夢みる竜は鳳翔ける空を仰ぎて海を飛ぶ   作:YeahBy

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なんとか四月中に投稿できた……. _:(´ཀ`」∠):_;

今回の話で自分、確信いたしました。

私 に 戦 闘 描 写 は 向 い て な い。

悔しい! でも書いちゃう!




五節 退キ別ケ(ひきわけ)

 

 

 

 分厚い雲が、低く垂れ込めていた。

 

 生温い風がおうおうと吹きすさんでいる。鈍い色をした海原は、その上を往くものを、自らの内に引きずり込まんとするかのように、獰猛にうねっていた。

 

 雲の帳を、薄く削ぐようにかすめ、彼女はその装束に似た深い緑の翼で、入り乱れる強風のあわいを滑る。大気は湿り気を帯びて、全身にまとわりついてくるようだった。

 

 つつけば底が抜けそうな雲の波と、荒々しく跳ね上がる海の波に挟まれて、横溢する気流に揺さぶられながら、彼女は──飛翔した。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 天気雲翳にして風強し。

 鉛色の海面に、六つの航跡が尾をひく。

 密度をも感じるような風に肌をなぶられ、髪を、裾を流されながら、白い飛沫を散らして、横須賀新海域偵察艦隊は海の果てを目指していた。

 

[──なんだか、妙に静かね]

 

 旗艦である軽巡洋艦阿武隈のつぶやきを、無線が真正直に電へと伝える。右舷へ視線を流せば、数メートル離れたところから、彼女がこちらを見返した。

 

[うーん。いいことなんだろーけど、あたしちょっと退屈になってきちゃった]

 

[気持ちはわかるけど、気を抜いたらだめだよ、白露]

 

[そうそう。一応ここ、もう新海域なのよ?]

 

[わかってるよぉ]

 

[まぁ、危なくなったら、後ろにいる私も助けてあげるよ]

 

[響ちゃんありがとう!]

 

[わ、私も! 私も助けるから! 頼っていいのよ!]

 

[雷ちゃん……! 六駆の子たち、優しいなぁ……!]

 

[つまり、妹は優しくないって言いたいんだね]

 

[し、時雨も優しいよ!]

 

 旗艦の言葉を皮切りに、後ろに続く駆逐艦四隻、白露、時雨、雷、響がじゃれ始める。無線からあふれる僚艦たちのやり取りに、思わず笑みがこぼれた。

 

 電には、そしておそらく阿武隈にも、彼女たちの私語を咎める気はない。

 今回、編成された艦たちは、電も含めて、横須賀でも上から数えたほうが早いような手練だ。自分も、彼女たちも、艦隊行動中に少しばかり談笑した程度で、陣形を乱したり、索敵が疎かになるような鍛え方はされていない。必要なことは、もはや習い性のように、各々の体に染みついている。

 

 電は小さく息をついた。

 この編成における彼女の役割は、旗艦と僚艦たちの齟齬を埋めることにあった。

 

 この中に、いまさら互いを知らないなどという者はいない。しかし彼女たちは、連携の都合上から、平時は姉妹艦をひとまとまりとして編成し、運用されている。暁型なら暁型、白露型なら白露型と、艦型ごとに、それぞれ別の遠征艦隊として、シフトを組んで入れ違いに出撃しているのだ。

 

 つまるところ、ここにいるものたちは、それぞれ熟練の水雷屋ではあるが、艦隊としては、遠征のシフトを考慮して編成された、三つからなる混成艦隊──いわゆる寄せ集めと表現してもいいものであった。

 だからこそ、些細な衝突や行き違いが起こった際、そこから任務に支障をきたすような軋轢へと発展しないよう、秘書艦として全員と少なからず交流のある電に、いわば潤滑剤としての機能が期待されていた。

 

 しかし、この和気藹々とした様子を見るに、どうやらその懸念は、ほとんど杞憂であったらしい。

 

「ついでにこちらの懸念も杞憂であればいいのですが……」

 

 無線にすら乗らない、小さな独白。

 

[電ちゃん?]

 

 名を呼ばれ、電は反射的に背筋を伸ばした。眼の端で、阿武隈が気遣わしげにこちらを見ていた。

 

[大丈夫? なんか険しい顔してるよ? ──腕、痛い?]

 

 目線で示され、無意識に左腕をさすっていたことに気づいた。

 

「あ、いえ。違うのです」

 

[そっか。……それ、怪我してるとか、なんかの後遺症とかじゃ、ないんだよね?]

 

 眼を落とす。持ち上げた手は、甲の半ばまでを黒い布地に隠れていた。ところどころ修繕跡が残る、そのふちをなぞりながら、電は苦笑する。

 

「いいえ。これを触ってしまうのは、本当にただの癖なのです。──その、実はあまり良くない感じの……」

 

[良くないって? どういう?]

 

「…………ずっと、嫌な予感がしているのです」

 

 電はしばし表現に悩み、結局はただ漠然とした不安感のみを告げた。

 

[ちょ、ちょっとぉ、やめてよぅ。そんな不吉な──]

 

[──左舷、約三万四千に不明艦隊。呼びかけに応答なし。敵艦隊、見つけたよ!]

 

 眉を寄せる電と、頬を引きつらせる阿武隈の耳に、時雨の警告が飛び込んできた。

 

[ひぇっ。やだぁ、言ったそばから……。はいはいっ、皆さん気を引き締めて! 会敵よ!]

 

 阿武隈が緩んだ雰囲気を一掃しようと声を張り上げる。

 

[たぶんこっちも見つかってるわ! 砲撃で牽制しながら、雷撃距離まで単縦陣で突っ込みましょ。はい、序列つくってー!]

 

[──ちょっと待って]

 

 てきぱきと指示を出し始める阿武隈を、時雨が制止する。

 

[なんだか…………変だ]

 

 曖昧な言い口とは裏腹に、その声は暗く、慄くようだった。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 ──海が、黒い。

 

 ものの例えではない。雲の天蓋と同じ色をした海面が、彼女の眼下を境目として、くっきりと黒く変じていた。

 

 彼女は息をのんだ。

 黒々とした海は、雲影をおとしたためでも、重油を流したためでもない。黒い色をした何者かが、海を塗り替えんばかりに、隙間なくひしめき合っていると気づいたのだ。

 

 ──うごめいている。

 

 高みを飛ぶ彼女の視座からは、いびつで小さな黒い丸が、びっしりと水上を覆っているように見えた。それらが、まるで波の一部であるかのように揺らぎ、蠕動しているのだ。

 

 ゆるりゆるり、ゆうらゆうら。

 ざわりざわり、ぞわりぞわり。

 

 総毛立つ。これらは──この黒いものたちは、ひとつひとつが別の個体であるのだ。上空から見下ろせば、もはや液体と見紛うような風情で大量に寄り集まり、押し合いへし合いしながら、水面をたゆたっているのだ。

 

 彼女は呼吸を忘れて、それらを眺めていた。背筋をなにかが這いまわるような錯覚に陥りながら、固唾を飲んで眼を凝らす。

 遠目には、餌にたかる小虫の群れにしか見えないそれらの、細かな造作を見てとろうと高度を下げ──その形を眼に焼きつけた瞬間、視界の端を小さな影がよぎった。破砕音とともに、視界がぶれる。

 

 暗転──。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

[──さ、散開! 散開してっ! ばらけてぇっ!]

 

 阿武隈の悲鳴のような指示が、無線を伝って、硬直する艦隊に喝を入れた。

 

 敵性艦体──艦隊と表現するのも馬鹿らしくなるほどの大艦隊である。ひしめき合うような密度で、水平線をじわじわと染めるように湧き出て、あっという間に、海が視界の端から端まで真っ黒に染まった。

 最古参にして歴戦たる電ですら、背筋の震えが止まらない。もはや、個々の艦種を判別することすら困難なほどのそれは、遠目には黒い波、あるいは近ければ黒い壁のようですらあった。

 

 おそらくは、最もわかりやすいであろう形で示された、純粋な“数の暴力”が、横須賀新海域偵察艦隊をひき潰しにかかっている。唯一、救いがあるとするなら、あまりに密集しているがために、全体の足が遅いということだけだ。

 

[早く散開して! 滅多打ちにされちゃう! とにかく一旦ばらけて! 回避っ! 回避ぃい!]

 

 至近に打ち込まれた砲撃に、弾かれるようにして六隻が散る。やや前後して、海面のそこかしこに水柱が生まれては消えた。

 

[雨は好きだけど、この雨はいただけないね……!]

 

[いっちばーん! は、さすがに遠慮したいっ]

 

 白露型姉妹の諧謔に焦りの色が混じる。

 

[各艦、とにかく回避よ! 回避を優先して!]

 

 阿武隈が指示を叫びながら、忙しなく視線を動かして状況を確認している。呼応して、白露が、時雨が、響が、雷が、そして電が、それぞれ回避運動をとり始める。

 

「阿武隈さん! 司令部に連絡を!」

 

[わかってます! ──第三! 第三司令部! こちら旗艦阿武隈です!]

 

 意見を具申し、電はすぐそばで水柱を上げた砲弾に顔をしかめた。波のうねりに乗るように何度も舵を切り、不規則な加減速で砲撃を避ける。

 と、黒い大艦隊の()()()()に視線を向け、手前の海面に白い筋を見て取るや、電は反射的に無線の向こうへ叫んでいた。

 

「雷跡確認なのです! 数限りなく! 方角そこら中!」

 

[えぇいもぉう次から次へと! 気合いで避けてやるわよ!]

 

[さすがにこれは、辛いね……!]

 

 姉妹たちが、片や自棄ぎみに、片や苦しげに応答する。それに耳を傾けつつ、電は急加速した。特攻と見誤られかねないほどの思い切りの良さで、微塵の躊躇もなく、砲弾の嵐を掻い潜る。その勢いのままに、司令部とやりとりする阿武隈と、敵艦隊の間に身を滑り込ませた。

 

[了解です! お願いしま──電ちゃん⁉︎]

 

 阿武隈のもともと高い地声が、さらに上ずる。

 それを一顧だにせず、甲の半ばまで黒い布で覆われた左手を、鞭のように振るった。銀光がきらめいて奔る。一瞬の後、唐突に周囲の海面が数ヶ所ばかり持ち上がり──盛大に破裂して水しぶきを上げた。

 

[ひっ! な、なに⁉︎]

 

「魚雷を迎撃しただけなのです。──それで、司令官さんは、なんておっしゃってました?」

 

[そ、そう! 各艦に通達! 同じく偵察に出てる、呉と佐世保の艦隊がこっちに来てくれるわ! そしたらあたしたちは撤退して、本土近海の司令部と合流!]

 

 阿武隈の張り上げる声が、艦隊を鼓舞する。

 

[急いで補給して、艦隊の再編成! 横須賀(うち)のと、呉と佐世保の主力艦隊が合流して、連合艦隊を組んで再出撃よ!]

 

 だから、どうにかして全力で生き残るわよ! ──必死さのにじむ声は、任務上のものであり、また仲間たちへの偽らざる願いでもあった。

 

 艦隊に士気が戻る。

 

[よぉーっし! はりきっていきましょー!]

 

[雨は、いつか止むさ。砲弾の雨なら、止ませてみせる]

 

[不死鳥の名は伊達じゃない。見せてあげるよ]

 

[この雷さまに敵うとでも思ってんのかしら!]

 

 皆、口々に気勢の声を上げる。

 電は、口の端が緩むのを自覚した。状況は最悪の半歩手前。彼我の戦力差は目眩がするほどである。このままいけば、大した抵抗もできずに圧殺されかねない。

 

 しかしいま、この時、この状況で、どうしようもない高揚感が電の胸を突き上げていた。

 

 たとえ覆しようもないほどの劣勢であっても、己が能力を十全に振るう機会に恵まれ、背後に護るべき国がある。そして傍らには信頼すべき旗艦と、頼もしい僚艦らが肩を並べているのだ。

 なんと贅沢な戦さであろう。なんと軍艦冥利につきる戦さ場であろう。

 

 ──嗚呼。これこそが、自分が()()()()に教えたかったものだ。

 ──できることなら、()()()()にもこれをあげたかった。

 

 胸裏に差し込む憂いは、一瞬。

 右舷をかすめるように飛んできた砲撃を、ほとんど横に跳ぶようにして避ける。体全体で回転して慣性を殺し、至近に立つしぶきで肩を濡らしながら、無線へそっと言葉を吹き込んだ。

 

「今のところ、電は駆逐と軽巡しか目視できていません」

 

 この場において、なおも平静さを保つ声で、艦隊に警告する。

 その胴の左右で、金属が噛み合う重々しい音がした。幼げな円い双眸が、刃物のごとく研ぎ澄まされて、黒い大群を睨みつける。

 

「でも先ほどから、ときどき大きな弾が飛んできているのです。皆さん、充分に注意してください」

 

 その面差しには、常日頃の大人しく優しげな気配はなく、ただ激甚なる戦意を──艦娘の誕生以来、数多の海戦を戦い継いできた、古兵の覇気を滾らせていた。

 

[まったく、電ちゃんの方がよっぽど旗艦らしいんだから……]

 

 阿武隈のぼやきに苦笑し、腰を据える。

 

「雷撃いきます。電の──本気を、見るのです!」

 

 魚雷が、我先にと海中に飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ち、と舌打ちがこぼれる。

 

「撃墜されたか……」

 

 じっとりとした潮風が着物の袖をはためかせ、髪を巻き上げる。乱れた前髪をぞんざいに撫でつけつつ、彼女──竜飛は彼方を睨みつけた。

 

 油井から偵察機を飛ばして、一夜を経た。

 あの後、自らも周辺の哨戒を済ませ、帰還した偵察機を着艦させたのち、竜飛は放棄された油井に戻り一泊した。そうして、今朝から再び偵察を開始し、改めて敵性艦の捜索を開始している。

 近場には、相変わらず敵影が見当たらなかった。常ならばそちらこちらをさまよっているはずの、()()()ですら見つけられなかったほどだ。

 

 竜飛は、拠点の周辺海域にいながらにして、敵性艦の動向をつかむことは不可能と判断し、より広域での偵察に乗り出した。ありったけの偵察機を発艦させ、自身もひとり、大海原を進んでいる。

 島影は水平線に隠れて久しく、どこに眼を向けても、鬱々とした雲と海だけが広がっていた。

 

 しかし、この天候の他は平穏な海原の向こうには、全身が毛羽立つような光景があったのだ。むろん、自身がその場に直接居合わせたわけではなく、先んじて発艦した偵察機によって垣間見たものであるが。

 

 竜飛をして、生理的な忌避感を禁じ得ないほどにひしめき合う、敵性艦の大艦隊。思い出すだに身の毛もよだつような光景であった。

 しかし、待ち望んだ発見でもあった。

 

 さて──と、幾度目かの仕切り直しの声。

 

「どうするかな」

 

 拠点に対する襲撃が止んだ理由は、おおむね理解できた。おそらく、あの大艦隊によって、なんらかの作戦が展開されており、戦力の大半がそちらに割かれた結果、あの島は捨ておかれることになったのだろう。

 

 都合の良い話ではある。こちらは竜飛自身も含めて三隻の少数艦隊。それも、うち二隻は生まれて間もない新造艦娘で、どちらも多量の資源を必要とする。

 すなわち、手も足りなければ、資源も足りない。この状況では、下手に身動きせず、頭を低くしてやり過ごすのが、最も賢い選択であろう。

 

 ただ──。

 

「方角的に、本土へ向かっているんだろうな」

 

 現在の、海軍の戦力を竜飛は知らない。自身がそこに名実ともに籍を置いていたのは、もうずいぶんと昔のことであった。具体例を挙げるのであれば、当時は子供だった者が、大人になるだけの時間が経っている。

 あるいは、働き盛りの大人が、老境にさしかかるくらいの時間か。

 

 竜飛が矢筒から矢を引き抜いた。

 嫌な予感がする。腹の底を、じわじわと炙られるような。

 

「──偵察機を墜とした、あれは……」

 

 偵察機の視野をかすめて飛来した、小さな影を思い起こす。

 海軍の時流は、どう変わっただろうか。相も変わらず、偏った編成が好まれているのだろうか。自分や、仲間たちが口を酸っぱくして説いたあれこれは、どれくらい根づいているのだろうか。

 

 すい、と弓を引く。もはや射法など無視した挙措であったが、染みついた動作はおそろしく自然で、常のごとく最適な結果を出してみせた。

 

 矢が、風を貫いて飛んだ。

 射付節(いつけぶし)から箆中節(のなかぶし)のあたりまで巻かれていた、紙垂(しで)のような紙が解けて、白い尾を曇天にたなびかせる。

 瞬間、それが激しく煙を吹いた。

 

 もうもうと吹き上がった煙を、つやめく翼で散らし、銀の鷲たちが躍り出る。仄暗い空を切って、水平線の向こう──北へと翔け出した。

 

「まぁ、いずれにせよ」

 

 小さな嘆息をひとつ。

 早くも小さくなった機影を追い、竜飛も舵を切った。水面を削り、しぶきを立たせる足で、滑らかに踏み込む。そのまま、航行するというよりは、水上を飛ぶように、竜飛は走り出した。

 

 頬に苦笑が刻まれる。

 

「賢い選択なんて、私には無理だ──馬鹿だもの」

 

 それきり、苦くも柔らかだった笑みが消えた。否、笑みだけではない。竜飛の内面の動きを映す、表情そのものが、抜け落ちたように失せた。

 

 力強く波を踏み締める足が、断続的に水面を鳴らす。切れ目なく続くそれは、機関銃の斉射のようですらあった。

 偵察機の生き残りは、一旦、着艦するために折り返させた。その途上の光景を、分割した意識を割り当てて、次から次へとめまぐるしく確かめる。

 

 雲の切れ目、晴れた空。敵影なし──本艦ヨリ東北東。

 降り始めた雨、風がびょうびょうと鳴る。敵影なし──本艦ヨリ西南西。

 風が強い、荒れた白波。敵影なし──本艦ヨリ西北西。

 のしかかる雲、うねる海面。敵艦隊見ゆ──本艦ヨリ北西。

 

「あれは──輸送艦? 前線への補給か?」

 

 敵艦隊、重巡二、輸送四の複縦陣と認む──本艦ヨリ約五万八千。

 

 彼我の距離を知るや、竜飛は腰をねじった。

 

 ほとんど速度の落ちない、急激な転進である。

 全身の、信じがたいほど柔軟で粘り強い筋肉と関節が、遠心力すら操作せしめ、その方向をひとつに束ねた。

 

 波を踏んで、駆ける、駆ける、駆ける。

 

 なにもかもが、およそ艦艇になし得る動作ではなかった。生き物にしても、これほど自在に己が体躯を、その四肢を駆動させるものが、どれだけ存在することだろう。

 

 それからしばしの後、雷撃距離の直前にまで接近した竜飛の左舷に、水柱が立った。それを幕開けに、疾走する竜飛を追うようにして、次々と盛大な水しぶきが上がり始める。ようやくこちらに気づいた、重巡の砲撃。

 近、夾叉、近近、遠。

 竜飛を戦場へ──その先にある地獄へと誘わんとする、物騒な花道だ。

 

 だが、もう遅い。

 竜飛は弓をもたげる。

 

 駆ける勢いのまま、体を斜にかまえた。横滑りしつつ矢を番える。高々と水しぶきをはね散らしながら、立て続けに三度、弦を鳴らした。戦闘機と爆撃機、攻撃機が、銀と濃緑の翼を翻し、一挙に白煙を散らして飛び出す。

 

 足首をひねり、腰で重心をずらして、体勢を戻した。

 

「見えた──敵艦隊視認」

 

 白と黒の異容が、水平線から頭を出した。全艦こちらに回頭を済ませ、重巡二隻が最前列から竜飛を睨み返している。ちらりと見えた、こちらへ向かう微かな白い航跡は、先んじて重巡が放った魚雷だろうか。

 

 左手の内で、弓が溶けるように形を崩した。幾条もの黒ずんだ管のようになって、ずるりと籠手の中に消える。無手となった竜飛は、自らこそが矢尻のように、敵艦隊へ向けて突撃を開始した。

 

「とりあえず、貴艦らから退役してもらおうか」

 

 眼前で水柱が弾ける。それを鮮やかな足捌きで、くるりと回転して避け、海面に白く爪痕を引く魚雷の間を、紙一重ですり抜けた。

 

 さらに肉薄。

 

 艦攻が位置につく。仰角を修正する重巡へ、今度はこちらが十字に雷撃を放った。眼を凝らしてようやく見えるか見えないかの、ごくうっすらとした雷跡が、敵艦隊の左舷と艦尾からじりじりと迫る。

 

 敵艦隊が舵を切った。

 

「させない」

 

 回避運動をとろうとした敵艦隊に、艦戦の機銃が襲いかかる。猛射に海面が粉砕され、塩を含んだ驟雨が舞った。そのまま頭上にまとわりつくように、何度も旋回して弾丸を降らせる。

 致命傷を期待してのものではない。少しでも注意を引きつけ、足を乱すことができれば御の字だ。

 

 期待通り、敵艦隊の挙動がわずかに乱れた。堅牢な複縦陣が仇となり、互いに回避運動を阻害している。輸送艦に至っては、ずんぐりとした艦体が接触し合い、まったく身動きがとれていない。

 ──こちらの魚雷が到達するまでには、未だ間がある。

 

 竜飛も舵を切った。

 

 敵艦隊の右舷へ向けて、なおも接近する。

 刹那、直感じみたものに従い、上体を思い切り振るようにして屈んだ。

 

 砲声──肩から背までを、強烈な風圧に叩かれる。身をしならせて、柳のように受け流した。

 

 姿勢を起こすや否や、すぐさま体を右に開く。

 

 再度、砲声──胸もとから胴を、猛烈な風圧に弾かれる。腰から上を振り回すようにして、これも受け流した。

 

 背を冷たい汗が伝い落ちる。

 少しでも回避が遅れれば、体の上下が盛大に千切れ飛んでいたに違いない。

 装甲の薄い竜飛のこと、相手が重巡ともなれば、砲弾がかすめただけで行動不能に陥るのは、想像に難くない。それも、距離を詰めている分、弾着までほとんど間がないのだ。

 

 ──だが。

 

 竜飛が再度、転舵する。失速しない転進でもって、猛然と敵陣へ突貫した。反航戦。否、この近さと大胆さたるや、もはや逆落とし戦法でも仕掛けようかという具合である。

 その動きに触発され、重巡が一隻、方位角を正そうと、両腕の砲門をくわえた顎を動かす。

 しかし。

 

「遅い」

 

 気づけば、彼我の距離はすでに十数(メートル)にまで縮まっていた。

 

 竜飛の動きに、照準が追いつかない。

 

 真っ白なおもてに、愕然とした表情を刻み込み、重巡がこちらに眼を向ける。茫洋としつつも驚愕に揺らぐ眼差しと、冷徹に狙いを定める竜飛の視線が、空中でかち合った。

 

 竜飛が胸の前で緩く握っていた左手を、発条(ばね)のように振るう。

 

 ────────‼︎

 

 おぞましいほどの絶叫が、耳をつんざいた。

 

 重巡が、自らの顔面を押さえて苦悶している。身を反らし、仰のく両の眼から、いつの間にか掌ほどの長さの金属針──釘が突き出していた。

 

 眼を潰され悶え苦しむ重巡を、もう一隻がわずかに動揺を込めた視線で見やる。転瞬、隊列から外れるのもかまわず、弾かれたようにその場から身をかわした。その足先すれすれを、仄かに白い雷跡がかすめていく。先に放った十字の雷撃が、いま敵艦隊に届いたようだ。

 

 爆音が上がった。

 

 眼球の復元が間に合わなかった重巡が、爆風を巻き上げ煙をふく。それを尻目に、もう一隻の重巡は、格子を描く白い泡の筋を間一髪ですり抜けた。その背後で、再びの爆発。輸送艦に命中したのだろう。

 

 無事に回避し切った重巡は、それらをまるで意に介さず、硬質な輝きの頭髪を爆風に乱しながら、嘲弄するように唇を薄く吊り上げた。

 

 その眼と鼻の先で、竜飛が唐突に急回転する。

 

 体ごとぐるりと回る胴から解き放たれるようにして、縄状のものが乱れ飛んだ。竜飛の舞うような動きに従って、小さな嵐のように荒れ狂い、空間に無数の残像を刻みつける。

 

 ──雷撃が本命だなどと誰が言った?

 

 生き物のように躍る縄──曳索が、頭上で美しい円を描いた。遠心力を味方につけ、瞬く間に重巡の首に巻きつく。

 

 真っ白な顔に浮かんだ笑みが、凍りついた。

 

「私の手は二本しかなくてな」

 

 たわませた曳索を打ち振るうと、沈みかけている重巡の首にも、魔法のように索が絡みついた。敵艦隊の真正面で、竜飛がぐいと舵を切り、波を蹴って陣を右舷から丁字に過る。のたうつように曳索を振り、さらに巻き締めた。

 

 重巡二隻の首がひとつにくくられる。

 

「そこでちょっと待っていてくれ」

 

 絡み合って団子になった重巡二隻を横目に、竜飛は敵陣の左舷へと一気に駆け抜けた。勢いのまま、二隻に巻きついた索が凄まじい力で曳かれる。

 

 曳索が長さの限界を迎えて張りつめた。

 もつれ合う重巡二隻を軸に、速度を保ったままハンマー投げの要領で自分自身(ハンマー)を振り回し、海面に大きく弧を描いて反転する。

 遠心力で足が浮いた瞬間、竜飛は曳索を手放した。

 

 小柄な体躯が敵陣の後列へ向けて空を飛ぶ。輸送艦四隻へ、文字通りの再突入を敢行した。

 

 横向きの身を空中でよじる。

 回転する力に、腰のひねりも加えて突き出された膝頭が、輸送艦の黒く平べったい頭部に叩き落とされた。ごきり、と生々しい音を立てて、白く、異様に細い首がへし折れる。

 

 力を失った頭部を膝で押しやるようにして、竜飛は跳躍した。蜻蛉を切りつつ、おまけと言わんばかりに横蹴りを放つ。

 骨が砕け、肉が潰れる乾湿入り混じった音をたてて、項垂れる輸送艦の胸郭が陥没した。

 

 反動に任せて、くずおれる輸送艦からくるりと飛び離れる。そのまま輸送艦四隻の中心に、足首まで埋めるようにして着水した。海水が飛び散り、頬にかかる。

 

 素早く見回す。残りの三隻のうち、一隻は被雷したのか沈みかかっていた。二隻は撤退しようとしているようだが、動かなくなった僚艦や、互いに阻まれて、上手く事が運んでいないようだった。

 

「次はスリムに生まれておいで」

 

 一足飛びに、生き残りの輸送艦へと接近する。卵を孕んだ昆虫の腹を思わせるそれに指先をかけるや、振り子のように体を振り上げた。輸送艦が、竜飛の重みでわずかに沈み込む。傾いで揺れる艦体をよそに、小揺るぎもしない倒立の姿勢から、背を丸めて転がり、停滞なく立ち上がった。

 

 竜飛を振り落とそうと、輸送艦が艦体を振る。不規則な揺れを足腰で完璧に吸収しつつ、黒い艦体を踏み鳴らして艦首へ向きなおった。

 

 自らを見つめる“死”の視線に、輸送艦が白い体をよじり、もがく。しかし、拘束されているのか、そもそもそういった構造なのかは判然としないが、仰け反る体勢で両腕を固定されている輸送艦には、そこから逃れようがない。

 

 黒い弓懸を挿した竜飛の右手が挙げられる。その手が指先まで伸ばされ、手刀の形をつくった。

 

「──おやすみ」

 

 艦体が激しく鳴った。竜飛の足が、はがねの装甲を砕かんばかりに踏み締めた音だった。

 

 四股のような踏み込みの、その反動を、下肢から上体、そして腕へと伝わせて、螺旋を描くように、総身の力と縒り合わせるようにしてひとつにまとめる。それらを一点に込めた手刀が、艦体と同じ色をした、平たい頭部へ向けて、鉈のように打ち下ろされた。

 

 朱が散る。

 

 頭頂部へまっすぐ落とされた右手に、笠状の頭部が真っ二つに割れ砕け、無残にその形を変えた。脳漿と血の飛沫に、点々と頬や肩口を汚しながら、竜飛が手を引き抜く。刀剣の血振るいのように体液を振り落とし──。

 

 猫のように跳ね退いた。

 

 轟!

 

 竜飛の残像を、砲弾が穿つ。背を弾く風圧すら追い風にして、輸送艦の残り一隻に降り立った。やや荒っぽい着地に、艦体が大きく沈む。

 

「早いな。もう立て直したのか」

 

 ひとつに絡げた重巡が、ぐったりとする一隻を抱えるようにして、肩越しに砲門を向けていた。こちらを睨む視線と、自身のそれがぶつかった瞬間、竜飛は背筋を走った危機感に従って、尻餅をつくように腰を落とした。

 

 再びの轟音。

 急な動作に束ねた髪がなびき、逃げ遅れた毛先が砲撃に千切れ飛ぶ。余波を額に受けながら、竜飛は艦体から転がり落ちるように後転。再度、足から海面に降りた。

 

 間髪入れず、右腕を下から振るう。あえて襷でまとめず、垂れるままにしていた着物袖が、輸送艦の首に巻きついた。そのまま引き寄せてがっちりと捕まえ、重巡側へと突きつけた。

 

 活魚のように暴れる輸送艦を、ぎりぎりと羽交い締めにしながら、竜飛はちらりと上空をうかがう。それをつけ入る隙と感じたか、重巡が再装填を完了した砲門で、狙いを定めた。

 

 竜飛の唇の端がほんの一瞬だけ持ち上がり、すぐにもとに戻った。

 

 重巡が力んだ──と見えた瞬間、竜飛は盾にしていた輸送艦に肩口をぶつけ、豪快に突き飛ばす。即座に、海面に手をついて這いつくばった。

 

 またも轟音。

 それに混じって、水気を含んだものが弾け飛ぶ音と、金属同士がぶつかり合う音を聞いた気がした。赤黒い欠片が、眼前の水面にぼちゃぼちゃと降り注ぐのを無表情に見やり、竜飛はゆらりと立ち上がる。

 

 白い肉体のほとんどが消し飛んだ輸送艦の陰から、のっそりと顔を出した。妙に泰然とした仕草の竜飛に、爛々とした眼の重巡が、いま一度、砲門を構える。

 

「ところで──」

 

 不意に、竜飛が口を開いた。

 

「白兵戦が本命だなどと誰が言った?」

 

 鈍く空気を震わせる音が響いた。

 否、実際には最初から響いていた。ただ、海上にていくつも欺瞞を重ね、上空を同種の音で満たして、重巡の意識から()()が外れるよう誘導していただけである。

 

 ──開戦から今までのすべてが、この爆撃機を隠蔽するためのものだったのだと、はたして重巡に理解できただろうか。

 

 茫然と空を仰ぐ重巡へ、銀翼の群れから次々と切り離された黒い礫が、先を争うように襲いかかる。

 僚艦と結び合わされ、回避運動をとることもままならず、爆撃に身を灼かれて、爆煙と水柱の中で重巡は息絶えた。

 

 

 

 

 

 

「──は、あぁぁ……」

 

 重巡の絶命を確認して、竜飛は深々と息をついた。様々な感情の残滓をはらんだ、重苦しく長いため息であった。

 思わず、傍らの輸送艦に手をつく。黒い艦体のみが未だ浮かぶそれを眺め、周囲を見回した。

 

 輸送艦のうち、一隻はもう沈んでいる。三隻もかろうじて浮いてはいるが、じきに彼女らも水底へ消えていくだろう。竜飛が曳索で無理やり絡げた重巡二隻も、徐々に沈み始めている。

 

「……おっと」

 

 竜飛は輸送艦から離れ、重巡へ接舷した。彼女たちが沈む前に、曳索を返してもらわなくてはならない。釘も、使い物になるなら再利用せねば、すぐに底をついてしまう。

 それらを手早く回収し、破損を確かめて納める。曳索を折りたたんで、腰の後ろに押し込みながら、ふと眼を上げた。

 

 雲の底をかするように、こちらへ戻ってくる小さな翼が見えた。

 竜飛は腕をまっすぐ突き出すようにして、前へと掲げる。着物袖のたもと、開いた身八つ口と振りの穴から、黒ずんだ飛行甲板がずるりと生え出た。肘を曲げ、上腕から肩に載るようにして支え、腰を落とす。

 他の空母のものより明らかに短いそれに、戻ってきた九九式艦上爆撃機が次々と滑り込む。勢いを殺すように一歩下がりつつ、着艦。

 

「よし」

 

 迎え入れる竜飛の顔の横で、静止した艦載機たちの風防が開くと、中から燻るように煙が立ち上り、機体が紙切れへと変じた。甲板からひらりひらりと舞い落ちるや、水面につく前に、すべて仄青く火を灯して燃え尽きてしまう。

 

 それを幾度も繰り返し、九七式艦上攻撃機も九六式艦上戦闘機も、ついでに今しがた追いついた偵察機も、片端から青白い焔に変えた後、竜飛は再び嘆息した。

 

 白い肉体は挽き潰されて肉の色を晒し、残された艦体は黒く丸い、大きな浮標のようになってしまった輸送艦を検分する。揺らぐ波が艦体を打ち、妙に空虚な音を立てていた。

 

「彼女らの優先基準というのは、本当に、どうなっているのだろうな……」

 

 益体もない愚痴を垂れ流しながら、先ほどまでも触れていた、この金属製の昆虫の腹を撫で回し、そこにぽっかりと空いた大穴を見つける。

 

 重巡への盾として押し出した際に、砲撃で穿たれたものだろう。砲弾によって装甲が破られ、内部へと巻き込まれて丸まったふちをなぞりつつ、中をのぞき込む。

 

「──ボーキサイト……」

 

 やや灰色味を含んだ褐色の鉱石が、黒い腹の中にみっしりと詰まっていた。砲撃で砕けたのであろう、小さくなったそれを手に取り、竜飛は眼を細める。

 

 ──と、不意に弾かれたように彼方に視線を投げた。

 

 眉を寄せて、いずこかを睨みつける。

 

「…………どうしてこう、当たってほしくない予感ほど……」

 

 弄んでいた小さな褐色を、艦体の穴に乱雑に放り込む。

 ぶつぶつとこぼしつつ、再び水平線を目指して駆け出した。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

[──全艦一斉回頭、単横陣で後進!]

 

 阿武隈が愛らしい声に似合わぬ戦意を漲らせて、指揮をとる。

 

[間隔は広めにとって、確実な回避を徹底して! 砲撃も雷撃も狙いは適当でいいわ! 誤射しなければね! どうせ狙わなくても当たります! とにかく足を止めないで!]

 

 幾度も繰り返される指示が、熱くなりかける艦隊の思考を、堅実なそれへと引き留めた。

 

[はい! 雷、もっかい魚雷いくわ!]

 

[同じく響、雷撃する! Урааа!]

 

 乱戦での状況把握のために、各々が名乗りをあげて行動に移る。

 大群の中から、めいめい好き勝手に頭を出す敵駆逐艦らへ向けて、暁型姉妹たちから雷撃が放たれた。三隻から放射状にのびる、うっすらとした雷跡が交錯して、波間に菱格子の文様を描く。

 

 駆逐艦らが互いにもみ合いながら、それでも回避運動をとろうとざわめき立つ。

 

[僕──時雨、砲撃いくよ!]

 

[あ、あたしも! 白露、撃つよ! いっけぇー!]

 

 砲撃音が響き渡る。敵艦隊の前列、押し合いへし合いしている駆逐艦らの吃水線が、激しく波を弾けさせた。

 

[阿武隈も撃ちます! やるときはやるんだから!]

 

 気勢をあげて、阿武隈の砲撃が敵艦隊の最前列へ斉射される。その砲声が、白露型姉妹が再装填するまでの時間を埋め、先の雷撃を鈍色と黒に分かれる吃水線まで導いた。

 

 爆音とともに、水壁が曇天を突き上げる。電は脳裏で秒を読みながら、肩の後ろで主砲を旋回させた。艦隊に注意を促す。

 

「そろそろ、また次の雷撃が来ます! 海面をよく見て、でも海面ばかり見ないで、頑張って避けるのです!」

 

[うわー! 眼があと三対くらいほしい!]

 

[敵艦と雷撃と砲撃と、あと一対なにに使う気なの?]

 

 白露の元気な泣き言へ、雷が生真面目に問いかけた。

 

[妹と対潜!]

 

 寸毫のためらいもなく、きっぱりと言い放つ白露。

 

[なに言ってるのさ。しかも一対たりない上に、眼で水中は見れないじゃないか]

 

[仲がいいな、君たちは]

 

 時雨のどことなく照れを含んだ反応と、響の羨むとも呆れるともつかない評価。

 

[もぉぉお! 皆さんもうちょっと真剣にやってくださいぃ!]

 

 一気に崩れた緊張感に、阿武隈の泣きが入る。しかし彼女の心配をよそに、僚艦たちはじゃれ合いながらも確実に、交差する白い航跡の間を縫った。

 

 雷撃を凌いだ各艦の間に、大きくしぶきが立つ。電が先んじて警告していた、大口径の砲弾が夾叉しているようだ。艦隊の後方で魚雷に誘爆したのか、尋常ではない規模で海水が破裂する。驚いた数隻が短く悲鳴をもらした。

 

[これだけ撃たれて、未だに誰も大した傷を負っていないとは……! Хорошо(すばらしい). もはや奇跡だね]

 

[ずっと続くといいんだけどね。次は僕らの番だよ。──時雨、雷撃するよ]

 

[はいはいっ! 白露も雷撃するよ! いーっけぇえ!]

 

「電、砲撃はじ、め──」

 

 主砲の仰角を合わせ、砲撃する直前、電の声が尻すぼみに途切れた。

 

「──白露さん、電もあと四対は眼がほしいです」

 

 一拍の後、低く呻くような声色で、唐突に僚艦の軽口を引き合いに出す。ひどく苦々しいそれが、鼓膜を圧する砲声や爆音の中で、奇妙なほど鮮明に無線を巡った。

 

[電ちゃん?]

 

 気遣わしげな、白露の声。

 電は応えず、その主砲が、無言の内にさらに上を向いた。もはや険しいどころではない、鬼気迫る表情で、真っ黒な海の上、薄暗い雲の天蓋へと視線をねじ込んだ。

 

[……すっごく聞きたくないけど、とりあえず訊くね。──敵艦と雷撃と砲撃と、あと二対なにに使う気なの?]

 

 眼前に弾着した余波を危なくかわし、白露が訊ねる。

 

「……姉たちと」

 

[うん?]

 

「──対空なのです」

 

[はい?]

 

 ひと時の静寂が、各々の間を満たす。息を飲んだような静寂に支配される中、誰もが戦況を忘れ、電の睨みつける先を誘われるように見遣った。

 

 天を覆い隠す分厚い雲の陰影から、無数の黒点が現れる。それらはじわじわとにじむようにその姿を大きくし、ほどなく、全艦がその正体を知ることとなった。

 

[…………こっ、航空機⁉︎ 敵航空機確認!]

 

 雷が悲鳴まじりの警告を発する。その声をかき消さんばかりに、先に放った白露姉妹の雷撃が、高々と海水を散らした。

 

「──なのです!」

 

 それを合図としたように、電の主砲が火を噴く。二つの砲門から放たれたはがねの礫が、空を裂き、敵機に食らいついた。経験に相応しい正確な砲撃ではあったが、雲に代わって天を塗り替えんとする、どす黒い雲霞には、あまりにも数で劣る。

 白煙を上げながら落ちてきた、ほんの数機の火の玉に、電は歯噛みした。

 

「手数も頭数も圧倒的に足らないのです!」

 

[対空用意! くるよ!]

 

[もぉー! この状況で空まで!]

 

 警戒を促す響と、激する白露が主砲の仰角をとる。

 しかし、砲弾が放たれる寸前、周囲にいくつもの水柱がはね上がり、照準を揺さぶった。体勢を崩しながらも、なんとか踏みとどまった二隻の眼と鼻の先に、白い筋。

 

 雷跡。

 

「──こっ、のぉお!」

 

 電は反射的に左手を振るっていた。しなる手首の動きで射出された銀光──釘が、白く尾を引く魚雷へと襲いかかる。

 

「全部は無理なのです! 早く避けて!」

 

 数本を穿つと同時、電は叫んだ。内側から破裂する海水に、半ば吹き飛ばされるようにして、響と白露が跳ね退く。

 

[痛っ! もう! おたくの妹さん無茶するね!]

 

[くっ……! 頼もしい、だろうっ?]

 

[まったくだよありがとう電ちゃん!]

 

 交わす冗句にも苦しい色が混じる。至近で起爆した魚雷に、さすがに完全な無傷では済まず、あちらこちらに小さな切り傷ができていた。

 

[もう! あっちからこっちから! ──ってぇー!]

 

 雷の砲撃。それと同じくして、敵艦隊のいたるところから発砲炎が上がる。

 

 時雨のひゅ、と息をのむ音が聞こえた。

 

[阿武隈さん! ──ご……っ]

 

[時雨ちゃん⁉︎ ──きゃぁあっ]

 

[時雨っ⁉︎]

 

 薄暗い海上に紅の花びらが散る。白露の悲鳴。

 咄嗟の警告を発した時雨と、その悲鳴に出足を乱した阿武隈が、順に被弾した。片や脇腹を抉られ、片や左脚と右腕を千切り飛ばされている。そのままばしゃりと音を立てて水面に伏す二隻に、雷が駆け寄った。

 

[阿武隈さん! 時雨!]

 

[だ、大丈夫……! 時雨、復元完了。判定はまだ中破だよ!]

 

 艤装の内蔵余力を消費して、時雨の脇腹が復元される。尻目に、阿武隈は残った左腕で海水を掻いた。

 

[ごめん、なさい……。阿武隈、大破です……]

 

 阿武隈が息も絶えだえに謝罪する。出血は治まったものの、内蔵余力を消費し切っても、欠損を復元するには至らなかった。

 

「雷ちゃん! 時雨さん! 阿武隈さんの曳航を! ──なのですっ」

 

[わかったわ!]

 

[了解……!]

 

 指示を出しつつ、唸りを上げる黒雲に砲撃を加える。

 

「まずいのです……!」

 

 阿武隈も時雨も、轟沈を免れた。撤退して入渠すれば、阿武隈の欠損も跡形もなく回復する。経過時間を考えても、もう充分だ。しばらくすれば、呉と佐世保の艦隊が、この場を引き継ぎに来る。

 

 旗艦大破。撤退すべきだ。

 しかし、戦況がそれを許さない。

 

 直撃弾を受けたことで、艦隊の足が鈍ってしまった。左脚を失った軽巡阿武隈を曳航し、速力の大幅に落ちた艦隊が、今しも圧殺せんと向かい来る敵大艦隊に背を向けて、逃げおおせる可能性はいかばかりか。

 それも、雲霞のごとく迫り来る敵航空機の猛攻を掻い潜って、である。

 

 艦隊六隻のうち、まともに戦えるのは電と響と白露。阿武隈は自力で立つことすら難しい。中破した時雨には無理をさせないため、雷と共に阿武隈の曳航につかせている。駆逐艦二隻による曳航でも、やはり動きは遅い。

 

 ──だが。

 

 黙考する電の視界に、一瞬、影がちらついた。敵艦戦の機銃が弾丸の雨を降らせる。水しぶきが尾を引くようにはね上がった。腕で眼をかばう。塩水の飛沫に、鮮やかな紅が混じった。遅れて、前腕にやってくる痛み。機銃がかすめたようだ。

 

 迷っている暇などない。

 電はぎり、と唇を噛み締めた。

 

「響ちゃん、白露さん」

 

[……なにかな]

 

[魚ら──な、なにっ?]

 

 自らを呼ぶ声の色に、響は眉を寄せ、白露の頬は引きつる。その表情に電は気づいたかどうか。

 

「撤退しましょう。電が残るのです。おふたりは阿武隈さんたちを護衛しつつ、離脱してください」

 

[な、なに言ってるのよ⁉︎]

 

「誰かが派手に注意を引かないと、背中を撃たれるのです」

 

 雷の声が動揺に裏返っている。対して、電は平然としたものだった。

 

[ま、待って……。あたしが、あたしが残るから……!]

 

「それで、何秒もたせられるのです?」

 

 阿武隈の必死の声を、ぴしゃりと叩き斬る。あまりに容赦のない物言いであったが、事実であるだけに、文句の言いようもなかった。

 

「だいたい、阿武隈さんは旗艦なのです。撤退して司令官さんに委細を報告する義務があります」

 

 淡々と言葉を積み重ねながら、砲声を響かせ、雷撃を放つ。いちいちもっともな意見ではあるが、それが電の内心すべてではないということなど、誰にでもわかることであった。

 

 わかるからこそ、受け入れ難かった。

 

「それに電は、おそらくこの中でいちばん、対空に慣れていると思われます。電なら、しばらくは保つのです」

 

 少なくとも、艦隊が離脱するくらいの時間ならば。

 

 ──そしてそれが、そのまま電の余命となる。

 

[でも……!]

 

[そ、それなら私も残るから!]

 

 なおも言い募ろうとする僚艦たちの前で、唐突に電が跳び退いた。一瞬遅れて、その波紋に爆撃が落ちる。電を囲うようにして、次々と水が打ち上がった。

 その爆風になど毛筋ほども臆さず、電の左手が、飛燕のごとく頭上で翻る。遠ざかろうとしていた敵艦爆が数機、海面へと斜めに衝突した。討ちもらした数機がそのまま飛び去る。

 

「残ったところで、なんになるというのですか! 仲良く沈むだけなのです! ──もう時間がありません。遠からず包囲されてしまいます。さあ、早く!」

 

 まるで鶴翼の陣なのです──呟きに苦々しさが含まれる。

 無秩序に横へと広がる黒い大群が、電たちを要として、まるで大鳥がその翼を閉じようとするかのように、両翼から迫っていた。

 

 阿武隈が無線越しに、ぐぅ、と唸る。

 雷のすすり泣きが聞こえる。

 

[ごめんなさい……っ。どうかご武運を]

 

[嫌ぁ……っ、なんで、こんな……]

 

[......Простите пожалуйста(ほんとうにすまない). 電……]

 

[電ちゃん、ごめん……っ]

 

[ごめん、ごめんよ、電……]

 

 無線がおそろしく湿っぽい。電はまったく場違いな笑いの衝動にかられた。本当に、自分はなんと贅沢な艦娘であろう。そろそろ四十年にも及ぼうかという、長い艦娘歴の最期がこれであるなら、未練はあれど後悔はない。

 

 上空から敵機が、海上から敵艦が迫る。黒い空と海が迫る。

 電は魚雷を放射状に射出し、叫んだ。

 

「早く! 務めを果たしてください!」

 

 背後で波を蹴る音がした。艦隊が反転したのだろう、徐々に遠ざかる水音を聞きながら、電が砲の仰角を修正する。

 

「電の──わたしの、覚悟を、見せてやるのです」

 

 魚雷が迫る艦隊に突き立ち、爆風を上げる。

 主砲が咆える。火球が数機落ちてくる。

 再装填した魚雷を放つ。

 雷跡同士が交差しあい、水面に紋様を描く。

 航跡の間をすり抜け、回避。

 砲弾が降りかかる。舵を切って、回避。

 さらに砲弾、跳ぶように回避。

 

 砲弾、砲弾、魚雷、砲弾、機銃、機銃、爆撃──。

 

 電には、もう時間の感覚などなくなっていた。いつしか反撃など忘れ、身をよじり、這うようにしてでも、ただ遮二無二、襲い来る最期から逃れ続けていた。

 

 疲弊した体が、重く、冷たい。

 

 頭頂から足先まで、みっしりと鉛を詰めたようだった。生を受ける前の、記憶もおぼろげな、はがねの軍艦(ふね)だった頃とは違う。徐々に活力を失い、弱り切って死に向かう──生と苦が等価に結ばれ、肉体が重荷になるような、それであった。

 

 ──貴女は、いつもここにいたのですね。

 ──こんなふうに生きていたのですね。

 

 得心とも納得ともつかない述懐が、胸裏でふつと湧き出でる。

 

 重く、冷たく、苦しい。早く終わってほしいとすら、思ってしまうかもしれない。それでも、彼女は──今も忘れ得ぬ背中の()()()()は、いつもそうして生き、そうして戦い、そうして沈んでいくのだ。

 

 その孤独を思う。

 人間と初めて手を取り合った、最初期艦の五隻。その一隻たる、この電よりもずっと前に生まれ、母港もなく、同族もなく、展望すらも曖昧なまま、ひとり海を往き、闇雲に戦い続けるしかなかった、彼女を思う。

 

 理解など、できてはいなかったのだ。できようはずもなかったのだ。夕張も、大淀も、叢雲も、香取も、龍驤も、松岡中将も、そして自分も。寄り添い合う温もりよりも、この孤独と冷たさの中にいる方が、ずっと楽だなどという、彼女のことなど。

 

 電たちが、温もりと信じたものにこそ、打ちのめされてきた、彼女のことなど。

 

 爆風にあおられ、海面を転がる。のろのろと立ち上がりかけたところに、さらなる爆風。吹き飛ばされ、波間をはねた。砲撃か爆撃かすらもはや判然とせず、直撃せずとも、ただ余波に細かい傷ばかりが増えていく。

 

 ぼやける視界に、朱に染まった腕が見えた。血まみれで、どこが傷口かもわからない。否、腕だけではない。全身、ありとあらゆる箇所が、痛みと痺れで震えていた。

 

 もがく。ぐらつく頭をなんとか支え、壊れかけの人形のように、電はぎしぎしと体を起こした。両手をつく。這うような姿勢で、きしむ砲塔を動かす。

 

「ま、ぁっ……だ、なの、です」

 

 声帯は錆びたようだった。脚は萎え、首は据わらず、上体を支える腕もくずおれる寸前。呼吸すらおぼつかず、ひゅうひゅうと隙間風にも似た音を立てている。

 

 それでも、まだ。

 

「まぁ、だ、いきて、るの、です……!」

 

 砲が、上空を仰ぐ。鈍った眼には、すでに黒いとしかわからぬそこに、ぶれる照準を向けた。

 

「う……ぁ……、ぁぁぁああああ──っ‼︎」

 

 喉を裂いて飛び出した咆哮に、轟音が合わさる。朦朧とした視力では捉えられない砲弾が、敵機の手前を通り過ぎ、敵艦隊へと落ちた。

 

 直後、その何倍以上もの爆炎が、大艦隊のあちこちから巻き起こる。

 

「は──」

 

 吐息がもれた。疲労に空回りしつつも、それでも働いていた思考が、一瞬で空白と化す。茫然と身をふらつかせる電の頬を、影が通り過ぎた。反射的に身を縮め、すぐに己の無事を訝しむ。

 

 脱力する背筋を伸ばして、過ぎ去ったそれに眼を凝らした。

 

「ぎん、いろ」

 

 曇天の下ですら銀の翼がきらめき、翻る。旋回する銀の鳥に眼を奪われた電の耳に、それは飛び込んできた。

 

[間一髪だったようだ]

 

 息をのむ。指先が、肩が、背が、疲労と苦痛とは別種のものでうち震え、絶望にすくむ心臓が激しく鼓動しだした。

 

「あっ、あ……、た──」

 

 胸が苦しい。想いも、言葉も、なにもかもが、そこにつかえて、いっぱいになってしまったようだった。

 

「た……っ」

 

[さてと]

 

 わななく電をよそに、その声の主は言い放つ。

 いつかの、出逢いの日に聞いた、その言葉を。

 

[“我に航空戦力あり──”]

 

 あの日、祖国を目指して海を往き、その半ばにして斃れんとした自身に、もたらされた救いの言葉を。

 

[“──貴艦に味方せり”!]

 

 彼女の常套句を。

 

「た、……っ、ぴ、竜飛さぁぁあん‼︎」

 

 数十年の時を隔てて、かつてと今とが、つながった。

 

 

 

 






アクションに期待してはいけません!
アクションに期待してはいけません!

(大事なことなのでry)

ペース遅すぎぃ! もうちょっとさくさく書けないものかな、ほんとに。

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