生徒会室とは何をする場所であろうか。私の学生生活においてこの部屋を訪れたことなど一度もなかった。故に現在の状況は正に青天の霹靂。終ぞ知りえなかったであろう生徒会室の有用性を、必要以上に感じていた。感じたくもないというのに。
広く考えてしまえば、生徒会室ではなくこの高校そのものと言ってもいい。太陽パネルに浄水施設などなど、普通の高校では拝めないものがここにはある。屋上には菜園すらある。まるで今回の事態を予期していたかのようだ。
あの災害が起きるまでは、私は人との係わりを必要としない完全無欠の男であったが、今では他人と協力しなければいけない。生きていくためには。何ということか。私が築き上げたくもないのに築き上げて来た、孤独を愛すことを全てとする十八年は水泡に帰した。私はあの時より完全無欠ではなくなったのだ。真人間への道を歩み始めたともいえる。
私立巡ヶ丘学院高等学校に入学した当時の私は、輝く未来に胸躍らせていた。義務教育時代の仄暗い生活をすっぱり忘れ、明るい学生生活を送ろうと心に決めていたのである。ある歌にもあったように、友達百人を作る気であった。碌に対人コミュニケーション能力の養成を行っていない私では、そんなこと奇跡が起こっても無理であることは想像に難くないのだが、当時の私は浮かれすぎていてそんな考えは浮かんでいなかった。考えよりも自分が浮かんでいたのだ。ただただ阿呆である。それが過去となった今では、己の阿呆を見たくないがために記憶を封印したいくらいである。
高校一年生になった私は、買ってもらったばかりの携帯電話を適当に弄っていた。時たま周囲の生徒に携帯が見えるように、さりげなく手を上げたこともある。そんな私の行動が実を結ぶことは遂になく、周りでは早くもグループができ、私はいつの間にかその輪の中に入ることが出来ずにひとりとなっていた。その後もクラスに馴染むことはなく。自主自律の精神を育むため孤独の道を邁進し続けた。内輪の争いに巻き込まれることがないのだから、悪い場所と言うわけではない。わけではないのだ。結局、私の電話帳には両親の名前しか載っていなかった。今でもそうだ。
高校二年生になった私は高校も中学も変わらないと理解した。小、中学校のころの知識を最大限活用し、私はクラスの中で存在感のないものになることに成功した。ぼっちとすら認識されていなかった。そこまでの存在感の欠如をもたらすと思っていなかった私は、一人密かに動揺し毎夜枕を濡らした。欠席した時には、担任すら私の存在を忘れるほどであった。一日休んだはずなのに、通知表に書いてあった出席日数から一日引かれていなかったのだ。まあ、それはそれでいいのだが、如何ともし難い感情が胸に渦巻くのは仕方がないことであった。如何に友達がいなくとも孤独に押しつぶされることなく、自分一人の足で我が道を踏みしめて進んで行く私であろうと、自らの担任にまでその存在を忘れ去られるのは無視できないものがある。担任にまで忘れ去られるほどなのだから、もちろん学友になど覚えられるはずもなく。文化祭のときなど何も伝えず帰宅したが、誰にも何も言われることはなかった。私のステルス能力が限界を突破した瞬間だった。事ここに至って、ここに自分は存在しているのだろうか、と哲学的な問いに頭を悩ませたのは言うまでもない。
そして現在、三年になってもそれは変わらず、平凡な学生生活と言えなくもない何かを送っていた。そしてあの日。私は自分すら知らぬ間に生き残る道を勝ち取っていたのである。これを人生の勝者と呼ぶか、それとも敗者と呼ぶか。私であれば敗者と断言しよう。意味なき生よりも意義ある死である。だが今を後悔してはいない。誰だって死ぬのは怖いのだ。私がどれだけ価値がない人間であろうとそれは変わらない。
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帰りのSHRを終え、今日も一日が終わったと言う達成感を覚えた私は、浮かれた声の聞こえる教室を誰よりも早く後にした。私を気に留める者はいない。もう対人レーダーがあろうと誰かが私を補足することは出来ないのではなかろうか。
三年になって、私は一人黄昏れるのに絶好のポイントを見つけていた。屋上だ。あまり人は来ないし、来たとしても園芸部の部員ばかりである。そして私は影が薄いと言うか最早幽霊と言っても過言ではないから、誰かにばれて注意を受けることもなかった。もうここまで来ると呪われているのではないか、という疑問が降ってわいてきたが、考えてもどうしようもないとしてすぐに頭の隅に追いやった。考えるだけ無駄なことがあると言うのは、二年のころに学んだのだ。そのために一年をかけると言うのはどう考えても青春の空費である。もっと早くに気づいていれば、私にも輝かしい高校生活なるものが訪れていたやも知れぬ。
私は屋上の扉をそっと開いた。ステルス能力を自認しているが、音を出してまでばれないことはない、と思う。音すらステルスするとなれば、私の存在そのものが研究対象として某国に連れていかれてしまうかもしれない。それを避けるためにわざと音を出すことはしていないのだ。やらなければ確定はしない。断じて、それでも認識されなかったら悲しいからとかそういうものではない。
開けた先にはやはりと言うべきか、園芸部員が作業をしていた。確か彼女は同級生だ。名前は若狭悠里と言ったか。自信はない。名前を呼ぶことなど今まで一度もなかったのだから。彼女は園芸部の仕事に忙しいようで、私の存在に気づいた様子はなかった。少し悲しい気もした。若狭(仮)さんや、少しくらいこっちを見てくれてもよいのでは。心の弱い部分がそう告げていた。
私はまたも音を立てないようにそっと扉を閉め、給水塔の設置されている、屋上の更に上へ上った。運動神経が悪くさらに運動自体碌にしていない私は、ここを使い始めた当初は上ることそのものが困難を極めた。梯子を上っていかなれければならないのだが、最初の位置が高いのである。懸垂の要領で体を上げ、足をそこに置かなければならない。しかし私の貧弱な筋力では懸垂すらままならなかった。それから一か月。鍛えに鍛えた私はとうとう上ることに成功し、晴れてマイベストプレイスを手に入れたのだ。努力をすれば何とかなるということを、身をもって知った瞬間であった。まあ、その時は手段が目的にとって代わってしまい、なぜ登ろうとしていたのか失念していたのは私のお茶目なところである。その日は結局そのまま降りて下校した。
そしてその翌日から、昼休みと放課後はここで過ごすことに決めたのである。放課後になって家に帰ったとしてもやることもないし、親に見つかれば友達は居るのかと心配される。私の精神は摩耗していく一方だ。
今までを思い返しながら寝転がり、空を見た。もう夕暮れだ。太陽は地平線の彼方に隠れていき、月が顔を出す準備をしている。遠くからは、と言うか校庭であろう。運動部の掛け声やら叫び声やら、はたまた誰かの泣いた声か。
「……いや、今何かおかしかったような」
私は普段聞くことのない絶叫のようなものが聞こえた気がして、そろそろと端により校庭を見た。私はすぐに後ずさりした。
「今、のは……」
目が良くないから断定はできないが、今、人が人に噛みついたように見えた。寒気がした。冷や汗が頬を伝う。何か、良くないことが起きているのは何となくわかった。私の危機察知能力は並ではないのだ。
すぐさまここを下りて帰ろうと思って動いたが、ちょうど扉が開いたことに驚いて止まってしまった。一瞬心臓が止まるかと思った。下手なホラー映画よりも怖い。
次は何だと思って少しだけ顔を出し、扉のところを見てみると、佐倉先生と女子生徒が見えた。女子生徒のケモノ耳のような突起がある帽子に見覚えがある。丈槍由紀であるはずだ。こうして思い出していくと、案外人の名前を憶えているものである。なんだかわからないが少し誇らしくなった。
二人に若狭(仮)さんは何やら話している。頑張れば聞こえそうなのだが、今はそんな気分にもなれず、今すぐ降りて逃げかえるべきか、それともここで状況を見定めるべきか――。即決即断を信条とする私は帰ることに決めた。帰宅部部長の魂がそう告げたのである。
普段なら他人の目を引く行動をしたくはないが、今はそうも言っていられない。杞憂ならばいいのだが、何事も最悪を想定して行動することが肝要である。梯子に足をかけ、一段一段下っていく。出来る限りばれないようにゆっくりと。
その途中、何やら視線を感じた気がして振り向くと、若狭(仮)さんと目が合ってしまった。私は驚き足を踏み外し、あろうことか尻から落下した。
「くぉ……!」
声にならない悲鳴が出る。長らく感じていなかった痛みらしい痛みに、涙が目尻に溜まるのを感じた。その中に自分は情けないなあと言う思いが混じっているのは確かであろう。
「あ、あの、大丈夫?」
声が聞こえたほうに視線を向けると、心配しているような表情でこちらを覗き込む佐倉先生がいた。心臓が跳ね上がった。妙齢の女性に話しかけられるのは何時振りであろうか。と言うか親以外の他人に話しかけられたのは何時振りだろう。私は今まさにここに存在していた。感涙物であった。
「立てる?」
佐倉先生は尚も声をかけてきた。半ば放心状態となっていた私は、はっとして立ち上がる。尻が悲鳴を上げた。だが声を上げてしまうのも格好が悪い。なけなしの根性を総動員して堪える。
「あ、あはは、心配をかけてしまい申し訳ありません。それでは、失礼」
会話と言うのはどういったものであったか。ふとそんな疑問を抱えた。おかしな言動をする前に退散しようと矢継ぎ早にそう言って扉へ歩いた。
「ま、待って!」
佐倉先生に似合わない切迫した声が聞こえ、そして今まさにドアノブに手をかけたその瞬間。扉の向こうからどんどん、と強く叩かれた音が響いた。私は反射的に「うひぃ!?」という奇声を上げ手を放し、自分でも驚くほどの素早さでもって扉から距離を取っていた。
扉の向こうからは声が聞こえてくる。
「お願い……開けて……!」
その声もまた、先ほどの佐倉先生と同じように危機が迫っているかのように聞こえて、一層私を不安に陥れる。私の心の要塞を崩しにかかるとは容易なことではない。そして決して許されぬことだが、その威勢に免じて許してやろうと、震える手をドアノブに掛け、回した。
ばん、と大きな音を響かせ、扉は勢いよく開かれる。そこから入って来たのはツインテールの少女と、彼女に肩を借りている怪我をしているらしい男子生徒。男子生徒の方は見覚えがあった。陸上部の人生バラ色野郎だ。いつかこいつが誰かと恋仲になるようなことがあれば、さりげなく邪魔してやろうと心のメモ帳に刻んでおいたのである。しかし。傷の具合からして、私が見たあの光景の被害者、なのかもしれない。
「恵飛須沢さん!?」
「早く……鍵、かけて」
そう冷静に観察している自分に驚いた。まあ、心はホットに頭はクールに、と言うやつだろう。
「鍵をかけてとは……何かあったのかね」
佐倉先生が、恵飛須沢と呼ばれた生徒に言われた通り鍵をかけているとき、私はそう声をかけた。若狭(仮)さんと丈槍も寄って来る。彼女はバラ色野郎を下ろし、同じように座って私たちの方を見た。
「何が起こったのかは、分かんない……ただ、急に、皆がああいう感じになって……それから、陸上部も巻き込まれて……何とか逃げて……」
「恵飛須沢さんに怪我はない?」
「あ、うん」
私が見た光景は、まさにそのタイミングであったのだろう。声を震わせて喋る彼女を見て、私の中に恐怖が芽生え始める。逃げてきたと言うことはすなわち、おかしくなった奴らは追ってくると言うことに相違ない。そしてなぜそうなるのかわからない。対処のしようがないではないか。この二人の様子からして、グラウンドはもう自由に動ける場所ではなく、危険地帯と認識するべきであることが伺える。
「とりあえず、この人の手当てをしないと……」
「……っ!」
「先輩!?」
ぐったりとしていたバラ男が、僅かに身じろぎした。意識が戻ったのだろうか。そうであるなら話を聞きたいところだ。私はしゃがんで顔を見た。
――そこに、感情はなかった。
無様にも尻もちを搗く。対照的に、バラ男はゆらりと立ち上がった。
「先輩?」
立ち上がったことに対する安心と、何も話さないことへの不安。そんな感情が綯い交ぜになったような表情の恵飛須沢。そこに奴は、怪我をしていたこの男は――。
○
――ああ、そこからはもう駄目だ。
日常とかけ離れたことを印象付けてしまったそれを、私は思い出したくもない。いつかすべてを忘れられる日が来るだろうか。そしてまた孤独の道を進むことが叶うだろうか。分からないが、せめて私が生きた証として、あの日から日記をつけることにした。それが発見された時には既に死体だろうが、後世に残すことが出来れば、私と言う人間にも生きた価値があった。そう思える。
日記にはちょっとしたこだわりが出来た。いつも最後の文にこう付け加えるのだ。
『いつかまた、あの日常を。』
オジサンの方は、何かと忙しくて書けていないので生存報告がてら一番最初に書いたのを投稿。