刃金と血霞のグリムガル   作:足洗

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短め


第8話 親子

 ――ハバキが怪我をして帰ってきた。

 

 あ、帰ってきたと言ってもハバキは別に義勇兵団用宿舎に定住している訳じゃない。なんでも寝泊りする場所は日によって変わり、宿を取らなかった日なんかは気紛れに野宿するそうだ。あれだけ資産が有り余っているのならいっそ家でも買えばいいのに。まあ、十中八九興味がないのだろう。

 本人は自分を指して根無し草だの浮浪者だのとのたまってる。あながち間違ってないのだから困ったものだ。

 ……いや、うん、現実逃避してる場合じゃないのは分かってる。

 

 

 

 

 夜も更けて、星と月の明るさが際立つ時間。

 寝付きの悪い夜、ハルヒロはよく中庭で時間を潰す。庭の中央には石組みの焚火炉があり、暖を取りながらぼんやり火を見ていたり、土瓶で淹れた“カウヒー”を飲んだり、そんなこんなしつつ睡魔が訪ねてくるのをゆっくりと待つのだ。

 冴え冴えとした夜気。遠くに聞こえる虫の声。ハルヒロはこの静かな時間が好きだった。

 その日の夜も、いつも通り中庭で寛ぐつもりだった。

 厨房からは直接中庭に出られる。愛用の土瓶とカウヒーの粉が入った茶筒を持って、ガーデンテーブルの指定席へ。

 

「?」

 

 けれど、その夜だけ中庭には先客がいた。

 庭の隅には井戸がある。滑車を吊るした屋根があり、ハルヒロ達は普段生活用水をここから汲み上げている。

 その傍らに人影があった。背が高い。ハルヒロよりも一回りか、下手すると二回り程も。夜闇の下、それも東屋の作る影の中に佇む姿は、墨で塗り潰したかのような黒。しかし、その黒さには馴染みがある。もうすっかりと、見慣れていた。

 

「ハバキ……?」

 

 名前を口にすると、影はハルヒロの方に振り返る。癖のある髪の下から双眸がこちらを捉えた。相も変わらず黒く、暗い目。そんな色彩であるのに、闇の中で朧に光を放つのは何故なのか。慣れた今だからいいものの、夜道でハバキにばったり出会ったらハルヒロは心臓が止まる自信がある。

 

「まだ起きてたのか」

「あ、うん、ちょっと眠れなくてさ。カウヒー淹れようかなって。時間潰そうと思ってたんだけど……」

 

 なんだか言い訳がましい調子になる。夜更かしを叱られるんじゃないかって。

 というかそれだと思考まで丸っきり子供のようで、途端にハルヒロは気恥ずかしくなった。

 それを誤魔化すようにハルヒロは問いを投げた。

 

「……ハバキは、何してんの?」

 

 誤魔化す、という意図を抜きにしても、ハバキの様子は思わず疑問を抱きたくなる。

 ハバキは上半身裸だった。井戸の傍にいるのだから水浴びでもしていたのかしれない。しかしそれならそれこそ、沐浴部屋を使えばいい。

 

「ちょっとな」

 

 それだけ言ってハバキは井戸の方に向き直ってしまった。答えになってないし。

 分厚い背中だ。筋張っていて、贅肉の類が一切見られない。滑車で桶を引き上げると背筋が動く。自分の背中などそうそう見ることはないが、絶対にあんな風ではないだろう。

 ふと、ハルヒロはハバキの足元にもう一つ桶があることに気が付いた。水汲み用ではなく、衣類の洗濯に使うような浅く広い木製(たらい)。盥にはやはり衣類が一枚入っていた。おそらく以前は(・・・)白かったのだろうシャツ。

 それは、すっかりと泥のようなもので汚れて――いや、違う。それが何なのか、ハルヒロにはすぐに分かった。見慣れたものだ。ほんの一週間ほど前、嫌というほど目にしたもの。

 

「っ!」

 

 血だ。夜闇の中で一層黒々と、半ば凝固した血液。シャツを汚し、盥に満ちた水を濁す黒紅色。

 ハルヒロはハバキの正面を覗き込んだ。先程は陰になって見えなかった。いや、本当は見えていたのだ。闇に隠れて分からなかっただけで。どす黒い、酸化の始まった血がハバキの額から鼻面、遂には顎までもをべったりと塗り潰している。

 ハルヒロは息を呑んだ。

 

「どうしたんだよハバキ!?」

「転んだ」

「こ、転んだ……?」

 

 間髪入れず返答され一瞬理解に困った。けれどわざわざ吟味するまでもなく、嘘だ。分かり易すぎ、というか騙そうとする気概すら感じられない。誤魔化しにもなってない。

 あれ、俺、バカにされてる?

 

「……真面目に答えてくれよ」

「心配するほどの傷じゃあねぇよ」

 

 言うや、ハバキは桶で掬った水を頭から被った。

 派手に飛び散る水飛沫にハルヒロは堪らず距離を取る。

 ハバキは手拭で乱暴に顔を拭った。凝固した血が乾いた絵の具みたいにぱらぱらと落ち、そうでない分が手拭を汚す。

 

「覚えとけ。頭の出血は一見派手だが、傷の深浅はまた別だ」

「え?」

「意識レベルの確認……と言うと大仰だが、要はお(つむ)が無事かどうか、それを知る必要がある。手前(てめぇ)の名前が言えるか、状況が許すなら簡単な計算をやらせてもいい。脳が無事なら、後は派手に垂れ流してる血を止めるだけだ。圧迫止血、前に教えただろう。覚えてるか」

「あ、うん。布とか包帯とか、無ければ手でも、強く傷口を抑える。えっと、刃物が刺さってるなら、傷口の周囲を圧迫……だった、よね?」

「ああ、もそっと自信持って言えよ」

「ごめんなさい……」

 

 情けない声で謝るとハバキに笑われた。

 身体を粗方拭き終え、シャツを着替えればもういつものハバキだ。まあ、血塗れだったとしても、それはそれでいつも通りといえばいつも通りなんだけど。

 

「……」

 

 この一週間で数回、ハルヒロはハバキの狩り(・・)に同行したことがある。そうして知った。

 街で、酒場で呼び習わされるハバキの忌み名。その意味、その実態を。

 ハルヒロは己の目で確かめた。思い、知らされた。

 

「一杯、貰えるか」

「え?」

 

 ふと、我に返る。

 言葉の意味が分からず首を傾げた。ハバキはハルヒロが持つ茶筒を指差していた。

 

「あ、カウヒー?」

 

 ハバキは頷いて、盥やら汚れたシャツやらを片付け始めた。

 別に断る理由なんてない。ハルヒロは焚火炉へ歩み寄る。火打石で火口用の藁に火を点けて薪木に移す。程なく炉には火が入った。

 

「ほぅ……」

 

 そっと、吐息が零れた。

 薪を呑み込むように火は勢いを増していく。揺らめく赤や橙の光、肌を包む暖かさ。火を見ると落ち着くんだって気が付いたのはいつ頃からだったろう。グリムガルに来て、不安ばかり強まる毎日の中で。

 火起こしに慣れたと感じた時は地味に嬉しかった。一つ安心を得られたような、そんな気がして。

 ハバキはハルヒロの向かいのベンチに腰掛けた。ハルヒロがそうするように、視線を火に落としている。火の光を映したハバキの目。黒い瞳の中で、暖色の炎はより強く発光して見えた。

 

「眠れないのか」

「そういう訳じゃ。ただ、なんとなく、たまに夜こうしてると落ち着くっていうか。一人で時間潰すの嫌いじゃないし」

「そうか。悪いな。邪魔しちまって」

「いや、そんなことないよ。マナトともたまに、ここでこうして話したりしてたし……あ、そういえば酒場でよくハバキと飲んでたって」

「時折な。結構な(ざる)だぞ、あいつは」

「マナトが? そうなの? へーなんか意外」

 

 なんだかくすぐったい。思えばハバキと差し向かいで、こんな他愛ない話をすることなんて今までなかった。

 いつもは構えがどうとか足運びがどうとか、連携が脆い攻め方が温い守りが薄いだのなんだの。ほとんど戦闘に関してのことしか話題になかった気がする。

 くつくつと土瓶が沸く。同時に、カウヒーの香りが漂ってきた。

 土瓶の取っ手を鉤棒に引っ掛ける。使い始めの頃は持ち手まで熱くなってるとは思わなくて火傷したっけ。そうして、用意した二つのカップに中身を注いだ。

 

「……明日になったら、マナトが戻って来るんだよな」

「そうだな」

 

 なに当たり前なこと聞いてんだろ。ハバキにカップを渡して、自分の分も手に取る。

 濃茶色の水面から湯気が立ち昇る。独特の香りと一緒にそれを口にすると身体の芯まで暖まるようだった。

 

「安心したか」

「え? あー……うん、そう、かな。そうみたい。ホント、なんか今、すげぇほっとしてる。ははっ」

「そうか」

 

 それだけだった。ハバキはそれ以降何も言わずに、ずっと火を眺めていた。

 ハルヒロも特に何か喋ろうとは思わなかった。カウヒーを啜ったり、ベンチで寝転んで星を眺めたり、いつも通りぼんやりと時間を過ごしていく。

 気まずくない沈黙。虫の声だけ聞こえてくる。

 

 このまま、眠ってもいいかな――――

 

 そう思った時にはもう遅く。

 ハルヒロの眠たげな目は、真実睡魔にそっと閉じられた。

 虫の声、焚火の音、安堵という暖かさ。傍にいる誰かの存在、そこにいてくれる安心。懐かしい感じがした。そう、確か、親って、こんな感じだったかな。

 思い出した時には、もう忘れてる。いつもの通りに、いつもの――――

 

 

 

 

 そうして、怪我のことはまんまと誤魔化されてしまった。

 ハルヒロがそれに気付くのは、少々後の話になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深く息を吸い、呼気はごく僅か。朝焼けた大気の味は肺腑を切る鮮やかさ。ひどく心地好い。

 宿舎の中庭より向かって裏手側は広場になっている。石畳は途切れ、靴底が剥き出しの地面を踏み付けた。宿舎そのものはコの字形に造られ、広場からさらに奥へ行けば土手に下り、そこに水路が横切っている。

 広場、と表現はしたが四方十メートルとない。焚火炉、井戸、半端に埋まった飛び石、動き回るにはやはり手狭であった。

 

「……」

 

 腰に吊るした大刀。その鯉口に左手を掛ける。革のベルトとベルト通しに緒を回して太刀を吊るす様はなんとも言えず不恰好だが、致し方なし。

 そうして前進。一歩、二歩目、右足を踏み出すと同時に、抜刀。左下方から右上方へ斬り上げる。

 ――逆袈裟。

 空を裂く金切り音。刀の啼き声。

 次いで柄を握る右手、その拳が右肩よりやや上がった段階で左手は鞘から離れ、遂に両の手が柄を握る。刃を返す。先程の軌道、斬線を再びなぞり、斬り下ろし。

 ――袈裟。

 同様に、遅れて響く刃金の音色。

 こちらの前進に対して振り下ろされた敵方の剣を逆袈裟の刃にて弾き。

 さらに返す刀、無防備を晒す敵方を袈裟懸けに斬り捨つ。

 居合、剣術の基礎にして基本の機“後の先”。

 右足を引き、左足を前へ。やや左半身の姿勢。柄を顔の右側面にまで持ち上げ、刃先は天頂よりやや右へ傾ける。八相の構えにて残心。

 血振るい、納刀。鞘が(はばき)(くわ)え込み、ぴたりと留まる感触を覚えた。

 少なくとも、刀の側に不具合は認められない。それは喜ばしいことである。

 不満を抱くとすればそれは、己自身。我が身の未熟にこそ。

 

「……」

 

 残心を終え呼吸も戻れば出るのは溜息ばかり。

 先の袈裟斬りは理想から程遠い。足りない。ただ純粋に、剣速が、延いては肉体の速度が足りぬ。圧倒的に不足である。

 一撃目にて対手の攻撃を捌き転じて二撃目に決す。一挙動に二回の斬撃。これを一拍の半の半のさらに半以下で達成する。そうでなくては殺し切れぬ。必ず殺す、その企図完遂を欲するならば――――

 

「うにゃあ」

「?」

 

 弛緩した、加えて聞く者までも脱力させるような声。背後、中庭を囲む回廊の柱の影だ。恐々と顔を出してこちらを見る少女。

 一房に結った赤毛、アーモンド形の目と視線が合う。途端にユメは柱の後ろへ隠れてしまった。

 

「どうした」

「ふぇ? ハバキ、もういいん? ユメそっち行っても大丈夫……?」

「? ああ」

 

 刀に怯えていたらしい。いや、あるいは刀を振り回す己にか。

 いずれにせよ、慣らし(・・・)は済んだ。いつまでも彼らの生活スペースを占有する気も更々ない。

 緒を解き、刀を手に携える。広場を手で示してやれば、ユメはようやく柱から姿を現した。革の胸当てはなく、インナーに上着を羽織っただけの軽装。しかし、腕には例の“十字架形の木製器械”を抱えていた。

 

「ハバキは練習もうせぇへんの?」

「今終えた」

「そっかー。ハバキが剣振るとなぁ、ひゅんひゅんひゅーんってすごい音するからな、ユメいっつも恐くて目ぇつむってしまうねん」

「そうか。すまんな」

「あ! ううん、ハバキが謝らんでもええよぉ。ユメな、ハバキが剣振ってるん見るの好きやよ。いきなりやとびっくりしてまうだけでなぁ、剣きらきら光らせてハバキ踊ってるみたいやんかぁ」

「踊りか……」

 

 なるほど確かに、先程の為体(ていたらく)を思えばあれを馬鹿踊りの類と見られてもおかしくはない。非才の身にはむしろ望外の評価と言える。

 そんなこちらの心中の自虐など知ったことではないだろう。ユメはにへらと笑った。

 そして手にした器械――クロスボウを示す。

 

「ユメもなぁ、今から練習するんよ」

 

 細長い直方形の木塊、その先端に短弓を一体化させたかのような器械。(おおゆみ)という呼称がこちらでは一般的なようだ。銃身と(リム)が十字を模ることからクロスボウとも呼び習わされている、筈なのだが。十字架(クロス)に一体何の意味があるのか、どうにも思い出す気配が無い。

 どうやらこれも、なんぞ抵触する(・・・・)記憶らしい。

 

「でなでなハバキ、ユメ一人やと分からんこともあるからなぁ……」

「ああ、見せてみろ」

「やた!」

 

 花咲くように笑い、ユメはその場でぴょんと跳ねた。

 

 広場の宿舎壁面には、木板に円を重ね描いた手作りの的が貼り付けてある。ユメらが宿舎を使い始めた時から既にあったらしい。

 七、八メートル、得られる距離は精々その程度。しかし弩の機構動作を確認するだけならばこれで十分だった。

 ユメは弩先端に取り付けられた輪状の金具に足を掛け、両手で弦を引き絞った。

 

「んっ」

 

 掛け金に弦が張られ、弓床の溝に(ボルト)を設置。弩を構え、的に狙いを定める。

 元はゴブリンが使っていた粗末なクロスボウ。それを鍛冶師に依頼してユメが扱うに適した改良を施したのだ。とはいえ然程のことはない。ユメの手のサイズに合わせてグリップを削り、磨耗した弦を張り換え張力を微調整した、それだけのこと。

 

「……」

 

 引鉄に指を掛ける。ゆっくりと、絞るように。

 刹那、板バネが弾けるように開き、その強力な張力に弦が跳ね戻る。

 矢は射出され、瞬く後、それは的を貫いた。中心よりやや右に逸れている。

 ユメは急ぎ、次弾の準備に入る。先程同様金具を足で固定、弦を引っ張る。

 

「ふんっ、ぬぅ~」

 

 しかし今度は、上手く掛け金に弦が届かない。暫時四苦八苦してようやく張弦を完了。矢玉を弓床へ設置、構え。ユメは慎重に照準を微修正している。

 この弩にはご丁寧に照準器が設えてある。弓床の手前と先端に環孔状の照門と凸型をした照星。この両者を一直視線上に結ぶことで射線を定めることができる。これは弩の改修を依頼した鍛冶屋が勝手に取り付けたものだ。お節介め。そう思わぬではなかったが。

 再び引鉄が絞られ、空気を裂いて矢が飛んだ。

 過たず、二の矢は的の赤い中心円を貫いた。

 

「やたっ! 当たりやよハバキ!」

「そうだな」

 

 命中精度は確実に向上している。通常の弓矢を使用した場合とは比べるべくもない。

 ユメは喜色満面で声を上げる。

 

「あ、でもやっぱり矢ぁ番え直すん難しいなぁ。ユメどんくさいからもたもたーってなるねやんか」

「それがこの武器の難点(ネック)だ。矢の装填は数を(こな)して慣れるしかない。完全に習熟できたとしても、一矢毎に見る速射性ではどうやろうと熟練の弓手には敵わん。連弩なんて代物もあるが……まあ、お前には必要ない」

「ほぇ~、そうなんやぁ」

 

 分かっているのかいないのか。いや、弩の知識などこの娘にこれ以上は必要あるまい。

 狩人であるユメから弓を取り上げ、代わりにとゴブリンから奪った弩を押し付けた。

 現状、ユメの弓の腕は実戦に堪えない。ハルヒロ達の連携を見るにつけ、狩人の単独行動をどうやら考慮していない。できない、と言った方が正しかろう。弓矢による遠距離からの狙撃、中距離からの援護。どちらにも同様の条件が必要とされる――曰く命中精度。敵を狙い澄まして射抜くは無論のことだが、味方に中てぬ(・・・)技量がなくばそれは害悪以上の意味を為さない。

 折り良く、己が斬り捨てたゴブリンはその問題を解決する術を持っていた。

 操作性は簡易簡便、威力を弦と留金の張力によって約束され、命中精度を直方形の本体と照準器によって補完した利器(クロスボウ)。使わぬ手はない。

 

「だが、この短期間でこの熟達なら上出来だろう」

「ホンマに? えへへへっ」

 

 無邪気な顔でユメははにかむ。

 ともすれば、己の行為は狩人としてのこの娘を否定しているというのに。

 

「……マナトが戻ったら、また弓矢を使えばいい」

「そうなん? ユメ、このクロムボンも好きやけどなぁ」

「クロスボウだ。なら、好きな方を選べ。それはお前の自由だ」

「うん! ありがとぉなハバキ!」

 

 そう言って、娘の顔は嬉しげに綻んだ。

 感謝などされる筋合いはない。何せ、己は一度として彼らに助けを請われたことなどないのだから。徹頭徹尾の自己満足。全てはそこに終始する。

 考えるだに愚昧なこの言い訳を娘に垂れ流せる筈もない。莫迦の考え休むに似たり。呆れを含んだ気息が腹腔から漏れる。

 ふと、ユメを見やる。弩を柱に立て掛け、ユメはなにやらまごついた(・・・・・)様子でこちらの前に歩み寄ってくる。

 

「? なんだ」

「んっとな、ハバキ……」

 

 両の手を後ろ手に組み、視線は下か横を流れていく。

 言いたいことがあるものの実際に口にするには躊躇われる。そういった風体だった。

 

「あんな、ユメな、がんばったやんかぁ」

「ああ」

「クロスボーンの練習も毎日やってな、ちょっとずつやけど慣れてきてんな」

「クロスボウだ……ああ、そうだな」

 

 朝靄の彼方から陽が差し込む。鮮やかな色彩、熱ではなく冷気を伴った光。

 白んだ明かりにユメの顔が照らされる。頬に赤みが差していた。

 

「だからな、ユメもな、わしゃわしゃーってしてほしいねん」

「わしゃ……?」

「ほ、ほら、ハルくんとかはがんばるとな、ハバキいつもわしゃわしゃーってやるやんか」

 

 頭を撫でて欲しいと、ユメはそう言っているようだ。

 

「だめ……?」

「……」

「んぁ!」

 

 掌の下、ユメの小さな頭はすっぽりと収まった。

 髪は柔く、犬の頭の毛並を思い出す。仮にも一人の若い娘に抱く感想としては失礼以外のなにものでもない。そういった自覚はいかな木石とて流石に持ち合わせていた。訂正する気は更々ないが。

 撫でる、といっても己はハルヒロらの髪を掻き回しているだけだ。

 ユメに対してとてもそれは変わらない。変えられん。

 

「んっ、ん、ん、んふふふっ」

「……これでいいのか」

「うん!」

 

 くしゃくしゃに乱れる髪も気に留めず、ユメはひどく満足げだった。

 屈託のない笑顔が、朝陽以上に己の目を焼く。胸の内に湧いた感慨を、己は辛うじて手放さずにいられた。

 ――分不相応。

 過ぎたるもの、身の丈に合わぬもの、それを手にする権利を己は持ち合わせていない。

 そのような妄念。

 

「……」

 

 そっと、ユメの髪から手を放す。

 

「ぁん……」

 

 ユメは離れていく己の掌を見詰めていた。まるで名残を惜しむかのように。

 その瞳はとろりと夢現だった。

 

「……」

「ふにゃぁ……ありがとぉ……」

「大丈夫なのか?」

「うん……なんかなぁ、頭ん中ぽかぽかしててなぁ……めっちゃ安心してんねんなぁ……」

 

 なにやら恍けたことを呟くユメに苦笑する。この娘は人の毒気を奪うのが得意なのだ。

 

「そろそろモグゾーが朝飯を(こしら)えてるだろう。ハルヒロを起こしてやれ。早朝は冷える」

「あ、その毛布ハルくんやったんやぁ」

 

 昨夜、結局部屋にも戻らずハルヒロはベンチで寝こけていた。存外に寝入っており、弩の発射音にも起きる様子はない。

 

「シホル」

「ひゃぃ……!?」

「んえ? シホル?」

 

 中庭に面した戸口の奥にシホルが息を潜めて身を隠していた。

 ユメとのやり取りを見て、何を勘違いしたのか、どんな気を遣ったのか……想像するだに、阿呆らしい。

 

「……」

 

 何を思った、か。

 己こそ、何を思った。

 何を思い出した。

 

 ――子供。

 ――ガキ。

 

 未成熟な。

 

 ――彼ら彼女ら。

 

 己は、何を。何を思い出した。

 掌の下、髪を撫でる感触、子供の体温、はにかむ笑み。

 

 ――もし、ガキを持ったなら、それは、こんな感触だったろうか―――

 

 それは妄念だ。分不相応な、権利など元よりない。既に失った(・・・)――――

 

「あ?」

 

 義勇兵団宿舎中庭に面した回廊。ユメとシホルが首を傾げてこちらを見る。

 

「ハバキ?」

「ハバキさん……?」

 

 そして朝陽が我が身を焼く。厨房から朝餉の煙が上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう何も、覚えてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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