春休み。奉仕部顧問の平塚先生に呼び出されて待ち合わせに向かう途中で。
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桜の絨毯を歩く。
冬に別れを告げた筈の陽射しが低く傾くと、時折吹くその強烈な風は冷たく桜の花弁を舞わせ、私と友達の気持ちを逸らせる。
「ゆきのん」
彼女――由比ヶ浜結衣さんにそう呼ばれる。
「何かしら、結衣さん」
二年生の全課程が終わりを告げる日、彼女は私に「結衣」と呼ぶように告げた。理由を問うと、文字数が少ないから苗字より呼びやすいと思って、と答えた。きっとそれも彼の入れ知恵なのでしょうけど。
「今日は、どこに行くんだっけ」
「さあ、繁華街の近くとは聞いているのだけれど」
以前の私なら、こんな不確定な情報で外出したりしなかった。ましてや友達と並んで歩きながらお互いをファーストネームで呼び合うなんて、考えもしなかった。
「平塚先生にもう一度聞いてみようか」
結衣さんは、歩きながら携帯を操作する。
「結衣さん、ちゃんと前を見て歩かないと…ほら」
石畳の隙間に靴が引っかかって、バランスを崩す。慌てて腕を出し、彼女を受け止める。
「危ないわ、結衣さん」
照れ笑いを浮かべながら「ありがとう」と一言。再び彼女の目は携帯に釘付けになる。
「まったく、結衣さんたら」
私は気づかれないように、腕を引いて結衣さんを誘導する。
「えへへ~」
不意に結衣さんが呟いた。
「なあに、どうしたの」
「だって…ゆきのんから腕を組んでくれるの初めてだなぁ、って」
向けられた笑顔に、急に気恥ずかしさを覚える。
ほんのり桜色に頬を染めた二人は桜の絨毯を抜けて、銀杏並木の通りへと出る。
誰かと歩調を合わせて歩くのって少し窮屈だけれど、楽しいのね。こんなことに気づくまでに私は十七年もの月日を費やしたのだと思うと、少し寂しくなった。
でも、今は。
「そういえばさ、ゆきのんはヒッキーのこと…す、好きなんだよね」
こうして友達と恋愛の話も出来るわ。それは、私にとっては画期的な変化。
「あら、そういう結衣さんだって。比企谷くんにいつもべったりじゃない」
でも困ったことに、結衣さんと私は同じ人を好きになっていた。そして私達は、お互いの彼への気持ちに気がついてしまった。
「んー、ヒッキーってさ、スキンシップとか苦手なのかな。あたし恥ずかしいのを我慢して頑張ってるのになぁ」
「そうね。彼はずっと一人でいたから、そういうの苦手なのかも知れないわ。私もそうだし」
そう理由付けてみたものの、それは私も不思議だった。結衣さんほどの美貌に迫られて何故彼は陥落しないのか。まあ、その度に私が苛々して彼をきつく睨んでしまうせいもあるのでしょうけど。
「ヒッキー、あたし達を見ていてくれるのかな」
「それは少し不安ね。だって彼、意外と人気あるもの。特に女子に」
「あー、そう・・・だね。ヒッキーは気づいてるかはビミョーだけど」
二人は並んで俯いたまま、風が足元に運んできた桜の花弁を軽く踏み鳴らしながら歩く。
「私、思うのだけれど」
私は、少し息を深く吸い込む。
「彼はきっと、表紙が汚れてしまった本の様なものね。表紙の汚れが目立つばかりに殆ど誰も手にとって中身を読もうとはしないのだけれど、一旦読み始めたら、その中身、その魅力を垣間見てしまったら…もっと知りたくなってしまうのよ。私達がそうであったようにね」
風に踊るスカートの裾を押さえながら、結衣さんは同意する。
「そうだね。ヒッキーを好きっていう女の子って、ヒッキーの内面を知っちゃった子たちばっかりだもんね」
そう。
彼の魅力はその内面にある。
彼は、いつも孤独で、捻くれていて、でもいつも周りに気を配っていて、何より物事の本質を見抜く力がある。
自分を犠牲にして他人を助けるのは、私も結衣さんも好ましく思っていない。でも、それでも彼は人を救おうとする。
自分が悪者にされることも厭わずに。
結局彼は無自覚のうちに、誰よりも優しく、強くあろうとしているのだ。
それに気づいた人たちは、彼を好きになっても何ら不可解なことはない。事実、私達二人がそうであるように。
見た目も、あの腐った目以外は悪くないのだから。
「どうしたらヒッキーに好きっていう気持ちをわかって貰えるのかな」
「それは、私達の命題のようなものね。彼って、過去の経験の所為でガードが固いから」
彼の深淵に触れて、彼の言葉少なの声を聞き、彼の息遣いを感じ、彼の優しい心に、包まれたい。彼の痛みや悲しみ、苦しみと自身のそれを混ぜこぜにして、一緒に抱えたい。
「あーもうっ…ヒッキー!すきだー!」
堰を切ったような叫び。結衣さんの本物の心。
「はしたないわよ結衣さん。誰が聞いているかわからないわ。でも、私も・・・好き」
私達の叫び、声、想いを乗せた爽やかな風が私達を包んでは桜の花弁ごと後方に去っていく。
ふと、風の過ぎ去った方から、心地よい声が響いてくる。
愛しい声。
その声で、私達二人は現実に帰還した。
「あ、あの…俺がいること忘れてない?」
重そうな足取りと、声。
「「え」」
妹の小町さんにコーディネートされたであろう春めいた装い。
「おまえら、俺の5メートルほど前方でなに恥ずかしいこと言ってんの。全部聞こえてるぞ」
両手に抱えきれないほどの紙袋を提げて、桜色に頬をめた、彼。
比企谷八幡がいた。
「…さあ、行きましょう結衣さん。平塚先生が待っているわ」
「あ、待ってよゆきのんっ」
「…おい、完全に俺の存在忘れてただろ。しかも道違うし。この荷物お前らのだし」
桜の絨毯はもうすぐ終わろうとしている。つかの間の桜花の栄華もあと僅か。
半月も経てば桜は緑の季節を迎えるだろう。
そして。
やがて来る別れの季節。
来年、彼と桜の絨毯を踏みしだくのは…私と結衣さん、どちらなのだろう。
「おい。無視するな。さすがに無視は堪えるから。おい」
「…恥ずかしいんだよ。おい」
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