私の膝の上に頭を置いて眠る子狐の妖怪を、姫様が物珍しそうに見つめる。それは私がこうして誰かを膝枕することが珍しい……というよりもないからか、それともただ単にこの妖怪に興味を抱いたからなのか。
私が考えるに、理由は両方。それと、もう一つくらいはあるだろうと思う。
「ねぇ永琳」
「なんですか? 姫様」
「この妖怪はいくつなのかしら?」
ぷにぷにと妖怪……氷狐の頬を突く姫様の質問に、私は頭を働かせる。
私が彼と出会ったのは、後に月人と呼ばれる私達がまだ地上にいたころ……私が、本当に生まれて僅か3年くらいの時。その頃から、私が住んでいた場所は村ではなく街と呼べる場所であり、既に幻想郷の人里以上の科学力も持っていた。町の外にも妖怪はうようよとしていたけれど。
あの頃の私は、親から「八意家の恥さらし」とまで言われるほどに頭が悪かった……というか3才児の平均的な知能しか持ち合わせていなかった。
当然、まだまだ遊び盛りだった私は家や家庭教師から受ける英才教育が楽しく感じるハズもなく、毎日家と両親に対して不満を抱いていた。
その不満が爆発し、家から飛び出した先の公園で出会ったのが……氷狐。
当時の私は彼を妖怪だとは認識できず、変わった耳をしているな~ということくらいしか思い浮かばなかった。好奇心から話しかけてみても彼からは“うー”や“あー”しか返って来ず……それでもなぜかそれが楽しくて、暫く2人でうーあー言い合っていたのを覚えている。
そこからは2人で滑り台やブランコなどで遊んでいた。楽しくもない勉強ばかりで遊びたかった私はこれでもかと遊んだものだ……しかし日も暮れれば家が恋しくなり、お腹も空いてきた。けど怒られるのは嫌なので帰ることはしなかった。
徐々に辺りは暗くなり、気温も少しずつ下がってくる……だけど怒られたくないから帰らない。そんな私の隣に、彼はいてくれた。寒さと夜の恐怖に震える私をの手を、彼はずっと握っていてくれた。だからだろうか……私は彼に自分の不満を話していた。
『わたしのおうちはね? ずーっとわたしにべんきょうしろべんきょうしろっていうの。べんきょうなんてつまんないのにね』
『うー?』
『うー?、じゃないよ。おとーさんもおかーさんもずっとおこってて、“おまえははじさらしだー”っておこるの。いみはわかんないけど、なんだかかなしくなるの』
『あーう』
『……あなたがなにをいってるのかわかんない。どうすれば、あなたとちゃんとおはなしできるのかな?』
そう自分で言った時に、私の頭の中に電球が光るイメージが浮かび上がったことを覚えている。
その時に初めて、私は勉強をしようと思った……同時に、その必要はなくなってしまった。
『そうだ! わたしのあたまがよくなれば……このまちのみんなよりも、だれよりもあたまがよくなれば!』
きっとこの子と楽しくお喋りができるよね……そんな単純な思考《オモイ》は、3才とは思えない頭脳を持つという形で現実《カタチ》となった。
「永琳? どうかした?」
ハッとして、回想から現実へと意識を向ける。私の前には不思議そうな顔で私を見上げる姫様の姿があり……そういえば質問の答えを返していないな、と振り返る。
「いえ、なんでもありませんよ。彼の年齢について……でしたね。正確な年齢は、私にもわかりません。ただ一つ言えるとすれば……」
「すれば?」
少なくとも、私と同い年かそれ以上ですね。
そういった時の姫様の表情は、思わず笑ってしまうほどに可愛らしかった。
「あーもう!! さっきのゴキブリに鳥の妖怪!! 本っ当に邪魔してくれたわね!!」
「邪魔してって……あなた秒殺してたじゃない」
「氷狐が異変にまた巻き込まれたのよ!? 一分一秒どころか一瞬すら無駄に出来ないわ!!」
私達が氷狐の捜索と異変解決に乗り出してからもう一時間くらい経ったかしら。その道中でホタル(ゴキブリ)の妖怪と夜雀(鳥)の妖怪に遭遇したけれど、さっき言った通り霊夢が秒殺し、今飛んでる地点は人里の近く。
霊夢がここまで焦っているのは……氷狐が異変や事件に巻き込まれて無事で済んだことがないからでしょうね。全く、人妖問わず平等に接していた霊夢はどこへいったのかしら。
「そこの奴ら、止まれ!」
突然出てきた人影に、私も霊夢も思わず動きを止める。止まったことと、現れた人影に対して霊夢が怒りの視線を向けていることが、後ろにいる私にも理解できるほどの怒気が彼女の体から溢れ出しているけれど。
その様子に少し引いている人影……その正体は、教師である上白沢 慧音だった。
「お前達だな? 里を襲おうとしている妖怪は……って巫女に賢者じゃないか」
「そうよ、里の守護者さん。悪いけど、私達はあなたにも里にも構っている時間はないのよ」
取り出した扇子で口元を隠しながら、遠まわしに敵意はないと告げる。こんなところでこうして止まっている時間は、本当にないのだから。
それが通じたのか、それとも今の霊夢が怖いのか、彼女は戦う姿勢を解いてくれた。
因みに、私が彼女のことを守護者と呼んだのは、彼女がただの教師……人間ではないから。
ハクタク……彼女の体には、その聖獣の血が半分流れている……つまり、上白沢 慧音は半人半獣なのだ。今はそんなことはどうでもいいので、詳しく説明はしない。
「なぜそんなに慌てているんだ?」
「氷狐が異変に巻き込まれたからよ!! ああもう、こんなとこでくっちゃべってる時間はないのに!!」
「ところで……あなた、里から離れて大丈夫なの?」
「なに、氷狐が? ……私も探しに行きたいが、賢者の言うとおりこれ以上里から離れているわけにも行かない。異変というのは、今夜の異常な月のことだろう。原因を作った奴ならあっちだ」
慧音が指を指しながら言うやいなや、霊夢がその方向にすっとんでいってしまった。今のあの子の速度なら、魔理沙や烏天狗に匹敵するかもしれない。
私も急いで彼女の背を追いかけ、慧音も人里の近くへと降り立っていくのだった。
「……そういえば、2人は私が“隠した”人里については何も触れなかったな。よほど慌てていたのか、それとも私の能力が利かなかったのか……」
「動くと撃つ!」
慧音が指差した方、迷いの竹林と呼ばれる場所に着いた私達を迎えたのは、そんな物騒な言葉だった。
私が何かしらと、霊夢がまた邪魔か……と呟きながら声がした方を見れば、今日の朝振りになる白と黒の魔法使いの姿が映った。
「間違えた、撃つと動くだ。今すぐう」
「じゃあ永遠に撃たないでそこで止まっておきなさい」
「……なるほど、これがあの時の妖夢の気持ちか。私は二度と人の台詞を遮らないことを誓うぜ」
霊夢から放たれた毒に、魔理沙がどこか遠い目をしながら何か呟く。少し涙目なのは気のせいね。
それはともかく、なぜここに魔理沙がいるのか……そう聞いてみたところ、どうやら今回の異変を解決するために犯人を倒すつもりらしい。
「なるほど……あんたも異変に気づいていたのね」
「意外ねぇ」
「気づくもなにも、一発で分かるだろ」
「ええ、そうね。今回の異変……」
まさか人間の魔理沙が異変に気づくなんて思いもしなかったわ。これは人外にしか分からないハズなのに。
私は、彼女を過小評価していたのかもしれないわね。
「氷狐が巻き込まれたことに」「本来の満月が隠されていることに」「ずっと満月の位置が動かないことに」
「「「……は?」」」
私達の間の時間が完全に止まった。というか霊夢、氷狐が異変に巻き込まれたのであって、巻き込まれたことが異変じゃないのよ?
どうやら魔理沙は満月のことを異変として見ていたのではなく、動かない不完全な満月のことを異変として見ているのね。
つまり、今回は同時に二つの異変が起きていることになるわね。
「氷狐が巻き込まれたって……またか?」
「ええ、またよ。私達は異変には無関係。そんなことしている暇も、こうして話している時間もないの」
「霊夢の言うとおりよ。私達は異変の犯人ではないわ。今回は異変が二つ同時に起きている……私達は氷狐の捜索と不完全な満月の異変の解決をするから、あなたは夜を止めた犯人を捜して頂戴」
「分かったぜ」
魔理沙の了承を確認し、私と霊夢は竹林の奥を目指して飛行を再開した。
しばらくして背後の竹林を光が包んだ気がしたけれど、気のせいだと思うことにした。
「遅かったですね、もう全ての扉は封印しましたよ」
「あ、昼間のウサ耳」
「知り合い?」
「昼間に氷狐を連れて里に買い物をしに行った時にね……そうか、ここにあんたがいるってことは……」
昼間なら、私はその場面を見ていないから何があったのか分からないわね。分っているのは、目の前のウサ耳を生やして外の世界のブレザーという服に身を包んだ彼女が、幻想郷に住む月人の仲間ということ。
そして……彼女の目からは嫌な感じがするということね。目は合わさないようにしましょう。
「私は鈴仙《れいせん》・優曇華院《うどんげいん》・イナバ。昼間にあの子にちょっとした暗示をかけたのも私」
「彼女は私の助手よ。そして……私が今回の異変、本物の満月を隠す術を使った犯人」
いつのまにか、鈴仙と名乗った少女の隣には青と赤に分かれた奇抜な服装をした銀髪の女性が立っていた。
自分でも言ったように、今回の犯人は彼女であることは間違いないわね……それに、あの女性からは氷狐の妖気を感じる。
「氷狐を返しなさい。今なら半殺しで済ませてあげるから」
「え!? スペルカードルールじゃなくて!?」
「黙れ誘拐犯。お望み道理そっちで死なない程度にぴちゅらせてあげましょうか……?」
「ひっ!」
睨み付ける霊夢に泣きそうになるウサ耳少女……まぁ罪悪感なんて微塵も感じないのだけど。
問題は……この女性。ウサ耳少女よりも遥かに強いわね。それに、巫女の霊夢と賢者と呼ばれる私を前にしてこの余裕……必ず何かある。
「ウドンゲ、ここは任せたわ。私は……最後の仕上げをするから」
「は、はい!」
まるで背景に溶け込むように彼女はその場から消えた。そして、ウサ耳少女は霊夢の怒りに怯えながらも右手を拳銃のように構える。
恐らくはアレが彼女の戦闘の構え。霊夢も札を指に挟み、いつでも投げられるようにしている。
そして、弾幕ごっこが始まった。
巫女と賢者をウドンゲに任せた私は、この永遠亭の中にある薬品庫に来ていた。理由は勿論、ウドンゲに言った最後の仕上げのため。
偽の満月で本物の満月を隠すことで月の使者がこの場所に来ることを出来なくさせ、私達の怯えながら逃げ続ける日々を終わらせるのが今回の異変の目的。偽の月と言ってもちゃんと朝昼晩の時間はあるからずっと夜になるわけではない。
最後の仕上げとは……氷狐の能力を借りて私が誰よりも強くなり、何者からも姫様を守り通せるようになること。
今回巫女と賢者を撃退できたとしても、次も撃退できるかわからない。私だって疲れはするし、薬の数にも限界がある。
だからこそ、私は誰よりも強くなる。巫女も賢者も一撃で倒せるような力があれば、疲労が回復する時間も少なくてすむから。月人を滅ぼす、なんてことも考えたがそれでは私たちも消えてしまいかねない。
何よりも……氷狐に殺しというのをさせたくないから。
さて、そろそろこの思考を数秒間単純化する薬を飲んでしまおう。氷狐のおかげで月の頭脳と呼ばれるほどの頭脳を得た私では、今のようにいろいろと考えてしまい、混じり気の一切ない思考なんてできないから。
「力を貸してね……氷狐」
「それは借りるじゃなくて利用するっていうのよ」
「っ!?」
突然聞こえた声に驚いて危うく手に持った薬を落としそうになりながら、声がした方角……薬品庫の入り口を見る。
そこには、扇子で口元を隠しながら私に軽蔑の視線を向ける幻想郷の賢者の姿があった。
早い……あまりにも早すぎる。ここに彼女がいるということは、即ちウドンゲがやられてしまったことを意味する。ここに巫女がいないということは、姫様のいる場所にいった可能性もある。
早く姫様の下に行かねば……そう考えながらも、私は先の賢者の言葉を聞き流せなかった。
「……聞き捨てならないわね。私が彼を……氷狐を利用しているですって?」
「ええ。何をする気なのか、なぜ異変を起こしたかは分からないけれど……あの子の能力を使って何かをしようとしているのは明白。あなたがどうやって氷狐のことを知り、氷狐の能力を知ったかは知れないけれど、利用させるわけにはいかないわ」
違う、この幻想郷の中で一番最初に氷狐のことを知ったのも、一番氷狐のことを知っているのも私。
2000万という途方もない月日を生きた彼も、私のことを覚えてくれていた……だから。
「利用なんかしていないわ。氷狐に友人として私に力を貸してもらうだけよ」
「暗示をかけたくせに」
「っ! それは私がいることを……この迷いの竹林にいることを知らせるためよ。そうしないとないと、彼は私がこの場所にいることも、私がいることも知らなかったでしょうからね」
「だったら尚更ね。自分がいることを知らない“友人”の氷狐に、なぜ今の今まで会いに行かず、なぜ暗示をかけてまで会おうとしたのかしら?」
何も……何も知らないくせに。私が幻想郷に来たとき、彼はまだ幻想郷にはいなかった。私が彼を見つけたのは、ほんの数ヶ月前のことなのだ……それも、置き薬の集金に行ったウドンゲの口から聞いただけ。
すぐに私は人里へ行ったし、遠巻きにだけど彼の姿も確認できた。その時に私がどれほどの歓喜に包まれたことか。
けれども、私は彼の前に出ることが出来なかった。彼が私のことを覚えている保証なんてなかったし……なによりも……氷狐は巫女や魔法使い達と仲良く笑いあっていたから。
遠巻きに見ている私と、私がいなくても他の存在と笑いあっている彼……住んでいる世界が違うような、私と彼の間に壁があるかのような錯覚も起こした。
それが私にとってどれだけ悲しくて。どれだけ空しくて……どれだけ寂しかったか。
子供の頃の最初の友人で、大人になった後に唯一の家族となって、月に移住する際に離れ離れになった彼。ずっと後悔して、ようやく再会できて……なのに。
「あなたに何が分かるの!? 離れ離れになって、その手を離したことをずっと後悔してきた! もう会えないと思っていた家族が目の前にいるのに! やっと会えた大事な人がそこにいるのに! 私がいなくても他の誰か笑っている……それがどれだけ寂しかったか!」
今でも覚えている。月へと飛ぶ寸前のシャトルの中で妖怪である彼が見つかり、他の乗組員の手によって機体の外へと投げ出されたことを。その手を掴んでも発進の反動で手を離してしまい、私の名前を呼びながら小さくなっていく彼の姿を。
シャトルの噴射口の熱に晒され、生きていることが絶望的でもう会えないと思っていた。仮に会えたとしても、もしかしたら手を離した私のことを怨んでいるかもしれないかと思うと怖かった。
「認めるわよ! 暗示で氷狐の意識を奪い、その能力を利用しようと思ったことを! だってしょうがないじゃない! 月の使者にいつ見つかるかも知れず、偽の月で本当の月を隠してもあなた達が来る! 仮に撃退したとしても次も、その次も撃退できるか分からない! だったらどんなことをしてでも強く、あなた達なんか歯牙にもかけないほどに強くなるしかないじゃない!」
偽の月を見たら私の下に来るように仕向け、私の言うことを聞くようにする暗示。この暗示が解けるまでは、氷狐は最低限の意識を残して私の言うことを聞くようになる。
そうして私のオモイを聞かせ、彼の能力の恩恵を受ける。そうすれば……そうすれば。
「そうすれば! もう誰にも怯えることも、また氷狐と離れ離れになることもない! ずっと、ずっと一緒にいられ……」
「人形同然にしてまであなたは一緒にいたいのね」
「違う! 私は人形になんか」
「してるわよ。自分で言ったじゃない……“最低限の意識を残して私の言うことを聞くようになる”って」
「っ!?」
そんな……なぜ私の考えを……思ったことを知っているの?
口になんか出していないし、暗示の内容まではいくら賢者でもわからないはず…調べたなら話は別だけど氷狐はこの永遠亭にいるし、そんな時間はない……ならなぜ。
「口に出していない? いいえ、さっきからずっと口に出していたわ」
「何を言って……」
「私の能力は“境界を操る程度の能力”。その気になれば外と幻想郷の境界をいじることも、現実と空想の境界をいじることも」
意識と無意識の境界を操って心の内を無意識に話させることなど……簡単ですわ。
「……一体いつから……」
「声をかけた時からよ。あなたの過去も、氷狐との関係も、なぜこんな異変を起こしたのかも…全部喋っていたわ。……もう必要な情報は聞けたから操った境界は元に戻したけどね」
「そんな……」
手から薬が滑り落ち、その中身が床にばら撒かれていくのが分かる。声をかけた時からと彼女は言ったが、もしかしたらもっと前から私に無意識に喋らせていたのかもしれない。
元に戻したと言ったけれど、本当はそのままで、今も無意識に喋っているのかもしれない。悪い方向に考えが進んでしまえば、その思考は止まることはなくどんどん悪いほうへと考えてしまう。
頭がいいというのは、何も良いことばかりじゃない。こうして考え続けてしまえば負のループに陥り、中々抜け出せなくなる。今この場にいるのは私と賢者のみ……彼女では私をこのループから助けてくれることはないだろう。
姫様は無事だろうか、氷狐の暗示は解けただろうか、また逃げる日々が続くのだろうか。
また……氷狐と離れ離れになってしまうのだろうか。
「それは……それだけは絶対にいや!!」
「っ!?」
隠し持っていた弓を取り出し、矢を番えて賢者に向ける。何千何万何億と繰り返してきた動きだ、その速度は月にいる教え子の剣速を越えると自負している。
撃退できるかわからないなら、刺し違えてでもここで……殺す!!
強く意思と霊力を矢に込め……私は矢尻から指を離……。
「えーり!」
した瞬間に賢者の後ろに氷狐の姿を見てしまった。
なぜそこにいるの、とか。どうして私の名前を笑みを浮かべて呼んでくれるの、とか。そんなことを思う暇なんてなかった。
賢者は矢を避け、矢はまっすぐ氷狐へと向かう。彼は、多分避けられないだろう。
また失うの? 今度も自分の手で?
「氷……」
手を伸ばすことも、たった二文字の名前を呼ぶことも叶わない。
ただ……矢が彼に当たる姿が見え……。
「全く……あなたらしくないわよ永琳」
私が彼女の矢を避けたことを後悔した時に、その声は聞こえた。
私の後ろにいた氷狐に向かっていた矢の先に彼の姿はなく、あるのは矢に貫かれて破壊された壁のみ。あんな小さな矢のどこにそんな破壊力があったのか。
そんなことを思う間もなく、“彼女”は氷狐を抱いてそこにいた。
長い艶のある髪に”絶世の”と頭につくほどの美貌を持つ少女……恐らくは、彼女が先ほど話に出た姫。
姿自体は知っていたけど、ここまで近くで見ると確かに、姫と呼ぶのも分かる。普段はだらだらと過ごしているみたいだけど。
「ひ、姫様……」
「私たちの負けよ永琳。私は巫女に負けたし、あなたはルールを侵してしまった……不意打ちで相手を殺そうとするなんて美しくないし、何よりも永琳がそんなズルをするのは、私が許さないわ」
「……申し訳……ありません」
がっくりと項垂れる彼女……永琳の顔の下にポタポタと水滴が落ちる。その涙の意味が、話を聞いた私には分かってしまう。
突然泣き出した永琳に先ほどの凛とした雰囲気はどこへやら、少女がえっ? えっ!? と慌てている。
そんな二人の間に挟まれていた氷狐は……永琳の前に正座した。なぜ正座。
「えーり」
「ごめんなさい……ごめんなさい氷狐……あなたに暗示なんかかけさせて……利用……しようとして……」
謝罪の言葉を述べる永琳を見ながら、氷狐は何をオモッているのか。
怒っているのか、悲しんでいるのか、それは私には分からない。
ただ一つ言えるとするならば……氷狐は、怒ったり悲しんだりしていないだろうということだ。
「えーり」
「っ!? ……ひ……こ?」
ギュッと、氷狐は永琳を抱きしめた。その声には、団子を盗ったときの魔理沙に向けるような怒りはない。
悲しみ、というのでもない。あるのは穏やかな……私たちの名前を呼ぶときと同じような、嬉しそうな想い。
「うー。あーうー。うーあーうー」
言葉だけを聞けば、意味が分かる存在は少ないと思う。けれど、この言葉は違った。言葉に詰まった想いが、心に直接響いてくる。理解できる。
怒っていない。謝らなくてもいい。ずっと覚えていた。寂しかった。会いたかった。
「私を……赦してくれるの? 私を……嫌ったりしないの?」
「うーあーうー」
怒ってない。大丈夫。嫌いにならない。ずっと友達。ずっと家族。
大好き。
「あ……ああ……あああああああ!!」
子供のように泣き出し、永琳が氷狐の体を抱き返す。体格の違いで氷狐が後ろに倒れてしまったけど、氷狐は嬉しそうに笑っている。
少女は大声で泣き出した永琳に更に慌て、いつの間にかこの部屋に来ていた霊夢は現状を理解できないのかキョトンとしている。
そんな二人を見て笑い、私は氷狐を抱きしめて泣き続ける永琳の姿を見る。
2000万。それは私にすら想像できない永き時。それほどまでの時間を後悔し続けていた彼女は、今この瞬間にどれだけ救われたのだろう。
嫌われていた、それどころか覚えてすらいないかもしれなかった相手から大好きと言われた彼女の心は、どれだけ救われたのだろう。
永い夜は終わり、破壊された壁の向こうからは朝日が差し込む。
それは、彼女の苦悩の日々も、彼女達が本当の意味で逃げる日々からも終わったことを祝福しているかのようで。
「……これにて一件落着……ってとこかしら?」
私は、少しおちゃらけてそう呟いた。
思った以上に長くなってしまった上にほぼ永琳視点。サブタイトル仕事しろ。
捏造設定オリ設定の嵐でしたがいかがでしたでしょうか?