ファイアーエムブレムIF 運命の姫君    作:ティツァーノ

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絶望の未来(中編)

 翌日。一行はなんともいえぬ沈鬱な面持ちで、イーリス聖王国への帰路についていた。

 城ではみなが帰りを待ちわびていることだろう。少女とその仲間たちが、良い報告を持ち帰ってくることをさぞかし期待しているに違いない。

 そんな希望に満ちた彼らの表情を思い浮かべるだけで、胸が押しつぶされそうになる。

 

 彼らに何と報告すればいいのか、まったく見当がつかないでいる。

 まさか世界を救うために犠牲となってください、だなんて口が裂けても言える訳がなかった。

 

 覚醒の儀は失敗した。宝玉の数が足りず、不完全のまま儀式は終わりを告げたのだ。

 しかし、それでも収穫はあった。神竜ナーガが少女たちの前に姿を現したのだ。

 

(諦めてはなりません。世界を救う手立てはまだ残されています)

 

 そしてナーガは、こう言った。

 

(過去に戻って、未来を変えなさい)

 

 悲嘆に暮れる少女たちに、救いの手を差し伸べたのだ。

 だが、それには代償があった。

 過去に戻るということは、この世界から離れる必要がある。つまり、この世界の人たちを見捨てなければならない。

 

 もちろんルキナたちが過去に飛んだ後も、こちらの世界では、当然のように時間は流れている。川が上流から下流に向かって流れ落ちていくように。その流れを変えてやることは出来ても、それを()き止めることは誰にだって出来やしないのだ。

 きっとあの神竜ナーガの力をもってしても。

 

 そんなときだった。

 

「……私は行きます」

 

 少女のその一言が、重苦しい沈黙をうち破った。

 

「ルキナ……」

 

 息を呑む声。

 皆の視線が、少女――ルキナへと否応なしに集中する。

 

「一応、君の考えを聞かせてくれないか?」

 

 ルキナは、皆の視線に物怖じすることなく、堂々と頷いてみせた。

 

「かつて、邪竜ギムレーは初代聖王によって封じ込められたといいます。しかし、それは裏を返せばギムレーを滅ぼすことは叶わず、その存在を封印するだけで精一杯だったということでしょう。私たちの戦っている相手は、それだけ強大な存在だということです」

 

 ですが――とルキナは間を置いた。ここからが本題であると強調するように。

 

「諦めるなと、ナーガ様はそうおっしゃいました。それは私も同じ気持ちです。覚醒の儀が失敗に終わった今、少しでも希望のある方に、私はこの剣を賭けたい」

 

 そう言って、ファルシオンを掲げた。唯一無二の神剣。世界にふたつとない伝説の至宝を。自分の決意が強固なものであることを証明してみせるかのように。

 

「世界を正しい場所へ導くこと……それが私の務めですから」

 

 覚醒の儀が失敗に終わった今、ここに留まり続けても打開策はない。

 ならば、残された道はひとつしかない。

 過去に介入し、絶望の未来を無かったことにする。

 文字通り、運命を変える。

 現状、それしか世界を救う手立てはない。

 それが最善の道だと、ルキナはそう信じた。

 

 だが、たとえ過去に戻ったとしても、思い通りに物事が運ぶ保障はなかった。

 過去の世界にも当然のように屍兵はいる。現在よりもその数は遥かに少ないとはいえ、奴らに襲われて命を落とす危険はつきものだ。

 それに、両親を見つけて本当のことを話したと仮定しよう。

 

「私はあなたの娘です。あなたはこれから死ぬ運命にあります。そんなあなたの命を救うべく、未来からやってきました」

 

 いきなりこんなことを言われて、誰が信じるというのか。自分だったら信じない。というか、信じるわけがない。

 頭のおかしいやつと思われて一蹴されるのが目に見えている。

 ならば、両親と接触するのは可能な限り避けた方がいい。余計なことを話して混乱させる必要はない。それに、必要以上に接触し過ぎると、良くない影響を与える可能性だってある。もし、やむにやまない事情で接触することになったとしても、名前や素性を明かさない方が望ましいだろう。

 

 これからの旅は、不確定要素に満ち溢れた、険しい旅路となる。

 それでも、ルキナは行くと決めた。

 その結果が、この世界を見捨てることになろうとも。

 どんな手を使ってでも世界に平穏を取り戻す。何としてでも。

 それがせめてもの報いになると信じて。

 ルキナは皆の顔を見回しながら、言った。

 

「今述べたことは、あくまでも私個人の考えです。もちろん、私の考えをみなさんに強制させるつもりはありません。ですから、よく考えて答えを出してください」

 

 この世界に留まる者がいても咎めるつもりは毛頭ない。仲間が自分で考えて選び取った道だ。それに文句を挟む資格などあるわけがない。本音を言えば少しばかり寂しい気持ちはあるが、自分はただ、仲間の意思を尊重するだけだ。

 たとえ過去に戻るのが自分一人だとしても、自分の決意は変わらない。

 ルキナはそう思った。

 

 

 そうしている内に、イーリスが見えてきた。

 故郷はもう目と鼻の先に迫りつつある――そのときだった。

 

「おい、見ろよ。あれ」

 

 仲間の一人が顔をしかめながら、イーリスを指差した。

 つられて、そちらを見やる。

 よくよく目を凝らしてみれば、城下町から煙のようなものが、空に向かって立ち昇っているように見えた。

 

「大変。火事でもあったのかな?」

 

 ここからでは、何が起こっているのかはっきりと視認できない。

 

「……果たして、そんな生易しいものだろうか」

 

 だが、イーリスに近づくにつれて一同の不安は的中することとなる。

 風が、死を運んできたのだ。

 それは、肉の焼けるような臭いと、血なまぐさい臭い。いつ嗅いでも慣れることはなかった。吐き気を催すようなひどい臭い。

 まぎれもなく、イーリスの方角からだった。

 

 ――敵襲。

 

 その二文字が、ルキナの頭をよぎったときには、すでに駆け出していた。

 

 

 ◆     ◆     ◆

 

 

 イーリスに辿り着いたとき、そこには悪夢のような光景が繰り広げられていた。

 逃げ惑う人々。

 女、子供。

 その後を追いかける屍兵ども。

 民家からは火の手が上がり、隣の建物へと乗り移っている。

 すっかり変わり果てた城下町を目の当たりにして、ルキナは声もなく立ち尽くしていた。城下町だけではない。城が燃えていた。天にも届かんばかりの巨大な火柱が、ごうごうと燃え盛っている。

 屍兵による襲撃は日常茶飯事だった。それ自体は特段、驚くべきことではない。

 だが、その規模が今までと比較にならなかった。

 いったい、襲撃を受けてからどのくらいの時間が経ったのか。

 このぶんだと王城に踏み込まれていてもおかしくはない。

 敵は、こちらの退路を完全に絶とうとしている。いや、退路どころかこちらを本気で潰しにかかっている。この図ったようなタイミングといい、

 

 ――ギムレーめ、こちらに勘付いたか。

 

 そうとしか思えなかった。

 おそらく覚醒の儀を行ったせいで、ルキナたちの動きを察知されたのだろう。

 ファルシオンを握る手に力がこもる。一人でも多く、民の命を救わなければ。

 

「ルキナ! 民間人の避難は俺達に任せろ。お前は王城へ急げ!」

 

 仲間の叱咤の声が、それを押し留めた。

 

「し、しかし……」

 

「何を迷うことがある。お前はこの国の聖王だろう!」

 

 はっと我に返った。

 たしかに民の命は守らなければならない。

 しかし、あの城の中に兵士たちがいる。ルキナたちの帰りを待つ、かけがえのない臣下たちが。

 そんな彼らも守られなければならない、命であることには変わりない。

 

「すみません。みなさん、どうかご無事で!」

 

 振り返ることなく、突っ走った。

 襲いくる屍兵をすれ違い様に斬り伏せながら、王城へと急いだ。

 城門をくぐり、城の内部へと入り込んだ。

 王城に踏み込んだルキナを出迎えたのは、耳を貫くような金切り声だった。それが人間の断末魔であると理解するのに、数瞬の時を要した。

 阿鼻叫喚の渦。激しい剣戟の嵐。

 そこにいるのは数え切れないほどの屍兵と、それを守るイーリスの兵隊たち。思わず目を覆いたくなるような悲劇が、住み慣れた場所で繰り広げられている。

 硬直するルキナの前で、兵士たちが、一人、また一人と、骸を晒していく。

 男の腹部には、深々と刃が突き刺さっていた。背中から刃物で貫かれ、絶命に至ったのだろう。そこから鮮血が噴き上げている。ピンク色の臓器がてらてらと光っている。

 唸り声を上げ、屍兵どもがルキナに殺到する。新たな獲物を見つけ、歓喜に身をうち震わせているのだろう。野獣のような雄叫びを上げながら、こちらめがけて刃を振り下してくる。

 

 その音で、はっと我に変えるルキナ。

 

 ぎりぎりのところでそれをかわし、相手の腹部へファルシオンを突き込んだ。屍兵が苦悶の声を上げた。それに構わず肺腑を抉りこむ。根元まで深々と刺し貫く。

 

「お前たちの……好きにはさせない」

 

 屍兵の身体を蹴って、力づくで刃を引き抜いた。

 無我夢中だった。

 もはや、かつてのイーリスの栄光は見る影もない。

 邪悪な尖兵によって、その全てが蹂躙されようとしていた。

 しかし、立ち止まってはいられない。まだここには戦っている人間がいる。生き残っている人間がいる。自分だけが立ち止まってはいられない。

 

「人間は、まだ負けていない!」

 

 裂帛の声を上げながら、屍兵の大群に飛びかかろうとした、

 その刹那――

 天を割るような轟音が鳴り響いた。

 大砲を打ち込まれたような凄まじい一撃に、ルキナが悲鳴を上げた。

 ルキナが顔をあげたときには、天井がごっそりと抉り取られていた。

 いや、天井なんて規模じゃない。王城がまるごと吹き飛んだのだ。屍兵や兵士もろとも。あと一歩でも前に踏み出していたら自分も巻き添えになっていたことだろう。

 

 ――敵の新兵器、でしょうか?

 

 しかし、こんな馬鹿げたことをやってのける兵器など聞いたことはない。もしくは、何か巨大なモノが王城を攻撃したのだろう。

 ルキナはすぐに立ち上がり、体勢を立て直す。

 粉塵がもやのように吹き荒れており、視界が悪い。

 敵の姿はどこにも見えなかった。

 だが、油断は出来ない。敵はどこかに隠れてこちらの隙を窺っているはずだ。

 ファルシオンを構え、周囲を見回しながら、次の攻撃に備えた。姿無き敵を警戒した。

 半壊した天井から、外の様子が一望できる。

 空は見たこともないような、どす黒い色で塗り固められていた。日の光は暗雲によって遮られ、不気味なまでの闇に覆われている。

 

 ――いや、おかしい。まだ夜じゃない。

 

 それなのにこの暗さはいったい、どうしたことか。

 ようやく思考がそこに追いついた、そのときだった。

 

「人ハ、負けタ」

 

 どこかから声のようなものが聞こえる。人とも魔物とも取れぬような声。

 次いで、吹き荒れる粉塵の中から、ぬっと大きな影が姿を現した。

 

「過去ハ、覆ラなイ」

 

 はっと息を呑むルキナの前で、それが現れた。

 粉塵の向こうに、赤い光点が浮かび上がった。

 この世のモノとは思えない、鬼火めいた輝き。

 それがこちらに向かって近づいてくる。

 

「人ニ、未来ハ無イ」

 

 違う。

 あれは断じて兵器ではない。

 兵器なんてちゃちなもんじゃない。

 あれは、目だ。

 生き物の目だ。

 ルキナ一人分もあろうかという眼球。

  巨大な赤い目が、興味深そうにこちらを覗き込んでいた。

 悲鳴が漏れそうになる。すんでのところでそれを堪える。

 絶望。

 そう呼んでも差し支えの無い存在が、そこに立ちはだかっていた。

 空が暗くなっていたのも、こいつのせいだ。

 この馬鹿でかい図体の生き物が、城をすっぽりと覆い隠していたからだ。

 それこそ人間なんてちっぽけに思えるくらいの、そんなすさまじい巨躯の持ち主だった。

 漆黒に輝く鱗。鋭い牙。悪魔のような四対の翼。

 間違いない。こいつこそが、邪竜ギムレーだ。

 ルキナはやっとのことでそう理解した。

 

「オマエノ父モ母モ、死んダ」

 

 ルキナは必死に剣先を向けた。それが精一杯の抵抗だった。

 実際、生きる希望を失いかねないほどの恐怖だった。

 

 ――死にたくない。

 

 全身が震え上がった。

 世界を救う?

 実に馬鹿げている。

 こんな相手とどうやって戦えばいい。

 そもそもこいつは、ヒトの手で倒せるものなのか?

 今すぐにでもここから逃げ出したい。

 世界を救う使命を捨て、聖王という立場も忘れ、何もかもかなぐり捨ててここから逃げ出したい。

 死ぬよりマシだ。そう思った。

 

 だが、ルキナはそうしなかった。すがりつくようにファルシオンの柄を握りしめた。ルキナの中で、かろうじて生きている理性が、彼女をその場に踏みとどまらせたのだ。

 

 ギムレーの目が大きく歪んだ。笑っているのだと遅れて気づいた。

 ルキナの必死な様子を嘲笑っていた。

 こんな巨大な相手の前では、自分は虫けらも同然だった。

 そのとき、化物の大口があんぐりと開かれた。

 降りかかる竜の息。吐き気を催す醜悪な臭い。

 ルキナは、ギムレーの意図を瞬時に察した。

 やつめ。私を喰らう気か。

 そう悟ったとき、化物が迫った。

 

「お前モ、死ネぇぇぇっ!」

 

 ルキナは絶叫した。

 

 ――お父様っ、お母様っ! 私に力を!

 

 奈落の落とし穴がルキナを飲み込まんと近づいてくる。

 運命尽きたかと思われたそのとき。

 

 何かがギムレーの頭にぶつかった。

 あれは矢だ。

 しかし、ギムレーに傷を負わせることなく、堅い鱗によって弾かれてしまった。

 何事か、とでも言いたげにギムレーの視線がそれた。

 その一瞬の猶予がルキナの命運を左右した。

 

「飛べ、ルキナ!」

 

 仲間の声。

 ルキナは何の迷いもなく、崩れ落ちた城壁から飛び降りた。

 耳元で風が吹き荒れる。恐怖は無かった。聞き間違えがなければあれはジェロームの声だ。そう思ったときには漆黒の翼がルキナを空中で受け止めた。

 ジェロームの操る飛竜、ミネルバだ。

 

「無事か!?」

「ジェローム!」

 

 仲間の声にたまらない安堵が訪れる。

 

「間に合ってよかったよ~」 

「ちゃんと守れたわ」

 

 新たな声に振り返る。隣にはシンシアの操るペガサスナイトが続いていた。その後ろにはノワールが乗っている。

 

「シンシア、ノワールも……ありがとうございます。あなた達が来てくれなかったら、私はさっきの攻撃で……」

 

 さっきの矢はおそらくノワールの放ったものであろう。あの矢がルキナの命を救った。もし矢が外れたり、一瞬でも遅れていようものなら……想像するだに恐ろしいことになっていただろう。

 

「……どうして急にギムレーが?」

「おそらく私がナーガ様に接触したせいではないでしょうか」

 

 ノワールの疑問にルキナが答えた。これまでやつが直接出向いてくることはなかった。全てを屍兵に任せて、高みの見物を決めていたようなやつだ。にも関わらず、こうして姿を現したということは、こちらの意図に気づいたということだろう。

 

「過去に逃げられる前に潰しておこうというわけか。皮肉なものだ。まさか私たちの行動が裏目に出るとはな」

 

 吐き捨てるように、ジェロームが言った。

 

「まずいよ。次が来る!」

 

 シンシアの声ではっと我に変える。

 そうだ。まだ完全に危機を脱したわけではない。

 脅威は目の前に迫っているのだ。

 ギムレーがうなり声を上げながら、鋭い爪を繰り出してくる。

 かろうじてかわしたものの、そこへ尾が鞭のようにしなり、ルキナたちに襲いかかる。

 ぎりぎりでかわす。

 あの図体から繰り出される攻撃だ。一発でも直撃しようものなら死は免れない。

 

「ま、町が!」

 

 ノワールが叫んだ。それはほとんど悲鳴と変わりなかった。

 眼下を見やると、そこは悪夢のような光景があった。

 やつの尻尾による一撃で、町のほとんどが半壊していた。

 避けてばかりでは被害が拡大するだけだった。

 奴を早くどうにしなければ、地上にいる仲間たちも巻き添えをくらう。

 だが、あんな巨大な相手にどうすればいいのだろう。ノワールが立て続けに放つ矢も、全然効いている様子がない。

 

「弓も全然だめ。まるで大きな壁に撃ってるみたい」

「こんな相手とどうやって戦えば……」

 

 ノワールとシンシアの悲嘆に暮れた声。

 屍兵なんかとは断然、図体もスケールも比べ物にならない。

 今、自分たちが相手取っているのは世界を滅ぼそうとする元凶なのだ。

 万策尽きたかと思われたそのとき、

 

「ジェローム。ギムレーの頭に近づいてください」

 

 ルキナが言った。

 

「何?」

 

 怪訝そうに振り返るジェロームに、はっきりとルキナは応えた。

 

「試してみたいことがあるんです」

 

 たしかに奴は強い。これまで戦ってきたどんな相手よりも。どんな武器も傷をつけることすら敵わない。

 しかし、自分の手元には父の形見であるファルシオンがある。マルスや初代聖王と共に、戦場を駆け抜けたという伝説の剣が。

 

「……分かった」

 

 深くは追求してこなかった。

 確信を込めたルキナの表情から何か感じるものがあったのだろう。

 ジェロームは真っ向から邪竜を見据えた。

 

「しっかり捕まっていろ!」

 

 風を切る音と共に、飛竜(ミネルバ)が加速した。

 ぐん、とこれまでとは比べ物にならない浮遊感がのしかかってくる。

 鞭のようにしなる尾をかいくぐり、ミネルバはギムレーの頭へと向かっていく。

 

 ――今だ!

 

 すれ違いざまに、ルキナはファルシオンをすかさず振り下ろした。

 手応えがあった。邪竜の堅い表皮を突き破り、真っ黒な霧が噴き出した。おそらく奴の体液であろう。

 ギムレーの動きが鈍った。目に見えて苦しんでいる。効いているようだ。

 

「やったのか?」

 

 ジェロームが振り返る。

 

「ソの剣……ファルシオンか。忌々シイ。虫けらノ分際デ、我に傷ヲ負わせるナド……許サヌ、許サヌぞ!」

 

 鋭い眼光がルキナたちを貫いた。強い憎悪が込められた眼差しだった。

 わけもなく全身が震え上がった。

 

「聖王ノ娘よ。覚えテおクがイイ。お前ニハ、死よりモ深イ苦シみヲ味わわせてやる!」

 

 そう言い残すと邪竜は飛び去った。黒い翼をはためかせ、その巨体は遠方の彼方へと消えた。

 脅威は去った。自分たちは助かったのだ。その事実に、一行は安堵の溜息をついた。

 あんな相手と戦っていまだに命を繋いでいられるのが不思議でならなかった。

 

 ――ファルシオンによる攻撃は奴にとって脅威です。ある程度の深手は負わせたはず。

 

 こうしてギムレーを追い返すことはできる。

 だが、倒すには至らない。

 力を封じられたファルシオンではこの程度が限度なのだ。

 今の自分たちでは、奴を倒すことが出来ない。

 更なる絶望のどん底へと突き落とされたような気分だった。

 

「下へ戻りましょう。みんなの安否が気になります」

 

 地上に残った仲間たちとはすぐに合流出来た。

 無事に再会出来た喜びを分かち合えるような雰囲気ではなかった。みな、一様に暗い表情をしていた。

 それを物語るように、目の前では、イーリスが火の海に包まれていた。

 ギムレーとの戦いで被害は拡大。生存者は絶望的だった。

 みな、自分たちの身を守るのに手一杯だったのだという。

 

 ――何も守れなかった。

 

 静寂だけが立ち込める。人々の骸も、かつての活気に溢れた家々も、何の痕跡も残らなかった。人間の住む場所があったこと事態が夢であったかのような有様だ。ただ、そこには焼け跡だけが残された。

 

 ――もっと力があれば。

 

 そんな思いが虚しくこだましていた。

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