しかし転校から今日まで様々な事件に巻き込まれてきた彼女の買い物は無事に終わるわけもなく……?
食材を買いに出ただけなのに、なんで片道一時間ちょっともかかんなきゃいけないのよ。
買い込んだ食材でパンパンに膨れ上がったエコバッグを片手に持ったツインテールの少女――凰鈴音は胸中で愚痴りながら、商店街のアスファルトを蹴っていた。
(全く、どれもこれもあの島にロクな食材が置いてないのが悪いのよ……!)
IS学園のある小さな人工島にも購買は存在する。だが、そこには鈴音の望む品質の食材は置いていなかった。
もっとも、それで困る生徒なんて稀である。
なにせIS学園の学食は基本無料であり、しかも元一流ホテルの料理長が作っている。したがって自炊する生徒なんて全学年合わせてもわずか数十人しかいない。
鈴音がその「数十人」に含まれているのはひとえに学園唯一の男子にして彼女の想い人――織斑一夏に振り向いてもらうためである。
鈴音が来日した小5から帰国した中2までずっと一緒にいた、幼馴染の男の子。
背も高くルックスも良くておまけに優しい、そんな少年が鈴音の片思いの相手だった。
でもそんな彼は同時にどうしようもない鈍感男だったりする。
昔、夕暮れの教室で約束した「料理の腕が上達したら、毎日酢豚を食べてくれる?」という告白を、あろうことか「奢ってくれる」と勘違いするようなレベル99の唐変木。
しかも、前述のとおり誰にでも優しいものだから、恋のライバルはひっきりなしに増えていく。今、彼を狙っている女の子は鈴音の知る限りでは6人。
当然のように6人が6人、みな平均を遥かに上回る美少女なものだから、正直いつ奪われてもおかしくないと鈴音は焦っていた。
(でも今日こそ、みんなを出し抜いてみせる!)
修学旅行の直前に行われた運動会の結果、鈴音は一夏と同じ一年一組に移動した。
それを口実に彼女は「記念に酢豚を作ってあげる」と半ば強引に約束をとり付けた。それがおとといの晩。
そして今日の午後七時が約束の時間だ。
(みんなには……特にあたしと同じく別クラスだった簪には悪いけど、コイツで勝ってみせるわ……だって今日のは、ふふっ♪)
胸中でライバル兼親友たちに軽く謝りつつ、上機嫌な鈴音はバッグの中身を覗き込む。
そこには豚肉、人参、ピーマンに山査子、その他諸々が入っていた。
(何か今日は今までで一番上手に美味しく作れそうな気がするわね!)
想像以上にいい品質の材料を揃えられたからか、ついつい鈴音は頬を緩めてしまう。
そしてそのまま彼女の思考は一夏と二人っきりの食卓を描き始める。
『うん! 鈴の作る酢豚はやっぱりウマいな! 毎日食いたいくらいだよ!』
『え……うん、いいよ。毎日、作ってあげよっか?』
『えっ、今なんて言った?』
『だ~か~ら~。毎日、あんたのために酢豚を作らせてって言ってんのよ』
『それって、まさか……』
『そのまさかよ、バカっ! やっと気づいたのね? あたしの気持ちに』
『ゴメンな、だからそんなに怒んないでくれよ』
『いいわ、許したげる……って、何笑ってんのよ!』
『だってお前、小5の時と全く同じ言葉で告白って……ハハハッ。でも、鈴らしいっちゃ鈴らしいかな』
『それで…………返事は?』
『そんなの決まってるだろ? もちろん……』
「なんちゃって、なんちゃって!」
エコバッグを持っていない方の手をぶんぶんと振りながら、往来で延々と立ち止まっていた鈴音。だから彼女は気づかなかった。
彼女を狙う怪しい男が、すぐ背後まで迫ってきていたことを。
「あの……中国代表候補生の凰鈴音さんですよね?」
せっかく未来予想図という名の、都合の良い妄想に耽っていたのに邪魔すんじゃないわよ、全く……。
そう思いながらも、声のした方へと振り返った途端。
何か薬品の染み込んだハンカチを嗅がされ、鈴音は意識を失っていった…………。
「んぁ……」
意識を取り戻した鈴音は軽く呻いた。
(あたし、どうしてたっけ……。そうだ、突然変なものを顔に当てられて、それで……!)
気を喪う寸前の記憶を手繰りながら周囲を見渡す。流石は代表候補生ということだろう。このような状況下でも鈴音はそこまでひどく取り乱してはいなかった。
だからこそ、気づいてしまった。
自分のIS『甲龍』は修学旅行中に起きた戦闘で負った損傷の修理に入っていて、整備室に置きっぱなしにしていたこと。
四肢をかなりきつい紐で結ばれた上、腰と椅子の背もたれも結ばれていて身動きができないこと。
そして何より、今鈴音がいる場所がかつての実家、しかも彼女自身の部屋だった場所であるということ。
「やっとお目覚めかな?」
下卑た男の声と共に扉が開く音がして、一人の男が室内に入ってくる。
「あんたは……!」
鈴音は声のした方を振り返ると、そこには彼女のよく知っていた顔があった。
一夏ほどではないにせよ、かなり整った容姿をした少年である。
「おや、憶えていてくれたのかい。嬉しいよリンリンちゃん」
嘲笑を浮かべている少年がゆっくりと鈴音の縛り付けられた椅子へと向かっていく。
少年の名前は田口ソウタといい、鈴音の小学校時代の同級生だ。ただし、鈴音にとっては全くいい思い出のない存在だったのだが。
彼こそが来日直後の鈴音をいじめていた男子グループの主犯格に他ならないのだから。
先程彼が口にした「リンリン」というあだ名は他ならぬ彼が生み出したものであり、事あるごとに「笹食えよ」などといってバカにしていた。
「今更、何の用よ……?」
「決まってるだろ? 仕返しさ」
やっぱそうか。
内心舌打ちしながら、黙ってソウタの話に耳を傾ける鈴音。少なくとも、大人しく恨み言を聞いている間は時間を稼げるであろうと判断したからである。
「お前をいじめていたのがあの日の織斑との乱闘騒ぎでバレちまって、俺は先公に無理やりクラス替えを命じられた。ここまではお前も知ってるよな?」
ソウタの問いに無言で頷く鈴音。ここまでは確かに彼の証言と自分の記憶はばっちりとかみ合っている。
でも確か、あの後はろくに顔も合わせずに小学校を卒業。中学は別々だったから一度も再会することなく鈴音は中国へと帰国したはずなのだが。
「なぁお前、俺がどこ中に進学したのか知ってたか? 東之宮だよ」
突如、ソウタの口から飛び出した学校の名を聞き、鈴音の顔は思わず驚愕の色を浮かべてしまう。
東之宮とは関東、いや日本有数の超絶エリート校である。中高一貫校でもあるので、鈴音の目の前にいる誘拐犯は現在、そこの高1という事になる。
(でもどうして、そんなところのエリートがいまさら、昔のいじめの逆恨みなんか……)
戸惑う鈴音の心を読んでか、ソウタは言葉を続けていく。
「でも俺はなぁ、おめぇのせいで退学になっちまったんだよ!」
ソウタの語ったところによると、入学から退学まではこんな経緯だったらしい。
まず小5の夏、クラス替えをさせられてすぐにソウタは両親――特に、世間体を人一倍気にする母親――から中学受験をするよう、強く求められたらしい。
いじめ、それも女尊男卑の世の中で男子が女子をいじめた。この悪評が届かない、地元以外の中学に行った方が良い。そういう判断だった。
ソウタは一年と半年近くの猛勉強を経て、無事に東之宮へと入学を果たした。中学時代はサッカー部に所属しており、そこそこの人気者ではあったそうだ。
だが、今年の5月。彼は忘れかけていた昔のいじめのツケを払わされることとなる。
鈴音が来日してすぐに、インターネット上に昔の写真やら証言が流出。東之宮でも大きな話題となり、ソウタの悪行は広く知られるようになった。
中には興味本位で、彼の地元まで訪ねて証拠を集めた輩もいたらしい。
こうしていっきにスクール・カーストの最下層まで落ちたソウタは不登校となり、1か月ほどその状態が続いたという。
そんな時、学校側から呼び出されて退学処分を通告されたのである。
代表候補生、それも隣国の専用機持ちをいじめていたことはすでに世間でも大きく知られることとなり、退学を求める声が毎日のように学校に寄せられていた。それに屈する形での厳罰――つまりは厄介払いである。
「退学になってからもよぉ、色々と大変だったんだぜ? 毎日毎日家にはテメェの信者から嫌がらせの電話はかかって来るし、壁にはペンキで『死ね』とか書かれるしよぉ、ケッ!」
恨み言を吐き捨てながら、ソウタは鈴音のお腹めがけて鋭い蹴りを放つ。
酷い激痛が襲ってくるものの、表面上だけでも鈴音は平静を装ってみせた。
この程度の痛みなら、あの地獄の猛特訓に明け暮れた一年で何度も経験している。それを思えば屁でもない。
そう自分に、何度も言い聞かせて。
理不尽な暴力は十分近くも続いたが、顔面は一度も殴られることはなかった。そしてその意味を、一年で代表候補生になった天才少女は理解していた。
「知ってたか? リンリンって男子の間でも結構人気あるんだぜ。東之宮でも話題だったよ。可愛い可愛いってな」
ソウタは殴る手を止めると、鈴音の腰に巻かれた縄をゆっくりとほどいていく。もちろん拘束が解かれたのは腰のみなので、依然として四肢は縛られていた。
これでは反撃など到底できはしない。
乱暴に椅子から突き落とされ、窓際の床に仰向けにさせられる。
丁度そこは彼女のベッドが置いてあった場所であった。
「なぁ、一発ヤらせろや。テメェにやられたことを思えば、それ位いいだろ?」
ベルトをほどきながら、ソウタは鈴音を見下ろし言う。想像していたこととはいえ、鈴音の背中を嫌な汗が伝っていく。
やがて下半身はパンツだけになったソウタは上着のポケットからスマホを取り出すと、素早く操作して録画を始めた。
「代表候補生さまが、何の力もない男に犯され……、ヒヒッ! そうなったらお前、今までの努力も全部パァだな!」
愉悦に顔をほころばせながら、ソウタは早口でまくしたてる。
それを聞いたとき、鈴音の我慢は限界を迎えた。
「いや……イヤァァァ! やめて、誰か助けて!」
大粒の涙で視界をぼやけさせながら鈴音は叫ぶ。
犯されるのはもちろんイヤだが、鈴音にとって一番イヤなのは、専用機と代表候補生の資格を剥奪され、本国に送還させられること。
もしそうなったら、せっかく想い人とまた一緒になれたのにまた離れ離れになってしまう。
「何がイヤ、だよ!? こんな時だけか弱い女の子アピールか!」
芋虫のようにじたばたと必死の抵抗をしている鈴音を容易く封じ込めるのと同時に、ソウタは怒りに任せて怒鳴った。
その時だった。
「鈴!!」
(え、一夏? どうしてここに…………)
ばぁぁん、という大きな音と共に扉が開かれ、鈴音の幼馴染み――織斑一夏が部屋の中へと足を踏み入れたのだ。
「テメッ、織斑か!? どうしてここが分か……」
ソウタが何か口にしたようだったが、鈴音の耳にはぼんやりとしか届いていなかった。
(あの時と、一緒だ……)
ほんの数週間前、敵の襲撃を受けた際に迷い込んだ電脳空間。
その世界でも同じように犯されそうになった鈴音を、一夏は必死になって助けた。そして今、現実世界でも同じように助けてくれている。
奇しくも同じ夕暮れ時、同じ部屋で。
それが鈴音には物凄く嬉しかった。
(そうだった……初めて会ったあの日も、こうして助けてくれたっけ)
つけっぱなしのテレビをぼんやり眺めるような感覚で目の前の乱闘を見ていた。同時に頭の中では遠い昔の記憶が映し出されている。
それは小5の夏の日。ちょうど鈴音が日本に来て数ヶ月の、ある夕暮れ時のこと。
放課後、いじめっ子グループに大事にしていた黄色いリボンを奪われ、鈴音は一人、公園のブランコに座って泣いていた。
そんな時、声をかけてくれたのが一夏だった。
事情を話すとまるで自分の事のように怒ってくれて、七~八人はいたいじめっ子相手に一歩も引かずに殴り合って、リボンを取り戻してくれた。
その姿が、堪らなくカッコ良くて――、
凰鈴音という少女は、恋に落ちたのだった。
「おい鈴、大丈夫か!?」
「ふぇっ……あ、うん。平気だ、よ……」
心ここに非ずといった状態から回復すると、鈴音のすぐ目の前に一夏の顔があった。そのため彼女は何とも間の抜けた声を返してしまう。
「どうして、ここが分かったの? IS持ってないから、位置情報は発信していなかったはずなのに」
「えっと、その……」
「なに、言いたくないわけ? それとも言えないほど、やましい事してたの?」
ジト目で睨まれた一夏は、こりゃもう隠しきれないな、とばかりにため息を吐くと情報源を暴露した。
「束さんだよ。突然メールしてきてさ、お前が拉致られたって位置情報付きで書いてあったんだ」
「えっ!? 篠ノ之博士ってアンタと千冬さん、箒以外はどうでもいいって思ってるんじゃあ……」
臨海学校の際に篠ノ之束本人を直接目にし、その異常に強烈な個性を知っている鈴音にとって、その疑問はごく自然に湧いて出てきたものだった。
「いやさ、俺が銀の福音に撃墜された時があったろ? その際に箒を立ち直らせたらしいじゃん。そのお礼だってさ」
「そう、だったの……」
多少無理があるとは思ったが、一応それなら束が助ける理由にもなるだろう。
なにせあそこで鈴音が箒を奮い立たせなければ、妹の専用機デビューはとてつもなく悲惨なものになっていたであろうから。
それに一夏の目を見てみても、とても嘘をついているようには思えない。
「悪いけど、さ……。後でお礼言っといてくれる? どうせあたしが言っても、あの人の事だから無視するだろうし」
「まぁ……そうだよな」
束の性格を鈴音以上によく知る一夏は苦笑気味に返事すると、ズボンのポケットからブレスレットを取り出す。
「甲龍? 何であんたが持ってんの?」
「修理が終わったらしくてさ、皆の専用機を届けてくれって山田先生に頼まれてたんだよ。んで、これが最後の一つだ」
「なるほどね、あんがと」
一夏の手から受け取ったブレスレットをそっと右腕に嵌める。
つい先ほどまで大ピンチだったせいだろうか。力を取り戻したことによる安心感が鈴音の中を駆け巡っていく。
「どうする、この後。もう約束の時間には間に合いそうもないけれど」
「そうだなぁ……警察呼ぶか」
「ま、そうするしかないわよね……」
鈴音が困ったような笑みを浮かべた、次の瞬間。
ソウタが気絶から回復し、懐に隠し持っていたナイフで背後から鈴音を突き刺した。
だが――、
「知ってた? 元エリート校の生徒さん。ISって言うのはこういうふうに部分展開ってのができるのよ」
背中の装甲板だけ展開し、ナイフの刃を受け止める。無論、市販のナイフが軍用のISの装甲を貫けるはずもない。結果としてその切っ先は酷い刃こぼれを起こしていた。
「覚悟はいいわね、このクソ野郎」
右手にもISを部分展開すると、鈴音はそのまま殴りかかるモーションに入る。
「ヒッ……やめろ、やめろぉ!」
「あっそ」
興味がないといった風に切り捨てると、鈴音は鋼の拳を思い切り振り上げ――ソウタの顔面すれすれのところで止めた。
「バカね、流石に殺しゃしないわよ」
「おい鈴、これでもかなりやり過ぎて……いや、いっか。こいつにはいい薬だ」
どこか呆れ気味に呟いた一夏に釣られて、鈴音も笑った。
それから一時間とちょっと後。
一夏と鈴音は警察の事情聴取から解放され、二人で並んで歩いていた。まだ外は、夕日が地平線に沈む前である。
「あ~あ、今日は散々だったわ」
拉致はされるし、犯されそうになった。
ついでに、お気に入りだった猫のプリントのエコバッグも中身ごとどこかになくしてしまった。
それなのにどこか声が上ずっているのは、大好きな一夏に助けてもらったという喜びが勝っているからなのだろう。
「なぁ鈴、何で酢豚の材料買うのにわざわざ遠出したんだ? 購買で十分だっただろうに」
鈴音の声がそこまで落ち込んだように聞こえなかったからだろうか。一夏も事件についてではなく、素朴な疑問を投げかけた。
「あたしを満足させる食材がなかったのよ、あそこ。それにどうせ作るならさ、最高の一皿がいいじゃない」
しかも食べさせる相手はあたしの一番好きな人なんだから、気合入れるのは当然でしょうが。
そう続けたかったが、口には出さなかった――いや、出せなかった。
「そっか、残念だよ。そこまで気合い入ってたんなら、さぞ美味かったんだろうな」
「……ごめんね」
お世辞ではなく本当に残念そうな声を出した一夏に、思わず謝る鈴音。
ここで会話が途切れてしまって、二人は無言のまま歩き続けた。
やがて赤信号に引っ掛かって立ち止まる。その際、再び口を開き始めたのは一夏だった。
「そういやさ。俺が最初にお前を助けたのも、こんな夕暮れ時だったよな」
「うん」
「酢豚奢ってくれるって言ってくれたのも確か、夕日の差し込む教室だったよな」
(バカ一夏、それは意味が違うっつーの)
そう思ったものの、一度照れ隠しで「その意味で合っている」と肯定した事があるだけに反論できなかった。
(あ、そういえば……あの時も夕日の差し込む保健室だったっけ)
はっと気が付く。
思えば一夏との大事な思い出はいつも夕焼け空だった。
初めて助けてもらった時も。
精いっぱいの勇気を振り絞って告白した時も、それを否定した時も。
ワールド・パージの世界でも。
そして、今日も…………。
「おい鈴、信号変わったから行こうぜ?」
促す一夏の服を鈴音は、弱々しく右手でつまんだ。
「どうした? やっぱりまだ、大丈夫じゃなかったのか?」
「ううん、そうじゃないの……ちょっと、聞いて欲しいことがあって」
そうだ、あたしにとってのラッキータイムは夕暮れ時。
しかも今は、周りにいつものライバルたちはいない以上、邪魔は入らない。
軽く深呼吸してから鈴音は意を決し、自らの想いを声にした。
「ねぇ、もしよかったら、なんだけど。一生あたしの作った酢豚を食べてくれる……?」
完