※箒に優しくない話です。ご注意くださいませ。
酒は魔物だ。
女の酔っぱらいほどタチが悪いものはなかった。
IS学園卒業生の同窓会に出席するため有給を取った。新宿歌舞伎町のとある喫茶店の上層階にある貸し会議室で年会費の徴収と次回の幹事を決め、
同窓会の参加人数は約四〇名と同期の約三分の一が集まり、ただ一人の男子である織斑一夏は地球の裏側に出張していたおかげで明日羽田に到着する予定だったので、宴会は完全に女子会となってしまった。
同期のほとんどがキャリア組だということもあって、既婚者が少ないのがせめてもの救いと思っていたのだが、男の監視の目を失った同級生のはっちゃけ振りは正直目に余った。
プラスチック製のビールピッチャーが次々と空になっていく。ヘルシーなコース料理に飲み放題一二〇分四〇〇〇円。速くもビール組、サワー組、焼酎組、日本酒組、
杯の空きが早い。店員はてんてこ舞い。周りは顔が真っ赤。
篠ノ之箒は店員から焼酎を受け取り、空いたビールのジョッキを下げてもらった。
彼女の両隣には鷹月静寐と
篠ノ之箒と同じく日本の代表候補生としてお互いに
「おい、鈴。あと一時間あるのだぞ。眠るにはまだ早い」
凰鈴音が早くも睡魔に襲われ、目蓋が閉じかかるのを何とか妨げようと、肩を揺らすなどして努力を重ねていたが、その甲斐も無く船をこぎ続けていた。そして時折、箒の名を呼んで、肩にもたれかかっては、誰かと間違えているのか愛してるーなどと寝言を呟いていた。
正直何とかして欲しい。箒は扱いに困ることよりもむしろ、三人組や岸原の目がきらきらしているのが気になって仕方がなかった。
箒は二年に進級してからというものとにかく下級生からもてた。一生分の運を使い切ってしまったのではないかと感じる位にもてはやされた。残念なことに箒に熱い視線を送ってきたのは全員女であり、入学式初日の織斑千冬の登場シーンもかくやという人気振りだったのである。下級生の面倒見がよく、篠ノ之
箒は取り巻きの下級生に優しく接していたことからある誤解を受けていて、近くにいた岸原などは、
「お持ち帰りですね。わかります。鈴ちゃん可愛いですもんね!」
と発言し、箒が固まっている内に静寐までもがしきりにうなづいていた。
「寝取っちゃえー。大丈夫。もっぴーならみんな許してくれるから」
「よっおっとこまえー」
谷本、布仏がはやし立てる。
その間静寐が空いたグラスを下げ、通りがかった店員におかわりを注文した。再び席に着いて真顔で箒を呼ぶ。
「篠ノ之さん」
まるで愛の告白でもするかのような雰囲気にのまれた箒は次の言葉を待った。
「それにみんな、学園にいたとき織斑君についてまことしやかに流れた噂が二つあるんだけど、どっちが聞きたい?」
「聞きたーい。どんなどんな」
「千冬様へのシスコン疑惑と五反田君とのゲイ疑惑」
「
鏡の食いつきがよかった。箒は薔薇とは何なのか気になったものの嫌な予感しかせず、言葉の意味を聞く気分にはなれなかった。
「では後者で。みんなこの手の話が好きですね」
静寐本人も妙ににやついた表情で一夏の鈍感さについて噂という名の考察を語った。疑惑の根拠に箒やシャルロットの名前が挙げられ、恥ずかしさでむずかゆかった。
「ちょうど今頃、二人して東口側のバーで飲んでるかもよ」
「
静寐の頭を軽く小突く。酔っているのか、
しばらく料理をつまんでいると、静寐は箒の顔を覗き込んで真顔のまま口を開いた。
「更識さんと
爆弾発言とかやめて。誤解を振りまくような発言もやめて。箒は周囲の食い入るような視線が辛くなって目をそらした。
「静寐。どこからその話を聞いた。さらりと真顔で言うから怖いぞ」
「さっき元四の子から普通に」
半分まで減っていたグラスを一気に空け、肩にもたれかかった鈴音を手で払いのけた。
「東京は家賃が高いからルームシェアしているだけだ」
「もっぴーいまどこにすんでるのー」
「広尾」
「うわっ高級住宅街じゃん。高そー」
「川崎にしておけばよかったじゃない。あそこならそこそこ家賃が安いし、駅前に行けば何でもそろうし、JRや私鉄使っても品川まで二〇分かからないし」
「雰囲気が好きなんだ」
箒は空いたグラスを下げて店員に二杯目の焼酎を持ってくるよう頼んだ。
▽
会計を済ませ店の外に出た箒は静寐たちの様子を見やった。
「二次会行く奴は手を挙げろー」
「はーい」
カラオケー、と叫ぶ声も聞こえた。アルコールが足に来ている者もいたが、話足りない様子なのか絶対行くのだと鼻息が荒かった。
箒は酔いつぶれた鈴音に肩を貸しており、二次会は無理そうだと感じていた。
簪の姿を探すと彼女は元四の子に両腕を捕まれていて抵抗を試みている様子だったが、しばらくして諦めたのかがっくり項垂れていた。箒を見つけて、ごめん抜け出せない、としきりに謝るような視線を送っていた。
二次会参加者のテンションを確かめる静寐に近づくことができなかったので、数歩離れたところに立っていた鏡の前まで歩いていき、寝息を立てる鈴音を指さしてこう言った。
「すまん。私は鈴を家まで連れて行く」
「鈴ちゃん寝ちゃってるね。仕方ないか。今日の埋め合わせは明後日にでも」
「ああ。渋いマスターがいるバーに連れて行ってやる」
箒はそのマスターが既婚者だという事実は黙っておいた。
「じゃ、鈴ちゃんをよろしくね」
そう言って鏡は箒に背を向けると、カラオケ行くぞー、と威勢の良いかけ声を出して二次会参加者の中に消えていった。
新宿駅構内の自販機でミネラルウォーターを買い、電車に乗って広尾に着いたとき、時刻はまだ二〇時を回っていなかった。
箒のアパートは駅から徒歩一五分程度の位置にあった。鈴音を担ぎ込む前に駅前で水を飲ませようと壁にもたれかけさせた。起きているときは化粧で気付かなかったが、十代の幼さを残していてかわいらしかった。大人びた雰囲気を漂わせるつもりで下ろした髪の両端を持ってツインテールにしてみると、未成年に見えてきたのでいたずらは
「アンタ人の髪で遊んでんじゃないわよ」
「起きたか」
髪から手を離し、何事も無かったように振る舞った。昔の鈴音ならISの一部を具現化させて死に至る突っ込みを入れてくるだろうが、ここは学園ではないし、彼女はもう子供ではなかった。
「スルーすんな」
箒は意外に思った。彼女が弱々しく毒を吐いただけだったので、大人になったのだとしみじみと思った。少し背が伸びたがバストアップには至らなかったのが残念なところだろうか。
「水、飲むか」
四分の一ほど減ったミネラルウォーターのペットボトルを手渡すと、鈴音は箒をにらみつけるようにして水を喉に流し込んだ。そしてフタを閉めてから周囲を見回した。
「ここは?」
「広尾だ。私の部屋が近くにある」
「箒にしてはいいとこに住んでるんだ」
「簪とルームシェアしてるがな」
「聞いた」
「あのとき起きていたのか」
「まあ、ね」
鈴音はゆっくり立ち上がると、バッグを片手に背伸びをしてしっかりとした足取りで二、三歩前を歩いて、急に何かを気がついたのか相づちを打って、箒を
「軽く引っかけるわ。適当な店につれてって。あんま飲んでいないからさ」
「わかった。だが無理はするな」
箒が心配して真顔で言うと、鈴音はしばしの間ぼんやりとした様子だったが、急に瞳に警戒の色を浮かべて照れるように言った。
「アンタってさ、時々男らしいわね」
「女に男らしいは余計だ」
箒のような凛々しさは同姓には好印象で憧れを抱かせる雰囲気を
鈴音は箒のスタイルの良さにコンプレックスとも言える敗北感を抱いていたが、女の武器を生かし切れない箒の不器用さを好ましく思っていた。凛々しさは箒の長所であったが、長所を女らしさに結びつけて考えることができなくて箒自身が鈴音の積極性をうらやましくさえ思っていた節があった。しかし、二年生の五月を境に箒は変わった。そして突然同姓にモテ始めたのだ。
「今なら後輩たちがアンタにベタ惚れしてた気持ちわかるわ」
「そんな気持ちはいらん。あれは私を男に見立てて欲求不満を解消していただけだ」
そうやって女を何人も泣かせた、と鈴音は心の中で付け加えた。
箒は酒で鈴音までおかしくなったのか、とため息をついた。鈴音に追いついて肩に触れる。早く歩けと急かすつもりでいた。そのとき鈴音がよろめいたので、箒は焦った。自分に心配させないように酒が抜けていることをアピールするために演技をしたのか、と。しかし鈴音は一計を案じていた。落ち着きを払った箒を驚かせてやりたい、という一心で箒に抱きつくやすぐに首に手を回して背伸びをした。
不意打ちとしては一番簡単で一番驚く方法だと思っていた。
「へへ。箒の唇。よかったわよ」
「酔っぱらいめ。冗談が過ぎるぞ」
「動じないんだ。女とキスするの、慣れてるんだ」
鈴音は難なく箒の唇をこじあけて舌まで入れていた。
しかし箒は動揺する素振りすら見せなかった。普通なら驚いたり怒ったりする。箒は声音を震わせるようなわずかな変化すらなかった。日常的に当たり前にしている事なのだと鈴音は知った。
「別にそんなんじゃない。ほら早く歩け。行きつけの店に案内する」
箒は気に障った様子もなく、鈴音の手を引いて居酒屋に向かった。
「大人二名。空いていたら奥の個室席を使いたい」
下駄箱に靴をいれ、店員に案内された席は希望通り奥まった場所にある個室席だった。掘り
「へえ、雰囲気いいじゃない」
「家から近いだけだ」
「行きつけってことは気に入ってるんじゃない。よく誰かと行くの?」
「一人の時と、たまに簪と一緒に飲む」
「あんなにとっつきにくかった子とよく仲良くなれたわね」
「簪とは境遇が似ていた。それだけだ」
箒は酒が来たので一旦話を中断し、カシスオレンジを鈴音に手渡した。焼酎の水割りが入ったグラスを置いて、軽く喉を潤した。酒の味が濃厚でさわやかだ。水の割合が低いことに気付いた箒が通路に顔を出すと、それを見つけた店主が
「今は同僚、も忘れているわよ」
箒は舌打ちした。現況についてどこまで鈴音は知っているというのだ。
「やっと表情を変えてくれたわ。IS学園の特別非常勤講師なんて隠してても卒業生が母校に問い合わせたら一発でわかるっての」
なるほどそういうことか、と箒はほっとした。
「あたしとしては更識が教師やってる方が不思議でたまらないけどね」
「知ってるか。簪は私たちが一年の時の山田先生の同じ立場なんだ」
箒は焼酎を舌の上で転がして
「うわっ、ほんとに?」
「しかも千冬さんの立場に山田先生がいる」
「意外、というかそんな組み合わせでクラスまとめられるの?」
「苦労しているらしい。いつもうちに帰ってくる度に愚痴を吐いてる」
謎と言えば外見が全く変わらない山田先生も不思議である。いまだに十代の肌艶を保っていることから一部では魔女と呼ばれていた。
「山田先生がふわふわしてるから更識が千冬さんみたいにキリッとかしてるの。やばっ想像できない」
鈴音が腹を抱えて笑ったので、箒もつられてしばらく笑った。
鈴音は呼吸を整えて別の話題に変えた。共通の知り合いとして避けては通れない相手のことを話しておかなければ、と思ったからだ。
「ねえ箒。一夏が来るのは明日ってどうやって知ったの?」
「普通に国際電話だが、それがどうした」
一夏は最初に千冬、次に箒、三番目に鈴音に電話を掛けていたのである。鈴音はその順序が不満だった。
「一夏があたしよりも箒に先に電話したって言っていたから」
「大方、私が静寐の手伝いで連絡係やっていたからだろう。一夏はこと女に対しては鈴ほど深く考えて行動していないぞ」
「その説明に納得できる自分が嫌だわ……」
「一夏と付き合っていけば当たり前に身につく認識だ」
「そうそう。ずっと聞かなくちゃと思ってたんだけどさ」
「改まって何だ」
「アンタ、IS学園でさ。
グラスを傾けていた箒の手が止まった。動揺を悟られないよう飲み干し、店員を呼んで同じ銘柄の焼酎でかつロックを頼んだ。
すぐに焼酎のグラスが届いた。どういうわけか店主が届けにきていたので気に入ったと告げた。ちょうど鈴音のグラスも空いたのでテキーラサンライズを追加で頼んだ。
「特に何もなかった」
「それはないわ。ゴールデンウィーク明けになってアンタの雰囲気が急に変わったじゃない。他人に対して優しくなった。時々達観した笑い方をするようになった」
箒は荒れる内心を隠すように誰もが
「その表情。二年の四月までは一度も見せなかったわよね」
再び箒の手が止まった。そして緊張で震えた。箒は自分自身を律せないことに驚いていた。この程度のことに心が乱れるのは未熟。それに、二年の四月に起こった出来事は同じ境遇の、
「こうしてアンタと二人っきりになれるチャンスなんて、
箒は焦っていた。
店員がテキーラサンライズを持って現れた。箒はグラスを手渡す余裕を無くしていたので、身振り手振りで頼んだのは鈴音であることを教えた。
箒は集中する。思い出せ。最初はたしかこんな風に――
「私は一夏が好きだった」
「知っていたわ。一夏に近かった人はみんなアンタの思いを知っていた。そして一夏の周りにいたあたしたちはみんな一夏の事が好きだった。それはお互いの共通認識だった」
「知っての通り一夏はゲイの噂がまことしやかに流れたほど女性の好意に鈍感な男だ。間接的な手段ではあの朴念仁の気を引くことはできない、さりとていきなり大人の階段を上って性欲のはけ口にされて捨てられるのは嫌だと考えていた」
「それはそうね。みんな身持ちが堅かった。ラウラだけ誤った知識の元行動していたけど一線を越えるようなことはしなかった」
「だから二年の四月、ちょうど始業式のあった翌日、一夏に恋人として付き合ってくれ、と告白した」
再びお互いに沈黙する。鈴音は気を紛らわせるようにカクテルに口をつけた。
「どうなったの」
「これからもずっと友だちでいてくれ。それが一夏の答えだった」
「うわー」
「見事に振られた。そのせいで連休まではものすごく落ち込んだ」
「落ち込んだ? そんな素振り見せなかったわよね」
「虚勢を張っていた」
箒ならそうするだろう、と鈴音は納得した。箒は強くあろうとする女だった。その点が友人であるセシリア・オルコットに共通していた。
「あの唐変木が恋人にはなれない、とはっきり言った。あんなに驚いたことはなかった」
箒は悲しそうに笑い、焼酎のグラスを一気にあおってから表情を締め、言った。
「次は私の番だ」
鈴音はすこし後ずさるような素振りを見せ、おそるおそるという風にカクテルで唇を濡らした。
「お前こそ二年の五月から急にしおらしくなったじゃないか。どんな心境の変化だ」
「それなら答えは簡単」
箒はカクテルのグラスから口を離して、胸を張って断言したので、箒の方がたじろいだ。
「何だ……と?」
「アンタが急に大人っぽくなったから負けられないって思ったのよ」
▽
「簪からメールか」
鈴音を自宅に連れ帰るなりすぐ携帯端末のメールボックスを開くとタイトルに、SOS、とあった。文面を読むと、
「オールになりそう。助けて、か」
箒は、ガンバレ、と短文を記入して返信した。携帯端末を机に置いて、布団を敷いて鈴音を寝かしつけ、シャワールームから風呂桶を取ってきて寝顔の隣に置いた。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターの在庫を確認し、念のため段ボールからもう一本を取り出してドリンク棚に追加した。トイレットペーパーが十分に用意されていること、雑巾が洗濯済みであることを確かめた。
携帯端末のバイブ音に気付いて、スリッパを履いてバイブを止める。画面の中央には受話器を模したアイコンが表示されており、更識簪という名前が点滅していた。先ほどのメールが不満だったのか、と残念に思ったのだが、二年の五月から四組のマスコットと化した簪への扱いを鑑みれば女子会のパワーに引きずり回されていると容易に想像することができた。わざわざ飛んで火に入る夏の虫みたいな真似はしたくなかった。明後日に向けての準備もしなければならなかったからできるだけ肝臓を温存しておきたかった。
「また来ているな。今度は電話か」
放置するのも考え物と思って、電話に出た。
「篠ノ之だ。簪? ……ん、うまく聞こえない。え?」
助け……、と消え入りそうな声の後、そして顔見知りのものと似た声に変わった。受話器の背後から流行のロックの曲が大音量で聞こえてくる。
「篠ノ之さーん。ごめんね。簪ちゃん一晩借りるねー」
聞き覚えがある声と思ったら鏡だった。
「構わない。自由にいじってくれ」
「おっけー」
きゃっほー保護者の許可が出たぞー、と言う声が聞こえてきたのでそのまま電話を切った。
箒の目蓋に更識がもみくちゃにされる光景が浮かんだ。
▽
二年の四月について、鈴音に酒の席で言わなかったことがあった。
箒は鈴音も抜け駆けしたことを知っていて黙っていた。鈴音ならばそのことを指摘しても、あっけらかんとした様子で思い出話として済ませてしまいそうだが、箒は先に抜け駆けした事実が罪悪感となってしこりを残していた。ある意味一夏に振られて安心していた。鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラたちがお互いに牽制し合って仲良くしていた状況を壊さなくてよかった、というものだ。
あの出来事を振り返るにあたって、まず箒の同居人更識簪について語る必要があった。
一夏の取り巻きに一年四組更識簪が加わったのは二学期の事で、彼女の専用機打鉄弐式の開発に一夏が協力したことでお互いの距離が縮まったことは周知の事実であった。
箒が簪と出会ったのは彼女が一夏への感謝と好意から、一夏の事が好きであると告白した場面を目撃したことによる。当然一夏は彼女の好きを別の好きととらえ、趣味が好きなのだと勝手に勘違いして見事に振って見せた。
箒は落ち込む彼女に近づいた。内気な簪は当初警戒した。当然であろう。彼女は恋敵、しかも幼なじみで白式の対となる紅椿のパートナー。しかし箒は優秀な姉に対してコンプレックスを抱いていて、境遇が似ていると告げたことから二人の交流が始まった。姉と比較される事へのストレスにより箒は攻撃衝動を抑えきれなくなったり、簪は心を閉ざすという違いがあったにせよ、お互いに姉から愛されていたが、その愛情を素直に受け取ることができなかったからこそ互いの考えている気持ちがわかった。
触れあうことが傷を舐め合う行為だとわかっていたから、箒と簪はお互いを利用し合った。そのうちに簪は、箒が一夏に対して深い愛情を抱いていることに気付いた。二人きりになったとき、一夏に女にして欲しい、抱かれたい、とまで胸の内を明かすことができるくらい簪との心の距離が近くなっていた。
簪にとって箒の告白は衝撃的だった。簪は一夏を男友達としては好きだったが、愛情は感じていなかったことを自覚してしまい、箒ほど深く愛してはいないことに気付いてしまった。一夏は単に困った時に助けてくれる都合の良いヒーローだったからだ。偶然自分を守ってくれる便利な存在程度と無意識にとらえていた。
箒は一夏が心底好きだった。だから一夏の好意を利用する簪という存在が許せなかった。ヒーローという偶像に一夏を据え、ヒーローに抱かれたいと考えていたにすぎない、と簪と接するうちに気付いた。
この時箒は一夏から簪を引き離せないか、簪の一夏に対する依存心を自分に向けさせることはできないか、と考えた。簪に対して積極的に接することで懐柔した。徐々に心を開いてくれるようになった。時間が経つにつれ箒も簪に心を開いていった。利用し、利用される関係だと二人は自覚していたから、お互いに気に入られようと積極的に行動を共にするようになった。
簪を一夏から引き離せることができたことで自信を持った箒は、二年生になって今までの関係を壊そうと画策した。共犯者として簪を引き込んだ。簪は箒の行動を支援した。箒が一夏と二人きりになれるように鈴音たちの意識をそらす事に尽力した。
箒は簪を利用したつもりだった。しかし簪は箒が考えていた以上に、彼女への依存を強めていて、箒自身がそれに気付いていなかった。
「一夏、恋人として付き合ってくれ」
あの日、箒は勇気を振り絞って告白した。そして振られた。
この結果に簪は
箒に協力しながら、間接的に鈴音が有利になるように行動した。
そして鈴音の告白を後押しした。一歩引いて応援するとまで言った。普段見せない積極的な簪の姿に鈴音は大いに勇気づけられ、実行に踏み切った。
「あたしね……アンタのことが」
放課後の誰もいない空き教室。一夏と鈴音。箒と簪。一夏たちから箒と簪の姿は見えない。
簪は自身の失敗から言葉ではなく行動で示すように鈴音にアドバイスをしていた。箒であれば
「好き、なんだから」
鈴音は一夏の首に手を回して背伸びをした。ちょうど、酔った鈴音が箒の唇を奪った時とまったく同じ姿勢だった。
簪は雑談しながら、箒に二人の姿を目撃させるよう誘導した。箒に対して残酷な仕打ちをしているという自覚があったが、それ以上に箒を一夏から引き離せたという歪んだ満足感の方が勝っていた。
簪は敗北感に打ちひしがれる箒の姿に
「簪……私はどうしちゃったんだ。鈴が憎い……こんな気持ち嫌なのに……」
「箒は悪くないよ。ショックなだけ。落ち着いたら彼女のことを見られるようになるよ……」
涙をぼろぼろ流す箒を簪は正面から受け止めてあやし続けた。
その後簪が鈴音をたきつけたのは自分だと告白したのは、彼女がIS学園の教員としての採用通知を受け取った日のことであった。
箒は簪の行動をとがめることができなかった。簪を一夏から引きはがした罰が当たったのだ、と考えていた。ライバルを出し抜きたい、ただそれだけの事だった。行動の対価をまったく
一夏とはIS学園卒業後も顔を合わせる機会が多く、勤務地が近いこともあってプライベートで会うことが多かった。一夏の彼女へのプロポーズの品を選んだのは箒だった。
一夏は箒だから相談できるんだ、と信頼を寄せていることを告げた。箒は友だちのためなら
そのたびに一夏は、箒自身を女として見ていないのだな、と気付かされた。
箒が二年の五月以降、下級生に対して優しく接するようになったのは、一夏に対する当てつけのつもりだった。鈍感な一夏が箒の気持ちには気付かない確信があったが、そう行動せずにはいられなかった。
一夏と鈴音のキスシーンが脳裏をよぎる。
「一夏……どうして私じゃないんだ」
箒は酔いつぶれて眠る鈴音に気付かれないよう声を押し殺して泣いた。
▽
一夏と鈴音の結婚式。
「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「新郎となる私は、新婦となるあなたを妻とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います」
二人は誓いの言葉を告げてお互いの手をしっかりと握りしめた。
鈴音の指には箒が選んだ指輪がはめられた。
箒の周囲には静寐と簪がいて、意外なことにラウラとセシリア、そしてシャルロットもいた。
三人は仕事を早めに切り上げ、片付かなかった分は別の担当者が肩代わりしたのだという。シャルロットはデュノア社の要職に就いていたので、日本法人からSPを付けられることになっただけでなく、他にもISに関わる要人が集まっていたので会場の内外に屈強な男女が警護を行うという物々しい雰囲気ではあったが、式そのものは
なぜここにいるのだろう。
箒は見た目こそ笑顔だったが、内心は複雑な気分だった。素直に祝ってやりたい、と鈴音と飲むまでは思っていた。
箒は会場の隅で二人の晴れ姿を眺めていた。面と向かっては祝える気がしなくて、静寐に二人の傍にいるよう頼んで自分は壁際まで下がった。
予定ではお色直しのために一旦退場する頃合いで、鈴音が持っているブーケは造花だった。
会場がわっ、と盛り上がった。
ブーケトスだ。鈴音がウェディングドレスでやりたい、と言ったのでカクテルドレスに着替える前のタイミングに設定した。箒は鈴音の考えに賛成していた。
鈴音の細腕から放たれたブーケは天高く上った。細腕と言っても鍛え上げられた鋼のような腕だったから、華奢な見た目に反してブーケはまっすぐ飛んでいった。
箒は意識していなかったが、その場の雰囲気に流されて手を差し出すような素振りを見せると、すっぽりと彼女の腕にブーケが収まった。
「よしっ」
とガッツポーズを取る鈴音。箒はなぜ、と首をかしげた。
要領を得ない様子の箒に対して、鈴音が司会からマイクをもぎ取ってそのまま大音量で言い放った。
「箒! 結婚式なのに辛気くさい顔してんじゃないわよ!」
自分を名指しされて箒ははっ、と顔をあげた。
鈴音に向けられていた視線が箒に集まった。箒は鈴音が大きく息を吸い込んだのに気がついて、次の言葉を待った。
「アンタ絶対幸せになんなさいよ。箒。アンタは、ら、ライバルなんだから!」
鈴音は言うだけ言って目尻に涙を浮かべながら顔を真っ赤にしていた。
箒は思う。彼女なりのけじめの付け方なんだと。彼女にしては珍しい恥じらいの表情。ここで卑屈な表情も素振りを見せてはいけない。真っ向から鈴音とぶつかろう。
箒は大きく息を吸い込んで、何を言うか、頭の中で言葉を決めた。
「もちろんだ。一夏に私を選ばなかったことを後悔させてやる!」
(終)
作中に登場する地名は実在しています。
鈴音の口調をつかむための習作を兼ねています。
おかしなところがあったらぜひご指摘をお願い致します。