男は黒潮が言った『ウチら独特の
その代わりに、男はアポイントメントを取り、黒潮は約二週間後にある次の非番に男の取材を受けることを約束した。
黒潮は、
ひとしきり笑うと、黒潮は胸ポケットから煙草を再び取り出し、一服した。暫く、黒潮はライターを手に取り見つめていたが、それを胸ポケットに煙草と共に仕舞った。
煙草を咥えながら男に向き直ると、男の目を真っ直ぐ見据え、ほな、次行こか、と一呼吸置いて語り始めた。
「村雨は沈んだ。残っんのはウチと満潮や」
――――――――
『形見分け』の時はまあまだ満潮は大丈夫やった……ウチにはそう見えた。
問題はその後やった。
満潮が『記憶』に引っ張られやすい奴や、ちゅうのはさっき言うたな。
さて、ここで問題や。
『歴史』では満潮は、いや、『一等駆逐艦朝潮型三番艦満潮』はどうなったやろか?
せや、その通り。よお勉強しとるなアンタ。『満潮』は自分の居らん間に隊の僚艦が次々に沈んで一人ぼっちになってしもた。
ほな、今の状況を見てみよか。縁深い戦友が二人、片方は自分の知らんとこで沈んだ。さあ、どうなるやろ?
ウチにくっついて離れんようになった? 麗しい同胞愛やなあ、せやったら
答えは、満潮は『病院送り』になった、や。
ウチらは大なり小なりかつての
これが強すぎると『記憶』に引っ張られることがあるんや。具体的に言うたら記憶の混濁、それに起因するパニックの発作とかやな。自分が『昔』の艦やと思い込んだり、大戦時の悲惨な史実を『思い出したり』して、とてもやないが軍務にあたることなんてできひん精神状態になったりするんや。
満潮は後者やった。訓練所の時からその兆候は――つまりは『記憶』に引っ張られやすい体質やな――わかっとったんやけど、そん時はまあ無事表に出ることなく平穏やった。満潮自身が『記憶』を『識別』できた。これは大切なんや、これが出来ひんと一気に『記憶』の奔流に呑まれてまう。貯水量を超えた水が押し寄せてダムが崩壊する感じや。
満潮の場合は、村雨が沈んだんが
それが起きたんは、ウチと満潮、それに第七艦隊の連中と一緒に慰霊碑の前で小さい追悼を――せや、
旗艦の、瑞鳳やったか、あれの号令で三回、パン、パン、パンて空砲撃って、それで追悼は終いや。簡素な物やけど、まあ内地やから出来たことやったな……外地やとこれも出来ひんかったやろうな。……と、蛇足やったな、そんでや、これでホンマに村雨と永の別れか、て思った時や。
満潮が倒れた。バターン、てな。
白目剥いて、譫言みたいに全滅やの、解散やの言うとったから、こらアカン、エラいことになったとなってそのまま全員で工廠に担ぎ込んだ。そんでそっから即『病院』送りや。
艦娘に『病院』なんかあるんか、てか?
ああ、ウチらの間の俗称や。いっつも『病院』言うとるけど、ホンマは『造修整備所』言うらしいわ。知らんか? まあマイナーな施設やしなあ。そんでや、そこに行く時はだいたい『再訓練に行く』て言われんのやけど、ウチらはそれを『病院送り』やら『入院』ちゅうんや。まあ理由はわかるやろ? わからんでも別にええんやけど。……そうけ。まあええわ。
そっから満潮は長いこと『病院』に居ったらしい。らしい、ちゅうのはウチもよう知らんからや。ウチは半年後の春に南方へ――ここやなくて別の島や――転属になって、満潮が原隊復帰したときにはもう大湊には居らんかったからな。
ウチは南方、満潮は大湊。まあよっぽどのことがあらへん限りは会われへん。実際、次に
南方言うたかてまあ広大やからな、一緒の基地ちゅう訳やなかったけど、まあ補給で満潮の居る
よう覚えとるわ、三年……いや三年半前か、護衛任務で途中の補給に寄った基地、そこで満潮に会うた時のことはな。
――――――――
南洋特有の激しい雨が降る中、ギッ、ギッ、ギッと踏むたびに軋む音を立てる艦娘用
黒潮は梯子を支える艦娘、水上機母艦千歳を見つつ、足を滑らせないように慎重に梯子を下ってゆく。
「オーケーや、おおきに」
「了解」
下端まで下ると、黒潮は千歳に合図し、千歳は梯子から手を離した。直後に梯子から降りた黒潮が着水する。同時に主機を起動し貨物船と船足を合わせた。
同航しつつ黒潮は腰に装着したポーチから懐中電灯を取り出し、ついさっきまで乗船していた貨物船に光で合図した。
梯子を支えていたウィンチが作動し、のっぺりとした貨物船独特の大きな舷側から梯子が回収されてゆく。
それを見届けると黒潮は腰のインカムのスイッチを押した。
『JSPR
『JSYP〇一二よりJSPR〇〇四。交代完了、了解。これよりこちらが「サザン・イーグル」の護衛を行います。お疲れ様でした。終ワリ』
通信を終えると黒潮は艦隊内に無線を送り、黒潮たち北パラップ基地所属第四艦隊は貨物船から離れ、別の方角へ針路を取った。
よろしゅう頼むで、と黒潮はどんどん離れてゆく貨物船と周囲に位置取る艦娘達を見つめつつ、届くことのない言葉を呟いた。
第四艦隊は一路、南洋では大きい島であり、同時に大きな基地もあるヤップ島へ複縦陣を取りつつ向かった。
いつしか雨は止み、雲の切れ目からは青空も見えていた。
「難儀やったなあホンマに」
弾薬などの武装と主機への燃料の補充、それに付随する面倒な書類提出を済ますと、黒潮たちは酒保に集まった。
司令からはヤップ基地での補給の後帰投せよとの命令が出ていたが、帰投へこの基地を出るまでには少し時間があった。そこで酒保で小休止とすることにしたのだった。
任務中なので飲酒は厳禁だが、喫煙は自由ということで、既に周囲には紫煙で白く霞んでいる。煙草を吸っていない艦娘は各々コーヒーやジュースを飲んでいた。
「ここまで激しいのは久々だったわね、かなり疲れたわ」
「何とかなりましたけど、一時はどうなるかと……」
二番艦の千歳、そして
長らく行っていなかった大規模な戦闘による興奮は戦闘が終わった今もなお抜けてないようで、会話は盛況を呈した。
「あら……? 黒潮じゃないの」
いつしか戦闘から話が逸れたのか、だからそろそろ私も水上機母艦から空母に改装を――、と千歳が熱弁しているところに、別の声が入った。
呼ばれた黒潮が顔を上げると、そこには脇に本を数冊抱えた満潮が目を丸くして立っていた。
黒潮は火をつけたばかりの煙草を咥えつつ数秒呆けた顔で目を何度か瞬かせたが、目の前の満潮を認識するとたちまちその顔は笑顔に変わった。すぐさま煙草を灰皿に放り込むと立ち上がり、満潮と軽い抱擁を交わした。
「
「それはこっちの台詞よ、南洋に行ったとは聞いてたからいつか会うかとは思ってたけど」
「ここに飛ばされたんか?」
「飛ばされた、って相変わらずねえアンタ……二ヶ月前に大湊からこっちへ配転されたのよ」
「結構長いこと
黒潮は満面の笑みで満潮との会話を弾ませるが、事態を飲み込めていない千歳以下他の艦娘は揃ってまだ呆けた顔をしていた。
それに気付いた黒潮は向き直って、ウチの同期の奴でな、と説明する。満潮は千歳たちに向かい敬礼を行った。教本にそのまま載せることが出来るような綺麗な敬礼だった。
千歳は、そんなに堅苦しくしなくてもいいわよ、と苦笑した。釣られて満潮も笑った。
「何だか悪いわね、追い出しちゃったみたいで」
「気ぃ
ガランとした多人数用の丸テーブルに黒潮と満潮は隣り合って座っていた。
黒潮は新しく煙草をくゆらせ、満潮は本を傍らに積み上げて――積み上がった本の一番上には『南洋群島史』という表題で簡素な装丁の本が鎮座していた――コーヒーを飲んでいた。
積もる話もあるだろうから、と千歳は他の艦娘を引き連れて席を離れていた。時間になったら呼びに来るわ、それまでゆっくりしてくれていいから、と言った千歳の気遣いに黒潮は感謝した。
腕時計を見ると、出発まで酒保に留まれるのはあと一時間強といったところだった。話す時間としては少ないな、と黒潮は残念に感じつつも、こうして満潮と再会したことに宛もなく――強いて言うならば運命の神に――感謝した。
「そんで……いやあ何から話そか、多すぎて手ぇ付かんわ」
黒潮は嬉しそうに目を細め、照れ隠しに首筋に手を当てた。満潮も心なしか表情が柔らかい。
「じゃあ私から質問よ。こっちでは何してるの?」
「ベタやなあ。えーとな、ウチは今はパラップ島の――知っとるやろうけど
「へえ、一番艦とは出世したわね、指揮官じゃない」
「大変やわ、書類書かなアカンわ無線覚えなアカンわやること多過ぎてもうワヤや、古参の
「ここの第九艦隊で近海哨戒よ。まあ私は
黒潮は、少し角が取れたかな、と満潮を見て感じた。自分の知らない間に満潮も相応に
それから二、三他愛もない話をしたが、時間がないのもあって、黒潮は少し突っ込んだ質問をすることにした。
「せや、『入院』しとったんやろ、大丈夫やったか?」
「ああ……大変だったわ、本当に」
満潮は少し顔を顰めて言った。
「気付いたら大湊じゃなくて『病院』だったんだから、もう呆然よ。『不具合があってそれを修復することになった』とだけ
「『入院』前のこと覚えとるんか?」
「それが全然。何も記憶にないのよ。いつも通りアンタと津軽海峡に出撃してた筈よね? 何かあったの?」
黒潮は息を呑んだ。もう一度満潮の言葉を反芻した。
黒潮の顔から血の気が引いた。ほんの一瞬、目の前が闇に包まれたように感じた。
「ホンマに……ホンマに覚えとらんのか? 村雨のこと……」
黒潮の声は、少しだけ、震えていた。
それを見て満潮は不思議そうに首を傾げた。
「村雨……? 艦隊員にそんな艦いたかしら?」
「あ、いや……スマン、ウチの勘違いやったわ。別の話や、忘れてくれ、ウチも耄碌してもうたなあ。いやあウチもようわかれへんのや。あんまりにも急な『入院』やったからなあ」
無理に左の口角を釣り上げ、ぎこちない笑顔を作る黒潮に、満潮は再び首を傾げ、釈然としない顔をした。赤いヘアゴムが垂れた髪の隙間から見えた。
「ところで……いつの間に煙草なんか覚えたのよ、大湊じゃ一度も吸ってなかったのに」
興味深そうな口振りで満潮は質問した。黒潮の顔からは更に血の気が引いた。視界の闇が、一段と深くなった。
――――――――
結論から言うと、満潮は満潮やなくなってしもてた。
……いや、そこに居ったんは確かに『ウチの同期の満潮』やった。
せやけど、
もう言わんでもわかるやろ? せや、満潮は、村雨のことをいっこも……何一つ覚えてへんかった。
確かに満潮は村雨のヘアゴムを使っとった。せや、あの形見分けの物や。見間違いやない、あれは確実に村雨のやった。賭けてもええ。
それでもな、何も覚えてへんかったんや。もう言葉も出えへんかった。絶句や。
なあ、自分、ちゅうのは何で出来とるやろか。
ウチは今までの経験やら記憶やらそういう見えへん物が
つまりや、村雨が死んだのと同時に、満潮も死んでもうた。ウチはそう思っとるんや。
南洋に来た満潮は言うてしもたら別の満潮や。村雨の記憶がすっぽりなくなってしもた満潮が、ウチの知っとる満潮と同じやなんて言われへんやろ? 不出来な
満潮自身がどういう認識なんかは知らん。ただ、ウチは『同期の満潮』はもうこの世に居らん、『同期の満潮』とは違う新しい『同期の満潮』が生きとる、て考えとるんや。
まあ、ここまで色々言うたけども満潮とは昔みたいに仲良うしとった。パラップの時も、こっちの基地に転属なってからも、三ヶ月に一遍くらいは会う機会があったりしたんや。
変わってしもたちゅうても唯一無二の戦友なんは変わらへん。たとえそこに村雨が居らんかったとしても、な。
せやけどそれも昨日で終いや。
長々と喋らさしてもうたけども、要はそういうことなんや。
一週間前に満潮が轟沈した、ちゅう封書が届いてたんや、ご丁寧に『形見分け』の品付きでな。
中に何が入っとったと思う? 村雨のヘアゴムや。
無線の呼出符号がよくわからないまま書き上げてしまいました。
さすがに艦娘個々に信号符字を付与するのは難しいと思ったので、基地の信号符字(四文字)に艦隊番号(三桁表記)という現行の無線規則から完全に外れた代物を作ってしまいました。
何かもう少しいい案があれば差し替えるかもしれません。
文中に出てくる梯子はパイロットラダー(水先案内人用の梯子)が元ネタ……というよりそのまんまです。
大きな港湾の観光遊覧船に乗ると、パイロットラダーの使用風景が見れるらしいのですが、残念ながら見たことがありません。