「…………ジュースの件はなんとか誤魔化せたかな」
カイズに酒を飲むなと言ったこと。それはもちろんサクヤの結婚式をめちゃくちゃにしないためもある。
だが自分が子供扱いをされ、カイズに嫌な思いをしてもらいたくない。そんな想いがあったからこそ、まくし立てるように言葉を放ったのだ。
別にあたし自身もう慣れっこなんだけどなー。
この容姿で困ったことや、嫌な想いをしたことは確かに何度もある。だがそれでもヴィータは変身魔法などで、年相応の外見にしようとは思わなかった。
別に知らない誰かによく見られようとは思わない。それに本当に自分をわかってくれる人は、外見など気にすることなく対等に自分と接してくれる。
それに自分の見た目が成長しなかったからこそ、カイズは自分を思い出すことができ、再び出会うことができたのだ。
この外見に感謝こそすれば、非難しようとはヴィータは絶対に思わなかった。
それにリンゴジュースだっておいしいしなー。
心の底からそれを楽しむと、ゆっくりと肩を下ろす。
そうやって落ち着いたからだろうか。先ほどまで聞こえていなかった、離れた席の声が耳に届いた。
「うわぁー、ろくな男いないじゃん。ってか、どうしてこんな狭い店で結婚式なんて挙げるんだろう」
「ちょっと声大きいよ。シンドウ先輩に無理言って参加させてもらったのは、あんたのほうじゃない」
「だってあのシンドウ先輩だよー。絶対にレベルの高い男友達がくると思ったのに。これだったら二次会からでもよかったよー」
「ちょ、ちょっとー」
多分無理を言って参加させてもらったのだろう。そうでなくとも何という口の聞き方なのだろうか。だがそんな女性一人のために会場の空気を壊すわけにはいかないというのが総意なのだろう。
親族やこの会場にいる若い人たちなどは、彼女たちのことを完全に無視していた。
見てないが、机の上に頬杖をついている姿が目に浮かぶ。いったい誰のための結婚式なのか。ヴィータは小さくため息をつくと、再びグラスに口を付ける。
「あー、でもさっきの人はかっこよかったな。えっと友人代表で挨拶する予定の人」
「うーん、確かにあの人はかっこよかったけど。でも隣にずっと彼女みたいな人いたよ?」
「彼女みたいな人? あはは、あの赤い髪の子のことだよねー。ないないない、あの子が彼女なわけないじゃん」
二人の会話が耳に届くと、ヴィータは馬鹿にしたように息を吐く。もうこういう会話は慣れっこだ。自分は好きでこの姿でいるわけだし、年だってカイズよりも上だ。
自分が見た目通りの年齢なら、確かに犯罪の臭いしかしない。だが自分達はこれでうまくいっているのだ。
堅い絆があるからこそ、どんなことを言われてもヴィータは大丈夫だった。
だからこそその会話を聞き続けてしまったのだ。
「そ、そうだよね。さすがにあんな小さい子が彼女じゃ、犯罪だしね」
「いやいや、そうじゃなくてねー。えっと、あの子のこと知らない? たまに管理局の情報誌とかに乗ってる敏腕教導官らしいよ。多分私たちより年上だろうし」
「えっ、そうなの! でもそれじゃあなんで彼女ってのがありえないの? 十分にその可能性があるように思えるけど」
(はっ、どーせこんな子供姿の女がそういう対象に見られねえっていうんだろうな。もうそんな落ちは聞き飽きたぞー)
余裕しゃくしゃくでグラスを煽る。
そんな余裕があったからこそ。
その一言は不意を狙い心に突き刺さった。
「だってあの赤い子、『人間じゃないん』だよ」
――――ドクンッ!
その言葉に心臓の大きく跳ね上がる。
全身の血の気が引く。
唇が震え出す。
「えっ、人間じゃないってどういうこと?」
「なんか昔のロストロギア事件の首謀者らしくてね。実際は自覚症状がなくて、無罪放免だったらしいよ。でもそうだとしても多くの犠牲者だしておいて、それで今は人間のフリして男とイチャイチャして幸せですよーって。正直ありえなくない?」
「ちょ、ちょっと声大きいよ。それにさっきから飲み過ぎだって」
「いいじゃない。もうこれくらいしか楽しみないんだからー。それにもし、もしだよ。自分に子供ができてある日に、『お母さんこの人が僕の彼女です』って人間じゃないものを紹介してきたら私だったらショックで倒れ込んじゃうなー。あっはっはっは」
相当できあがってしまっているのだろう。ボリュームを抑えない声に辺りがざわめき出す。
だが今席を立つわけにはいかない。今立ってしまっては、彼女たちの会話がこちらに届いていたことを肯定してしまう。
まだ駄目だ。まだ、まだだ。
ヴィータは震える手でグラスを掴む。
中に入っている赤い液体は、まるで地震に揺らされるように左右に揺れる。
落ち着け。落ち着いて喉を潤して。う、あ……。
口の中に広がるアルコールの臭いが、ヴィータの気分をさらに悪くする。ヴィータはカイズのグラスを手にとっていたことにも気づかず、それを飲んでしまったのだ。
落ち着けよ。大丈夫だよ。だから収まれよ。静まれよあたしの体。
ただ気丈であるように振る舞って。そんな悪口言われ慣れてますよと大人の余裕を見せて。ヴィータは下唇を噛むと、約三分間その場で堪え忍んでいった。
そしてゆっくり席から立ち上がると、地下の式場の扉を開ける。もうすぐ披露宴が始まるからか、受付の人以外廊下には誰もいなかった。
――――コツ、コツ。
初めは静かに。今の気持ちを人に気取られないように、歩き出す。
――――コツ、コツ、コツ、コツ。
地面を踏む感覚がさらに早くなる。
――――コツッ! コツッ! コツッ! コツッ!
周りに誰もいなくなると、廊下の奥に向かってヴィータは走り出した。喫煙所や公衆電話のスペースを越え、廊下の奥に走り進む。
「う、あぅ、ああ…………」
だが声をあげてはいけない。ここで叫び声をあげてしまっては、せっかくの結婚式が台無しになってしまう。
「――――あっ!」
だが声を抑えることに必死になっていたためか、慣れないヒールのせいで体勢を崩してしまう。
ヴィータはそのまま廊下に倒れこむと、立ち上がることはなく。自分の口元を手で押さえ込み、目をギュッと閉じた。
声をあげないように。涙を流さないように。
自分は我慢しなければいけない。
それは何もサクヤの結婚式だからだけではない。
「だ、だってあたしはいろんな人や世界を壊してきたんだから。だから誰かに不平不満を言われるのはあ、当たり前、当たり前なんだから。――――う、ああ、あ……」
別段、今日出会った彼女たちと面識があるわけではない。だからこそその言葉は、ヴィータの心を深くえぐり込んだ。
何も知らない。何の被害もない人たちが、自分のことをそう非難するのだ。
なら実際に被害にあった人が今の自分を見たらどう思うだろうか。
人ならざる物が人に混じり。そして自身の起こした罪を忘れ幸せに過ごしている。
きっとその時間は、誰にでも平等に与えられた時間のはずだ。
だが自分は、『どうにもできなかった』と罪に罪を擦り付けるだけで何か償いをしようとしただろうか。
忘れていたわけではない。だが思い出すことが少なくなっていた。
自分は。多くの人の不幸の上にいまの幸せを勝ち取っているということを。
「あ、あたし。…………あたしは幸せになっていい資格が、ほ、本当に。本当にあるのかな」
そしてカイズと付き合うことを、カイズの周りの人間は祝福してくれるのだろうか。
自分は歴史に残る大事件を起こした張本人だ。
それに自分は人間ではない。カイズのことを愛し、カイズに愛されようとも、自分はカイズにその結晶を残してはあげられない。
「だってあたしは人間じゃないから。人並みの幸せすら、二人で作って、生みだしてやることすらできないんだ」
カイズと付き合うようになって、自分は様々な出来事と直面してきた。
初めての恋にあたふたして。遊園地やカイズの家ではドキドキしっぱなしだった。
サクヤと浮気していると勘違いしたり、教導試験のためにデバイスも作ったりもした。
それと自分を救うために、過去の記憶に入り込みカイズはその全てを見てきたはずだ。
そしてその事件を見てもなお、カイズは自分のことを愛し受け入れてくれた。
切っ掛けはあまりいいものではないがカイズと同棲を始めて。
本当に。本当に幸せな毎日を過ごしていた。
もう彼の愛を疑うことはない。
だがそのまま優しさに溺れてしまって本当にいいのか。
心の底にいるもう一人の自分が背後からヴィータを抱きしめた。
「………………カイズ」
ヴィータはその場で膝を抱えると、そこから動かなくなってしまう。
今はまだ何もしたくない。誰の声も聞きたくない。
それだけを思うと、ゆっくりと目を閉じてしまった。
◇◆◇◆
「ど、どうでした俺のスピーチ! って、あれ。ヴィータさん?」
スピーチを終えテーブルに戻ると、そこにはヴィータの姿がなかった。
いったいどういうことだろうか。あれだけヴィータのためにスピーチしたのに、まさか見てくれなかったのだろうか。
迷子の子供のようにカイズは右往左往する。もしかしたら調子が悪くなったのかもしれない。
急激な不安に襲われると、カイズは式場の扉を開けた。
「――――うおっと!」
「わっ!」
小さい影にぶつかると、カイズは倒れそうになる彼女を反射的に抱きしめる。
「ご、ごめんなさいヴィータさん。でも今までどこに?」
「おー、ごめんなー。間違えてカイズのグラスに口付けて、ちょっと気持ち悪くなっちまってよ。その、スピーチ聞けなかったんだ」
「いえ、それはそれでもういいんですけど。……どうしたんですか、その顔色があまり」
「だからさっきも言っただろ。お酒飲んだらちょっと気持ち悪くなっちまったって。ほら、まだ披露宴は続いてるんだから、早く戻ろうぜ」
「えっ、あっ、はい」
何かが釈然としない。そう感じ取ることができても、カイズにはその答えにまでたどり着くことができなかった。
……本当に体調が悪いのなら、あまりしつこいのも失礼だしな。
それに自分とヴィータは堅い絆で結ばれている。本当に困ったことがあったら、すぐに話してくれるだろう。
カイズが想うその絆は、互いが疑う隙もないほど強固なものであった。
だがその絆が強固であるからこそ、口にできないことがある。
ヴィータのことを心の底から愛しているカイズは、そのことに気づくことができなかった。
あとになって思えばそれは前兆のようなものだったのかもしれない。
ヴィータが自分の罪と存在を改めて刻みつけられた結婚式。
それはあの事件が起こる五日前の出来事だったのだから。