――私は、あなたの戦車になりたかった。

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芍薬

 ――戦車道の練習が終わった、とある何の変哲もない日のこと。

 いつものように汗と泥と硝煙にまみれた体をシャワーで洗い流し、黒森峰女学院の制服に袖を通した逸見エリカは、その翆玉の眼を怪訝そうに細めた。

 視線の先には、やわらかな亜麻色の髪を持った、初見では気弱そうながらも優し気な性格に見える少女の姿。

 黒森峰女学院戦車隊副隊長――西住みほ。

 せっせ、と逸見と同じように黒森峰の制服に袖を通してボタンを留めていくみほだが、その光景に逸見は妙な違和感を覚えた。

 なんだろう、と思ううちに違和感の正体に辿り着いた逸見は、大股に西住みほへと近づくと、ボタンを留めようと動かしていたみほの手を取って、その行動をやめさせる。

「――ふぇっ?」

 みほが驚くのも無理はないが、そんな様子も気にしないとばかりに逸見は口を開いた。

「……ボタン」

「えっ?」

「掛け違えてるわよ」

 逸見の口から簡素に放たれた指摘に、みはは自分の服装を検めた。

 ――確かに、残りのボタンと穴の数が合っていない。一個だけ、ボタンの方が多いのだ。

「っあ、ごめんなさい……」

「……なんで謝ってんのよ」

 私に迷惑は掛かってないわよ、と告げつつ、その手をみほの制服のボタンへと伸ばす。

 それに気づいたのか、みほの手がやんわりと逸見の手を押し返そうとするが、なんとも弱々しい。

「え、エリカさん、自分で出来るから……」

「あんたのことだから、やり直しても今度は穴の方が余りそうよね」

 冗談半分、本当にやりかねない少女への心配半分でそう口にすると、反論できなくなったのか、押し返す手の力が少しだけ強くなった。

 全く手のかかる、とため息をつきながら、ボタンを一つ外す。

「――そんなに焦って、何が来るっていうのよ」

 そう小さく呟いた逸見は、淀みない手つきで次のボタンを手に取った。

 

 ――思えばこの西住みほという少女は、いつも何かに追われているかのように、緊張していた。

 誰から――無論(逸見エリカ)からも――話しかけられても言葉を詰まらせ、返せたとしても短い言葉を二言三言ばかりだけ。そして緊張がピークに達すると、何もない場所で足をもたつかせたり、周辺の状況を把握できずに頭をそこかしこにぶつけたりと、もはや“ポンコツ”とすら評価できる為人なのだが。

(――ホント、戦車に乗ると別人ね)

 ひとたび鋼鉄の猛獣に跨ったなら、そこにいるのは『黒森峰の副隊長――西住みほ』だ。実姉であり一年次より戦車道参加者総員全幅の信頼を持って隊長を務める西住まほの、有能なる片腕。

 もしや西住姉妹は三姉妹では、とすら揶揄されるその豹変ぶりはしかし、みほの副官的存在として傍らで見てきた逸見には、どれも『西住みほ』にしか見えなかった。

 ――彼女は己に自信が持てていないのだ。そして、度が過ぎるほどに優しすぎる。

 唯一戦車のみが彼女に己の力量と度胸とをその身に信じさせるだけの力と、胸の内に抱えているであろう(しがらみ)を解き放つだけの勇気を与えることが出来た。

(……私が後ろに居ても、前に居ても、そんな力をこの子に与えることはできなかったのに)

 そんな思いを抱くようになったのは、いつ頃からだろうか。

 最初は全国でも指折りの選手として知られる西住まほが隊長を務めるという名門への憧れから、この学園艦の門を叩いたはずだった。

 けれど憧れの存在のすぐ隣にいたのは、自分と同い年の、頼りなさげな少女。

 その姿に憤った。聞けばあの西住まほの実妹だと言うではないか。同じ家柄、姉妹というだけで副隊長に収まった“はず”の少女に、羨望よりも嫌悪を抱いた。憎悪とすらいえる。さらに言えば、“身内というだけで優遇する”憧れの西住まほにも、失望さえ覚えた。

 だが、そんな“頼りない少女”という逸見が創りあげた虚像を、少女自身が打ち砕くとは夢にすら思わなかった。

 存在をないがしろにされたと不満を爆発させた三年生との間で設けられた“交流戦”で、見せつけられたのだ。こちらは入学したばかりの一年生だけのうえに向こうは全国優勝時のメンバーすら擁していたというのに、フラッグ車に白旗を上げさせたのは、西住みほに率いられた一年生たちだった。

 ――正直に言えば、魅せられた。その指揮の的確さと適切さに。その姿の凛々しさに。

 故に戦車を降りた彼女の姿は、相対的に不安を助長させるものだった。

(だから私はあなたを守ろうと……あなたの、日常における“戦車”になりたいと――)

「ぇ……エリカさん?」

「――ん、ああ。ごめんなさいね」

 心配そうなみほの声によって現実に引き戻された逸見は、思わず止まっていたボタンを外す手を、再び動かし始めた。

 ――一つ一つ解かれるボタン。その都度に、西住みほの柔肌が露わになっていく。

 毎日危険も顧みずに戦闘中の戦車の車外に身を晒すというのに、その肌は驚くほどきめ細やかだった。

 健康的な瑞々しい、そして熟れる寸前の未熟な桃色をした肌。未だに逸見の手を退けようと――しかしそれにしてはまったく力の籠っていないその手も、解かれて露わになっていく制服の向こうに見える肌も。一様に桃色に染まり、決して上等とは言えない更衣室の照明の中でさえ際立つその肌の美しさに、逸見は小さく息を呑んだ。

 ――何を馬鹿な、と(かぶり)を振る。

 艶かしい、という想いを抱いたのは確かだ。だがなぜ、なぜこの少女に――。

(……なんなのよ、これ)

 ――この世一切の穢れに晒されていない彼女の肌に触れているという事に、興奮を覚えたのか。

 誰もが口を閉ざすような重い空気はなく、されど軽口を叩けるような気軽な雰囲気の流れる隙も無い。この不可解な空間である更衣室の空気に流され、みほも逸見も、無言で己の手元に集中することしか出来なかった。

 

「――あーっ!!」

 唐突に――逸見の気のせいでなければ――愉快そうな響きを含ませた叫び声が、更衣室に響きわたった。

 振り向けば、パンツァージャケットに身を包んだ二人の隊員の姿。

 ……どちらも見覚えがある。両者共に一年であり二軍の選手だが、副隊長とその副官を観察するのが趣味かのように常日頃からこちらを見ては、何やらごそごそと小声で話し合っていたのだから、目にとまらないはずがない。

 よりによって、と逸見は聞こえないように舌打ちを鳴らす。この二人は、いわばゴシップ記者だ。黒森峰で時おり流れる噂話の八割は彼女たちが発端といっても過言ではない。

 ましてや、間違いなく「面白いものを見つけた」と語る彼女たちの顔を見れば、この状況が次なる“根も葉もない噂話”になることは間違いなかった。

 ならば電撃戦だ、敵が攻勢に出る前にこちらが叩き潰す他ないだろう。

「あんたたち、終わったんなら――」

「逸見さんが副隊長に襲いかかってるぅー!」

 ――電撃戦は頓挫した。

「は、はぁ!? なに適当なことを――」

「だって副隊長恥ずかしがってるしー!」

「なんか逸見さんの顔が妙に真剣だし妙にボタン外すの手馴れてるしー!!」

 それはズボラな姉の世話をしていたせいだ、という愚痴めいた弁明を、どうにか喉元でこらえた。何より問題なのは、“ボタンを外す様子を見られていた”という点だ。

「あ、あんたたち何バカなこと言ってるのよ! それに作業が終わったんならさっさと着替えなさい!!」

「そうしようと思ったんですけど、ねー」

「なんだか入りづらい空気だなーって思ったんですもん、ねー」

 ……ウザい。こっちの神経を逆撫でにしているとしか思えない。だが真正面のチームメイト()に怒鳴ったところで、柳に風と受け流されるのがオチだ。もはや堪忍袋のキャパシティを超えながら激怒する気力すらも削られてしまった。

「あんたも何か言ってよ、みほ」

 だから同じ被害者である副隊長に援護射撃を求めたのだが――。

「あ、わ、わたし、逸見さんに……?」

「真に受けた!?」

 ――耳まで真っ赤に染めあがった西住みほの姿があった。

 うぅ、と手を頬に当て、俯くみほ。その姿にはもはや、西住流家元の娘、そして歴史ある黒森峰女学院の副隊長という重責を背負うに足る威厳の欠片すらも感じられず、ただ恥じ入る姿のすこぶる似合う乙女がそこにいた。

 その姿に、ごくり、と逸見の喉が鳴る。

 ――なにを、と思った時には、気恥ずかしさが頭頂に達していた。

 ありえない、相手は女だ、と脳が自分に言い聞かせる。この感情をこの相手に抱くのは間違いだ、と言い聞かせる理性がいる。けれど、本能の部分で、彼女はこの想いを否定できなかった。

「――っ! あ、あんたまで勘違いしてんじゃないわよ!!」

 もはや“覆い隠す”ために、逸見は声を張り上げた。取り繕うために、しかしこの気持ちを傷つけないために。

「おおー! 副隊長まんざらじゃないのか!?」

「それに対する逸見さんの反応も、ツンデレっすねー!」

 捗るわー、とメモ帳に何やら走り書きを始めた二人の馬鹿(トラブルメーカー)。まずい、これは非常にまずい。

 これでは今までの流れが、ある事ない事付け加えられて、面白おかしく吹聴されてしまう。

 

 ――それだけは、させるものか。

 

 そう思った時には、足元に気絶したパパラッチの片割れがいた。手には握りつぶされたメモ帳。

 ああ、そうか、そうすればいいんだ――逸見の頬が、妖しく引き攣る。

 ゆるりと横を見やると、哀れなトラブルメーカー(獲物)が、今にも泣きそうな顔をひきつらせ、メモ帳を放り出して一つ向こうのハッチへと駆け出して行った。

 逃がさない。頭を殴ってでもその記憶を忘却の彼方へ送らなければ。なんならシュトゥルムティーガーの砲弾にするのも良い――。

「――え、エリカさん!」

 今まさに駆け出さんと身構えた逸見の耳に、柔らかい声が届いた。

 その方向を見れば、未だ赤い顔をしながら優しい微笑みを浮かべた西住みほの姿。

 視線を受け取ったのか、少し逡巡したような動作を見せた後、嬉しそうに微笑んで彼女は言った。

「――みほって、呼んでくれて、ありがとう」

 その言葉に、毒気を抜かれた。今まで体に張りつめていた緊張感が解けていくのを感じる。そういえば、名前で呼んだのは初めてだっただろうか。今更ながら確かに、今まで“副隊長”としか呼んでこなかった気もする。

「……別に、そのくらい当然でしょ」

 足元に転がっていたメモ帳を拾い上げ、握りつぶしてポケットに放り込んだ。

「私は、あんたのチームメイトなんだから。西住流の家元の娘だからって、私は特別扱いしないのよ」

 ――だから、あなたを認めている。あなたを“副隊長”と呼ぶのは、あなたにそれを任せるだけの力があると思ったからなのだから。

 ……それは口にしなかった。口にすれば、この少女は簡単に信じてしまう。しかも本気で。

 だから口にしなかった。口先で得る信頼はいらない、この人に必要とされるだけの力を見せつけて、その上で信じてもらえるようになりたい。

「……それが、私の戦車道よ」

「――はい!」

 どこまで真意に気付いているのやら。能天気とも見える少女の返事と笑顔に、逸見は一つ溜め息をつくと、みほの元に歩み寄る。

「途中で放り投げるのも性に合わないわ、最後までやってあげる」

「あ……はい、お願いします」

 ようやく観念したのか、みほは苦笑と共に逸見の手元に注目した。

 その視線をむず痒く思いながら、逸見はボタンを留める作業に集中する。

 ――更衣室は未だ緊張も不安も安堵も()い交ぜにした不可思議な空気に満たされながらも、微塵も揺らぐことなく少女たちの作業が終わるその時まで、優しく彼女たちを包んでいた。

 

 

 完

 

 

 

 

 

 

 

 ――後日、盛大な“見世物”として『人間大砲』が披露されることになったが、その際に砲弾役の生徒達が鎖でぐるぐる巻きにされていた事が物議を醸しかけた。

 しかしその生徒達の日頃の行いを鑑みて「自業自得」だという結論に至ったらしく、その“見世物”は学園艦の甲板上にその生徒たちの叫び声が轟いた以外は滞りなく執り行われ、大成功の裡にしめやかに幕を閉じることになる。

 企画を担当したとある生徒は「これでよし」と呟いたと言うが、それが何を指しての話かは、間近で聞いていた者にも判らなかった。

 

 おしまい。




 『完』の後の完璧な蛇足感……まぁいいや(開き直り

 ツイッターでのとある方の「掛け違えになったみほの制服のボタンを外すときに、『自分はみほを襲ってるんじゃ……』とふと思ってしまう逸見エリカってよくない?」という意見に「周りから茶々入れられて自覚するパターンも尊いですね」といったらすごく賛同してもらえたので、調子に乗ってたらこんな小説が出来てました。
 おっかしいなぁ、百合にはあんまり興味なかったはずなのになぁ。
 ガルパンはいいぞ。エリみほも良いぞ。というか逸見エリカいいぞ。
 劇場版の空前の大ヒットを受けてテレビシリーズもファンから再検証され、コミカライズやノベライズ等も見直されるとともに、百合カップリングの種類も爆発的に増大しました。まさにカップリングのカンブリア紀。
 それぞれ『沼』と呼ばれるほどの業の深さがありますが、自分はその中で、メジャーだろうエリみほにどっぷりです。みんなもおいでよ、いいところだよ(そばを通った人の足首を掴みながら
 個人的にはやはりノーマルなカップリングが好きなので、ガルパンの女の子たちにそれぞれに似合う男の子を想像する方が楽しいですが、パズルのようにキャラを掛け合わせるガルパン百合も面白いなーと思います。
 何か閃いたら、その都度に書くかもしれません(書き上げるとは言ってない

 それではご読了、ありがとうございました。


P.S.完ッ全なる蛇足ですが、題名は『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』から来てます。
 『ボタン』を留めるというシチュエーションで発生する『百合』展開だったので、残りの芍薬を題名にしました。エリカさんが「戦車に乗った西住みほ」と「戦車を降りた西住みほ」にどんな思いを持ってたのかな、と思ったら、けっこう花言葉やことわざの由来がピッタリ来たので、個人的には結構気に入ってます。
 適当に持ってきた花の花言葉が内容に合ってると嬉しいですね。
 長々と申し訳ありませんでした。以上!

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