死にゆく人はその時、何を思ったか……
船は今、海の底に沈もうとしています。
あの人が私のところへやって来た日も、こんなふうに海は黒く、空は灰色に吠えていた。
嵐が連れてきた人は、その人自身が嵐のようで、出会ってからの私の生活もまた、嵐のようだった。
その私の生は、やはり嵐と共に終わるようです。
身を切る寒さと心を引き裂く恐怖に震えながら私を呼び、懸命にちいさな手を伸ばすあなた。
あなたの瞳に、今の私はどう映っているのかしら。
この先あなたは今日のことを、何度も何度も思い出すことになるのでしょうね。
そしてあなたは、誰よりも強くなる。
私には予感がありました。きっと私は、生きて故郷へ戻ることはできない、と。
もしもあなたが選ばれた子なのだとしたら、私(母)という存在は、あってはならないものだから。私(母)の存在は、あなたがその選ばれた生を送る妨げにしかならないから。
私(母)の死こそが、あなたの礎となるから。
貴方。貴方も同じことを考えているのでしょう?
この子たちにとって、父という存在は邪魔なものでしかない、と。
貴方がこの子達にしてやれるのは、死ぬことだけだった。
けれど人の何倍も頑健な貴方に、生物としての死はあまりにも遠くて。
だから貴方は、自ら「父」である貴方を殺すことにしたのでしょう?
この子たちの憎悪の対象となることによって。
貴方は、それができる人だった。
意志のために自分も他人も犠牲にして厭わない強さと冷酷さが、貴方にはあった。
そんな貴方を、私はもう許してあげることができない。
私がいなくなっても、誰かが貴方に言ってくれるといいのだけれど。
「貴方を許す」と。
小さな私の息子。
これからあなたがお父様にどういう仕打ちを受けるのか、私には分かる。
そう、あなたのお父様は、本当はもう死んでしまったの。
あなたたちを、生かすために。
かわいそうな私の息子。
あなたはやがて多くの人を傷つけ傷つけられて、血を流しながら人の血で塗られた道をいくことになるのでしょう。
あなたが選ばれた子でなければいいと何度思ったか。あなたと共に北の大地で静かに朽ちていくのを、何度夢に見たか。
それでも私には、疑うことができなかった。
その、色だけは私と同じあなたの瞳が、あまりにも強く、眩しかったから。
それは、極北の地に密かに住まう者が決して持てない、そして持ってはならないものだったから。
神様。
天に居ます我らの父よ。地上においては母なる女から生まれた神の御子よ。
そして、この子を選んだ残酷な神よ。
私はあなたがたの思し召しに従いましょう。
けれどどうか、ひとつの願いを私に許してください。
母であり妻である女ならば誰もがする、たったひとつの願いを。
この子と、この子の父が歩む孤独で過酷な生に、いつか光が与えられんことを。
さようなら。愛しいあなた。
さようなら。愛する貴方。
さようなら。