刃金と血霞のグリムガル   作:足洗

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第2話 恐怖

 

 ルミアリス神殿には治療院が併設されている。

 ここは病気を患ったり大怪我を負った義勇兵や辺境軍人が長期に亘って治療を施してもらえる施設だ。入院すると一人に一つベッドが与えられて、日に二回の食事と神殿の侍者の人らの看護が受けられ、身体の回復に専念できる。

 石造りの神殿の入り口を潜り、正面の礼拝堂ではなく左奥の執務室に向かう。執務室と書かれた扉の隣に小窓が空いている。小窓の手前のテーブルにノートが置かれていて、来院の目的と人数、代表者の名前を書かされる。

 面会の旨と面会相手の名前を告げるとすぐに治療院へ通してくれた。

 治療院の廊下の窓からは沈みかけた日の光が差し込んでくる。茜色が眩しくて手で(ひさし)を作った。

 マナトの部屋は建物二階の一番奥。なんと個室を与えられていた。マナトの修師(マスター)であるホーネンという人の計らいであるらしい。

 巌のような大男で声も矢鱈とでかい。ルミアリスの神殿に最初に辿り着いたとき、ハルヒロ達を待ち受けていたのがこの人だ。

 

『身の程を知らず、あたら若い命を危険に晒すなど何事か!』

 

 開口一番のそんな一喝でハルヒロ達は為す術なく縮み上がった。それから説教が続くこと一時間。マナトの治療が上手くいって一先ず命に別状なかったからなのだろうけど、その間マナトが無事かどうかさえ教えてくれなかったのはちょっと酷いと思う。

 角部屋、濃茶色の扉。無遠慮にノブを回そうとするランタを退かせて一応ノックする。すぐに「どうぞ」って声が返ってきた。

 扉を開く。入ってすぐ、白いベッドが目に入った。ハルヒロ達が生活する義勇兵団宿舎の藁敷きのベッドなんかではなく、きちんとシーツが敷かれたベッドだ。傍らでシホルが椅子に座って林檎の皮を剥いていた。

 そして、そのベッドの上に身体を起こして座っている。

 マナト。

 マナトがそこにいる。

 マナトが、生きている。

 当たり前の事実を、ハルヒロは何故か胸の中で何度も反芻した。

 

「こんちゃぁ、二人とも元気しとった?」

「おぉおぉいいご身分だなぁおい。俺らのとことは雲泥の差じゃねぇか。白いベッド! 柔らかシーツ! 二食昼寝付きな上可愛いナースがお世話してくれるとか! マナト変われ、今すぐこの俺様と変われ!」

「あはは、ランタくんは十分元気だし、ちょっと難しい、と思うよ……」

「それにランタに居座られたら神殿の人らめっちゃ迷惑やろうしなぁ」

「そもそも、暗黒騎士がここに来るのってホントはダメなんじゃ……」

「あぁん!? なんだぁシホルぅ、まるで俺様が見舞いに来ちゃ都合悪いみてぇな言い草だなぁ。分かる、分かるぜぇ! ホントはマナトと二人っきりが良かったよな? 二人でしっぽりすっきり楽しんでたかったよな? な? な?」

「……うん」

「認めんのかよ! 肯定かよ! そこは否定しとけよ! これだとまるで俺がただのセクハラ課長みてぇじゃねぇか!」

「馬鹿ランタのセクハラは今に始まったこととちゃうやんかぁ。でもごめんなぁ、シホル。マナトと二人っきりの時間邪魔してもうて」

「うぅ、ユメまで……」

 

 案の定と言うか、ランタを出発に皆思い思いにくっちゃべるもんだからかなり騒がしい。

 また侍者の人に怒られるかもしれない。

 

「えっと、調子どう? マナト」

 

 なんだか照れくさくて、少しぶっきらぼうにハルヒロは言った。

 マナトは、ハルヒロ達を見て柔らかく微笑んだ。

 

「悪くないよ。ありがとう、皆」

 

 なんだか、わりと、すごく、控えめに言って、感無量だった。

 なんでだろう。こんな当たり前なやり取りなのに。

 ランタは馬鹿で、ユメはぽあぽあで、モグゾーはおっとり、シホルはマナトの隣で幸せそうだ。

 そしてマナトがいる。

 ハルヒロもいる。

 パーティー全員が、ここにいる。

 夕暮れが深まるに連れて部屋の中は薄暗くなっていく。でも騒がしさはむしろどんどん増していった。なんか今日はハルヒロ含めて皆テンション高い。本当にガキみてぇ。

 ガキみたいで、いいか。今日だけは。

 

「あの、そういえばさ」

 

 ふと、マナトが言った。

 

「ハバキは、その、今どうしてる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マナトがルミアリス神殿の治療院に入ったその日。

 義勇兵団宿舎に戻るなり、ハルヒロは中庭の石畳に座り込んだ。装備はそのまま、荷物を部屋に下ろすこともせず、ただただ深い溜息をぶちまけた。

 息と一緒に最後の体力まで吐き出したようだ。全身を滲み出るように疲労感が充満していく。でもそれは安堵とワンセットだった。

 ダムローからオルタナに戻るまで、ハルヒロ達は生きた心地がしなかった。急いだところで仕方ないと分かっていながら、それでも走らずにはいられない。休憩を挟もうなんて考えもしなかった。たった四キロ程度の道のり、歩いて一時間の距離。それがもどかしくて、じれったくて、どうしようもない。

 そして同時に、同等にオルタナに着くのが恐かった。神殿に先に到着したであろうマナトの安否を確認するのが――最悪を想像して、足が竦んだ。

 マナトは、恢復した。

 もう命に別状はない、らしい。

 そう聞いたとき誰も声を出せなかった。あのランタでさえ静かに息を吐くだけだった。ユメとシホルは抱き合って、ただ泣いていた。

 

 ふと、周りを見渡すと皆ハルヒロと同じような有様だった。ぐったりと身動きするのが億劫で、何もする気になれない。

 

「おい」

「あ……」

 

 五人とも力なく座り込む中、一人だけ佇んでハルヒロを見下ろしている。

 ハバキ。

 ハルヒロ達と神殿で合流したハバキは、何故かそのまま義勇兵団の宿舎まで同行してきた。

 ろくに働かない頭が、ハバキの姿を見て少しだけ身動ぎ(・・・)する。思えばお礼の一言も言ってない。もしあの場にハバキが居なければマナトは死んでいた。というか、それはハルヒロにも言えることだ。あと少し遅ければハルヒロもまた頭をゴブリンの棍棒で擂り潰されて死んでいた。

 赤い月光を背にしてハルヒロを見下ろすハバキは、やっぱり(すこぶ)るおっかない。背筋に震えを感じながら、ハルヒロは立ち上がってお礼を言おうとした。

 

「これからどうする気だ」

「え」

 

 ハルヒロが口を開くより早く、ハバキは問いかけてきた。

 

「マナトはこれから一週間入院する。これは神官がマナトの傷から判断した全快するまでに掛かる期間の概算だ」

「う、うん」

 

 重要な話だ。この上なく。きっとハルヒロ達の今後を左右する。

 

「マナトを欠いて、お前達はまともに戦えるのか」

「それ、は」

 

 ハルヒロの脳みそはこの期に及んでまだぼんやりとしている。決してふざけている訳じゃない。本当に頭がまともに回ってくれないのだ。

 ハバキの言い分はもっともで、もっとも過ぎて、重くて難しくて死活問題でマジで泣きたくなってくる。

 ハルヒロ達のパーティのリーダー、中核、要、屋台骨、言い方は何でもいい。とにかく、パーティが機能する為に無くてはならない存在が欠けてしまったのだ。

 マナトの存在。その大きさ。

 理解しているつもりだった。

 

「仮に肉体が完治したとて……」

「……?」

 

 ぼそりとハバキが何がしか呟いた。間近に居たハルヒロは辛うじて聞き取ることができたが、その言葉の意味は判じかねた。

 しばらく沈黙が続いた。ハルヒロ達に考える時間を与えていたのかもしれない。

 ハルヒロは皆の様子を窺った。

 ユメは中庭据付けのベンチに座ってぽけっとこちらを見ていた。シホルは、ユメの隣でベンチに座るでもなく突っ立ったまま、泣き腫らした目で夜空をぼんやりと眺めている。

 珍しくランタが静かだ。鞘に収めた剣を抱えるようにして床に座り込んでいる。視線は特に定まっていない。こっちを見たり、ハバキをチラ見したり、床を見たり、夜空を見たり、ハバキをチラ見したり。ハバキ本人でなくてもこれは鬱陶しい。

 モグゾーは見るからに不安そうな顔だった。そういえばマナトの応急処置をちゃんと手伝えたのは結局モグゾーだけだった。気疲れって意味なら、この中で一番きついのかもしれない。

 皆が皆それぞれ疲労困憊で、喋る気力もないって無言の訴えをしてる。

 でも、それはハルヒロも同じだ。

 同じなのに、何故か自分がハバキの矢面に立たされてる。結論を出せって、急かされてる。そう思うと、なんだが無性にイライラした。不公平だ。めんどくさい。なんで俺が――

 

「『なんで俺が責任負わなきゃならねぇんだ』、か?」

「えっ」

 

 どきりとした。ほとんど反射的にハバキを見る。

 ハバキは背が高かった。ハルヒロが立ち上がって向かい合っても、結局見下ろされる構図は変わらなかった。

 月明かりが逆光になっていてハバキの表情が分からない。ただ、影で黒塗りになった顔に二つ、鈍く光るもの。目だ。二つの目玉がハルヒロを捉えている。

 ハバキの、黒い、深すぎる目。どうして光るんだ。夜で、灯りなんて焚いてすらいないのに。

 ハバキの目は、完全にハルヒロの心を見透かしていた。

 

手前(てめぇ)らの進退だ。手前らが責任負うのは当然だろうが」

「そう、だけど……」

「なら考えろ。今日の稼ぎ。明日の戦場。現状戦力に適う戦術」

「え、ちょ、待って、メモかなんか」

「そもそも手前ら、マナトの治療代にいくら掛かったか把握してんのか」

「あ」

 

 今の今まで忘れていた。というより頭に過ぎりもしなかった。

 ルミアリスの神殿で直接治療してもらえるということも初耳だったが、代金のことなんて微塵も考えていなかった。

 恐る恐るハバキを見上げる。少なくとも、ハルヒロ達は神殿で代金の請求なんて受けていない。もしかしなくても、立て替えたのはマナトを送り届けてくれたハバキだ。

 

「ご、ごめん。今払うよ」

「傷の治療に十シルバー。治療院への入院は一日につき二シルバーと四十カパーだ」

「じゅっ……!?」

 

 今、なんて言った。

 ハルヒロは数字をただ復唱することもできなかった。頭の中で計算式が浮かぶ。まったく難しくもない。ここ最近で金勘定は日常茶飯事になっていた。

 ただ、その数字がハルヒロ達にとってあまりに非日常的だっただけで。

 

「っざけんじゃねぇ!! ぼってんじゃねぇぞこら!」

 

 静かだったランタが息を吹き返した。抱えていた剣もその辺に放り捨ててハバキに食って掛かる。まるっきりチンピラみたいな態度だった。

 ランタのような真似をしようとは思わない。けれど、ハルヒロも叫びたくなる程度に仰天していた。

 傷の治療だけで十シルバー。

 入院費が一日二シルバーと四十カパーってことは、一週間だと十六シルバーと八十カパーになる。

 締めて二十六シルバーと八十カパー。

 ハルヒロの現在の総資産の倍以上である。

 

「ははーん、さては適当な金額言って俺達から巻き上げようって魂胆か!? 甘ぇんだよ! 馬鹿なこいつらは騙せるかもしれねぇが、この俺だけは惑わされねぇぞこの野郎!」

 

 そう、なのか。

 正直ランタの言い分は九割九分難癖だ。でも、ハルヒロは一瞬迷った。

 ほんの一厘、それこそ砂粒くらいの極小の割合で、ハバキが嘘を言ってる可能性も、あるんじゃないのか。そんな考えが頭の片隅に(もた)げた。

 心のどこかで、期待した。

 そんなこと、絶対にありえないのに。ありえないって、ハルヒロは知っていたのに(・・・・・・・)

 それくらい、ハバキの口から聞かされた金額にびびってた。見習い義勇兵のハルヒロ達の懐はいつもぎりぎりで、いつか正式な団章を買うことを夢見て切り詰めに切り詰めてきた。だから、知らず知らず金のやり取りにすっかり敏感になってた。悪く言うとがめつくなってた。

 でも、だからって、こんなこと口に出しちゃいけなかった。それどころか考えることすら許されないことだったんだ。

 

「神殿に着いてすぐ、マナトの心臓が止まった」

「…………え?」

 

 ハバキの口調はやっぱり淡々としている。ハルヒロ達を責めるでもなく、嗤うでもなく、かといって呆れたような響きも乗せず。

 ただ、事実だけを口にする。

 

「血を失い過ぎた。呼吸困難と意識混濁、ここまで来ればほぼショック状態だ。光の奇跡(サクラメント)とか言う魔法は瀕死の傷も全快させるらしいが、死んじまってちゃ意味がない。要はここが、動いてなきゃな」

 

 ここ、と言ってハバキは自身の胸、鳩尾よりやや左側を指で叩いた。自分自身の心臓を。

 

「街を歩いてる魔法使いを片っ端から捕まえてな、その中から電磁魔法使いを探し出した。その意味じゃマナトは運が良かったらしい。下手な使い手に当たらなくてよ」

 

 ハルヒロはハバキを見ている。

 たぶんユメもモグゾーも。シホルはきっと息を詰めていることだろう。ランタもいつしか静かに戻っていた。

 

「なんとか心停止前に傷口だけは塞ぐことができた。心臓マッサージと人工呼吸で拍動は戻ったが、案の定今度は不整脈を起こしやがった。そこで魔法使いの出番だ。マナトの胸骨の中央と左脇腹に手を当てさせ、心臓目掛けて電気ショックを」

「やめて!!」

 

 ハバキの声を遮ってその叫びは中庭に響き渡った。シホルの悲鳴が。

 荒い息遣いの合間に、程なくすすり泣く声が聞こえてくる。

 

「やめ、て……もぅ……おねがい、だから……!」

「シホルっ」

 

 またシホルが泣いている。堪らずユメがシホルを抱き締めた。マナトが倒れた時、マナトが無事だと分かった時、シホルずっと泣きっぱなしだ。体中の水分がなくなるんじゃないかとハルヒロは馬鹿な心配をした。

 でも、今流している涙はたぶん今日一番悲痛なものだった。

 

「その魔法使いには金貨一枚握らせた」

 

 ハルヒロはまたハバキを見上げた。何も言えなかった。

 腹の中は煮えくり返っている。どろどろと溶岩みたいに。同じように頭は沸騰しそうなほどいろんなことを思い起こしてる。そのほとんどがマナトのことだった。

 マナトのことを考えるだに、どうしようもない怒りが湧いてくる。

 こんなどうしようもない自分が許せなくて、苛立たしくて、憎くてしょうがない。

 ハバキは、ハルヒロ達を見ている。その静かな黒い目で。

 いっそ嗤って欲しかった。馬鹿な自分を嘲笑って欲しかった。でなきゃ、ぶん殴ってくれ。思いっきり。それで、この馬鹿さ加減に釣り合いが取れるとも思えないけど。

 ハバキはハルヒロ達を嗤わない。罵ってもくれない。

 

「命の値段だ。安いもんだろ」

 

 ハルヒロには、影の向こう側のハバキがただただ悲しそうに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




??「私なら、母親の値段は百億つけたって安いもんだがね」

人生で一度は言ってみたいよね。
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