剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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満月に咲く地獄の華

 入り組んだ迷宮の中に数多存在する開けた広場にて彼女は待つ。その想いを歌に込めて紡ぎながら、照らす満月を見上げる美しき乙女。降り注ぐ月光が彼女の紅い髪を艶やかに映し出す、その様はまるで鮮血の如き朱。

 

 其処は死で満ちていた、血で濡れていた。其処は正しく地獄だった。

 整備されていない地面は夥しい量の血を吸い赤く染まり、吸いきれなかった血は溜まり水面に天に輝く満月を映す。

 血溜まりの中死体が転がっていた。一つや二つではない、幾十もの死が横たわっていた。首のないもの、胴体と脚が斬り裂かれたもの、恐怖に染まった表情のまま斬り殺されたもの。それらが積み重なり山となり――その上に座して女は待つ。

 

 その光景にはまるで一枚の絵画のような美しさがあった。死体の山に腰を掛け夜空を眺める妖艶な美女。其処は地獄だった、だが現し世にはない妖しさと神秘を秘めていた。

 ゆったりとした動きで彼女は視線を天上の月から外した。

 

「やっと、来てくれた」

 

 地獄に一人の男が降り立つ。上下ともに地味な布製の軽装、一見すると中肉中背の凡夫の佇まい。だが、その身から溢れ出す殺意は、たったそれだけで人を殺めるであろうほど鋭く研ぎ澄まされていた。

 男も静かな動作で女に目を向けた。その瞳は紅く染まり、宵闇の中仄かに光を灯す。

 

「この時をどれだけ待ち望んだか」

「私と貴女は出会ってそれほど経っていないと思いますが」

「ええ、そうかもしれない。でも、私達はもっと昔からこの時を待っていた」

 

 男の視線を受けて、女は恍惚とした表情のまま喋る。その声は、男のようにも、女のようにも、子供のようにも、老人のようにも聞こえる。

 理解はできない、だが本能で男は悟る――そういうことか、と。

 

「産まれ落ちてしまったのなら、巡り逢ってしまったのなら――私達と貴方は殺し合うしかない」

 

 女は立ち上がる。満月を背にした彼女を男は見上げる。女も男のものと同じく、紅い瞳が仄かに輝きを灯していた。

 ふと、男はある異変に気付いた。女の足元から枝を踏み割ったような音と共に、死体の山が変質していく。死に絶えた血肉が硬質化していき、血晶へとなっていく。

 

「とても便利よね、彼女の力って」

「それは、鈴音の」

「ええ、彼女の血はとっても美味しかった。その上こんな力まで」

 

 血晶刀工、と力の持ち主が呼んでいる力。血を鉄とし、その身を炉とし、刃金を打つ彼女だけの力――のはずだった。

 女は血晶となった死体の山を一歩一歩降りてくる。

 

「斬ったり噛み付いたりする手間も省けるし、返り血で汚れることもあまりないし。それに――」

 

 更なる変化が訪れる。何の予備動作もなく血晶が砕け散り、そして女の影へと飲み込まれていく。それは異常な光景だった。死体が血晶になった上、そこにあったものがなくなっていく。

 だが、と男は納得した。

 

「――食べ残しがなくてとっても便利」

 

 女にとってこの行動は捕食、獣が獲物を仕留め食べ己の糧にするように、彼女も人を狩り己の糧としていたに他ならない。

 

「それが、貴女の本性か」

「ええ。私は血を、命を、魂を糧に生きる幽世の存在」

 

 女が虚空に手を伸ばすと掌から血が溢れ、固まり、そして刃へと形を変えていく。女に最早武器など不要だった。その身に宿った血が力となり、彼女自身を武器へと昇華させていた。

 出来上がった刃を逆手に持ち替え、女はそれを地面に突き刺した。捕食した時とは逆、今度は刃が突き刺さった地点から血晶が地面を走り広間に広がった。

 

「今度は何ですか?」

 

 男は咄嗟に腰に差していた刀を抜き放ち地面を斬りつけ血晶の侵食を止めた。

 

「私からのメッセージ、見てくれたんでしょう?」

 

 広がった血晶から花が芽吹く。六枚の花弁が輪状に咲く、死と不吉の象徴――彼岸花。広場一面に紅い血晶でできた花が咲き誇り、地獄は彼岸の花園と化した。

 女は手近にあった花を一つ折る。血晶でできたそれは小気味の良い音を立てながら簡単に折れ、そしてその体積を膨張させ形を変え、刃と成った。

 

「血花繚乱――此よりは地獄、彼岸の花園にして刃の四海」

 

 遥か古の怪異、ある男の願いから生まれし血の化性、他者の命を喰らい生き長らえた刃金の亡霊――嘗ての名は花椿。ホトトギスの原型でありながら、宿り主の性質によって大きく変化を遂げた化物。

 

「私の名前はハナ。この世のすべてを糧として、この身を、この刃を天上へと至らせる」

「貴女は私達が同じだと言った。そうだとも、私達は同じだ。同じ故にお互いの存在が許せない。それもそのはずだ」

 

 男は――アゼルは白夜の剣先をハナへと向けて構えた。

 風が広場を吹き抜け、彼岸花の花弁が舞った。そしてその全てが瞬く間に膨張して刃となって宙に浮いたままアゼルに狙いを定めた。

 

「同じ頂を目指す故に、私達は殺し合う。其処には一人しか至れないのだから」

 

 ここに来て漸くアゼルは身体の奥底から湧き出る殺意の理由を知った。ホトトギスと花椿はもとを辿れば同じ存在で、願うものはたった一つ。

 アゼルに宿りホトトギスと化した怪異は、アゼルの剣技にその願いを託した。

 鈴音に宿ったホトトギスは彼女の退魔師としての血と刀鍛冶の性質を利用し、己が身を刃へと昇華させる鍛冶の深淵を目指した。

 

「さあ、踊りましょう! 今夜こそ、貴方を殺し、その命を、その魂を私のものにしてみせる! そして、私が成ってみせる――すべてを斬り裂く者に!!」

 

 そして、ニイシャ・ベルカに宿った花椿はその身では至れないと悟り、個であることを捨てすべてを取り込み力とする化物と成り果てた。

 ハナの叫びを口火に、紅の刃がアゼルを目掛けて射出される。

 

「受けて立とう。一人しか至れないというのなら、私は貴女を殺そう!」

 

 自分らしくもない、そうアゼルは自覚していた。だが、思考は燃え盛る炎に熱せられたかの如く苛烈を極め、止めることなどできやしなかった。

 堰き止められていた殺意が爆ぜ、呼応するように白夜の刃が紅く染まる。紅の剣閃が宵闇を斬り裂いた。

 

 

■■■■

 

 

 ベル・クラネルは握ったその腕を手放しかけていた。その先にいるのは金髪の狐人(ルナール)、命の友人であり自分の危機を二度も救ってくれた恩人であるサンジョウノ・春姫だった。

 悲しそうに微笑む彼女の瞳は、確かに濡れていた。

 

 ベルと春姫の出会いは、偶然であった。

 数日前に命が歓楽街へと自分達に黙って行くのを尾行した晩、ベルは他のメンバーとはぐれてしまい何の因果か【イシュタル・ファミリア】の戦闘娼婦(バーベラ)達に追いかけ回された。逃げている時に匿ってくれたのが春姫であった。その晩は春姫の下で夜を明かし、抜け道から歓楽街を脱出させてもらったのだ。

 この時はまだ命の探し人が春姫その人であるとは知らなかった。

 

 そして今夜もまた春姫にベルは救われた。命ではなく貞操の危機であったが。

 仲間と話し合いベル達は春姫を救うために娼婦の身受けをすることにした。命以外の女性陣は難を示したが、命の説得もあり資金集めが始まった。戦闘娼婦に襲われベルと命が攫われたのはその矢先であった。

 ベルが目を覚ましたのは【イシュタル・ファミリア】の本拠にある秘密の部屋、捕らえていたフリュネに食われる直前だった。春姫は今回もベルの拘束を解いて抜け道へと案内した。どれほど感謝してもしきれない心境のベルを切羽詰った命が迎えた。

 

 そして語られる悲劇の物語、それは一人の少女を犠牲として戦争を起こそうとする女神の話。春姫を身受けすることなど、そもそも不可能だったのだ。主神であるイシュタルはどれほど金を積まれようと春姫を手放しはしなかっただろう。

 サンジョウノ・春姫はイシュタルにとっての切り札、戦いに勝つための消耗品でしかなかったのだ。殺生石と呼ばれる魔道具(マジックアイテム)に春姫の魂を閉じ込め、彼女の魔法を自由に使えるようになる破片を量産する。その力を用いて【フレイヤ・ファミリア】に戦争をしかけて勝利する。それだけのためにイシュタルは春姫を飼っていたのだ。

 破片がすべてあれば身体に魂を戻すこともできるが、そんなことはあり得ない。春姫は死ぬだろう、だがイシュタルにとってはそんなこと瑣末事だった。

 

 そんな話をしている間にアイシャが追いついた。ベルは彼女に春姫を逃がすように説得したが、意味はなかった。それはもう彼女が一度しようとしたことであり、失敗したことでもあったからだ。その結果、アイシャは二度とイシュタルに逆らえなくなった。

 それでも、ベルは言った。こんなことはあんまりだと、仲間を見殺しのするのかと。それを止めたのは、他でもない春姫だった。

 

「もう、良いんです」

「でも――!」

「幸せです」

 

 春姫は精一杯笑いながら、そう言った。自分が泣いていることなど承知のはずなのに、それでも彼女は笑ってみせた。

 

「こんな私を、娼婦に身を落とした私を救おうとしてくれる人がいる。それだけで、私は幸せです」

「違う、そんなはずない! 貴女が、春姫さんが死ぬ必要なんてどこにもないのに!」

「イシュタル様には助けて頂いた恩があります。それは……返さなければ」

 

 そんなの釣り合わない、そうベルは言おうと思った。だが、言っても無駄だと悟り口を閉ざした。どうすればいい、どうすれば春姫を救える、その問だけが頭を占めた。

 

「クラネル様」

 

 春姫がベルを呼んだ。唇をかみしめて俯いていたベルは顔を上げた。

 

「娼婦は破滅の象徴、物語の英雄様だって救いはしないのです」

 

 だから、自分は救われない。彼女はそう言っていた。

 ベルと春姫の出会った晩、二人は御伽噺や英雄譚の話で盛り上がった。英雄譚で教育されてきたようなベルには劣るものの、春姫もまた造詣が深く、それ故に知っていた。

 娼婦とは英雄にとって破滅の象徴である。だから、救われる資格など、憧れを抱く資格などないのだと。

 

「お逃げください。どうか、貴方との出会いを美しいままの思い出でいさせてください」

 

 春姫を救おうとすれば【イシュタル・ファミリア】との全面戦争になるだろう。構成員の人数は何倍かすら分からない、その上歓楽街を守るために立ち上がる他の【ファミリア】もいるかもしれない。

 到底、敵う相手ではない。正しく、春姫はベル達にとって破滅の象徴に違いない。ベルが触れてきた英雄譚でも、娼婦は救われない。

 

 手を差し伸べたら最後、ベルだけではなく、主神であるヘスティアや【ヘスティア・ファミリア】の他の団員にまで危険が及ぶ。

 団長として、掴んだ腕を放すのが正しい選択だ。

 

 だが、とベル・クラネルは拳を握りしめ。

 でも、とベル・クラネルはもがき苦しみ。

 

「アイシャ様、どうか……私の最後の願いを、聞いていただけませんか」

「……仕方ないね。リトル・ルーキーは予想以上にすばしっこかった。そういうことにしておくよ。ほら、帰るよ春姫」

 

 春姫の願いを聞き、アイシャはベルと命を見逃すことにした。二人は歩き去ろうと動き出す。この機を逃したらもう一生救うことはできないだろう。そう思っているのに身体が動かない、言葉一つ発することもできない。

 だって、【ヘスティア・ファミリア】が大切なのだ。自分の仲間達が傷付くことは自分が傷付く以上に苦しいことなのだ。そして、自分は団長で、【ファミリア】を守る立場にあるのだ。

 

 たくさんの理由がベルの中に積み重なっていく。それらが更なる重みとなって春姫の腕を握る手から力が抜けていく。

 

(僕は救いたい……でも、どうすれば)

 

 どうしようもないだろう、と分かっているのだ。欲しいものすべてを手に入れることなどできやしないのだ。

 

(アゼルなら、どうする)

 

 幼馴染ならどうするか、ベルはそう考えた。アゼルは昔からマイペースで、相談することなく行動を起こし、危険に自ら突っ込んでいくような、悪く言ってしまえば自分勝手な人間だ。

 どこまでいっても、アゼルの行動は己の求道のためのものでしかない。

 

 ならば、自分は何のために行動するのか、ベルは己に問う。

 自分は何のために此処にいる、何のために戦っている――何に成りたくて生きている。確かに、大切なものは増えた。だが、自分にとって最も大切なものはなんだっただろうかと。

 己を己足らしめる価値観とは、死の淵で己を動かし続けた力の源泉は何だったか。

 

 そんなもの決まっている。

 オラリオに来た時も、強くなりたいと願った時も、ミノタウロスと戦った時も、ゴライアスと戦った時も、団長として臨んだ戦争遊戯(ウォーゲーム)でさえも、最後に心にあったのは一つの想いだった。

 

 

 

 

 ベル・クラネルは――――英雄になりたいのだ。

 

 

 

 

 だが、今回はその想いがために戸惑っている。娼婦とは破滅の象徴であるとベルは知っている。数多の物語の中でそれを彼は学んだ。

 だから、自分は救わないのかと、心の中で己に問う。

 

「違う」

 

 ふつふつと、感情が奥底から湧いてきた。

 救わない方が良いと自分に囁いているのは、様々な立場を得てしまった今の自分だ。だが、思い出せと彼は自分に語りかける。

 幼いベルが今のベルに語りかける。自分は英雄になりたいんだろう――ならば救ってみせろと。

 

「待って」

 

 葛藤の末の結論、その言葉がその手からすり抜けようとしていた春姫を引き止めた。アイシャはベルを睨めつけ、命は涙を浮かべながらベルを見た。

 

「待ってください」

「なんだい、リトル・ルーキー? せっかく見逃してあげようって言うのに」

 

 今ならばまだ間に合う。この手を放し、別れの言葉を伝え、振り向くことなく帰ってしまえば傷付かずに済む。だが、もう遅い、もう心は決まってしまった。

 『行け』と憎たらしいくらいの笑顔で、記憶の中の祖父がベルを送り出す。

 

 決まってしまったのなら、もう止まることはない。それが、ベル・クラネルという少年だ。

 

「春姫さん、貴女は言った。身を売り金をもらう自分は汚れていると。だから、救われる資格なんてないんだって」

「……はい」

「確かに、そうです。今まで読んできたどんな本でも、英雄(彼等)は娼婦を救ったことで破滅したり、救うこと自体を避けていた」

「だから……お願いします。行かせてくださいッ」

 

 春姫はもうこの場にはいたくなかった。変わり果ててしまった自分は醜く、卑しく、ベルや命と共にいるべきではないと思った。何よりも惨めだった。

 だから、春姫はベルを腕を振りほどこうとした。

 

「それでも」

「――ッ」

「いえ――だからこそ、僕は春姫さんを救います」

 

 ベルは彼女の腕を放さなかった。一層強く握り、放すものかと手繰り寄せた。

 

「物語の英雄達は貴女を救いはしないかもしれない」

 

 ふつふつと湧いていた感情は、怒り。自分の信じてきた英雄達は、何故目の前の少女の希望になってはくれなかったのか。何故破滅に打ち勝つことができなかったのか、何故救うことを諦めてしまったのか。

 そんなものじゃないだろう貴方達は、と。

 

「なら、僕が救ってみせます」

 

 そう言ってベルは《ヘスティア・ナイフ》を抜き放ち春姫に巻かれた首輪を斬り裂いた。その首輪はイシュタルに逐一春姫の居場所を伝え、外そうとすると激痛を走らせる魔道具。壊した際は即座にそのことを知らせる。

 それを、ベルは迷いなく斬り裂いた。

 

「僕が、春姫さんの英雄になってみせます」

 

 憧れていた、信じていた、物語の英雄達のように怪物を倒し人々を救いたいと願っていた。だが、目の前の少女を救うにはそれだけでは足りないのだ。

 

「クラ、ネル様」

「だから、春姫さんの本当の想いを、本当はどうしたいかを、教えてください」

 

 春姫は嬉しかった。逃げてほしかった、傷付いてほしくなかった。でも、腕を引かれ、救ってみせると言われ、心の底から嬉しかった。だが、言って良いのだろうかと心の片隅でもうひとりの彼女が訴えかけてくる。

 彼女の次の言葉で、目の前の少年少女だけでなく、彼等の仲間までもを危険に晒すことになるのだ。それは、許されざることだ。

 

 でも、本当はどうしたいかなんて分かりきっている。死にたいと思ったことなどなかった。死ぬのなら仕方がないと思ったことはあった。春姫には意地でも生きるだけの理由がなかったから。

 だが、今は理由ができてしまった。

 

 嘗て故郷で共に時間を過ごした友人達がオラリオにいて、自分を探していたということ。その一人である命は、その身を危険に晒しながら彼女の下へと馳せ参じた。また思い出の中の日々を彼等と過ごしたいと思ってしまった。

 そして、自分の腕を掴んで放さない偶然出会った少年――ベル・クラネル。

 

 体格に恵まれているとは決して言えない細身の身体、整った顔立ちに兎を想起させる白髪と紅い瞳の冒険者。第一印象で強そうだと思う人はいないであろう少年は、今揺るぎない眼差しで春姫を見つめていた。

 その目を見て、春姫は思ってしまった。

 

「……いたい」

 

 もっとこの少年のことが知りたい、と。

 

「生きて、いたいよ」

 

 死ぬのなら仕方がない、なんて考えはもう持てない。絞り出すようにか細い声で、彼女はその想いを言葉にする。

 

「死にたくないよ。命ちゃんと、クラネル様と、一緒にいたい」

 

 一度口にした想いはもう押し留めておくことなどできなかった。大粒の涙を流しながら、たった一言、今まで言えなかったその一言を吐露した。

 

「――助けてッ」

 

 その一言があれば、どんな逆境にだって立ち向かえる。救いを求める人がいるのなら、それが誰であろうと、何であろうと関係などない。それが、ベル・クラネルの憧れた英雄のあるべき姿なのだ。

 信じたのなら、貫かなければならない。そうしなければ、ベル・クラネルはベル・クラネル足り得ない。

 小さきベル・クラネルが挑むのは怪物でもなく、悪の黒幕でもない。此度の挑戦は彼の憧れてきた英雄譚との勝負に他ならない。

 貴方達は救わないと言うのなら、彼女の希望になれないと言うのなら――自分が救ってみせよう、新たな英雄譚を綴ろう。

 

 ベルは春姫を自分の背後に移動させ、そして横を見た。

 

「命さん」

「はいっ、共に」

 

 命は涙を拭い気合の入った表情で頷き、懐から閃光弾を取り出し空へと打ち上げた。どうせ居場所は知られているのだ、いまさら閃光弾をあげても変わりはない。

 その色は赤、【ヘスティア・ファミリア】の戦闘において、それが意味するところは――戦闘開始。仲間達が駆けつけてくれると信じて、命は武器を構えた。

 

「良く言った。だが、果たしてお前に救えるのかねえ?」

「僕なら救えるなんて、大それたことは言えない。でも、僕は――」

 

 紡がれるベル・クラネルの英雄譚――不夜城攻略――此処にて開幕。

 

「――――救いたいんだ!」

 

 純白の光が鐘の音と共にベルに宿る。何時になく熱いその鼓動は、少年の変化の兆しだった。何故なら、今の彼には憧れる英雄が存在しないはずなのだから。少年は彼等を越えていくために、その刃を抜いたはずだった。

 それでも、少年の憧憬はその歩みを止めないことの意味は――その行き着く先は果たして、何なのだろうか。

 

 

■■■■

 

 

「始まったわね」

 

 月の女神は空に浮かぶ黄金の月を見上げて、その戦いの幕上げを感じ取った。あまりにも異質な力のぶつかり合いは、意識していればどんな神でも違和感を覚えるだろうほどのもの。

 

「オッタル、向かいましょう」

「御心のままに。リトル・ルーキーの方はいかが致しましょうか」

「……そっちはアレン、貴方達に任せるわ。イシュタルは越えちゃいけない線を越えたのだもの、少し灸を据えてあげましょう。立ちはだかるものすべて蹴散らしなさい」

「はっ!」

 

 フレイヤが振り向くとそこには【フレイヤ・ファミリア】の戦闘員全員が揃っていた。指示を受けたアレンは速やかに指示を出し出撃していく。

 フレイヤは一瞬アゼルとベル、どちらの方に向かおうか迷った。二人共彼女に見初められた冒険者であり、今回ちょっかいを出されたのはベルの方だ。イシュタルに対する制裁は自分のものを奪おうとしたことに対するものだ。

 だが、結局彼女はアゼルの方へと出向くことにした。

 

「さあ、貴方の宿敵を見に行きましょうか」

 

 それは、勿論彼女自身アゼルがどれ程の実力なのか興味があるからの行動でもある。だが、それと同時に【フレイヤ・ファミリア】の団長にしてオラリオ最強の冒険者であるオッタルのためでもあった。

 

「疼くのでしょう? 滾るのでしょう? 貴方は冒険者である前に武人、武を競い合い殺し合うことを是とする戦闘者」

 

 フレイヤはオッタルの丸太の如く太い腕にそっと触れた。

 

「だから、見定めなさい。この地で貴方が全力を振るうに足る相手なのかどうか、貴方に挑む資格があるのか。それとも――」

 

 オッタルはガラス細工を扱うような丁寧な仕草でフレイヤを抱き上げた。

 

「――貴方が挑戦者になることも、あり得るでしょう」

 

 オッタルは己を恥じた。己の全てをフレイヤに捧げたはずだったのだ。だが、無意識の内に彼は武人としてアゼルを意識していた。それを主神であるフレイヤに見透かされていたのだ。女神の行動を自分が左右してしまった、それはあってはいけないことだ。

 

「もう、そんな顔をしないの。貴方は私の大切な子、これくらいのことはさせて頂戴」

「我が宿敵の打倒をもって、此度の返礼とさせて頂けますか」

「ふふ、貴方って本当に真面目ね。ええ、楽しみにしているわ」

 

 微笑みながらフレイヤはオッタルに身を預けた。テラスに出てフレイヤが方向を指示した次の瞬間、既に彼等の姿はそこになかった。

 最愛の女神を抱え宵闇を駆ける、その先に待つ好敵手を見定めんがために。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等ありましたら気軽に言ってください。

 今回の連続更新はここまでとなります。またしても良いところで更新止めやがって、とか思った人、申し訳ない。
 明かされるハナの正体! まあ、皆さん分かっていましたよね。言ってしまえば、オッタル戦のアゼルがそのまま突き進んでいた場合、みたいな感じです。数年越しで漸く回収できたニイシャさんの存在、長かった。まあ、色々紆余曲折してここまできたんですが。格好良く書けていると幸いです。
 そして、毎回やってくるベル君のターン! 原作よりちょっと勇気があったので開戦が早くなりました。個人的に、ここまでは「物語の英雄」を思い浮かべて戦っていたのに対して、今回からは「自分の信じる英雄像」を思い浮かべて戦うのが印象深いと感じたので、そこを強調しておきました。
 そして、フレイヤが動き出すのも若干早くなり、オッタルさんが不参戦に……。

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