『あーうー!!』
『いてっ! いててっ! ごめんって氷狐! 返す! 返すから!』
『あんたも懲りないわねぇ……氷狐のを盗るなって何回言わせるのよ』
「……ふふっ」
朝食を食べた後、氷狐をスキマを使って彼が住んでいた森に送るのは私の日課となっている。
今日も彼は送った先の森で山菜と果物を探して採り、人里でそれらを売って資金を得、甘味処で好物の団子を頬張り…魔理沙に一つ奪われた。
それに怒った氷狐は文字通り牙を剥いて彼女の腕に噛み付き、いつものように氷狐を探していた霊夢に見つかって呆れられている。
スキマ越しから見える週に4度は繰り広げられる喜劇に、私は思わず笑みを零してしまう。相変わらず仲がいいことだ。
いつもなら魔理沙がある程度噛まれた後で渋々食べた分の団子を追加するのだけど……今日はそこに上白沢 慧音が加わった。
『ん? 巫女に魔理沙、氷狐じゃないか。なぜ魔理沙は氷狐に噛まれているんだ?』
『慧音! 助けてくれ!』
『けーね! あーうー、うーあーうー!』
『助けても何も……氷狐がこんなに怒った姿は見たことないぞ? 魔理沙、お前は何をしたんだ?』
『あれ? 私が悪者だと断定されてる? っていうか前にもこんなことあったような……』
もうこの時点で私にはオチが読めてしまった。上白沢 慧音……彼女は教育者、つまり教師であるため、道徳的に問題のある行為は見過ごせない真面目な性格をしている。とは言っても、お酒を嗜み、時にはハメをはずしてリフレッシュすることも出来る人物なので融通が利かないというわけではない。
何が言いたいかと言うと……。
『魔理沙が氷狐の団子を盗ったのよ』
『あーうー』
『なに?』
『い、一本だけだぜ! それに盗った分はちゃんと返し…』
『“盗る”という行為そのものがいけないのだ! ふんっ!!』
『がふぅ!!』
慧音は魔理沙の頭を両手でがっしりと掴み……勢いよく自分の頭を彼女の頭にぶつけた。つまり頭突きね。
ゴツン、ではなくガゴン!! というおおよそ人間の頭から出るような音ではない音を出し、魔理沙は目を回して地に伏した……悪の栄えたためしなし……ってことね。なぜかぶつかる瞬間に“決着!”という文字が浮かんだ気がしたけど、気のせいでしょう。
その後は慧音の誘いで彼女の家で朝食を食べることになったみたいだけど、既に我が家でそれを終えている氷狐が彼女の家で出された朝食を食べることはなかった。団子は食後のデザートってところね。因みに、魔理沙は霊夢が足を掴んで引きずっていったわ。
『どうした氷狐、食べないのか?』
『うー』
『お腹が一杯なんですって』
『ふむ、そうか……なら仕方ないな』
本当に残念そうに、彼女は苦笑しながら氷狐の分を下げる。きっと、久々に彼と一緒に食べたかったのね。
だけど私は謝らない。だって妖怪だもの。
『……紫……いつかコロス』
聞こえてきた霊夢の怨嗟の声に、思わず竦みあがってしまった。氷狐に聞こえないように呟いたのか、彼は可愛らしく首を傾げているけれど。
少しして魔理沙が復活し、氷狐を除いた3人で朝食を取る姿を氷狐と、スキマ越しに私が見るという奇妙な空間が出来上がった。
氷狐は暇そうにしている……なんてことはなく、何が楽しいのか3人の食事風景を見てニコニコとしている。きっと誰かと一緒にいるだけで楽しいのだろう。
食事が終われば慧音は寺小屋に、霊夢達は神社へと向かう。その際、氷狐は飛べないので霊夢が抱きかかえて飛んでいる……私も今度やってみようかしら。氷狐が震えながら霊夢にしがみついていたのが少し気になったけど。
神社に着けば、食後の運動とばかりに魔理沙が氷狐を弾幕ごっこに誘い、彼もそれを受けた。
結果は当然魔理沙の圧勝…妖力も少なく空も飛べない氷狐が魔理沙に勝てるはずもなかった。しかしそこに悔しさはあっても恨みや憎しみなんて無粋な感情はない。
魔理沙も氷狐も笑って、楽しんでやっていた。妖怪と人間が共に笑いあうこの光景が、もっと広がればいいのに……私はそう願わずにはいられなかった。
『ほら魔理沙、次は私とよ。氷狐の敵を取らせてもらうわ』
『は!? ちょっとは休ませてくれよ!』
『嫌よ。だってそのほうが楽じゃない……主に私が』
『ひでぇ!!』
その後のことは、幻想郷の結界の調整やお昼ご飯、外の世界からの“食料”の補給をしていたので見ていなかったからよく知らない。けれど、いつも通り楽しんでいたのだと思う。
今は夕方……私は藍も持っている通信用の札を取り出し、その札に向かって話しかける。
「藍、今いいかしら?」
『はい、なんでしょう紫様』
これは同じ札を持っている人物とお互いに遠く離れていても会話が出来るというもの。
この札を持っているのは、私と藍の2人だけ……いつでも居場所がわかるように橙と氷狐にも渡しておこうかしら。
「もう氷狐は迎えに行ったかしら?」
『いえ、橙もまだ帰っていないので、今から2人とも迎えに行こうかと思っていたところです』
「そう。ならあなたは橙を迎えに行きなさい。氷狐には私が行くわ」
『分かりました』
会話を終え、札をしまう。橙は藍の式神……私が藍の存在を感じられるように、藍にも橙の存在が感じられるはずなのですぐに家に戻ることでしょう。
私も早く迎えに行こうと神社の前にスキマを開き、そこから出る。すると、目の前には霊夢と氷狐の姿があった。
「来ると思ったわ」
「相変わらず凄い的中率の勘ね。氷狐を迎えに来たわ」
「永遠に来なくていいわよ」
「そういうわけにもいかないわ。だって保護者だもの♪」
取り出した扇子を広げて口元を隠し、余裕の笑みで霊夢に言ってみる。
案の定霊夢は額に青筋を浮かべたけれど、氷狐がいるためか声を荒げるようなことはしなかった。
「……今度、閻魔に氷狐の親権を賭けて裁判をしてもらおうかしら」
「精神的にも肉体的にも死にたければどうぞ?」
「それは嫌ね、地獄での長ったらしい説教は勘弁してほしいわ」
幻想郷の巫女である霊夢は、幻想郷のあらゆることを知っておく必要がある。今までは霊夢は勉強《そんなこと》なんてしなかったけれど、どういう心境の変化なのか、彼女が夜にちゃんと勉強をしていることを、私は知っている。
と言っても、精々がある程度の歴史や異変、主要人物くらいでしょうけれど。私の心境としては、娘の成長を喜ぶ母親のような感じね。
「ふふっ……それじゃあ帰るわよ氷狐」
「うー♪ れーむ。あーうー」
「ええ、またね氷狐。紫は二度と来るな」
「酷いわねぇ……」
霊夢の吐いた毒に苦笑し、氷狐と手を繋ぎながらスキマの中を通って我が家の庭に出る。
どうやら藍はもう帰っているらしく、家の中からは美味しそうないい香りが漂っていた。
「今日の晩御飯は何かしらねー?」
「うー♪」
妖怪である私が、まるで人間の親子のような行動をしていることがなぜか楽しくてつい笑ってしまう。
氷狐は晩御飯が楽しみなのか、青い毛並みの尻尾をパタパタと振って笑みを浮かべている。
本当に、今日の晩御飯はなんだろうか? 一つだけ分かることは、今日も藍の美味しい晩御飯が食べられるということだった。
氷狐には、一つの癖があった。それは、夜になると必ず一度は月を眺めること。
雨や曇りで月が見えなくても、彼は必ず月があるであろう空を見上げる。その時の表情は、どこか寂しそうに思えた。
今日も今日とて、彼は縁側で月を見上げている。私は、そんな彼の隣に座った。
「どうしたの? 氷狐」
「う? ゆーり」
「ええ、紫よ。あなたはいつも月を眺めているのね。月に何かあるのかしら?」
氷狐からの返答はない。もしかしたら、彼は本当に向こう《つき》に何があるのかを知っているのかもしれない。
月……そこには、外の世界すら遥かに凌駕するほどの科学力を持った“月人”という存在が住んでいる。
かつて私は、多くの妖怪と共に月に戦争を仕掛けたことがあった……その理由は魔法や妖怪にと取って重要な存在である月に人間が住んでいるという噂をどこからか聞きつけ、それが気に入らないからという単純で自分勝手な理由からだった。
当時の私は、本当は乗り気ではなかった。人間と妖怪の共存を目指していた私が、どうして戦争なんて吹っかけようとしたのか……それは、大勢の妖怪達のあまりの勢いに流されてしまったから。
後に冷静になり、やはり気分が乗らなかったけれどもう引き返せる段階ではなく……仕方なく月への道……スキマを開いて月へと降り立った。この時の私は、また人間との共存が遠くなる……そんなことを考えており、私達妖怪側の勝利を疑わなかった。
そして戦争の結果は……圧倒的なまでの大敗。月人の持つ武器は当時の地球の科学力など歯牙にもかけぬほどの技術を詰め込まれており、筒のようなものから放たれる光に貫かれた妖怪は瞬く間に消し飛び、剣や槍の刃に切り裂かれた妖怪はその傷が癒えることなく苦しんで死んだ。
能力故に私がそれらに当たることはなく、月人も相手ではなかった……けれども数、質、士気、技術、その全てにおいて負けていた私達には、もう逃げることしか出来なかった。
月人そのものに、恐怖はない。必ず雪辱を晴らす。そんな気持ちがあったのも今は昔のこと。
この幻想郷にも、“月人”が存在することを私は知っている。その月人が、あのときの月人達とは違うということも。なぜなら、その月人達はこの幻想郷の人妖問わずに治療を行い、人里の家に置き薬を置いていったりしているのだから。
そこまで考えて、私は再び氷狐の方を見やる。彼は変わらず月を見上げていたが、その横顔はやはり、どこか寂しそうだった。
本当に、彼は月に何があるのか知っているのかもしれない……もしかしたら、月に知り合いでもいるのだろうか?
まさかね……と苦笑していると、不意に氷狐が月を見上げたまま立ち上がり、そのまま庭へと進んだ。
「こーら、お風呂に入ったのにまた汚れちゃうでしょう?」
そう声をかけてみたけれど、返事も反応も何もない。何か、様子がおかしい。
「氷狐?」
庭に立つ氷狐に近寄り、彼の前に行って両肩を掴む。が、彼は私の方を向かずに月を見続けている。
その瞳は、まるで血のよう紅く染まっていた……氷狐の瞳は、確か綺麗な蒼だったハズ。何よりもその瞳からは、狂気の色が見て取れた。
「氷狐? 一体どうしたの?」
「……×ー×」
「え?」
よく聞き取れない……いや、聞いたことのない発音の……恐らくは誰かの名前。
それを呟いた氷狐は、次の瞬間には私の目の前から姿を消していた。
一体どうしたというのか……意味が分からず、私は空を仰いだ。目に映るのは、綺麗な満月一つ……その時になって、私はようやく気づいた。気づけた。
「満月じゃない……少し欠けている?」
先ほど、月は妖怪にとって重要だと考えたことを思い出す。この月の光が降り注ぎ続けば、その狂気の魔力によって弱小妖怪や妖精達は好戦的になり、人里や他の妖怪にも被害が出る可能性が高い。
それにいずれは中級妖怪、果ては大妖怪すらも狂ってしまう。勿論これは、ずっとあのまま月が動かなかったらの話……だけど、恐らくは力を持った何者かによる創られた月、それが本当に終わりを告げて朝になるのかはわからない。
言うなれば……“不完全な満月”。それが今回の異変。
私はどこかへと消えた氷狐の捜索と異変解決のため、すぐに博麗神社へとスキマを開くのだった。
私の懸念が、当たることがないようにと願って。
「偽者の月……ねぇ」
「はい。偽物の月が昇るようになれば、満月になっても月の使者は幻影の地上に着くため、地上に来ることができなくなります。もう姫様が……私達が、月の使者に怯える必要がなくなります」
「でも永琳。空を弄って偽の夜空にすり替え、偽りの月を空に映す……そんなことをして、あなたは大丈夫なのかしら」
私の隣で月を見上げる少女……蓬莱山 輝夜《ほうらいさん かぐや》が心配そうに私の手を握る。
とても美しく、実はめんどくさがりで口調も結構きつくて、それでいて芯のしっかりとした心と優しさを持つ…私の大事な大事な姫様。
もう怖い思いはさせない、怯える日々も過ごさせない。この偽者の月に気づかれれば、いずれは異変とされて博麗の巫女が、果ては妖怪の賢者が来るかも知れないけれど…それらは、私が全て追い払ってみせる。
何よりも……。
「っ!? なに? 妖怪!?」
「姫様、この子は大丈夫。私達の味方です」
私達の目の前に突然現れた、蒼い毛並みの狐耳と尻尾を持ったこの子の能力《チカラ》があれば、私は巫女にも、賢者にも、誰にも負けない。
私は現れた妖怪に近づき、その小さな体を見下ろす。
最後に見た記憶の、どれもが一致するその姿……こうして肉眼で見るのは、実に2215万0748年、月にして約2億6950万0767ヶ月、週で11億5500万3288週間、日にして80億8502万3020日、時間で表すとそれぞれ1940億4055万2480時間、11兆6424億3314万8800分、698兆5459億8892万8000秒ぶりになるかしら。
彼は、ちゃんと私の思考《オモイ》を現実《カタチ》にしてくれていた。いつか私が彼の成長した姿を見て戸惑わないように……“ずっとそのままの姿で成長せずにいて欲しい”という私のオモイを。
「……×ー×」
「私のこと……覚えてくれていたのね……でも、私は今は永琳と名乗っているの」
「……えーり?」
「そう、えーり」
約2000万もの間離れていた私のことを覚えていてくれたことに泣きそうになり、相変わらずの名前の呼び方に思わず笑みが零れる。姫様が私達の姿を不思議そうに見ている視線を感じるけれど、今は再開の余韻に浸らせて欲しい。
私の……地上にいた頃の最初の友達。私に、月一番の頭脳と言わせしめる頭脳をくれた恩人。
「久しぶり……氷狐」
あなたの能力《チカラ》……私達に貸して頂戴?
「霊夢。異変が起きたわ」
「は? 別に何も起きてないじゃない」
「人間のあなたには分からないかもしれないけど、異変は確実に起きているわ……満月が少し欠けているという異変がね」
「別にそれくらいいいんじゃ……」
「そして氷狐がどこかへ消えたわ」
「大異変じゃない!! 早く行くわよ紫!!」
(この氷狐への気持ちを、もう少し幻想郷にむけてくれないかしら……)
最後に出てきた年月は適当です。wikiにちゃんとした年代が載っておらず、遥か昔としか書いてなかったので。計算は高精度計算サイトを使用したので合ってると思います。