レミリアは我儘に気まぐれにパチュリーを誘い、紅葉狩りへと足を運ぶ。
某所で行ったプロット交換企画の産物。
その際一万文字規定を少しだけオーバーしてしまったのは秘密。
秋がやってきた。
世界は苛烈の夏を生き疲れ、やがて来る過酷な冬の為に、今を惜しみながらも命を蓄えていく。
世は循環。世は輪転。相剋と相乗の理は季節という最大の現象によって世界を巡らせる。
――そう、幻想郷にも秋がやってきていた。
しかし、それは世界で蠢く者達の話だ。
血肉を得る為の糧が必要無い捨食の身にとって、実りの秋は単なる喧騒でしか無く。
齢、百を超える年月を過ごした捨虫の身にとって、彩りの秋もまた単なる世の減衰でしか無い。
「……秋だから、何だというの?」
我が名はパチュリー・ノーレッジ。紅魔の館にて知識を糧に生きる者。
水銀の竜を生み出し、自然現象を意のままに呼び起こす、正真正銘の大魔女。
私の世界は紅魔の地下図書館にある。先人達の探求の結晶たる膨大な魔道書に包まれたこの世界で、得られぬ知識はまず無い。
つまり、これ以上に必要な環境は無いのだ。
――だと言うのに、そこから私を連れ出そうとする者が居る。
「決まっているじゃない。紅葉狩りだ。さぁ行こうパチェ!」
爛々と輝くルビーの瞳。血よりも紅き眼を持つ吸血鬼にして強大なる夜の王。
それは我が友人、レミリア・スカーレットその者だ。
私は溜息一つの後、手にしていた知恵の泉たる本をそっと閉じた。
集中出来なければ知恵の泉もただの紙束と変わらない。まずは本腰を入れて、彼女の"気まぐれ"に応対してやらねばならないだろう。
「それじゃ答えになっていないわ。私が聞きたいのは"何故"であって"何を"ではないもの」
「ブン屋の記事に載っていたんだ。連日秋晴れが続き、至る所で紅葉がピークを迎えていると。私も見に行きたい」
思わず言葉を失った。
夜に生き太陽を天敵とする吸血鬼の口から、まさか秋晴れで紅葉が綺麗だから行こう、だなんて言葉が出ると誰が予想出来ただろうか。
「別に珍しい物でも無いでしょう? ただ葉が紅く枯れ落ちるだけよ」
「紅と言えば紅魔。紅魔と言えば私。それで充分でしょう?」
――ああ、そうだった。レミリア・スカーレットとはこういう生き物なのだ。
退屈と強制を嫌い、天敵の太陽ですらも気まぐれな暇つぶしの為には厭わない。
思えば炒り豆も弱点の癖に、納豆はむしろ好きだと言う妙な趣向も持ち合わせていた。
種として抗えぬ敵が居る事を認めぬ故に、あえて歩み寄っているのか。もしくは認識と気の持ち様で弱点は弱点ならざる物へと成るのか。吸血鬼と言う種に対する興味は何処までも尽きない。
――が、しかしそれらは私が外気に晒されに行く理由には決してならない。
「行くなら勝手に行って頂戴。私の秋はここにある。読書の秋が私の秋で、行楽の秋に用向きは無いわ」
少々言葉の端々がぶっきらぼう過ぎたが、純然たる事実でありそこに嘘は無い。
そもそも魔力で維持しているこの肉体。生物本来が持つ頑強な生命力とは縁遠い我が身は、病弱にして虚弱の業を背負う。こんな思いつきの行楽など吸血鬼以上に命に危険が及びかねないのだから。
「うー……」
ハッキリとした拒絶の言葉に、我が友人はしばし不満そうに口を尖らせていたが――
「……理解ったよ」
やがて、そうとだけ告げて踵を返して行った。
「……少し、言い過ぎたかもしれないわね」
再び静寂の戻った館内に、ポツリと胸の内から言葉が零れた。
それだけ去り際の幼い彼女の背は、より小さく、より寂しそうに映ったのだ。
……思えば彼女にしては珍しく聞き分けの良い態度だった。館の当主として相応しい思慮深さを少しは兼ね備えて貰えたのだとしたら、少し――ほんの少しだけ彼女が報われても良いのかもしれない。
尤も、それでも一緒に紅葉狩りとやらに行くつもりまでは無いが。
「まぁ、三日もすれば紅葉自体忘れるでしょう」
"秋の空と乙女の心"。どちらも放っておけばいずれ移ろい行く物だ。
気を取り直して再び書物を手に取る。
ページを開くと僅かに漂うインクの匂いが、平穏が舞い戻って来た事を示していた。文字を追う事に内なる世界が広がって行く。
これぞ至高の時。書に触れ、知識に触れ、記した者達を通して世界を観る。何と崇高で美しい事なのだろうか。
全く、彼女も態々一季節の現象の為に足を運ぶ事などせずに、偶にはこうして本の世界に触れれば良いと――
「――ん?」
体が重い。いや、動けない――?
その事に気が付いた時には、既に遅かった。
精神的な物では無い物理的な窮屈感に疑問を感じ、ふと眼を向けた先にあったのは――"鎖"。
腕に、腹に、足に。椅子ごと絡めとる何条もの赤い――"紅い鎖"。
覚えのある魔力波長。覚えのある魔術物質形成。覚えのある乱雑な用い方。
"運命「ミゼラブルフェイト」"。
運命の名をスペルに冠するような輩は、貯めこんだ知識の中で一人しか該当しない。
「しまっ――」
「――悪いが、既にパチェの運命は私が握った! 大人しく我が手中に落ちるが良い!」
「む、むぎゅあぁ――!?」
抵抗一つ、詠唱一つする間も無く鎖に引き寄せられる我が体。
吸血鬼らしい力技と、吸血鬼らしからぬ強引さの前に為す術の無い中、ただただ――これが自分の最期にならないようにとだけ願っていた。
「ではMy Lady。戒めを解いて差し上げよう」
「その前に謝罪の一つでも……いえ、良いわもう」
愛用の椅子との短くも荒々しい旅路は、館内と外光を隔てる扉前を終着点にやっと終わりを迎えた。
しかし、それは椅子にとっての終わりに過ぎない。
ここから私の過酷な旅は本番を迎えてしまうのだから。
「それじゃやって頂戴」
「お願い、も言えないのかしら」
「生憎悪魔だからね。お願いする側でなく、される側だと自負しているよ」
「……魔女を頼る悪魔の癖に大層な意見ね」
不遜なる友人は不敵でもあるらしい。
悪びれる素振りすら無いその様子に、主としての思慮深さ云々等と期待した事自体が馬鹿らしく思えてきた。
だがしかし、こうなっては説得してどうこう出来る段階等とっくに通り過ぎている。
選べる道は二つ。真っ向から対立するか。恭順の姿勢を取るか。
「――パチェ」
そんなこちらの心境を知ってか知らずか、悪魔は決断を急かすように手を差し伸べる。
その手に剣は無く、瞳に強制の色は無い。
……全く、悪魔は厄介だ。
「……はいはい。分かっているわよ」
この悪魔は信用しているのだ。
消極的な魔女は絶対に背かないと。必ずこの手を取ってくれるものだと。
今更その程度の当たり前の話に感涙一つ湧いては来ないが、拒絶出来るだけの理由を用意し切れないのもまた事実。
私はその手を握ると、そのまま情熱的な返答の代わりに、彼女の体に魔力と術式を乗算構築させていった。
上乗せしたのは闇を毒する日光を中和し、力を与える月光の保護魔法。
こうして、ほんの数瞬の儀式の後。血のインクと魔素を含んだ羊皮紙を必要としない悪魔との至極シンプルな契約は済んだ。
「うん。いい感じ」
当然の如く、ありがとうの一言は無い。
彼女は確かめるように、外見上変化の無い自身の体を見回し始めた。……私の手を握ったまま。
「……いつまで握っているつもりよ」
「ん? 離してしまって良いの?」
「手を引いてもらいたい程、幼くも無いわ」
「……これは後々が楽しみだ」
不可解な一言が気になったが、構わず強引に繋がりを引き立つ。
彼女はそれでも何処か嬉しそうに、そして邪悪そうに微笑む。
「――じゃ、行こうか」
言葉と共に、とうとう最後の扉に手がかけられた。
徐々に押し開かれて行く木の装飾扉。
悲鳴のような軋み音をあげながら、内外の境界は崩れていく。
「……う」
大きく染み出して来たのは蒼の色。紅魔の紅色を容易く飲み込んでしまいそうな、壮大な蒼き空の色。
目や髪や肌を焼く横暴で一方的で迷いの無い色に、少しだけ目が眩む。
――と、次の瞬間。唐突にそれらは黒い影に阻まれた。
「日傘。パチェも入りな」
空との合間に分け入ったのは他でもない彼女の日傘。
馴染み深い限定的な日陰の世界が、体を優しく静かに包む。
「……ありがと」
満足そうな、笑顔。
幼く無邪気に見える表情の中で、口角から覗く鋭い牙だけが吸血鬼らしさを伺わせている。
やがて彼女は前へと向き直ると、一切の躊躇無く眩い昼間の中へと身を投じ始めた。慌てて私も付き従う。
「秋晴れ……ね。日陰者には雨曇りくらいが丁度良いわ」
「雨は困るな。曇り位にしておいてくれないと」
久方ぶりの外気の匂い。土の感触。肌を撫でる風の温度。それらは図書館には無い感触。
……だが、こうしていざ外に踏み出してみると、それらに刺激されるように何処か心細さのような感覚まで感じ始めている事に気が付いた。未だ紅魔の敷地の中に居るのにも関わらず、だ。
そう、まるで自分の世界から追われ、行き成り途方も無い世界へと放り込まれたような、そんな心細さ。
丸く切り取られた日傘の中の世界だけが、私達の存在を許してくれている。
「パチェ。ゆっくり行こうか」
しかし彼女は、全くそんな素振りを見せる事無く、光を切り裂きながら尚も突き進んでいく。
果てなく一色に染まった蒼穹の下を歩む。それは魔女で言う狂信の火炙りの中を歩むような行為だと言うのに。何故、彼女はこんなにも堂々と足が動くのだろう。
「――お出かけですか? レミリアお嬢様。パチュリー様」
唐突に聞こえてきた第三者の声。
ふと我に返ると――日光を苦手としない紅魔の門番。紅美鈴の姿が目に入った。
「ああ。今日中に戻るよ。それまでネズミ一匹、冬一粒通すな」
「畏まりました。行ってらっしゃいませ」
光の中で逞しく役目に従事する門番の姿。
決して目新しい光景では無いが、それを目にした事で私はとある疑問を感じ始めていた。
豪奢な門を潜った先で、私は友人に"それ"をおもむろに問いかける。
「――何故私なの? 美鈴や咲夜だって居るじゃない。私じゃ足手まといになるだけよ」
吸血鬼が態々日中の中、退屈しのぎに自殺行為地味た行楽に行こうとしている事――。それ自体の理解は出来ない訳ではない。
私達魔女も、好奇心と探究心だけで簡単に命を未知の危険に晒せる生き物だからだ。
だがしかし、その行動に成功率や効率が上がるわけでも無い他者を追従させる発想は、どうも理解し難かった。
秋を楽しみに行くのならば、病弱な魔女の同行はむしろ足枷にしかならないし、魔法だって維持が難しい訳でも無いのだから、出発前に一度組むだけで充分。
これではあまりにも効率が悪過ぎる。
――しかし、彼女は悪戯っぽく笑ってこう返しただけだった。
「パチェが良い。パチェだから、良い」
簡素で大雑把な答え。そんな返答で満足出来る程単純では無いのだが、おそらく追求した所で彼女はこれ以上の説明をしないのだろう。
仕方なく、自己解釈と頭脳の中に蓄積された知識で以て解明の糸口を掴み取らんとしてみたが、やはりその言葉の意味は解らない。
それに間もなく現実問題――別の事態が追求する余裕自体を埋め始めた。
「……何だか少し、冷えるわね」
紅魔館は湖に突き出た土地に存在している。
僅かな土地を除いて外周に存在する湖の名は霧の湖。
高い湿気を含んだ空気は、秋に巡った事で夏の活気を忘れたかのように触れる物の熱を奪って行く。
尤も私の居る図書館は夏も秋も関係無く、一定の湿度と温度。秋の要素が無くとも、この多湿は辛い。
「なぁに、この程度。まだまださ」
夜闇に息づく吸血鬼の体温は、総じて低い。夏のうだるような暑さに比べたら、秋や冬の寒さは問題にすらならないのだろう。
極寒の居城で松明も灯さずふんぞり返っていられるような種族と同列に語らないで貰いたい物だ。
堪らず私は火と木の属性魔法を応用構築し、一定の暖風を自身の周囲に漂わせた。これで多少はマシに成るだろう。
傍らの友人に気取らせないようにこっそり発動させたのは、一種のプライドである。
「ほら、そろそろ霧を抜けるよ」
彼女の言葉を切っ掛けにするように、少々強めの風が霧を退場させ始めた。
ようやく、といった所か。まともに風景が目前に現れ始める。
しかしながら、目に飛び込んできたのは未だ葉も落とす気配の無い木々ばかり。未だ秋の気配と言えば、肌を撫でる空風くらいだ。
「……秋なんて何処にあるのよ」
つい、そんな言葉が口をついて出てしまった。
勿論、具体的な"これぞ秋"なんて分かりやすい物が近場にあるとも思っていない。
だが慣れぬ外気に晒され続けるストレスが、そう言わせたのだろう。
「もう少し先かな」
「なら、飛んで行きましょう。無駄に歩かされるなんて馬鹿らしいわ」
「駄目だ。それじゃつまらないだろう?」
"つまらない"。
またそれか、と内心既に辟易し始めていた。
物事の判断に置いて大事なのは、精度の高い推測と密度の高い結論だ。感情優先の意思決定では碌な事に成らない。
――所詮過去に何度も経験した悪魔の気まぐれなのだから、適当に付き合って終わりにするのが効率的だ。
そう考えて館を出た物の、その判断自体が早計だったかもしれない。
「日が暮れるまでに秋が見つからなかったら、意味が無いんじゃない?」
「そんな事無いさ。ほら――」
小さく指し示された陽光の中、彼女の見ている物はすぐに見つかった。
緑の中に無数の小さな橙色を散りばめたような何気ない一帯。
「秋を告げるに相応しき花。何と言ったかな……確か名前は金星だか木星だか――」
「――学名"Osmanthus fragrans aurantiacus"。通称、金木犀」
「そう、それだ。キンモクセイ。流石パチェだ」
金木犀――。秋の短い期間にのみオレンジ色の小さな花株を無数につける小高木で、甘い香りが特徴。
成る程、確かに一歩近づく程にオレンジのマーマレードのような強く甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「3香木」の1つに数えられるだけの事はあるようだ。
――だがしかし、それだけだ。
香しい花ぐらい庭先に山程植わっているし、魔法植物の中には卒倒出来るほどの強い香りを放つ物もある。金木犀程度、希少でも何でも無い。
「"ハイク"とか言う言葉遊びでは、秋の"キゴ"なんだろう? じゃあこれは"秋"だ」
何が楽しいのか、声のトーンから感じとれる喜びの感情。
そんな小さな秋を愛おしそうに、面白そうに眺める友人の姿に、私は一方で何処か居心地の悪さまで感じ始めていた。
「……ほら、秋が見つかったんならもう良いじゃない。帰りましょう」
「何言っている。まだまだここからさ」
やはり意見は通らない。が、今更一人で引き返す訳にもまた、行かない。
こちらの意思とは無関係に、日傘の影は紅魔への帰路から更に遠のく。
進む先にあるのは盆地か、平原か。どの道下草を退けながら歩む事になるだろう。
「はぁ……分かったわよ」
小さな秋の為の小さな長旅はまだ、終わりそうにない。
「――この黄色い花は、何だっけ?」
「……あれはヤツデ。ツワブキやイシブキとも呼ばれる多年草よ」
「――おお、赤い羽虫が……」
「……これは赤とんぼ。体の色は気温と関係があるらしいわ」
「――見てくれパチェ。遠くの雲が変な鱗のようになっているぞ」
「……それはそのままうろこ雲。秋に多く見られる巻積雲の一種よ」
空を飛ばずに歩く。
そんな非効率的で新鮮な移動の最中、傍らの友人は見るもの全ての中から何かを見出す度に、一つ一つ名を訪ねてきた。
知識の魔女に知らぬ物があってはならない。その質問の全てを尽く開放してやる程度、造作も無い事だ。
――そう、答えを用意する事自体は。
「パチェは博識だなぁ。じゃあ、次は――」
「ちょ、ちょっと……ま……待って……」
「うん?」
館を出発してから既に経過する事、一時間か二時間――。
これ程までに長く足を酷使し続けた事は未だかつてあっただろうか。
とっくの昔に足腰は震え、呼吸も荒く、真っ直ぐ進む事すらやっとの状態に陥っていた。
唯一の救いと言えば、喘息の調子だけが良かった事か。もし、そうでなかったならば、今歩む場所は異なる世の土場となっていただろう。
「なんだ、だらしないなパチェは。魔法でどうにかしたら良いじゃないか」
「うる……さい」
言われなくても紅魔館が見えなくなる前には既に、歩行補助となるような魔法を自身に重ねがけしている。
しかし、単純に外的要因によって負担を軽減する魔法と、直接肉体強化の魔法を使うのとでは後者の方が圧倒的に効率も効果も良い。
そして残念ながら、私の分野において直接的な肉体強化は専門外だ。
拠って、現状出来る限り精一杯頑張って"これ"なのである。
息も乱さず涼やかな顔で"魔法でどうにかしたら"等と、簡単に言わないで貰いたい。
「さす……がに、限界……」
兎にも角にも、最早共に限界を迎えた我が心身は、満場一致でその場にしゃがみ込むと言う恥を晒す事を選んだ。
その際、日傘の範囲外に出てしまったが、そちらはもう問題無さそうだ。天頂を過ぎた太陽は、緩やかに傾くと共に日差しを柔らかくしていた。
だが詰まる所、それはもう一つ危惧しなければならない事態が発生しつつ在る事を示している。
「……"秋の日は釣瓶落とし"。……このままじゃ、駄目ね」
未だ蒼く白く輝く天井。しかしこれが紅く染まり変わるのも間も無くか。
忠告と決断を兼ねた呟きが口をつく。
「釣瓶落とし? 良く分からんが、そんなの串刺しにしてしまえば良い」
しかしながら、知識を何かから得る習慣の薄い武闘派のお嬢様は、言葉の意味自体認識出来ていないようだ。
この分だと"紅葉狩り"の方も、何かの首を取りに行くつもりだったのではないかと、余計な不安まで過る。
「……良いから先に行きなさいよ。私じゃ足手まといになるって言ったじゃない……」
改めて意思を伝える。今度は真っ直ぐ誤解の無いように。
独りこの場に置いて行かれるのは少し心細いが、ここまで来て全てが台無しになるよりは、ずっとマシだ。
だがやはり共に歩んできた友人は、頑固にもこう答え返すのだった。
「こちらこそ言っただろう? パチェが良いって」
言葉が届くよりも先に、眼前に差し伸べられていた陶器の様な手。
素直に置いて行ってくれるつもりは到底無いらしい。
決して意思を自ら曲げない彼女の強情さが、その小さな手には乗っている気がした。
「……勝手にしなさいよ……もう」
残り少ない気力を振り絞って、その手を頼りに立ち上がる。
秋風の中であって、彼女の白磁の肌はやはり冷たかった。しかしその奥底で、暖炉に灯された炎のような熱気までも遅れて伝わってくる。不思議な感覚だった。
「おや? そう言えば少し前に何か言われたような気がしたな。……確か"『手を引いてもらいたい程、幼くは無い』"だか何だか――」
「良いから。……さっさと行きましょう」
彼女の牙が視界の中で悪戯に光る。
そうして旅は緩やかに再開された。
歩み始めた歩幅に併せて、握られた手が意思とは関係無く先へ先へと進む。自然に自らの足も前へと回転し始める。
「……変な感じ」
誰かにこうして手を引かれる経験は、思えば初めての事だった。歩き始めは少々そのバツの悪さに戸惑ったものの、慣れればむしろ触れた肌から直接活力を与えられているような、そんな気さえして来る。
下手な魔法よりも強力な術が、こんな形でこんな身近にあったとは思いも拠らなかった。
(――あの花の名は、何だったかしら)
僅かに出てきた余力は、無意識に環境その物へと向く。
その時ふと目にした花々の名が浮かばない事さえも、今は何だか許容出来てしまう。
――ただの外出だ。なのに、この充足感は何なのだ?
問をぶつける宛も無いまま、気がつけば小高い丘に足を踏み入れていた。
独りでは決して登る気力さえ湧かなかっただろう緩やかな傾斜を、引かれるままただただ無心に登り往く。
息が苦しい。
足が痛い。
水が飲みたい。
眼が霞む。
そんな苦痛に埋もれかけながらも、手の温もりだけは変わらず道を示し続けてくれた。
「もう少しだ」
久しぶりに口を開いた友人の期待感に満ちた声。草木を踏み退ける音の中で、それだけは唯一耳に染み入って来た。
まだ歩けるかどうか、いや今自分が歩いているかどうかも良く分からない。
だけれど手が引かれている限り前へ進める。
天へと登る階段を歩んでいるような心持ちで。
彼女の語る"もう少し"の言葉を信じて。
雑音に拠って生み出される無音の中、最早自分の行動理念と"課した"手の繋がりを見つめて。
予想のつかぬ"何か"の為に、目的の地を目指し歩み続けた。
そうしてその先。その向こうで――
「――さぁ、着いたぞ! パチェ!」
「これが、秋――?」
――世界は紅に包まれていた。
まるで赤々と燃ゆる炎が、対面の山を、丘を、大地を須く染めているかのように。
決して純粋な紅ではない。が、無数の命が織りなす色彩は、脆くも眩い複雑な紅を創り出す。
魔法では未だ生み出せない、完全なる生命の巡り。その一幕が魅せる力強き紅の色。
天の蒼さだけが、幻想的な現実味を保っていた。
春に芽吹き、夏に育み、秋に散らす――その一過程の単なる現象だと頭では理解っている。理解っているが、心は既に言い表わせぬ衝撃に拠って打ち震えていた。
「これは予想以上だわ……」
それは、紅魔が掲げる血盟の色と同じ名の色。
そして、別世界の気高さを持つ色。
……縁が無くとも、美しさを解せない筈があるものか。
体が脳へ寄越す悲鳴さえも忘れて、衝動のまま焼き付けるように紅の世界を瞳に映し続ける。
「なぁパチェ」
ふと気が付くと、傍らの友人の手に力が篭もっていた。
「何故パチェを連れて来たかったか、教えようか」
――"『パチェが良い。パチェだから、良い』"。
あの時告げられた言葉が、脳裏に浮かぶ。
「……どうせ、聞かなくても言うつもりでしょう?」
――つれないなパチェは。
彼女はそう言って自嘲気味に肩を震わせた。
一頻り笑うと、やがて彼女の口から言葉が紡がれ始める。
「――吸血鬼は、……いや、"私達"は不老不死の生物とされている」
奥底に秘められていた想いに整理を付けていく様に。ゆっくりと、確実に言葉は続く。
私はただ友として、敬意を払って耳を傾ける。
「……でも、それらは実際には少し違う。殺しきられれば簡単に死を迎えるし、そうでなくとも永劫とも言える時の果てには、形を保てなくなり塵と化す。なら――」
一瞬の躊躇。
その迷いが、手を伝わって言葉より先に届いた。
「――私のして来た事は、全て無駄になるのでは無いか」
柄にも無い弱気な声に、ようやく私は全てを察した。
――彼女は、冬を恐れているのだ。季節の冬では無い。やがて必ず来るだろう存在の死という名の冬を。
思えば飛行せずに往来を歩み、冬を目前とした秋に触れようとしていたのも、精一杯何かを感じ取ろうとしていた故か。
……だが当主の気の衰えは館の衰え。そんな大層過ぎる杞憂等、紅魔の名の下に集う従者や家族には見せる訳には行かなかった。
だから、態々私を――唯一"運命を共犯"した知識の魔女を頼ったのだ。
「……杞憂は、晴れたかしら」
「……分からない」
私は知っていた。
彼女が種として、――主として、強き存在であり続けようと振舞っている事を。
運命を見通し、介入する事の出来る力を持ちながら、それにさえ支配されぬように戦い続けている事を。
どうしようもなくプライドが高く、どうしようもなく気まぐれで、どうしようもなく紅魔館《かぞく》想いだと言う事を。
――なら私は知識の魔女《パチュリー・ノーレッジ》として、彼女に伝えねばなるまい。
「私も、今日貴女に連れだされて、少しだけ知識を得たわ。……本に描ききれない世界の姿を」
「――パチェ?」
気位の高い彼女の、気の弱った姿なぞ眼にしてはならない。
敢えて彼女の姿に眼を向けずに言葉を続ける。
「この季節は決して楽園では無い。まるで生物は皆一様に、死の季節を前に生き急いでいるようでさえあったわ」
植物はやがて緑を失い枯れ果てる。
虫はその身を凍てつかせ、塵芥と成る。
雨は刃と化し、いずれ大地を白く覆い隠す。
なら、全ては徒労なのだろうか? 否――
「冬を受け入れる為に、秋を精一杯生きる。生きて生きて生き尽くす。その果てに、次へ託す。――だから、こんなに美しいんじゃ無いかしら?」
我ながららしくない。
世は循環。世は輪転。相剋と相乗の理は季節という最大の現象によって世界を巡らせる。
それは現象であり、感情の入る余地の無い必然。
私ならそう語っていた筈だ。だが今は何故か非論理的な事に、それを野暮だとさえ思ってしまっている。同情等では無く、だ。
「敬意かしらね。貴女の紅も、この秋の紅も。私にそうさせるだけの高潔さがある」
「敬意……高潔さ、か」
最早、野暮な言葉は不要。静寂の風が、髪を撫でるままに任せる。
やがて、吸血鬼の存在を認め、頭をたれるかのように太陽までもがその身を沈めていった。
――世界は、完全で不器用な……美しい紅に染まりつつある。
「――綺麗ね」
「ああ、美しい紅だ」
いずれこの紅も、夜闇の前では黒く塗りつぶされ、冬の寒さに消え果てるだろう。
しかし、この紅を受け取ったもう一つの紅は、凍える夜闇にあっても輝き続ける筈だ。
これまでも、これからも。
「また、来よう。ここに。この紅に会いに」
そして季節が一巡した後、紅は紅に再び相見える。
それこそ全てが代替わりしてでも。
「その時は、せめてもっと余裕のある行楽が良いわね」
秋は、減衰と実りの季節。
冬を前に、生命を極めていく季節。
それは、レミィと私に何か言い表せぬ物を与えてくれた季節だ。
まぁ結局、それでも知識の泉たる本よりも良いとは断言したく無いが、思った以上に秋とは奥深い季節だったと、消極的にではなく思えた事は一つの大きな成果だろう。
――そうだ。最近出来た他の魔女仲間と、研究会を兼ねたハイキング計画なんてのも偶には良いか。
夕日と秋の赤色に身を染められながら、既に私は今在るこの季節を楽しんでいた。
幻想郷に秋が深まっていく。
「――ハイキングは、来年にしましょう……。痛っ……!」
後日。私はベッドの上で、筋肉痛と言う悪魔の契約の代償を支払わされていた。
思わぬ――いや、思った以上の代償に身を蝕まれながら、私はレミィに届くはずの無い溜息を長々と吐く。
新たに作った紅葉の栞だけが、枕元で唯一その顛末を知るのだった。