絶望の未来(前編)
運命を変えたい。
少女がその誓いを胸に抱いてから、十数年にも渡る時が経とうとしていた。
「もうそんなに経っていたのですね」
これまでのことを思い返すと、自嘲とも苦笑ともつかぬ笑みが零れる。時間の流れとは長いようで、かくも短いものだ。
少女の青春とは戦いであった。他の生き方を、世界が許してはくれなかった。
戦い、というのは邪竜ギムレーによる侵攻のことだ。
かの邪竜は、世界滅亡を目論んでいた。『屍兵』と呼ばれる異形の化物を大陸各地へと送り込み、生きとし生ける者を片っ端から根絶やしにしているのだという。
当然、その矛先は少女の住まうイーリス聖王国にも向けられた。
望むと望まざるにも拘わらず、少女は戦いを余儀なくされた。自国の民を守るため、剣を手に取った。幼くして、苛酷な戦場に身を投じることになった。
自分の境遇に不満はなかった。
それが、王族として果たさなければならない務めだと思ったからだ。
誰かがやらなければならない。
その役目がたまたま自分に回ってきたというだけのこと。
ならば、
――私に出来うる限りのことをするまでです。
少女は戦いを、ごく自然なものとして受け入れた。
少女の家系は、英雄王マルスの末裔であり、初代聖王の子孫でもあった。
聖王とは、かつてナーガと共にギムレーを封印したと言われており、マルスに比肩するとも劣らない偉業を成し遂げた人物である。初代聖王はギムレーを封じた後、イーリス聖王国を建国しており、代々の王は「聖王」と呼ばれ、イーリス聖王国の王座に就いている。
そして、聖王の血を受け継ぐ者たちには不思議な特徴があった。「聖痕」と呼ばれる、痣のようなものが身体のどこかに浮かび上がるのだ。
当然、少女の身体にも聖痕が刻まれている。少女の場合は、左目だった。それが少女を王族たらしめる何よりの証だった。
いわゆる、一国の姫君だ。
世が世ならば、絶世の美女としてもてはやされていたであろう。少女はそれ程の美貌の持ち主であった。
両親の顔はあまり覚えていない。物心がつくようになった頃、王城に飾られた両親の肖像画を見て、それが自分の生みの親だということを少女は初めて知ったのだ。
当時、まだ産まれて間もなかった少女は、イーリス聖王国の王城にて乳母の手で育てられていた。その頃、イーリス聖王国はヴァルム帝国からの侵攻を受けていたのだ。両親はその対応に追われ、王城へ帰ってくることはなかった。それ故、少女が両親と接する機会はほとんどなかったのだ。
ヴァルム帝国との決着がついて間もなく、父は戦場で命を落とした。母は父の死後、行方知れずとなっており生死も定かではない。
少女の父は、仲間の手で殺されたのだという。それも父が最も信頼していた仲間に、である。父に仕えていた部下から、そう伝え聞かされた。
親の死に目に立ち会えなかったのは幸運なのか、はたまた不幸なことなのか。少女自身には判別がついていない。仲間の中には、目の前で親を殺され、それが原因で心に深い傷を負ってしまった者もいる。少女にはその者が、どちらの側に立っているのか分からない。少なくとも、幸せに見えないことは確かだった。
――もっと私に力があれば。
自分の力が及ばないことを、少女はひたすら悔やんだ。少なくとも、当時の自分に戦えるだけの力があれば、誰かを悲しませることはなかった。復讐に人生を費やす者を、一人でも多く救えたはずだ。
――お父様もお母様も、死なずにすんだ。
そう考えれば考えるほど、己の無力を呪わずにいられた日はない。
少女の手元に残されたのは、母のペンダントと、父の形見であるファルシオンのみ。ファルシオンとは、神竜ナーガの牙によって造られたという、決して刃こぼれを起こすことのない伝説の神剣である。
かつて古の英雄王マルスによって戦争に終止符を打ち、初代イーリス聖王によって邪竜ギムレーを封印したのだという。由緒正しき神剣である。
少女には、そのありがたい肩書きがときおり重く感じるときがある。
――私に、ファルシオンを扱えるのだろうか。
聖王の血を引いているとはいえ、到底自分に使いこなせる気がしなかった。自分が聖王の娘であることに、耐えられなくなっていた。
――よりによって何故、自分の代に。
思わずそう零しそうになった。口にこそ出さないが、聖王という肩書きを恨めしく思ったこともある。
何故、自分なのか。
どうしてこんな辛い目に合わないといけないのか。そんな愚痴を零すことさえ、少女には許されなかった。もしそんなことが兵士の耳に入ろうものなら、自軍の士気にかかわる。仮にも人の上に立つ身の上。弱音を吐くのは示しがつかない。
苦しいのは皆、同じなのだ。
だが、少女の努力とは裏腹に、屍兵による被害は増していった。
幾つもの町や村が焼かれ、無抵抗の住人たちが虐殺された。それを目撃する度に、少女は己の無力さを痛感しない日はない。
どれだけ奴らを斬り伏せても、どこからともなく無尽蔵に湧いてくる。
状況は好転するどころか、日に日に悪化していくばかりである。
――私に、もっと力があれば。
心が悲鳴を上げていた。身も心も、少女は追い詰められていた。
そんなときだった。「炎の台座」の伝承を耳にしたのは。
それは神剣ファルシオンと同様に、イーリス聖王国の至宝とされている。台座と呼ばれる通り、五つの窪みがあり、そこに神竜ナーガの力を宿す宝玉をはめ込むことで、その力が覚醒するのだという。
英雄王マルスや、初代聖王がギムレーが封じるときも、炎の台座の力がそこにあったとか。
炎の台座は、代々のイーリス聖王が所持していたというが……残念ながら少女の元に、炎の台座は残されていない。炎の台座は、父の死とともに失われてしまった。聞くところによると、ギムレー教なる怪しげな宗教組織によって奪われてしまったのだという。事実、彼らは炎の台座を用いて、この世界に邪竜を復活させてしまった。
――あくまで噂の範疇ですが……ギムレーの復活の儀はペレジアで行われたと聞いています。その辺りを探せば何か見つかるかもしれません。
だが、こんな状況下で国外を渡り歩くのは自殺行為と言えた。屍兵が我が物顔で各地を闊歩し、街道は死体の山で溢れかえっている。常に命の危険がつきまとう険しい旅路となるのは誰の目にも明白であった。あるかどうかも分からぬモノのために、命を賭けるのはいささか代償が大きすぎやしないだろうか。
だが、それでも誰かが行かなければならない。
遅かれ早かれ、この状況が続けばそう遠くない内にイーリスは滅ぶ。いや、それどころか世界が滅亡しかねない。それほどまでに世界情勢は逼迫したものだった。ギムレーを封印しない限り、この世界に真の安息は訪れやしないだろう。
そんなとき、仲間の一人が、
「もし正体を隠す必要があるときは、これを使え」
少女にある物を渡した。手渡されたのは、蝶の形を模した、漆黒の仮面だった。
「ジェローム……これは?」
「仮面は便利だ。多くを語りたくないとき、仮面の奥に本音を押し込むことが出来る。そうすることで私も楽になれた」
少女の不安を見透かしたかのような一言に、どきっとなった。
群れることを極端に嫌う彼にしては、他人を気遣うなど珍しいことだった。仲間たちからも一歩身を引いているからこそ、見えるものがあったのかもしれない。
「ありがとうございます」
少女はジェロームの気遣いに感謝した。
そして少女は決意する。
――運命を変えてみせます。
全ては、父の愛した聖王国イーリスと、その民を守るため。
その思いを支えに、少女は世界各地を仲間と共に渡り歩いた。
少女は旅の中で身分を隠し、自らをマルスと名乗った。イーリス聖王国の姫君としてではなく、古の英雄王の仮面をかぶることで。
誰かを騙す目的でそう名乗ったわけではない。自軍の士気を上げるためであり、滅びゆく世界を救うための願いでもあった。事実、そうすることで、少女は古の英雄王から力を借りられる気がした。
それから仲間達の活躍によって、炎の台座と宝玉を取り戻すことに成功。順風満帆に思われた少女たちの旅路だが、ここで大きな問題に見舞われることとなる。
「結局、最後のひとつは所在が分からずじまいですか」
炎の台座に収まる宝玉は全部で五つ。だが、手元にあるのは四つだけだった。
最後の一個が、どこを探しても見当らなかった。ひとつでも宝玉が足りなければ、覚醒の儀は失敗に終わる可能性が高い。
あまり時間をかけ過ぎると、自分たちの動きを邪竜ギムレーに勘付かれる可能性がある。そうなったとき、奴は真っ先に、炎の台座を奪いにかかるだろう。
それに、イーリスを離れてから時間が経ち過ぎた。あの国に残してきた部隊だけでは、屍兵を相手取るのもそろそろ限界だろう。
いちかばちか、運を天に任せてみるほかなかった。
――やるしかない。
少女は、儀式の言葉を口にした。
「神竜ナーガよ。我、資格を示す者」
朗々と響き渡る少女の声。
「その火に焼かれ、汝の子となるを望む者なり。我が声に耳を傾け、我が祈りに応えたまえ……!」
だが、そんな彼らの願いも虚しく、
覚醒の儀は不完全なまま終わりを告げた。
やはり宝玉が足りなかったのが原因だった。
「自分たちのしたことは無駄だったのか……」
誰が呟いたのかは分からない。もしかしたらそれは自分だったのかもしれない。
だけど、誰も叱責の声を上げる者はいなかった。みな、同じ思いだったのだろう。命の危険と常に隣り合わせになりながら、ここまでやってきた。それもひとえに世界を救うという目標があったからこそである。だが、少女とその仲間の旅路は、何の成果も得られることなく、徒労に終わったのだ。
少女たちの旅は失敗に終わった。
誰ひとりとして、顔を上げることが出来なかった。
失意に沈む仲間たちの前で、突然光が弾けた。
目を焼くようななまばゆい光に、顔を覆った。
(諦めてはなりません)
心を撫でつけられるような声がした。
光の中から、燦然と輝くものが現れた。
あまりのことに、誰もが息を呑んだ。
光り輝く人間――いや、女性の形をした宝石。そうとしか形容しようのない代物が、そこにいた。
それは、見るも神々しい存在だった。
母性の象徴とでもいうような、慈愛に満ちた微笑を浮かべている。それを見ているだけで、全てを包み込まれるような優しさに溢れていた。
「ナ、ナーガ様……!」
そのとき、仲間の一人――ンンが驚愕の面持ちでそう叫んだ。
「何だって!?」
皆が呆気に取られたような表情で、ンンとナーガを交互に見つめ返している。
彼女はマムクートの血を引いており、その特性でときおり神竜ナーガの声を聞くことがあるのだという。その彼女が、目の前に現れた女性をナーガと、はっきりそう呼んだのだ。
神竜ナーガとは、邪竜ギムレーと対を成す存在である。
伝承によれば人の姿を借りて現れるらしく、文献によっては男性の姿だったり女性の姿だったりと定まらない。もっとも、人前で姿を現すことは滅多になく、その存在さえ疑問視する声が上がっている。だが、こうして人前に姿を現したということは、よっぽどの事情があるのだろう。
ナーガは言った。
(世界を救う手立てはまだ残されています)
「それは……一体?」
思わず少女は声を上げていた。藁にもすがるような思いだった。覚醒の儀が失敗した今、他にどのような手段があるというのか。
皆が見守る前で、ナーガは口を開いた。
(過去に戻り、未来を変えるのです)
ナーガの宣告に、どよめきが起こった。
「未来を……変える?」
「可能なのか……そんなことが?」
普通ならば、こんな与太話を信じるわけがない。
けれども、それを提案してきたのはナーガである。神の竜と呼ばれた彼女がそう言うならば、それも可能なのだろう。そう思わされるだけの神威がそこにはあった。
「ねえ……今ものすごいこと気づいちゃったんだけどさ」
仲間の一人――天馬騎士のシンシアがおずおずと手を挙げる。
「それって、あたしたちの両親と、もう一度会えるってことじゃない?」
しん、と場が静まり返った。
「あれ、あたし何かおかしなこと言っちゃったかな?」
戸惑うシンシアを、仲間たちが拍手喝采で迎えた。
「そうか、その手がありましたか。実に興味深いです」
「すごい、すごいよシンシア。それが本当ならすごいことだよ。僕達の両親にこれからの出来事を教えれば、みんなの命を救うことが出来るかもしれない。それどころか、世界を変える事だって出来るんだ!」
「それって俺たちが生き残れるってことだよな? 俺たち、本当に絶滅しなくて済むのか!」
「さしずめ俺たちの肩書きは未来を予見する者……といったところか。悪くない響きだな。血が騒ぐぜ」
「ふん、シンシアにしては珍しく良いこと言うじゃない」
たがいに好き勝手なことを言いながらも、みなの瞳には、はちきれんばかりの希望が宿っていた。
ここに集う者たちは皆、両親がいない。戦場で勇敢に戦い、命を落としていったのだ。
両親とはもう二度と会えないと思っていた。言葉を交わすことさえ諦めていた。死んでしまったのだから、それは当然だった。
だが、過去に戻れたなら――
世界が混沌に包まれる前に、自分たちが世界を正しい方向へと導く。
もしかしたら自分たちの両親を死の淵から救い出せるかもしれない。この悲劇を無かったことに出来るかもしれない。過去を変えることで、あの温もりを取り戻すことが出来るかもしれない。
ああ、それはなんと素晴らしいことなのだろう。誰もがそう思った。
そんな優しい世界に、思いを馳せずにはいれない。夢を抱かずにはいられない。
だが、少女が次に発した言葉で、和やみかけた空気が霧散した。
「私たちが過去へ飛んだとき、イーリスは……この世界はどうなってしまうのでしょうか?」
皆が凍りついた。ひとときの夢が覚め、現実に引き戻されたかのように。あるいは誰もがその可能性に気づいていて、あえて目を背けていたのかもしれない。
重苦しい沈黙が立ち込めるなか、ナーガは言った。
(私にも未来を予測する力はありません。ですが、あなたたちを失うことで、この世界は更なる危機に見舞われるでしょう)
過去改変。たしかにそれは希望に満ち溢れた選択肢だ。だが、それはこの世界を――自分たちの生まれ育った故郷を見捨てろ。そう言われたのに等しい。
ナーガは断定こそしなかったが、自分たちがいなくなった後で、この世界のイーリス聖王国が持つという保障はない。間違いなく、滅びを迎えるであろう。
(答えは今すぐでなくとも構いません。しばし、考えるだけの時間を与えましょう。今一度、じっくり考えて答えを出しなさい)
それだけを言うと、ナーガの姿は煙のように消えた。まるでそこにいたのが嘘だったかのように、影も形もなくなっていた。
取り残された面々に、重たい沈黙が横たわる。
誰も口を開こうとしなかった。
皆、何を話せばいいのか、まったく見当がつかないでいる。ナーガの言う猶予が、どのくらいなのかは分からない。あまり思い悩んでもいられないのはたしかなことだった。こちらの葛藤や悩みなど構いなしに、期限だけは確実に迫っている。
行き先の見えない不安が、一同を支配していた。
――絶望の未来か、希望の未来か。
なんとも残酷な選択肢だった。傲慢にも、自分たちはその二つを天秤に架けようとしている。どちらも同じくらい正しくて、どちらも同じくらい間違っている。
そして、どちらも人の命がかかっている。
それだけは確かなことだった。