「――――今度こそ、終わったのでござるな」
その言葉と共に、剣心はがっくりと身体を崩した。
ただでさえ、体力を限界まで酷使し続けていた。そのツケが、遂に来たのだった。
「おい、大丈夫か相棒!! おいって――――」
しかし彼の意識はもう、黒染めの中へと消えているようだった。完全に虚脱しきった剣心の身体を支えたのは、ギーシュだった。
「ケンシン!! 大丈夫かい? ケンシン!!」
ギーシュは狼狽しながら、叫んだ。こんなに憔悴しきった彼を見るのは、初めてだった。
それほどまでに、頑張ってくれていたのだろうと思うと、熱いものが込みあげてくる。
(やっぱりすごいよ……きみって奴は……!)
辺りを見渡しながら、ギーシュはそう思った。
周囲一面、埋め尽くさんとばかりにいた大軍は、向かっていた方向とは逆の方向へと去っていく。
本当に七万の軍を退けた。なんだか伝説の瞬間に立ち会ったかのような、そんな感慨深い思いにさせられた。
(ぼくは今、歴史に残る瞬間に立ち会っているんだろうな……)
「終わった……ようですね。どうやら……」
剣心と同じようなことを言いながら、ギーシュの元へ向かってくるのは『烈風』カリーヌだった。
彼女もまた、服はボロボロ、仮面は割れて半分に割れている。万全の彼女なら傷を負うこともなかったのだろうが……。極度の消耗が彼女に傷を許していた。
「あ、『烈風』殿!!」
ギーシュは彼女を見てこれまた驚きの声を上げた。『烈風』の伝説は子供のころから散々聞かされてきた。一線を退いたとはいえ、それでも伝説の騎士たる彼女でさえ、この惨状。
改めて、この血栓がどれほどすさまじいのかを肌で体感することとなった。
「敵軍は、皆帰っていきます。ぼくたちの、勝利ですよ!!」
「そうですか。良かった」
カリーヌは顔を綻ばせた後、ちょっと微笑みを浮かべて言った。
「これで、帰れますね。あなたも、わたしも」
「え? えっ。あ……」
そうだ。これでもう、連合軍の追撃も終わったのだ。敵ももう、攻めては無いことだろう。
ようやく帰れる。モンモランシーに会える。
そう思った時、不思議とギーシュの目に涙が溜まっていた。
「あ、いや……これはその……!」
「いいのですよ泣いても。その涙を恥じらうことはありません」
慌てて涙を拭くギーシュに、優しく諫めるカリーヌ。
今の彼女は、鉄面皮と普段から呼ばれるのとは程遠い、優しい佇まいをしていた。
「早く帰って御上げなさい。あなたを待つ者の下に」
「……はい!」
カリーヌの声に、ギーシュも力強く頷いた。そんな三人の下に、やってくる人影たちがいた。
「あ。あなたはあの時会いましたね」
「あっ!! きみは!! あの時の!!」
宗次郎の呼びかけに、ここでまたギーシュも反応した。宗次郎とは一度、ティファニア争奪戦の時に会っているのだ。
ここで宗次郎は、気絶している剣心を見て不思議そうな表情をしていた。
「珍しいですね。緋村さんがここまで疲労しているなんて」
「きみ、やっぱりケンシンを知っているのかい?」
「ええ。彼とは何度か手合わせしましたので」
微笑みをながら、宗次郎はギーシュにそう答えた。それを聞いたギーシュは目を見開かせた。
「えっ……ケンシンと闘ったことがあるのかい!?」
「だから言ったろ坊主。こいつ……セタの坊主は相棒と互角の実力者だって」
鍔を鳴らして答えたのは、デルフだった。しばらくギーシュは、何度も何度も剣心と宗次郎を見比べた。
こんな昼行燈のようなのほほんとした青年が、剣心と互角……?? まだ実感がわかないが、デルフが嘘をつくとも思えない。
「ほへぇ。やっぱりケンシンさん、ソウと同じくらいに強いんだ」
宗次郎の隣にやってくるのは、ティファニアだ。きめ細やかな金髪を、さらさらとなびかせている。月光の光に当てられて、妖精のような流麗さを漂わせていた。
そして彼女の後ろには、同じように金髪をしならせた純エルフの二人がやってきた。
「あ、アリィー……!」
ギーシュは少しどもったように片手を上げる。そう言えば彼とは、ティファニアを狙って争奪戦をしていたのだった。
しかし、今の二人のエルフは、少しさわやかな様子をしていた。
「えっと、ティファニア嬢とは、その……」
「ああそれか。――――もう終わった」
「え!?」
「なんかよく分からないけど、テファを攫う必要はなくなったようですって」
呆けた返事を出してしまったギーシュに対し、そう応えるのは宗次郎だ。
何でそうなったのかよく分からないけど、とりあえず彼らと争うことはなくなった。ということまでは何とか理解した。
「そうなんだ。まあ、それは良かったよ……」
では、なぜ彼らは付いてくるのだろうか? 疑問に思ったギーシュは尋ねる。
「あれ、じゃあ砂漠……だっけか? きみたちの故郷って。そこへ帰らないのかい?」
「まあ確かに、任務は達成した。帰っても良いのだが……」
「なあに言ってるのよアリィー!! こっからが大事なんじゃないの!!」
ここできゃいきゃいルクシャナが叫んだ。アリィーは静かに首を振る。
「蛮人たちの国にやってきたのよ。これから『知見を広めなくて』どうするのよ!」
「はいはい。きみの好きなようにしたまえよ」
そうしてアリィーは、次いでギーシュを見る。「察してくれ」と、目がそう訴えていた。
「はは……、やっぱりきみも大変なんだね」
「ああ、全くだ」
ルクシャナの態度は酒場である程度分かっている。故に心底同調した声で、二人の男性は頷き合っていた。
「ルクシャナ程じゃないが、それでも現状、ぼくらは蛮人のことを知らなさすぎる。きちんと理解せねばと、今夜の戦いで嫌というほど思っただけだ」
アリィーは気絶した剣心と、彼の頬をつつく宗次郎を見て言った。この二人は間違いなく『悪魔』由来の蛮人だ。その実力は、自分たちエルフよりも確実に高い。
だが幸いにも、この二人からは敵意が無かった。むしろ死に瀕した自分達を、命を賭けて助けてくれた。その理由をキチンを理解せねばならない。それが、今後のエルフの未来を決めると、そう思っていた。
「そうか。……まあ、エルフも何だか大変な事情があるんだね」
ギーシュもまた、そんなことを呟いた。不俱戴天の仇たるエルフの懐事情を慮るなんてこと、アルビオンに来なければ絶対になかったことであろう。
しかし…とギーシュは思う。自分はいいけれど、ハルケギニアの人々はそうはいかないことだろう。ついつい忘れてしまうが、人間にとってエルフは敵だ。
どうやって彼等を匿うとしようか……?
そんなことを思っていた時だった。
「そういう事であれば、あなた達も我が領地に来なさい。歓迎しますよ」
面を外したカリーヌが、そう言ってきたのだ。見れば彼女の肩には、いつの間にか鳥が乗っている。
「今、高速艇を一艇、こちらに寄越しています。それに乗ってヴァリエールの屋敷に、一度戻りましょう。あなたたちエルフのことについても、ちゃんと連絡をします」
どうやらエルフたる自分達も慮っての提案なのは、理解できた。アリィーは一瞬、カリーヌを見る。
「いいのか? 我々をかばうと後々うるさいではないのか?」
「そんなこと気にしませんし、させません。あなた達のことはよく知りませんが、共に窮地を乗り切った仲間を裏切ることは、杖に誓っていたしませんよ」
力強いカリーヌの声に、アリィーは一瞬圧倒されそうになる。彼女もまた、有象無象のエルフ位なら蹴散らせる力を内包させている。だというのに、自分たちに親身になってくれている。
蛮人とは、自分たちエルフを恨むか怯える者の二種類としか思ってなかったのに。ここに集まる者たちはそのどちらも当てはまらない。ルクシャナ程ではないが、アリィーもまた、蛮人……いや人間たちの心境に、興味を持ち始めた。
「いいじゃないの。こういうのを蛮人で言う『渡りに船』って、言うんじゃないの? お言葉に甘えましょうよ」
隣で聞いていたルクシャナは、臆面もなくそう言い放つ。アリィーは小さく嘆息したが、特に異を唱えず、小さく頷いた。
「すまない。では頼んでもいいか?」
それを聞いたカリーヌは、小さく微笑んで杖を上に掲げる。やがて杖先から、『ライト』の魔法が上空に向かって放たれ、大きな光となって弾けた。
どうやら、高速艇を呼び込むための目印代わりのようだ。
「良かったじゃないか。アリィー」
話を聞いていたギーシュは、そう言った。
アリィーもまた、彼に向かって頷いた。
「そうだな。――――っと」
「ああ。ぼくはギーシュだ。ギーシュ・ド・グラモン。これでもトリステインじゃちょっとした貴族なんだよ」
「そうか。ギーシュ。改めて、ぼくはアリィーだ。彼女はルクシャナ。よろしく頼む。出会いに感謝を」
アリィーはそう言って、ギーシュに手を差し伸べた。
ルクシャナから聞いた(彼女はビダーシャルから聞いたと言っていた)蛮人の仕草。もし友好を深める時はそれをすればいいと、教わっていたのが役に立った格好だ。
その意味を勿論知っていたギーシュは、満面の笑みを浮かべてその手に応じた。
暫くすると、月の光を遮って一隻の小さな船が此方に向かってきた。支柱の帆にはヴァリエール家の紋章が彩っている。
「来てくれましたね」
少し舟を漕いでいたカリーヌは、飛行船を見て両頬を軽く叩いた。眠っている剣心以外の一行もまた、視線を上空へと向ける。
「はえー。本当に船が空を飛んでますね」
それを見た宗次郎は、感嘆とした声でそう言った。
「ソウの世界って、船は飛ばないって本当?」
「船どころか、大陸が浮くって話自体、聞いたことありませんね」
アルビオンが上空三千メイルにある浮遊大陸だというのは、ここへ辿り着く合間に聞いてはいた。勿論、実感は出来ないのであるが。
「へー、あなたの国の船は飛ばないんだ」
隣ではルクシャナが懐からメモを取り出し書き留めている。その瞳は完全に研究者のそれである。
宙船が下降する間、こうやって各々勝手に情報交換をしていたのである。
「きみは確かケンシンと同じ国出身なんだってね。……ねえ、一つ聞いていいかい?」
「なんです?」
今度はギーシュが質問する。思えば、剣心と同郷の人間と話す機会はこれが初めてだ。宗次郎自身も含め、色々聞きたいことがあることだろう。
「きみの国でのケンシンって、どんな立場の人間なんだい?」
第三者から見た剣心はどんな人間なのだろう。あれだけ強いのだ。流石に彼の世界でもそれなりの評判はある筈だと思ったのだろう。
それを聞いた宗次郎は、しばし顔を上げて思考した後、こう答えた。
「どんな? かあ……。まあ一言で『最強』です」
「おぉ、やっぱりそうなんだ」
ギーシュはちょっと胸をなでおろした。住民全員が剣心レベルではないことに、ちょっと安堵を覚えた格好だ。
「方治さんから聞いたんですけど、彼はその気になれば僕の国で言う将軍の地位に上がれる実績とコネクションを持っているらしいんです」
それを聞いて、再びギーシュは唸った。まあ当然だろう。あれほどの強さなら元帥職に就いたっておかしくはない。父がその職にいるからこそ、より強くそう思っていた。
「でもそういったモノには目もくれず、今は弱い人々を守るために流浪人をやっているみたいですね」
「なんで? 勿体ないじゃない?」
ルクシャナが疑問の目を投げかけ尋ねる。さしもの宗次郎も、これにどう答えようか悩んだ末……結局お茶を濁した。
「僕もよく分かりませんよ。それこそ緋村さんに聞いた方が早いんじゃないかな」
「それもそうね。じゃあそっちは後で彼に聞くとして……じゃあ今度はわたしからあなたに一つ、質問するわね」
再び、ワクワクとした面持ちでルクシャナが質問した。
「あなた、何でそんなに速いの? 精霊の力を使っているようには見えなかったんだけど」
「あーそれ! ぼくも聞きたかった! きみももしかして飛天御剣流を極めているのかい?」
ここぞとばかりにギーシュも詰め寄った。アリィーも少し、いやかなりの好奇を持った視線で宗次郎を見た。
この二人は、宗次郎の強さの一端を間近で見ている。剣心人形を片手間で屠ったところを見ているのだから。興味を持つなという方が無理な話だろう。
なお、質問には宗次郎ではなく、代わりにティファニアが答える。
「あぁそれはね、しゅくちって言うらしいのよ」
「しゅく、ち……?」
ギーシュとエルフは首をかしげる。聞いたことない。それに反応したのは、デルフリンガーだった。
「あぁ『縮地』か。成程ね。やる奴は初めて見たぜ」
「コーチ!? 知ってるのかい?」
「あたぼうよ。こちとら伊達に六千年生きてねえぜ」
「……いつも『忘れた』としか言ってない気もするけどなぁ」
「うっせえ!! そう言う時だってあんだよ!!」
そう言いつつも、自称経験豊富な大剣は説明を始めた。
神速を更に超えた超神速『縮地』。
強靭な脚力で、初速からいきなり最高の速さに達する足の運びで、一瞬のうちに相手の間合いを侵略する幻の体技。
決まれば常人の目にはまるで『先住魔法』と錯覚するかのような挙動で、地脈を自在に縮め、距離を短くし、瞬間移動したかのように写ることからこう呼ばれる。
「相棒の動きを『目にも止まらぬ速さ』って例えるのなら、この坊主はその上『目にも写らねぇ速さ』ってところだな」
その話を聞いていた周囲の面々は、驚きを持った目で宗次郎を見ていた。
「へえ、詳しいですね。流石は六千年? 生きているだけありますね」
「まあな。流れている途中で下らねえことばかり覚えてきたからな。まあ、それでもさっき言った通り、実際にやる奴は初めて見たけどな」
デルフと宗次郎が和気あいあいと会話を続ける中、周囲は未だポカンとしている。
「本当に……ケンシンより速いのかい、彼……」
「まあ少なくとも、『飛天御剣流』と『ガンダールヴ』を足して合わせてもまだ、坊主の方が速いかな」
「わたしまだ、ケンシンさんのことはよく分からないけど……でも、ソウは本当に速いし凄いのよ。わたし、彼に担がれてここまで来たんだから」
補足とばかりに、ティファニアも説明した。しかもこの技、魔法ですらないのだ。
しばしギーシュとアリィーは、立ち上がって何度かステップを踏んでみた。「無理だからやめときな」というデルフの声で、正気に戻ったかのように二人は赤面した。
話を聞いていたルクシャナはそれはもう、残像のような動きでメモを書いている。
「『鍛えられた蛮人は目にも写らない速さで動くことができる』っと……。あなたたち蛮人は皆それできるの?」
「いやっ!? 無理だよ! ケンシンでさえ全然見えないのに……」
それはもうギーシュは首をぶんぶんと振った。正直彼らを基準にされたら、ハルケギニアの人間の能力を勘違いされそうだ。
「成程ねぇー。……ねぇ後さあ後さあ!! あなたにも聞きたいことが沢山あるのだけど!」
「え、わたし?」
ルクシャナの好奇心はとどまること知らない。その目を今度はティファニアへと向けた。
「あなたの母君は、どういう方だったの? なぜ、どうしてあなたはここで生を受けたのかしら?」
ティファニアはゆっくりと、自分の生い立ちを語り始めた。アルビオンの大公と、その妾だったエルフの女性との間に生まれたこと。それを嫌った伯父王が差し向けた手勢に、父 と母が殺されたこと。逃れた森での暮らし。そして、シェフィールドに攫われ窮地を宗次郎に助けられたことを……。
「母君の名前は、なんていうの?」
「父は『シャジャル』って呼んでました」
それを聞いたルクシャナは、クスリと笑う。
「わたしたちの言葉で『真珠』って意味よ。きっと、美しい方だったんでしょうね」
するとティファニアは、はにかんだような笑みを浮かべた。
「ええ。とても綺麗でした。といっても子供の頃だったから、ぼんやりとしか覚えてないんだけど……」
「調べてあげるわ。ここに来たエルフなんて珍しいから、多分何かわかるんじゃないかしら」
「ほんとうですか?」
「ええ。もしかしたら、あなたの親戚が見つかるかもね」
それを聞いたティファニアの顔が輝いた。アリィーを見た時は怖い思いしかなかったエルフだけど、こうして話せば分かってくれる者もいることに、安心を覚えたのだ。
「ありがとうございます!」
「いいのよいいのよ。わたしが知りたいからやっているだけだし」
ティファニアはふと、宗次郎の方に目をやる。そこでは自分の身の上話よりデルフやギーシュと会話する彼の姿があった。
「へー、緋村さんとは武器屋で会ったんですね」
「おうよ! 握られた時にはもう、ビビッときたね! ただもんじゃねぇって!! お前さんに握られた時もそうさ」
「なあソウジロウ、きみがいた国って、ケンシンみたいにすごい剣士って、たくさんいるのかい?」
「ええいますよ。ぼくが会った中では藤田五郎……いや、斎藤一さんという刺突の達人もいますし、後は四乃森蒼紫さんか。二刀流でかなりの使い手でしたし、何より――――」
ここで宗次郎は瞑目する。自分に生きるための理念と、強さをくれたかの人間を、頭に思い浮かべて言った。
「僕や緋村さん以上の強さを持つ人も、います。まあ、正確には『いました』ですけど――――」
「………本当に? え、ケンシンやきみ以上がいたの??」
「何というか、一言で人外魔境だな。お前の国というのは……」
それを聞いていたギーシュやアリィーは顔を引き攣らせていた。宗次郎も、「まあもう、この世にはいないんですけどね」と、少し寂しそうな笑顔で補足する。
さしものアリィーも、この時はまだ、宗次郎の言う『彼』が志々雄だということにはまだ、気付かなかった。
とまあ、そんな話をしている男子たちを見て、ティファニアはすこし不満げに頬を膨らませた。
(もう、ソウったら。わたしのこと、そんなに興味がないのかしら……)
別に、聞いたって楽しくない話なのは分かっている。だから、無理に知ってもらおうとは思ってない。
ない。けど……。
(わたし、ソウにどう思われたいんだろう……?)
そんなことを、考え始めるようになっていった。無視されると、なんか悔しいって思いが、胸の中で沸々と沸き上がってくる。
こうやってみんなと話すのは楽しいけど、気付けばついつい、宗次郎の方へと目線を追ってしまう。
十数年生きてきて初めて芽生えた感情なのは、確かだ。
するとそれを見ていたルクシャナは、ニヤニヤした笑みを浮かべていた。
「なあに、あなた、彼に興味があるの?」
「へえっ!!? あ、いや、あの……あうぅ……」
そう言われて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。顔はこれ以上ないくらいに上気し、胸は心臓の鼓動音がはっきりと聞こえる。
「いいわよいいわよー、そういうの! 蛮人とハーフエルフの恋事情! 研究的側面からしても、すごく興味があるのよ!」
「いやっ……でもわたし……そんなんじゃ……」
「ふうん。じゃあ彼とはなんともないの?」
「そ、そういうわけじゃ……」
ルクシャナの遠慮ない言葉に翻弄されるティファニア。この感情がどういうものなのか、まだ初心な彼女には扱い兼ねているのだった。
「でもね、きっとあなたの母も、そういう出会いを経てあなたを生んだんでしょうね。聞いてみても、仲睦まじそうな感じはあるし」
「そ、そうかな……?」
「きっとそうよ! だからあなたも頑張んなさい! そしてそういうのを、わたしにもっと見せて頂戴!」
なんかもう、『ティファニアは宗次郎に恋している』と決めつけているかのような口調だった。だが、それをまた強く否定することもまた、今の彼女にはできなかった。
ううう……、と顔を赤くして唸るティファニアと、そこここで話す面々に向かって、カリーヌは声を放った。
「皆さん。歓談もここまでにしましょう。どうやら、到着したようです」
隣でずっと剣心を看ていたカリーヌは、そう言った。それを聞いて、全員上を見上げる。
ボロボロになった高速艇が、ゆっくりと此方に向かって降下していた。
船底の形を見る限り、どうやら地面でも着地できる造りの船のようだ。船が下に降りるとともに、緩やかな風が全員に吹き付けていく。
「申し訳ございません公爵夫人! 遅れてしまって、このような船しか用意できず……」
「気にしていませんよ。その様子だと、向こうも相当の激戦区だったようね」
暗くて遠目では確認できなかったが、この船もまた、そこここに戦場の跡が残っている。帆も所々が裂けており、色褪せていた。
「ええ、敵軍の放つ『死竜』に、思いの外手古摺りました。……けど、旗艦『ヴェセンタール』号筆頭に、民間人を乗せた船は全て、アルビオンを出港できたとのこと。何とか峠は越えました」
「そうですか、良かったです」
「ええ、公爵殿の慧眼が効きましたね」
その声に、カリーヌは小さく頷いた。ルイズが戦場に出ると表明した時から、密かに軍の準備を、公爵はさせていたのだった。
戦争前に送った一個中隊はいわば先遣隊の役目も担っており、アルビオンの戦場の様子を逐一、ヴァリエール公爵に送っていたのだった。
そして降臨祭最終日、何か不穏な気配をそれとなく察した公爵は、一個連隊の出撃を決意。劣勢になるだろう連合軍の助太刀としてサウスゴータに向かわせたのだった。
『ヴァリエール軍が出撃するのであれば、わたしも行かねばなりませんね』
『いやいやカリーヌ、お前一体幾つになった? いい加減そんな無茶はだな――――』
『あらいやだ。何か聞こえたかしら? 風の音が強すぎて……えぇと、なにを話してましたっけ、わたしたち』
『いいえ、何でもありませんです。ハイ』
公爵夫人が出陣する。そうなった際上記のようなやりとりが夫婦内で行われていたのは内緒の話。
「結果的には良かったコトなのでしょうね」
「ええ、女王陛下や皇帝も、無事にこの大陸から脱したと連絡が入りました」
その中にはルイズやエレオノールも含まれている。そこまで聞いてようやく、カリーヌも硬い表情を少しだけ崩した。
「では、後顧の憂いなくここを去れますね。……課題は山積みですが」
追撃の七万は撃破したものの、結局、レコン・キスタという首魁を討ち取ることは敵わなかった。おまけにガリアの裏切り……。
トリステインは今後、どうなってしまうのか。そんな不安は今でも付き纏う。
『ハッキリ言ってやるぜ。トリステインは必ず近い将来、手を下さずとも動乱の波に紛れて消える。あんな、まともな王すらいない弱小国家にしがみついてなんになる』
『こっちに来い『烈風』。お前はあんな国にとどまって良い器じゃねぇよ』
あの悪鬼の声が、脳裏に響き渡る。正直、あの言葉を強く否定できる材料を、カリーヌは用意できなかった。
だが今はそれらの感情を振り切った。とにかく今は帰ろう。帰って考えるとしよう。
そう思ったカリーヌは、今度は宗次郎たちに、船の方を指した。
「では彼らも乗せてあげてください。大事な客人です」
「ハッ! ……って、エルフ!!?」
ここで騎士の一人がティファニアたちの耳を見て泡を食ったように叫ぶ。
慌てて杖を抜こうとする騎士に向けて、カリーヌの厳しい声が飛んだ。
「やめなさい。言ったでしょう。彼らは客人だと」
「し、しかし……エルフですよ!!? いいので……」
「再三再四言わせないでください。同じことを何度も繰り返すような鍛え方はしていない筈です」
徐々に冷えていく公爵夫人の声を聞いて、騎士も背筋を伸ばして対応した。
こうして宗次郎たち一向は、この小型船からアルビオンを去る運びとなった。
「うわあ。本当に大陸が浮いてるんですねぇ」
船端から宗次郎は、そんなことを呟いた。彼の眼前には、宙に浮く大陸がしっかと映っていた。
日本にいた時ではまずお目にかかれないような荘厳な光景。流れ落ちる水が大陸の下半分を覆い隠し、白の霧を作り出している。
水平線から陽がまた昇り始めたために、巨大な影が海一面を覆い隠していく。これを『絶景』と喩えなくて何であろう。
「わたしも、始めて見るなぁ。アルビオンの大陸」
隣ではティファニアもまた、そんなことを呟いた。
生まれも育ちもアルビオン育ちの彼女もまた、何気に白の国の全景を見るのはこれが初なのであった。
「色々あったけど、こうして終わってみると感慨深い気持ちにさせられるよねー」
宗次郎とティファニアの二人に向かって、そんな声が届く。
振り返ると、ルクシャナがいた。隣にはアリィーもいる。
「そうだな。一時はどうなるかと思ったが、無事に任務も達成したしな……ッ……」
ここでアリィーは、痛みで顔をしかめた。欠けた左耳を思わず抑えてしまう。
「あ、あの……大丈夫ですか……?」
ティファニアが不安げな声色で尋ねる。アリィーの左耳は、志々雄によって食いちぎられてしまった。血は既にティファニアの指輪による水の力で止まってはいるものの、欠損した部分を完全に再生することまでは適わなかったようだ。
左右と比べても、歪な長さの両耳になってしまった。これはもう、治ることはないのだろう。精霊の力にも限度はあるのだ。
「ああ問題ない。……正直、これで済んだだけでも良しとせねばなるまいな」
「誰にやられたんです?」
純粋な好奇心で、宗次郎は尋ねる。このエルフ自体はそんなに弱くはない。それをここまで追い詰める手合いに興味を持った格好だった。
アリィーは、思い出すのも苦痛といった表情で言い放った。
「
「シャイターン?」
「ああ、怖気が走る炎を操る……化け物に……食いちぎられた」
そう話すうち、徐々にアリィーは震えていった。声はどんどんか細くなっていく。
未来の婚約者の本気の弱りように共感を覚えたのだろう。ルクシャナもしおらしい表情で彼の背中を擦った。
「止めときなってアリィー。あなたも、悪いけどこれ以上は聞かないであげて頂戴……」
「あ、ごめんなさい」
宗次郎はそう言って頭をぺこりと下げた。隣にいたティファニアも思わずそれに倣う。
それから「今日はもう疲れた」と言って、船室へと去っていく二人のエルフの背中を、しばし見送っていた。
「でも、悪魔って……誰の事なんだろうね?」
思わずティファニアはそう呟いた。そんな怪物がいるのだろうか? アリィーたちエルフですら恐れる化け物。それは一体どんな顔をしているのだろう?
「……ソウ?」
ティファニアは思わず、宗次郎に尋ねる。見れば彼は、アルビオンから吹きつける滝水の微粒子を顔に浴びながら、少し物思いに耽っていた。
(炎を操る悪魔に、耳を食いちぎられた?)
何故か一瞬、懐かしい顔が、脳裏に過った。
「――――まさかね」
だが同時に考え過ぎだろう。そう思うことにした。宗次郎は再び笑顔に戻し、ティファニアと向き直った。
こうして後々、『七人の英雄』と後世に語り継がれる選ばれし者たちもまた、白の大陸を後にしていった。
後にこの戦は、『アルビオン大戦』と語られるようになり、この後に起こる更なる動乱の、発端の戦として、記録に残ることとなる。
これにてアルビオン編、終了です。
またストックを溜めてから公開したいと思いますので、一度ここで区切らせていただきます(流石にもう片方の連載と同時並行はきつすぎて……)。
予定が決まりましたらご連絡いたします。ここまで読んで頂きましてありがとうございました。