あれはリグルのせい(かもしれない)。

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2015年6月8日に幻想入りした「アレ」

 街がすっかり静まり返った深夜。

 がちゃり、とアパートの部屋のドアが空いた。この部屋に住むサラリーマンの青年は、ふう、と疲れたため息を付きながら台所付き六畳一間の自宅に帰宅した。彼はコンロの淵に手に持っていたコンビニの袋を置き、その袋のなかからガサゴソとプラスチックの白い箱を取り出した。

 彼はぱちりと蓋の箱を外して、流し台の横の余裕のあるスペースに箱を丁寧に置いた。そしてポットを持ってきて、鼻歌まじりに楽しげに、中の熱湯を箱の中に注ぐ。その後また元通りに蓋をする。

 

 そこまでの作業を終えると、彼はいったん居間にもどってパチンとTVのリモコンのスイッチを押した。TVが流す映像や音楽を眺める。しかし彼の視線はなんとなしにTVと壁の時計の間をちらちらと往復して定まらない。

 

 三分が経過した。

 

 彼はいそいそと台所に戻ると白い箱をそっと手に取った。箱を持ち上げて、ゆっくりと、慎重に、流しの上で傾ける。彼はとても集中している。眉根が寄って眉間に皺ができている。流しからボコボコという音が聞こえ、白い湯気が上がっていた。

 

 まもなく彼はほっとして表情を緩め、箱を持って居間に戻ってきた。彼は箱をテーブルに置き、目を輝かせながら再び蓋を開け、小袋を開けて粉末を箱に振り入れて箸でまぜる。しばらくの間ぐるぐるとかき回した後、彼は中身をそのまま箸でつまみ上げた。それは焦茶色っぽい麺だった。

 

 彼は麺にぱくりと食いついて一気にずぞぞぞっ、とすすりこむ。ごくりと麺を飲み込んで、ほう、と一息ついた。それは実に幸せそうな吐息だった。そして、彼はテーブルの上の箱をつかむと、一心不乱に麺を口にかき込みはじめた。

 

 アパートの窓辺では小さな光が音も立てずに明滅していた。一匹の蛍だった。本来ならこんな場所にいるはずのない(ナイトバグ)が窓辺をふわふわと飛んでいた。

 

 麺を喰らうのに夢中な彼がそんな小さな異変に気づく事はない。彼は箱の中身を平らげ終わると満足げな表情で立ち上がり部屋の電気を消して、床の万年床に潜り込んで眠りについた。

 

 部屋が真っ暗になると同時に、窓辺の蛍の光もひっそりと消えた。

 

 

 

 ところ変わって、ここは幻想郷。

 ここは人間界で失われ、「幻想」となったものが集まる世界である。この幻想郷では人間界で存在を忘れ去られた妖怪や妖精たちが暮らし、独自の文明を築いているのだ。

 

 さて、幻想郷のとある穏やかな午後。「氷の妖精」チルノが羽をパタパタさせながら草原をお散歩していると、脇から不意に呼びとめられた。

 

「ねえ、チルノ!」

 

 チルノが声の主の方を振り返ると、そこに蛍の姿をした妖怪が立っていた。「闇に蠢く光の蟲」リグル・ナイトバグだった。

 

「やあ、リグルじゃないか。なんだい?」

 

「聞いてください、こんなことがあったんですよ!」

 

 リグルは人間界のアパートの窓辺でみた一部始終をチルノに話した。あの青年がとても幸せそうに食べていた不思議な食べ物のことを。

 

「あの不思議な食べ物が気になって仕方がないんです」

 

「うーむ。人間の事はやっぱり人間に聞いてみたらいいんじゃないか?」

 

 ピコピコと触覚をふるわせながら熱弁するリグルに、チルノは腕組みしてしばし考えた後、そう答えた。

 

「人間って、いったい誰に聞けばいいのかな? もしかして、魔理沙さん……?」

 

 リグルは思わず口ごもってしまった。幻想郷で人間と言えば真っ先に思い浮かぶのは「普通の魔法使い」霧雨魔理沙なのだが、チルノにとってもリグルにとっても、ちょっとおっかない相手である。二人とも魔理沙にたまに光線でぶちのめされる間柄なのだ。どうでもいい質問を持ちかけるのは気が引ける。

 

「いや、他にちょうど良さそうな人間がいるんだ。あたいにまかせな! ちょいと一緒に聞きに行こうぜ、リグル」

 

 こうして、チルノはリグルを連れて、とある人間の住まいに向かったのだった。

 

 

 

「宇佐見菫子ー!」

 

 チルノが玄関前で家主の名を読んだ。しかし返事がない。

 

「おーい、菫子ー!」

 

 もう一度呼ぶ。

 きい、と音がしてドアがそおっと、少しだけ開いて、隙間から目が覗く。まもなく、今度はがちゃりとちゃんとドアが開いた。

 出てきたのは黒い帽子に黒いマントの眼鏡っ娘だった。

 

「なあに、あなたたち」 

 

 この家に住む人間、宇佐見菫子(すみれこ)だ。菫子は急な来客に驚いたが、隙間から見えた訪問者たちが小柄なホタルの妖怪と子供のような妖精だと知って警戒心を緩めた。

 どうせ妖怪たちのカーストでは下の方。せいぜい1ボスか2ボス程度の雑魚に違いない。

 一転して菫子は子供を見下すような目でリグルとチルノを見ていた。

 が、そんな菫子の態度を気にせず、というか気づかずチルノは名乗った。

 

「あたいは氷の妖精チルノ、こっちは光の蟲リグル。宇佐見菫子、あんたは人間界からきたんだろ? 人間界についてどうしても知りたい事があるんだ」

 

 宇佐見菫子は「秘封倶楽部」なるオカルト研究会をつくり幻想郷と人間界を行ったり来たりしている。だからチルノは現代の人間界の物事に詳しいだろうとアテにしたのだ。

 菫子は小妖怪たちに押し掛けられて面倒だと感じていたが、彼女たちが自分を頼ってきたと知っていささか気分を良くした。別に質問に答えるくらいなら邪険にする必要もないだろう。

 

「いいわよ。二人とも中に入りなさい」

 

 

 

「なるほどね」

 

 リグルは菫子に、チルノに話したのと同じ内容を一通り繰り返した。菫子は黙って全部聞いた後、納得したという風情で頷いたのだ。

 

「今のリグルの話でその食べ物が何なのかわかるのか、菫子?」

 

 チルノが菫子の顔を覗き込む。菫子は眼鏡のフチをくいっと持ち上げた。リグルとチルノの視線からはひしひしと期待が感じられる。その期待に違わず菫子は答えた。

 

「もちろんよ」

 

「おおっ!」

 

 思わずリグルとチルノは身を乗り出した。早く早く、と答えをせがむ二人に菫子は少しもったい付けた態度で言った。

 

「それはね、『ペヤング』という食べ物よ」

 

「ペヤング……?」

 

「不思議な名前だな。その名前からはいったいどんな食べ物なのか想像もつかない」

 

 顔を見合わせ首をかしげるリグルとチルノに菫子は滔々と語った。

 

「カップ焼きそばの一種よ。カップラーメンと似たようなものね。お湯を入れて作るインスタント食品よ。発売開始したのはもう40年も前になるけれど、人間界ではとても人気があってコンビニでもスーパーでもたくさん売っているわ」

 

「なんだ。単なる焼きそばなのか」

 

「もっと凄いものなのかと思ったのに」

 

 チルノとリグルは少し拍子抜けして口を挟みかけたが、菫子はそれを遮って話を続けた。

 

「いえ、カップ焼きそばだからと侮れないものよ。ペヤングはペヤングなの。他の何かには代え難いものなのよ。時々どんな料理を差し置いてもどうしてもペヤングが食べたくてたまらなくなるときがある。そう、たとえば食べ盛りの高校生や一日中働き詰めのサラリーマンなんかには特にね」

 

 菫子は手に持ったスマホを操作してチルノとリグルに動画を見せる。色あせた昭和時代のCMが映っていた。映像の中はいかつい空手部員やスーツ姿のサラリーマンが白い箱に入った麺類をうまそうにむさぼっているのが見えた。湯気の向こうに透けて見える脂ぎった麺はいかにもスタミナがつきそうだった。

 

「ふうむ。確かにまるで魔法の、いや魔性の食べ物だな」

 

「食べてみたい!」

 

 と、チルノとリグルは騒ぐ。だが菫子はCMを再生し終えたスマホの画面をOFFにしながら、盛り上がる彼女たちを鎮めるように告げた。

 

「無理よ。さっきも言ったようにペヤングはとても人気があるの。人間界で人気のある物は幻想郷に入ってこないのだから」

 

 

 

 菫子の家からの帰り道。リグルはいまだあの人間の食べ物「ペヤング」のことを考えていた。菫子はきっぱり「無理よ」と言った。……それでも、まだ諦めきれない。

 

「よし! 自分で手に入れよう」

 

 そうだ、幻想郷に入ってこないのなら、自ら取りにいけばいいのだ。

 リグルは蛍に姿を変え、人間界に飛び立った。

 

 

 

 群○県 某所。ここにはあのペヤングを製造する工場がある。

 今は真夜中。もう工場の中は当然人気がなく、機械も停止し、静まり返っている。その中にふらりと小さな光が紛れ込んだ。

 明滅を繰り返す小さな光は床近くまで降りてくると、一瞬大きく輝いて消えた。光が消えた後には羽型のマントをはおり半ズボンをはいたボーイッシュな女の子の姿があった。蛍の妖怪リグルはペヤング工場に潜入したのである。

 

 しかし目当てのものがいったいどこに置いてあるのか見当がつかない。リグルはしばらく工場の中をうろうろしたがそれらしきものは見つからなかった。

 このままでは埒があかない。とりあえず、何かしよう。

 

「リグルキーック!」

 

 リグルは目の前の棚を思いっきり蹴った!

 棚が壊れた!

 

 そして、壊れた棚の上の段から白い箱が いくつかバラバラと降ってきた。

 

「これは」

 

 リグルは白い箱を手に取る。間違いない。あの夜にサラリーマンの青年が食べていたのと同じだ。これがペヤングだ。

 

 だが、

 

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリ

 

 突然、工場内に警報機の音が鳴り響いた。棚を壊した衝撃でリグルが忍び込んだのがバレたのだ。

 

「あわわわわ」

 

 リグルは慌てて工場の中を走る。人間に捕まってはいけない。早く逃げないと。急ぐ余り、角を曲がる際にガツン!と機械にぶつかった。

 

「いたたたた!」

 

 背中の羽型マントが機械にひっかかり、ベリベリと破れた気がする。それでもリグルは逃げ足を止めず、先ほど外から侵入した場所に戻ると、再び蛍に姿を変えて空に飛び去っていった。

 

 

 

 

 その後、人間界では。

 

*************************

 毎朝新聞ニュース

 

 ペヤング、麺の中に虫が混入

 

 人気のカップ焼きそば「ペヤング」の中に虫のような黒い物体が混ざり込んでいたことが、製品を購入した消費者からの指摘により発覚した。この指摘を受けて製造元は全商品の生産・販売を休止すると発表した。

 厳重に調査を行い、安全性の確認と品質管理の向上を行う。製造が再開されるまで数ヶ月かかる見通しだ。

 

*************************

 

 

「なんてことだあああああああああああ!」

 

「俺が愛するペヤングがあぁぁぁぁぁぁ!」

 

「ペヤングが食べられなくなるなんて……」

 

 人間界はこうしてペヤングが失われ、ペヤング愛好者たちが悲痛な声をあげていた。

 

 

 

 再び、幻想郷。

 リグルの棲み家の台所にて、リグルとチルノはテーブルの上に置いた白いプラスチックの箱を見ていた。リグルが人間界から持ち出してきたあの箱である。確かに菫子のスマートフォンで見たのと同じだ。

 

「リグル、これがあの『ペヤング』なんだな!」

 

「そうだよ、チルノ。さっそく作ってみようよ」

 

 親切な事に白い箱の蓋に作り方の説明が記載されていた。リグルはその説明に従い、まず蓋を外した。「かやく」と書かれた小袋を裂いて中身を箱の中にぱらぱらと入れる。その上からポットで熱湯をそそぐ。そしてまた蓋をする。

 

「これで三分待つんです」

 

「ああ待ち遠しいなあ」

 

 リグルとチルノは壁の時計を見上げた。カチ、カチ、カチ、と秒針が動くのをじっと待つ事三周。

 

「よし三分経ちました」

 

 リグルは箱を持ち上げ流しに向かう。蓋の角の爪を持ち上げて穴を作ってから、蓋を押さえて慎重に、流しの上で傾けた。箱の中のお湯が湯気と共にシンクに流れ落ちる。なるべく丁寧にお湯を切り、また箱をテーブルに持ち帰った。

 

 テーブルの上に箱を置いて蓋を外すと、中身の乾麺が湯を吸って蒸し麺のようにやわらかくなり、パラパラの欠片だった「かやく」も広がってキャベツになっていた。そこにソースをかけて箸で混ぜる。濃厚な香りが広がり、麺に色がつき、見る間に焼きそばらしくなっていった。

 最後に仕上げの一工程。青海苔と胡椒の小袋を開けて、粉末を焼きそばの上に振りかけた。リグルとチルノは同時に歓声を上げた。

 

「完成だっ!」

 

 カシャ!

 

 玄関の方からカメラのシャッター音がした。リグルとチルノがそちらを振り返ると、そこにはいつのまにか一眼レフカメラを構えた鴉天狗の姿があった。

 

「やあ、お二人さん。毎度お馴染み、射命丸です」

 

 彼女は「文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)」なる新聞を発行する幻想郷の新聞記者、射命丸(しゃめいまる)(あや)

 彼女は手にもった新聞を広げ、リグルとチルノに突きつけた。「文々。新聞 号外」と題されたその新聞の一面にはどーんとリグルの写真が載っていた。人間界からペヤングの箱を持ち込んできた瞬間がばっちりと激写されていた。

 

「ああっ、いつの間にっ!」

 

 うろたえるリグルとチルノに文は容赦なく詰め寄った。

 

「リグル、勝手に人間の世界に行ってモノを取って来るなんて。しかしブン屋の目はごまかせません!」

 

「あわわわわ。ごめんなさい……」

 

 ペコペコと頭を下げリグルとチルノはひたすら謝った。だが文の視線はテーブルの上のペヤングに向いている。

 

「その人間の食べ物、私にも食べさせなさい!」

 

「ええー、幻想郷ではペヤングはこれ一つしかないのに」

 

「ダメと言うのであれば、今しがた取ったできたてペヤングの写真も号外にして幻想郷中にに配りますよ」

 

 有無を言わさない態度の鴉天狗。従わなければ明日からリグルは幻想郷のどこへいってもうわさ話のタネにされてしまうだろう。ここは従うしかなかった。

 せっかく体をはって手に入れたペヤングだというのに、鴉天狗につまみぐいされてしまうとは。

 無念、とリグルは天を仰いだ。

 

 その時、ガンガンガン、と屋根に何かがぶつかる音がした。何事か、とリグル、チルノ、そして文の三人が家の外に出ると、空から大量の白い箱が降ってきていた。

 全部、ペヤングだった。ペヤングは人間界で販売停止となったので幻想郷に入ってくるようになったのだ。

 

 

 

「できたてのペヤングにタマゴの入れるのが通よね。まろやかさが増すわ」

 

 と言いながら幻想郷の巫女、博麗霊夢はできたてペヤングの上にタマゴを割り入れてかき混ぜる。

 

「やっぱりガツンと超大盛だな。ペヤングはパワーだぜ!」

 

 魔法使い、霧雨魔理沙は通常の二つぶんのサイズがある「ペヤング超大盛」をほおばっている。

 

「あっ、あやややややや!?」

 

 射命丸文はペヤングの蓋の裏にくっついてしまったキャベツをみて戸惑っていた。その姿をみたリグルはちょっと自慢げに文にレクチャーした。

 

「そうならないコツがあるんですよ。いったん麺を取り出して、箱の底にかやくを入れる。その上に麺を戻してお湯を入れる。これでキャベツが蓋に張り付きません」

 

 そう言いつつリグルは自分で作ったペヤングの蓋を開けてみせた。蓋の裏には見事なにもついていない。

 

「ほほう、なるほど」

 

 文は感心しながら、その小技を手帖にメモし、カシャカシャと一眼レフのシャッターを切った。

 

 こうして、

 

 紅魔館で、

 白玉楼で、

 守矢神社で、

 命蓮寺で、

 

 幻想郷の至る所でソースの匂いと白い湯気が立ち上るようになったのだった。

 

 

 

 さて、人間界ではあの日から半年以上の月日が流れた。

 そして2015年 6月8日。

 

 ペヤング、販売再開。

 

 その朗報を聞いたファンたちは、さっそくスーパーやコンビニに押し掛け、ペヤングを購入した。販売再開したペヤングは従来のデザインを踏襲しつつも若干パッケージが変わって以前よりも安全と衛生のための工夫がなされていた。

 しかしそれを見た人々はペヤングの復活を喜びつつも困惑の声を上げた。

 

「なんてことだ……」

 

「これでは アレ ができないじゃないか!」

 

「そんな……。アレ がないペヤングなんて!」

 

 

 

 皆、気のむくままにペヤングを食べられるようになった幻想郷。

 ある日、リグルは始めてペヤングを見た時のことを思い出した。深夜のアパートの部屋で一人密やかな楽しみを味わうようにペヤングを食べていた青年のことをだ。幻想郷のみんなと一緒にワイワイと食べるのも楽しいけれども、あのときの彼のように夜中にひっそりとペヤングを食べたくなった。

 

 蓋を外し、かやくを入れ、お湯を入れ、蓋を戻す。

 三分経ったところで箱を流しに持っていって、傾けてお湯を切る。

 

 不意に、するりと蓋が外れた。

 

「ああっ」

 

 麺が流しに。

 

 だばあ。




ペヤング新パッケージで湯きり安心!

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