「あなたが私のマスターですか?」
かけられた声色はとても柔らかく、この状況とは場違いなもので。腰の辺りまで伸ばした金色の髪。華奢な体つきと裏腹に全身に鎧をまとい、手には旗と剣を持つ彼女は、紫の瞳をこちらに向けてきた。そして、初めてであるはずなのに彼女との出会いはどこか親近感があって。
訳も分からず、だけど彼女は信頼できるとなぜか理解できた。だから頷いた。
「では、これよりサーヴァント・バーサーカー。私の行動はあなたの御心のままに」
うやうやしくも茶目っ気を混じらせた表情で忠誠を誓ってきた彼女は、その直後蹂躙を始めた。
「お疲れ様でした、マスター。とりあえず近くにいるのは全部片付けましたので、気を抜いてもよろしいかと」
辺り一帯に広がる色は赤。それは全て目の前の彼女が作り出したものだ。数分前まで自分が襲われていた人ならざる存在、魔物とでも形容すべきものは、全て彼女によって駆逐された。その結果やつらの血で周囲は赤く染められており、そしてそれを作り出した彼女も返り血で真っ赤に染まっていた。
「えーと、マスターは今の状況分かってますか?見た感じ分からないですよね?ああ大丈夫です、ひとつずつ説明しますので」
得物をしまいながら自分の隣に座ると、彼女は一つ一つ今の状況について教えてくれた。
自分が魔術回路というものを持っていて、魔術という神秘を扱うことができること。聖杯戦争という存在に巻き込まれたということ。聖杯戦争とは、マスターと呼ばれる魔術師が七騎の英霊をサーヴァントとして召喚し、バトルロイヤルを行い、最後の一騎になるまで戦い続けなくてはならないこと。そして、最後の一騎まで生き残ったマスターとサーヴァントは、万能の願望器である聖杯を使って願いを叶えることができるということ。
「とまあ、こんな感じですかね。情報一気に詰め込んでもこんがらがるだけですので、ざっくりとですけど。それで、マスターはこれからどうしますか?」
自分から望んで戦いに身を投じるのか。それとも自分には荷が重いと諦めるのか。
それを選択するのはマスターである自分で、彼女はその選択権を委ねてくる。
だがしかし、今の説明だと彼女もなにか叶えたい願いがあるのではないか。
「あ、別に私のことは考えなくておっけーです。何かを望んで召喚された、とかではないので、むしろ―――」
むしろ?
「触媒もなしにこの私をこのクラスで呼べたなぁ、と思いまして。私の基本適正であるセイバーや、これもイレギュラーですけどルーラーでしたら、まだ納得できるのですけど…」
首をちょこんと傾げながら、不思議そうにこちらを見やる彼女。
マスターはサーヴァントを見れば、ある程度の情報がわかる。そして、目の前の彼女はさきほど彼女が言ったクラスではない。初めに聞かされた通りのバーサーカーという、狂った英霊である。
どこからどう見ても精神がおかしいわけでもないし、なぜバーサーカーなのかはさっぱりわからないが。
「まあ、狂化していないイレギュラーといえばイレギュラーなのですけど。それよりも重要なのは、この死後の精神を持った私を呼び出せましたね、ということです。マスター」
死後というと…
「ええ。私ジャンヌ・ダルクは異端審問にかけられて火刑で死にました。そして、今ここにいる私は、その後の精神といいますか、自分が死んだということを受け入れた存在なんですよ」
オルレアンの乙女は、神の声を聞き、百年戦争で大いに貢献し、いくつもの戦争に勝利し、そして最後はそれまで救ってきた存在に裏切られて亡くなった。
つまり、彼女は自分の死というものを受け入れた上で、この場に現界しているということになる。よくもまあ人間不信にならないものだ。
「人間というものはそういうものです。自分に都合が悪くなればすぐに切り捨てる。そんなものでしょう」
「ですが、私はそれでも人々を救います。なんの対価も得られないと知りながらも」
「害意や悪意なんてものはあって当然です。それが人間なのですから。そして、そんなこと知るか、と」
「相手がどう私に接してこようが、私は救います。導きます。それが私という存在ですので」
「それが聖女じゃないのかですか?違いますよ、聖女だった頃の私は人々が救われるのを願ってましたし、救われると信じてた」
「今は違います。人々が救われようが救われまいが、そんなことはどうでもいい。私は救うだけ。ただの押し付けですね」
「随分と狂ってる思考ですよね。ここが私がバーサーカーとして呼ばれた根源だと思います」
聖女として生きてきた彼女の持論は歪んでいた。だけどそれを淡々と語る彼女の言葉には嘘偽りを感じ取ることができない。自分より他人のことを想っていた聖女はもういない。ここにいるのは、自分がしたいからするのだという、自分のことしか考えない、聖女とは真逆の存在だった。
そして、この歪みがあるが故に、自分は狂化せずにバーサーカーとして召喚されたのだと。
それが正しいことなのかどうかは分からないが、今ここに彼女がいるのだから、彼女の言うとおりなのだろう。
「というわけでバーサーカージャンヌちゃんは聖杯に叶えてもらうような願いは持っていないのですよ。ですのでマスター次第、なのですが」
マスターは巻き込まれただけですし、すぐ決めろと言われても困るだけですよね。苦笑して彼女が言う。
それから少し考え込んだあと、嫌じゃなかったですけど、と前置きして。
「ですので、数日考えてみたらどうでしょうか。巻き込まれたならそれをラッキーと思うくらいで何か願いがあるのでしたら叶えられるチャンスができた、と思えばいいのですし」
そんなに軽くていいのだろうか。少なくとも、先程のような魔物や、目の前の彼女のような英霊が複数いるのだ。戦争と名付けられているのだけあって、殺伐としたものになるのだろう。それを今しがた存在を知った自分が生き抜ける気もしないのだが…。
「これでもバーサーカーとして召喚されていてパラメータも上がってますし、マスターの魔術回路も天然物にしてはかなり優秀です。なので、並大抵の英霊でしたら対等に打ち会える自信ありますので、安心してください・・・と」
彼女が何かに気づいたように顔を上げる。その視線は険しく、何かを見つけたかのようで。先程まで魔物を屠っていた時の表情に戻っていた。周囲を警戒しつつも、彼女はこちらに状況を教えてくれる。
「別の英霊同士が戦ってるみたいです。ちょっと失礼しますね」
有無を言わさず彼女に抱きかかえられたかと思ったら、突如感じる浮遊感。認識が追いつくと、彼女は自分を抱えて夜の街を跳躍して駆けていた。女の子に抱えられるってどうなんだろうとか場違いなことを考えている間に、彼女は近くにあったビルの屋上に着地し、降ろしてくれた。そこから見えるのは、今の現代では見ることのできないような超常的な光景。
「あー、真名看破持ってないって結構不便ですね…。どうやらランサーとライダー…でいいんですかね」
のんきなことを言っている彼女の言葉を聞きつつも、意識は下の戦闘に向けられている。
眼下にいるのは東方風の双槍を持った武人と、4人の騎馬兵。それぞれはアクション映画も目じゃない程の速度で切り結び、戦闘を行なっている。一度ぶつかい合うごとに衝撃波が飛び、周囲の物が壊れ、飛び散る。暴力的に見えて一つ一つの動きが洗練されており、舞踊と言われても謙遜ないほどの美しさを誇っていた。
少しの間見入っていると、状況がつかめてくる。どうやら武人の方は後ろにマスターであろう少女を守っているらしく、防戦一方である。おそらくこのままだと、いずれ騎馬兵たちが武人とそのマスターを殺すだろう。
「どうしますか?介入してもいいですけど。マスターの指示に従いますよ」
ここで何も見なかったことにして帰るのが一番平和的な手段だろう。今ならどちらからも気づかれていないし、彼女の身体能力があればこの場から離脱することも可能だ。だけど、マスターは魔術師とは言えども人間である。それを見殺しにしてのこのこと帰る、というほど人間性を捨てることもできなかった。
「仲裁が主目的で、どちらかといえば劣勢のランサー側につく。こんなところでいいですか?」
頼めるか?
「お任せあれ。あなたのサーヴァントの実力。見せてあげます」
自分の意思を汲み取ってくれたことを感謝しつつ、戦旗を投擲した後戦場に躍り出た彼女を見送る。
戦闘については何一つ知らない自分は彼女が傷つかないことを祈るくらいしかできない。
こうして、自分と狂った聖女の聖杯戦争は始まった。
「我は勝利を、闘争を、飢餓を、死をもたらす者なり」
「それらは人間が生み出すものです。あなたがた風情が引き起こせるとでも?」
それぞれが厄災を司る存在である4体の騎兵。彼らは声を揃えて平穏とは真逆の事象を引き起こそうとする。
それに相対するは人間という存在を嫌というほど見て、知って、感じた過去の聖女。彼女はそれらを生み出すのは人間であると知っていた。
だからこそ4騎の騎兵の予言を真っ向から否定する彼女は救済を謳い、真正面から迎撃った。
「ハッ、よく避けたなお嬢ちゃん。初見で見切られたのは久しぶりだぜ」
「私を害せるのは人間の害意だけですよ。よってあなたでは私を殺せません」
目にもとまらぬ速さで切りつけ、風と共に移動する暗殺者。
旋風の化生が操る風刃を体にうけることも気にせず、彼女は戦旗と剣を荒々しく叩きつける。
自分が死したのは、人々の総意であり、それは決して人外の存在の力ではない。そう結論付けられた彼女が、人で無き妖怪に負けることはありえなかった。
「人の力は矮小だ。だからこそ天から力を借りる。君もそうだったのだろう?」
「人間というものは、時に天すらも墜とす力を持つものです。それと、今の私は天を信仰してはいませんので」
天と交信を行い、12の悪魔を降ろし従える魔術師。
かつて天の導きを聞き、それゆえに残酷な最後を遂げた農民生まれの少女。
天に対して真逆の感情を持つ二人は、己が感情をぶつけあい、相手を否定しあう。お互いにお互いのことを理解できるが故に、それを認めるわけにはいかなかった。それをしてしまえば、それまでの自身の行いが全て意味なきものであると認めてしまうことと同じだったから。
「あら、あなたも呼ばれていたのね。まあ、あなたは私のことは知らないでしょうけど」
「今回の聖杯戦争、まともな英霊少なすぎじゃないですかね……」
当時の世界の人口の3割もを殺し尽くした死の風は、此度は死で撃ち抜くために再び現代に姿を現す。
それと同時期に存在していた彼女は、相手の存在を直感で感じ取り、もう二度とあの災厄を起こさせないために得物を振るい、彼女を殲滅しにかかる。
分野こそ違うものの、現代まで広く語り継がれる二人の戦いは、己という存在を誇示し、それぞれの意志のぶつけ合いであった。
「悪いが、マスターの願いを叶えるために勝たせてもらうぞ」
「その願いは当然のことかと。ですが、私もはいそうですかと負けるわけにはいかないのです」
何度か肩を並べて戦った武人は、己が忠誠を誓う存在を守るために、その双槍を振るってくる。
その願いを知りながらも、それが破滅へと向かうことを知るがゆえに、人の心を知ることに長けた少女は戦旗と剣で応酬する。
お互いに、この決着がどう傾くかを知りながら。
永遠に続くかと思われた戦闘は、当然の結末を迎えた。
「ほかの誰でもなくお主が。この神たる我に反逆するというのか?」
「正直言って、あなたがたへの信仰はもう欠片もないんですよ。逆に憎んですらいます。なぜ私だけ導いたのですか」
最良の英霊として召喚された北欧の神は、かつての神の下僕に対して、その不敬を咎める。
なぜ自分だけが導かれ、他の者も一緒に導いてくれなかったのか。そう問いかける彼女は、かつての信仰対象に牙を向ける。
双方が放つ意志を纏った炎はその身を焦がし、感情とともに膨れ上がる。
生前自分を導き、幾度となく救ってくれた存在は、今や彼女にとっては諸悪の根源と成り果てていた。
「マスター。縁のみで私を呼びよせた、あなたの願いが知りたいのです」
戦いのさなか、意を決したように問いかける少女。
当初は救うことしか考えてなかった。それしか自分にはできなかったのだから。
しかし、己がマスターは巻き込まれただけにも関わらず、自分の願いを公言することもなく、こうして戦場に身をおいている。
「歪んだ私を呼んだあなたも、どこか歪んでいます。おそらく、私と同等には」
「それを否定する気もありませんし、知ったからといって態度を変えることもしませんので」
「単純な興味として、教えてはもらえないでしょうか?」
彼女とは出会ってから幾度となく話した。自分のことも、彼女のことも。
しかし、自分の核心には彼女は触れてこなかった。その距離を保つかのように、彼女は一歩引いていた。
それを変えたということは、なにか彼女も変わったのだろう。この戦いを経て。
彼女になら、話してもいいのかもしれない。今まで、誰とも共感し得なかったこの自分というあり方を。
自分の願いは―――。
これは、壊れた少年と狂った聖女の物語。
Fate/Grand Orderをやって、ジャンヌってルーラーとセイバー以外に適正あるんだろうか、という疑問から生まれた短編。
もしかしたら続くかもしれない。