お待たせ致しまして本当に申し訳ありません。
いやお待ちいただいてるという認識もおこがましい限りです。
惨憺たる更新頻度ではありますが、よろしければお付き合い下さい。
ハバキはまず腰に括り付けた紐を解き、鞘を放った。からん、それはメリイの傍に落ちる。
そして走る。
奔る。
速い。目で追うのが困難なほどに。
文字通り瞬く間でハバキは突出して前に出ていたコボルドへ接近した。反応、する間も与えはしない。踏み込み斬り込む。斜めに斬線を描き、コボルドの肩口から鮮血が飛ぶ。
斬り捨てた。
そうして止まらない。エルダーコボルドは群を成している。一匹斬ったとしても現状は何も変わらない。そんなことはハバキも理解しているだろう。
だから止まらない。
後ろから三匹。先鋒の同胞を殺され、慌ててコボルド達は攻勢に出た。
剣や槍や戦斧を携えて。脚力はローワーカーなどとは比べ物にならない。腕力は並の義勇兵を両断して余りある。
それを。
一、二、三。
リズムを刻むように。
一歩目、またぐんと速さが増した。横一文字、刃先に血の尾を引きながら喉笛を掻き斬る。
二歩目、あの偉丈夫がさながら独楽のように回転し次のコボルドへ。下段から斬り上げ、下腹から胸へ、黒々とした赤が弾ける。
三歩目、回転運動は終わらない。斬り上げた勢いをそのままに。左足を軸に右脚が空を薙ぐ。回し蹴りがコボルドの犬面を捉えた。距離を隔てたメリイの耳にも、そのくぐもった破砕音はしかと届く。首の骨が折れたのだ。
「キシャァ!」
「グルゥウア!!」
倒れ伏した三匹を踏み越えて、また新たにコボルド達が迫る。
しかしハバキに焦る様子はない。飛び掛って来た一匹を擦れ違いに斬り、後続する重装備のコボルドの冑と胸当ての隙間、ほんの僅かに露出した首を寸分違わず斬った。
喉を裂かれ絶命したコボルドが崩れ落ちるより早くハバキはそれを蹴り上げる。後方から来たコボルド二匹に、七十キロ台の肉塊がぶち当たり泡を食っていた。
正確無比。早く何より速く、そして丁寧に。
一つの目的を達成する為に稼動する機械。今のハバキは――殺戮機械だ。
次々に斬り殺されていく仲間の様を見て、コボルド達は数を頼みに出た。ハバキの周囲を押し囲み、動きを封じようとしている。
一瞬、獣の群の中にハバキの姿は消えた。
「キャイン!?」
「ギャオウ!?」
そして次の一瞬でコボルドの垣根、その一角が弾けた。右手に刀、左手には奪い取ったのだろう槍を携えたハバキがコボルド数匹を滅多刺し、滅多斬りにしている。
刀が爪ならば、槍は尾だ。突き、薙ぎ払い、回し打つ。まるで肉体の一部のように巧みに、自由自在に。
骸が積み上がっていく。際限なく思われたコボルドの軍勢が見る見るうちに数を減らしていくのだ。
「!?」
驚愕の息遣い。それは誰が発したものか。コボルド達、デッドスポット、あるいはメリイ自身か。
ハバキが左手の槍を捨て、右手に構えた刀の血を振るう。そう、先程から刀は右手に握られていた。負傷し、痛痒に痙攣していた筈の右手。そんなもの初めからなかったと言わんばかり。回復したのだ。この短時間で。
威勢に満ちた空気は鳴りを潜め、コボルド達は沈黙し動きを止めた。たった一人の男が、この軍勢を
恐怖。
ハバキと相対した者が必ず抱く感情。肌に刃を這わされるような冷気。もはや今のハバキはそれを隠さない。彼は自分自身をソレと称して憚らず、そうして誰にも疑いの余地を抱かせないだろう。
地を埋める何十もの死骸の山。眼前に広がる凄惨な光景。
殺すモノだ。ハバキは、刃金と成った。
「ルルゥゥォオアアアアッッッ!!!」
しかしそれを認めない者がいる。デッドスポットの咆哮は怒りに満ちている。
矮小な人間に怯える同胞の不甲斐無さに、あるいは、屈辱故に。
怯懦したのだ。あの化物でさえ。
デッドスポットはその巨大な剣で周囲を薙ぎ払った。土を柱を、侍っていた他のコボルドまでも、塵芥のように。
巨体が動く。押し寄せる大波を錯覚する。速く、そして近付くほどに肥大を止めない巨影。それと直接相対するハバキが見る光景はどれほどだろう。
――いずれにせよ、ハバキは意に介さなかった。男はその大波へと自ら進み出る。
天頂を差す包丁剣。
対するハバキの握るそれは細く薄い刀。万全などとは程遠い……折り砕かれた無惨な刀身。辛うじて残存する刃渡りも六分ほど。
この構図、完全に先程の攻防の焼き直しだ。頭上から降り来る重厚剛強なる一撃をあんな儚げな武器で迎え撃とうなんて。
無謀、蛮行、結果は火を見るより明らか。
その筈だ。そうならない理屈がどこにある。
津波の様相でデッドスポットが襲い来る。
「ガッシャハァッッッッ!!」
「……」
だのに、ハバキの歩みはあまりに静かだった。出迎える。振り下ろされた巨大なる剣を――――
破砕音。空間を震撼させる恐ろしい音色。
瞬きさえ忘れ、メリイは最悪の光景を想像した。いや、想像しようとして……失敗した。
目の前の現実にメリイの想像は掠りもしなかった。
巨大な剣はハバキを素通りし、地を割って土中にめり込んでいる。ハバキは無傷だった。
逆に傷を負っているのはデッドスポットの方だ。その太い手首に切り傷が走り、赤い血が滴っている。
何故。メリイは混乱した。
当のデッドスポットの戸惑い様などその比ではない。
「ガ???」
「呵ッ、小手一本」
言葉など通じていないだろう。けれど、ハバキの浮かべている薄笑いの意味は勘違いの余地も無い。
デッドスポットは
「グ……ガ、ガ……」
乾いた綿に染み入るような理解。
明らかにハバキは待っていた。デッドスポットが彼の嘲りを味わい咀嚼するのを。
「ギッ……!!」
その、なんて悪辣な。
挑発だ。見え透いている。けれど乗らずには居られない。デッドスポットは、狩りの獲物に過ぎない人間に、ちっぽけな人間風情に、見下されているのだ。
「グルルルルゥウウオオオォオオオォォオオ!!!!」
怒り。純粋無比なそれが濁流となって溢れ出した。
包丁剣が土砂を撒き散らして引き抜かれる。勢いそのままにデッドスポットは剣を振り抜いた。標的はただ一人。それ以外にありはしない。その男。黒い人型。それを擂り潰すまで止まらない。断じて。
もはや台風だ。巨大な剣を巨体が振り回す。上下左右刃の届く空間を滅多斬りにしている。刃圏に入ろうものなら人間などばらばらにされるだろう。
距離を隔てたメリイさえ風圧に叩かれる。その猛威、怖気が肌身に刻まれた。
――けれど、ハバキはそこにいる。その背中は今なお、メリイの前に
響く金属音。絶えず響く剣戟の音。
それは証左。身の丈さえ超える巨大剣をあの細身の刀が受けている。
受け、逸らす。去なす。流す。
原理などメリイには皆目解らない。しかし眼前の現実が顕しているのはそういうことなのだ。
重厚なる剣の雨、己自身に降り落ちるその軌道をハバキは
どんなに強く重い一撃も、当たらなければ意味はない。その通りかもしれない。でも、それは机上の空論というものだ。実の伴わない空ろな話。絵空事。その筈だ。その筈、だった。
無数の干戈が交わった。
けれど状況は何一つ変化しない。
無傷のハバキ。土と空を斬るばかりの包丁剣。そして、血に塗れていく獣。
デッドスポットの猛攻を柳に風と受け流しながら、どころかハバキの返す刀は獣の肉を裂く。また一筋、鮮血が飛んだ。憤怒で血が沸いているのが分かる。
気付けばその白黒斑はそれ自身から流れ出た赤で染まっていた。
「っ! ダメ! それ以上デッドスポットに傷を負わせたら……!!」
ぎらり。
その瞬間、獣の目が発光した。ヒカリバナの微かな灯が反射した程度では到底ありえない光量。明らかに自ずから光を発している。
血のような赤色。粘性を伴うかのように空中に尾を引く残光。
そして、メリイはそれが紛れもない事実であると知っていた。……仲間の屍がそれを教えてくれた。
増していく。速さが、強さが。
包丁剣の一撃が空気を薙ぎ払いを土砂を巻き上げる。獣の巨大な足が石床を踏み砕き一帯を諸共穿つ。
化物は破壊の限りを尽くした。神殿はもはや原型を留めていない。あらゆるものが割られ裂かれ砕かれて、巻き込まれた多くのコボルド達も今や形容し難いモノに成り果てた。付き合っていられないと、手下共は皆逃げ去り、かの唯一にして最大の“斑”が狂乱を振り撒くのみ。
「呵呵」
その暴虐を、この期に及んで尚、ハバキは意に介さなかった。
変わらない。理不尽なほどに変化しない光景。
速度を増し、凶悪性の極地に至った怪物の猛攻をすらハバキは、まるで微風に当たるかのように。
「そんな……」
ああ、もしもあの巨剣、皮膚のほんの表層にちらとでも掠めれば人は死ぬのだろう。人の身体は脆く、弱い。無力さを噛み締め続けたメリイの血の滲むほどの実感。
「呵ハっ……!」
男の仕儀はそれを嘲笑う。
当てて見せろ。殺して見せろ。獣の憤怒を煽り立てている。
「ガァ! アァア!! シャァアアアアッ!!!」
「呵呵ハハハハハハッッ!!」
デッドスポットの攻撃を受け流し、守りに徹し続けていたハバキ。
男は歯列から気息を吐き散らし、遂に踏み込んだ。巨体により振り下ろされた巨大剣、それが最大の攻撃力を発揮できるだろう最適距離よりも、遥かに近い。懐へ。
袈裟懸けの一閃。銀光が煌いた。
「ギッギャアァア゛ッ!!?」
散華。赤い花が薄闇を染めた。
爆発めいた出血。激烈なる斬撃。その威力たるやデッドスポットを吹き飛ばして余りあった。
薄汚れた襤褸雑巾のように地面を転がり、跳ね、祭壇を潰しながらにようやく巨体は止まった。流れ出た大量の血が道標を描いている。尋常な量ではない。それは、刻まれた傷の深さを物語っていた。
血の標を踏んで黒い背中が往く。ゆっくりと淀みなく、男は
……ああ、そうか。メリイは今更に理解した。
デッドスポットはもはや人間の捕食者などではない。ただ彼の、ハバキの獲物なのだ。
「ガ、ギ、ァア……」
力ない呻きが聞こえる。いかにも弱々しいそれを、あのデッドスポットの発するものであるなどとどうして思えよう。
怯えに歪む獣の貌。それを無慈悲に見下ろすハバキ。
また一歩、ハバキがデッドスポットに近付いたその刹那。
「――ジャッ!!」
待っていた。そう言わんばかりに獣は大剣を薙いだ。弱った呻きも素振りもハバキの不意を打つ為の
硬質な音色。劈くような金属同士の軋み。
ハバキは、健在。
デッドスポットは呆然と未だ眼前に居座る人間を見た。そして、視線はついと己の右手に移る。その手が握る武器。長大剛強肉厚の包丁剣。数多の人間を斬り、潰し、砕いてきた自慢の一品を。
半ばから斬り断たれた剣身。ふと見れば滑らかな刃の断面を覗くことができた。
程なく、刃の
「終わりか」
「――――」
ハバキの静かな声が響く。
そこにはもう先程までの嘲りや狂気のような色もない。ただ、それはひたすらに冷徹な問いだった。だってその後デッドスポットに訪れる結末は、たった一つきりなのだから。
デッドスポットは反応しない。剣を斬り折られた時既に、獣の闘争心さえ折れてしまったのか。
獣はただハバキを見上げた。
ハバキも獣を見ていた。
獣の目をしかと見詰めながら――――その首を刎ねた。
静寂に包まれた薄暗い洞の底で、硬質な足音だけが響いている。ゆっくりと、それはメリイに歩み寄ってきた。
何もかも侵さんばかりに蔓延していた黒い瘴気は既に失せ、彼はようやく人がましい形を取り戻している。
そうして無造作にハバキは“それ”を放った。
ぐちゃり、と身の毛も弥立つ音を立てて“それ”はメリイの傍らに落下する。一抱えはありそうな大きな物体。鉄錆と饐えた臭気を発する肉と骨で出来た脳漿の容れ物。
黒と白と、赤の斑――デッドスポットの首。
「っ……」
巨大な顎からだらりと舌を垂らし、白濁した瞳がメリイを見上げる。切断面からは今なお止め処なく血が溢れ、刻一刻周囲に
それはこの空間全てに言える事だった。ハバキの手で行われた虐殺によってこの仄暗い淵は“それ”で満ち満ちている。
死。
これ以上ないほど生々しく、死がメリイの眼前に広がっていく。
物言わぬ筈の骸達がメリイの罪を糾弾している。
「私が、殺した」
言葉にした途端、その実感は重荷となってメリイの背中に圧しかかった。重い、辛い、痛い。今更、気付かされた。生き物を殺すこと、敵を打ち倒すということ。その意味を。
いつからか忘れていた。意図して忘れようとしてきた。この罪の意識を。
でも、もう、忘れない。絶対に手放さない。何故ならこの重荷こそ、仲間達の仇討ち、その証明なのだから。
私の意志が、コボルド達を殺したのだ。
メリイは込み上げてくる吐き気を呑み下す。全身を襲う罪悪感の震えを抱きすくめる。それが義務、それが責任だから。
「思い上がるなよ」
「えっ?」
その矢先、頭上から声が降ってくる。
「
「……だけど、これは私の意志だから……この惨い光景を望んだのは、確かに、私だから……だから、絶対逃げない」
見上げればそこに彼は佇んでいる。真っ直ぐ自身を見下ろす視線を、メリイは受け止め、決して逸らさなかった。
「…………なら、勝手にしろ」
視線を逸らしたのはハバキの方だった。言葉とは裏腹に、突き放すような響きはそこになくて。まるでそれは、諦めのようで。
「殺したのは俺と……お前だ」
けれど、どうしてかその言葉に、心は救われていた。
こんなにも罪は痛くて、帰らない命の重みが胸を衝くのに。
「うんっ……!」
今週中にもう一話投稿しまして、それで一区切りにしようかと思います。
だらだらと時間を掛けてだらだら書いて来ましたが、それでも長くお読みいただいた読者の皆様、本当にありがとうございました。
よろしければ次回もお付き合い下さい。