報酬の重さを感じる。

 呑気にクリスマス専用イベントを回っている暇では無い。リボルバーをコートのポケットに入れたキリトは駆け出し、だが危うくこちらに向かう人影とぶつかりそうになる。

 

「おい、何処に行くんだ?」

 

 クゥリだ。両手には温かなココアが入った紙コップを握っている。

 説明している時間はない。だが、クゥリの手助けを借りれば、あるいは? キリトがそう思案した瞬間、このゲームはそんな甘いものではない、キリトの為だけに準備された『デスゲーム』なのだと悟る。

 HPバーの下に表示されたのはカウントダウン。数値からして日没までの残り時間。

 教会服で顔を隠したクゥリの頭上に表示されたのは<Monster!>という陳腐で分かりやすいメッセージ付きカーソル。

 

「クー……顔を……見せてくれないか?」

 

「急になんだ?」

 

「頼む」

 

 感情をなるべく殺してお願いすれば、クゥリはフードを捲り、キリトに顔を見せる。そこには、たとえ仮想世界であろうとも再現は不可能と思える程の中性美の結晶たる容姿が露わになる。

 

「クーだよな? 本物の……クーだよな?」

 

「定義によるな。そもそも本物と偽物を区分する――」

 

「ちゃんと答えてくれ!」

 

 声を張り上げたキリトに、クゥリは不機嫌になるでもなく、フードで改めて顔を隠す。

 

「本物のつもりだ。それで? オマエはどっちだと思う?」

 

「オレも……『本物』だと……思う」

 

 できれば『偽物』であって欲しかった。キリトは心からそう願う。これがクゥリを模しているだけのAIならば、今この場で撃ち抜くことが出来た。

 ココアを受け取り、路地から大通りに戻ったキリトは爆発しそうな程に速まった心臓を落ち着かせる。

 全プレイヤーをデスゲームから解放できる。現実世界に肉体を持つプレイヤーは帰還が許され、肉体を持たないプレイヤーは少なくともデスゲームから解放されて改めて仮想世界にて生活基盤を作る事が許される。言うなれば、ラスボスを倒さずに得られる完全攻略の報酬だ。

 だが、その代償として死ぬのは1人のプレイヤー……いいや、キリトにとってたった1人の親友……クゥリだ。

 クゥリを殺せば、これ以上の犠牲者が出ることなくデスゲームを閉幕にできる。

 肉体を持たないプレイヤーが……永住組の生活がデスゲーム終了でどれだけ変化するかは分からない。だが、全プレイヤーの中に確かにあった不安の根源は取り除かれる。活力ある未来への前進が始まる。

 肉体を持つプレイヤーは現実世界に戻り、家族や友人と再会できる。望まぬ者には永住という選択肢も与えられている。どちらにしても、デスゲームの恐怖から解放される。

 想定数十万人、あるいはそれ以上のプレイヤーの解放と1人のプレイヤーの死。天秤は果たしてどちらに傾くのか。

 キリトは白が澱んだ黒い水面を見つめ、震える右手でポケットのリボルバーを撫でる。

 

「やっぱり甘すぎたか?」

 

 だが、途端に至近距離の上目遣いで顔を覗き込んできたクゥリに、キリトの心臓は口から飛び出しそうになる。

 

「え? え!?」

 

「ココアにたっぷりマシュマロを入れて貰ったんだ。ちょっとした悪戯のつもりだったんだ。気分を害させたなら謝る」

 

「そ、そんな事……ない……って、甘っ!?」

 

 まだ飲んでいなかったキリトはココアを口にして、脳を溶かす程に甘いココアに悲鳴を上げる。

 

「飲んでなかったのか。謝って損した」

 

「クー!」

 

「クヒヒ、悪かったよ。謝る謝る♪」

 

 ぴょんと雪を舞わせながら跳んだクゥリはキリトに振り返り、後ろで手を組みながら微笑む。

 

「深刻そうな顔をしていたからな。どうせ茅場の後継者からろくでもないプレゼントを貰ったんだろう?」

 

「クーも……なのか……」

 

「……まぁな」

 

 まさか、クゥリも似たようなプレゼントを? キリトは背筋に悪寒が走り、だがクゥリの苦笑が違うのだと教えてくれる。

 

「『思い出』だよ。忘れていた、クリスマスの……『大切な思い出』だ」

 

「そう……か」

 

「そうだよ。だから『気にするな』。オマエは『何も悪くない』」

 

 優しげな笑みを描いたクゥリは、ココアを飲み終えると足を止める。

 

「なぁ、今日はテツヤンの店……休店だったよな」

 

「あ、ああ。確か、そうだったと思う」

 

「そうか。なぁ、オマエの伝手で、どうにかしてテツヤンのケーキ、入手する方法はないか? 1ホールなんて言わない。ほんの少しで構わないんだ」

 

 クゥリからの珍しいお願いに、キリトは動揺する思考からテツヤンのケーキの入手ルートを割り出す。

 テツヤンはクリスマスパーティ向けに複数の店やギルドにケーキを卸したはずだ。そのいずれかを入手すればいい。

 

「俺の専属先なら、もしかして持ってるかもしれない」

 

「そうか。買い取らせてもらってもいいか?」

 

「聞いてみるよ」

 

 落ち着け。平静を装え。悟られるな。キリトは必死に平常心を取り戻そうとして、それがまるでクゥリを騙し討ちしようと企んでいるようで、余計に混乱を深める。

 残り4時間12分18秒。キリトは淡々と減り続けるタイムリミットに焦る。

 

(焦る? 違うだろ! クーを殺して全プレイヤーを解放しても……そんなの……そんなのは……完全攻略じゃない!)

 

 学習しろ! 自惚れるな。自分の手に皆の命を救える切符があると驕るな!

 あの日! あの時! ヒースクリフの……茅場晶彦の挑戦を無謀にも受けたのがそもそもの間違いだったと認めろ! キリトはどうせこのゲームに裏があり、クゥリを殺してもデスゲームから解放されないのだと思い込もうとして、だが茅場の後継者の、皮肉にもゲームに対する報酬の誠実なる対応……律儀さが真実味を持たせる。

 いいや、違う。キリトは確信してしまっている。クゥリを殺せば、あらゆる過程を無視して『エンディング』に辿り着ける。これ以上は誰も傷つかないで済む『ハッピーエンド』を迎えられる。

 

「ごめん。もう使い切ったみたいだ」

 

 アスクレピオスの書架からメールで連絡が届いたが悲報であり、クゥリは仕方ないと苦笑する。

 

「まぁ、テツヤンのケーキを余らせてる方がおかしいか。大人しく諦め――」

 

「諦めるな!」

 

 思わずキリトは叫んでしまい、道行く人々の注目を集める。視線の集中を嫌ったクゥリはキリトの手を掴み、人気が無い路地裏に逃げ込む。

 

「オマエ! いくら何でも声が……」

 

「頼む……諦めないで、くれ。キミは……キミだけは……違う。そうだろう? 俺とは……『違う』」

 

 キリトはこれまで何度も諦めて、何度も手放して、何度も何度も何度も間違えた。

 だが、クゥリはいつ如何なる状況でも諦めない。殺す。殺しきる。どんな困難だろうと食い千切って生き残る。

 

「……『同じ』さ、キリト」

 

 だが、クゥリはキリトに向けたのは、これまで見た事がない程に寂しげな微笑みだった。

 そうだ。キミはいつだって微笑む。どうして? どうして? どうしてだ!? キリトはクゥリの微笑みを剥ぎ取りたくて、だがそれは仮面ではないと知っていて、だからこそ伸ばした手の行き先を失う。

 皮肉にもクゥリはキリトが伸ばした右手を自身の頬に当てさせる。

 

「俺はいつだって切り捨ててきた。後悔なんてしない。『本当なら生きて幸せになれた』はずの人たちがいたかもしれないのに、いつだって殺してきた。それは『諦め』と何が違う?」

 

「……違うだろ。キミはいつだって選んでるじゃないか。自分の意思で選んで切り捨てて、選んで殺して、何もかも背負ってる」

 

「買い被りだよ。オレは……自分が生き残る為ならば……他者を容赦なく殺す。それこそ、オマエとは『違う』よ」

 

 俺だって『同じ』だ! 利己的に! 自分だけの為に! 何を犠牲にしてきた!? 誰を死なせてきた!?

 必死に考えないようにしていた。これ以上、彼女たちの事を悔やんでいるのは、それこそが侮辱だと前を向いていたかった。だが、ポケットのリボルバーの重さが脳裏に黒猫の記憶をちらつかせる。逃げられない罪が耳元で囁く。

 

「……探そう。テツヤンのケーキを、探そう!」

 

「オレはいいが、クリスマス専用イベントはどうする?」

 

「そんなものは『どうでもいい』んだ! テツヤンのケーキ! 1個くらい何処かに残ってるはずだ!」

 

 キリトは知人友人に片っ端から連絡を取る。

 だが、いずれも芳しい回答はなかった。ただでさえクリスマスでは是が非でも食したいテツヤンのケーキだ。今日だけはユニークソウルにも匹敵する入手難易度だろう。

 

「……クゥリに心当たりは?」

 

「あるにはある。だが、裏技で使いたくない」

 

「手段としてはグレーまで。OKだ。正規販売されたケーキを横流しでもいいから確保。それがラインだな。楽しくなってきた」

 

「調子が戻ってきたな」

 

「クリスマス専用イベントよりもずっと高難度だ。ゲーマー魂が疼くのさ」

 

 キリトはひとまず終わりつつある街でテツヤンの店からケーキが卸されてそうな飲食店を回る。だが、いずれも回答は同じだった。最後は裏市場まで覗いて見たが、ケーキが出品されたという経歴を発見できただけだった。

 片っ端から【黒の剣士】という名声を使ってパーティ会場に潜り込んでケーキを入手する方法もある。だが、テツヤンは個人で切り盛りする店だ。いずれのパーティにケーキを卸したか不明である。数も決して多くないだろう。

 

「……孤児院。そうだ! 孤児院だ! 昨日、聞いたんだ。孤児院にテツヤンのケーキがクリスマスプレゼントで届いたって!」

 

「ガキ共が残してると思うか?」

 

「無い。その日の内に完食だろうな。そうなると……」

 

 駄目だ。これ以上は思い浮かばない……と、キリトが諦めかけた瞬間、もしかしなくても高確率でケーキが届いている場所を思いつく。

 

「行こう、クー!」

 

 キリトはクゥリの手を掴み、真っ直ぐ向かったのはクラウドアース系列の店が並ぶ娯楽街……その中心部にあるコロシアムだ。

 関係者以外立ち入り禁止の裏口を、キリトは【黒の剣士】というネームバリューで強引に突破し、真っ直ぐに控え室へと向かう。

 

「マユ!」

 

「ふぁふ!? き、キリりん!? どうしたの!? もしかして、マユのライブ見たくなっちゃった? 駄目だよぉ。ライヴ見てたら、キリりんのお仕事に間に合わなくなっちゃうかもしれないから、マユも我慢してチケットを――」

 

「今! 食べてる! ケーキは!? 誰が作った!?」

 

 口元をクリームたっぷりで汚したマユに問えば、彼女は目を丸くしてケーキが入っていた箱を確認する。

 

「テツヤン……だけど?」

 

 恥ずかしそうにティッシュで口元を拭ったマユが明かし、キリトは無言で拳を握る。

 

「残ってるか!?」

 

「うん、いっぱい」

 

 え? いっぱい? マユが指差す先にはそれこそテーブルを埋め尽くす数のケーキが並べてあった。

 

「ファンからの差し入れ。マユが甘いモノ大好きだからって、みーんなしてテツヤンのクリスマスケーキを買わなくていいのに。スタッフさんが変なクスリとか混ざってないか、チェックしたけど、問題なーし☆ キリりんもどうぞ♪」

 

「ある所にはあるんだな」

 

「金と同じだ」

 

 キリトの率直な感想に、クゥリはブラックな回答を添え、マユの好意に甘えてケーキを箱詰めしてもらう。

 

「あ、待って! キリりん!」

 

 退室しようとしたキリトは呼び止められ、クゥリは頷いて控え室の外で待つ。2人っきりになったキリトは、マユの真剣な眼差しに射貫かれてたじろぐ。

 

「何があったの?」

 

「何も……何も無い」

 

「専属に嘘は通じない。マユはいつだってキリりんの装備と向き合ってる。キリりんの癖、思考、好悪、何もかもいつも真剣に分析してる! そうしないと、キリりんを死なせちゃうから! マユは! 自分が作った装備が性能不足で、キリりんの本気を出すには足りなくて、それで死なせるなんて絶対に嫌だから!」

 

 マユはキリトの右手を掴み、引き寄せる。だが、抱きしめることなく、睨むでも無く、微笑むでも無く、真剣に問いかける。

 

「答えたくないなら『答えたくない』で構わない。マユに出来ることはある?」

 

「……ケーキ、ありがとう。それだけで十分だ」

 

「そっか。えへへ、キリりんを素直にさせるのは難しいなぁ♪ でも、マユは『諦めない』から。覚悟しててね!」

 

 キリトはマユに笑顔で控え室から追い出されそうになり、だが立ち止まる。

 

「なぁ、マユ」

 

「ん? 何?」

 

「ファンの皆に死んで欲しくないよな。もしも……もしも、皆を助ける手段があったらどうする? 自分を含めた皆が助かる、だけど……だけど、1人だけ犠牲になってしまう手段だ。手段を選ばなかった場合、ファンも、自分も、犠牲に選ばれた1人も死んでしまうかもしれない。キミならどうする?」

 

「それがキリりんの悩み?」

 

「……『答えたくない』」

 

「分かった。マユはね、きっと……ファンの皆を選ぶよ。たぶん、犠牲になる1人がキリりんでも、選んじゃうんだろうなぁ。マユ、『女の子』として最低だ」

 

 冗談だと思っているか、それとも本気の受け答えとして応じているのか、どちらにしてもマユは犠牲を払うことを選んだ。

 

「どうして?」

 

「マユは『アイドル』だから。それ以上でも以下でもないよ。私人としてのマユはキリりんを選ぶけど、ファンの皆を救えるならマユは『アイドル』として、皆を歌って、踊って、笑わせて、元気にハッピー☆ハッピーさせるのが『お仕事』だから。マユはワガママで、ファンの皆をいつも驚かせたり、阿鼻叫喚させたり、泣かせちゃったりするけど、最後は笑顔で締めくくる義務があるから♪ だから、マユが1回だけ我慢して、一生苦しむ事になっても…・…」

 

「…………」

 

「もう! キリりんの意地悪! 楽屋モードのマユはプロ意識全開なの! 今度は工房で同じ質問してね! 乙女モードの回答を準備しておくから!」

 

 今度こそ控え室から追い出されたキリトを、壁にもたれかかって腕を組んでいたクゥリが迎える。

 

「……アイドルって凄いな」

 

 キリトのぼやきに、クゥリは薄く笑う。

 

「今頃気付いたのか」

 

「むしろクーは知ってたのか?」

 

「さぁな。だが、客に『演技』するって部分では似たヤツを知ってる。あれもある意味で求める姿の『偶像』か」

 

 何にしてもお目当てのケーキは入手した。

 タイムリミットまで残り1時間11分41秒。キリトはケーキ探しに熱中している間に、リボルバーの重みから『逃げた』事実だけを突きつけられる。

 さっさとクゥリに見せてしまえ。茅場の後継者が提案したゲームを明かしてしまえ。

 クゥリの返答は分かりきっている。『ふざけるな。茅場の後継者ぶち殺す』だ。お決まりだ。それで終わりだ。

 だが、どうしても見せられない。明かせない。語れない。リボルバーがどんどん重たくなる。

 クリスマス期間が明ければ、また絶望と恐怖と死の日常が始まると怯えるプレイヤーがどれだけいるのか。

 

「キリト、付き合ってくれるか」

 

「……ああ」

 

 クゥリが向かった先は意外にも想起の神殿だった。

 普段はプレイヤーが頻繁にステージ移動で行き交うが、同時に待ち伏せも多い為に、大ギルドが設置した転移ゲートの使用へとある程度の稼ぎを得たプレイヤーはシフトする。

 終わりつつある街の貧民プレイヤーの過半は、そもそも想起の神殿にすら到達できていない。故にステージ転移さえも不可能であり、だからこそ直接転移できるフロンティア・フィールドに希望をかけている。

 クゥリが向かったのは、想起の神殿の中心部にある半壊した女神像の台座だ。そこに紙皿を並べるとケーキを添える。準備したのは2人分だ。

 

「食えよ」

 

 クゥリに促され、キリトはケーキを口にする。ふわふわ生クリームと濃厚な味わいのスポンジ。そして瑞々しいイチゴソース。シンプルであるが、それ故に完成された味だった。

 こんな時でも美味しいモノは美味しい。その事実にキリトは打ちのめされそうだった。

 いつの間にか夢中でケーキを頬張るキリトに、クゥリは何処か嬉しそうに笑う。

 

「なぁ、キリト。ここに、黒いローブの女の子がいただろう? ゲーム大好きキリトくんは、話しかけなかったのか? NPCから情報収集は基本だろう?」

 

「…………」

 

 そういえば、DBO初期には想起の神殿には黒いローブを着たNPCがいた。

 だが、キリトは声をかけなかった。あちらも避けているようにも思えたし、また当時のキリトは自分で選んだデスゲーム化の見過ごしという事実に精神が追い詰められ、逃げ道を探すようにラストサンクチュアリの傭兵として稼ぐ事に集中していた。

 必死に自分を取り戻そうと、抑え付けていたゲーマー魂が再燃し始めた頃には、もうNPCはいなくなっていた。誰かがイベントをクリアしてしまったのか、あるいはNPC殺害も可能であるDBOならば、いずれかのプレイヤーの手にかかったのかもしれない。

 ケーキを呑み込んだキリトは荒々しく袖でクリームを拭った。

 

「話していれば、良かった。でも、怖かったんだ」

 

「怖かった?」

 

「あの頃は……何もかもが……怖かったんだ。全てが自分を責めているような気がして……怖かったんだ」

 

「そうか」

 

 去年のクリスマスに聞こえてきた、音痴と表現するしか無い赤鼻のトナカイ。今も正体が掴めないクリスマスの聖女。キリトは期待していない。また聞くことが出来ると思えていない。

 たとえ、死者が復活するとしても、これだけ長い期間、目撃情報の類いもなければ、そもそも復活していないか、キリトの知らぬ場所で再び命を落としたのかもしれない。

 

「なぁ、クー。俺……やっと、アスナを振り切ったんだ。もう、思い出にしようって決めたんだ」

 

「そうか」

 

「でも、どうしてだろうな。前に進もうとすると、その度に別の過去が俺の足を掴むんだ。忘れるな。忘れるな。忘れるなって言ってるみたいに……!」

 

「別に忘れたいわけじゃないんだろう? 忘れていたわけじゃないだろう?」

 

 ああ、その通りだ。思い出にする事と忘れる事は同じでは無い。たとえ、過去にいかなる感情や罪があったとしても、思い出に出来るならば、前を向いて歩くのが今を生きる人の義務であり、権利なのだ。

 

「いつか過去は等しく『思い出』になる。忘却にも似て異なる、ふとした瞬間だけに蘇る『記憶』になる」

 

「…………」

 

「死者を思い出の中で眠らせてやれるのは……思い出の主であるオマエだけだ」

 

「キミは……本当に……いつも……いつも……いつも! どうして!? どうしてなんだ!?」

 

 どうして、オレを前に進ませてくれる言葉をくれるんだ!?

 今は……『今』だけは! 立ち止まっていたいのに! 後悔を抱える事になろうとも、無意味に時間が過ぎるのを待ちたいのに! どうして、オレに歩ませようとするんだ!

 蹲っていればいい。目を閉じ、耳を塞ぎ、知らず間に日没を迎えていればいい。

 だが、キリトは『強い』。クゥリの言葉で立ち上がり、歩き出し、全プレイヤーの命運をかけた選択を自身に課す事から逃げない……という茨の道を『選べる』程に『強い』。

 たとえ、どんな選択をしたとしても、茨の棘は『人』である彼の肌を裂くだろう。彼は『獣』の如き強靱なる体毛に守られていない。『鬼』の如き情念で塗り固められた鎧の如き皮膚を持たない。『人』であるが故に脆く傷つき、血を流す。

 

「ありがとう」

 

「え?」

 

「クリスマス専用イベント潰しても付き合ってくれただろ。オマエ、やっぱり『優しい』な」

 

 珍しく……本当に珍しく、クゥリは心からの言葉をそのまま形にしたような明るい微笑みを迎えた。

 止めろ。止めろ。止めてくれ! 想起の神殿から終わりつつある街に戻れば、もう間もなく日没だった。キリトとクゥリは並んで歩き、だが立ち止まりたいキリトは足を止め、クゥリは背中を向けて先に進む。

 

「ここでお別れだな。今日は楽しかった。明日からは『いつも通り』だ。油断するなよ。いつ、誰に、背中を撃たれるか分かったもんじゃないからな。もしかしたら、仕事を引き受けたオレかもしれないぞ?」

 

「ああ……そうだな。本当に……本当にそうだな、クー」

 

 人気が無い路地だった。どうして誰1人としていないのか。1人でもいれば、キリトはポケットからリボルバーを取り出すことなど出来なかったというのに。

 クリスマスツリーのライトアップが始まり、人々はそちらに集まっているのか。

 まるで……希望の光を求める蛾のように。

 残り30秒。キリトは震える両手で、無防備に背中を向けて立ち去るクゥリの背中に銃口を向ける。

 たくさん死んだ。今日までにたくさん死んだ。誰かが泣いて、苦しんで、死と恐怖に狂っていく日々だった。

 

 溢れる涙は流された血と混ざり合い、終わる事が無い悲劇の苗床となった。

 

 

 残り20秒。震えは全身を蝕み、クゥリの背中に向けられた銃口はブレ続ける。

 ならば……ならば、ここで自分で最後の悲劇にするというのか。

 余りにも傲慢だ。悲劇の主人公を気取るつもりか!? クゥリを殺して、苦しんで、涙して、自分は罪を犯したんだと叫びながら救われた人々の喝采を浴びるつもりか!?

 

 だが、それでも救われる。大切な人たちも、そうでない人たちも、多くの人たちの笑顔がそこにはある。

 

 

 残り10秒。キリトの震えは止まる。銃口は真っ直ぐとクゥリの心臓を狙う。

 世界とは悲劇なのだ。

 そう『納得』してしまえば、余りにも簡単だ。何もかも陳腐で、抗いようのない、悲劇に朽ちる役者に見える。

 

 でも。

 

 それでも。

 

 そうだとしても。

 

 

 

 

 

 残り5秒。キリトはリボルバーを凍てついた溝へと投げ捨てた。

 

「そうだとしても、『俺』は……『英雄でありたくない』んだ」

 

 同じだ。

 あの日の月光と同じだ。

 誰もがクゥリを殺せと叫んだ。バケモノを討ち滅ぼす英雄を欲していた。

 俺は【バケモノ退治の英雄】にはならない。キリトはタイムオーバーになって赤く点滅する0の数列を見届けて、遠くに消えていったクゥリの背中を安堵と共に見届ける。

 

「そうか。殺さなかったのかい」

 

 やはり現れたか。茅場の後継者が路地裏の影より姿を見せる。キリトは聖剣を抜こうとして、だが後継者が無造作に溝からリボルバーを拾う姿に斬る気が失せる。

 白いスーツを汚水で汚した後継者は何の躊躇いも無くスーツのポケットにリボルバーを入れる。

 

「この勝負、ボクの勝ちだ」

 

「いいや、俺の勝ちだ。アンタの思惑には乗らない。クーを殺させて、アンタは何がしたかったんだ?」

 

「……ククク。クク……アハハハ! キミ、考えすぎだよ! 裏なんて本当に無いさ!」

 

 キリトの問いが心底馬鹿馬鹿しいとばかりに、涙目になるほどに後継者は大笑いする。

 

「ボクの見立てでは、勝負は五分五分。文字通り、命懸けの『ゲーム』だったよ! だけど、ボクは勝った! そして、確信したよ! 実を言うとね、最近は茅場さんにやや押され気味だったんだ。『人の持つ意思の力』……その証明において優性を取られていた。だけど、今、確信したんだ。やはり、神様は間違っている。『人の持つ意思の力』なんて存在しない!」

 

「お生憎様だな。俺は『自分の意思』でゲームを放棄したんだ。神様なんか関係ない。俺は『俺の意思』でアンタを――」

 

「そういう熱血いらないから。キミ、自分の選択の意味をちゃんと考えてる?」

 

 馬鹿にするように口元を隠した後継者は、まるでキリトを影で覆い尽くすように、日没の闇を濃く広めるように近付く。

 

「明日から死ぬ。たくさん死ぬ。モンスターに殺される。プレイヤーに殺される。自分自身に殺される。キミの知らない人も、大切な人も、誰も彼もが苦しむのは、キミが撃たなかったせいだ」

 

「違う! 俺は――」

 

「善人のフリは止めてよね。キミは最後まで友と全プレイヤーを秤にかけた。友を選んだ美談? 要はキミにとって、彼は全プレイヤーの生き死にと『比較対象』だったわけだ。何が唯一無二の親友だ。ボクには『分かる』よ。彼なら銃を貰った瞬間に、全弾をボクに撃ち込んで『直にぶち殺してやるから覚悟しておけ』と啖呵を切っただろうね。彼の殺しはシンプルだ。殺すと決めたから殺す。わざわざ全プレイヤーとキミを『天秤にかけない』よ」

 

 不思議な程に染み込んだ。後継者の語るクゥリ像には同意しかなかった。

 DBOという悪夢の檻の設計者の方が遙かにクゥリを理解している。それに対してキリトは言い知れない敗北感を覚える。

 

「キミは『迷った』んだ。『迷い』がある限り、友を選んだ美談にはならない。キミは友を殺してでも皆を救うという重みから逃げただけさ」

 

「違う……違う違う……違う違う違う! 俺はぁああああああ!」

 

 頭を両手で掴み、キリトは絶叫する。

 茅場の後継者はまるで慰めるように、キリトの肩を叩いた。

 

「でも、『それでいい』んだよ。それこそが人間じゃないか。キミこそが『人の持つ意思の力』など存在しない、見かけだけのハリボテだという証拠になった。ありがとう。改めて、心から敬意を評するよ、人間代表くん。これはせめてもの参加費だ。美味しいものでも食べて、明日から頑張ってくれたまえ」

 

 システムウインドウが勝手に開き、キリトのコルが1000万も増額される。

 止めろ。止めろ。止めろ! こんなもの欲しくない! 瞼を閉ざすキリトであるが、それさえも許さないように、冬の寒さを溶かす生温い吐息が耳を撫でる。

 

 

 

「そう、明日から始める、キミのせいでたくさん死ぬ『いつも通り』の日常に……ね♪」

 

 

 

 全身を冷たい夜風が撫でる。

 恐る恐る瞼を開けば、そこには変わらず1000万コル増額された所持金が表示されていた。だが、周囲を見回しても後継者の気配は欠片と無かった。

 何もかもが悪夢だった。そう言い切らせない為の『悪夢』だ。キリトはオブジェクト化して捨てようとして、だがそんな事をして何になると、せめて攻略の役に立ててねばならないと頭を切り替える。

 

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 

 何処に? キリトは終わりつつある街を迷い歩く。

 笑っている。誰も彼もが幸せそうに笑っている。せめて今日だけは『夢』でも見るかのように。

 明日から始まるのは『いつも通り』の日々だ。奪われて、殺されて、奪われる前に奪って、殺される前に殺して、それの繰り返しだ。

 

「俺が……俺が……クーを……撃って、いれば……」

 

 違う! そんな事したくなかったんだ! だが、キリトは最後の最後まで迷っていた『事実』を誰よりも自分自身に突きつけられる。逃げられない『真実』の袋小路に追い詰められる。

 

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 

 何処に? 少しでも人の笑顔が見えない、笑い声が聞こえない場所を求めているはずなのに、まるで光に誘われる蛾のように、巨大なクリスマスツリーを目指して歩いて行く。

 そうだ。早く大聖堂に行かなければならない。専属傭兵として、教会の顔に泥を塗るわけにはいかない。聖夜鎮魂祭に参列しなければならない。それが義務だ。

 義務? 笑わせる。私心を捨ててクゥリを撃てていれば、彼を最後の犠牲者に出来たはずなのだ。現実世界に戻ったら、クゥリの家族に殺されるのも覚悟で頭を下げ、それでも生き残ったならば首を吊って死ねばよかった。それだけではないか。

 

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 

 何処に? 巨大なクリスマスツリーを誰もが見上げる。まるで願いを込めるように。少しでも希望ある明日を欲するように。

 来るはずだったのに。キリトが罪を背負っていれば、叶えられたはずなのに。

 誰もがキリトに気付かない。見向きもしない。仮面などないのに。

 クリスマスツリーのせいか。いいや、違う。ここにいるのは薄汚れた悪人だ。友を迷い無く選ぶことも出来ず、皆を救う決断を下す事も出来なかった、迷って迷って迷って……命を背負う事から逃げた愚者しかいない。

 

 

 

 

 瞼を閉ざしてもアスナはいない。もう思い出になってしまった。彼女を戦う理由にはしないと決めた。だからこそ、キリトは『独り』で聖夜の闇を惑う。

 

 

 

 

 

 

 

「キリト」

 

 

 

 

 

 

 

 ならば、愚者を闇から引き戻したのは、小さな温もりの手。

 振り返れば、そこにはまるで月明かりを思わす赤紫の瞳があった。

 

「……ユウキ」

 

「キミ、教会の専属だよね? 今夜は聖夜鎮魂祭だよ。まだ時間があるとはいえ、専属の大仕事として早めに出勤する気概はないの?」

 

「……あ、あはは。そう、だな。し、『仕事』……しないと……俺……今日の専属だから……だから……だから、俺……」

 

 寒い。体が震える。必死に取り繕おうとしても、心の亀裂から整理されていない感情は涙となって溢れ出す。

 ユウキは慌ててキリトの手を引く。涙を隠すように駆ける。

 

「こっち来て」

 

 ユウキは人目を避けるようにクリスマスツリーの周辺からキリトを引き離し、そのまま黒鉄宮跡地を去ると、雪積もる薄暗い路地へと進む。

 

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 

 何処に? 階段を上っている。冷たい夜風を感じる。

 キリトの視界に広がったのは、美しいとは程遠い夜景だった。

 黒鉄宮跡地広場を一望できるはずの見張り塔の屋上。傾斜のある屋根の上にユウキは腰掛け、隣をポンポンと叩く。キリトは誘われるままに腰を下ろす。

 

「ここの夜景、綺麗だから好きだったのに、クリスマスツリーせいで台無しだよ」

 

「……そう、なんだ」

 

「でも、ここの夜風は変わらない。冷たくて、切なくて、ちょっとだけ気持ちいいでしょ? ボクの『大切な場所』なんだ。ここなら誰も来ないよ。秘密の穴場なんだ」

 

 ああ、確かにクリスマスツリーさえなければ、黒鉄宮跡地を一望できて、また終わりつつある街を広く眺めることが出来ただろう。そして、彼女の言う通りのように、冷たい夜風は何処も変わらぬはずなのに、心地良いと思えた。

 

「【黒の剣士】は有名人なんだから、あんな公衆で泣いたら駄目だよ。あと数時間でクリスマスも終わって、『いつも通り』の日々に戻るんだから。キミが泣いていたら皆が不安になっちゃうよ」

 

「そうだな。そうだよな。俺は……俺は【黒の剣士】か。ククク……何だよ、それ」

 

 俺は『俺』だ。魂の叫びのままに戦い、突き進む。馬鹿なガキと嗤われようとも、剣を振るって道を開く戦士でありたかった。

 それなのに、誰も彼もが称号を付けたがる。勝手に『偶像』を押しつける。

 違う。違う。違う! 最初に始めたのは俺だ! 他でもない俺が『俺』に押しつけた!

 

「俺は変わっていない。薄汚いビーターのままだ。何も……サチを殺した時から……俺は何も変われていない! 変われていなかった!」

 

「キリ……ト……」

 

「変わったと思ったんだ! 変われたと思ったんだ! こんな弱虫で、臆病で、俯いてばかりで、たくさん逃げて、間違い続けた俺でも! 今度こそは! 今度こそは! 今度こそは! そう繰り返しながら……やっと……やっと……!」

 

 息苦しい。涙が止まらない。叫んでも叫んでも足りない。体の震えが止まらない。

 

「キリト、落ち着いて! 深呼吸して!」

 

「それなのにどうして!? やっと、やっと苦しくて、重たくて、それでも大切にしたかった人を……思い出にしてでも、前に進まないといけないって決めたのに、どうして!? 何で……何で、前に進ませて……くれないんだ……俺は、いつまでも、同じ場所で、歩いては引き戻されるを繰り返す……愚かな道化じゃないか……・! だったらなってやるさ! 望まれたとおりに演じてやるさ! 皆が求める通りの『英雄』になって罪を償って――」

 

 意識が曖昧になる。それでも涙も悲鳴も足りなくて、キリトは叫ぶ。

 

 それは、まるで『人』であるが故に情念に囚われる『鬼』の誕生を予感させる慟哭に似て――

 

 

 

 

 

 ならばこそ、楔の如く『人』に繋ぎ止めたのは、嵐の前触れのように海を凪ぐ、月明かりにも似た口付けだった。

 

 

 

 

 

 キリトの思考が真っ白になる。元より呼吸を忘れていた口は封じられ、甘い吐息を含んだ接吻が仮想世界の肉体を通して脳を貫き、そして理解不能の混乱こそが正常を取り戻せる。

 

「ぷは……!」

 

「な、ななな、ななな……!」

 

「落ち着いて、キリト。落ち着いて。深呼吸して」

 

 キリトはユウキに抱きしめられる。不意打ちのキスで凍結した思考は、抱擁の温もりで稼動し始める。

 だが、伝わる体熱と心臓の鼓動がキリトから思考を奪い取っていく。

 

「ごめんね。キリトは『強い』人だけど、だからこそ傷つくよね。苦しいよね。叫びたいよね。泣きたいよね。皆に『英雄』だって期待されていて、それでも自分を貫き通すって決めても……心は『人』なんだもん。どれだけ希望の光を背負ってもキミは『キミ』なのに」

 

「……ユウキ」

 

「姉ちゃんがね、ボクが泣いてたら、こんな風に抱きしめてくれたんだ。大丈夫だよって、ここにいるよって、言ってくれたんだ」

 

 止めろ。止めろ。止めろ。キリトはユウキを引き剥がそうとして、だがそれだけの気力は抱擁で溶かされていて、涙と共に流れ出てしまっていて、故に心の亀裂から濁った感情が吐き出されていく。

 

「キリトも、泣いて良いよ? 誰だって傷だけだと『痛い』に決まってるんだから。泣いて、膿を出して、スッキリしちゃえば良いんだよ」

 

「俺は……俺は……!」

 

「大丈夫。全部聞いてあげる。受け止めてあげる。ボクがここにいるよ。ボクだけしか、ここにはいないから」

 

 甘えたくない。キミだけには甘えたくないんだ。

 突き放してくれ。怨敵を睨むみたいに、剣を突きつけてくれ。

 そうすれば、俺は愚者の道化でいられるんだ! 皆が望む偶像であろうとも『英雄』を演じられるんだ。

 

 だが、ユウキは優しく笑むばかりで、キリトを離す事無く抱きしめて、彼女の体は既に涙で濡れていた。

 

 

「俺は! 俺はクーを選んだ! 殺したくなかったんだ! 友達だから! こんなどうしようもない、掃きだめに吐き捨てられた痰みたいな俺でも、いつも間違ってばかりの俺でも、信じてくれた……友達を……友達を見捨てたくなかったんだ。奪われたくなかったんだ! 世界中の皆を見殺しにすることになったとしても! 俺だけは最後まで『救う』為に足掻きたいって願ったんだ!」

 

「そっか。クーの為なんだね。やっぱり、キリトは『優しい』ね」

 

「優しくなんかない! 俺は身勝手なだけだ! ワガママなだけだ! クーを殺せば皆を救えたはずなのに選べなかった! 挙げ句、ギリギリまで迷ったんだ! 捨てようとしたんだ! こんな俺を! いつだって信じてくれた友達を!」

 

「教えて、キリト。何があったの? ボク、受け止めるよ。信じるよ。キミの涙を。叫びを」

 

 キリトは話し始める。茅場の後継者から持ちかけられたゲームを。そして、自分がプレイヤー全員を救う手段を捨てた『事実』を。クゥリを選んだと言いながら、最後の最後まで秤にかけていた『真実』を。

 全てを聞いたユウキはキリトを抱擁から解放すると、鼻で思いっきり息を吸った後、心底から呆れた顔で溜め息を吐いた。

 

「キミ、馬鹿ってよく言われない?」

 

「……最近は言われすぎて慣れた」

 

「よくさ、それでクーの親友とか名乗れたよね。あ、誤解しないでね。クーを殺すかどうか迷った事じゃなくて、そもそもさ、何かおかしいと思わない?」

 

「おか……しい?」

 

「あのクーだよ? キミがそんなボロボロのメンタルで殺すかどうか迷ってるなら、まず間違いなく察知してるよ! うん。むしろ、笑顔でクリスマスでも殺し合い始めようって言い出すよ! というか、口にしなくても絶対に殺し合いのゴングを待ち侘びる素振りを見せるに決まってるよ!」

 

 さ、さすがはユウキだ。後継者以上のクゥリ像をあっさりと提示してキリトの認識を塗り替える。ユウキの怒濤の論破でキリトは閉口して涙も引っ込んだ。

 

「それで? あったの? 殺し合いカモーン☆サイン」

 

「色々とおかしい様子はあったけど、殺し合いを望んでるようには……見えなかった」

 

「はい、決定。キミは最初からクーを『殺さない』選択をしてたんだ。クーに察知される程の、微塵の殺意も込められていなかった。殺すかどうか迷ってる人間なら、欠片も殺意を発しないなんて無理でーす。どれだけゴミ屑駄目人間でも無理でーす!」

 

 ユウキは両腕で大きく×印を作り、キリトを黙らせた後、涙の後を拭うように右手の親指でキリトの頬を拭った。

 

「キミが最後まで苦しんだのは、プレイヤーを救う手段を捨てる事。それだけだよ。でも、それは見捨てたんじゃない。キミは戦う事を選んだんだ。たった1人で、友人を犠牲にして『負ける』ゲームじゃなくて、どれだけの犠牲を払うとしても、茅場の後継者を打ち負かす『勝利』を選んだんだ。『英雄』には程遠いワガママだね。呆れるよ」

 

「……は、はは。調子戻ってきたみたいだな。それこそユウキだ」

 

 ユウキは俺に対して辛辣であってもらわねば困るのだ。キリトの引き攣った笑みに、ユウキは嘆息するも、何処か嬉しそうだった。

 

「キミは『独りで戦う』ことを『選ばなかった』んだ。それこそが勇気ある選択だよ。詭弁? そうかもしれない。でも、そもそもDBOは理不尽だらけのデスゲームなんだ。デスゲーム中に枠外のデスゲームの勝敗なんてノーカウントだね! 茅場の後継者を馬鹿にしてやればいいよ! 盤外戦術しかできないヘタレってね! ボクには分かっちゃったね! DBOは完全攻略の取っ掛かりを見つけたんだ! だから焦った後継者は、攻略のキーマンに為りかねないキリトをヘタレ化させようと精神攻撃してきたんだ!」

 

 無い胸を堂々と張るユウキに、キリトは思わず拍手を送る……が、すぐに馬鹿にされた事実に気付く。

 

「ヘタレ?」

 

「うん、ヘタレ。キミ、さっきまでの状態と発言を振り返ってみなよ。純度100パーセントのヘタレだよ」

 

「……反論の余地もない」

 

 そうだ。そうだった。最近は上手くいきすぎたが、俺は基本的にヘタレだった。涙はもう乾いた、だが赤く腫れた目を右腕で隠しながら屋根に寝そべり、そして嗤う。自分を嘲う。

 

「ヘタレは何度も何度も格好悪い所を見せるからヘタレなんだよな。また1歩進んで、情けない姿を見せるとするよ。今度は誰に見られるのか、考えただけで気が重いけどな」

 

「その意気だよ。でも、それも1つの『英雄』の姿かも知れないけどね」

 

「ユウキ」

 

「はいはい。ボクだけはキミを『英雄』なんて呼ばない。それでいいんでしょ? 約束してあげる。それがキミの祈りであり、呪いであるなら、憶えておいてあげるよ」

 

 ああ、そうだ。それが俺達の絆であらねばならない。キリトとユウキは視線を交わらせ、それぞれの道に戻ろうとして、だが寸前で踏み止まる。

 

「あのキスは何なんだ!? キミはクーが好きなんじゃなかったのか!?」

 

「錯乱してほとんど過呼吸状態だったんだよ? クリスマス期間とはいえDBOだし、キミには特に聖剣と心意とかあるし、即急な治療が必要だと思って」

 

「そうじゃなくて! こんなのクーにどう説明すれば……!」

 

「話す気なの? 今日あった事。さすがにオススメしないよ。ああ見えてもクー、繊細なんだからね」

 

 それが分かっているなら何で!? 赤面するキリトに、ユウキも頬を赤らめながら顔を背ける。

 

「……見捨てられなかったから。人工呼吸と同じだよ。医療処置」

 

「でも、俺はこれからクーにどんな顔をして会えば……!」

 

「『いつも通り』だよ。今日の事は『ボクとキミだけの秘密』。いいね?」

 

 ぴょんと跳んで可愛らしく接近したユウキの笑みに、彼女のものとは思えぬ異質の圧迫感を覚えたキリトは、今回は……いや、今回『も』自分が全面的に悪いと頷くしなかった。

 

「元気が出たならお仕事! 遅刻するよ!」

 

「は、はい!」

 

 駆け出したキリトは、だが屋根の急斜面に滑り、そのまま落下して雪に埋もれる。高さと落下姿勢を考慮すれば、クリスマス期間でなければ落下死してもおかしくなかっただろう。

 故にキリトは聞き逃す。いいや、聞く事さえ出来なかった。

 

 

「そうだよ。今夜は2人だけの……ママにも『秘密』だよ……『パパ』♪」

 

 

▽       ▽       ▽

 

 

 きっと初恋だった。

 もう灼けて、灼けて、灼けて、たくさんの『思い出』が灼けてしまって、それでもキミは初恋だったと言い切れるんだ。

 だけど、分かってたんだ。

 オレは誰かを愛するには生物として出来損ないだ。傷つけ、苦しめ、壊して、壊して、壊して、そうする事で愛したいと望んでしまうから。

 キミに触れたかった。もっと触れて、言葉を交わして、大好きだって伝えたかった。

 でも言葉にすれば全てが殺意に塗り潰されて、愛情はそのまま流血を招くと思えた。

 

 

 キミだけは傷つけない。何があろうともオレが『オレ』である限り味方であり続ける。

 

 

 それは……こんなどうしようもなく愛して傷つけて、愛して苦しめて、愛して壊して、愛して殺すしかできない、オレにとって、キミに触れて言葉を交わす縁だったんだ。

 少しだけオシャレしてみたんだ。身を隠す為に教会服は欠かせないけど、靴だけはいつもと違ったものに履き替えたんだ。ほら、オシャレは足下からって言うしな。

 オレはそれくらいしか出来ない駄目な男だけど、それでもキミに恥を掻かせたくなかったんだ。

 約束の場所。待ち合わせの場所。まだ灼けていないから、オレとキミが本当の意味で『始まり』を迎えた場所だと思った。もう呪いに成り果てても、オレの祈りを受け取ってくれた、黒鉄宮跡地を見下ろせる、あの見張り塔の屋上だと思ったんだ。

 ポケットにクリスマスプレゼントを入れて、らしくない程に気持ちは少しだけ……高揚していた。

 だけど、このオレの直感と分析は戦いと殺し以外では無能な極み。ヤツメ様の導きも役に立たない。まさか、キリトとユウキのキスシーンを目撃する事になるとはな。

 様子から察するに、ユウキからキリトにキスしたようだった。その後、泣き続けるキリトをユウキは抱きしめていた。

 オレはあの夜……去年のクリスマス……泣けなかった。涙を流せなかった。彼女は受け止めようとしてくれたのに。だけど、キリトは泣けた。ちゃんと泣いていた。

 それがキリトの『強さ』だ。『強さ』とは『弱さ』と表裏一体だ。だから、だから、だから……キリトを受け入れるユウキは、やっと……きっと……だから……!

 

 走る。

 走る。

 走る。

 

 何処に? 決まってるだろう。大聖堂だ。仕事がある。大事な仕事だ。聖歌独唱は協会の威信がかかっている。エドガーのヤツは何を考えているか知らないが、オレに任せやがったんだからな。

 道行く人々は幸せそうだ。本当に? いいや、違う。笑う影には泣いているヤツがいて、苦しんでるヤツがいて、怯えているヤツがいて、明日なんて来なければいいと願ってるヤツがいる。

 聖夜が見せる『夢』は終わる。あと数時間で終わりを告げる。

 

「……長い『夢』だったな」

 

 不思議だ。最初から分かりきっていたのに、もしかしたら、という期待がこんなオレにもあったのかもしれない。

 ユウキに愛してもらえている。そう信じたい気持ちがあったのかもしれない。

 違う。キミは『優しい人』だ。だからこんなオレを見捨てられないだけだ。分かっていた。分かっていたはずなのに。キミがくれる微睡みが心地良くて、キミの傍だけではオレが『オレ』として目覚められる気がして、やっぱり……オレは……甘えてしまっていたんだ。

 

 走る。

 走る。

 走る。

 

 何処に? 決まってる。決まってるだろう。大聖堂だ。だが、あれ? おかしいな。ここは何処だろう? 人通りが多いな。大通りなのは間違いないんだが。

 

「まったく、勘違い馬鹿が。恋する女の子のクリスマスの時間を奪うなんて、空気読めてないな。HAHAHA!」

 

 だが、ここからのオレはひと味もふた味も違うゾ! まずはユウキにメールを送ります。本日の食事はキャンセル。理由は仕事が推してしまったから。フッ、我ながら完璧な理由だ。これぞオレ! 仕事最優先の駄目男! 待ち合わせ30分前行動が功を奏すとはな!

 

「そもそもユウキはキリトが好きだったわけだし? むしろ、よくやった! アイツには言葉よりもアクション! 告白よりも接吻! さすがはユウキ! 分かってるぅ! HAHAHA!」

 

 だが、ここからが大変だ。キリト絶対狙うガールズはヤンヤンが多すぎる。シリカやリーファちゃんはもちろん、他にも大勢のハンターが蠢いている事だろう。

 ご安心あれ。馬に蹴られるようなO・BA・KAなオレだが、恋の万能成就プロフェッサーとはオレの事! ユウキの恋! あそこまで派手に花火を打ち上げたんだ! 必ずや成就してみせようではないか!

 

「ユウキは愛人枠ではなく正妻枠だからな。オレが上手くセッティングと障害排除しなければな。キリトもキリトで面倒臭いヤツだし、オレが一肌脱ぐしか無いな。まずはシリカとリーファちゃんをどう抑えるかだな。うーん……まぁ、何とかなるだろう! オレに任せろ! HAHAHA!」

 

 あとはアスナだ。アスナも我慢してるとはいえ、キリトLOVEが消えたわけじゃないからな。キリトに新しい恋人とか出来たら、暴走してキリト宅に殴り込みか、最悪の場合はユイと入水自殺とかもしかねない。というか、ユイもユイで問題じゃないか! パパが知らぬ間に再婚して新しいお母さんが出来ていたとか、自分は捨てられちゃったのとか、思えば教育に悪い大問題じゃないか!

 だが、オレに任せろ。アスナにも上手くフォローしておくし、ユイもパパは新しい幸せを見つけたんだよって、オレの残り少ない時間を注ぎ込んで、しっかりと教え込んでおくよ。だから安心しろ、キリト!

 

「さーて、そうと決まればプランを練らないとな! まず、ユウキをどうやってキリトとさりげなーく会える時間を増やせるか、だな。下手に勘付かれたらヤンヤンガールズの妨害が入るからな!」

 

 ハッ! そこでマイホーム! オレの家の出番! そ、そうか。オレが今までマイホームを見つけられていなかったのは、キリトとユウキの逢瀬の地を確保する為だったのか!

 ……って、オレの家をラブホ代わりにするつもりかーい! もう! 自分でツッコミを入れちゃうゾ!

 そもそもキリトくんはなぁ……ヘタレだからなぁ。そのくせして、キスだけで陥落しない男なんだよなぁ。無駄に経験値だけは高いんだよな。アスナとシリカのせいで。

 つまり、まずは如何にしてユウキのアプローチによる着火を、キリトの中で燃え盛る愛の炎にするかがファーストミッションとなるわけか。フッ、まさに燃えるな!

 

「でも、そっかそっか! でも、ようやくか! これで、ようやくザクロの……ザクロの夢も……『お嫁さん』も……叶う……ぞ。HAHAHA! HAは……はHAHA…HAは……」

 

 

走る。

走る。

走る。

 

 何処に? 分からない。分からない! 分からないよ!

 痛いんだ。胸が『痛い』んだ。こんなの初めてなんだ! 痛みじゃ無くて『痛み』で心臓が止まりそうなんだ!

 何処とも知れぬ場所で、真っ暗闇の廃墟の街で、誰1人していない、月明かりも見えない雪空の下で、オレは立っていた。

 

「HAHAHA……はは……HAHAHA……はは、わ、笑えよ! 笑え! 笑え! やっと……やっと……ユウキが『幸せ』になれるんだろ! オレみたいなどうしようもない、『人』の皮を被ってるだけの……被ってるだけの『獣』が……できるのは……馬鹿みたいに笑って……笑って……笑って夜明けの向こうに2人を……!」

 

 ねぇ、『サチ』。見たよ。茅場の後継者が見せてくれたんだ。

 クリスマスカードに触れた瞬間に、頭に叩き付けられた『記録映像』。

 オレはクリスマスにキミと迷い歩き、傷つけ、苦しめ、それでも……それでも救いたくて……でもやっぱり救えないって事実を突きつけられて……オレはキミを……殺した。

 あれが事実かどうかは分からない。でも、『血』の滾りが真実だと教えてくれるんだ。

 喉が引き攣る。言うな。言うな。言うな。きっと後戻りが出来なくなる。

 空を見上げても月は見えなくて、都合よく雲が割れる事なんかなくて、舞い落ちる雪を伸ばした左手で掴んでも……もう冷たさすらも感じなくて……・それでも、求めるように、手を伸ばせと『誰か』が叫んでるようで、だから……だから……だから!

 

 

 

 

 

 

 

「好きだったんだ! 大好きだったんだ! 愛してたんだ! 殺したくて殺したくて殺したくて堪らないくらいに! キミを愛してたんだよ、ユウキ! ユウキぃいいいいいいいいいい!」

 

 

 

 

 

 

 

 もっと早く言えていれば、キミに伝えていれば、何かが変わっただろうか。

 

 いいや、きっと何も変わらない。

 

 だって、オレは臆病な『獣』だから。

 

 だから、きっと、オレはいつまでも『独り』なんだ。殺して、殺して、殺し続けて、皆がいなくなって、やっと、もう、寂しくない、自分しかいないから『独り』じゃないって思える、臆病な『獣』なんだ。

 

 最初から壊れていたんだ。これが『血』によるものなのか、それさえも分からない。

 

 伸ばした手を下ろす。月明かりも掴めず、雪の冷たすらも感じず、何もない左手を開き、掌を見つめる。

 

 頭に響くのは呪い。

 

 ザクロの呪いが反響する。

 

 それだけが剥がれそうになっていく人間性を繋ぎ止める。

 

 狩りを全うしろ。夜明けを。黄金の稲穂を。

 

 でも、おかしいんだ。

 

 どれだけ繰り返しても、いつもなら簡単に握れるはずの拳が……指が動かないんだ。

 

 

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 

 何処に? 決まってる。大聖堂だ。不思議なくらいに真っ直ぐ辿り着けた。オレを密やかに迎え入れたエドガーは、そのまま大聖堂の奥……個人用の礼拝室の1つに設けられた専用の衣装部屋に案内した。

 

「……これは?」

 

「申し訳ありません、【渡り鳥】殿。このエドガーの『うっかりミス』で衣装に手違いが……」

 

「女物……みたいですね」

 

「はい。ですが、今から衣装を改める時間もなく、普段の教会服ではさすがに。お叱りは全てこの――」

 

「構いません」

 

 飾られた衣装は、何処か懐かしさを覚えた。神子服に少し似ている気がする。いいや、さすがに言い過ぎか。和の意匠は何処にもない。だけど、エドガーの真摯な想い……彼が貫く『正義』だけは感じ取れた。

 

「時間が無いのでしょう? だったら、これを使います」

 

「……仰せのままに。アンバサ」

 

 着替えは1人で出来る。幸いにもロングスカートだ。ああ、なるほど。袖が振袖っぽいな。頭からベールを被れば顔は分からないだろう。

 露出はほぼないが、肩甲骨だけは丸出しか。ここも神子服に似ている。

 眼帯を外し、髪を解く。この衣装に髪を結う必要はない。

 ああ、落ち着く。髪を解くと、心臓を苦しめる『痛み』が薄らいだ。そんな気がした。

 

「着替えました。如何でしょうか?」

 

 廊下で待っていたエドガーに微笑みかける。これだけ近距離ならばベール越しでも表情くらいは伝わるだろう。

 

「おお……おお……! アンバサ! アンバサ! アンバサぁああああああああああああ!」

 

「神父が倒れられたぞ! 医務室に運べ! 開催前に何としても蘇生するんだ!」

 

 何故か鼻血を噴き出して倒れたエドガーを、修道士達が担いで連れて行く。蘇生って大袈裟な。そもそもDBOはHPゼロ=死だぞ。

 

「シンゾウガー!? シンプガシンジャウー!?」

 

 すっかり遠くに行ってしまってよく聞こえないな。まぁ、エドガーは信心深い。今日の聖夜慰霊祭に向けて過労だったはずだ。限界が来てしまったのだろう。

 オレの出番までもう少し時間がある。警備は厳重だが、その分だけ人通りも制限されている。人目を逃れて散歩するくらいはオレならば容易い。

 贄姫で舞いたい。だが、この衣装にはさすがに似合わない。

 大聖堂は広い。敷地内に墓地や孤児院、時計塔まである。中庭も数え切れないならば、部屋数も地下も未知だ。終わりつつある街が乱開発による意図せぬダンジョン街ならば、大聖堂は教会が意図して作成した人工ダンジョンだ。

 いよいよ聖夜鎮魂祭が始まったのだろう。大聖堂正面の大礼拝室は、予約の激戦を勝ち抜いた信徒と各大ギルドのリーダーを含めた要人で固められているはずだ。

 エドガーの声が聞こえる。復活したようだな。そういえば、最低でも聖堂街全域、望めるならば終わりつつある街全てに声が届く程の、ユニークスキルを素材にしたスピーカーを設置しているそうだ。大した信仰心だ。

 ふと、無人の孤児院の前を通る人影を見つける。今夜ばかりは孤児達も聖夜鎮魂祭で夜更かしのはずだ。警備かと思えば、格好からしてどうにも違う。

 淡い茶髪。編み込まれた前髪。可愛らしい顔を今は泣き腫らし、白い教会服は何度も転んだのか、泥土で汚れてしまっていた。

 

<誰!?>

 

 オレに気付いたのだろう。メッセージウインドウが表示される。ふむ、なるほどな。喋れないのか。FNCか? それとも呪いの類いか? どちらでも構わない。

 大声を上げられて人を呼ばれたら、格好が格好だけに変態扱いされて困る。だからといって、正体がバレるのもな。

 

「アナタこそ、誰?」

 

 質問には質問で返す。これで名を問われる回避ルートを探る。

 

<教会で働かせていただいています。ユナです>

 

 首から下げたペンダントには、教会の修道会の紋章が描かれている。偽造品では無い。盗品の線もあるが、クリスマスに、それもあんな無防備に厳重警備を潜り抜けたとは思えない。間違いないだろう。

 

<あ、もしかして聖歌隊の方ですか。失礼しました!>

 

 ああ、なるほど。衣装に聖歌隊の紋章が入っていたのか。ユナは慌てて頭を下げる。

 修道会、教会剣、聖歌隊は表面上こそ同等だが、聖歌隊の方が上位組織とされている。なお、エドガーは戦闘能力からギルド化された実戦部隊の長である教会剣のトップに就任したが、今も聖歌隊に強い影響力を持つ、教会の創設メンバーだ。

 故に修道会に属するユナはオレに失礼を働けないのだろう。多くは語らず、だが泥だらけのユナをこのままうろうろ歩かれて警備が集まってもらっても散歩出来なくなる。

 オレはユナの手を取ると孤児院近くの水場に連れて行く。桶で湧き水を汲み、袖……はさすがに出番前でまずいので、彼女を椅子に座らせて手で洗ってあげる。

 裸足だ。靴が脱げても拾うことも、再装備も忘れて走り続けたのか。靴下の『残骸』が辛うじて張り付いている。

 クリスマス期間でなければ血だらけになっていたはずだ。丁寧に水で洗い流せば、ユナは冷たさで顔を歪める。

 

「どうして、こんなになるまで?」

 

<……追いかけたんです。でも、追いつけなかった>

 

 誰に? いいや、今のオレならば分かる。きっと、大切な人。絶対に手を離したくない人だ。

 

「見つからなかったんですね」

 

<追いつけませんでした。私……エーくんがあんなに速く走れるなんて、知らなかった! 何も知らなかった! 知らなかったから、少しでも知りたくて……でも、出来ませんでした!>

 

 エーくん? 愛称か。しかし、格好だけは教会の人間とはいえ、こうもペラペラ喋るとは、かなり追い詰められてるな。可愛い顔してるし、悪い男が優しい声をかけたら丸め込まれてお持ち帰りされそうな程に危ういメンタルだ。

 ……エーくんとやら。大きな貸しだぞ。今日のオレは……なんというか……こういう女の子を放っておく気分じゃない。要は気まぐれだ。

 

「追いつかれたくない者を、追いかけても捕まえられませんよ。先回りして罠を嵌めないと」

 

<どういう事ですか、聖女様>

 

 ほう。言うに事欠いて聖女ときたか。まぁいい。今回ばかりは格好が格好だからな。騙されてくれるならばそれでいい。

 

「言葉の通りですよ。追いつかれたくないんです。誰にも止められたくないんです。手を掴まれても振り解かれるだけ。正面で待ち構えても押し退けられる。だったら、罠に嵌めて足止めしないと。心の動きを少しだけ止めてあげるんです。狩りの基本です」

 

<狩り?>

 

「……お茶目な喩えです。忘れてください」

 

<足止めして、それでどうするんですか。向き合って、話をすればいいのでしょうか?>

 

「向き合って話したところで、解決するとは限りません。相手の本心や本意は分かるかもしれません。でも、誰にも止められたくない者を止めるには足らない。むしろ、止めようとするアナタは障害になるだけ」

 

<だったら、どうすれば……>

 

「普段の表面上の言葉や仕草を探りなさい。どれだけ誤魔化しても、隠しきれない想いが見えます。手がかりを見つけたら、暗がりに潜む姿を探しなさい。誰にも見られていないと思っている時こそ、最も『恐ろしい姿』を見せる。それは『真実』に繋がるパン屑です」

 

 右足は綺麗になった。次は左足だ。

 

「でも、『恐ろしい姿』は本性とは限りません。追いかけたい人とは、長い付き合いですか?」

 

<長かったです。でも、離れ離れの時間も長くて……>

 

 疎遠になった幼馴染……といったところか。面倒臭いな。この様子だろうと相手は男だろうし。そもそも異性の幼馴染の関係なんて自然消滅か普通だろうにな。

 つまり、余程の深い友情か、どちらも深い感情を持っている。そうでなければ繋がり合っているはずがない。そして、ユナの顔はもう友情のそれじゃない。だからといって異性に対する恋愛感情とも違う。敢えて言うならば、まだカテゴライズできていない……『執着』だ。年齢は見たところ10代半ば。だとするならば、肉体不相応に、感情が幼すぎる。それこそ初恋さえもまだなのだろう。

 故に『執着』は何に変じてもおかしくない情念だ。それこそ憤怒、悲壮……憎悪にすら変わるだろう。

 何故だろうね、ヤツメ様。それだけは駄目だって思えるんだ。怒りも、悲しみも、憎しみも……抱いて欲しくないんだ。ただの押しつけがましいお節介なのかもしれないけどさ。

 

「人間は多面性の生き物です。分かりやすい行動・結果には騙されてはいけません。最も見えない闇にこそ、本人にさえも理解し切れていなかった本質が隠されています。あるいは、目も眩むような光の中……陽だまりにこそ……」

 

 これで左足もよし。さすがに教会服まで洗うのは問題だ。だが、頬と髪だけは洗ってあげよう。濡らした手で髪の泥土を除き、頬を拭う。

 

「もしも、大切な人の『恐ろしい姿』を見た時、アナタが耳を傾けるべきは表面上の慟哭ではなく、感情の深淵より聞こえる絶叫。たぐるべきはアナタと彼を繋ぐ過去の記憶。見失いそうになった時、思い出してあげてください。そして、見つけてあげてください。魂の叫びを」

 

 受け入れられるかどうかはユナ次第だ。オレにはどうする事も出来ない。

 

「アナタなら出来るとは言いません。だけど、『誰か』の為に走って、汚れて、泣いて、それでも探そうとしたアナタは……アナタだけは信じてあげてください。積み重ねた記憶と感情が作り上げた幻想ではなく、過去に確かにあった事実に基づく真実を。どれだけ足掻こうとも、悩もうとも、我々は主観で生きるしかないだから」

 

 ああ、幻想か。そうだな。何もかも幻想だったのかもしれない。

 怒り、悲しみ、憎しみに囚われて欲しくない。オレはユナにそう伝えたよ。

 

 

 

 知ってるよ、ヤツメ様。

 

 オレは怒りたかったんだ。キリトに殴りかかるくらいに怒りたかったんだ。

 

 オレは悲しみたかったんだ。ユウキに涙を流すくらいに悲しみたかったんだ。

 

 オレは憎みたかったんだ。こんなにも空っぽな自分を憎むことさえも出来ない自分を……憎みたかったんだ。

 

 そんな感情すら、ありもしないというのに。

 

 

 湿っぽくなってしまった。こういう時は気分転嫁に笑い飛ばすに限る。

 本当に灼きすぎたね。そういえば、スイレンに人間性を大盤振る舞いしたばかりだったよ。HAHAHA!

 

「HAHAHA!」

 

<聖女様?>

 

「ああ、申し訳ありません。これはアメリカンコメディ風の……いいえ、忘れてください」

 

 しまった。つい声でも笑ってしまった。

 オレもそろそろ限界かもな。獣性が漏れ出すのもいつになるやら。

 

「客観の集積と主観の絶対。それらによって『個』が形作られるというならば、個々の主観は同時に客観でもある。傲慢でありなさい。特に自分自身を主観で捉える時は揺らいではなりません。『己』を見失った時、『人』は容易く『獣』に墜ちるのだから」

 

 最後にユナの額の泥を拭い取る。

 何故だろう。最後に告げねばならない事があるような気がした。彼女には必要などなくとも、何かの手助けになるように。オレには……何1つ救えないというのに。

 それでも、彼女の手が誰かの手を掴み、僅かでも救いをもたらす事ができるならば。

 

 

 

「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬ者よ、かねて血を恐れたまえ」

 

 

 

 ユナの額より清水が零れ落ち、鼻筋を通って、頬より滴り落ちる。

 

「恐れたまえ、ユナ。『人』は『獣』に墜ちるばかりではありません。時として、『人』であるが故に『鬼』となるのだから。そして、恐れを抱いた時こそ踏破しなさい。それこそが『人』の証明なのだから」

 

 まぁ、踏破した先にどうなろうとオレの知ったことではないがな。ユナがそれまでに何処まで辿り着けたか次第だ。

 まったく、他でもないオレが言っても説得力などない。

 オレ程に『オレ』をいつ見失ってもおかしくないヤツはいない。そもそも『オレ』など残っているのか。

 ガラス窓に映るのは、本当に『オレ』か? まるで聖女のような格好をしてさ。

 もうすぐ出番だ。大礼拝堂に向かう。聖歌隊が大祭壇前で歌うならば、オレは2階……大礼拝室の壁際をぐるりと囲うように設けられた細い通路にて、まさしく大祭壇の真上……そこに設けられた壇上で歌う。うん、エドガーよ。気合いが入りすぎだ。

 

「我が聖女。お待ちしておりました」

 

 エドガーめ、オマエまで悪ふざけか。さてはユナとの会話を聞いてたな? 溜め息を吐きつつ、オレを2階への階段に案内したエドガーは、オレだけを残して去って行く。彼には1階にて信徒の皆々に対して教会の威厳を知らしめる大仕事があるからな。

 リハーサルでは1度も歌っていない。エドガーには音痴が治った事も伝えていない。アイツも本当に何がしたいんだよ。何が『どれだけ下手でも本番1発勝負に意味があるのです』だよ。あれだけ聖歌隊には鬼みたいな指導しててさ。

 出番が回ってくるまで姿を見られてはならない。1人だけ残されて、でも元より『独り』であったと思い出して自嘲する。

 

「……寒い」

 

 この格好のせいか? いいや、違う。分かってるさ。そんな誤魔化しなんてしないよ、ヤツメ様。

 やっぱり『痛み』は消えないんだ。誰かを殺したわけじゃない。傷つけたわけじゃない。苦しめたわけじゃない。それなのに、人間性が疼いて『痛い』んだ。心臓が止まってしまいそうな程に!

 それだけじゃない。『血』が蠢いてるんだ。欲しい。欲しい。欲しい……って! 分かってるよ。こんなの……こんなの、間違ってる。オレの恋は……好きって気持ちさえも……本能の咆吼で……だから……だから……だから!

 

 嫌だよ。ユウキを失いたくなかったんだ。

 

 こんなにも当たり前の……『人間らしい感情』さえも……人間性がもたらす反射にも等しい『フリ』だったなんて……思いたくないんだ。傷つけて、苦しめて、壊して、壊して、壊して、殺すだけの愛しか知らないなんて……嫌だったんだ!

 

 キミが欲しかった! ユウキが欲しかった! 傷つけないで、苦しめないで、壊さないで、殺さないで、愛せるものならば愛したかった。でも、オレにとっては同じ事だったんだ! 同じ事だったんだよ、ヤツメ様!

 

 何で!?

 

 何で!?

 

 何で!?

 

 どうして、こんな風に生まれてしまったんですか? ただのエラーなんですか? 生物としての設計図に間違いが生じてしまっただけなんですか? 教えてください。誰でもいい……教えて……教えてよ。

 

「……教えてよぉ。教えて……この『痛み』は……何? 何なの……か、教えてよぉ」

 

 こんな時さえも涙も流れないのに、誰も教えてくれない。ヤツメ様さえも、手を伸ばして、でも背を向けて去って行く。今だけは自分で考えないといけないと伝えるように。

 

 

 12月25日23時49分42秒。

 いよいよ出番だ。立ち上がって壇上に向かう。

 見渡す限り、人、人、人だ。目が悪いオレでも分かる人の数だ。

 ああ、キリトもいる。シノンもだ。ディアベルもいる。ラジードやミスティアも。そうだよな。皆、立場があって、やるべき事があって、ここにいる。今のオレと同じだ。

 聖堂街まで溢れる信徒。何万人だろう。もしかしたらもっと、もっと、もっと多くの人が集まっているのかもしれない。信徒でもない、ただのライヴ感覚やお祭りに来た気分の人もいるだろう。それでいい。それでいいんだ。

 ねぇ、スイレン。アナタはオレに歌い方を教えてくれた。でも、歌に込めるべき感情は何1つとして教えてくれなかった。きっと、オレが見つけるべきものだったんだよね。

 荘厳なるパイプオルガンの音色。聖歌隊の一糸乱れぬ合唱。そして、いよいよ回ってくる、オレの聖歌独唱。

 光を浴びる。これは何? スポットライト? 月明かり? いいや、違う。大礼拝堂の照明は落ち、蝋燭の火ばかりだ。

 ああ、闇を照らす『火』がそこにある。

 

 オレは篝。闇を照らす篝火。冷たく暗い夜に、どうか凍える事が無いようにと名付けてもらった。うん、憶えている。憶えているよ。きっと、名付けてくれて、意味を教えてくれたのは……オレの母さんなんだ。もう思い出す事も出来ない。

 だから、オレは歌うよ。篝火だから。闇に取り残されているのは皆の方だから。

 オレは篝火。でも、オレの本質は違う。オレは『夜』だ。終わらない、血に塗れた獣狩りの夜の主だ。

 

 だから、せめて、この名前が残っている限り……オレは歌うよ。

 

 狩りを全うするまで、どれだけ殺し続けても、凍える闇夜に残る篝火であり続けるよ。

 

 いつの日か、夜明けを迎えたら必要とされなくなるとしても、それでいい。

 

 オレに夜明けなんか要らない。

 

 燃え尽きるまで歌い続けるよ。

 

 

 ああ、見つけた。

 

 やっと見つけたよ。

 

 みんながくれた人間性が疼かせたこの『痛み』から……やっと、オレが『オレ』から見出した、血の悦びとも違う……それも『血』の中に見出した人間性……まさしく異物……『血の穢れ』。

 たとえ、そうだとしても、これもまた、オレがまだ『人』の皮を被り続ける縁となるだろう。故に薪となっていつか燃え尽きるだろう。それはなんだか……嫌だなぁ。だって、『痛み』を通して、キミと確かに共有できた時間が『血』の中で育ててくれた……キミがくれた人間性だから。

 

 ねぇ、ユウキ。

 

 キミの為ならば幾らだって捧げるよ。

 

 大事な人たちがくれた人間性を燃やし尽くしてでも、キミを夜明けの向こう側に連れて行くよ。

 

 だから、この『痛み』が『血』より切り取ってくれた人間性だって使ってみせる。いつか、薪にして燃やしてみせる。

 

 息を吸う。光は要らない。闇だけでいい。瞼は閉ざす。

 

 スイレン、ありがとう。オレは歌える。歌えるよ。心のままに。たとえ、それが『獣』の咆吼だとしても、歌うよ。

 

 

 

 

 ねぇ、知ってるよ。この『痛み』を……見出した人間性の名を……これね、『失恋』っていうんだ。

 

 

 

 

 ああ、なんだ。とっても普通だ。普通じゃないか。

 

 だから、こんなにも『痛い』んだ。

 

 だから、今日だけは……今夜だけは……この『痛み』を歌わせて。

 

 今夜だけでいいから。

 

 たった1日だけの……少しだけ……特別な日だから。

 

 12時の鐘が鳴れば『夢』は終わりだから。

 

 だから、せめて……せめて、皆に届けさせてくれ。

 

 知って欲しいんだ。

 

 これからも続く血ばかりの闇夜に役立つとは思えない。

 

 それでも、闇に隠された縁を探す手がかりになると信じたい。信じたいんだ。

 

 たとえ、獣狩りの夜の主が嘯く『嘘』だとしても……夜明けが来るまでの間だけでいい。騙されて欲しいんだ。

 

 いつか、『英雄』が『バケモノ』と戦う日が来る。その時、夜明けの勝利を求めて戦う『英雄』の勝利に祈り、夜に残される『バケモノ』に死を呪う為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い夜に、しかし確かに、月光を見たのだと……

 

 

▽       ▽       ▽

 

 

 12月25日午後11時55分、大聖堂、聖夜鎮魂祭にて、聖歌独唱は世界を震わせた。

 

「クリスマスの……聖女?」

 

 聖夜鎮魂祭に参列していたラジードは思わず呟く。

 去年のクリスマスに聞こえてきた、音痴としか評価できない、だが優しく温かな赤鼻のトナカイ。

 教会は正体不明の彼女を見つけ出したのだろう。全く同じ歌声で紡ぐのは壮麗なる聖歌であり、音痴とは程遠い……まるで女神達の息吹を織り込んだかのような歌声だ。

 赤鼻のトナカイが死者を悼む鎮魂歌であったならば、これは静かな励ましだ。

 明日を歩む生者に、たとえ道無き道を歩む闇夜であろうとも、いつか月明かりは必ず差し込むはずだと微笑みながら手を取ってくれているかのようだ。

 大ギルドの威信と教会に対する忠誠を見せつける場であるはずなのに、普段は謀略に勤しんで資産を増やすことにしか興味が無い権力者達さえも魅入られている。ディアベルやサンライス、あのベルベットさえも……まるで聖女に抱擁してもらったかのように、涙を流している。

 去年を思い出し、ラジードは隣のミスティアの手を握ろうとして、だが泣き崩れる彼女を支える。

 

「ミスティア!」

 

「……どう、して?」

 

 感動している? だが、違う。信徒達の何人か……それも女性ばかりがミスティアと同じように、むしろ胸が裂かれそうになっているような涙を流している。

 

「分からない。分からないよ、ラジード君! とっても『痛い』の! 苦しいの! 何もかも壊してしまいたくなるくらいに!」

 

 公衆も忘れて感情を乱す姿は、まるで我が子の悲鳴を聞いた母のようであり、故にラジードは抱きしめる。

 ラジードには分からないのだろう。一生かかっても分からないだろう。どれだけ『強さ』や『力』を手に入れても、命の揺り籠となる事は出来ないのだから。

 

「キミは僕が守る。これから何があろうと……必ず、キミだけは守り抜いてみせる」

 

 故にラジードは抱きしめる。恐怖を払い除けるようにミスティアを抱擁する。

 誰だって暗闇を歩いているならば、行き着く先は同じとは限らない。

 たとえ、隣を歩いていると思っていた愛しき人さえも、いつの間にか手が届かない程に離れてしまっているかもしれない。

 それでも、そうだとしても……君の手だけは離さないとしがみ付く。

 

 

 

 それは妄執にも似た愛着であり、故にどろりとして温かい人間性である。

 

 

▽      ▽      ▽

 

 

 12月25日午後11時58分、聖歌独唱が響き渡る。

 エドガーは両手を組んで祈りを捧げる。

 灰より出でる大火を迎える。その為に杯を油で満たそう。

 今宵、聖夜の終わりを告げる鐘は、同時に始まりを示すだろう。

 終わりの始まり。そうだ。これはついに神灰教会の本義を果たす、始まりの聖夜なのだ。

 

「キリト殿、無粋ですぞ」

 

 故にエドガーは最も忠実なる信徒として、今まさに弾けるように動き出しそうなキリトを、2人だけの秘密話で完結する小声で牽制する。

 

「教会は聖女殿に聖歌独唱を願い出た義務として、その素性をお隠しせねばなりません。貴方はここに『アスクレピオスの書架の専属傭兵』として出席している。聖女のベールを剥ぎ取り、歌声を止めるのは最大の裏切りとなるでしょう」

 

「……もう少しなんだ。あと、少しで、『分かる』んだ」

 

 やはりこの男は危険だ。我が聖女にとっての『毒』となりかねない。野放しにできない。アスクレピオスの書架は教会の本義からやや外れているとはいえ、エドガーも甘んじて認める範疇だ。故に専属となってくれたのは僥倖だった。これこそまさに『神の思し召し』だろう。

 ああ、我が聖女にして我が神よ。いつか灰より出でる大火よ。灰の信徒たるこのエドガーにお任せください。

 

「キリト殿の気持ちは分かりました。では、取引を致しましょう。このエドガーが求めるのは灰より出でる大火のみ。ならばこそ、俗世の覇権争いなどに興味ありません。これは教会の総意でもあります。故に、お教えしても構いません。キリト殿が知りたくて堪らない……完全攻略の扉を開く要の鍵を」

 

 キリトの目が見開く。エドガーには分かる。ここで個人の曖昧な思惑で聖夜鎮魂祭を台無しにして、専属契約を結んだばかりなのに、教会に叛意を示したと喧伝するよりも、悲願の手がかりを得る方が遙かに有意義だ。

 しかし、エドガーの予想を超えた食いつきだ。どうやら完全攻略への意欲は想定以上に高まっているようだ。

 

(貴方には『英雄』として語り継がれる『伝説』となっていただかねばなりません。それこそ、我が信仰の成就であり、灰より出でる大火が照らす新時代に相応しい物語なのですよ)

 

 全てを得ることなど出来ない。ならばこそ、エドガーは潔白を欲しない。喜んで汚泥に塗れよう。

 

 たとえ、磔にされ、水銀の槍で貫かれ、その身を古き時代の最後の残り火を道連れにする終わりを望もう。

 

 

 灰は灰に帰るべきだ。エドガーは自分の灰に燻りなどなく、故に塵となり、土へ帰ると知っているのだから。

 

 

 誰も認めずとも、それこそがエドガーの殉教なのだから。

 

 

▽       ▽       ▽

 

 

 スミスの計らいで、巣立ちの家のクリスマスパーティに参加させてもらい、その足でエドガーの計らいにて聖堂街の貸し切られた礼拝堂にてユイと2人で鎮魂の祈りを捧げていたアスナは、だが聞こえてきた聖歌に意識が揺らぐ。

 美しい歌声だというのに、イメージに湧くのは絶叫。ひたすらに『痛い』、『痛い』、『痛い』という泣き叫びだ。

 だが、そうだというのに、これ以上と無く感じるのは魂の励ましだ。いつか夜明けは来る。だからこそ戦わねばならない。いつかの時の為に、『人』として奮い立たねばならないという優しげな鼓舞だ。

 真の歌手ほど歌詞に関わらず、音源すらも差し置いて、その声だけで精神を揺さぶる。

 動物の求愛行動としても一般的な『歌』。それは精神へと働きかける原始の活動。

 この歌はその究極系。強引に精神の最奥……魂に至るまで共鳴させてようとする、狂気の歌声だ。

 これが僅かでも『死』という概念が込められていたならば殺戮だっただろう。人々は心から『死』を願って自殺していくだろう。そう思える程に、歌に込められた『意味』が桁違いな歌声だ。

 アスナは強靱な精神力で堪え抜く。ユイを不安にさせてはならなないと、自分の母性を揺さぶる歌声を、目前の少女を楔にして耐え抜こうとする。

 

「ユイ……ちゃ……」

 

 だが、他でもないユイは、アスナの手を離れ、フラフラと礼拝堂の聖壇へと歩いていく。

 

「ねぇ、ママ。どうしてなんでしょうか?」

 

 振り返ったユイは泣いていた。泣きながら、必死に笑おうとしていた。

 

「私……『痛い』です。でも……私は……私『だけ』は……泣かないで、笑っていないといけないって……そう思うんです! 熱いんです! 無いはずの右目が……熱くて……だから……!」

 

「……ユイちゃん」

 

 アスナは何とか立ち上がり、長椅子の間に敷かれた、聖壇に続く赤絨毯を歩むとユイを抱きしめるのではなく、諭すように右手を握る。

 

「泣いていい。だってユイちゃんは『人』だもん。いつだって泣いていい。私は受け止めるから。でも、お願い。自分の心に笑顔を強いないで。笑顔の仮面を被るのはいい。自分や他人を騙そうとする笑顔は……時には必要だから。でも、自分の心に笑顔を刻みつけて傷つくような真似はしないで」

 

「でも……私……『私』……なんだか……とっても大切な事……忘れちゃってる気がして……!」

 

「だからこそ、泣いてあげて。笑顔は要らないよ」

 

 アスナはユイの代わりに笑む。心から愛しているからこそ、全身全霊をかけて笑顔を向ける。

 

「ママ……ママぁあああああああああ! うわぁああああああああああああああ!」

 

 笑顔を捨てて泣き出すユイを、今度こそアスナは抱擁する。

 間違えさせない。仮面は剥ぎ取ればいい。たとえ、肉に張り付こうとも、いつかは癒えると信じて。

 だが、心に刻んだ笑顔は血を流し、傷口は膿み、癒えることなき苦しみの連鎖を招くだろう。

 ユイに何があったのか分からない。だが、託してくれたナドラは頻りに『あの人』と繰り返した。

 ユイが忘れてしまった……失ってしまったモノに関係しているのだろう。だが、もはや取り戻す糸口などなく、またユイがどれだけ望もうとも手にしてはならないのだとアスナは悟る。

 

 

 

 それは祈りにも似た罪であり、呪いにも似た罰なのだろう。

 

 

 

 故に今宵だけは罪からも罰からも解き放つように、聖歌は涙を誘うのだろう。

 

 

 そして、聖歌独唱は終わり、12時の鐘が鳴る。

 

 

 12月26日午前0時0分……DBOは『日常』へと戻った。

 

 

▽       ▽        ▽

 

 

 着替えを済ませれば、エドガーの指示で地下の抜け道を使わせて貰い、聖堂街の外へ直で抜け出すことができた。たとえ、12時の鐘がなろうとも信者は夜明けまで祈りを続けるからだ。

 クリスマス期間の終了と共に街は冷たく凍り付いたように殺気立つ。たった2日間の『夢』こそが死と狂気の日常という津波への耐性を容易く奪い取る。

 クリスマスを彩った屋台も露天も撤収している。いつものように怪しいアイテムを売る連中が暗がりを陣取り、覗き込めば血と悲鳴と涙で満たされているだろう。

 だが、オレには心地良かった。狩り、奪い、喰らい、戦い、殺し、そして夜明けをもたらす。それだけでいいのだから。

 何をするでもなく終わりつつある街を歩く。早くも巨大クリスマスツリーやイルミネーションの撤去が行われている。正月? そんなものはDBOに存在しない。教会が祝日として制定すれば何か行われるかもしれないが、せいぜいがそれぞれの年始のモチベーションを確認する程度だろう。

 時刻を確認すれば、12月26日4時4分42秒。

 傭兵寮に戻れば、誰かとすれ違うこともない。

 傭兵からすればクリスマスなど安全で実入りのいい仕事か、リフレッシュ休暇かのどちらか程度の意味しかないだろう。ならば、朝まで贅沢に使い倒すだけだ。

 鍵を開ける前にシステム外トラップ……簡素な視覚警報装置を確認する。輪廻がオレの言い付け通りならば、ドアの開閉は1階だけのはずだ。

 だが、念には念を。贄姫を装備し、身を隠しながらドアを開ける。明かりは消えている。音もなく中に入って壁を蹴り、天井の照明を掴んで室内を確認する。ワイヤー及びセンサートラップなし。時限爆弾の類も設置された様子は無い。

 サインズが裏切るとは考えにくいが、黄龍会は少しやり過ぎた。念には念を入れて、サインズが本格的に裏切った場合のプランも練り直しておいた方がいいな。

 テーブルには片付けもされていないフライドチキンやケーキの食べかすが散乱している。おい、何処が超高性能サポートユニットだ。食べて飲んで放置しているではないか。溜め息を吐いてゴミ箱に放り込む。

 スパークリングワインも1瓶が空けてある。なるほどな。ついつい飲み過ぎてしまって、片付けできずにベッドで倒れてしまった。そんなパターンか。

 だが、ベッドには輪廻の姿が無い。まさか拉致されたのかとも思ったが、布団もない。

 

「…………」

 

 おい、キッチンで寝ているのは何でなのか説明してくれ。洗い場はテーブルの比ではない惨状だ。

 パジャマにも着替えてもいない輪廻が買ったばかりのぬいぐるみを抱いて寝息を立てている。足を曲げて丸まって床の上で眠っているようだ。この布団大好きっ子め。

 ゴミを放置した罰に蹴り起こしてやる……のは勘弁してやろう。

 布団がずり落ちて肩が見えてしまっている。この寒さだ。風邪を引く……なんて事はないだろうが、コイツは色々とイレギュラーだからな。

 布団をかけ直そうとして、だが、オレは輪廻の頬が濡れている事に気付く。

 涙だ。輪廻の頬を伝っている。

 

「……なさ……い……ごめん……なさ、い……ごめん、なさい……ごめんなさい……」

 

 謝っている? 誰に? 寝言で謝り続ける輪廻に、オレは狼耳には触れないように避けて、頭を撫でる。

 彼女が何に謝っているのかは分からない。誰に謝りたいのかも分からない。

 

「……許す。だから泣くな」

 

 せめて、悪夢を見ないように。何の価値も意味もないだろうけど。

 

「……はい、マスター」

 

「…………」

 

「…………」

 

 贄姫、抜刀。輪廻の首筋に刃を突きつければ、尻尾を一直線にして、起き上がった輪廻が両手を挙げる。

 

「寝たフリが上手だな」

 

「ち、違います! マスターが帰ってきたから起きただけです! 輪廻は超高性能サポートユニット! マスターがお戻りになれば、お迎えする為に目覚めるのは当然かと」

 

「そうか。オレが帰宅してから少なくとも5分が経過しているんだがな」

 

「……申し訳ありません。マスターがあ、頭を撫でてくれるまで、眠っていました」

 

 正座して俯く輪廻に、なんだか馬鹿馬鹿しくなって贄姫を納刀する。

 

「別に怒っていない。それよりも涙を拭け。朝になれば訓練と仕事……その前に掃除だ。休む暇などないぞ」

 

「休む……マスター……お休みは取られましたか? とてもお疲れのご様子です」

 

 輪廻に心配される程に疲れは溜まっていない。オレは輪廻を安心させる為に微笑みかける。

 

「気にするな。そこまで疲れていない。起きたならベッドに――」

 

「嘘は駄目です」

 

 だが、輪廻は真っ直ぐにオレを見つめると手を引いてオレまで座らせる。何にも染まっていないような鈍い銀色の瞳がオレを射貫く。

 

「マスターはもう何日も眠られていません。輪廻が知る限り、1度も眠られていません。それに、輪廻に『誤魔化しの微笑み』は要りません。輪廻はマスターの武器です。マスターの超高性能特別仕様サポートユニットです」

 

「前々から思っていたが、オマエ……徐々に盛ってないか?」

 

「いいえ。輪廻は事実しか述べておりません。一切の詐称はしていません。疑いならば、訓練と実戦で証明してみせます」

 

 ほーう。言ったな。訓練はノーマルモード設定のつもりだったが、そこまで言うならばハードからスタートさせてやる。

 

「分かった。だからさっさと寝ろ」

 

「お休みになられるのはマスターの方です」

 

 輪廻の右手がオレの頬に触れる。まるで何かを探すように、何度も何度も撫でる。

 

「輪廻は、どうして泣いていたのでしょうか」

 

「オレが知るか」

 

 そもそも、オマエは誰に謝っていたんだ。だが、この様子だと輪廻に自覚は無さそうだな。

 

「そうですよね。でも、泣いてる理由は分からなくても、涙の意味は……輪廻が決められます」

 

 

 

 

 

 

 そう言うと、輪廻は自分の涙を指で拭うとオレの頬をなぞった。

 

 

 

 

 

 

 冬の空気で凍てついているはずなのに、輪廻の涙は温かった。流したばかりなのか。それとも、彼女の涙は特別なのか。泣いて謝っていた理由さえも分からないならば、この温もりの真相もまた謎だ。

 だが、輪廻はそんなもの気にしていない。オレとは違う、本当に……優しくて……嘘なんてない……本気でオレを労ろうとする微笑みで……涙でオレの頬を濡らして笑む。

 

「マスターが倒れそうになった時は輪廻が支えます。マスターの『サポートユニット』ですから」

 

「要らん」

 

「マスターが叫びたい時は輪廻が抱きしめます。マスターの『武器』ですから」

 

「どうでもいい」

 

「マスターが泣きたい時は輪廻が受け止めます。マスターの『狼』ですから」

 

「犬だろ」

 

 最後の一言が気に障って輪廻は眉を曲げる……事も無く、オレの額に自分の額を合わせる。

 

 

 

「マスターが泣けない時は輪廻が泣きます。マスターの『輪廻』ですから」

 

 

 

 は? 思わず開いた口が閉じなくなった輪廻は、息吹が触れる程に顔が近い距離で笑顔を咲かせた。

 

「輪廻は泣いてた理由よりも涙に意味を与えたいです。マスターが泣けない時はいつだって輪廻が泣きます。だからマスタ―……輪廻が泣きます。泣きますから……どうか……せめて少しだけでも……お休みなられてください。せめて……せめて……どうか……今夜だけでも……」

 

 輪廻は温かな毛布をオレの頭から被せる。まるで、布団の中の暗闇だけが世界の全てだと言うかのように。

 瞼を閉ざしても眠れない。一夜の微睡みすらも訪れない。眠りの間だけでも『オレ』を繋ぎ止める縁は人間性の代わりに失われた。

 

「もう12月26日だ。もう終わったんだ。終わったんだよ」

 

「いいえ。輪廻が嘘を吐きます。嘘で世界を騙します。まだ12月25日です。クリスマスの夜です。だから、どうか輪廻を信じてください。それとも、マスターはご自身の武器すらも信じられないのですか? 輪廻を使い潰すと約束されたのに?」

 

「……信じるさ。でも、いつも信じるから……裏切られるんだ」

 

 信じてるよ。

 いつだって信じてるんだ。

 だけど、その度に……いつだって裏切られるんだ。

 抱擁と布団から抜け出そうとするオレを、輪廻は無理に止めない。止めようとしなかった。

 

 

 

 

 

「ようやく分かりました。マスターは『誰かを信じた自分』こそが自分を信じてくれた人を裏切ってしまう。だから、いつだって裏切りに備えるのですね」

 

 

 

 

 

 だが、輪廻は容易くオレの本心を見抜いた。オレ自身すらも理解し切れていなかったというのに。

 

「マスターを信じてくれた皆が大好きだから、マスターはいつだって頑張って……少しでも『優しくあろう』として……でも、いつも、誰かを傷つけることしか出来なくて……それが誰かに対する裏切りに思えてしまって……だから……だから……」

 

「止めろ」

 

「マスターは『独り』かもしれません。でも、いつだって武器だけは最後まで、壊れる時まで、マスターと共にあります。そして、輪廻はマスターも認められる程に頑丈です。きっと、マスターより先に壊れることはありません。だって、輪廻は超高性能特別仕様サポートユニットですから」

 

「長い。短縮しろ」

 

「嫌です」

 

 倒れていない。叫んでもいない。泣いてもいない。だが、何もしていなくても、オレが泣けないから泣くだと? ここまで勝手なサポートユニットがあって堪るか。

 ふと思い出したのはイリスだ。ああ、そういえばアイツもザクロに対して、酷いくらいにお節介焼きだったな。もしかして、DBOの共通規格なのか?

 まったく、思い出せずとも手に入れた『サチ』の『記録』。アルシュナにも確認したい事があったのだがな。これでは後回しだ。

 

「そうだ! マスター! プレゼントがあります!」

 

 布団から少しだけ顔を覗かせたオレに、輪廻は冷蔵庫を開ける。

 

「ケーキです!」

 

 差し出されたのは、形が崩れた、ホイップクリームもイチゴもサイズが不揃いな……手作りケーキだった。

 

「もらったお小遣いで食材を買いましたが、輪廻はお店の人みたいに上手には出来ませんでした」

 

「食べても味なんて分からない」

 

「味の感想を求めるのは輪廻のワガママです。味はしなくても、それでも、これは『マスターのケーキ』です。マスターの為だけのケーキです」

 

 オレの……オレだけの……ケーキ、か。

 無駄に大きいケーキだ。わざわざチョコレートソースでホワイトチョコレートの板に文字まで書いている。しかも下手でろくに読めない。

 だが、書かれている文字を読んで、オレはケーキを持っていられなくて、床に置き、頭から被る布団の重みに耐えられないように俯いた。

 

「……輪廻」

 

「はい」

 

「これは『クリスマスケーキ』か?」

 

「『違います』。これは『マスターのケーキ』です」

 

「そうか。だったら……1つだけ、頼めるか?」

 

「お望みのままに」

 

「歌って……くれないか。歌って……ほし、いんだ……」

 

「輪廻は歌が上手ではありません。でも、マスターが望まれるならば喜んで」

 

 頑張るから。

 

 もう少しだけ、もう少しだけ、もう少しだけ、頑張るから。

 

 だから、今だけは……歌って欲しいんだ。

 

 これからもたくさん殺し続けるから。

 

 どれだけ恨まれて、憎まれて、恐れられても、殺し続けるから。

 

 狩りを全うする為に……殺して、殺して、殺し続けるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜明けを阻む最後の『獣』を……オレ自身を『灼き尽くして殺しきる』まで、殺し続けるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 死ぬ気などない。いつだって喰らった『命』の為に、殺しきる為に足掻き続ける。より多くを殺す為に。

 自殺などしない。わざと殺されるなどしない。死を求める為に戦い続ける事などしない。ひたすらに殺す為だけに殺す。それが喰らった『命』を糧とした責務だ。

 夜明けを阻む者は等しく殺す。怪物だろうと、王だろうと、神だろうと、たとえ万人が望んだ英雄が立ちはだかろうと殺しきってやる。

 喰らった『命』を無駄にしないように、オレの全てを使い切った狩りの果てに、オレ自身を殺しきる。

 それこそが『狩りの全う』なのだから。

 ユウキ、心配しないで。『オレ』はオレを狩ってみせる。殺しきってみせる。キミを夜明けの向こう側に行けるように、『夜』を終わらせる。

 この『嘘』だけは……必ず突き通してみせる。だから、まだ……まだ灼き尽くされるわけにはいかないんだ。灰になるわけにはいかないんだ。

 

 

 

 

 

「はっぴぃばーすでー♪ とぅ♪ ゆぅー♪ はっぴぃばーすでー♪ とぅ♪ ゆぅー♪ はっぴぃばーすでー♪ でぃあ♪ ますたぁ♪」

 

 

 

 

 

 少しだけ顔を上げて布団の隙間から覗き込めば、甘くもない、切なくもない、儚くもない、だが涙で濡れた……怒りも、悲しみも、憎しみもなく、ただオレの誕生日を喜ぶ確かな温もりがある澄んだ微笑みだけがあった。

 

 

 

 

 

 

「お誕生日おめでとうございます、マスター。輪廻はマスターがお休みになれない時、いつだってマスターを騙す嘘を吐きます。それがマスターに贈る……もう1つのプレゼントです」

 

 

 

 

 

 

 

 それは馬鹿馬鹿しいくらいに『嘘』にもなりきれない本物で、だからオレは……オレは……

 

 

 

 

 

「ふざけるな。ぶち殺すぞ」

 

 

 

 

 

 

 ……オレは即答した。輪廻は目を丸くして耳を垂れさせて震える。

 

「わふぅ!? そこは『ありがとう』とお礼を言う場面では!? マスターの持ってた本にそう書いてありました!」

 

「……オレの本棚を許可なく漁ったのか?」

 

「わふぅ!?」

 

 オレは全身を硬直させて目を逸らす正座の輪廻を睨み、だが何もかもが馬鹿馬鹿しくなって溜め息を吐く。

 

「『クリスマスの夜』だ。大目に見てやる」

 

「マスター……!」

 

 別に騙されたわけではない。信じたわけではない。ただ……面倒臭いだけだ。

 嬉しそうな声を出しやがって。オレだって、サポートユニットのコンディションに配慮くらいする。これ以上はごねられて臍を曲げられた挙げ句、武装や情報を持ち逃げ去れたら困るからな。

 

「ケーキを切り分けましょうか」

 

 冷蔵庫にもたれかかり、まるで子どものように布団を被って膝を抱えるオレに、輪廻は安っぽい紙皿に切り分けたケーキをのせ、銀色のフォークと共に差し出す。

 一口だけ食べて、しっかりと咀嚼して呑み込む。

 

「……味など分からん」

 

「これはマスターだけのケーキです。だったら、これは味がしないケーキです」

 

「嘘を吐くな」

 

「嘘でいいです。輪廻は何度だって嘘を吐きます。でも、裏切りません。『裏切られません』。だって、輪廻はマスターのサポートユニットで、武器で、狼で……輪廻は『輪廻』ですから」

 

 いつだって、信じたかった。

 

 だから信じた。

 

 こんなどうしようもないオレを、信じてくれた人たちを……殺したくて堪らなかったくせに。信じた瞬間から信じてくれた人を裏切ってるくせに。

 

 どうしようもない裏切りを繰り返す。傷つけ、苦しめ、殺せと飢えと乾きが囁く。それこそが裏切りだというのに。裏切ってばかりのオレは信じてくれた人の期待にも応えられない。信じてくれた人たちを、いつも、いつも、いつも最後は死なせてばかりだ。殺してばかりだ。

 いつだって決めたよ。自分で決めたんだ。言い訳はしない。オレが殺す。オレが殺した。殺してきたんだ。自分で選んで殺してきたんだ。

 ケーキを平らげた皿と汚れがフォークを受け取った輪廻の右手を掴む。彼女が作ってくれた暗闇の中から覗くオレに、輪廻は笑む。

 

 

 

「……オレは、まだ戦える。『独り』で戦える」

 

「それでも、マスターが死ぬ時は、輪廻が傍にいます」

 

「……どうでもいい」

 

「輪廻もそう思います。輪廻とマスターにとって……『どうでもいい』で済ませられる、何の特別でもない当たり前の終わり方にしましょうね」

 

 

 

 眠らない。眠れない。一夜の微睡みさえも許されない。

 

 ザクロの呪いが響く。

 

 オレの『幸せ』は何処にある? 分からない。分からないよ。

 

 いつか火は陰り、闇ばかりが残る。

 

 そして、痛みと『痛み』の海に灰は沈み、終わらぬ『悪夢』に囚れる。

 

 祈りと呪いと海に底は無く、故に全てを受け入れる。

 

 それでも……そうだとしても……狩りの全うを。

 

 

 

 

 

「ふふふ! マスターもお布団のぬくぬく魔法を知ってしまいました! もう戻れませんね♪」

 

「黙れ」

 

 だが、今だけは自称・超高性能特別仕様サポートユニットの嘘に騙されてやるとしよう。

 

 布団が作り出す、狭くて少しだけ息苦しく、寄り添う輪廻の熱もほんのり籠もった闇は……存外に心地良かったから。




聖夜に奇跡は起きたのか。

神も天使も悪魔も知らぬ。

だが、人の子は涙した。

こんな自分にも生まれてきた理由があったのだ、と。




それでは、357話でまた会いましょう!
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