IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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ちょっと頑張って挿絵なるモノを作ってみました。


第32話「生徒会役員共の一存(後編)」

――じゃあまず、名前と年齢を教えてくれるかな?

 

「朴月姫燐、16歳っすね」

 

――へぇ、若くて可愛いね。

 

「可愛くねぇ。じゃなくて、確かに自分で言うのもなんスけど、ビジュアルにはそこそこ自信ありますね。主にクールさとか、カッコよさで」

 

――身長とか体重はいくつ?

 

「身長は165cm、体重はトップシークレットで」

 

――3サイズは?

 

「いや……いやいや、流石に言わなくて良いっすよね?」

 

――じゃあ、恋人とかは居るのかな?

 

「絶賛募集中って言っときます」

 

――一番、触られると良いポイントはどこかな?

 

「は? いや、ちょい待て、なんでそんなん言う必要が」

 

――じゃあ初体験は

 

「待てやコラ! 一体なんのインタビューだこれ!?」

「おやおや、何かおかしかったです?」

 

 と、座っていた椅子を転倒させる勢いで喰いかかった姫燐に対し、対面に座っていた新聞部の、紫の柔らかに広がるロングヘアをした赤ふちメガネの上級生は、至極真面目な表情で小首を捻った。

 

「ほぼ後半全部だよ! なんだあのAぶ……その……如何わしい感じのインタビュー内容は!?」

「これはインタビュー内容としては、10代から20代の女性に聞く内容としては、ごく一般的とお聞きしたのですますが?」

「いや確かにそういうの、冒頭によくあるけど……あーもう! どうなってんだよ部長さん! なんなんだよこの人!?」

「あはは……」

 

 仕事内容を見せるとのことで、部室内にあった一室に案内された筈なのに、これはいったい何の仕事なんだと、同じく一室に居た部長に喰ってかかる姫燐。

 顔見知りである新聞部の部長は、遠い目をした苦笑いで姫燐の肩を掴むと、抱き寄せて小声で耳打ちを始める。

 

(いやね、この子はパーラ・ロールセクトちゃんって言って、エジプトから来てる二年の子なんだけど、ちょっとその、日本の文化とか言葉とか知識とかがね? こう、ユニークっていうか、独特っていうか……本人もそれを自覚してるから勉強のために新聞部に入ってるんだけど……)

(いくらなんでも、インタビューが独自製法すぎやしませんか!?)

(その……ちょっと、ね。たまに言う事が滅茶苦茶だし、声を荒げたくなるのはひじょーにかかるんだけど、ほんのちょっとだけでいいから、パーラちゃんには寛容になってあげてくれないかしら……?)

(なんすか、弱みでも握られてるんすか)

(その、ね。こんな話、出来るだけ人にはしたくないんだけれど……)

 

 完全に疑心暗鬼の目で部長を睨む姫燐だったが、

 

(パーラちゃんね、今年の二月ごろに、自分も巻き込まれる事故で、ご両親を亡くしたばかりなの)

(……そうは、見えなかったです)

 

 率直な感想と、若干の悔いが、粗ぶった自立神経を収めていく。

 

(そうは見えないよねぇ、やっぱり……冬休みで本国に帰郷していた時ことでアタシも知ったのは新学期になってからだったんだけど、とんでもない目に合ったにも関わらず、ケロっとした顔で部室に来てね……)

 

 只でさえ辛い時期なのに無理しなくていいと、部長は彼女を抱きしめながら、やんわり部活はしばらく休んでも大丈夫だと伝えたのだが、それでも彼女は懐から――痛々しい磨り傷が、未だ、残ったままの――携帯端末を取りだし、微笑んだのだと言う。

 

――メールにありましたですます。『入学式後は全員、特ダネを握って、部室に集合! 新部長の言う事は絶対厳守ッ!』って。

 

 それは、自分にとっては、只の悪ふざけだったのだ。

 ただ、新学期からは新しく部長になることが決まり、何かそれっぽいことをしなくてはならないと思い付きのままに後輩の部員達に押し付けた、身勝手な発破。

 それを、たったそれだけを律義に守る為に、彼女はあらゆる辛さを押し込めて、億尾にも出さずに、この部室に来た。私の部活に来てくれたのだ。

 

(だからね、私はあの子が何をしようとも、えこひいきだって言われても、胸を張って代わりに頭を下げてやるわ。この子は、この子だけは、何があっても、私が支えてみせるって――あの時、決めたから)

 

 軽薄で、薄情で、悪い笑みがよく似合う新聞部部長が見せた、たった独りを守り抜くという決意の横顔。

 なんとなく姫燐にはどこか、その姿が――自分の協力者である少年の面影と被る。

 こうなってしまえばもう誰も憎めないのは、姫燐という人間の、天性の性であった。

 

(はぁ……分かりましたよ。オレも出来る限りは文句言わない方針でいきます)

(本当にありがとう、朴月ちゃん……あ、でもでも、それはそうとしてさっきの結構雰囲気とかソレっぽくて、結構良かったとアタシは思うんだけ)

「さっきから、きりりーと、何を、お話してるのかなぁ、部長さん?」

「ひゅお!? いやいやいや! なんでもないなんでもない!」

 

 黙ってぶかぶかの袖で器用にリストにチェックを入れていた本音が、ぬぬっと二人の間にいつも通りの――気のせいか、姫燐にも一瞬、五寸釘でも喉に当てられたような怖気が走ったが――のほほんとした笑顔で割り込み、可愛らしく顎に手を当てて、

 

「んー、これじゃあかいちょーに、新聞部はよかったよーって報告は、ちょーっとむずかしいかなぁ?」

「ちょ、ま、待って待って! 前回の査定でも引かれたし、これ以上部費削られたらホントやってけないよウチ!? 只でさえ『前の一件』で先生達からも目を付けられてるってのに!」

「前の一件って……」

 

 他の部員の手前、前の一件と部長はボカしていたが、その一件に姫燐は他でも無い当事者としてガッツリと心当たりがある。

 五月に行われたクラス代表戦。一夏と鈴が試合を行い、謎の無人機が乱入し……そして、アイツ等が現れた、あの事件だ。

 長身で、青灰の長髪で隠した、黒き角膜に浮かぶ黄金の双眸を持つリューン・セプリティス。

 対象的に発色が悪く背が低い、薄桃の髪を小さく両サイドで纏めた、病的に白い肌が特徴だったトーチ・セプリティス。

 そして――キルスティンという、もう一人の自分。

 あんなことが起こるなど予期できる筈もなかったが結果的に、合意の取引とはいえ第三アリーナのデータの複製を渡していた彼女にまで、迷惑をかけてしまったのは事実である。

 

「その、部長さん。前の一件は、ほんと、すみませんでした。オレのせいで」

「うぇ!? い、良いの良いの! 朴月ちゃんは何も気にしなくて!」

 

 痛々しい趣きで頭を下げられても、全く気にする必要はないと部長は手を振る。

 

「記事にされたことようにね、起こってしまったことは仕方ないの。でも記事だって、乗せる事は重苦しいことばっかりじゃないわ。ほら、ワイドショーだって動物紹介とか割とどうでもいいコーナーだって流すでしょ? あれみたいに暗い話題ばっかりで、ずっと引きずり続けるのは構成上よくないっていうかそういう……雰囲気で、ね?」

 

 それはもう、どっちに非があるのか分からないぐらいの必死な形相で。

 

「部長さん……そっすね、ダメですよね。いつまでも、引きずってちゃ」

「あはははは……」

「良かったですますね、ぶちょー。朴月姫燐が生徒会の身内になったって聞いてから、ずーっと生徒会側から圧力とか報復とか制裁が来るんじゃないかって、気が気でなくて四苦八苦胃薬常備薬でぶるぶるーっと」

「パーラちゃん、ちょっとシャラップ。思い出すだけで結構クるから……」

「いや、かたね……会長はそんなことしませんって、何だかんだ優しい人ですし」

 

 姫燐の断言こそが、あの人が身内をどれだけ大切にしているかを示しているようで余計に怖いのだが、ここで胃薬に手を出す訳にはいかず、自然を装ってお腹に手を当てる部長に変わり、パーラが今度はボイスレコーダーを手に姫燐に詰め寄った。

 

「ではでは、ぶちょーに変わって、私がお仕事するです」

「えー……まだやるのかよ……」

「ご安心を、今度は真面目にやるのです」

「シレっと真面目にやってなかったの暴露したなオイ」

 

 反射的に頬をつねりそうになるも、部長の話と、部活内容を査察するというのが自分の仕事である以上、グッとこらえてまた椅子を用意し、パーラの対面へと座る。

 この学園ではそんなに普段からつけている人がいない、フワッとここからでも香る、花の蜜のような香水のせいもあるのか、どうにも慣れず落ち着かない気分のまま、レコーダーのスイッチは押され、姫燐へのインタビューが再開される。

 

「ではでは――朴月姫燐さんは、確か専用機持ちなのでしたです」

「ん、まぁ、そう……ですね」

「特に代表候補生というわけでもないのに、何故です?」

「IS研究者してる親父のコネです。行くならついでにデータ取ってこい、って感じに渡されました」

 

 これは変えようもない事実なので、臆面もなく言い切る。

 そんな姫燐の毅然さも含めて興味深げに、パーラも唸りながら手元のメモへとペンを滑らせていく。

 

「ほうほう。では、ISに搭乗したのは、入学してからが初めてで?」

「いや、親父のところで、数年間テストパイロットの真似事みたいなのはやってましたね。適性はAだったんで」

「テストパイロットですとな。では、あの卓越したIS操縦技術は、その時に身に付けたと!」

「大体の操縦技術は、そこでほぼ独学なんで卓越って程じゃ、って、あれ……オレそんな大舞台で暴れたっけな?」

「ご謙遜を。かのイギリスの代表候補生、セシリア・オルコット氏いわく、あのクラス代表戦を襲撃した謎のIS、撃退は貴女のご尽力あってこそとの事ではないですか」

 

 そういえば、そんな内容でセシリアが、思いっきり全校生徒に吹きこみまくっていた事を姫燐も思い出す。

 事実は噂より奇なりであるのだが、訂正する意味も利益もないため、当たり障りのない返答に留めることに決め、

 

「でもこれ、オフレコっすよ? 学園の外には、オレは居なかったって事になってるらしいですし」

「んー……ぶちょー?」

 

 どうしますー? と呑気極まりないパーラのアイコンタクトとは反して、大慌てで部長は、鉄骨渡りでもしているかのような形相で、指を交差させ×の字を作る。

 

「ダメダメダメっ! 今回は出来るだけ無難かつ穏便な方向性よ、パーラちゃん! ちり紙にもならないようなクッソ退屈な記事になっても、今回はすっぱ抜きとか下世話とかスクープとか、そういうの禁止! 全っ面禁止ッ!」

「あいあいさー、ぶちょーの命令は絶対ですので」

 

 普段、どんな記事書いてるんだこの人達……と、査察素人である姫燐をしても、この部活大丈夫なのかよと不安が先行してくるが、

 

「『あの事』も取材しない方針なのですかねー?」

「ちょまッ!!?」

「……あのことー?」

 

 ぶかぶかの袖を口元に当て、横で成り行きを見守っていた本音の瞳が、ゆっくりと、うっすらと、見開かれた。

 無言、不動、笑みさえ浮かべているのに、背中からは得体のしれないプレッシャーを醸し出す幼馴染の姿は、隣の姫燐をしてもおっかなさで生唾が口内に溢れだしてくる。

 

「ふーん……部長さーん? わたし、『あの事』ってどんな事なのか、と~っても気になるなぁ~?」

「あわわわわ、わか、わ分かりましたッ! 洗いざらい吐きます! 吐きますし、こんなこと記事にする予定すらなかったことだけは先にご承知くださいぃッ!!!」

 

 権力に屈した報道屋に、もはやプライドなどあるはずもなく、残像を残し、空を切る音すらしそうなほどの勢いでペコペコ頭を下げたおす部長の姿。

ここまで来ると半笑いで、どんな根も葉もない下らないゴシップが飛び出すのやらと逆に面白くなってきた姫燐だったからこそ、

 

「正直これはアタシも流石にガセだと思ってるんで、パーラちゃん以外には黙ってたし、公言するつもりとかも一切ないんです! 信じて」

「実はあの事件、襲撃してきたISは『無人機』で、しかも『他の襲撃者まで居た』らしいって奴ですますね」

「ちょ……なんで先に言うの……」

 

 唐突に襲いかかった真実を、どうしても笑い飛ばすことが出来なかった。

 

「あっ、アハハハハ、そんな訳ないですよねぇ~! 大体、無人で動くISって時点で眉唾ですし、その上ほかの襲撃者まで居ただなんて、これが事実だったら、今頃もっと、世界規模で大騒ぎになってないと絶対におかしい……し……?」

 

 不意に押し黙ってしまった、生徒会役員の二人。更に一人は当事者。

人を観察して記事を書く人間の哀しい性は、この沈黙の意味を完璧に察し取り、理解できてしまい……、

 

「えっ……えっ? うそですよね、ははは、こんな、まさか、これ……マジネタ……」

「部長さん」

「はいぃぃぃ!!?」

 

いつもどんな時でも、怒っている時でも、泣いている時でも、人を露骨に追い詰めている時でも消えなかった、のほほんとした雰囲気が――完全に、消える。

 

「そのこと、どこで聞いたの」

「そそれは」

「いいから、答えて。いま、すぐに」

 

 淡々と、有無を言わさぬ冷淡さが、部長の荒れ気味の胃を絞り上げた。

 俯いていた頭からは、表情は読み取れなかったが……今は、それが幸いに思えて仕方が無い。

 遮る前髪の奥底に、潜んでいる『モノ』を万が一にでも直視してしまったら――一生に刻まれるか、一身を刻まれるか――その程度の差異しか感じさせない悪寒が、胃を飛びだし、喉元を逆流してくる感覚に見舞われ、

 

「はやく、答えない、なら」

「あ……ぁ」

 

 ぬ、と、余らせていた袖口から、白子のような手が覗く。

 普段、誰も目にすることのないであろう、彼女の薄桃色をした爪先が、真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに、口すら金縛りに合ったよう動かない部長の眼球へと伸びていき――

 

「ほんちゃん」

 

 向かう腕を、もう一人の生徒会役員が、鷲掴みで止めた。

 

「やり過ぎだ」

「でも、ひめりん」

「二度は言わない。続けるなら、加減はできねぇぞ」

 

 握り締めた本音の袖に、シワが出来る。

 

「これはもう織斑先生や、かた姉達の管轄で、オレ達の仕事は部活動の視察だ。違うか」

 

 粛々と平坦な声で、姫燐は正論と事実を簡潔にぶつける。

 しかし、普段の軽さなど微塵も感じさせない程に、本音の腕に入った力は、硬く、頑ななままだ。

 

「どうして、ひめりんの事、なんだよ?」

「違う、これは『学園全体』のことだ。オレ個人の問題じゃない」

「違わないよ。これはっ、これはひめりんの……っぁう……!?」

 

 機械めいた反射で、姫燐は本音の腕を、問答は無用と捻り上げる。

 

「ここまでだ。悪い、部長さん。あとでちゃんと言っときますんで」

 

 選んだ言葉は気さくだというのに、一切の抑揚がない謝罪の言葉。

 これは、本当に先程と同じ少女なのか。

 一種の制御不能な激情であった本音とは正反対なまでに、躊躇なく規律的な――暴力。

 朴月姫燐が、まったくの不意討ちに見せた一面が、助けられた形の部長すら、隣に立つパーラの肉体すらも、恐縮させ、強張らせる。

 

「っ……ひめ……りん……」

「……ごめん」

 

 苦悶の呻きに、一言であったが確かな謝罪を込めて姫燐は手を離し、拘束を解く。

 

「ごめん、ほんちゃん。だけど、オレが止めた理由も、分かるよな」

「だって……だって……」

 

 無論、いくら『更識』である以上、聞き流せない流言が鼓膜を叩いたから――だけで、あそこまで我を忘れるほど、この幼馴染は短気、短慮では無い。

 だからこそ、それをよく知っている姫燐は、内心ひどく狼狽を隠せず、ただ、思ったままの言葉をぶつけてやる事しかできなかった。

 

「それに、オレは……あんなほんちゃんは、見たくない」

「っ……!!」

 

 息を短く吸うと本音は、扉を普段からは考えられないような荒々しさで開き、俯いたまま新聞部を飛び出していった。

 姫燐はそんな背中を無言で見つめ続け、

 

「……とりあえず、部長さんに、パーラさん。こっからのことで、先に確認したい事がいくつかあるんで――答えてくれませんか」

 

 上への報告に必要な最低限の状況把握、事実確認、緘口令――眼前にある『任務』を、最優先とし、片付けることを選んだ。

 

 

               ○●○

 

 

『まもる』とは、なんなのか。

 更識に連なる家系に布仏本音が産まれ、育ち、物心がついた時から、それは自分に課せられた『しめい』だと、彼女は周囲の人達に教えられた。

 しめいを果たすために必要なことを学ぶ日々は、確かに少し窮屈ではあったものの、愛情は確かにあると悟っていた本音は、そんな大人達も、自分を可愛がってくれる二人の姉も、自分と一緒に努力する同い年の『かんちゃん』も大好きだったから、特に不平不満を抱く事はなかったが……。

 しかし、たびたび、こう、思う事はあったのだ。

 

――なんで、まもらないといけないの?

 

 と。

 今にして思えば、周りの人間がみんな強かったのも、原因の一つであったと思う。

 しかし、それでも本音は事実単純に考えて、わざわざ他者が他者を『まもる』ことなんて不合理ではないのかと思えて仕方が無かったのだ。

 更識に産まれた宿命だと理由はあれど、大好きなかんちゃんは、まもるための力をつける修行でよく泣いていたのを……それも、道場の裏手や、自分の部屋で、決して誰かに見せようとせず泣いていたのを、少女は今も忘れられない。

 だから、疑った。

 

――みんながまもる必要なんてないぐらい、自分から強くなっちゃえば、しめいなんて必要なくて、かんちゃんは泣かずにすむのに。

 

 疑問は、深々と刺さった銛の穂先だ。刺されば、そう簡単には抜けやしない。

子供心に……いや、本音という少女は、抱いてしまった疑問を簡単に割り切れるほど、短絡的に、簡潔的に思考を纏める事ができなかった。

 それを大人たちは、「本音は物覚えが際立って良いし、応用も得意だ」と、褒めてくれはしたが、それと同じぐらい叱られたことだって消えてくれないのだから、本音にとっては良いも悪いもおあいこと言った所であったが。

 なんにせよ、解決法を考えれば考えるほど、答えを探せば探すほど、知識達は自分の疑問がどれだけ、幼稚で世間知らずであったかは教えてくれはしたが――それでも、一度たりとも子供の頃の本音を納得させる事ができなかった。

 

――大切な人を泣かせてまで、『誰か』はそんなにまもらないといけないの?

 

 自分自身も、布仏本音という人間は酷く不合理で、不便な性質であると自覚できたのは、いつだったかは覚えていない。

そんな頭を沸騰させていくエラーを処理する方法も、同じぐらいの時に、いつの間にか自覚できていたからだ。

 

――まぁ、いっか。

 

 割り切れないのならば、忘れてしまえばいい。

 読み込みにエラーを起こすコードを、さっぱりとデリートしてしまう魔法のコマンド。

 頭がぐしゃぐしゃになりそうなことが起こってしまう度に、本音は実行を繰り返し、肩の力をふっと抜くのだ。

 あとは無駄に使ってしまった養分を、甘いお菓子で補充し、自分のペースを維持したまま、大好きな人達の期待に応え続けていけば、世界はつつがなく続いていく。

しめいの意味なんて、どうでもよくなってくる。

 そんなことを考えている時間があるなら、泣いてしまった分まで、かんちゃんを笑顔にしてあげる方法について考えていた方が、ずっとずっと意味があって、重要で、本音はそれでよかったのだ。

 

――はじめまして、えーっと、ほんねちゃん、だよね?

 

 あの日、までは。

 

――わたしはね、ヒメって言うのっ! あ、本当はもう少し名前が長くて……。

 

 綺麗で長くて赤い髪に、ひらひらとしたドレスを着た、初めて『守りたい』と思ったあの子に、会うまでは。

 

――え……ほんちゃん……なの、か?

 

 そしてまた、この学園で、忘れられない、忘れたくないあの子と、再会するまでは。

 

 

                ○●○

 

 

 いつまで、どこまで走っていたのだろうか、なんて、月並みながむしゃらの感想が本音の頭を掠めたのは、肺から酸素の要求がピークに達してからであった。

 どこかの教室の扉へとよりかかる。

混濁した意識は一瞬で膝から力を狩り取って行きそうであったが、深呼吸で収穫を無期限に引き延ばして行く。

 走り続ける訳は一つ。思考が澄んでいくごとに、頭が正常に仕事をこなそうとする度に、

 

――オレは、あんなほんちゃんは、見たくない。

 

「っ……ぅ……!」

 

 拒絶、された。今まで必死に隠していた『わたし』を、拒絶、された。

 体を巡る全てが、逆流して破裂してしまいそうなほどに、見えない何かに貫かれていく。

 ひめりんは悪くない。これは当然だ。わたしは期待を裏切った。だから、せかいが崩れるのは当然の事なんだ。

 QEDは示された。だから、終わりだ、終わって、お願い、はやく、耐えられなくなるまえに。

 

「ぁ……ぅあぁぁ……!!」

 

 また、走る。

 思考を再びかき交ぜるためにだけに、走る。

 前も見ず、後ろも見ず、己も見ず。邪魔な考えを捨てるためだけに、逃げ出す。

 ふと、冷徹な部分が囁いた。

こんな無様な真似をしなくても、あの一言さえ言ってしまえば、今まで何度となく縋ってきた魔法を唱えさえしてしまえば……、

 

――ひめりんとの時間を、嘘にしたくなかったんだ……。

 

 ダメだ、ダメだダメだダメだ。

 嘘にだけは出来ない。忘れる事だけはしたくない。

 あの子の事だけは、どんなことですら切り捨てたくなんてない!

 だったら、わたしは…………どうしたらいいの?

 

「きゃ!?」

「……は……っ」

 

 ……出口のない迷走が辿りついた先は、これまた実に在り来たりで、チープな展開であった。

 

「いたた……」

 

 曲がり角から、不意に出てきた人影への激突。

 人影が抱えていたのであろう、多数の資料や、細々とした機材が床に散乱し、本音も当人も互いに尻もちをつく形で転倒してしまう。

 どこまでも無様、どこまでも月並み、どこまでも些末事でありながらも――ぶつかった影だけは、本音を、今まで以上の絶崖へと突き落としていく。

 

「え……本音……?」

 

 見間違える筈もない。

 楯無と同じ、澄んだ湖水のようなショートボブとは反対に、大人しげに垂れた赤い瞳。この歳の少女としては実に平均的な身体付きであるが、所々にしっかりとついた筋肉や、工具を日常的に扱う人間特有のマメが散見される両手。

 今は伊達眼鏡をつけていても、産まれた時から家族同然に過ごして来た、自らの主を見間違えるほど、本音の頭も鈍りきってはいなかった。

 

「……かん、ちゃん……」

 

 更識簪。

 楯無の妹であり、更識の次女。自分が産まれた時から、仕えることを義務づけられた――だというのに、一時期の姫燐以上に疎遠である――大好きな、ご主人さま。

 

「ど、どうしたの……その顔……一体、何があったの?」

 

 普段は本音の事を、徹底的に避けるようにしている簪であったが、どんな時でものほほんとしている従者に――家族に、ここまで生気が消え失せ、頬を陰らせ、輝きのない瞳で見つめられて、平静でいられる訳がない。

 散らばったパーツや書類になど目もくれず、座り込んだまま動かない本音へと屈みこみ、肩を掴む。

 

「なんでも……ないよ、かんちゃん……ちょっと、お腹、空いただけ……」

「そんな訳ないでしょう! ねぇ、本音、ちゃんと答えて」

「ほんちゃーん! どこだー! おーい!」

 

 たとえ遠ざけていても大切な家族の大事に、心配の色を隠さず憂いていた唇が、聞こえてきた久方ぶりに聞く声に、強く引き締められる。

 

「っ! やっと見つけた……ぜ……」

 

 アラートが鳴らされた兵士のように、怨敵を前にした英雄のように、略奪者を前にした被害者のように、簪は本音を力強く抱き寄せ、こちらへと駆け寄ってくる女を、貫くような視線で睨みつけた。

 

「朴月……姫燐ッ」

「……久しぶりだな、カン」

 

 安堵に撓んでいた姫燐の立ち振る舞いが、一瞬の硬直を得て、同じく宿敵へ出会った様な緊張を宿し、簪と本音の前へ立ちつくす。

 

「そのあだ名で呼ばないで。朴月姫燐」

「そうかい、じゃあもう一つの方で呼んでやった方がいいか?」

「そっちで呼んだら、本気でぶつから」

「おぉ、こわっ。眼鏡なんぞかけてるのに、昔より迫力出てるじゃねぇか」

 

 売り言葉に、買い言葉。

 どちらも譲歩することも、理解することも拒むような、断崖のように開き切った、浅からぬ溝。誰の目で見たとしても、因縁浅からぬ何かを感じられずにはいられない緊迫感が、両者には漂っていた。

 

「つーか、昔っからオレを叩くのに遠慮なんて可愛いこと、したことねぇだろお前」

「ふん……そっちこそ、あんなにカワイイカワイイしてたお姫様は卒業? 今度はオレだなんて、ゴスロリ趣味から厨二病に鞍替えしたの?」

「てめぇ、四年前から確実に罵倒がパワーアップしてやがるな……ほっんと、可愛くねー」

 

 痛い所を突かれても、ここで隙を見せればさらに追撃してくるのが更識簪であると、過去の苦々しい経験で理解している姫燐は、どっちにしろコイツには用が無いと意識を切り替える。

 

「ほんちゃん、悪かった。一回、話聞いてくれないか」

 

 ピクリと跳ねる身体。

 それを抱きしめた両手で感じ取った簪は――事を察し、その嫌悪を今まで以上に膨れ上がらせた。

 

「あなた……本音に、なにをしたの」

「………その前に、確認させろ。お前、なんで生徒会に入ってない」

「話を逸らさないでッ!」

 

 激怒のままに簪は、姫燐のアンダーシャツの襟首へと掴みかかる。

 

「質問に質問で返さないで……これ以上、ふざけた態度ではぐらかすのなら……」

「これは前提条件の話だ。お前に、その質問をする権利があるかどうかのな」

「どういうこと……?」

 

 襟首を締め上げているというのに表情も身体も反抗の一つすら見せず、簪とはまさに正反対の冷淡さで、姫燐は簪を問い質す。

 

「もう一回聞くぜ。コイツにはIS学園と、生徒会――『更識』の問題が絡む。お前が、生徒会役員じゃない一般生徒のお前が、そのことをオレから問い質せる権利があるのか?」

「更識の……問題……ですって……?」

 

 当然あるに決まっている。自分は他でも無い、更識簪なのだから。

 ……とは、口が裂けても、言えない。言ってはならない。

 一身上の都合で、更識のIS学園における拠点である生徒会に所属していない自分は、傍目から見ても、事実としても、更識の義務を放棄していると言っても過言ではないのだからだ。

 しかし部外者はお前も同じではないかと、簪の返しを予測していた姫燐は、制服につけた青いバッチを見せつける。

 それが何を意味しているか――知らない簪ではない。

 

「うそ……なんで、あなたが……お姉ちゃん達しか入れない生徒会に……」

「まぁ、色々あったんだが……その色々も含めて聞く。お前、この前の第三アリーナの件……なにも、知らないんだよな?」

「ば、馬鹿にしてるの。乱入してきたテロリストのISを、信じられないし信じたくないけど、あなたが自分の専用機を使って倒したんでしょ……!? 自慢話のつもり……!?」

 

昔の姫燐を知る簪にとっては信じがたい話ではあったが、彼女のクラスである一年四組でも、しばらく話題にならない日がなかったため、嫌でも耳に残ってしまった、この噂。

だが、それだけでは足りない。隠された真実がある事を、簪は知らない。

簪の震えた声色は、彼女は『隠す側』の人間ではなく、『隠される側』の人間であると、姫燐に確信させるには、充分な返答であった。

 

「……なるほど、分かった。詳しく聞きたいなら、かた姉の所に行け。オレからは、何も言えない」

 

 できれば、言いたくない。というのが、姫燐の本心ではあるが、まるで余所者を追い払うかのように冷たくあしらう彼女の言い草を、はいそうですかと聞き分けられるほど、簪は姫燐の事を認めてはいなかった。

 

――なによ……それ……。

 

 お姉ちゃんが認めていようと、虚さんが認めていようと、本音が認めていようと、簪は……血の繋がりが無くとも、自分を差し置いて、あの人に妹と認められている『ヒメちゃん』の事を――なにひとつとして、認めてはいなかった。

 

「……さい……」

「あ?」

「うるさい、うるさい、うるさいッ! あなたが……他人のあなたがっ……お姉ちゃんを気安く呼ばないでっ!!!」

 

 神経を掻き乱すヒステリーのまま、簪は姫燐を突き飛ばすと、右手を平たく構え、激情のままに振り被る。

 やはり遠慮の欠片すら感じられない一発が来る。

止めるにしても、避けるにしても、出がかりの今に行動するのが一番ではあったが、

 

――ああ、ビンタか。コイツを喰らうのも随分久しぶりだなぁ。

 

 と、姫燐は抵抗する素振りすら見せず、ただその軌道を冷めた視線で追い掛けたまま、遠くない未来に頬へと走るであろう鋭痛に身構えることを選択した。

 昔とは違い、この程度を止めてやるのは今となっては簡単であったが、そうすれば余計に話が抉れるのは目に見えていたからだ。

 一発ぶっ叩かせてやりゃ、少しは冷静さを取り戻すだろと姫燐はタカを括り、頭に血が昇りきった簪にも躊躇はない。

 言わば、両者合意の上で、つつがなく取り行われるはずであった暴力は、

 

「やめてっ! かんちゃん!!!」

 

 二人の間に、両手を広げて割り込んだ、乱入者の顔へと、いまさら誰も止められる筈もなく――

 

無人の廊下に、乾いた破裂音が、響いた。

 

「ぇ…………?」

「…………なっ」

 

 茫然。ただ、平手打ちの前に割って入り、当然の帰結として腕で殴打され、倒れ込んだ本音を、同じ何が起こったのか理解しきれないままの双眸で、二人が、見下ろす。

 そのまま、数秒が経過したか、しないか――現実に戻ってくるのは、微動だにしておらず、達観すら入っていた姫燐の方が圧倒的に早く、

 

「…………てめぇ」

 

 とうとう自分以外にも――よりにもよって、姫燐にとっても簪にとっても家族同然の本音に手を上げた簪に、どこか真剣味を欠いていた、簪へと向ける目が変貌する。

 それはまるで、抜き放たれた『刀』のように鋭く透き通る――見境のない憤怒よりも遥かに研ぎ澄まされた、的確な報復のみを目的とした……害意。

 

「なん……わたっ……本音……どうし……て……」

 

 加減はしてやるが、仕返しを覚悟して無いとは言わせない。

 動揺を隠そうともしない、無防備なみぞうち。

その一点に、姫燐の意識が集中していき――手が、拳を、

 

「とぉ~う♪」

「おぶぅ!?」

 

 作った刹那、のほほんとした掛け声と共に繰り出される腹部への顔面ダイブによって、姫燐の集中は雲散霧消とキャンセルされていった。

 

「こーらー、喧嘩はダメだよぉ。かんちゃん、ひめりん」

「いや……喧嘩って、お前……」

 

 先程までの落ち込みようが嘘のように、いつも通り過ぎるほどいつも通りな本音に、今度は姫燐が困惑を隠すことができず、

 

「むー、せーっかく久しぶりにみんな揃ったんだから、ケンカしないで一緒に、生徒会室でお菓子でも食べようよぉ。とーっても美味しいシフォンケーキ、貰っちゃんたんだぁ」

 

 未だ、自分がやってしまった事のショックから立ち直れていない簪にも、

 

「だから」

 

本音はのほほんと簪の手をとって、微笑みかけた。

 

「ほら……かんちゃんも、一緒に、ね?」

 

 まだ赤みが残る、その頬で。

誰よりも優しく。

何もかもを、許すように。

こんなにも尊い少女に手を上げてしまった人間の、無能さ、狭量さ、醜悪さを……暴きだすように。

 

「あぁ……うぁぁ……アアアアアアア!!!」

「あっ、待って!」

 

 限界点。

簪は錯乱したまま床に散乱した私物も放置し、居てはならない場所から、自分の罪科から逃げ出すように、何度も体勢を崩しながらも廊下の闇へと消えていく。

 

「お願い! 待って、行かないで、かんちゃん!」

 

 必死に呼びとめる本音の声も虚しく足音は一切止まらず遠ざかっていき――再び、廊下には静寂と、やんわりと浮かび始めた月明かりだけが戻ってくる。

 

――やっぱり、まだカンの奴……。

 

 自分と一夏を含め、『五人』しか居ないと言う生徒会の実情から、なんとなく察してはいたが、最近は自分の事で手一杯であったし、こちらから触れるのも憚られていた事であったため、姫燐は今まで簪の事には誰にも触れないようにしてきた。

が……こうして見せつけられてしまっては聞かない訳にもいかず、ならばせめて話題の切り口に有効活用させてもらおうと、姫燐は尋ねる。

 

「カン、まだ皆と上手くいってないのか」

「…………うん」

 

 姫燐に背を向け、走り去っていった廊下の虚空を見つめたまま、本音は頷く。

 

「ひめりんがウチに来れなくなった後もね、ずっとずっと……どうにかしなきゃって、おじょうさまも、お姉ちゃんも……わたしも思って、思ってるのに、ね……」

 

 自嘲が込められた沈黙。

 姫燐も、全ての事情を理解してる訳では無かったが、一年間更識と家族ぐるみの付き合いをしていて――更識簪という少女が抱える、鬱屈とした内面は知っていた。

 優秀すぎる姉。凡俗な自分。期待と優しさを際限なく与え続ける周囲。

 そこに、負担と負い目と不甲斐なさを感じるなと言う方が、酷な環境。

自己の意味を保つために、周囲を遠ざけ、猜疑を向けて、気付かないフリをして自分の殻に閉じこもる。

 姫燐が初めて出会った時から、簪はハッキリ言って、健やかで健全とは言い難い性格をしていたと、今改めて思う。

 

「努力は、今もしてんだろ?」

「そうなの、いっつも独りで、すっごい頑張ってる」

 

 そこも変わりないんだなと、姫燐は独りごちる。

 

「毎日すっごいすっごい頑張っててね……今は、日本の代表候補生なんだよ、かんちゃん」

「代表候補。スゲェじゃねぇか」

 

 そこは素直に、旧知の間柄の躍進に驚嘆する。

 いくら簪が日本国家とも関わりが深い『更識』とはいえ、家のコネだけでなれるようなモンでもないし、彼女の性格上、死んでもそれだけには頼らないだろうというのは、想像に難しくない。

 彼女の努力は本物と言っていいだろう。

 

「だけど、あの様子だと、出した成果も自分では納得できかねてます。って感じか」

「………………」

「既にロシア代表のかた姉には、遠く及ばないって」

 

 ただ、他ならぬ彼女自身が、それを否定してさえいなければ、の話ではあったが。

 

「ったく、四年前からめんどくささまでパワーアップしなくても良いだろうに……誰かが悪いって訳でもねぇのによ……」

 

 言いたいことも、言うべきことも、いくらでもある。

 だが、それで簪が口を、心を開くかと言われれば……姫燐には多分、違う気がした。

 

――他人のあなたが、お姉ちゃんを気安く呼ばないで!

 

 自分が楯無に『妹』と呼ばれるようになった瞬間から、この声は、どのような意味を持っていても、アイツの心に訴えかける力を失くしてしまっている。あの時の言葉で、それを姫燐は確信していたからだ。

 家族ではもう、彼女に巣食う孤独を抜いてやることが出来ないのであれば……、

 

「はぁ……どうしたもんかねぇ」

 

 これは確かに、優秀な姉達でも頭を抱えるわけだ。

 やれやれといった風体で姫燐は後頭部をかき――今は、どうにもできないことよりも気掛かりなことを優先する事にする。

 

「それよりも、さっきの大丈夫だったか?」

「あ……うん、大丈夫だよ。もう痛くないし」

「ほら、念のため見せてみろよ」

「いたっ……」

 

 口だけでは信用できないため、少し強引に手を握って振り向かせようとして――先刻、自分のせいで、まだ痛みが抜けきっていない個所に触れてしまい―――咄嗟に、姫燐は手を離した。

 

「……新聞部ではごめん、ほんちゃん」

 

 実際のところ、自分が簪のことをどうこういう資格など、ハナからありはしないことを思い知らされ、沈痛な趣きで姫燐は本音の背中から距離を取る。

 

「痛かったよな……?」

「うん……痛いよ」

 

 そっと、袖の上から本音は手首を握る。

 

「けれど、ひめりんは……どうなの?」

「オレが?」

 

 どう、と聞かれても、先程の一発は本音が庇ってくれたし、他に痛い思いなどした覚えがない。それに、本音の痛みに比べれば、自分の痛みなど些事たることだ。

 

「別にどこも怪我してねぇし、どうだっていいさ。そんな事よりも、お前の」

「どうだって良くないっ!!!」

 

 振り返る本音の瞳に溢れかえっていたのは、透明な、雫。

 

 ……我ながら、どうしてこう、鈍いのか。

 

 姫燐はようやく、ここに来てようやく、こんな姿が似合わない彼女に、ここまでさせてようやく、

 

「なんで……また、そんなこと言うの……?」

 

 本音はただ、最初から――学園でも、更識でも、ましてや平和でもない。

 

「ひめりんだって、痛いよね……? わたしや、みんなと同じように……痛いことをされたら、痛くないわけ……ないよぉ……」

 

 この身を。

この、朴月姫燐のことだけを案じ、いつもの自分を曲げてまで、怒りを露わにしていたことに気付いた。

 

「………………それは」

 

 第三アリーナの戦闘での傷も癒え、万全に等しい現状。痛覚は当然残っている。

 いや、こんな機械的な受け答えをしてしまえば、それこそ本格的に脳内外科への緊急入院を勧められかねない。

 とっさに答えられない姫燐の沈黙に、もはや歯止めが効かなくなった混迷が、雪崩のように本音の口から溢れだしていく。

 

「確かにひめりんは昔から……ずっとずっと、辛い事を抱え込んじゃう子だったけど……最近のひめりんはおかしい、おかしいよぉ……」

 

 際限なくこぼれ落ちていく涙と、嗚咽。

 

「なんで、ひめりんから傷つこうとするの……? 全部全部、自分が悪いってことにしちゃうの……? どうして、そんなにひめりん自身を大切にできないの……?」

「オレが、オレを……」

 

 どうして。どうして。どうして。

 捨て鉢になっているように、思われてしまっているのは、なぜ、と問われ――まったくの不意打ちであった脳裏を掠めるのは、

 

――キルスティン……隊長?

 

 ほかでもない朴月姫燐を、まるで……信用できていないから。

 無意識を意識するための自問自答が弾きだした答案に、姫燐は今すぐ花丸をつけて破り捨ててやりたい衝動に駆られた。

まったくもって、厚顔無恥の極みだ。

 己の能力を全く信じられない人間。

 己の存在自体を疑っている人間。

 そこにいったい、なんの違いがあったのか。

 

「そんなに……わたし、今のひめりんにとって……痛いって気持ちも、一緒に出来ないぐらい……本当のことも言ってもらえないぐらい……頼りないのかな……?」

 

 違う、それだけは絶対に違う。

 なのに、口は油が切れたようにロクに動かず、伝えなきゃいけないことを伝える役目を果たそうとしない。

 

「だから……だから、かんちゃんも……わたしを……わたしを……」

 

 ならば、今はどこまでも恥知らずを貫くべきなのだろう。

 どこまでも、どこまでも、今この瞬間だけは朴月姫燐であると、なんの根拠もなく信じて――

 

「いらな……ぃ」

 

 いつの間にか大きく体格差をつけていた、本音のか細い身体を、抱きしめる。

 

「ひめ……りん?」

「………………」

 

 まだ、唇は職務を放棄したまま。

 ならば仕方が無いと、朴月姫燐は彼女の名前だけをさえずりながら、それを続ける。

 

「ほんちゃん……」

「ひ、ひめりん……?」

 

 もっと強く、本音の身体を抱き寄せる。

 

「んっ……」

 

 互いの足が絡み、胸が押しつぶされ、熱い吐息が耳元をくすぐる。

 力だけの無作法な抱擁は、本音に少なからずの負担をかけたが、すぐに甘い痺れに飲まれて消えていった。

 これが恋人同士であろうものなら、口づけの一つでもしてやるのが一番手っ取り早く、狡賢い手法なのだろうが――オレとほんちゃんはそうじゃないと、姫燐はようやくマトモに動くようになってきた唇で、朴月姫燐の嘘偽らざる本心を尽くしていく。

 

「うん……やっぱり、ほんちゃんは柔らかくて、あったかい」

「ふぇ……?」

 

 密着した四肢から伝わる熱、感触、鼓動、いのちの証達。

 本音の全てを両手にかき抱きながらも、それよりも遥かに大きくて優しい、こころ。

 それら全てひっくるめ、彼女を独占できている――それだけで、今だけは、くだらないこと全てを忘れてしまえそうになる。

 幸せだ。これを幸せと言わずして、なんと呼ぶのだろう。

 

「オレさ、ほんちゃんが好きだ」

 

 姫燐は、のほほんと皆がほっ、と一息つけるような、止まり木のような安らぎを皆に与えられるこの少女のことが、間違いなく好きであり、

 

「だから、オレにはほんちゃんが居ないと困るし、必要だし、いつだって、笑顔でいて欲しいんだ」

 

 思わず、そんなエゴを押しつけてしまいそうになり――実際、押しつけてしまったのは、不徳の到りだったが。

 

「でも……オレ、今はこんなんだからさ……またほんちゃんに、気付かない内にたくさん心配させちまったよな」

 

 本音の首がうなずく。

 

「もう心配すんな……って、言えたら、楽なんだけどな」

 

 恥に恥を重ねても、流石に出来もしないマニフェストを掲げるほど無恥には成れない。

 だから別の、少しだけ譲歩した約束を、ここに誓おう。

 

「でもさ……代わりに約束しないか。これからは、変な遠慮だけは無しにしようぜ」

「遠慮……?」

「ああ、お互いにな」

「な、何の事かな……ひめりん?」

 

 ちょっとだけ、意地悪げな饒舌で、姫燐は指摘してやった。

 

「おまえ、身内以外が居るとオレの呼び方を『きりりー』って変えてるだろ? 律義にひめりんじゃなくて」

「あ、あははー……」

「アレも、オレのためにやってくれてたんだよな」

 

 これは頭が正常に回っていた時に、既に察していたことであった。

 彼女はあの日――自分と幼馴染であることは、周囲に黙っていてくれと頼んだあの日から、ずっとこのルールを自分に貸し、護り続けていてくれたのだ。

 

「今までありがとうな、ほんちゃん」

「あっ……」

 

 本音の頭を、最大限の感謝と共に、優しく撫でる。

 

「でもさ、今後はそういうの、無しにしないか」

「それで、ひめりんは……いいの?」

「ああ、それでいい」

 

 多少――いや、多分にクラスで半永久的にネタにされるのは目に見えてるが、今は、自分と過去を確かに結び付けてくれる、それが良いし、

 

「オレも、今度からずっと、皆の前でも本音じゃなくて、ほんちゃんって呼ぶよ」

「ひめりん……」

「何もかもがって訳にはいかないけどさ……少しずつで良いから昔みたいに、言いたい事を言い合おう。笑いたい事を笑い合おう。怒りたい事を、怒り合おう」

 

「それがきっと……家族って奴だと思うからさ」

 

 ああ、きっと、それが出来ていれば、オレ達なら……これから、なにがあっても大丈夫だから。

 

「うん……うん」

 

 姫燐の約束を受けて、いっぱい、いっぱい本音には言いたい事があった。

 もう無理しないで。わたし達を頼って。ずっと一緒に居て。

 たくさんの言葉が胸の奥から溢れだしてくる。

 だが……今はあえて黙っておこう。

 いま、胸の内を余さず開いてしまったら、

 

――でもね、ひめりん。

 

 彼女をきっと、

 

――わたしが、きりりーって呼んでた理由、それだけじゃないんだよ……?

 

とてもとても、困らせてしまうだろうから。

 

 

                 ○●○

 

 

 色んな事があって大分遅れてしまったが、姫燐と本音は生徒会室への帰路を歩いていた。

 新聞部にもう一度足を運んで頭を下げ、そこに置き忘れていたお土産のシフォンケーキを手に、もう片方の手には柔らかい本音の手を握って。

 初仕事の収穫は、これ以上に無いほど充分。

あとは――あの事を含めた――報告だけだ。

 

「ねぇねぇ、ひめりん」

「ん、どした、ほんちゃん」

「ううん、呼んでみただけぇ」

 

 なんじゃそりゃと姫燐が笑う。釣られて、本音ものほほんと笑顔を浮かべる。

 

「さって、新聞部はかた姉達に任せるとしてだ。オレ達は、カンの事でも考えとくか」

「そうだねぇ」

 

 そこまで真面目に議論するつもりではなかったが、まだ生徒会室までは少々距離がある。

 いずれは本格的に解決しないといけない問題だとしても、話題のタネに使ってはダメという道理はない。

 

「うーん、うーん。ひめりんみたいに、ぎゅーってすれば、かんちゃんも素直になってくれるかなぁ?」

「おっ、案外悪くねぇかもな。ただ、アイツ割と凶暴だしなぁ。本来はオレじゃなくて、ああいう奴にこそ首輪がひつよ……」

「どうしたの?」

 

 ふと、押し黙った姫燐の顔を、本音が不安げに覗く。

 

「あ、いや、なんでもねぇ……は、言わない約束だな」

 

 と、訂正を加え、どこか安堵したような力の抜けようで、目を閉じた。

 

「初めてほんちゃんと話したことも、確かカンの事だったよなって思ってさ」

「うん……! 覚えてて、くれたんだぁ」

 

 荘厳で広大な和風建築であった、更識の実家。

 そんな中に、ひょっこりと現れた、可愛らしいドレスのお姫様。

 始めは本音をしても、我が目を疑ったものであった。

 

「あれ? だけど、なんでカンの事になったんだっけ……?」

「ふふふ、それはねぇ~」

 

――あれ? どうしたの? どこか痛いの?

 

 その光景を、今でも本音は、ハッキリと思いだせる。

 簪に何もしてやれない自分の無力さに愛想を尽かし、部屋の隅で膝を抱えていた時――あの子は、気が付けば目の前に立っていたのだ。

 暗い暗い、ただ見えない底に引きずられるがままだった自分の前に、眩いばかりの光を、背に受けて。

 初対面だというのに、状況も良く分かっていない相手に、いま思えばただ胸の内を吐き出したくて無体な相談をしたけれど、あの子はにっこりと笑って、手を引いてくれたのだ。

 

――だったら、ヒメも一緒に、そのかんちゃんって子と仲良しになるっ!

 

 無理だよ。何度も頑張ったけど、無理だったの。

 諦めかけていた自分は、あの子を同じ底へ引きずりこむような言葉で否定したけれど、

 

――トライ&エラーだよ! パパがいつも言ってるの。

 

 ほの暗い泥など、まったく気にしないと言わんばかりの無敵の笑顔で、

 

――目標が見えてるなら、百回の失敗は笑って誤魔化していいの。

 

 わたしの手を、いまと同じように取って、

 

――気にせずに、また百一回目へと走りだせば、絶対に成功が待ってるんだって!

 

 その通りに、縁側を走りだしたんだ。

 

――だから、一緒にいこっ! ほんねちゃん!

 

 あの子の足取りは、大人やおじょうさま、お姉ちゃん達と違って、酷く不安定で危うく、ドレスの裾を今にも踏んでしまいそうだったけれど、どんなお菓子よりも本当に眩く、輝いていて、自然に、思っていたのだ。

 

 きっと、更識のご先祖様が、『誰か』に刻まれたように。

理由理屈なんて超越して、わたしも、この子を守りたいと、心に刻まれてしまったのだ。

 わたしの使命は、色褪せずまだ――いや、もっと鮮やかで強い想いになったまま、永遠に消えないのだろう。やがて来る、全ては望み通りにならない結末が来る日まで。

 それでも、いい。

 

「それは、なんだよ?」

「ふっふっふ~、内緒だよぉ~♪」

「はぁ!? 今更それはねぇだろ!?」

 

 ないしょのまま。多分、一生ないしょのまま。

 更識の使命のように、誰にも知られないように、ないしょのまま。

 

――ほんとうに大好きだよ。わたしだけの、ひめりん。

 

 本音は微笑みながら、姫燐の手を離して、彼女の一歩前へと、駆け出して行った。

 

 

                 ○●○

 

 

「ようやく戻って来れたなぁ……あー、疲れた」

「お疲れだねぇ~」

 

 数時間前と同じように、姫燐と本音は、ようやく目的地である生徒会室の前へと帰って来れていた。

 いや、正確には同じでは無く、一夏は室内に残ったままだ。

 

「そいや、一夏の奴は何だっけ、会計手伝えって言われてたっけ」

「うん、そうだよぉ。おりむーも頑張ってるかなぁ~」

 

 苦笑しながら、姫燐は一夏の処理能力を案じた。

 流石にもう終わってるとは思うが、あいつの頭なら、きっと今頃頭から本当に煙が出始めているだろう。

 口からエクトプラズムを吐き出しながら、次からは自分と仕事を変わって欲しいと懇願する一夏の姿を期待し、姫燐は扉にバッチをかざして、扉を開き――

 

「虚さん。先月度の整備科の追加機材申請の奴、終わりました」

「ごくろうさま、織斑くん。ごめんなさいね、また溜まってた帳簿なんだけれど」

「はい、次は……生徒会の費用運用に関してですね」

「ええ、お願いできるかしら。織斑くん」

「了解です、虚さん」

 

 姫燐の視界に飛び込んできたのは、口元を凛と引き締めながら、電卓を片手で弾き、ボールペンを一切迷いのない手つきで帳簿に滑らせる、予想とはまるで結びつかないワークマンと、それに秘書のように付き従う虚の姿。

 

「は、は~い、お帰りなさいヒメちゃん。本音ちゃん」

 

 そして、どこか場違いさを感じ、所在なさげに会長席へと座っているだけの楯無の姿であった。

 一夏達も、楯無の声で姫燐達が帰ってきた事を気付いたように、視線を帳簿から外し、

 

「あ、おかえりキリ。視察の方は無事に終わったのか?」

「あ、ああ……概ね」

「本音、ヒメちゃんと上手くやれた?」

「う、うん。お姉ちゃん」

 

 そうか。そう。と形式上の返事を済ませ、再び一夏と虚は会計作業へと没頭していく。

 あまりに予想外すぎた――本音にとってもそうであったのか――光景に、入口で茫然と突っ立ったままの二人に、楯無が仲間を見つけた羊のようにそそくさと駆け寄っていった。

 

「あのね……その、言いたい事は分かるわ。一夏くんの適性は、この更識楯無の目をもってしても見抜けなかったし」

「……どこに頭をぶつけたんだ、一夏の奴。パソコン?」

「そうじゃないのよ……」

 

 もし妨害すれば、ペン先が自分に飛んで来そうと思えるほどの迫力で作業する二人を邪魔しない様に、楯無は出来る限りの小声であらましを説明し始めた。

 

「その、ね。私達が一夏くんに、会計をお願いしたのは聞いてたわよね?」

「うん、まぁ」

 

 実際、部屋に入る前に本音と確認しあっていたので、そこは特に齟齬はない。

 

「本当はいま、虚がやっているみたいな雑務の方をやってもらうつもりだったんだけれど……」

 

――あ、俺。そういうのならやれますよ。

 

 と、一夏があっけらかんに言ってのけたのが、事の発端だった。

 

「なんでも……織斑先生がこういう、家計のやり繰りとか、資産の管理とかが、その……ちょっと、得意じゃ無かったらしいのよ」

 

 なんでも……の後に周囲を念入りに確認し、だいぶ言葉を選んでいたように見えた楯無が続ける。

 

「ほら、一夏くんって、親族が織斑先生しかいらっしゃらないじゃない? だから、一夏くんが今まで、そういうのを全部、子供の頃からまるっと引き受けてたらしくて……」

「ああ、なった……のか」

 

 改めて三人で、姿勢よく机に向かい、涼しい顔で電卓とペンを、まるで指揮者のように、一切の淀みなく振るい続ける一夏を見やった。

 確かにその姿は、一朝一夕では到底身につかないような熟達を嫌でも感じさせ、普段の頼りなさがまるでフェイクにすら思えるほど洗礼されきった、無駄とそつのなさだ。

 今すぐIS学園の制服ではなく、代わりにビジネススーツと伊達眼鏡でも着せてやれば、大企業に勤める若き敏腕商社マンと言い切ってやっても、見抜ける人間はそうはいないだろう。

 

「わ、私だって手伝おうとしたんだけど……私より早いって虚が」

「楯無さん」

「は、はいっ!? な、なにかしら一夏くん」

 

 急に声をかけられ、背中を刺されたような心地で、動揺を隠せない返事を楯無は返してしまうが、当の一夏はまるで関心を示さず要件を告げる。

 

「このT会費とか、I会費って書いてあるのは何ですか?」

「あ、いや、それは、そのー……」

「ああ、それは会長が勝手につけた隠語よ織斑くん」

「う、虚っ!?」

 

 一瞥だけした虚の目が、にこやかな曲線で「とうとう年貢の納め時ですね」とだけ告げ、

 

「T会費は『緑茶葉費』、I会費は『あんらく堂期間限定、絶品芋ようかん費』の略なの」

「なるほど」

 

 一夏もまた、春風のようにさわやかな笑顔で応じる。

 

「い、一夏くん? あなたは何か誤解しているわ。これは更識が、この学園で潤滑かつ豊かな活動をするために必要不可欠な会費で、そう、これはきわめて政治的に重要な」

「全カットし、消耗品の所に纏めておきますね」

「ナイスよ、織斑くん」

「いーやぁぁぁぁ!!!」

「す、すげぇ……あのかた姉に、膝をつかせやがった……」

 

 学園最強――ここに、陥落す。

 

「う、虚ぉ! 貴方なら私の懐事情、知ってるでしょう!?」

「はい、重々承知しておりますよ。たとえ頭首であろうとも学生であるうちは、財産を私用で浪費することは一切認めず、更識ならば限られた資源であろうと最大限最効率の運用をしてみせよ――前頭首の大変ありがたいお言葉です」

「だからって、いまどき華をトキメク女子高生が、月一のお小遣いだけでやっていけると思う!?」

「今までは黙認していましたが、それが会費着服の言い訳になるとお思いですか。更に言わせて頂ければ、私はやっていけております。実によい機会ですのでいい加減、毎月欠かさず購読している雑誌類を少々減らしてみては」

「わ、私から、恋野きらめき先生や、ブリリアント麗子先生まで奪おうというの!? 次号はとうとう切子ちゃんが誰に告白したか分かるっていうのに!?」

「あーあーきこえなーい……オレは何もきいてなーい見ていなーい……」

 

 完全無欠と芳信する姉の、もうなんというか、見なかったことにした方が互いの明日のために素晴らしい光景に、耳も心も姫燐は完璧に塞ぎ、

 

「あ、のほほんさん。このお菓子費って言う奴、これも全部、今後は消耗品から落すことになるから領収書、ちゃんと作ってくれるか。当然、無くなったらその月、他の消耗品は買えなくなるし、お菓子は自費になるから、そのつもりで食べてくれよ」

「え、ええーーーーっ!!?」

 

 まるで情け容赦ない構造改革の嵐は、のほほんとした腐敗も容易く飲み込んでいった。

 IS学園生徒会――そのあんまり長くない歴史に打ち込まれていた楔は、確実に不正の根を焼きつくし、あるべき姿を取り戻そうとしていたのだった。

 彼が打ち出した改革が、後世の評論家たちにどう映るのか――は、姫燐にとってハイパーどうでもいいことだったが、

 

――それは、それとして、だ……。

 

 アイツとは一回、改めて腹を割って話さないといけない。

 楯無と本音に足元へ縋られようとも、一向に仕事をする手を止めない一夏から、本当の聞きだしてやると、姫燐は改めて決意するのであった。

 

 

                    ○●○

 

 

 閉鎖されて久しい第三アリーナは、これからが暑さの本番である六月だというのに、苔むすほどの冷たさと、静寂さに満たされていた。

 侵入者達のテロリズムを許した場所であるから――だけが閉鎖の理由では無く、単純に競技アリーナとしての役割を果たすのに、不十分なほど破損が激しいことが主だった原因だ。

 割れた天井のバリア。数多の焼け跡。金属に抉られた壁。

 大なり小なりあれど、どれもが未だ応急的な処置のみで、手つかずのまま放置されている。

 他にもIS学園には似たようなアリーナがいくつもあり、第三アリーナが使用不能でも行事には一切の不都合が無かったこともあるが、一番の訳はやはり、アリーナのど真ん中にポッカリと空いた大穴であった。

 これは二人目の乱入者達が、海中からドリルのようなポッドで侵入してきた痕跡であり、孤島の上に建てられたIS学園ならではの盲点と言えた穴だ。

 塞ぐにしても大規模な工事が必要になるため放置されてはいるが、今後はセキリュティの見直しによって、海中からの接敵にも対応できるよう、設備やシステムを再構築していく予定である。

 ……そう、これから、そうする『予定』なのだ。

 

「…………………っと」

 

 大穴から、ダイバースーツと一式の装備を纏った小さな影が、這い出てくる。

 影は慣れた手つきで装備一式を脱ぐと穴の中へと投げ捨て、あらかじめ持っていた耐水バッグへと入っていた別の装備へと着替え始めた。

 下着を変え、インナーを着こみ、スカートを履いて、最後に純白のブレザーを羽織る。

 最後に、荷物から小さな鏡片を取りだし、自分の姿を改めて観察。

 目立つだけの薄桃色の毛、無駄に白いだけの肌、ガキみたいな身体つき。

 そして、小さなチョーカー……待機状態の、IS『ハイロゥ・カゲロウ』。

 

「問題。なし」

 

 IS学園の小奇麗な制服に袖を通している以外は、実にいつも通りのトーチ・セプリティスの姿であった。

 鏡片とバッグも同じように奈落へと投げ捨てると、一息。トーチは懐から、端末に保存した一枚の写真データを、立体表示モードで開いた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 最後に三人で撮った写真。

 映っているのは、自分と、青髪をした写真からでもやかましい相棒。

 そして、最後に、下手クソな笑顔を浮かべてくれた、もう一人。

 

「キルスティン、隊長」

 

 死んだと聞かされていた、誰よりも尊敬すべき、敬愛すべき、崇拝すべき、我等の隊長。

 玉砕するつもりで襲撃したあの日、自分達に立ちふさがった敵であろうとも、多少容姿が変わっていようとも、二人してその姿を見間違えるはずがない。

 あれから誰かがIS学園から退学処分を受けたとの報告はない。

 ならば、絶対にここにいる。私達の全てはここにいるのだ。

 それが例え、予想すらつかないような形だとしても……。

 

「絶対。……確かめる」

 

 自分だけの任務をトーチは胸に刻み込み、最低限しか設置されていないセキリュティを当たり前のようにすり抜け、IS学園内部へと、侵入を果たした。

 




 これを書き終った記念に単発ガチャったら、のほほんさんの☆5シーンが出てきっと大丈夫だと思ったので、今回は新党のほほんの皆さまからは逃げません。
 だけどかんちゃんファンからは逃げます。

 挿絵はいかがでしたでしょうか。
 ちょっと工夫を凝らして、以前姫燐を作ったツールで、オリジナルな3人の外見を作ってみました。え、なにそれ知らないってお方は、過去の自分の活動報告「出来ちゃった(はぁと)」をご覧ください。
 これで次回からは外見描写を軽くしても大丈夫だなっ!
 反響次第でまたやるかもです。

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