最近友達の一色いろはがあざとくない件について 作:ぶーちゃん☆
まさかまさにの3年ぶり更新!!
しかしこの作品の続きを待ってくださっていた読者様方すみません。このスピンオフは読者様方が期待していたものとは確実に違います。
それでも宜しければ、是非とも懐かしんでいってくださいまし。
カーテンの隙間から零れてくる淡い光の線に
それらの事象が、次第に覚醒してゆく頭に
「……あー、ヤッたあとそのまま寝ちったかー」
耳朶に届いた、口を衝いて出てきた色気もクソもないその台詞は、なんとも気怠そうな響きだった。寝起きだからなのか。それとも普段からこんなものなのか。
「……あ、やっば」
しかし、そんな呑気に構えていられるのもほんの一瞬の話。
そのまま寝てしまった。つまりは予定外ってこと。予定外の行動を起こしてしまったということは、その行動に見合うだけの見返りがあるということなわけで。
あたしは、嗅ぎ慣れず触り慣れてもいないシーツを荒々しく剥ぐと、隣で寝ていた裸の男など気にも留めず、見慣れない景色の中から、床に脱ぎ散らかされた見慣れた制服と下着の中に見慣れたスクールバッグを見つけ出した。
すぐさま慌ててスマホを取り出してみると……
「……うっわ、マジやば」
そこには、母親からの着信履歴と通知履歴が鬼のように残っていた。どしよ、怖くて開けないんですけど。こりゃ今夜は正座でお説教、来月は小遣い抜きコースだわ。
「……はぁ、しゃーないか。あとで智子辺りに話合わせてもらうかー」
他にも話を合わせてくれそうな友達は何人か居るけれど、ソッチ方面の話での口裏合わせに向いているのは、残念ながら智子くらいなもんである。他の子は、遊んでそうに見えて実は真面目で潔癖だったり、一応彼氏みたいな存在が居たことはあるものの実はソッチ方面は二次元にしか耐性がないむっつり残念オタクだったり、実はもなにも見たまんまポンコツだったりと、この手の話を持ち掛けたら、しょっぱい顔をする奴、平気な顔を装いつつ赤面して
智子も友樹んち泊まるときの口裏合わせに使うのはあたしくらいのものだから、こういう時は持ちつ持たれつというやつだろう。
そうと決まれば話は早い。早速智子と母親に事情説明の連絡を。もちろん送る内容はまるっきり違うけど。
「……おぉ、起きたんか」
「……」
「あれ? 無視?」
「……うっさい。いま忙しいから黙っててくんない?」
「……へーい」
シーツを剥ぎ取られた拍子に目が覚めたらしい隣の男は、そう言いながらじゃれついてこようとする。
「邪魔って言ったよね。なに揉んでんの? マジでウザいから。誰のせいで朝から慌ててっと思ってるわけ? イラッとすんだけど」
いちゃいちゃムーヴとかの欠片が
しかし今は緊急事態でもあるし、ちょっとくらい弄るのはしょうがない。送信終わったら即没収で。
「……ま、こんなもんかな」
友と親、二人に対する同じ事態に対する違う説明を送り終えたあたしは、期待半分諦め半分の嘆息を吐き出すと、ベッドの上にスマホをぽいと放る。無断外泊な以上、正座でのお説教は免れないだろうけど、智子の口添えが上手いこと作用して、せめて晩ご飯抜きと小遣い抜きくらいは免れることを期待しておこう。無断は無断でも、男の部屋からの朝帰りよりは幾分マシ、なはず。
「……さて、と。……ねぇ和也、シャワー借りるから」
不幸中の幸いか、目覚めが早めで良かった。現在時刻を考えたら、シャワー浴びてからでも学校には間に合うはずだから。これで遅刻だ欠席だになろうものなら、目も当てられないとこだったわ、マジで。
「……おー。あ、一緒に入る?」
「……冗談」
「へいへい」
厭らしくへらへらするこいつに冷え切った視線だけを置いて、気怠く髪を掻き上げながら、迷いなく浴室へと向かうあたし。勝手知ったる……わけでもないけど、お風呂の場所程度なら知っているくらいには、この部屋に来たことがあるから。
使い慣れないシャワーヘッドでも、噴き出てくるお湯の温度と心地よさは変わらない。よく女連れ込んでんだから、気を利かせてヘッドはミラブルくらいには替えとけよ、とは思うけど。
それでも、あまり気分良く目覚められた訳では無い今朝の心と、あいつに舐め回されたベタベタに汚れた身体を洗い流してくれるシャワーから噴き出す有り難いお湯に、ようやく一息つけたとホッと身を任す。
あいつ──和也とは、一年半くらい前、高校一年の時の冬に、友達の付き合いで行った合コンで知り合った。大学生と高校生。遊べる女子高生好きな男と背伸びしたがる女が相手を見繕う為の席っていう、よくあるやつだ。
もちろん友達とはいっても、いつもの気の置けなくてとても大切な残念メンバーではない。あの子ら、チャラついた大学生との合コンとか秒で拒否するし。
あたしを合コンに誘ってくるのは、あいつらではなく、もっと軽薄で、もっとぺらっぺらな関係性の友達。
で、そこで男側の幹事をしていたのが和也。和也は、一見すると頼りになる爽やかイケメン。合コンを巧く回し、緊張する女子高生達に優しく気を遣う、見るからに女慣れしていそうな男だった。
当然、参加してた子達はターゲットを和也に向けてたっぽい。ま、この男からしたら、ターゲットにされてることをほくそ笑みながら、好みの女を品定めしてたわけだ。
でも和也が選んだのは、残念ながらその子達ではなくあたしだった。それだけの話。
ぶっちゃけて言ってしまうと、合コン開始からずっと爽やか笑顔で馬鹿な女子高生を丸め込んでいたこいつの本性なんて、最初っから見抜いてた。でもあたしは、ま、いっか、と誘いに乗ってあげた。ちょうどフリーだったし、なんとなく人肌は恋しいけど恋愛したいって気分でもなかったし、顔はいいから抱かれても嫌悪対象にはならなそうだったから、っていう薄い理由で。
和也にしても、そんなあたしの感情を感じ取った上での誘いだったのだろう。要はお互いに後腐れなく遊べる相手──って感じだろうか。つまり、あたしと和也の関係は、セフレって形が一番近いのだと思う。
とはいえ、和也の狙い通りとはゆかず、セフレってほど頻繁に遊んでいるわけでもない。会ったの、一年半で二桁にも満たないし。
ちなみにあたしはビッチってわけではない。ビッチの定義なんて人それぞれ過ぎて、誰かさんから見たら立派なビッチに見られるのかもしらんけど。
ただ彼氏以外と肉体関係持ったのはこれが初めてだし、そもそもその彼氏という存在自体、今まで二人だけだし。
セフレって聞くと、なんかバカで都合のいい女が男に利用されてるってイメージされるかもしれないけど、あたしと和也の場合は完全に逆である。頻繁に誘ってくる和也からの連絡をほぼほぼガン無視し、たまに無性に人肌が恋しくなった時だけこの関係を利用させてもらってるってだけの、セフレと呼ぶにしてもさらに薄っぺら過ぎる関係だ。
この日も、放課後に無性に人肌が恋しくなってしまう出来事と遭遇し、そんな時ちょうど都合よくこいつからお誘いのLINEが入ったから、ま、いっか、って和也のマンションに寄ったのだ。
気分が満たされたらすぐ帰るつもりだったのに、寝落ちしてしまった、まだ保護対象である高校生でしかないあたしを起こしもせず、そのまま部屋に泊てめしまったこいつのせいで、朝からこんなに慌てる羽目になってしまった。それが、現在起きてる事の顛末ってわけ。
ふぅ、と息を漏らしシャワーを止める。乾かすほどの時間は無さそうだから、髪を洗えなかったことは悔やまれる。とはいえそこそこの爽快感は得られたし、まぁ良しとしようか。
浴室から出て、水気を取ったバスタオルで包んだ身体は、程良く温まってほんのりとピンク色に染まっている。元々のスタイルの良さに加えた艶やかさに、我ながら惚れ惚れしてしまいそうまである。自画自賛おつ。
「……あー。途中でコンビニ寄って下着とか買わなきゃかー」
しかし、バスタオル一枚で脱衣所を後にしたあたしは、ベッドの脇に脱ぎ散らかされた服達を発見し、自画自賛真っ最中から現実に引き戻された。
「パンツとかブラくらいならあっけど、使う?」
「……使わないから」
誰のだよ。そんな出処不明な下着、使うわけないでしょ。
「そ? じゃあ靴下はー? それは俺ので良ければだけど」
「……いらない。うざい。もう時間ないから黙ってて」
「……へーい」
相手にするのも面倒なので、その場でとっとと着替えを済ますことに。湿ったバスタオルをそこら辺に放り投げて、気持ち悪けど少しの間昨日の下着を身に着けておくことにした。コンビニ寄るまでの我慢である。
そのまま制服も身に着け、スクールバッグから化粧ポーチを取り出すと、もう一度脱衣所へと足を向けた。時間はあまり無いけれど、最低限の
時間と戦いながら鏡の中の自分を少しづつ綺麗に整えつつ、朝目が覚めてからずっと胸に燻っているモヤモヤと一緒に、こんな思いを人知れず吐き出すのだった。
「……そろそろ、かなぁ」
なにがそろそろなのかは言うまでもない。この関係性が、だ。
こんな歪んだ人間関係なんて、いつまでも現状維持のままでいられるはずもなく。そもそもこんな関係が一年以上続いているのが、ちょっと異常なのかもしれない。
人間関係とは、どんな綺麗なカタチの物であれどんなに歪んだカタチの物であれ、速度の違いはあれど、変化というものを余儀なくされるものである。
もちろんあたしとこいつの異常な関係だって、最初の頃と現在とではそれなりに変化しているし、その終焉がもう間近に迫ってきているのも、最近では肌で感じている。
その『終焉』が、関係性の崩壊なのか、それとも別の形への構築になるのかは、まだちょっと分からないけれど。
そんな変化のカタチを如実に表しているのが、今まさにこの時。着替えを終えてメイクも終えて、足早にこの部屋を出てゆこうとしているあたしに掛けられた、和也とのこんなやり取りの中に潜んでいる。
「……じゃ」
「……あ、ちょっと待てって。一言も無しで行っちゃうとか、いくらなんでもさすがにドライ過ぎでしょ」
「じゃ、って言ったけど」
「それ一言じゃなくて一文字じゃん。あ、活字に起こすと二文字か」
そう言う和也は、困ったような苦笑を浮かべていた。
「……時間ギリなら、学校まで送るけど?」
「勘弁してよ。あんたの自己主張強めの車なんかで送られてるとこ知り合いに見られたら、恥ずかしくて次の日から学校行けなくなるっての」
ホント、なんで自意識過剰な男ってのは、これ見よがしに外車とか乗りたがるんだか。しかもオープン。ホント勘弁してほしい。
「はは、ひでーな」
「そういうわけだから。じゃあね」
「お、一文字から三文字にランクアップした」
「……しょーもな」
そしてあたしは玄関を開ける。いつまでも構ってあげられないのよ。暇な大学生と違ってね。
ようやく下らないやり取りから解放されて、玄関を潜ろうとした時だ。和也は、いつになく真剣な声色で、あたしにこう言葉を投げ掛けてくるのだ。
「……あの、さ。……次、いつ会えっかな」
「…………さぁ。またそういう気分になったときじゃない?」
「……あはは、だよな」
そう言った和也は、また困ったような顔して笑ってた。
──そんな和也の顔を見て、なんとも言えない陰鬱な感情を胸に抱きつつ、でもそれを心の奥の見えないとこに一旦押し込めて、あたし
× × ×
「おはよー」
「お、紗弥加だ、おっすー」
「紗弥加おはー」
「紗弥加ちゃんおはよぉ」
いつもの教室に入り、グループの中心人物一色いろはの席がある、グループの溜まり場所である窓際後方へ向かっていると、慣れない世界からようやく慣れ親しんだ世界に帰ってきたって感じ。朝のSHRが始まるまでの、クラスメイト達が作り出す弛緩した喧騒の中、教室入ってこいつらと挨拶を交わすと、なんだか無性にホッとする。
なんか正気を疑う理由で身の丈に合わない大学を目指し始めた、最近勉強するときは眼鏡かけて参考書と向き合っている、中学からの親友の香織。
同じく中学からの付き合いで、性悪腹黒のわりには一途な恋愛を続けている智子。
高ニになってから一旦クラスは別れたものの、何の因果か三年でまた同じクラスになってしまったこいつらと、下らない会話交わして馬鹿みたいに笑い合っていると、憂鬱だった気分が不思議と和らいでいく。
あ。あと忘れてたけど襟沢もね。こいつだけ三年に進級してもクラスは別のままなのに、空き時間の度にあたしらんとこに来ててうざい。たまに居るよね、うざいけど憎めないやつ。むしろ一周回って可愛いのかと錯覚しちゃうタイプなのかもしれない。
とにかく、こいつらと居ると、なんかお婆ちゃんと縁側でお茶でも飲んでるみたいに落ち着くんだよなぁ。こんな気持ちになれる友達との出会いなんて、人生の中で早々あるものじゃない。他のどんな関係性が変化して無くなっていったとしても、こいつらとの頭の悪い腐れ縁という関係だけは、出来ればずっと大切にしていきたい、なんて、些か恥ずかしい事を思うあたしだった。
もっとも、今はちょっとだけ落ち着かなかったりする。この中で一人だけ呆れたように目を細め、意味ありげにこちらに視線を投げつけてきてるやつがいるから。言わずもがな、朝一で口裏合わせをお願いしたあいつである。
今はピュア軍団が居るから追求はまたあとにしといてね、と、軽く手を合わせて視線だけで訴えかけると、智子もはいはいと視線だけで返してきた。さすがは長い付き合いの親友だけはある。
「あれ? そういえばいろはは?」
と、慣れ親しんだ安心感と、悪友からの痛い視線を受けた居心地悪さにすっかり忘れてたけど、どうやらこの場には、この大事な関係性の中にあって、これまた大事な
一色いろは。総武高の生徒会長であったり、あたし達のグループの中心だったり、濃すぎる前三年生が巣立っていった今、校内一の有名人だったりする。
そんないろはは、二ヶ月前に行われた、今や伝説として語り継がれているあのやらかしプロムを経て、すっかり受験勉強の虫と化していた。それはそうだろう。大観衆の前で身の丈に合わない進学先の大発表会をしてしまったのだから。
相変わらず生徒会活動には真面目に派手に取り組んではいるものの、空いた時間を見つけては香織と共に智子からのご教授を受けている。
授業の合間の休み時間や昼休み。もちろん朝のHR前のこの
まぁ、昨日は放課後にたっぷり
「いろはちゃんならもう来てるよぉ?」
なんて思っていたところ、襟沢からそんな情報が
「いろは、いま呼び出し食らってんの。噂のイケメンくんから」
「あーマジか。そっかー。いつくっかなとは思ってたけど、やっぱ来たかー」
噂のイケメンくん。たったこれだけの情報量で全てを理解してしまうほどには、今やあたし達のあいだでは、この話題はごくごくありふれた話題なのである。
──やらかしプロムで文字通りやらかしたいろは。あの雪ノ下先輩と由比ヶ浜先輩に宣戦布告してまでの、彼氏と想い人の堂々略奪宣言。あの日以降、目に見えていろははモテなくなった。いや、正確には男子から言い寄られることが極端に減った、といえる。
それはそうだろう。なにせ
それが噂として校内を駆け巡ったあとに、一体どんな勇者がいろはを口説ける勇気が持てるというのか。
故に、今までいろはに密かに想いを寄せていたであろう男子諸君は、これをもって完全に沈黙したのである。その代わりにあたし達グループメンバーへの告白は増えてしまった気がする。まったくもって迷惑な話だ。
……しかし、それはあくまでもプロム時点の在校生に限られる。
プロム後に入学してきた若駒達は、そんな事件は知らない。部活等の繋がりで上級生からそんな事件のあらましを聞いていたのだとしても、
中坊上がりのまだまだ可愛い少年達とはいえども、中学時代からモテ男として名を馳せてきたであろう自意識過剰で血気盛んな男子──つまり恐れを知らないイケメンくん達が放っておく手はない存在なのだ。
そんな高嶺で憧れの花となったいろは。元々の在校生からの告白は無くなったのだが、勘違い新入生からの勘違い告白は、すでに何度か数えられている。
そしてここにきてのこのお話。
爽やかに整った笑顔。入学からまだ二ヶ月だというのに、早くも次期サッカー部エースと目される程の運動神経。なんか一部では葉山先輩以来の逸材なんじゃない? なんて噂もちらほら上がっているらしい。
偶然ながらチラッと見た限りでは、さすがに葉山先輩と比べるのは可哀想かな、とは思ったけれど、まぁ女子達がきゃーきゃー騒ぐのも分からないでもない。あの爽やかそうなイケメンぶり、未来の和也の有望選手って感じ。
そんな噂のイケメンくん、仲間内ではいろは先輩LOVEを公言しているとのこと。仲間内の話題が校内に広がっている時点で、彼の中では最初から仲間内だけの話題などではなく、いろはに意識させようと自ら意識的に触れ回ってる
だから早晩動きがあるのだろうと思っていての、この話である。
イケメン好きでステータス好きのいろはなら、あの話題のイケメンが相手なら、そろそろ
でも、今はもう結果は知れている。だからこそ、あたしが登校してからいろはの不在を指摘するまで、メンバー内で特に話題にも上がってなかったのだろう。話題にするまでもない、日常茶飯事の
香織なんてあたしと挨拶交わしたあとは、いろはの話題など目もくれず、また眼鏡かけ直して頭抱えて、「ウッキー!」とか奇声発して参考書との格闘始めてるし。ホントお前どれだけ必死なの。
じゃあまぁそういうことならいろはの帰還もそう遅くはならないだろうなと思っていたところ……
「ただいまー。あ、紗弥加も来てたんだ、おはよー」
案の定、うちの姫がさくっと帰ってきた。普通の高校生なら一大イベントであるはずの告白という一大イベントなのに、まるで何もなかったかのように。
「おはよ、いろは」
だからあたしもまるで何事も無かったように、いつもと変わらぬ態度と声で、そう返すのだ。
──こうして、今日も心休まる慣れ親しんだ毎日がスタートする。
× × ×
「で、で、どぉだったのぉ!?」
いろはの態度から、てっきり流すものかと思われていた──説明するのも面倒たから流せと無言の圧力を掛けられていた──
しかし如何せん、うちらのグループには、空気が読めない──いやさ空気という物の存在すら知らないんじゃないかと思わせる程のアホの子が居るのだ。
期待に満ち満ちたきらきらな表情で、席に座ったいろはに真っ先に食い付いた。
当然あたしと智子は顔を見合わせ苦笑い。香織は相変わらず強敵との格闘中である。あんたホントブレないね。
そんな空気を知らないアホの子へ向けて、いろははとびっきりの笑顔を向けた。
「あれ? えりちゃんなんでクラス違うのにまた居るの? まだ居るの?」
「ひどいっ!? 私達親友だよね!?」
「え? そうだったんだ。なんかわたしとえりちゃん、親友って概念に対する認識に大きな隔たりがあるみたい」
「ひどいっ!? ね、ねぇねぇ、香織ちゃんからもなんか言ってやってよぉ!」
「え? あ、うん。そだね。聞いてなかったけど」
「聞いてないのになんで同意したの!?」
「ところでゆんゆん、今いいとこだからちょっと静かにしててくんない? 親友(笑)なら分かってくれるよね。ねっ、親友(笑)」
「聞いてるじゃん! それ、超聞いてるよ!? ゆんゆん、ってなに!? あとなんで親友の後に(笑)付けるのかな!? そろそろ私泣くからね!?」
──ああ、やっばいなぁ。
あまりにもいつも通り。あまりにも慣れ親しんだこいつらのしょーもないこのやり取りに、どうしょうもなく安心を感じてしまう。
最上級生ながらに相変わらずマスコットキャラが定着してしまっているアホをからかって、にやにやと楽しんでるいろはと香織。
そんな二人に散々遊ばれて、「うぇ〜ん」と立ち上がって自分のクラスにでも走り去っていくのかと思いきや、結局その場に留まりむくれる襟沢。
このありふれ過ぎた日常の風景を見て、不覚にもにまにまと口元が弛んでしまっているあたしは、どうやら自分が思っていた以上に心が肌荒れを起こしていたらしい。
「……ねぇねぇ、紗弥加」
と、そんな時だった。楽しんでるあっちの三人には聞こえないよう、気付かれないよう、そっと智子があたしの耳元に囁いてきたのは。
「……ん?」
なんて疑問形を口に出してはみたものの、まぁ、これはあれだろう。あっちはあっちで盛り上がってるから、こっちはこっちであの件をこっそり話さない? ということ。
「……とりあえず結論から言っとく。今日は放課後友くんとスイパラ行く予定なんだけど、仕方ないからそっち早く切り上げて、夜は紗弥加んち行ってあげっから。んで、そんとき紗弥加のお母さんに上手いこと言ったげる」
「マジ? あんがと。助かる」
「いいって。友くんち泊まる時はいつもお世話になってるし、ま、こんくらいはね」
「そか。さんきゅ」
「ん」
これで伝えたいことはお仕舞い、とばかりに、とてもとても短い返事で会話を締めた智子。でもその表情からは、伝えたいことの終了なんていう空気は全く感じられず……
彼女は、なんとも複雑で、なんとも微妙そうな表情をしていた。なにかを言いたい。なにかを伝えたい。でも、そこに踏み込んでしまうのに躊躇している。そんな複雑な感情。
正直、智子がなにを言いたいのかも、なにを躊躇しているのかも解ってる。それを言いたい優しさも。それを躊躇う優しさも。
だから──
「ねぇ智子」
「……んー?」
「なんか言いたいことあんでしょ。言いたいこと分かってるし、なに言われても別にやじゃないし、いいから言ってみ?」
「……んー」
あたしからのお誘いに、智子は躊躇いながらも、ようやく重い口を開く決心をしてくれたらしい。
「……あのね、……いつまで今の関係続けんのかな、って」
「……和也との?」
「……ん」
「……あはは、だよね」
和也とのあまり綺麗ではない関係を初めて智子に話したのは、関係が始まってから三回目の夜だった。
今日の朝帰り程ではないけど、かなり帰宅が遅くなってしまい、親に叱られる面倒を考えて、親が信頼しているあたしの友人関係の中で、唯一ソッチ方面に理解がありそうだった智子に口裏合わせをお願いしたのが始まりだ。
打ち明けたとき、最初はさすがに呆れてたけど、生理的嫌悪とかは示さず、正論言って説得してくるとかもなく、友樹との口裏合わせをよくあたしに頼んでた手前もあり、深く追求はせずお願いを聞いてくれたのだ。
でも分かってた。本当は智子がなにも感じてないわけ無いって。だってこいつはこう見えて、中学時代からずっと一途な恋愛を続けてる、腹黒に見せ掛けた腹白なのだから。
長い付き合いの友達が、知らない大学生と
どうでもいい友達だったらただのネタとか笑い話で済む、セフレだとか不倫だとかパパ活だとか。
しかしそれが
エゴでしかないけど、少なくともあたしは、大切な友達からは爛れた性事情を匂わせて欲しくはないのだ。
でもそれはつまり、あたしはそれを智子に共有することを強いてしまっていたってことを意味するのだ。自分がされたら嫌なのに、友達の智子にしてしまっていた。その事実が見えなくなるくらい、智子の気持ちに甘えてしまっていた。
なんだか、途端に申し訳なくなってきた。と同時に、途端に自分が汚い物に感じてしまった。今まで智子に、汚い物を見る目で見られてたのかな、って。
そんな思考が頭を掠めてしまって、己の不甲斐なさに歪みそうになってしまった顔に、笑顔を──苦笑を貼り付けて空笑いすらくらいしか出来ないでいた。
「あ、勘違いしないでね」
そんな情けない感情が態度に出てしまっていたのだろう。智子はあたしに誤解を与えないよう、汚い物を見る目などではなく、まるで身内にでも向けるかのような、とても暖かい目であたしを見ていた。
「別にね、セフレが悪いって言ってるわけじゃないんだ〜。別にいいじゃんセフレ。ビバセフレ。自分が満足してて自分が楽しめてるんなら」
「……えぇ、そう?」
自分がしていることなのに、自分が築いた関係性なのに、親友で悪友の智子に『別にいいんじゃん?』と肯定されて、逆に『そうか?』と眉を潜めて訝しんでしまった。
「そうそう。そこに愛はあるんか〜? とか、超余計なお世話ってカンジ。あるじゃん、愛。相手に対してじゃなくたってよくない? 肉欲? って言うんだっけそういうの。その欲に対して忠実な自己愛っていう愛が、さ」
「いや肉欲て」
おかしい。わりと真剣でセンシティブな話をしてたと思ってたのに、悪友のドヤ顔な悪い笑みに、いつの間にか当の本人が苦笑いしてしまう可笑しな状況というね。
「だから今までは紗弥加のしたいようにすればいいんじゃん? とか思って放っておいたんだけどさ。ま、もちろん呆れてはいたけど」
「やっぱ呆れてたんじゃん」
「そりゃねー」
そう言って、智子はけたけたと笑った。
しかし彼女は、あたしに向けていた視線をふっと外すと、まだあっちで楽しんでいる三人に向け、ふんわりと微笑む。
そして、「でも、さ」と、こんな台詞へと紡ぐのだ。
「……さっき、あいつらのほんっとにしょーもないやり取り見てる紗弥加の顔見ちゃったらさ〜。なんか、違うのかな、って」
「か、顔? ……違うってなにが?」
「そ。だってさ、普段の紗弥加だったらあの程度のコント見ても、あんな顔しないじゃない? あんな安心しきったにまにま面」
「……う」
……それは確かに自覚ある。なんか今日は我ながらキモいくらい、にまにましちゃってんなぁ、とか思ってた。
自覚はあったけど、その締まりの無い顔を智子に見られてたのかと思うと、ちょっとハズい。
でも、それと智子の言う『違う』とは、なにが繋がるのだろうか。そう首をひねったあたしに、こんな、まるで目からウロコが落ちるかのようなアンサーが叩きつけられるのだ。
「……見慣れた下らないコント見てあんなに安心しちゃうってことはさ、…………それってつまり、
「……ああ、そういう」
「そそ。……私はさ、紗弥加が満足してるんなら放っておこうかと思ってたけど、でもそうじゃないんなら、やっぱ友達として一言くらいは言っとこうと思ったわけ」
「……そっか〜」
うん、そうだ、と彼女は笑う。そしてもう一度、あたしの目をしっかりと見て言う。
「付き合いの長い親友としてはさ、やっぱ紗弥加には楽しんでてもらいたいわけなのですよ。友達がつまんなそうにしてると、私もつまんないじゃん? だから今日は一言物申したってわけ。じゃないと、私がつまんないから」
と。
……そっか。『大切な友達の乱れた性事情は知りたくない』は、あくまでもあたしのエゴ。
でも智子のエゴは、あたしなんかよりよっぽど大人みたいに達観してて、あたしよりもずっと子供の我儘じみている『満足してるなら好きにすればいいけど、友達がつまんないと自分もつまんないからやだ』なんだ。
彼女は、彼女のエゴを忠実に貫いていただけ、ということ。
もちろん自分がされたら嫌なことを、知らず知らず智子に強いてしまっていたというモヤモヤが消えるわけではないけれど、でも、少なくとも智子に汚い物を見ている目を向けられていたわけじゃなかったんだなぁ、とか、あたしが楽しんでないと朋子もつまんないんだなぁ、なんてくすぐったさが、モヤッていた気分をめっちゃ軽くしてくれた。
「てなわけで、私は今の状況のままだとつまりません。よって改善を要求します」
「い、いきなりだな〜。改善……かぁ」
「そ。ま、私はさ、紗弥加がなんでそんな爛れた関係になってるとか、なんでそこまでして人肌求めちゃってるのかとか、そこらへんの理由教えてもらってるし、多少は理解もしてるつもり。だからいきなり関係終わらせちゃいなよとか、いっそちゃんと付き合ってみちゃえば? とかは言えないんだけど〜──」
「待って? ……えぇ、付き合うぅ……?」
「ん? なんか変なこと言った? だって金持ってるしデザイナーズマンションとか住んでるらしいしいい車乗ってるらしいしイケメンだしで、女遊びが過ぎるってとこ以外は超優良物件じゃん。意外とちゃんと付き合ってみたら悪くないかもしんなくない? 私としては紗弥加が楽しきゃなんでもいいわけだし、試しにちゃんと付き合ってみて、紗弥加が楽しめれば万々歳なんですよ。だって、都合のいい人肌捨てちゃうのも勿体ないでしょ?」
「その発想はなかった」
「逆に、それこそ今この瞬間に連絡入れてバイバイしちゃうのもアリだしね。で、今度は素敵なガチ彼みつけんの」
「……あはは、それが出来ないからこんなんなってんだけど」
「それな〜! ま、なんにせよ──」
と、そのとき、校内に予鈴の音色が響き渡った。これが鳴ってしまえば、朝のSHRまでの時間は残りわずか。この話し合いの終了の合図である。
「お、もう時間か〜。じゃ、この件はこれでお仕舞いってことで」
「いやいや、言い掛けのままとか気になんじゃん。なんにせよ、なに?」
「あ、気になっちゃうカンジ〜? じゃあこれだけ言っとこうかな」
そう勿体ぶるように、彼女は嗜虐的に笑んだ。
「なんにせよ、紗弥加超モテんだから、その気になれば選り取り見取りっしょ。だから気楽に気長に構えて、満足して楽しめる素敵な彼氏作んなよ! ってこと。ま、友くんみたいな最高の彼にはなかなか巡り会えないんだけど〜」
「なんだよ最終的には惚気けたかっただけかよ、ウッザ〜」
それにげんなりと応えたあたしの顔からは、朝のモヤモヤもついさっきのモヤモヤも、なんだかどこかに吹っ飛んでいた。なんかもう人肌恋しさ埋めてくれる
「ほらほら絵里〜、HR始まる前に早く帰んないと、よりクラスで浮いちゃうぞ〜」
「ヒッ……! ……いやいや待って? 私べつに浮いてないし!?」
別クラのくせに未だこの場にどしんと居座り、いろは達との談笑を続けていた襟沢の背中をばしんと叩いて軽くイジりながら、教室の廊下側前方にある自分の席に戻ってゆく智子のショートボブが、とても楽しげにさらさら揺れていた。
まだごめんもありがとうも言えてないけれど、それはまた次の機会まで取っておくとしよう。智子の言うところの、自分自身がちゃんと満足出来て、ちゃんと楽しくなれたその時に。
おっとやばい。すっかりと気持ちが軽くなって、そんな感慨に耽っていたら、廊下の向こうからドカドカとガサツな足音が聞こえてきた。そろそろ担任の厚木が到着するのだろう。
あたしもとっとと窓際前方にある自分の席に戻らなければと、行動を始めようとした時だった。不意に、とても愉しげなハミングが耳に届いた。
「〜♪」
ふとそちらに視線を寄越してみると、そこにはご機嫌な鼻歌と共に、楽しそうにふわふわ揺れる亜麻色の髪。
よほど昨日の勉強会が楽しかったのだろう。
正直、ついさっきまでのあたしなら、この艶々な亜麻色の綿あめのダンスには、ノーコメントで席に戻っていたと思う。でも今は智子のお陰で多少の余裕が出てきたから。だから今なら、この後この子が見せてくるであろう目が眩むほどの笑顔にも、きっと耐えられる、はず。
「お、いろはご機嫌じゃん」
だから、席に戻るための歩を進めたままに、彼女の肩をぽんと叩いて笑い掛けたのだ。
「よっぽど昨日の勉強会楽しかったんだ〜」
と、ね。
すると一色いろはは言いました。あたしの予想通り、いや、それをも超えた輝く笑顔で、この一言を。
「んー? まぁ、ね。普通よりのまぁまぁかなー」
と。
そんなドライな台詞とは裏腹に、ほんのりとした朱色を可憐な頬に添えて。
うわ、前言撤回。耐えられなかった。
あぶない。眩しすぎて、危うく目を逸しかけてしまった。
そんないろはに、にっこりと笑顔だけで返事をして、急いで席へと戻るあたし。軽くなりかけていた胸のモヤモヤが、ほんの少しだけ鎌首をもたげてしまった。
そう。あたしは昨日の放課後、学外で偶然いろはと遭遇したのだ。その遭遇は、あまりにも眩しくて、あまりにも胸を締め付けられて。
あまりにもくらくらし過ぎて、ニヶ月ぶりに和也という都合のいい人肌をつい求めてしまうような、そんな遭遇だったのだ。
──そしてあたしは、横柄に扉を開けてどすどすと登壇し、煩わしく五月蝿い声でHRを開始した厚木の、ビジネス臭くてわざとらしい広島弁を聞き流しつつ、頬杖をついて窓の外の景色をぼんやり眺めながら、昨日の放課後の記憶へと思い馳せるのだった。
続く
というわけで最後までありがとうございました!
いろはす生誕祭に3年ぶり投稿したら、なんか久し振りの執筆が楽しくなってきてしまいまして、コレでなんと4回目の投稿となりました。びっくり。
コレを最後まで読んでくださって、しかし香織成分が足んないよ!っていう読者様がいらっしゃって、尚且つ先日投稿した裏の短編集を知らない、気づいてない、という方がいらっしゃいましたら、ここで香織短編新作(とってもドイヒーな内容☆)をご覧になって下さいませ!
https://syosetu.org/novel/156379/10.html
さて、今回のスピンオフ、まさかの紗弥加視点でのスピンオフとなりました。今回、一人称を私→あたしに変更。そして一応イメージを。
【挿絵表示】
たぶん読者さんからしたら大学生編とかが読みたかったんじゃないかなー、とは思うのですが、今それに手を出しても確実に100パーエタるので、ぶっちゃけ『あざとくない件』は書く気はありませんでした。
しかし先日投稿した作品にて、読者さんの感想の中の『あざとくないスピンオフ』という文字を発見し、あ、スピンオフなら書ける!と、こうして書いてみました。
で、実は以前からこういう爛れ系ヒロインを書いてみたかったので、あざとくないオリキャラの中で一番キャラの掘り下げが出来ていない&一応設定上は性に寛容で大人っぽいキャラだった紗弥加に白羽の矢が立った!って感じで、今回のスピンオフと相成りました。
今回は紗弥加視点からの紗弥加&智子回となりましたが、次回後編は紗弥加視点からのいろはす&香織回となります!
今月中は無理だと思いますが、来月中には投稿出来ると思いますので、もし宜しければ待ってて下さいね☆