このゾンビを町に連れ出す前に、だ。
まず、俺がどんな場所に住んでいるか話しておこうか。
『どうめきハイツ』はどう見積もっても不良物件だ。
町の開発が進む中、なぜか開発計画のエアポケットに転がり込んだドン臭い地区。その中でもとりわけ暗く、奥まった場所にこの建物は佇んでいる。まるで木の葉の裏のセミの抜け殻のように、恥ずかしそうに。
このネット全盛のご時世に回線が通っておらず、外の廊下に洗濯機が放り出されているような、今時珍しすぎる古アパートに俺が住んでいる理由は単純だ。ここは四千円で一ヶ月雨風が凌げ、その気になれば外界との関わりを完全に絶つことができる。
敷金なし。礼金なし。ついでに大家に会ったこともなし。毎月末に窓にお札を挟んでおくと、いつの間にか無くなっている。それが泥棒か大家かはさておき、家賃の滞納で文句を言われたことは一度もない。
そもそもこの物件は幽霊みたいなもので、もとから大家など存在しないのかもしれないな。
「お前、牛は好きか?」
「おにくだいすきだぞ!」
さて、急勾配の階段を降りきると、目的地である牛丼屋は表通りにある。そこへ行くまでの道のりは俺にとってはともかく、芳香にとってはなかなかの難関だ。
内臓のように敷き詰められた狭い路地を、俺たちは連れ立って抜ける。なにぶん芳香はゾンビだ。不器用な体と、さらに不器用な脳みそ。俺が目を離すと、あちらこちらにぶつかってしまう。
仕方なしに彼女の手を引いて歩くうちに、小さな神社に出る。こぢんまりとした本殿には目も呉れずに境内を横断すると、鳥居の先からぼんやりとしたおぼろな光が溢れ出てきていた。
「ノエ、すごいね!」
「だろ」
鳥居をくぐるなり、裏通りの神社の厳かな雰囲気はどこへともなく追いやられてしまう。雑居ビルの間に挟まれた石造りの鳥居は、町という巨大な歯車に挟まった小骨かなにかのようだった。
「わたしの仲間がいっぱいだあ!」
突如俺が抱いた正体不明の感傷など露知らず。芳香はぱたぱたとあたりを駆け回る。
数週間前までただのシャッター商店街であったこの場所は、すっかり様変わりしていた。芳香が驚くのも無理はないだろう。薄暮の中にぼうっと輝く街灯。そのおぼろな灯りの下にひしめき合うモノたちとは。
「なんたってハロウィン、だからな」
俺たちの前をよぎったものは、どこからどう見ても新鮮な死体であった。その奥では黒々とした装束に身を包んだ死神の一団が不良ずわりでなにやら秘密めいた談義に興じている。扇情的な姿の夢魔が目配せしながら通り過ぎると、道路の両脇に立ち並ぶ鬼たちが一斉に前かがみになる。
「どーしたの、これ」
芳香は目をぱちくりさせて俺に問うた。
「どうしたもこうしたも、ハロウィンの仮装だよ。ここんとこ、毎日のようにイベント打っててさ」
「あ、ゆゆさま」
街頭のモニターに映るのは部屋のテレビでもお馴染みのユユコが相変わらずムリの効いた演技でアイドルを演じている。悪くない。
「にしても、今日は一段と多いなぁ」
ゾンビの手を引いて雑踏を渡る。そうでもしなければすぐさまはぐれてしまう程だ。さすがに今日の混み方は少しばかり狂気じみている。ぶつかってくる落ち武者や腐乱死体に謝り、謝られつつ進んでいくうちにようやく見慣れた看板が見えてきた。
それですら、今は地獄の入口に置かれた行灯のような、えも言えぬ不気味さをあたりに漂わせていた。
店は混んでいたが、なんとか並んで座ることができた。と、カウンターの内側を所狭しと駆け回る店員ですら頭から角を生やした真っ赤な牛鬼だったりする。クオリティの高さかは認めるが、本当にそのチョイスでいいのかと問いたい。
「で、芳香。質問の続きだ」
隣ではゾンビが犬のようにどんぶりに顔を突っ込んでいた。
それでも彼女は丼の中からくぐもった声でうんうんと返事をしてくれたので、俺は早速ここまでの道のりで温めていた疑問を一つ一つ噛み砕いて投げつけていく。
「お前を送った青蛾は、俺に何をしてほしいんだ?」
芳香が顔をあげる。米粒だらけの顔を異様に長い舌でべろりと舐めて、ひどくあいまいな視線を俺に送りつけてくる。ふざけているように見えて、きっと必死に思い出そうとしているのだろう。
「わかんない」
再び芳香は丼の中に戻っていった。額の札だけは丼の外。こういうヘンなところだけは器用なのだが。それにしても、のっけから「わかんない」とは幸先が悪い。これではただ、死体を押し付けられたのとかわりないではないか。
「そっか。じゃあ気を取り直して」
「ノエ、それ痛くないの?」
アパートでも繰り広げたやりとりの焼き増しに、俺は頭を抱える。
「ぜんっぜん。ていうか今は俺が質問する時間だろうが」
「あたしが質問するばんだ。質問、したい」
そういうゲームじゃねえから。
とはいえ真面目に答えてやらないとゾンビがへそを曲げるかもしれない。仕方なしに付き合ってやることにする。
「どうしてお前はバラバラにされていたんだ?」
ここまでの俺たちの異様な言動に関わらず、カウンターを埋める化物たちは全くの無関心を決め込んでいた。そりゃそうか。なんたってハロウィンだからな。
「ハコに入らなかったからじゃない?」
そうは思えない。あの冷蔵庫には、どう見積もってもほかに彼女が一人二人分は入れるだけのスペースが残されていた。わざわざ切り刻まずとも、彼女をそのまま突っ込めばよかったのではないか。
「ほらほら、ノエ。みてー、めんたま舐められるんだよー」
もちろん、この馬鹿が途中で暴れだして脱走する事態を避けたかったというのなら、それはそれまでの話になる。
「痛くないのに、どうしてホータイ巻いてるの?」
「ケガしてるからだ」
さて、困ったぞ。こうして話をすればするほど、謎は深まり、数を増やしていくだけだ。あの部屋で開けてしまったものは一体なんだったのだろうか。パンドラか、それとも、もっとタチの悪い運命の嫌がらせなのか。
「あ、牛丼大盛りひとつ追加で」
長っ尻の言い訳に、注文を追加する。牛鬼は低く鳴いて頷いた。役になりきっているようだが、その強面でイヤに素直なのが逆に不気味だ。
「じゃあ次な……あー、心が折れそうになってきたぞ」
「ごめんあそばせ」
それはおそらく、この店には果てしなく似合わない一言だった。
去っていった隣の餓鬼の代わりにカウンターに現れたのは、べらぼうに美しい少女だった。日本人離れした容貌は、長い年月をかけて磨き抜かれた宝石にも見える。蝙蝠の翼を見る限り、吸血鬼か何かの扮装だろうか。
「大盛り。つゆだくだくで」
少々身長が低い彼女は巨大なトランクケースを踏み台がわりに椅子に腰掛けると、即座に注文を口にする。彼女の口から転がる出ると、つゆだくだくなる珍妙な注文すら何か高貴なお菓子かと錯覚させるくらいの凄みがあった。
そんなこんなで彼女に視線を注いでいると、うっかりと目を外すべきタイミングを見逃してしまう。
「――なぁに?」
紅茶のカップだとか、銀細工みたいなスプーンだとか。そういうものが似合いそうな手で受け取るものはお馴染みの縞模様の丼だ。微笑みを浮かべてそこに紅しょうがを山ほどかけると、彼女は手を止めて怪訝な面持ちでこちらを睨んだ。
「だから、何かしら」
いかん。まだ見とれていた。
「ちょっと、彼ってば失礼じゃないかしら?」
「あーうん。ノエはね、ちょっとね」
お前にだけは言われたくない。
自分の頭を指差し、くるくると指を回して見せる芳香を見ているだけで、こいつを組み立ててやったことを心の底から後悔したくなる。
「それで、ミイラ男さん? そんな目つきでレディをじろじろ見ていたんじゃ、寄り付く縁も離れていってしまうわよ」
「隣に座った吸血鬼が綺麗だったから見ていた。それだけだ」
「まぁ。おべっかはそこまでヘタじゃないみたいね」
そんな優雅に話しながら紅しょうが丼をかきこむのはやめてほしい。腹筋によくない。
「なんというか、慣れてるんだな。このあたりに住んでるのか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。どんな町にも裏というものがあって、そこにしか棲めないものがいる。私みたいにね」
常軌を逸した言葉であっても、その形の良い唇から吐き出されるだけで、ある程度の体裁は整えられていくようだった。
「はいはーい」
と、体裁もクソもない死体が手を挙げていた。
「質問。おねーさん、ニンゲンじゃないよね?」
叱りつつも、頭の片隅で確かにそうだと思う。
実際はこのゾンビの戯言にしか過ぎないのだろうが、それはしっくりくる表現だった。目の前の少女が人間であるということの方がにわかには信じ難い。ともすればとんでもない失礼を、くすり笑ってやり過ごすのは流石の貫禄か。それとも。
「そもそもこの町にニンゲンなんているのかしら」
「ま、ハロウィンだからな」
「ハロウィン、ね。今日が何日か知っているかしら?」
とっさに携帯を取り出した俺を尻目に、彼女は箸を口に運んだ。
「10月31日だ。当然だろ」
「それで、この乱痴気騒ぎは一体いつまで続くのかしら。明日? 明後日? そして、いつからこれは始まったの?」
俺の言葉を遮るように、がたりと彼女の足元でトランクケースが揺れた。
「あら、もうこんな時間。それじゃあまた会いましょうね、素敵なオバケさん」
呆気にとられる俺と、いつの間にか運ばれてきていた牛丼にしゃぶりつく芳香。そして名も知らぬ吸血鬼の伝票だけが後に残された。あれほど悠々と話しておいて、彼女の丼は米粒の一つも残さず平らげられている。
「ヘンな人だったねえ」
お前が言うな。
◆◆◆
腹一杯食べてからもなんとなく胃の腑が落ち着かないような気がしていた。自販機で例のジュースを何本か買い込んで、俺たちはだらだらと商店街を歩き続ける。俺はなんというか途方にくれていた。
何のために、どこから、どんなヤツが送りつけてきたのか全く知りようのないゾンビが隣にいる。そいつはどうやら俺にとって必要になるらしい。自分を自分で組み立てることも、まっすぐに歩くことすらも難しいというのに。
「だからさ、それ飲むのはやめなよって」
魔女スープきのこ味も芳香の目的同様に、よくわからない味だ。その訳の分からなさが、ついつい二杯目に俺をせき立てる。自販機のゴミ箱に目を向けると、既に相当数のオレンジに黒の缶が突っ込まれている。仕方なしに俺は缶を持ったまま歩き続けた。
「ひょっとすると、ヒット商品になるのかもしれん」
あたりはすっかり暗く、それでも通りに溢れた怪異たちはより一層の賑わいを見せている。この後に控えたイベントに備えているのだろう。
「ふわーあ。なんだか眠たくなっちゃったぞ」
俺に言わせれば、むしろどうして死体が起きていられるのだろうか。とはいえ放っておけばこいつは間違いなく眠る。この往来で。その面倒だけは避けたかったので、俺はいい眠気ざましを思いついた。
「こっち。こっちだ」
すぐ近くの雑居ビルへと芳香を引っ張っていった。
黄色い蛍光灯が明滅する細く急な階段を登っていく。壁に貼られた張り紙はどれもこれも古いもので、剥がれかけたり破れたりしている。その上に規則正しく、等間隔で貼られた真新しいユユ様のポスター。一体誰がいつ、なんのためにこれを貼ったのか。
「ユユコ、ユユコ。どこにいっても、どっちをみてもユユコだ」
いくら何でもこれだけずらりと並ばれては、まるで彼女に監視されているような、居心地の悪さを感じる。それは芳香ほどの鈍感さであっても多少は感じ取れるようだった。
「この先に何があるの?」
目をこすりこすり、それでも着いてくる芳香はどこか子供じみていて可愛らしい。
「来てみりゃ分かる。ハロウィンの醍醐味ってやつさ」
屋上に出ると、既に十数人もの亡者たちが手狭なスペースにひしめき合っていた。きっと俺たちと同じ目的でここに現れたのだろう。そう考えると、赤の他人である彼らにも親しみが湧いてくるというものだ。
「下の通りが見える所へ行こう」
俺たちが進むと、亡者たちは自ら道を開けてくれた。ありがたい。
そうしてフェンスに歩み寄るなり見えてくるものは、街中をぼんやりと包み込む蛍光グリーンだったりオレンジ色の光だ。
ハロウィンの醍醐味とは。
それまで無秩序に通りにのさばっていた怪物たちがつま先を揃え、行進していく。仮装行列の頭上で巨大なジャックランタンが炎を撒き散らして踊る。人魂が、ウィル・オ・ウィスプが。オーガとトロールと鬼が手に手を取り行進していく。
何発もの花火が打ち上がる。落ちる数よりも上がる数が勝り始める。空が炎で包まれる。
この仮装行列が、俺は好きだ。俺はここのところ、毎日ーーあぁ、毎日?
馬鹿げてるな。ハロウィンは10月11日のものだ。そもそも、ハロウィンがいつだとかはナンセンスすぎる話だ。今楽しい。それでいいじゃあないか。
「ノエ。あれはダメだ。あれは、怖いやつだ」
だが芳香がこの光景に抱いたものは別の感情だったようだ。お気楽で考えなしの彼女にしては珍しいことに、その頬がわずかに青ざめているようにも見える。
おいおい何を言っているんだ、お前は。
――そんなこと、一言も口にはできなかった。彼女の背後から忍び寄った亡者が、その首筋に深々と噛み付いたのだ。青ざめた血を吹き上げながら、芳香が口を「あ」の形に開いたまま倒れていく。
そこに次々と覆いかぶさっていくのは、今まで静かに佇むのみだった亡者たちだ。
「おい、一体何してんだよ!」
助けを求めようと視線を巡らせる。暗闇に光る真っ赤な眼光。それがひとつふたつと増えて、俺の動きを追っている。まるで本当に亡者が溢れかえってしまったようじゃないか。この屋上も、遥か下の通りにも。いや、そもそもこの町全体が悪鬼の巣窟になってしまったような。
「うわ、ちょっと、お前ら! やめろー!」
組み伏せられた芳香はそれでも平常運転だったが、勢いよく飛び散る彼女の血だったり部品だったりが、俺たちを取り巻くイっちゃってる状況をありありと突きつけてくる。
「芳香!」
このままでは彼女はバラバラにされる。で、その次は間違いなく俺だ。
俺は腕の包帯を握り締めたまま、奴らを睨みつける。
俺は、俺は。
「仕方ないな」
俺は右腕一本の包帯を手に取り、思い切り引き剥がす。包帯を留めていた金具が弾け飛び、そのまま俺の腕は上腕まで完全に解け切った。中から露わになったものは、病的に細りきった、褐色の肌を晒す腕だ。
――――呪装『無限バンデージ』
包帯が四方八方に勢いよく飛び出すと、手当たり次第に触れたものへと絡みついていく。
縦横無尽に張り巡らされていくものは包帯で編まれた網だ。その一本一本は布に過ぎないが、呪いによって鋼より硬く、刃より鋭く強化されている。
「恨むんじゃないぞ」
亡者の一体を絡めとり、頭からコンクリートに叩きつけてやる。一瞬激しく痙攣した亡者は、そのまま足元からさらさらと崩れて灰になっていった。やはりこいつらは人間ではないのか? それとも、数刻前までは人だったのか?
今は深く考えないようにして、硬化させた包帯を振るった。
「もう。ノエ」
芳香に噛み付いていた亡者を引き剥がす。全身を噛みちぎられて不健康な色の液体を流してはいるが、まだまだ彼女が芳香だと分かる状態だ。彼女を『腕』で掴み、引き寄せる。
「おっどろいたー。こんなのがあるなら早く使えよなー」
はみ出た目玉をぐいぐいと指で押して戻しつつ、芳香は頬を膨らませた。その頬もまた大きくかけて、薄紫色の歯茎がむき出しになっている。痛ましい。
「奥の手ってのはさ、本当は最後まで秘めておくのがいいんだぜ」
にしても痛ましい、か。
ただの疫病神に随分おかしな感情を抱いてしまったものだ。ともすれば俺のおどけきった態度も、こいつを安心させようとしたのか。
「そうなのか」
「あぁ、そういうもんだ」
最悪の目覚めだが、この修羅場のおかげで全身に撒き散らされた焦りと闘争本能のおかげで眠っていた脳みそは急激に目覚めていく。
10月31、だ?
改めて確認した携帯の液晶にはっきりと『11/13』の表示が踊っている。
街中に溢れた怪物といい。
いつまでも終わらないハロウィンといい。
クソ不味いのにいくらでも飲めてしまうジュース、といい。
「まったく。俺が異変を見過ごすなんて、一体どうしてたんだろうな……!?」
雲霞のごとく迫り来る亡者の群れに向けて、俺はもう片腕の包帯の巻口を噛み締めた。