バレンタインデーに向けてガトーショコラを作るフランちゃんのお話。美味しく作れるといいですね。

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※当日にバレンタインだと気づき、即行の速攻で書き上げたゆえ、特に波のない淡々とした話になったいたり、ところどころ雑な作りをしています。
 その辺りを了承していただけた場合のみ、どうぞご覧くださると幸いです。


フランちゃんがガトーショコラを作るだけ

 ――バレンタインデーという祭日をご存じだろうか。

 元はキリスト教やらカトリック教会やらがなんやかんやで祝日として生み出し、本来ならば恋人同士のロマンスとは一切関係なかったと言う。

 それがどういう軌跡をたどったか、お菓子屋の陰謀か、現代日本においては親しい者――とりわけ異性として好きな人へと――チョコを渡すおかし(お菓子)な行事になっていた。

 さて、ここに幻想郷という忘れ去られた者たちの楽園がある。そこでは人間だけでなく妖怪や神、その他さまざまな種族が時にともに騒ぎ合い、時に対立し、時に協力したりと賑やかな日々を送っていた。

 さて、今日はそんな幻想郷に住む少女たちのうちフランドール・スカーレットという吸血鬼の、バレンタインデーに向けての動きや、バレンタインデー当日の行動に注目してみよう。

 

 

 

 

 

「うーん」

 

 紅魔館と呼ばれる洋風の建物がある。湖の畔に位置し、吸血鬼とその従者が住んでいることで有名な館だ。外観はとにかく紅くて目立ち、まるで転移してきたかのように――実際にしてきたのだが――周囲の風景から浮いている。

 その内部、調理場とされている場所で、一〇にも満たない幼児のような外見をした金髪の少女が一人で唸っていた。口元に見える八重歯や爛々と輝く真紅の瞳がその少女が吸血鬼であることを証明している。髪型はサイドテールで、その上にドアノブカバーにも似た形の帽子をかぶり、上半身は赤と白のコントラストが映える半袖に黄色いリボン、下半身はミニスカートを着用している。また、背には一対の枝に七色の宝石がぶら下がっているような、不可思議でありながら美しい翼を備えていた。

 この少女の名前をフランドール・スカーレットと言う。館の主であるレミリア・スカーレットの妹であるのだが、ここ最近まで『気がふれている』とされて地下室に幽閉されていた過去を持つ。もっとも、フラン自身も自分から出ようとはしなかったようだが……。

 

「チョコレートを細かく刻む……? 細かく? どのくらい……えーっと、この後に溶かすんだから……え、溶かすの? じゃあなんで刻むの? そのまま入れちゃダメなの?」

 

 調理台の前に置いた台の上に立ち、難しい顔で左手に持った本と右手に持った板チョコレートを交互に見比べる。主の妹であることや地下室に幽閉されていたことからフランに料理の機会は一度たりともなく、今回のお菓子作りが初挑戦のようであった。

 当然ながら彼女が持っている本は料理本、それもお菓子の類である。開いているページはガトーショコラの作り方であり、そのための材料は紅魔館のメイド長である十六夜咲夜に用意してもらっている。失敗した時のために予備のぶんも材料もあるので、好きに作ってくれていいとのことだった。

 そもそもなぜフランが初挑戦の料理でガトーショコラなどというお菓子作りに挑戦しているのか。それには少しばかりわけがある。

 この世にはバレンタインデーという祭日があることを、フランは少し前にぽろっと館の住民から耳にした。これまで幽閉されてきた関係でそういうものに縁はなかったため、興味津々に聞いていたことを彼女は覚えている。

 それによれば、バレンタインデーとは自身の好きな人のために、愛を込めたチョコレート系統のお菓子をプレゼントすることなのだという。

 好きな人。真っ先に浮かぶのは一応姉であるレミリアなのだが、親しいかどうかと言われれば口を噤んでしまう。会えばきちんと話すし、時にはからかい合ったりもするし、何百年と長い年月一緒に過ごしてきているのだから仲が悪いわけではないのだけど、そもそも自分を幽閉し続けてきたのは館の主たる彼女なのだ。怨んではいないが、別段良くも思っていなかった。

 ならば材料を用意してくれた咲夜はどうだろう。確かに、彼女は優秀なメイドだ。でもそれだけだ。主たる姉のわがままに構うことが多く、自分との付き合いは実はそう多くない。

 大図書館という場所には姉の親友であるパチュリー・ノーレッジがいる。彼女とは魔法が得意という点で共通点があり、たまに話すことがある。しかしそれもまた、正直仲が良いとは言いがたい。なにせ彼女は姉と結託しており、前にフランが外に出ようとした時は館の周囲に雨を降らせた――吸血鬼は流水が苦手――経歴を持つ。フランが炎の魔法を得意とすることもあり、進んで仲良くなろうとは思えなかった。

 最後に残る身近な者は門番である美鈴と妖精メイドたちだが、美鈴はいつも館の外にいるからそもそも会わないし、妖精メイドはフランを怖がっている。それなのに交流なんてものが深められるはずがない。

 ならばなぜバレンタインデーに備えてガトーショコラなんて作ろうとしているのか。それは、フランが送ろうとしている相手が身内ではないからだった。

 

「……こいし」

 

 古明地こいし。心を読めるという第三の目を備えるサトリ妖怪でありながら、心を読むことで他人から嫌われることに嫌気が差し、第三の目を閉じてしまった少女。目を閉じた際に心も一緒に閉じてしまっており、彼女の行動は常に無意識下で行われていると言う。フランは彼女にガトーショコラをプレゼントしようと考えていた。

 こいしと会ったのは本当に偶然だった。賑やかに姉たちがパーティを開いている中、別段そちらに興味がなかったフランは廊下を歩いていたのである。なにもすることがなく、暇だ暇だと思いながらぼーっとしていたためか、誰かとぶつかってこけてしまった。その時の相手が、目に入った目立つ館に無意識のうちに入り込んでしまったという、こいしだったというだけだ。

 フランには一つだけ、いつも気にかけていることがあった。

 それは自分と遊んでいる者がいつもつまらなくしていることである。長らく幽閉されていた関係で手加減というものを知らず、大抵の道具は持っただけで壊してしまう。物理的に持たなくても、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』なんて名づけている凶悪な力を保有しているフランは、どんなに遠くにあるものだって一瞬で破壊することができてしまう。遊び道具を片っ端から破壊されて楽しめるはずがない。自分だって、全部が全部好きで壊しているわけじゃないのに。

 しかし、こいしだけは違った。交流を重ねていくうちに、彼女がいつも笑っていることに気がついた。一緒になにかを食べている時も楽しそうにしていて、弾幕ごっこという遊びでじゃれ合っている時も楽しそうで、自分がなにかを壊してしまった時も、大してつまらなそうにはしていない。フランは、次第にそんな彼女に惹かれるようになった。

 だからこそのガトーショコラ作りである。これを作って、送って、こいしに喜んでほしい。彼女はどんな時だって楽しそうにしているけれど、そういうことじゃなくて、もっと特別な気持ちで喜んでほしいのだった。

 

「うん、がんばらないと」

 

 こいしの姿を頭の中に浮かべ、気合いを入れ直す。いつも以上にあの笑顔を深めさせてみたい。そのためにはとうにかガトーショコラを完成させなければ。

 さて、最初はなにをするんだったか。えーっと……刻んでボウルに入れて、そのままボウルをお湯につけて溶かす。溶かすのならどうして刻むのだろうと、さっき考えたのだったか。

 どうして刻むのか……お遊びの心を入れてみたのだろうか。それともこれからのことに慣れるため? あ、ナイフさばきを上達させるためかもしれない。咲夜はナイフを使うのがずいぶんとうまいから、こういうところでいろんなものを刻んで、ナイフの使い方を学んできた確率も案外ありそうだ。

 でもナイフの熟練度なんてどうでもいいし……まぁ、刻まなくてもいいかな。

 次は、チョコをボウルに入れてお湯につけて溶かす作業だけれど、どうしてお湯なんて使うのだろう。そのまんま燃やせばいいのに。

 そう思って、右手に魔法を使って炎を灯してみた。にやりと笑う。火力には自信があった。

 思い通り、持っていた板チョコレートが瞬時に溶け始めたので、そう言えば用意してなかったと慌てて手の下にボウルを置く。

 そしてその数秒後、手元とボウルの中に黒焦げの謎の物体ができ上がった。

 

「……うん? あれ?」

 

 魔法は途中でやめたのに、物体に残った火は私の意思にかかわらず燃え続けている。チョコの香ばしかった匂いがしていたはずなのに、どうにも悪臭がひどくなっていて、半ば反射的に左手で鼻を押さえた。

 

「うぅ……」

 

 火で直接炙るのはダメらしい。なんだか焦げているし、火力が高いのが裏目に出たのだろうか。

 手とボウルについた黒い物体を生ごみの種別の場所へ捨て、水道で――流水に当たるので、正直触れたくないのだが――それぞれ念入りに洗う。これはレシピ通りにやらなかったバツなのだと受け入れるようにして、冷蔵庫から、咲夜が用意してくれていた予備のぶんのチョコレートを取り出した。

 初っ端から失敗だなんてついてない。しかし、次こそはうまく作る。

 

「刻む、刻む、刻む……」

 

 ちゃんと刻む。ボウルの上で爪を使ってこう、ザシュザシュッと。どれくらいに刻めばいいか書いてなかったから、とりあえず一粒一立法ミリメートルくらいで。

 次はお湯にそのボウルをつける。四〇から五〇くらいの温度でと書いてあるが……どうやって測ればいいのだろうか。

 まぁ、溶かすんだから熱い方がいいはずだ。

 とりあえずチョコを入れたボウルよりも大きいボウルにたくさん水を入れて、下から魔法の火で温める。二秒もすれば蒸発し出したので火を止めて、熱湯の入った大きいボウルの上にチョコの入ったボウルを乗せた。

 

「ふっふっふ」

 

 やはりレシピ通りにやるのが正解だったようだ。みるみるうちにチョコが溶けていく。

 そもそもこの本は料理のことをよく知っている人間が書いたものなのだから、素人の私がアレンジを加えるべきではないのだ。

 これからはきちんとレシピに沿っていこう。

 

「さてさて、次はっと……えーっと、溶かしているうちに卵を用意する、か。たまごたまご」

 

 一通りの材料は近くに用意している。卵を見つけ、手に取った。

 

「卵黄と卵白で分ける……? え? 黄色い卵なんて用意してない……れいぞうこぉ」

 

 台から降り、冷蔵庫の前に足を進めて開けてみる。しかし当然ながら、そこに黄色い卵なんて存在していない。

 首を傾げながら、フランは調理台の前に置いた台の上に戻った。卵を片手にしばし、卵黄というものの正体について探る。

 卵白というのは、きっと自分が持っている白い卵に違いない。だって白い卵と書いて卵白だ。うん、絶対間違いない。

 卵黄……黄色い卵だと思っていたが、もしかして違うのだろうか。咲夜が材料を買い忘れているとか? いや、咲夜の仕事はいつだって完璧だ。それだけは信頼できる。

 ならば、この調理台の上に在る卵黄に当たるものがあるはず。

 もしかしたら卵黄というのは、私が勘違いしているだけで、卵の名称ではないのかもしれない。黄色い卵みたいなものとか、卵みたいな黄色とか、そういう感じで。黄色い卵なんて生まれたこのかた一度も見たことないし、たぶんそれだろう。

 

「黄色くて丸いやつ、黄色くて丸いやつ……あれぇ?」

 

 しかしそんなものは見当たらない。再び首を傾げ、考え込む。

 黄色……卵……咲夜の作ったオムレツ美味しかったなぁ。また今度頼みに……オムレツ? そういえば、オムレツってなんで黄色いんだっけ。

 

「あ!」

 

 そうだ。卵の中は黄色いなんか変なのが入ってた。掴みづらくてイライラする、こう、ヌメヌメっとしたやつ。きっとそれを卵黄と言うのだ。

 

「ふふん、なるほどね」

 

 おそらく黄色い変なのがある卵の中身を卵黄、卵の殻のことを卵白と言うのだ。中身と殻とを分けて、中身の部分だけを使えということをこの本は言いたいのだろう。

 そうとわかれば早速実行だ。卵を潰さないように殻だけ壊す……そういう調整は苦手だけど、やるしかない。

 確か咲夜は調理台の角に卵を当てて割っていた。だからそれを真似してみよう

 慎重に、慎重に、慎重に……。

 

「あっ……」

 

 思わず声が漏れてしまったのは、失敗したからではなかった。むしろ奇跡的な力加減でヒビを入れることに成功したのである。

 歓喜に溢れそうになるのを、しかしどうにか押さえつける。こんな時こそ冷静に、慌てちゃいけない。

 殻を剥き、中身だけをお椀の中へ。

 

「うん、やった」

 

 これもまた奇跡的に成功した。力加減が苦手な私にしては珍しくしっかりと行うことができた。

 きっとこいしへの私の愛情が力を貸してくれた結果なのだろう。このチャンスを決して無駄にしてはいけない。

 手元に残った殻を違うお椀に入れ、この工程は終わり。卵白と卵黄で分けることができた。

 

「次はー……えっ!? 卵白を冷やしておくっ!?」

 

 どういうことだ。殻なんていつ使うと言うのだ。

 どうやら料理とは自分の理解の範疇にはなかったらしい。戦々恐々としながら、しかしレシピの内容を信じて、フランは殻の入ったお椀を冷蔵庫の中に入れに行った。

 台の上に戻りながら、フランはさらに手に持った本に目を通していく。

 

「薄力粉をふるう……ふるう?」

 

 ふるうとは、どういうことだろう。

 少しだけ悩んだが、まぁ、答えはきっとそのままの意味なのだろう。

 振ればいいのだ。薄力粉が入った袋をとにかく振ればいいのだ。

 

「よしっ」

 

 薄力粉、と書かれた新品の袋を手に取った。どれくらい振ればいいかわからないが、多い方がいいに違いない。

 振る。振る。振る。縦に横に、時には斜めに、とにかく振りまくる。

 

「わわっ」

 

 吸血鬼の怪力で袋が破れそうになったので、いったん止めた。ただ、結構振ったから、もう大丈夫に違いない。次の工程に移ろう。

 

「えーっと……次で下準備は最後です。バターを室温にしてやわらかくして、強力粉をまぶす……ふむふむ」

 

 室温っていうのは常温、空気中の温度的なあれだ。さすがにそれくらいは知っている。加えて言えば、バターは元々調理台に用意してある関係で、すでに室温になっているのだった。

 バターを取り出し……まぶすんだから、全体につける感じでいいのだろう。新品の強力粉の袋を開け、バターをそのまま突っ込んだ。粉が全体についたと思った辺りで取り出し、全体にくっついているさまに、フランは満足そうに頷く。

 そのバターをなにも入っていないお椀に入れ、さて、下準備は終了だ。きちんとした調理に入る。

 大きく息を吸って、吐いて、深呼吸をした。ここまではうまくいっている。そしてこの先はこいしへのプレゼントを作る本格的な手順に入るのだから、少しのミスもしたくない。

 

「無事においしいガトーショコラを完成させてみせるっ……!」

 

 言葉にしてみて、改めて目標を明確にした。

 

「ふふ……さて、まずはなにをするのかなーっと……生地を作るのね」

 

 ボウルに卵黄とグラニュー糖を入れる。グラニュー糖は三五グラムくらい。そうしたら泡立て器で混ぜて、六〇度程度のお湯の上に乗せながら泡立てる。生地が人肌辺りまで温まったらお湯に乗せるのをやめて、もったりした感じになるまで泡立てる。

 一気に読んでみて、イマイチ理解ができなかったので、順に追ってやっていくことにした。

 まずはボウルに卵黄とグラニュー糖を入れればいいのか。お椀に分けていた卵の中身すべてをボウルにぶちまけ、グラニュー糖を……三五グラムってどのくらいだろう。三五粒? いや、さすがにそれは少なすぎるか。

 

「うぐぐ……」

 

 なにかいい道具はないか。きょろきょろと視線を彷徨わせると、なにやら中に数字が書いてある鉄色のコップを見つけた。下から五〇、一〇〇、一五〇と、上に行くたびに数字が増えている。

 そうか、これにグラニュー糖を入れればいいのか。それで、三五グラム辺りのところで入れるのをやめて、ボウルの中に移す……なんだか今日は私は冴えている気がする。最初が失敗したぶんだけ、あとがこうしてスムーズにいくのだろう。

 早速グラニュー糖と書かれた袋を開け、中身をカップに少しずつ入れていく。五〇の手前、ちょうど三〇と四〇の中間になるだろう付近で袋を閉じた。

 ボウルの中にグラニュー糖を移動させる。さて、次の工程だ。

 

「泡立て器、泡立て器」

 

 たくさんの針金が丸められ、くっつけられた奇妙な棒を手に取った。これの使い方は咲夜から教わって知っている。

 新しい大きなボウルに水を入れ、数秒で沸騰するほどにまでさえて、その上に卵黄とグラニュー糖を入れたボウルを置く。そのボウルの中に泡立て器の丸い先端をつけ、こぼさないようにしっかりと混ぜていった。

 たまに指を入れて温度を確かめたりして、ちょうどいいかなという具合で一旦混ぜるのをやめた。下のお湯が入ったボウルを外し、再び泡立て器でかき混ぜていく。

 もったりした感じというのがよくわからなかったが、とりあえず混ぜまくればいいのだろう。一〇分ほど工程を続けた後、改めて指を入れてみる。

 

「うわあ……」

 

 お餅とクリームを足して二で割ったようなもちもちとした感触が心地いい。チョコ色のそれはこの時点でもう美味しそうで、これならきっと成功してくれるだろうと、思わず笑顔になる。

 

「それで次は下準備で溶かしたチョコとバターを入れる、と」

 

 これは間違いようがない。指示通りに二つを入れた。

 

「別のボウルに卵白を入れて、グラニュー糖三五グラムを三回に分けて加える……それから、よく泡立ててメレンゲを作る」

 

 ついに卵白を使うのか。ごくりと生唾を飲み込んで、冷蔵庫から卵の殻を入れたお椀を取り出した。

 ボウルにそれの中身を入れ、グラニュー糖を鉄のカップを使って三五グラムを三回加える。一気に一〇五グラムとか突っ込めばいいじゃんとも思ったが、レシピ通りにやらなければ失敗しそうで怖い。なにせ初心者なのだから。

 メレンゲというのはよくわからなかったが、まぁ、文脈的にでき上がった後のものを言うのだろう。さっきと変わらず、とにかく泡立て器でかき混ぜまくればいいはずだ。

 かちゃかちゃ、と卵の殻に当たってうるさい。これでは食べる時に殻が邪魔になる。泡立て器で殻をすりつぶしながら、グラニュー糖と混ぜ続けて……。

 

「……あれぇ?」

 

 泡立たたない。泡立ててメレンゲを、と書いてあるのに、いくらかき混ぜてもそこには卵の殻と白い粉だけが存在している。

 いや、それもそうか。水分がないのに泡立てるもなにもない。本には書いていないが、きっと水を入れなければならないのだろう。当たり前のことだから工程に書かれていないだけだ。

 ボウルに少しの水を入れ、改めて混ぜ始める。泡立って……泡立って……うーん。

 

「…………い、いやっ! きっと大丈夫!」

 

 あんまり泡立っていないけど、私はなにも間違っていないはず。だってレシピ通りにやってきた。仮になにか間違えていたとしても、この一度くらいならきっと大丈夫に違いない。さっきだってまだ途中なのにあんなに美味しそうだったし。

 やり直すにしても、次もちゃんと卵を割れるかわかんないし……。

 気を取り直し、次の工程に移ることにする。

 

「メレンゲの三分の一を入れて、ゴムべらで軽く混ぜる……ふるった薄力粉をもう一度ふるって、泡を消さないようにしながらさっくりと混ぜる……」

 

 メレンゲが今作ったものだということはわかっている。指示通り、メレンゲが入ったボウルの中身を、ちょっとずつチョコを入れてあるボウルに移していく。三分の一くらい入れただろうという辺りで、メレンゲのボウルを傾けるのをやめた。

 ゴムべらについても咲夜から教わっているのでなんの問題もない。白くてぐねぐねと曲がる先端が薄く広がっている棒を持って、ボウルの中に突っ込む。少しだけ抵抗がかかるのを面白く思いながら、一分くらい混ぜ続けた。軽く、だからこれくらいでいいはず。

 

「で、薄力粉をもう一度ふるうのね」

 

 薄力粉の袋を手に取った。前回やった時と同じように、縦に横に時には斜めに、とにかく振りまくる。

 ビリリとギリギリで破れそうになったところでなんとか停止し、中身が漏れるのを防いだ。危ない危ない。これ以上は無理だから、たぶん、これ以上は振らなくていいはず。

 次はまたゴムべらで混ぜるようだ。あいかわらずチョコのもちもちとした感触がゴムべらの動きに抵抗してくる。吸血鬼の怪力を前にしては、ほんの少しも苦なんて感じないが。

 

「生地を作るのは次で最後……」

 

 残りのメレンゲを加えたら、底からすくうようにさっくりと混ぜる。これはもう間違いようがない。

 レシピ通りのことをやってみせると、実に美味しそうな、ちょっと固めなチョコのクリーム的なものができ上がった。なんかちょっとだけ変な気がしなくもないけど、そのくらいは誤差の範囲だろう。

 あとは型に入れてオーブンとやらで焼くだけだ。

 頬が緩むのを自覚しながら、私は混ぜ終えたボウルを掲げた。

 

「……そういえば、薄力粉ってなんの意味があったんだろ」

 

 そんなことを考えてみるが、たぶんあれだろう。本の作者のお茶目だ。というか、でき上がったこのボウルを前にしてはそんな些細な問題なんてどうでもいい。

 オーブンは使い方がわからないし、こんな最後で失敗したらまさしく大問題だ。それに咲夜は焼くのは危ないからできれば自分に任せてほしいって言ってたから、早く彼女を呼びに行かないと。

 

「さくやぁー!」

 

 名前を叫んでしばらくすると、銀色の髪のメイド服を着た少女が瞬間移動したかのごとく、ぱっと目の前に現れた。

 いや、実際に瞬間移動しているのだ。このメイドは時間を操る力を有している。時を止め、フランの前までやってきたのだった。

 

「咲夜、できたよ」

 

 満面の笑み。そんなフランに、咲夜はどこか困った風な笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

「こいし! これっ!」

「うんー?」

 

 二月一四日。フランは、あらかじめその日にこいしと会うことを決めていた。

 閉じた第三の目から伸びる管を体に纏わせ、大体が無表情か笑顔の少女、古明地こいし。フランはそんな彼女と自室にまでやってくると、机の上に置いておいた小袋を差し出した。

 目をぱちくりとさせながら不思議そうに受け取るこいしを、フランは期待三割、不安三割、恥ずかしさ四割で見つめる。喜んでくれるだろうか、なんだか生地作りでどこか失敗してたみたいだし、実はそんなに美味しくできてないんじゃないだろうか。

 

「今日はなんだか変だねぇ。赤くなったり青くなったり」

「い、いいから開けてみてっ」

「んー」

 

 心臓が鳴っているのがわかる。それくらい、強く鼓動を打っている。

 小袋のリボンが外され、中身を取り出せるようになる。こいしはその中に手を伸ばし、フランはその段階でごくりと唾を飲み込んだ。

 袋から取り出した手が持っていたものを見て、こいしが目を見開いた。

 

「これ……」

「作って、みたんだけど……ど、どうかな」

 

 なにやら白い粒のようなものが混じっていて、必要以上に柔らかい感触がする、チョコのケーキ。

 こいしが手元のそれとフランとを交互に見比べる。何度も目をぱちぱちと瞬かせ、本当に虚を突かれたというような雰囲気が窺えた。

 もしかして喜んでもらえなかったのだろうか。そうやってフランが落ち込みかけたところで、こいしがぱくりと、持っていたガトーショコラにかぶりついた。

 

「あっ」

 

 フランの口から思わず声が漏れる。しかしそれを気にした様子もなく、こいしは夢中になっているかのように黙々とガトーショコラを食べ進めていった。

 やがてすべてを食べ終え、ぺろりと唇を舌で舐め取る。そうしてフランに向き直ると、こいしは満面の笑みを浮かべた。

 

「おいしい」

 

 その笑顔がいつものそれとは明らかに違うものだと、フランは直感的に理解した。

 心の底からめいっぱいに嬉しく思ってくれている、心の底から感謝の気持ちを示してくれている。

 

「おいしい」

「わ、わかったから。二回も言わなくていいわ」

 

 フランは顔に熱がのぼってくるのを自覚しながら、こいしから顔を逸らした。

 両手を頬に当てる。熱い。まるで病気にかかってしまったかのように、熱い。

 恥ずかしいのだろうか。いや、これはそれとはもっと別の……。

 

「ねー、フラン」

「は、はいっ」

「うん、はいっ。で、これ」

 

 と、こいしが渡してきたのは自分が上げたのと同じような小袋。

 ……え? もしかして。

 フランがその中身を取り出してみると、そこには自分が作ったものよりも断然美味しそうなガトーショコラがあった。

 

「えへへー、かぶっちゃったね。おんなじのだったから驚いちゃった」

「…………うぅ」

「え? なんで泣くの? お腹痛いの? あ、もしかしてチョコ嫌いだった?」

「そうじゃなくて、そうじゃなくてぇ……」

 

 目元を拭う。それでも出てくる涙を、もう一度拭う。

 こいしがどこか心配げにこちらを見ていたので、大丈夫だと言う意を示すために、手元にあったガトーショコラを一口食べてみた。

 ふんわりとした触感が唇に当たって心地よく、口の中でちょうどいい具合に歯と反発し、食感はおよそ最高と呼べるものだろう。舌で味わう苦みが混ざった甘さは、しかしくどくなく、飲み込もうと意識するまでもなく自然と喉の奥の方へと落ちていった。

 

「どう?」

「……おい、しい」

 

 やっぱり涙が出てくる。なんだかよくわからないけれど悔しくなって、もう一度、かぷりとガトーショコラを口に含む。

 おいしい。間違いなくおいしい。これまで食べてきたものの中で一番おいしい。咲夜の作るデザートよりも絶対おいしい。

 

「ふぇえ、ほいひ」

「なに? 食べながらじゃわかんないよ?」

 

 しっとりした感触を味わいながら、一口分のガトーショコラを喉に通させた。

 

「今度、私に料理を教えてください」

「敬語? んー、そうだねぇ。でも私もお姉ちゃんに手伝ってもらったから……じゃあ、一緒にお姉ちゃんに教わってみる?」

 

 こくりと頷く。するとこいしも満足そうに首を縦に振った。

 残りのガトーショコラを食べる。苦くて、甘くて、本当においしくて。

 もしも次になにかお菓子かなにかをプレゼントすることがあったら、もっと美味しいものを作ってあげよう。

 そう心の中で誓って、もらったガトーショコラの最後の一口を楽しんだ。



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