力無く降下していく魔理沙を抱き寄せ、私は石畳の上に着地する。
「よくこんな状態で戦えたわね」
魔力は枯渇し、身体中は痣だらけ。服もボロ雑巾のようになってるし、一体誰にこんなになるまでやられたんだか。
「凄い! あんなエネルギー砲みたいのに真っ向から撃ち勝つなんて!」
母屋の縁側から駆け寄ってくるのは、先程から私と魔理沙の戦いを眺めていた透明人間____トオル。
そう、私はまずトオルに
あれをやらなければ、私の気が済まない。
「紅白の人大丈夫? なんなら僕が白黒の人居間まで背負うよ」
「紅白の人……?」
私は夢想天生を解いていない。
そうでなければトオルという存在を思い出せなくなるからだ。
___思い出せなかったのは私だけだと思っていた。
「私の事、憶えてないの……?」
「えっ、巫女さんの事? 生憎、僕に巫女さんの知り合いは記憶にはないなぁ」
トオルは、私の事を憶えてくれていると思っていた。
「あれ? そもそも僕って知り合いいたっけ?」
トオル自身の能力の暴走だとしても、私達の事は憶えていてくれると思ってたのに。
「そういう意味では君が僕の初めての知り合いってことになるのかな?」
「……」
そこまで、深刻だったの。
ねぇ、トオル。
あんた_____
「姉のこと…………」
「えっ? 」
「忘れんな!!!」
「ぶえへぇ!!?!」
私は感情をぶつけるように、トオルの顔面に思いっ切り鉄拳をお見舞いした。
「いえ、え、えっ、なんで? なんで僕に触れ、ていうかなんで僕殴られたの!?」
そのまま縁側の奥の居間まで吹き飛んだトオルが理解できないとばかりに混乱している。
「近付いて、ちょ、なんで近付いてくるの!?」
私がまずやらなければならないこと。
それはこれまで私達に迷惑を掛けたトオルに鉄拳制裁を与えること。
「ややややめて! 来ないで!! 暴力反対だから!」
そしてもう一つ______
「へっ……」
「私に、あんたのこと忘れさせないでよ」
強く、そう強く抱き締めること。
これまで当たり前であった存在が、突如として無くしていたという欠落感が、どれだけ苦しかったか分かる?
胸の詰まる違和感が、家族がいなくなっていたことだと思い出した時の絶望感をあんたに分かるの?
本当は真っ先に抱き締めたかった。
もう、忘れたくない。忘れられたくない。
家族を失いたくない。
だからお願い。
いつものトオルに戻ってきて。
「れ、いむ……?」
ーーー
僕は今、何をしているのだろう。
あれ、なんで縁側でボロボロの魔理沙が倒れてるんだ。
それよりも身体が苦しい。何かで締め付けられてるようだ。意識も朦朧とする。
僕は今まで何をしていたんだ。
もしかしてまたお酒でも呑んで酔いつぶれてしまったとか?
あれ、ていうかこれ_____
「れ、いむ?」
「!! あんた、今私の名前___」
「……なんで、抱き締めてるの?」
身体が締め付けられてる感覚はこれが原因か。
人が弱ってる時に何をやってるんだか。
「もしかして、人肌恋しくなったパターン」
「……そうよ。だからこのままでいさせて」
「えぇ?」
まさか肯定されるとは思わなんだ。
てっきり鉄拳制裁でも喰らうのかと思ったのに。ん、でもなんか左頬が痛むな。なんでだろ。
「もしかしてトオル、私の事思い出したの?」
「思い出した?」
思い出したも何も、霊夢は物心付く前から知ってる仲____うん?
「もしかして僕、今まで霊夢の事忘れてた?」
「紅白の人とか言ってたわよ」
少しずつだけど、意識がはっきりしてきた。
そうだ、僕は能力が暴走してたんだった。
『ありとあらゆるものを避ける』程度の能力。
最初は他者が僕を認知できなくなって、果てには自身ですら認識があやふやになっていっていた。なんなら少し前に起きた事柄すら忘れてしまう認知症のような症状まで出てたんだよね。
正直、もう駄目だと諦めて博麗神社に行った所までは憶えているんだけど、それ以降の記憶が全くと言っていいほどない。
覚醒めたら霊夢に抱き締められてたし。
「でもなんで、僕は急に正気に戻ったんだ」
「……たぶん、私の夢想天生の、おかげね。理屈は分からないけど、私がトオルに、触れたら記憶が戻ったもの」
「夢想天生が僕の能力を……?」
確か夢想天生は霊夢のラストワードであり無敵の必殺技の筈。
霊夢自身が不透明な透明人間となり、何人も霊夢に触れることはできない。
それがなんの因果で僕の能力を抑えられているのか。
以前に霊夢が使ってた時は意識は半覚醒の状態だったのに、今は完全に意識を保った状態で僕と会話ができている。それも僕の能力が抑制されていることと何かしら関係があるってことなのだろうか_____いや、ちょっと待てよ。
「それってつまり、霊夢は今ずっと夢想天生を発動しているってこと?」
「そういうことに、なるわね」
僕が霊夢の手に触れようとしても何故か触れられない辺り、事実であることは間違いない。
夢想天生は霊夢自身の能力をフルに活かした必殺技だ。
いわば全力。霊夢の今の状態は持久走で全力ダッシュをし続けているような状態と言っても等しい。
「んなことは、どうでもいいのよ。まずは、トオルの……」
「霊夢?」
霊夢の身体から聞こえる鼓動音が速くなっているのを感じる。
耳元からは細かく荒い息が漏れているのが分かる。
おそらく、限界が近付いのだろう。
このまま無理に能力を発動させ続ければ、霊夢自身が危うい。
「霊夢、もう良いよ。能力を解いて」
「…………はっ! 何を言ってんの。それをしたら、あんたがまた暴走するでしょ」
「でも霊夢が危険だよ!」
「一丁前に人の心配してんじゃないわよ。私のことは良いから、あんたの能力をどうにかしなさい」
「もう考え尽くしたよ! それでも駄目だった! こんな場繋ぎなことをしても霊夢の身体が危険に晒されるだけで意味ないから!」
「すぐに諦めんな! あんたの悪い癖よそれ!」
「悪い癖も何も、駄目なもんは駄目なんだよ! 良いから速く離してよ!」
「駄目、絶対離さない……!」
僕の能力は僕の手に余りある代物。僕なんかが持って良いものではなかった。
なんで僕にこんな能力が付いてしまったのか。霊夢のおかげで一時的に抑えられたところで、焼け石に水でしかない。
こんなことで霊夢の身体に負担が掛かり、後遺症まで残ってしまったら笑い話どころではない。
幻想郷の巫女が、僕なんかのために犠牲になって良い訳がない。
「私は私の意思でこうしてるの。トオルに、とやかく言われる、筋合いは……ない」
僕の背中に伝わる霊夢の腕の締付けが徐々に弱くなってきているのを感じる。
先程から霊夢は息も絶え絶え、今のように少しだけ意識も飛びかけている。
僕はそんな霊夢の姿を見たくなんかない。
「霊夢の、苦しんでる姿を見たくないんだよ」
「……」
僕だって自分の存在が消えるのは嫌だ。
でも諦められたんだ。そして今は、一度諦めた自分のことなんかより、霊夢の方が心配なんだ。
「私も同じよ」
「えっ」
「私に、あんたを忘れさせないでよ」
徐々に弱りつつあった抱擁の感触が、再度強くなっていく。
忘れさせる。僕の事を、霊夢が。
そうだった。
霊夢は僕の事を忘れていたんだ。
それに僕は絶望して、能力の暴走が速まってしまった。
でも霊夢は夢想天生を発動させて僕のことを思い出した。
_____一方的な干渉。
今は僕が霊夢に触れられないのに、霊夢に抱き締められる状況のように、霊夢の今の状態は誰に対しても一方的に干渉でき、相手には干渉させない状態。
恐らく、僕の能力が抑制された理由もそこにあるのだろう。
もしかして、僕が霊夢に忘れられた事に絶望したように、霊夢も僕を忘れていたことに少なからず同じ気持ちだったんじゃないか。
「ねえ、トオル。前に私、あんたのこと、家族じゃないって、言ったことがあるでしょ」
「……うん」
僕の記憶が呼び覚まされた時に真っ先に思い出した事だ。
家族と思ってた人に言われたその発言に、当時の僕は深く傷ついていた。
まるでそれまでの全てを拒絶されたかのように。
そうだ、その時だ。
____全てから逃げたいと思ったのは。
「あの時は本当にあんたのこと、家族とは思ってなかったの」
「……そうだったんだ」
傷口に塩を塗られていく。
僕にとってのトラウマなのに、霊夢はまた___
「でも、今は違う」
「えっ」
少しだけ力の籠もった声。
落ちていく僕の心に一筋の光が灯される。
「あんたは、トオルは、私にとって大切な『家族』なの。だから_____だから諦めないでよ」
僕の右頬に、一筋の水滴が伝う。
霊夢は、僕の事を家族だと言ってくれた。
前にも何度か言ってくれたけど、今のはこれまでとは全然違う……霊夢の本心だということが、鈍い僕にも理解出来た。
僕は別に、霊夢に対して特別に何かをした訳じゃ無い。
物心がついた時から、ずっと一緒にいただけだ。
ただ、それだけ。
昔は、何をするにも霊夢の後をついて回った。
そんな僕を霊夢は煙たがってたのを憶えている。
霊夢が博麗神社へ移り住む時、心配だったという理由で僕も移り住んだのは建前。
本当は僕が、霊夢と離れるのが寂しかったから。
シスコンだと言われても仕方がないレベルで、当時の僕は霊夢に依存していた。
____でも、一緒に住み始めてからずっと不安があった。
僕は、霊夢の足枷になっているんじゃないか。
本当は僕なんて、いない方が良いんじゃないか。
「霊夢……僕は、僕は」
口が上手く回らない。
僕の能力が封印されてもなお、ある程度使えていたのはこれが原因なのかもしれない。
僕なんかいない方が霊夢にとって幸せなんじゃないか、本当は僕なんて家族とは思ってないじゃないかとずっと心の片隅にあった。
でも、霊夢の言葉が、行動が、それら一切を否定していた。
これまで、迷惑をかけないように生きてきたつもりなのに、なんでこんな感情で僕は_____
……本当に嫌になる。
感情一つで、たった一言で、ここまで暴走していたなんて、とんだ精神弱者だ。
でも、それでも、そんな僕でも…………
霊夢は、家族だと、ずっと、思って、くれていた。
「ぼぐは"、ここに"、いても"……いい"の"か"な"」
自分でも恥ずかしくなるぐらいに涙と鼻水が流れ出す。
汚い。拭きたいけど、気力が湧かない。
心臓に突き刺さった針が抜かれて、決壊した気分だ。
止め処無く溢れる感情を余所に、霊夢は僕の頭を撫でてくれる。
「あんたね_______
____自分の家に帰る許可を取る馬鹿はいないでしょ」
_____その言葉を聞いて、僕の中にある確固たる何かが、組み立てられた気がした。
ーーー
「あれ……」
天井の隙間から射し込む日差しに鬱陶しさを感じ、私は重い瞼を開ける。
屋根が半壊したにも関わらず、私は母屋で一夜を過ごしてしまったようだ。
ここは……私の部屋。
部屋は意外にも破片は落ちておらず、誰かが掃除したものだと思われる。
服は、そのままね。流石に汚いから着替えないと。
誰かが、私を自室まで運んでくれたのかしら____
「!!! 誰かがじゃない! トオルは何処にいるの!
そうだ。私はトオルの涙混じりの愚問に答えた事を皮切りに、気絶してしまった。
「うぐっ……」
無理が祟ってか、身体を起き上がらせるだけでも全身が刃物で切りつけられたかのような鋭い痛みが走る。
夢想天生を長時間発動させ続けたのは流石に自殺行為だったのかもしれない。
でも、発動させ続けた事に後悔はしていない。
なんならもっと長く出来なかった事の方が悔しい。
「この、程度で! へばってちゃ、巫女なんっ……て! やってられないわ!」
悲鳴を上げる身体を無理矢理立たせ、壁によりかかりながら自室を後にする。
一歩進む毎に意識が刈り取られそうになる。
居間に誰かがいる気配がある。
きっとそこに、トオルがいる筈。
そしてまた夢想天生を発動させて記憶を取り戻させる。
幾らでもやってやる。
お姉ちゃんパワーを舐めるんじゃないわよ。
「あ"あ"〜、頭いで〜」
襖を開け、瞳に映る居間の光景は、ボサボサになった髪を掻き毟りながら味噌汁を啜る魔理沙の姿であった。
「んあ〜、霊夢? お前も起きたか」
「トオルはどこ!」
「あっ?」
台の上には御飯と味噌汁、焼き魚に漬物と、身体に優しい朝食が二組用意されていた。
まさか魔理沙が私の分まで用意してくれたとは考えにくい。
「あいつなら、彼処」
魔理沙が箸を持つ手で指す先は、台所。
襖の奥からは洗い物をしている音が微かに響いてくる。
「!!」
身体に鞭を打ち、なんとか台所へ続く襖まで辿り着く。
そして私は勿体げもなく、慌てて襖を開けた。
「あっ、霊夢起きたんだ」
そこにはいつもの____これまで当たり前と感じていた姿が、そこにはあった。
「んっ? もしかして服を着替えさせなかったこと怒ってる? 仕方ないじゃないか。下手に脱がしたら、なんか後で言われそうだったし。自己防衛だよ自己防衛」
見当違いな事で言い訳をしだす私の弟。
相変わらず、ね。本当に。
「馬鹿」
言い訳よりもまず、言わなきゃいけないことがあるでしょ。
これまで、ずっと行方不明だったんだから。
「おかえり、トオル」
私の発言に、トオルは眼を見開き、その後恥ずかしそうに頭を掻いた。
そして漸く______
「ただいま、お姉ちゃん」
_____身内間で起きた、小さな異変に幕が下りた。