なんでこんなお気に入りされてんの……。
いったいなにが起こってるの……。
艦娘──
自らと同じく、元は人ではなく軍艦であったのだろうに、実にもの慣れた様子で、生活に必要な様々を、容易く用意してみせるのだ。
それもここは、人のいた痕跡があるにせよ、今は無人の孤島である。加えて、残っていた建物のうち、最もまともだったのが、二隻が拠点としている、古い納屋もどきだというのだから、在りし日の環境にしても推して知るべし、といったところだった。
「ああ、ほら。おチビ。おやつだ」
「え、あ、はいっ」
ひょいと下手に投げ渡されたそれを、
「これは……?」
「バナナだ」
「バナナ⁉︎」
木の実よりもさらに予想外だった正体に、
「そう、野生のね。野生化したのか、そもそも野生種なのかは、わからないが。ここは南国だからか、さほど苦労せずとも食べ頃のものが見つかる」
こともなげに言いつつ、風呂敷のように結んだ布切れを開き、次々と野生のものらしいバナナを、取り出して並べ始めた。頃合いのものを選んで採ってきたらしい。
それを尻目に、
「えっ。な、なに?」
多少の苦労をして剥いたバナナの実は、皮より薄い色のでんぷん質は想像のままに、その果肉を透かすようにして、黒い粒をいくつも内包していた。予想外の正体よりも、さらに思ってもみない中身に、
「原種に近いものは、種が多いんだ。硬いから気をつけろ」
素直な反応に苦笑しつつ、竜飛。
少しばかり不気味な見た目に反し、漂う香りは甘く、よく熟れたバナナのそれだった。
ふと顔を上げると、竜飛が眼を細めてこちらを見ていた。真顔だときりりと吊りがちな柳眉や目尻が、今はなんとも穏やかに、柔らかく下がっている。その微笑が、揶揄するものではなく、慈しむものであると思い至って、
「気に入ったのなら、好きなだけ食べなさい。種の分、食べ応えが足りないかと思って、量を採ってきたんだ」
反射的に頷いて視線を泳がせる
そう、これだ──と、
竜飛は、あまりにも多くのことを知っている。ただの知識としてではなく、もっと有機的で、実践的なものとして。
人を生かすための文明の加護など、ここではとうに死に絶え、その残骸ほどしか見当たらない。食を一つ賄うのにも難儀するような、生き残るだけでも一苦労のこの環境で、そのとき最も肝要なことを、要領よく整えてしまえる。
人が生存するために必要な、最低限のものを肌身で熟知し、それを得るために、まずなにをすればいいか、微塵の迷いもなく判断する。さらに突き詰めていえば、自分が死なないための、考え方の枠組みが、すでに自分の中に出来上がっている。これは、まっとうに生き物として生き、生き物として考えることができないと、不可能なことなのではないか、と
その、いわば生存本能とも呼べる素養は、自分にはない。あるのは、どちらかといえば闘争本能の類である。
この違いをどう解釈していいかわからず、竜飛自身と話をしてみれば、それは単純に、場数や経験の差に過ぎないのではないか、と首を傾げていた。こう見えて、それなりに年季が入っているんだ、とも。
納得できなくはない。だがやはり、釈然としないものがある。必要にかられて身についたような、後づけの技能ではなく、もっと根本的な部分で。竜飛の中に、なにか、自分のような
その異なるものの一つが、先程のような、竜飛が時折してみせる表情である。
ついこの間まで金属の塊であった自分が、上手く飲み込めずに持て余してしまう、血の通った、生きた感情。それを、竜飛はごく自然に、受け入れ、吟味し、当たり前のようにかたちにしてみせるのである。
このバナナのように、
嫌だなあ、と思う。
それがひどく素敵で、同じようにできたら、どんなにいいだろうと、そう思ってしまうからこそ、
自分は、戦うものであったはずなのだ。そのためだけに費やされるものであったし、今もそうであると考えていた。建造された理念も、希求された役割も、運用された目的も、なにもかもすべてが徹底して、戦うためのものだった。造られてから沈むまで、その因果は最初から最後まで、もつれることなく一本の線でつながっていた。それこそが、自分というモノの本質で、本懐であった。
自分はなにかを作るものでも、かたちにするものでもない。あくまで、それを目的とした人間たちによって、ただ使われるための道具であったはずなのだ。
だからこそ、自分を使ってもらうことで、勝利と敗北のどちらかの結果を出す以外に、自らの存在を示す術を、
しかし、今はどうだろう。
冷たく堅いはがねの体を──それを操舵するひとの手を、往く先を示す意思を失った今は。熱く柔い体を、かたちもわからない心で、闇雲に動かしている、今この時は。
どれもこれもが、あまりにも頼りなく漠然として、はっきりとしたものなど、なにもないように思える。だがそれこそが、今の自分の持つ唯一のもので、もはや自分を操舵できるのは、この覚束ない自分自身をして他にないのだ。
こんなものを抱えて、かつて自分に乗っていたひとたちは、どうして戦えたのだろう。
こんなふうに生まれて、あのひとたちは、どうして海を往けたのだろう。
自分はこれを──自分自身を、どこに向かわせればいいのだろう。
いったい、心とは、どこにあるものなのか。
たとえばそれが、眼に見える部分にあったのなら。そうでなくとも、せめて、この、手に入れたばかりの肉の体で、じかに感じられる所に宿っていてくれたのなら。それがどんなかたちをしていて、どんな色で、まぶしいのか、暗いのか──触れれば熱いのか、冷たいのか、心地よいのか、痛いのか、すぐに知ることができるのに。
どうして腕や脚を動かすように、心を動かすことが出来ないのだろう。それができれば、竜飛がどんな気持ちで、どのようにして、なにを選んで
なぜ竜飛には、あんな表情ができるのか。
それを見ると、どうして、自分が道具であると思うことすら、苦しくなってしまうのか。
けれど、その疑問に苦しみつつも、それを手放すこともできないまま、
そもそもにして、
──だから、つまり、あぁ。自分はもう本当に、ただの
それは、
かつてしていたように、戦うために大海原を往き、ただ砲弾によって敵を屠り、それのみを存在意義とする、そんな自分ではもう、到底いられなくなってしまった。
──そんな自分では、もう足りなくなってしまったのだ。
そして、どうすれば
* * *
そうして二隻は、孤島での夜を、無事に十六度ほど乗り越えた。
無事に、というのは、なにも起こらなかった、という意味ではない。敵性艦による、小規模で散発的な襲撃こそあったが、それをほぼ無傷で切り抜けられた、という意味である。
そしてそのほとんどを、竜飛は一隻のみで退けていた。下位のものしか来なくて僥倖だった、とは当人──当艦の言である。
「せっかく整えた生活基盤が惜しいが、そろそろ潮時かもしれない」
もとは現地住民が飼育していたのだろう、野生化して生き残っていた鶏を絞めてさばき、これも自生していた空芯菜と共に調理した夕食をとった後、竜飛はやや唐突にそう切り出した。
「潮時……。拠点を移そうとお考えですか?」
「そうだ。二日ほど前の襲撃で、敵性艦を一隻とり逃してから、襲撃頻度が上がったように思う。駆逐イ級──確認されている中で最も下位の艦種で、数で押してくるだけの印象が強いが、より上位の艦種に情報を伝達するくらいの知恵はあるのかもしれない」
破れたシーツをつなぎ合わせた、大きな布の端をつまみながら、竜飛は推察を口にした。白かったであろう布は、今は点々と歪んだ水玉のような模様が描かれている。竜飛が偵察機と自身の眼で確かめた、かなり大まかではあるが、周辺海域と群島の位置関係を記した略図らしい。
長さ半分に割れた、戸板とおぼしきものを天板に、簡単に脚をつけただけのテーブルもどきの上で、しわの寄ったそれを平らに広げる。
「連中の生態については、実はまだ、あまり解明されていなくてな。つまり、どれほどの精度で情報を伝達できるのか、はっきりとはわからないんだ」
「なるほど。となると、伝達の精度が高かったとして、上位艦種の速力が速いと考えると──あぁ、本当に潮時ですね」
「そうだな。まぁ、よく保った方だろう。それに、敵性艦がその末端まで、我々が考えているよりも、さらに組織立って動いていたとしてだな。私たちに沈められて消息を絶った艦隊が、どこを航行していたのかは、向こうもやはり把握しているはずだ。そう考えると、こちらの対応はむしろ楽観的もいいところで、無用心と言って言いすぎでもないくらいだった。反省点だな」
御前をいたずらに危険な目に合わせてしまっていた──謝罪する竜飛に、
いわば年長者としての責任感なのか、矜持なのか、それともまさか庇護欲なのか、竜飛はやたらと過保護なことがある。大袈裟だと思わなくもないどころか、むしろ艦種の違いや仕様と性能、艦隊での役割からすると、場合にもよるが竜飛の方が、
むろん、竜飛自身もそれはわかっているのであろうが、それでもこの立場を崩そうとはしない。その姿勢が、今の
「対抗しようにも、私と御前しかいない上、四方を海に囲まれたこの状況で、護るべきものもないのに防衛戦など馬鹿馬鹿しい。少数である身軽さを生かして、次々と拠点を移していく方が、よほど理にかなっていると思う」
竜飛がボロ布の上、いくつも散らばる島々の一つ、ほとんど丸にしか描けなかったのであろう、小さな島を指し示した。
「ここが、この拠点だ。一応、この周辺のめぼしいところは、以前の資材集めの際に、偵察機越しではあるが調べてある。行き帰り合わせて三日程度の範囲に、上位艦種が潜んでいそうな規模の敵泊地はなかった」
拠点を中心にした一定の範囲を丸く示す。
いくつもの孤島を内包するその範囲を、彼女は偵察機があるとはいえ、一隻のみで調べまわったのだという。
「だから、とりあえず今夜くらいは、無事に過ごす程度の猶予はあると思う──これが、精一杯の楽観といえば楽観だ。だが念のため、いつでも撤収できるように準備しておこう。夜中に叩き起こされて、全力で尻尾を巻く覚悟も、な」
これからする悪戯の内容を暴露するような、なんとなく楽しげな笑みを浮かべつつ、竜飛は肩をすくめた。その笑みが殊の外、彼女には似合っていて、
出逢ってすぐは、竜飛の、あまりものに構わない態度や、やや淡々とした普段の語り口のせいで、朴訥とした性格なのだと思っていた。だが、しばらく一緒に過ごしてみれば、よく
「できれば次の拠点は、近くに小さくてもいいから断崖を見つけたいな。艦載機の発着艦に関して、少し考えていることがあるんだ」
「次の拠点は決まっているのですか?」
「いくつか目星をつけてある。御前の意見も聞いてみたい。一つは──」
もっともこれは、
布地をなぞる短い爪の先を見つめながら、竜飛の声に耳を傾ける。
いつもは弓懸に固められている右手が、いまはありのままの姿で
わざわざ並べて比べるまでもない。彼女に
それでもこの細い肩で、彼女は
その背の、なんと頼もしいことだろう。
彼女のようになりたい。ほとんど傷もなく、滑らかなままの自分の手を見下ろして思う。
自分が、どうして生き、どうして戦い、どうして笑むのか、その理由がほしい。それさえあれば、
強さの実例が眼の前にいる。しかし、それはあまりに途方もない過程の、その先にいるように思える。まだ、生きるものとしてなにができるかすら、わからない自分には。
「さて、とっとと眠ってしまおう。疲れを残さないように、だが寝ぼけないように」
「人間の休息って、ちょっと難しいですよね」
「なに、すぐに慣れる」
ひそやかな苦笑をもらしつつ、毛布をかぶって壁に寄りかかる竜飛に倣い、
そうして、十七度目の夜が更けていった。戦いなど、この世のどこにもないのではないかと思うほど、静かな夜だった。
だがその静寂は、黎明を待たずして破られた。
ある意味で、竜飛の言う
* * *
空が白み始めるより少し前。その砲声に気づいたのは、二隻ほぼ同時であった。
「……竜飛さん。今、なにか……」
「聞こえた……。微かだが、砲撃か?」
そろって遅滞なく跳ね起きる。遠く海側を望む、枠だけに成り果てている窓の傍に、二隻とも背をつけて外をうかがい見た。
「で、弾着は?
「いいえ。こちらへの砲撃ではないのでしょうか」
「……今、また聞こえたな。海岸から隠れる場所を拠点にしたが、こちらも発砲炎が見えない……。襲撃じゃあないのか?」
呟きつつ、竜飛は弓と矢筒を展開して、収納されていた探信儀を伸ばした。
「竜飛さん?」
「海岸線に沿って、数ヶ所に偵察機を残しておいたんだ。今、発艦指示を出した。まだ暗いが、せめて少しでも──」
言葉が途切れた。ぐい、と、怪訝そうに眉間にしわを寄せた次の瞬間、竜飛は微かに頬を引きつらせ、弾かれたように窓枠を跳び越えた。
「た、竜飛さん⁉︎」
「艦娘だ」
走り出す竜飛の背を、
「艦娘の少数艦隊が、敵性艦に襲われている」
竜飛は振り返りもせず、拠点を隠す木々の中を疾走する。
「あぁ──一隻やられた」
「行きましょう!」
「こちらも発見されるが、いいか? 覚悟はできているか?」
確認する竜飛に、
「助けましょう! 邪魔をするなら、私の主砲でなぎ払ってみせます!」
「頼もしいな。できれば撃たずに済ませたいがね。 ──抜錨!」
「はい! 出撃します!」
浅瀬の水を蹴立てて、竜飛が海へと飛び込んだ。
「岩陰から抜けて二時の方向! すぐそこ!」
「了解! 右回頭します! ──面舵六十度のち定針!」
すれ違いざまの指示に応え、
宵闇が恐ろしいほどに黒々としていて、眼と鼻の先にあるはずの、左右からせり出す岩肌ですら、上手く判別できない。稜線を透かし見るようにして、ようやっと形がわかる岸壁を抜けて、すぐさま右に転針した。
後ろで竜飛が発艦した直掩機が、
未だ夜明け前の、視覚などほとんど意味のないような時間帯である。今まさに海上を往く
[こちら竜飛。感明は?]
竜飛から近距離無線の感度確認がとんだ。
「こちらや──
眼をすがめて前方を見やる。さほど離れていない位置に、ほんの一瞬、強い光が散った。続いて聞こえてくる、砲声。
「前方に発砲炎確認! 敵性艦のものです!」
[艦娘との距離はわかるか?]
間髪いれずに、問いが返ってくる。落ち着いた声色に、
「ほぼ肉薄距離です──今、また……」
[こちらでも発砲炎を視認できた。まずいな、ほとんど抵抗できていないんじゃあないか]
「竜飛さん、私が割り込みます! 砲撃許可を!」
もう嫌というほど、砲撃音が響き渡った後だ。もはや潜伏の目的で砲を封じておく意味はないと、
[わかった、許可する。距離が近いから、主砲の扱いには注意してくれ]
「了解! 突撃します!」
せめて、もう少し明るくなっていれば──荒いようでいて実際はかなり穏当なあの竜飛が、めずらしく舌打ちと共にひっそりと愚痴を零す。無線が律儀に拾ったそれが、状況の酷さを物語っていた。
唇を噛み締めつつ、さらに加速する。そのまま戦闘海域を突き進み、微塵の躊躇もなく敵艦の前に滑り込んだ。艦娘と、間もなくその傍につくであろう竜飛を背後に隠して、
千にも満たないであろう、ほとんど肉薄と呼べる距離で、発砲炎が上がる。
「敵艦見ゆ! 戦艦二、重巡一、駆逐一!」
至近弾から腕で眼を庇いつつ、無線に報じた。砲弾の破片がかすったのか、前膊に微かな痛みが走る。
[了解! 無理はするなよ。敵の眼を引きつけてくれるだけでもいいんだ。その間になんとか撤退させる]
「できる限りやってみます! 諸元入力完了!」
砲撃準備が整う。砲弾は三式弾。視界などほぼないといっていいこの状態で、一撃の火力よりも面での制圧に重きを置いて、敵艦の行動を阻害する選択をした。
「主砲斉射用意! ──撃ちます! 警報!」
警告音から一拍。轟! と大気が震えた。凄まじいばかりの爆風圧が、
「敵艦隊、進行止まりました」
対地攻撃にも秀でていた砲弾だ。装甲を抜けないため、対艦において決定打とするには難しいが、それでも構造物──この場合、敵艦の装備や艤装──を灼くには充分であった。
[よし。もう少しそのまま踏ん張っていてくれ。ようやく接舷できた──しっかり! 応急を報せろ! 動ける艦は曳航を!]
「了解。砲戦、続行します! ──装填完了! 仰角修正!」
状況を交換しつつ、各々が対処する。急造の、艦隊とすら呼べないたった二隻の遂行能力としては、すでに限界を突破していた。
故に天秤は、ほんのひと匙で、いとも簡単に逆へと傾く。
「警報! 全主砲、薙ぎ払え!」
警告音に続いて、再びの轟音。この砲声の前では、雷神とて縮み上がるに違いない。
三式弾に換わり、九一式徹甲弾が猛然と敵艦に喰らいついた。容赦なく
瞬間、背後でくぐもった破裂音が響いた。水しぶきが上がる。
「な──」
[雷撃! どこから──おい! ……駄目だ、沈んでしまった……!]
水滴が叩きつけられる音を混じらせて、竜飛の呻くような声が無線から届いた。
「竜飛さん! 今……!」
[駄目だ! そっちに集中しろ!]
「ぐ──!」
唸り声がもれる。
竜飛を助けに行きたい。彼女の装甲が薄く、速力も決して速くないことを、
これまでの期間、ほぼ彼女のみで襲撃に対応できていたのは、単純に経験が多く、要領が良いだけだ、と竜飛自身も語っていた。その上、今は傷ついた艦娘の救出を試みているのだ。これでは雷撃を、咄嗟に避けることすらできないに違いない。
助けに行きたい。今すぐ助けに行きたい。
「くっ……」
いつ直撃が来てもおかしくない。
砲撃姿勢をとる敵戦艦を前に、なんとか追いつこうと砲身の角度を動かしたその時、敵重巡が唐突に爆ぜた。激しい波に、敵戦艦が出鼻をくじかれる。
瞠目する
[
静かに、いっそ寒気がするような口調で、竜飛がささやく。
水平線の彼方が、じわりと緋に染まった。払暁の時間。夜が取り払われ、闇に隠されていたものが、その姿を表し始めた。
無線の向こうで、竜飛が吼える。
[爆撃機、発艦せよ! 直掩機、援護にまわれ!]
凄烈な声だった。
無線を介してすら、焦れ乱れた
[爆撃
甲乙はどうやら、航空隊につけた区分かなにかであるらしい。
竜飛から飛び立ったのであろう艦爆が、
[
爆撃音の混じる竜飛の無線が、惚ける
歯をくいしばる。そう、ぼんやりしている場合ではない。未だ期待された役割の、半分も終わってはいないのだ。
「次弾装填──!」
叫ぶ。もはや悲鳴じみた声だった。なんて無様なのだろう。戦うことにだけは、長けていたはずだった。そうでなければいけなかった。なのに、なんなのだ、この様は──己を罵倒しつつ、砲は速やかに角度を変える。
「警報! 全主砲、斉射!」
三度目の、警告音と砲撃。自らの足元ごと粉砕するような爆風圧と反動に、
解き放たれた砲弾が、最後の敵戦艦を半分に吹き飛ばす。白煙にくもる視線の向こう、敵戦艦の残った下半身が、飛沫をあげて海面に崩折れ、沈んでいくのが見えた。
[…………やったか?]
「敵艦隊、殲滅しました……」
[こちらも、別動の敵潜水艦二隻、浮遊物を確認した。なんとかなったようだな……。よくやってくれた]
心から安堵したような、吐息混じりの声で竜飛が労う。そこに、先程の裂帛とした気勢は見当たらない。そのことに、
[こちらは二隻の生存を確認している。両方とも大破だ。しかも片方は意識がない。曳航を手伝ってくれ]
「了解です。すぐに向かいます」
ため息をもらしつつ、
夜が明けたこともあり、竜飛たちを見つけるのには、まったく苦労しなかった。眼で距離を測るに、
益体もないことを考えつつ、さらさらと航行する。さほど時間もかけず接舷した
「あぁ──お疲れさま、
「いえ、そんな……」
緩くかぶりを振る。謙遜ではなく、
「彼女を頼む。私はこの子を曳いていこう」
「了解です。──失礼しますね」
「はい……。すみません。よろしく、お願いします……」
苦痛を堪えるように息を詰まらせながら、その空母は律儀に謝意を伝える。
竜飛は意識のない方を、正面から抱えるようにして、首に両腕をまわさせていた。こちらは支えられる方が竜飛より大きいので、ほとんど上から覆いかぶさっているように見える。
昏睡する空母の肩越しに、竜飛が
「とりあえず、拠点に引き返そう。移動は延期して、まずはこの二せ──」
この直後に起こった出来事を、
否、還ってからも、その先も、決して忘れられないだろう。
「危ない‼︎」
勢いのまま、宙に泳いだその空母の右半身が、なにかに抉り取られるようにして消し飛んだ。異様なほどくっきりと見える、散り散りになる肉の欠片。血の雫。
事態に引きずられるようにして、遅れて聞こえた、轟音。
すなわち、砲声。
すべてが、緩慢に感じられた。弾かれるように振り向いた、その動作ですら、粘り着く空間の中をかき回すように、ただひたすら鈍く思えた。
「し──」
だが実際の
「に──」
対象──腹に大穴を開けた、黄色く輝く戦艦ル級──を確認し。
「ぞ──」
方位角を修正し、砲撃姿勢をとり。
「こないがァァアアア──ッ‼︎」
そうして、自らの砲声にすら勝ろうかという声で、絶叫していた。
* * *
大きすぎる背中の、幼すぎる
癇癪を起こしたように、重すぎる砲で、泣き叫んだ。
それを聞きながら、助けたはずの者に助けられ、その血で真っ赤に染まった竜飛は、水面に仰臥する空母の傍に膝をついて、身を屈める。
「──は。ず、かく、は。……」
慟哭も砲撃も、ほんの一度で止み、ひどく静かな海が戻った。
その海の上。吐息よりももっと弱々しい声で、白い空母はただそれだけを訊ねた。
その声が、潮騒にかき消されないよう、竜飛はさらに頭を下げる。奇しくもそれは、贖罪を求める姿に似ていた。
「ぃ、くは。ぶ、じ……?」
「あぁ、無事だ。ボロボロだけれど、無事、だ」
「ああ、ぁ、ぁ。ょ、か……」
すっかり力の抜けきったその左手と、彼女が守った弓懸を挿す右手を、そっとつないでやる。
「きみは、すごいな──なんて立派なんだ」
万感を込めて、そう讃えた。自分の賞賛など、この空母にはなんの価値もないとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
懸命に自身の指を動かし、弓懸から出た約束の指に絡め、空母は笑った。白い装束も、絹のように透ける髪も、すべてを自らの朱に染め、海水に浸しながら、笑った。くしゃりと笑って、ひとしずく、泣いた。
仄暗い水底に、朱が、煙のようにたなびいて落ちていく。
「ぉね、が……。お、が……ぃ、ます」
「あぁ、聞こう」
「ぁ、くを……。ず、……くを。いも、ぅとを」
「うん……」
「いもぅと、を……おねが、ぃしま、す」
「必ず」
切れ切れになる呼吸の中、最期の願いの言葉だけは、はっきりと口にして、白い空母はそれきり黙り込んだ。
もう、どこも見ることのないまぶたを、竜飛は優しく閉じさせた。ゆっくりと沈み始める姉の頭を撫で、そこに巻かれていた紅の鉢巻を、するりと引き抜く。
そのまま、ゆるり堕ちていく白い大鳥を、黙して見守った。籠手の内側に、託されたものを抱え込んで。
誇り高い姉が没し、完全に見えなくなってからしばし、竜飛はようやく瞳を上げた。その向こうに、大きすぎる肩が、重すぎる荷を背負って、ひとり立ち尽くしていた。
薄明に照らされ、その背は消えてしまいそうなほどに、儚かった。
知らぬ気にただ、海風は巡る。
この章はもう最後まで展開が決まってます。
なので後は、切り口をどうするかなんですが。
展開的に、明るい話がまだ書けない……。
あらすじ詐欺もいいところ。
ところで、