普段、地味で目立たぬ俺の友人が、文化祭の女装コンテストで見事優勝を勝ち取った途端、クラスの女子たちがキャーキャー言い出した。そのうち男子も騒ぎ始めた。不思議なもんだ。
会場で手作りの冠とステッキを持たされ優勝者タスキをかけられてさんざん写真を撮られた挙句に、教室に戻ってからも写メの鳴る音はやまなかった。逃げればいいものをと思いながら、俺は特に口を挟まなかった。ご苦労さん、ナツミ。教室の飾りつけを片付けることもせず(そもそもうちのクラスは何屋をやってたんだっけか)、机に両脚をのっけてぼんやりとグラウンドを眺めていた。そのうち大きなあくびが出てきた。早く帰りたい。
解散後、俺は昇降口でナツミを待っていた。四階から駆け下りて来たらしいナツミは軽く息を切らしていた。
「待たせてごめん」
「おつかれさん」
きっと女子に捕まっていたのだろう。小さい頭にぽんと手を置いて玄関を出ようとした。
「ちょっと待って」
後ろから女子の声がした。振り返るとクラスメイトの女子が三人、くっついていた。
「二人とも並んでみて!」
よく分からずに俺たちは下駄箱の横に並んでみる。
カシャリと携帯が鳴った。
「すごくぴったり!」
三人は肩を寄せ合って俺たちの写メを見ながらしゃべりはじめた。
ナツミが俯きがちになる。
ドンと肩を叩いてやった。帰るぞという合図だ。
寄り道したココスで、ナツミはテーブルにつっぷした。かなりげっそりしている。
俺はウェイトレスを呼んで勝手に注文した。ポテトとナゲットの盛り合わせとドリンクバーひとつ。あとクリームソーダ。最後のはナツミの分だ。
俺も俺で力作業を任されっぱなしだったので疲れていた。ふたりとも無言で食べて飲んだ。腹にものを入れるといくらか気力が戻ってくる気がした。
「俺さ」
つまんだポテトを意味もなく上下させながら、ぽつりとナツミが言った。
「嫌だったのに」
「遅いわ」
本音が出てくるのに数週間のタイムラグを要した。
その後、俺たちは黙々とポテトとナゲット、コーヒーとクリームソーダをたいらげた。
俺とナツミは小学生の頃からの付き合いだ。どちらも口数が少ないので、ツーカーで意思の疎通ができるようになったのは自然の成行きだったと思う。
ナツミが石ころに見とれていればなんとなく俺もそばにしゃがんでみる。俺が木に登り始めればナツミがついてこようとする。登れたためしはなかったが。いつもそんな具合だ。
中学校に上がっても授業前に教室に訪れれば何か借り物だと分かるし、昼時なら飯に誘いに来たということだ。
しゃべらなくても気まずくならない相手というのはなかなか貴重なもので、意識したことはなかったのだが、改めて考えると俺たちは、仲間内から外れていつの間にか二人でいることが多い。
「ナツミくんとユアサくんって付き合ってないの?」
ある日の休み時間、クラスの女子からいきなり突拍子もない質問を受けた。昇降口で写メを撮ってきたのとは別のグループだ。
付き合ってないのかと聞いた本人たちでさえ、本気で聞いているわけではない。なぜだか分からないが面白がっているだけだろう。だから、
「なんで?」
と聞き返してみた。
「だっていつも一緒にいるじゃない」
「それにすっごくお似合いだし」
お似合い。そういえば、昇降口のときもぴったりだと言われた。
「何が?」
「ほら、ユアサくんは野球部のキャプテンで背が高くて、いかにも体育会系って感じだし」
うんうんと残りの女子が頷く。その中の一人が言葉を引き継ぎ、
「ナツミくんの方はあれよね。小さくてかわいい系」
今度は、そうそうそうと頷きあう。
何がうんうんで、何がそうそうなのだろうか。そしてそれがどうやって「ぴったり」や「お似合い」に繋がるのだろうか。
話は見えないが、彼女らだけが共有している感覚なのだろう。
「ふうん」
と生返事して俺はおしゃべりする女子に囲まれたまま窓の外に目を投げた。今日はよく晴れている。雲が遠い。今日は外で部活ができるだろう。雨の日の階段往復ランニングは好きじゃない。
「二人は付き合ってるんじゃないのかい?」
同じ質問をされても、散髪屋のオカミさんに言われるとさすがに度肝を抜かれた。二人で学校近くの床屋に寄ったのだ。俺がオヤジさんに髪を切ってもらっていた最中だった。思わず「は?」と間の抜けた声が飛び出た。鏡に映った顔もかなり間抜けだ。順番待ちのためソファで雑誌を読んでいたナツミも、ぎょっとした顔でオカミさんを見上げていた。
「なんだ、違うの。あらー、ごめんなさいね」
乾かしたタオルを腕に垂らしたオカミさんは、ふっくらした手を口もとに添えてうっふっふっと笑った。「馬鹿なこと言うんじゃないよ、お前は」とオヤジさん。「あらぁ、だってとっても仲良しさんなんだもの。いつも一緒じゃない。ねえ?」
二人の会話を聞き流しながら、俺たちは鏡越しに仰天した顔を見合わせた。
「小さい頃は、こんなこと言われたこともなかったのにね」
帰り道でナツミが言った。少し照れたように笑っている。
「学校はともかく、床屋で言われるとはな」
「ほんとに。びっくりだ」
ナツミがくすくす笑い出した。俺もつられて吹き出す。
日が暮れるのがずいぶんと早くなった。十月も終わろうとしている。冬はもうすぐそこだ。細い路地の向こうで、藍色がかった空が広がっている。
ふいにナツミが周りをきょろきょろしだした。どうした? 目顔で問い掛けるとにこりと返事をし、手袋をした手が俺の手を取った。ふんわりした生地が冷えた手を握る。
「あったかい?」
答える代わりに、もっと温度を寄越せとばかりに手を握り返した。
ナツミは声に出して笑った。
「子供のときみたいだねー」
ナツミが大きく腕を前後に揺らした。鼻の頭が赤い。俺はナツミのマフラーを目元まで引き上げてやった。
「苦しいから」
空いている手でマフラーを戻しながらもやっぱり楽しそうに笑う。やっぱりつられて俺も笑った。
さすがに手を繋いだのは少しの間だけだったが、その日はなんとなく別れがたい気分になって、寄り道の上に寄り道を重ねた。俺たちは昔よく遊んだ小さな公園に立ち寄った。
公園はだいぶ様変わりしていた。中央にあった小山はなくなり(その中に土管が鶏脚状に通されていた)、バネで揺れる動物の乗り物も消え、向かい合って乗る小さなブランコも取り去られていた。
「ずいぶん淋しくなっちゃったね」
残ったのは砂場と滑り台と二台のベンチだけだ。何の木だかは知らないが、隅に立っているそれも生き残っていた。
マフラーを下げ、ナツミが手袋越しに息を吐いて手を温めた。
さりげなく携帯を見ると八時をすぎていた。空もすっかり夜となり、星が少しずつ見え出してきた。
「あれ、あれ」
ナツミが空に向かって指をさす。
「オリオン座だよ。分かる?」
ちょっと得意げな顔で俺を振り仰ぐ。
「中学で習った」
「なんだ、覚えてたか」
くだらないことなのに、少し悔しがっている横顔が面白い。
「じゃあ、あっちは。Wの形の」
俺は記憶をたどった。なんだったか。
「カシオペア座」
勝ち誇ったかのようなナツミの顔。俺はおかしくて吹き出していた。
「なんだよ」
今度は拗ねた顔。そうだった、意外と表情豊かなやつなんだ、こいつは。
なんとなくじっと顔を見ていた。
それに気付いたナツミが振り向く。
冷たい風が吹いた。冬の香りが混じる、少し甘くてどこか切なげな風。
俺が感じた不思議な何かを、ナツミも同じように感じ取っている。表情で分かる。
ナツミの前髪を指の背で撫でるようにずらした。
俺の左の頬に手袋をした手が添えられた。
そのとき、犬の遠吠えがして二人同時に我に返った。
「びっくりしたあ」
珍しく大きな声でナツミが笑った。
「今のはギリだったな」
何がおかしいのか分からないが、俺も腹が痛くなるほど笑った。