「さって、ここいらまで来ればさすがに大丈夫だろ……」
ぼっち特有の独り言を呟きながら、八幡は念の為にと周囲の様子を伺い、ようやく足を止めた。先程ソウジロウ達の戦闘に介入した後の5分ほどの間、急いでその場を離れようとずっと動き続けていたのだ。
(これでようやくゆっくりと考えられるな)
〈アキバの街〉でソウジロウ達を見つけて以降、深く思考する間もなく動いていた為、本来もっと早くに行っておくべきだった事、この世界についての考察が先送りになっていた。
(まず確実なのは、この世界が今日の朝まで俺がいた世界とは違う世界である事。しかも〈エルダー・テイル〉によく似た世界だって事だ)
(周りの風景、自分や他の人間の服装、メニューバーやステータスバー。それに加えて、現実ではセタ以外に会ったことがないのに存在していた〈西風の旅団〉のメンバー。例えば単なる夢だって可能性がゼロな訳じゃないが、あまりにもディテールが細かすぎる。……まあ、俺の妄想力が天元突破した可能性も否定できんが)
ぼっちの固有スキルである〈妄想〉の可能性は消しきれなかったものの、八幡はあらためてこの世界が(少なくとも現実世界ではないという意味の)異世界であるという認識を固める。
(問題はここが一体どれだけ〈エルダー・テイル〉に近い世界かということだ。少なくとも〈アキバの街〉の構造はそのままだったし、俺のステータスや所持アイテムもゲーム時代の記憶との差異は感じられない。……後、相変わらずフレンドリストの登録人数は少ない。異世界でも俺、マジぼっち!!)
それでも、現実世界における八幡のスマートフォンの電話帳の登録件数よりはずっと多いのだが。なお八幡自身は知らないものの、逆に八幡をフレンド登録しているプレイヤーは何気にかなり多い。居場所を尋ねると「えっ?誰それ?」と聞き返される現実世界とは違い、〈エルダー・テイル〉における八幡はそこそこに有名なプレイヤーなのである。
(逆にゲーム時代と違っている所。まずは当然、俺達プレイヤーはモニター外から操作しているのではなく、現実に意識を持った〈冒険者〉として活動しているという事。また、体力は大幅に増えているのは間違いないが、肉体や精神には疲労が溜まるらしい。それならおそらく、食欲や睡眠欲という物も存在するだろう。というかすでにちょっと喉が乾いてるし)
喉に乾きを覚えた八幡は、いつもの癖でズボンのポケットに手をやり、周辺をキョロキョロと見回した所で衝撃の事実に気付いた。そう、この世界には自動販売機などという気の利いた機械はなく
「MAXコーヒーが飲めない……だと!?」
思わず自分の口から飛び出た衝撃的な事実を前に、八幡はその場に膝から崩れ落ちる。千葉県民のソウルドリンクであるあのMAXコーヒーが飲めないなど、八幡にはとてもではないが耐えられない事であった。さらに言うなら
「小町のメシも食えない……だと!?」
当然この世界には彼の妹である比企谷小町も常備されていない。千葉の兄妹の兄の方である彼にとって、愛する妹に会えない事と、その妹が作る料理を食べる事が出来ないというのは、世界が崩壊したのと同義である。
膝立ちの姿勢すらも支えられなくなった八幡は、地面に両腕を突いて項垂れる。……〈冒険者〉の肉体になっても、どうやら精神力は強化されないらしい。
「ふぅ……、ぼっちじゃなかったら即死だったな」
10分後、八幡の意識がようやく再ログインに成功した。そう、あの雪ノ下陽乃をして"理性の化け物"と言わしめた八幡だからこその、10分での復活。リア充なら人格崩壊を起こすまである程の出来事であった。
(しかし、MAXコーヒーや小町のメシが食えないのは、この際仕方がないとして。……いや、全然我慢ならない事なんだけどね)
(実際問題この世界では、おそらく食事が必要だ。現在の俺は明らかに空腹を感じているし、ついでに言うとまあちょっと御手水に行きたい気がしなくもないので、おそらく出るもんも出るんだろう。はいそこっ!下品だとか言わない!生理現象は生きていれば誰にでもあるんだから、誰に恥じることもない事だからね!!……だけど、お食事中の人はほんとごめんなさい)
食事の事についての考えから、トイレというものの必要性にまで辿り着いた八幡。しかしトイレが必要だということは
(まさかそこら中で立ち○ョンするわけにもいかんし、この世界では衣食住の全てが必要になるという事だ。しかもそれらを手に入れるには、金を稼がないといけない。現状俺はそこそこに金を持ってはいる。しかしこのワケの分からん事態がいつまで続くのか、今の段階では不明。また、いつどういった事で金が必要になるかも分からん。出来る限り、手持ちの金には手を付けない方が無難だろう。つまり)
八幡は空を仰いで、そこに居るかもしれない誰か、この事態を引き起こした誰かに向かって怨嗟の視線を向ける。
(つまり、この『本物』になった世界で、モンスターと、俺達を殺そうと狙ってくる異形の生物達と戦わないといけないって事だ。自らの肉体と、この手に握る武器で……)
この世界は、平和を唯々諾々と享受してきた日本人にとっては、過酷で苛烈な世界になるだろう。
初めの内はゲーム感覚で過ごせるかもしれない。戦うのに慣れてくれば戦うのが、敵を殺すのが当たり前の様になるかもしれない。しかし、ゲーム感覚にもなれず、戦うのに慣れる事も出来ない人はどうすればいいのだろうか。
もちろん協調性の高い日本人の事だ。困っている人間が居れば誰かが助けてくれるかもしれない。食事を恵んでくれるかもしれないし、もしかするとお金すら与えてくれるかもしれない。しかし
(……俺は養われる気はあるが、施しを受ける気はない!よく分からないプライドだと言われようが、そんな事は断じて我慢ならない!専業主夫志望の名に賭けて!!)
八幡は決意する。この世界は元いた世界とは違うかもしれない。学生という立場もなければ、両親や教師による庇護もないかもしれない。それでも
(戦う事が必要だというなら、俺は戦おう。ただ自分の為だけに)
それでも、元の世界に帰るためには生きていかなければならないのだから。
(マイエンジェル小町や雪ノ下、由比ヶ浜。平塚先生やマイエンジェル戸塚や、一色。それに川、川島?と後ついでに材木座。あいつらは俺の友達じゃなかったが、突然俺がいなくなったら心配くらいはしてくれてるだろうし、ちゃんと無事に帰らないとな。……心配してるよね?頑張って帰ったのに、「あれ、あなた誰だったかしら?失踪谷くん、それとも蒸発谷くんだったかしら?」なんて言われた日には、泣きながら夕日に向かって走っちゃうよ?)
自分の頭の中で想像(妄想)した氷の女王の姿に、先程までの決意が少し鈍る八幡であった。それにしてもこの男、自分の思考の中だけでどれだけダメージを受けるのであろうか。
「……大丈夫だ、問題ない」
再び10分後、何かいけないフラグを立てつつも、八幡は再度復活を果たす。神は言っている、ここで死ぬ運命ではないと。
(ひとまずこれからどうするかだな。最優先事項は衣食住の確保、これは変わらん。まあ、衣についてはどうでもいいしどうにかなりそうだからいい。問題は食事と住居だな。〈アキバの街〉は〈ヤマトサーバー〉最大のプレイヤータウンだ。つまり人が多すぎる。……多すぎてぼっちが人当たりで死んじゃうまである)
それだけではなく、人が多い場所というのはその分トラブルも増えるのだ。うっかり巻き込まれる可能性は十分にある。
(しかし情報を手に入れるには、やはり近くにプレイヤーが多い方がいいだろう。ということはアキバから離れすぎるのも駄目。少なくともすぐにアキバまで戻ってこられるところってことになるな)
人が少ないがアキバから近く、そして寝床が確保できる場所。八幡には一つ心当たりが存在した。
(となると選択肢は一つだけだな。ゲーム時代から俺がホームタウンにしてた〈マイハマの都〉。あそこならメシ屋もあって宿もあるし、ゲーム内での土地勘はもちろん、リアルでの土地勘もある。そもそも〈ハーフガイア・プロジェクト〉で2分の1の距離になった地球が再現されているんだから、あそこ実質千葉だし。つうかあそこの城、どう考えてもディスティニーランドの城をパクってるよな。怒られちゃうよ?天下のディス○ィニーだよ?……なんでだろう。伏せ字にした方がむしろ危険に近づいた気がする不思議!!)
大変不穏な思考を続ける八幡だったが、ようやくに腰を上げ、行動を起こす。
(早目に移動を開始しよう。道中は出来る限り徒歩で行動しながらモンスターとの戦闘を行って、少しでもこの世界の戦闘に慣れるべきだろうな。幸い〈マイハマの都〉までは、少し遠回りさえすれば低レベルのゾーンだけを通っていける。もしもの時の回復薬なんかもかなりストックがある。……まあ普段から回復してくれる人なんかいなかったし。ぼっちだから)
八幡は地面を蹴り、その足を前へと進めた。向かうは東、目標は〈マイハマの都〉。
道中に現れたモンスターを屠りながら、八幡は目的地に向かってひたすらに突き進む。ゲームだった時の〈エルダー・テイル〉で自分が〈マイハマの英雄〉と呼ばれるきっかけとなった、因縁の街へと。
八幡を三人称視点で描くという無謀な挑戦。難しすぎてワロタw
次回はナズナ視点のお話ですが、長くなったので分割して前後編となっております。