「本当に良かったのかしら?」
「良かったんだよ。こうなることを望んでたんだから」
結局俺は妹紅に負けた。負けた以上蓬莱人になることは諦めなければならない。元々、人間であることを認められなかったから、人間を捨てようとしたんだ。あの最後の言葉でどうしようもないくらいに心を折られた。もう蓬莱の薬を飲もうなんて気はしない。
「萃香がせっかくちょっかいかけたのに、って嘆いてたわよ」
「なんだあいつ、何かやってたのか」
「永遠亭に行って妹紅に喧嘩仕掛けたらしいわね」
それは空気の読めないことだ。地底の案内を頼むときにそんな約束をしていた記憶はあるが、なんでわざわざそんなタイミングで。
「開き直らないのなら、勢いに任せるしかないってことよ」
「よく分からん」
よく分からんが、紫がそう言うのならきっとそうなんだろう。
この場には俺と紫の二人だけ。弾幕ごっこの間に下で開かれていた宴は終わり、妹紅は永遠亭に行ったまままだ帰ってきてない。俺も誘われはしたのだが、まだ気持ちの整理がついてないからと言って断った。紅魔館からの誘いも全部蹴って家で一人でいたらこの隙間妖怪がやってきたのだ。開口一番「良かったのか」なんて、分かってていってるだろう所が性質が悪い。まあ文に手帳とカメラ持って押しかけられるよりはだいぶマシか。あれはたぶん永遠亭に行ったな。せいぜい射られて潰されて焼き鳥にされると良い。
「それだけを聞くためにわざわざやって来たのか」
「そうよ?」
そいつはとんだ暇人だ。幽香も自由人だが、それに勝るとも劣らない。
「って言えたら楽なのだけどね」
違ったようだ。
「貴方とどうやら関係のあるらしい話だけど、ちょっと伝言を頼まれてきたのよ」
「伝言って、一体どこの誰からだよ」
当然ながら伝言をもらうような相手には覚えがない。だいたい幻想郷の住民は直接言ってくるからな。いや、守矢の神様や目の前の面倒臭い妖怪ならそういうこともするか。
だけど守矢神社でも無さそうだ。そうなると本格的に心当たりが無い。誰だマジで。
「分からん」
「私も意外なところで意外な繋がりがあるものだと思ったものだわ」
「何の話だ」
「魔界神って言われて誰か思い浮かぶかしら?」
魔界神、と言えば思い付くのはアリスの母親であるらしい神綺とかいうバイオレンス親バカくらいのものだ。
「そいつから伝言が?」
「違うわ」
切って捨てられた。ふむ。神綺を知っていて、俺に伝言を送るような相手か。
「じゃあアリスか」
「それも違うわね。名前を言ったところで貴方が分かるのかどうかも知らない相手よ」
「一方的に俺を知っているということか」
「そうとも言えるしそうで無いとも言える。まあ、貴方が会ったことが無いのは確かよ」
「そんなのがなんで今更」
「今更知ったからじゃないかしらね」
今更知った。俺が会ったことがはない、が俺を知っているし、俺が知っているとも言える。どういうことだ。まるで訳が分からんぞ。
「いいや、考えた所で分からないもんは分からない。何て伝言だったんだ?」
「『魔界神は抑えといてあげるわよん。二度目の短い人生楽しみなさい』だ、そうですわ」
「んー?」
なんか聞き覚えのある口調なんだよな。誰かが思考の隅に引っかかっているような感じだ。もう少し頑張れば名前が出て来そうな。俺の記憶じゃないな。その前、
「あっ」
思い付いた。確かに会ったことはないし、知っているといえば知っている。名前は何だったか、あの変な……って言うと怒るんだったか。怒らせたら平謝りするしかなかったはずだ。普段は付き合いやすいけど地雷踏むと面倒な奴。
「えーと、へカーティア、だったか」
「正解。つくづく貴方の交友関係は不思議ね。まさか異界の神様にまで知り合いが居るなんて」
「俺の知り合いじゃねえよ」
「前世の縁ってやつね」
「間違ってはないんだけどな」
その言い方はなんか語弊を招く気がする。
「なんでこんな所まで来てるんだよ」
「ああ、貴方は地底に行って居なかったらしいわね。私も寝ていたから知ったのは後だったけれど」
「地底? 冬の話ってことか。冬ってことは」
「察しの通り、異変の折にこっちに来たらしいわ」
俺が地底に行っていた間に起こった異変、永琳や鈴仙も関わっていらしいのだが、それについては誰も多くを語らないので、詳しいことは知らない。ただ、面倒臭い事態だったということはなんとなく分かる。
「ここはゴキブリホイホイでも仕掛けているのか」
「幻想郷事態ホイホイみたいなものよ」
「確かにそうだけどさ」
それにしても物騒な伝言を残してくれたものだ。逆に言えば魔界神が何かしら行動を起こすってことじゃないか。しかもアレが行動を起こす理由は俺のせいか、アリスに何かあったかだ。というか俺が弾幕ごっこに負けたから何かしようとしていたのを、抑えてやった、という意味にしか受け取れない。
「貴方が来たのは良いことなのか悪いことなのか。綱渡りをさせられる方の気持ちにもなってほしいわ」
「綱渡りって何のことだ」
「何の事も何も、件の魔界神の話よ。そう言えば貴方には話してなかったわね。レミリア・スカーレットの予言には続きがあったの」
「なるほど、そりゃ初耳だ」
俺と妹紅が出会うことを予知していた吸血鬼は他に何を観測していたのか。
「貴方は災いも共に連れてくる。だから
「本当に、なんか申し訳無いな」
「彼女からすれば何もかも運命であったのだそうだけれど、そうであるのなら、彼女がなにか手を尽くしたということなのかしらね」
「運命を本当に操れるんだったら、俺に協力した時点で俺の蓬莱人化は決定していたさ」
俺は以前にレミリアの能力がどういう物なのか聞いたことがある。確かに凄い能力ではあったが使いづらいしけして良い能力とは言えない。
少なくとも、彼女が何も言わなかったということは、あの戦いの運命は決まっていなかったという事なのだから。
「神綺がもし幻想郷で暴れたのなら、少なくない被害が出るんだろうな」
「弾幕ごっこというルールが通用しなければ、幻想郷が残ることは有り得ないでしょうね」
「なんでどいつもこいつも本人の与り知らないところでゴタゴタしてるのか」
「こっちの台詞よ」
寝ている間に魔界神ならぬ破壊神が襲来していたら言いたくなるのも分かるわ。へカーティアとやら会うことがあるのかどうか知らんが、あったら今度お礼を言っておこう。
「さて、用事は終わったし私もそろそろ帰ろうかしらね」
「おう、帰れ帰れ」
胡散臭い妖怪と話してるとなかなか疲れるんだ。
「それと、ありがとな」
スキマを開く紫に一言だけ声を掛ける。紫はこっちを振り向いて薄く笑い、「どういたしまして」と呟いて帰っていった。
さて、祭りの後だか後の祭りだか知らないが、あれだけ騒いだ後に静かになると普段よりも身に沁みる。紫と話しているようならまだしも、これで完全な静寂だ。地底に降りて、戻ってからこっちそんなことを感じる心の余裕なんて無かったからな。ある意味一番平穏な時間だろう。だけど色々考えてしまって落ち着かない。こんな時は酒でも呑んで忘れてしまおうか。ヤケ酒は趣味じゃないんだけどな。
あ、でもツマミがねえ。いくら飲み屋でもこんな夜更けに開いてる店も無いだろうし、こりゃ諦めるしかないかなと思った時、一人酒するには遅過ぎたと気付く。
「てっきり朝帰りだと思ってたんだけどな。というかこんなに短い間じゃまともに飲んでもないだろ。どうしたんだ」
「こんな日なのに、八房を置いて飲み潰れたりできないよ。永遠亭に行ったのはこれのため」
帰ってきた妹紅は右手に焼酎の瓶と、何かしらの藤入ったのバスケット。
「ツマミか」
「鈴仙が作ってた奴を幾つか貰ってきたんだ」
「それなら宅飲みと行くか」
愛着の湧いたボロ屋からお猪口を二つ取り出してくる。そしてちまちまと修繕していた床に座り、互いに注ぎ合う。ああ、動いた後に飲む酒は美味い。
「私はね、後悔してないし謝る気もないよ」
妹紅がボソリとそう呟いた。俺は何も聞かずに、妹紅の次の言葉を待つ。
「八房が蓬莱人にならなくて、心の底から良かったと思ってるんだ」
「……俺もだ。最初の思いはあんなんだったえどさ、吹っ切れた今ではなんだかんだこれで良かったって思えるんだ」
お前には散々迷惑かけたけどな。なんて言うとそんなことないと返された。
「いや、迷惑といえば迷惑だけどさ」
「どっちだよ」
もう酔っ払っちまったのか。俺と飲む時はどうもペースが早いからな。そういうこともなくはない。
「ああやって、八房に我儘言われたとき嬉しかったんだ。私ってなんだかいつも気を使われてばかりだったから」
「何言ってんだ。俺はずっとお前に迷惑かけながら来てしまったって悩んでたんだぜ。ああまでいかないと我儘にはならないのか」
「そうかな、そうかもしれない。でもなんか今までと違ってたから」
今までと違う。妹紅は真剣に悩み始めた。俺からすればずっと好き勝手言ってきていたような気もするんだが、人によって受け取り方というのは随分違うらしい。
じっと猪口の中を覗き込む。酒の中に月は見えない。部屋の中に居るのだから当たり前だ。そもそも今日は月が出ていたっけか。思い出せないなあ。俺も酔いが回ってきているらしい。いや、酔いが醒めてきたと言った方が正しいか。今日までの熱狂はとっくに鳴りを潜めた。ここに居るのはただの人間二人だけ。不死身だとか蓬莱人だとか関係ない。若丘八房と藤原妹紅しか居ないのだ。
「ああそうだ」
何かに得心がいったとばかりに妹紅が顔を上げた。俺は黙ったままで彼女の言葉に耳を傾ける。
「八房の本音を初めて聞いた気がするからだ」
「俺の本音って、そんなに建前だけで生きてるように見えたのか」
「違うよ。そういう意味じゃない」
「じゃあ何だ」
「八房がずっと心の底に押し込めていた、そんな感情に触れられた気がするんだ」
「……お前がそんな詩人だとは思わなかったな」
「からかわないでよう」
言ってて自分で恥ずかしくなったのか、妹紅は誤魔化すように猪口を呷る。むせるなよ、水で割ったりもしてないんだから。
そんな空気だからだろうか。ついうっかり口を滑らせてしまった。酔いが醒めたと言っておきながら、また別のものに酔っ払ってしまっていたらしい。
「なあ妹紅。一つ、俺からお願いをしてもいいか?」
「ん? 内容によるよ。聞くけどさ」
「ああ、ありがとう」
これだけはどうしても言っておきたかったんだ。
「あと何十年か分からないけどさ、俺は人として生きていく。お前に言われて、俺が受け入れたただの人間として」
だから。
「俺が生きてる間だけでも構わないからさ。お前も
「……それってさ、あのときの」
「やっぱり覚えてたか」
はは、と笑うと妹紅が呆れながら「忘れるわけないじゃない」と頬を膨らませた。
これは、俺が妹紅に告白したときの言葉だ。一字一句同じというわけじゃない。あの時は、俺が生きてる間なんて期限を設けたりしなかった。それは心の何処かで俺と妹紅が離れ離れになるのを恐れていたからだと今になって思う。
俺は人間だ。妖怪でも魔法使いでも不死鳥でもない。ましてや蓬莱人にはなり得ない。俺はそのことを誇りに思おう。ほんの一瞬だけ散る火花のような短い命であることを喜ぼう。
「私に人間として生きてほしいって、そう言うんだったらさ」
「なんだ?」
「色んなとこに連れてってよ。色んなものを見せてよ。何千年、何万年経ったって忘れないような、八房がいつか死ぬその後も私が生きていられるような思い出を沢山作ってよ」
「それは難題だな」
「大丈夫だよ。だって、私と八房が初めて会ってから、まだ一年しか経ってないんだよ?」
一年。そう言われて気付く。もう何年も連れ添ったような気がしていたが、あの蒸し暑い春の日からまだそれだけの時間しか経っていないのだ。あまりにも濃密で、いつの間にか過ぎ去ってしまったような日々。
長いのやら、短いのやら、あんな生活がこれから先何十年も続くのかと思うと、少なくとも物足りない人生にはならないだろうと確信が持てる。
「そしてさ、誰かに聞かれた時に、『私には大好きな人が居る』ってそう言わせてよ」
ああもう、そんな笑顔を見せられたら断ることなんて出来やしないじゃないか。最初から拒否するつもりなんてさらさら無いのだけれども。だけど、ちょっとだけ意地悪をしてみたくなった。
「そいつは、命が幾つあっても足りないな」
「また、そんなこと言う」
酒を飲み過ぎた、ということにしておこう。
顔を真っ赤にした二人を他所に、夜更けは過ぎていった。
拙作を最後まで読んでいただきありがとうございます。
不死身なだけの一般人のお話とりあえず一段落ということで、書き終えての感想など細かい自分語りについては活動報告でやろうと思いますので良かったらご覧になってください