刃金と血霞のグリムガル   作:足洗

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気付けば半年、自分の筆不精がいっそ病気ならと思います。
よろしければどうぞ、お暇なときに時間潰しの種になれば幸いです。



第9話 救われた少女/救われぬ少女

 

 

 

 

 空気が悪かった。

 どれくらい悪いかと言うと、呼吸困難になる程度に固く、分厚く、重い。肌に纏わり付く粘性なのに、背筋が凍り付くかのような冷たさ。

 時刻は早朝。

 日が昇ってそう間もない。白んだ陽光に晒され朝焼けた空気は、本来清々しくハルヒロ達を出迎え、包み込んでくれる筈だった。

 筈だったのだ。

 場所はもはやすっかりと慣れ親しんだパーティの集合場所。オルタナ城壁北門、濠に掛かった跳ね橋の傍ら。ハルヒロ達の通行を許可した門番が、訝しげな視線を寄越してくる。

 

「……」

「…………」

「……え、っと」

 

 うっかり声を上げてしまったものだから皆の視線が一斉にハルヒロを刺す。喉元に上りかけた言葉は一瞬で腹の底まで蹴り戻された。沈黙我慢大会続行である。

 と、諦めかけた矢先、遂に勇気ある者が第一声を発した。言うまでもないがそれはハルヒロではない。マナトだ。

 躊躇いがちに言葉を探す。そんな風に思案するマナトをハルヒロは初めて見た気がする。

 

「ハバキ」

「なんだ」

 

 この場に漂う緊張感の原因は、静かに佇んで濠の淵を覗いていた。

 黒革のジャケット姿。鎧もなければ簡易な装甲も身に帯びていない。相も変わらない軽装だ。

 武器は一つ、鞘に納めた刀を左手に携えている。

 ハバキはマナトに返事をしながらギロリとこちらに視線を寄越した。ギロリ、なんて表現したがハバキは別にハルヒロ達を睨んだ訳ではないのだろう。その人相の悪――迫力の所為だ、きっと、たぶん。

 それでも半歩ほど後ずさってしまうのは、後ろめたいことがあるからなのか。

 

「事前に相談しなくてごめん。依頼を出せたのが出発ぎりぎりで、話し合う機会を作れなかった……」

「あえてぎりぎりにした、の間違いじゃねぇのか?」

 

 ハバキが口を歪めて、片側の目蓋を大きく剥いてマナトを見る。ごめん、やっぱ顔恐いよハバキ。

 

「……必要だと思った」

「別に怒っちゃいない。お前がそう判断したのなら好きにすればいい」

「! じゃあ」

 

 ハバキの言葉にマナトの顔がぱっと明るくなる。

 そのまま半歩、マナトは身を引いた。釣られるようにユメやシホル、モグゾー、ランタもスペースを空ける。マナトの手が示す先、ハルヒロ達六人とハバキ……そしてもう一人、その少女の為に。

 

「紹介が遅れてごめん。今回、依頼を受けてくれた神官の――メリイさんです」

 

 白い神官服。朝焼けに煌めきながら所在無く、彼女はそこに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 切欠、というかそもそもの事の発端は二日前に遡る。

 

 

 

 

 

「ハバキが、怪我……!?」

 

 今日も酒場は賑わっていた。

 こう表現するのは何度目だったろうか。

 一週間、通い詰めたことになる。その間シェリーの酒場が賑わっていなかったことなんてない。

 ハバキに叩きのめされた帰りに晩飯を食べる為、ハルヒロ達は必ずここへ足を運んだ。店選びなどしない。決まってここ一軒きりだ。

 別段不満もなかったし、そもそも不満など垂れていい分際でもないのだけれど、安い店なら他にいくらでもあるだろうに。なにせハルヒロ達は金を出してもらっている立場だ。ハバキの出費が抑えられるなら、それに越したことはない。だから不思議に思ったハルヒロはハバキに尋ねたことがある。何故他の店にしないのか、と。

 

『アミタがいるからだ』

 

 ハバキの返答はものすごく簡潔だった。

 同時にものすごい邪推がハルヒロの心中を駆け巡ったのは言うまでもない。

 え、嘘、それ、マジで、二人ってそういう、えええ、みたいな。

 

『週一回、代金はまとめて払ってある。その分アミタがいろいろと世話を焼いてくれてな。楽だ』

 

 直後に補足されたハバキのあんまりな言葉で、わくわくとした心持ちはすぐ冷えきってしまったが。あんた酷い人だよ。

 思考が明後日に飛んでいた。

 ハルヒロは自分の正面に座るマナトを見た。ひどく真剣な、そして深刻な表情(カオ)でマナトは考え込んでいる。

 快気祝いの席だった。一週間の入院の後、今日晴れてマナトは退院した。一度は命を落としかけて、それでも無事にハルヒロ達の元へ戻って来てくれた。それを祝して一席、皆で金を出し合って設けた場。

 今更ながらに、ハルヒロは自分が話題選びを盛大に間違えたのだと気付いた。

 

「でもその、ハバキは、大した怪我じゃないって言ってたし……」

「ガッハハハ! ザマァ! あんにゃろう普段は偉そうなこと言ってる癖にザマァねぇな! 俺らの見てないところじゃしっかりこっきりヘマこいてんじゃねぇか!」

 

 ハルヒロの言い訳じみた言葉を遮ってランタがその無駄にでかい声で勝ち誇ったように笑った。笑ってがなった(・・・・)拍子に、口から食べカスがこれでもかと飛び散りまくる。

 咄嗟にモグゾーがテーブルの料理を避難させたからいいものの、危うく全部を駄目にするところだった。

 そして、シホルのランタを見る瞳は極限まで淀んでいた。最悪。言葉にするとそういう色合いをしていた。

 

「ユメ、ユメな、朝ハバキと会ってたのに全然気付かんかって……ほ、ホントに大丈夫やったん!? ハバキ無理してへんかな!? なぁハルくん、ハバキ死なんよね!?」

「お、落ち着けってユメ。それに自分の傷の具合ならハバキが一番分かるだろ? もし酷けりゃ真っ先に神殿かマナトの所に行ってるよ」

 

 ユメが身を乗り出してハルヒロに迫る。ちょ、顔近い。

 いつもの朗らかな様子からは考えられないほどユメは動揺していた。手をぎゅっと握り合わせ、目尻には潤んだ光が見える。

 

「……ケッ。あたちハバキ様が心配でしょうがないです~ってか? そんなにハバキが大事ならシホルみてぇにご奉仕してやれよ。あんな野郎にゃアミタさんの巨乳じゃなくそのちっぱいがお似合い――」

「あ、お帰りなさいハバキさん」

「すんまっせんしたぁぁぁあああ!! 調子こきましたぁあ!! こき腐りましたぁ!! ハバキさんに似合うのは爆乳! いや奇乳レベルですマジで! だからどうかお許しっ、許してつかぁさい!! 斬らないで!! 寸刻みとか本当に勘弁してくださいぃ!!」

 

 椅子から立ち上がることなく、一挙動で地面に膝を付き平伏。その淀みなさを抜剣とか体捌きに活かせばさぞ有用だろう。ランタのその尊厳を溝に捨てたような土下座を見ないようにしながらハルヒロはビールに口を付けた。

 シホルがランタの後頭部に向けてアッカンベーのポーズを取る。そうしてすぐに不安げなユメの手を労わるように握った。

 ハバキは未だ、アミタさんと隅のペンチで何か話し込んでいる。シェリーの酒場を訪れてすぐに、ハバキはアミタさんに連れて行かれてしまったのだ。まあ、だからこそ昨夜の出来事を話すことができたのだが。

 ハバキが怪我をする。

 それはなんというか、ひどく現実味のない響きだった。

 たった一週間一緒に過ごしただけであの男の何を理解した訳でもない。けれど、ハバキの異常な強さだけは、嫌と言うほど思い知った。そんな男が傷を負わざるを得ない状況とは一体どんなものだ。想像できない。ハルヒロは至極真面目にそう思う。

 それは、どうやら向かいに座るマナトも同様だ。

 

「……前にここでハバキと飲んでたとき、話してくれたことがある」

「え?」

「デッドヘッド砦の奥、風早荒野をずっと北に行くと草木も疎らな荒地に出る。そこには牛頭人身の獣人がいたって」

 

 天竜山脈の北側は俗に辺境とされ、それより南側は本土と呼ばれている。その昔、グリムガルで栄華を極めていたらしい人間族は不死の帝国によって南へと追いやられた。今でこそエルフ、ドワーフ、セントールら諸族と同盟を結ぶことでなんとか勢力を維持しているが、オルタナの街を一歩外に出れば、そこはもう敵対勢力(モンスター)の領域だ。

 当然、というのも情けない話だが、ハルヒロ達はダムロー旧市街以上の“外”なんてものを碌々知らない。遠方に足を伸ばす理由も、余裕も、全くなかったから。

 風早荒野はセントールが領有しているという。敵地である北域としては比較的安全圏で、前哨基地には遠征する義勇兵も多いそうだ。

 だがハバキは、その風早荒野の向こう側に行った。一足飛び、横着、無謀と言ってもいい。

 マナトは苦笑した。ハルヒロやモグゾー、シホルの顔を見て、概ね何が言いたいのか察したのだろう。

 

 ――最初に行き会ったのは三頭、一様に全身鎧、装備は巨大な(まさかり)だった

 ――問答無用で襲い掛かってきた。それも一頭ずつ、正面からな

 ――体格は人間の倍程度だろう。だが比べるべくもない。圧倒的な膂力、鋼のような全身筋肉の粘り(・・)、強靭な発条(バネ)にも近しい脚力。何より、術技。

 ――奴らは明らかに練達した戦闘技能を身に付け、果ては体系化していた。一頭一頭の技巧には独自の工夫が見られたが、あれは連綿と継承され、蓄積された一つの武術、流派だった

 ――殺す為の技。殺す為の理念。殺す意。あの純度(・・)、より獣に近しい生物故か。全く以て素晴らしい

 ――三頭目を斬り倒した時、既に囲まれていた。後になって解ったことだが、奴ら成人の儀式の為に獲物を探していたらしい。身に付けた武技、鍛え上げた肉体を誇示する為の獲物。戦える敵を

 ――光栄な話じゃあねぇか。えぇ? このちんけな人間風情が、化物共の目には千尋の谷に見えるそうだ

 

 ハルヒロには、恐ろしい声音で笑うハバキのあの凶相がありありと想像できた。

 

「ミノタウロスってのは人間が勝手に付けた名前で、本当の名前は別にあるらしい。教えちゃくれなかったよ。自分で確かめて来い、だってさ」

「無茶言うなよ……」

 

 マナトの向こう側のハバキにハルヒロは文句を言った。シホルが同意するようにコクコクと頷いている。

 

「そ、それで、ハバキさんは?」

 

 モグゾーが先を促す。

 そう、問題はその後だ。未成年とはいえ完全武装した歴然の(・・・)戦士達。そんなものに取り囲まれたらどうなる。自分の立場に置き換えて考えよう、とは微塵も思えない。想像だってしたくない。

 雄牛の振るう斧の刃は、脆い人間の骨肉など簡単に擂り潰してしまえるだろう。

 

「同じだよ」

「同じ、って……?」

「一頭ずつ向かってきたから、一頭ずつ斬り殺したってさ」

「ヒェッ」

 

 小さな悲鳴が上がった。声のした方を見ると露骨に咳払いをするランタが目に入る。

 なんだよそれ。無茶苦茶だ。

 

「うん、無茶苦茶だ」

 

 マナトはそう言って溜息を吐いた。

 

「ハバキは、無茶をする。『死にたがり』なんて異名が付くくらいだから相当だね。まるで自分がどの程度で死ぬのか試すみたいに、危険に肉薄する……」

「そんな……」

「他にもこんな感じのエピソードいろいろ聞かされたよ、はは。今のほど詳しくは話してくれなかったけど」

 

 ただの武勇伝なら手放しで喜べた。酒の肴にして驚いたり笑ったり。それで終わり。

 でも、ハバキのそれは物騒で、恐くて、なによりひどく生々しい。血生臭い空気、息遣い、沸騰するような体温、身も凍らせる刃金の冷たさ。ハバキはそれを隠さない。大袈裟にもせず誇りもしない。ただ、己が行き会った出来事を薄笑いを浮かべて話すだけ。

 自分の死を、死の際のさらに間際を、軽石でも放るように語って聞かせるのだ。

 その危うさが、ハルヒロは嫌だった。子供の駄々めいて、そう思う。そう知っている。嫌だ。これは、とても嫌なものだ。

 マナトの死を予感した時、自分の死を実感した時。ああ、この嫌悪感と恐怖は馴染み深い。

 だからこそ、ハルヒロはハバキのそれを認められない。

 それはマナトも同じだった。いや、ハルヒロ以上の“死”に肉薄したマナトのハバキへの危機感はハルヒロの比ではなかったらしい。

 

「俺はさ、ハバキに死んで欲しくない」

 

 ぽつりと、マナトは呟いた。なんだかそれは、マナトらしくない言い様に聞こえた。まるで小さな子供が大人に我儘を零すような、そんな響き。

 

「恩があるから……それもあるかな。でもそれだけじゃなくて、同期だから……これも違うか。えっと、何て言えばいいんだろ」

「マナト」

「ごめん、上手く言えないや。これじゃホントに子供の我儘だ……」

「そんなことない!」

 

 シホルだった。普段は大人しい彼女が、常にない大きな声を上げた。

 

「わ、私も、同じ。ハバキさんに、ハバキさんが危ないことするのは、仕方ないかもしれないけど、止める権利なんて私たちにないかもしれないけど……でもやっぱり、イヤだから。誰かが、危なくなるのも、死んじゃうかもしれないのも……もうっ……!」

 

 言葉尻はそうして、涙声に変わっていく。シホルがその時誰を想って、何を思い出したのかは尋ねるまでもない。マナトがそっとシホルの手を握る。

 

「ま! 散々俺らいびり倒してくれた奴に簡単に死なれちゃ張り合いねぇよな。しょーがなく、しょぉーがなっくだがランタ様も一肌脱いでやるよ」

 

 土下座からいつの間にか復帰していたランタが偉そうに言った。少し、意外でもあった。なにせあの見るからにハバキを毛嫌いしている風だったランタが、だ。

 

「ぼ、僕も。ハバキさんに、もっとたくさんいろんなこと教わりたい」

 

 モグゾーがぶんぶん頷きながら言った。首取れるんじゃないかってくらいの勢いで。

 思えばハバキの剣の稽古に一番熱心だったのはモグゾーだ。この一週間、ハルヒロ達五人をほぼ付きっ切りで叩きのめしてくれたハバキだが、モグゾーに対するそれの厳しさはまたレベルが違ったように思う。期待の裏返し、というやつだろうか。

 その時、ユメが立ち上がった。ガッタン! と椅子が倒れて音も立つ。

 

「ユメも嫌や! ユメももっとハバキにいろいろシて欲しいもん!」

「ぶっ!?」

「おまっ」

「おぉっとー!?」

「ユユユユメ!? ややっぱりハバキさんとそういう……!?」

「ふぇ?」

 

 ハルヒロはビールを吹きランタは飛び上がりマナトは妙な声を上げシホルは真っ赤に茹で上がりモグゾーは硬直した。

 店内の喧騒に大部分掻き消されたから良いものの、ハルヒロ達の隣のテーブルに座るパーティが何事かとこちらを見ていた。

 

 当のユメ本人はキョトンと疑問符を浮かべている。うん、自覚ないよね。知ってた。

 

 本当に、ユメのハバキへの懐きっぷりは尋常ではない。出会った初日、ハバキを一番恐がっていたのは間違いなくユメだった。最初は会話一つするにもモグゾーやハルヒロの後ろに隠れながらやっと、といった様子だった筈だ。それが今や、飼主の後を付いて回る仔犬のようになっていた。

 狩人として未熟さの否めないユメに、ハバキが様々なレクチャーを施していたらしいことはハルヒロも知っている(未熟は自分達とて同じだが……)。ハルヒロ達が寝静まってから、獣を狩る為に深夜の森に連れ出されたこともあったそうだ。そのスパルタぶりは均等というか平等というか、五者五様である。

 それでも、ユメは恐れることを止めた。ハバキの中に恐怖以外の何かを見付けた。

 たかが一週間、されど濃密な七日間。それは、ハルヒロだって同じだ。

 

「……助けられた夜にこれでもかってくらい叩きのめされてさ、その上説教まで喰らった。その時ハバキ言ってたよな。命は――」

 

 ――重いだろう

 

 他人任せにするな。自分で考えろ。自分で決めて、自分で護れ。

 ハバキは確かにそう言った。ハルヒロはあの夜、それらの言葉一つ一つを噛み砕いて飲み下して、忘れないと誓ったのだ。

 だから。

 

「そんなこと言ってた奴が、自分だけ軽々しく危ないことしてるのは、なんかずるい」

「ははは! うん、そうだね。ずるい」

 

 我ながら幼稚な言い回しになった。案の定、皆に笑われている。

 構うものか。ずるいと感じるものはずるいのだ。

 

「……皆、提案があるんだ」

 

 一頻り笑った後、マナトは静かにそう切り出した。

 表情は穏やかなままなのに、ひどく真剣な空気。自然とハルヒロ達はマナトに向き直っていた。

 

「一人、神官を雇おうと思うんだ」

「え!?」

「ほよ?」

「それ、もしかして」

「あ、あの野郎にかよ」

「ハバキさんに」

「そう。ハバキにパーティを組んでもらう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからはもうあれよあれよと言う間に話が進み――気付いた時には、なんとたった一日で無所属の神官を一人探し当てていた。ハルヒロは勿論だが、これにはマナトも驚いていた。

 マナトもいくつか伝手を持っていたようだが、最終的にはキッカワを頼った。同じタイミングでグリムガルを訪れた者同士、所謂同期の(よしみ)。なによりマナト曰く、キッカワの顔の広さは相当なものらしい。物怖じせず人当たりもいい、人の懐に入り込むのが上手いのだと、マナトは言った。

 キッカワの所属するパーティはシェリーの酒場にもよく出入りしていたらしく、見付けて捕まえるのは簡単だった。挨拶もそこそこに事情を説明するとあっさりキッカワは了承した。

 紹介料、みたいなものは請求されなかった。

 

『いいのいいの。困ったときはお互いサマンサってやつじゃん』

 

 キッカワ、ノリも頭も軽そうなチャラいだけの奴だと思ってたけどなんて善い奴なんだ……内心でかなり失礼な評価をしつつ、ハルヒロは地味に感動していたのだが。

 

『そ・の・か・わ・り……』

 

 当然、見返り無しなんて虫の好い話はなくて。

 

『今度ハバキのこと紹介してよ~。めっちゃ噂されてるよ。あの(・・)ハバキがマナトのティーパーに入ったとか入ってないとか』

 

 新米義勇兵(ルーキー)としては到底ありえない活躍をしているハバキとコネを作りたいというキッカワの申し出は至極真っ当だった。パーティを作らずクランにも属さない。完全フリーの義勇兵。恐ろしげな異名と噂を差し引いても、やはり自陣に引き入れたいと考える人間は多いらしい。

 

『う~ん、でもちょっち条件厳しいかもねー。明日ソッコー出られて、ソロ狩りに付いてってくれるフリーの神官っしょ? やや、いることはいるよ? オレちゃんのニティコミュ検索ばっちしヒットしてるから。ただね~……ほんのちょっっっぴり気難しい子でさー。それでもいいんなら、紹介しちゃうよ』

 

 もとより条件など付けられる立場ではない。

 ハルヒロはマナトと二人、その日の内にその足で神官メリイとの面談に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず目に付いたのは、白さ。

 それは別に実際に目に見える色彩のことではない。確かに彼女は純白の神官服を着ている。しかし彼女の纏う空気、朝陽を浴びて煌く有様が、視覚的ではない観念的な“白”を想起させた。

 綺麗だった。ひどく綺麗な女性、いや少女だ。ハルヒロ達と歳もそう変わらない。同じかもしれない。

 彼女を描く輪郭線に淀みのようなものは一切ない。細い筆先で繊細に、そして迷いなく描かれた絵画のようだ。人形、非人間的な美しさ。

 烏の濡れ羽のような黒髪が風にそよぐ。瓜実形の顎、比較的小作りな顔立ちの中、長い睫が特徴的な目、その奥で濡れたように光る瞳。

 知らずまじまじと凝視していた自分に気付き、ハルヒロは一人内心で焦る。初対面は前日に済ませた。それでも、彼女の容貌には慣れる気がしない。

 メリイは美人だ。すんげぇ美人。ハルヒロは人生で初めて他人の容姿で度肝を抜かれるという経験をした。

 

「……」

 

 マナトの紹介を受けても、メリイは黙ったまま。顔は無表情を貫いている。不機嫌なのだろうか、それとも何かに怒っているのか。彼女の怜悧な雰囲気からそんな要らない勘繰りと動揺が湧きかけるが、どうもそうではないようだ。

 彼女の印象は変わらない。ただ所在無さげで、伏し目がちな視線は斜め下に注がれるばかり。

 そう。この北門で落ち合ったきり、メリイは一度としてハバキを見ようとしないのだ。

 事前に依頼内容は伝えてある。単独で活動する男性義勇兵とパーティ、この場合はツーマンセルを組んで欲しい、と。ハバキの戦闘能力、戦闘スタイル、これまでの戦闘記録。ツーマンセルの難度、況や敵に相対した状況における神官の危険度等。

 本来、パーティは六人一組が基本だ。ルミアリス神が六芒をシンボルとしているからか、神官の扱う光魔法、特に守護や増幅系の効果が及ぶのは一時に六人までである。故に、義勇兵は神官を中軸としてパーティを編成し戦術を練るのだ。これは合理的な解釈であり、また制約でもある。

 あるいはもっと即物的にぶっちゃけるなら……数人で徒党を組んだ方が個々の生存率は上がるからだ。一人が死ねば残りの五人は助かるかもしれない。二人が死んでも残りの四人は生き残るかもしれない。数に頼めば、安全と稼ぎが得られる。それだけの話。身も蓋もない事実だった。現実だった。けれど、必要なことだ。誰しも命は惜しいから。だから生き残る為にそうする。

 だのに、その当然を捨てろと、ハルヒロ達はメリイに言うのだ。

 マナトは事細かに、執拗なほど何度も何度もメリイに確認をした。ハルヒロもそれが当然だと思った。途中からハルヒロ自身、こんな無茶な依頼は断るべきだとすら考えたほどだ。

 メリイは、しかし了承した。

 了承したからここにいる。

 

「で? 手前(てめぇ)らは」

「え?」

 

 一向に動き出さないメリイと話を進めようとして進められないハルヒロ達に、とうとうハバキが水を向ける。

 ハバキはハルヒロとマナトの二人を見る。

 

「ダムローか」

「いや、今日はダムロー周りの森に行く。実入りは減るけど、やっぱりダムローの偵察がしたいし。“噂”の真偽を確かめてくる」

「そうか。分かってると思うが、マナト」

「うん。かなり鈍ってるってのは自分でも感じてる。危険に行き会ったとき足を引っ張るのは俺だろうね。だから今日は安全を取る……皆には申し訳ないけど」

「呵っ」

 

 順々に答えを聞くと、ハバキは口の端を歪めた。どこか満足気な響きの乗った笑声を上げて――そのまま背中を向ける。

 

「ちょっ、ハバキ!? メリイさんは!?」

「付いて来たいのなら勝手に来い」

 

 背中越しにそれだけ言い捨てて自分はさっさと行ってしまう。勝手はどっちだ、なんて議論するのも阿呆らしい。

 ハルヒロはぼんやりとしているメリイに頭を下げた。

 

「え?」

「なんか、その、すみません。ああいう奴ですけど……ホント、よろしくお願いします」

「そんな、あの、私はっ……………………はい」

 

 逡巡と戸惑いと短くはない沈思。

 遂には観念したようにそう言うと、メリイは小走りにハバキの後を追って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒く広い、皮革地の背中に追いつく。

 追いついたところでどうすればいい。背中は速度も変えず、勿論振り返りもせず、ただすたすたと歩き続ける。

 メリイは一人内心で途方に暮れた。まるで親に叱られた帰り道の子供のように。

 恐々と、その背に付いて歩く。

 

「目的地は聞いてるのか」

「えっ……いえ、特に、何も……」

「肝心なことだけ伝え忘れやがって」

 

 舌打ち、そして何やらぶつくさ文句を零すと、目の前の男は出し抜けに言った。

 

「サイリン鉱山だ」

「っ……!」

 

 聞き慣れた地名。忘れもしない場所。ああ、聞くだに痛みさえ蘇る。

 仲間が死んだ、その暗い洞。

 

 

 

 

 戦士のミチキとハヤシ、魔法使いのムツミ、盗賊のオグ、そして神官のメリイ。

 義勇兵としての生活は確かに過酷だったけれど、それでも一歩一歩着実に進んでいった。誰もが懸命で真剣で、痛い思いも恐い思いもたくさん重ねて、それでも皆となら乗り越えられた。

 オグはお調子者で、メリイのことをお姫様なんて呼んではよくからかっていた。

 ムツミは頭が良くて、メリイが悩みや相談事を打ち明ける相手はいつも彼女だった。

 ミチキはパーティのリーダー。無鉄砲なところもあったけど、メリイ達四人をぐいぐい引っ張っていってくれた。右も左も分からない義勇兵稼業で、それがどんなに頼もしかったか。

 ハヤシは覚えてるだろうか。あの、最期の時。

 逃げろ、そうメリイ達を怒鳴りつけて、折れた腕にも構わないでデッドスポットに突っ込んで行こうとした。あの時、ミチキが笑っていたことを。

 あの優しげな、場違いに明るい笑顔が、目蓋の裏に焼き付いて離れない。

 ずっと、ずっと――――

 

「おい」

 

 低い、下腹を揺さぶるような男の声でメリイの意識は浮上した。

 半身だけこちらに振り返り、男がメリイを見据えている。薄闇の只中、一度目にすれば二度と見間違うことはないドス黒い存在感。岩壁と地面から朧に注ぐ金緑色(エメラルド)の光が黒い男を照らし出し……同時に、男の周囲の惨状をもそれは浮き彫りにした。

 男の足元には雑多に何かが積み上がっている。体長は精々一五〇センチ程度、全身を体毛で覆い、頭や顎、手脚の造りに至るまでまるで犬のような姿形。

 『コボルド』

 ここサイリン鉱山を根城とするモンスター達。

 そんな彼らが今、どうしてか其処彼処に倒れ伏している。そして彼らは二度と起き上がることはない。全て、死んでいた。例外も区別もなく、殺されていた。

 ハバキ、この男の手によって。

 

「ぼやっとしてんじゃねぇ。死にたいのか」

「ご、ごめんなさい」

 

 ヒカリバナの緑光を呑み込んだ眼光が鋭くメリイに突き刺さる。

 戦闘中に呆けるなんて、あってはならないことだ。特に神官である自身は敵から最優先で狙われる。加えて、ツーマンセルなどという安全面度外視の現状では言い訳のしようもない。

 油断。いや、意識を過去に持っていかれた。

 心に隙がある。どうしようもない裂け目。未だ赤々と鮮やかな、傷口。

 

「低層とはいえ、この程度の数には出くわすのか」

「……いいえ、普通は集団といっても四匹か、多くて五匹くらい……十匹一斉にっていうのはすごく珍しいと思う」

 

 ここはサイリン鉱山二層目、コボルドの中でも主にローワーカー達が多く住み着く階層だ。

 コボルドには厳格な階級社会が成り立っている。支配階級であるエルダー、労働者階級であるワーカー、最下級のレッサー。

 各層を縄梯子で繋ぐ縦穴――通称『井戸』を下りてすぐのことだった。

 何の偶然か、屯していた十数匹のローワーカー達と行き会ってしまったのだ。

 絶対にありえない事態、という訳でもない。何度もサイリン鉱山に通っていればきっといつかは迎えた遭遇だろう。ただ、メリイは運良く過去にそういった経験をせずに済んだ。

 運が悪かったのだ。

 このコボルド達は。

 

「そうか」

 

 ごきり、ハバキが(おもむろ)に片手の指を折り曲げるとそんな音が響いた。具合を確かめるような、道具の使い心地を検めるような所作。

 道具……彼の唯一の武器である刀は、腰に吊るした鞘に納められたまま。未だ一度としてその刀身を現してはいない。

 見るだに強靭なその手掌。ハバキはコボルド達を素手で縊り殺したのだ。

 

「どうした。行くぞ」

 

 立ち尽くすメリイに視線もくれず男は言った。

 そうして倒れているコボルドからタリスマンを回収すると、ハバキは坑道の奥へ歩を進める。

 鉱山への道すがら、鉱山に入ってから、戦いとも呼べない戦いをメリイは見てきた。それは、一方的な虐殺のようだった。

 ハバキは一人で何匹ものコボルドを相手取り――殺す。無慈悲に、容赦なく、コボルドの首を折り、頭を砕き、地面や岩壁に全身を叩き付けた。殴殺、撲殺、圧殺の限りを尽くした。その手際はいっそ鮮やかで、息つく間もなく片が着く。

 たった一人の虐殺劇、メリイは黒い背中越しにただただその光景を見ていた。いや、見ていることしかできなかった。

 コボルドがメリイに襲い掛かる隙など、一分もなかったのだから。

 行き会ったコボルドの一匹たりと、ハバキの背中を越えてメリイにその歯牙を届かせる者はいなかった。

 

 

 第三層。危なげなく縄を伝い井戸の底に下り立つ。

 鉱山に掘られている井戸は一つではない。坑道の奥や分かれ道の先、随所に地下への穴が穿たれている。今日は入り口から最短の井戸を主に利用しているが、探索の位置関係、深さによってはルートを変えることも間々あることだ。

 見知った(・・・・)坑道を進む。回廊のように円を描いて道は続く。

 その時、不意にハバキが足を止めた。手を上げてメリイに制止の合図をする。

 敵が近付いているのだ。どこに。

 道の先は暗い。ヒカリゴケの光量では遠い闇の先まで照らすことはできない。

 ハバキは地面に屈み、その見通せない筈の闇を睨みつけた。

 

「来るぞ。足音は四つ分だ……今更だが、あれらは基本的に二足歩行なのか」

「私の知る限りは。逃げ出す奴は、四つ足で走ってた気もするけど」

「奇妙な」

 

 なんとも呆れた調子で男は言った。

 確かに、姿形は犬に限りなく近いのに二足歩行な上に手で道具まで使う。奇妙といえば奇妙だろう。

 

「……金属音」

「え?」

「一匹は(よろ)っている」

 

 その言葉の意味を聞き返す間もない。とうとうメリイの耳にもその足音は聞こえてきた。

 ハバキが道の真ん中に出る。あれでは向かってくる者らと鉢合わせになる。無防備とも思える行動だが、つまりはそれが目的。

 自分を見付けろ。襲って来い。殺しに来い。さあ。

 

「っ」

 

 そんな意思を、メリイは感じ取った。理解すると同時に、知らず背筋は震えていた。

 先頭に立っていたのはワーカーのコボルド。ローワーカーでないことは、真新しい装備から見て取れる。鎖帷子を着込み、身長よりも長い槍、左腕に丸い盾を括りつけていた――違う。真新しいどころではない。ローワーカー達より遥かに上等な装備。

 子分(フォロア)親分(フォアマン)が引き連れるワーカーコボルド。

 つまり。

 

「気を付けて! エルダーがいる!」

 

 メリイの声を聞き付けて、などと悠長な距離では既にない。

 鎖帷子のフォロアコボルドの後ろにもう一匹、両手に短刀を握ったコボルドがいる。

 それに並び立って、弓を矮小化したかのような十字架形――クロスボウを抱えたコボルドが続く。

 そして最後、三匹のフォロアを従えるフォアマン。エルダーコボルドが現れた。体はフォロア達の一回りか二回りは大きい。手には肉厚の鉈を持ち、なんと板金の鎧まで着込んでいる。

 一層はレッサーの、二層目はローワーカーの居住区。三層目からようやくエルダー級のコボルドが出没するエリア。

 

「グルルルル……!」

「ほう……」

 

 既に臨戦態勢だ。先頭のコボルドがハバキを視界に捉えた時点で――瞬間、閃光が走った。

 

「え?」

 

 破裂音のようなものが響いたかと思うと、足元に小さな木片が二つ散らばった。細く短い棒の端に羽が細工されている。矢だ。クロスボウの矢。

 眼前を横切る鈍い銀色。それは、刀身だった。

 ハバキが刀を抜いていた。いつ、どのタイミングで柄に手を掛けていたのか皆目分からない。

 けれど結果から見れば何をしたのかなど瞭然。メリイを狙って発射されたクロスボウの矢をハバキが刀で文字通り斬り落としたのだ。

 

「やはり飛び道具は厄介だな。岩を背にしてろ。死にたくなけりゃ俺より前に出るんじゃねぇぞ」

「……」

「グルゥオオオオオ!!」

 

 エルダーが吼える。それは号令だ。

 槍を持ったフォロアと二刀のフォロアが迫ってくる。先陣は、やはり槍持ち。リーチの長さというアドバンテージを彼らは十分に理解していた。

 対するハバキの武器は刀。刃渡りは精々一メートル。二メートル弱はあろう槍相手では先手を取られる。

 

「フシィアッ!」

 

 獣の気息と共に槍の穂先が打ち出される。

 ハバキはそれを待ち受け――躱した。左脚を軸に右脚を前へ。左斜め前への前進。行為としてはそれだけ。

 しかしそのたった一歩、いや半歩で槍の軌道から逃れ、あまつさえハバキは刀を打ち下ろしていた。

 コボルドの手、手首が宙を舞った。遅れて血の赤が線を描く。

 

「グギガァッ……!?!?!?」

 

 さらに遅れた苦悶の叫び。しかしそれはすぐに途切れた。槍持ちは返す刀で喉笛を切り裂かれたのだ。

 

「グルァ……!?」

 

 二刀のフォロアが明らかに驚愕して声を上げた。二匹のフォロアが動き出したのはほぼ同時、先行していた槍持ちのフォロアと二刀の彼とは三メートルと離れていない。

 ものの一秒間。それで事が済んでしまった。

 あるいは、槍持ちのフォロアが男を相手取っている間にメリイを襲うつもりだったのか。それとも、二匹掛かりで男を潰して残ったメリイは後から殺すつもりだったのか。

 どちらにせよ、その企図は水泡に帰した。

 また破裂音が響く。ハバキが刀を振るう。同じ、それは数秒前の焼き直し。ハバキは無造作に矢を打ち払った。

 そうして、男は接近してきた二刀のフォロアに踏み込む。

 フォロアは辛うじて防戦した。やはり前進と同時の打ち込み。油断すれば反応もできなかったろう。

 フォロアは左手の短刀でそれを受け――――止めた上で相手の勢いを殺し待ち構えていた右の短刀で斬り付け相手が引けば良し斬れればなお良しといった思惑心算願望があったのかもしれない――――止めることも叶わず、短刀ごと左肩から右腰まで斬り裂かれた。

 何が起きたのか、それを理解する暇も与えられなかったのは彼にとってきっと幸運だった。

 糸の切れた人形のように、それは倒れ、地面に仄暗い水の溜まりを作る。

 ハバキが駆ける。足音がしない。まるで滑るような動き。一瞬、本当に走っているのか分からなくなった。

 最後のフォロアの行動は変わらず、クロスボウをハバキに向けているらしい。メリイからは、ハバキの背に隠れてその姿が見えないのだ。

 

(そっか……射線を遮って)

 

 そう理解した時には、クロスボウのフォロアも斬り倒されていた。

 真実最後に残されたフォアマン・エルダー。ここに至ってもなお何一つ行動しないのは支配階級故の傲慢さから……ではなく、単に何をする暇もなかったのだろう。

 一匹目に一秒、二匹目に一秒、距離を置いた三匹目に三秒弱、五秒に満たない殺戮劇。

 こんな暴力、こんな理不尽、きっと初めての筈だ。あのエルダー、体格も並のエルダーより優れている。自身のそれは勿論フォロア達に身に付けさせていた装備の質も悪くはなかった。思えば、この低層域では考えられないほど強力な敵だったのではないか。いずれデッドスポット同様、義勇兵達を震撼させる存在になっていたのではないか。

 この、黒い男にさえ出会わなければ。もしかしたら――――

 

「グゥゥォオオオオオオオオオ!!!!」

「……」

 

 咆哮が木霊する。鉱山全体を揺るがさんばかりの音声は人間を脅かす怪物にまったく相応しい。

 だのにそれはどこか、悲痛だった。隠し切れない絶望がそこにある。そう思えてならない。

 エルダー・コボルド。彼は首を落とされて、死んだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自在扉を潜る。朧な灯りが朧なまま光量を増した。

 シェリーの酒場。ここは義勇兵の吹き溜まり。いつ何時来ようが往々にして騒がしい。

 その喧騒が吹き消された蝋燭の火のように一瞬遠退く。視線が刺さる。己を刺し貫く、冷えた嫌悪、熱を持った苛立ち、僅かに好奇。いずれもまた忌避の情。

 もはや慣れ親しんだ肌触りである。委細構わず、ハバキは店内に踏み入った。

 息を吹き返すように喧騒は舞い戻る。お前に興味などないと、今更繕うかのように。

 カウンター席に着く。ウエイターに注文をし金を渡すと、すぐさまビールの陶製ジョッキがテーブルに置かれた。ビール、エールは水の代わりと言っていい。基本的に()の水は飲めない。飲料水の代用品がワイン、エール、ウイスキーなのだ。さて、これはなんの知識だったか。

 この土地の習慣ではない。オルタナ周辺の山林にも川は流れているが、それらは飲料水として十分な水質を確保している。水の代用という発想自体が奇妙なのだ。

 考えるだに無駄であった。

 しかし考えることを辞めれば、その時は、今度こそ――

 料理が運ばれてきた。大ぶりの海老と種々の貝類を和えたパスタの山、魚を丸々一尾オリーブ油と香草で煮付けたアクアパッツァ、たっぷりと具の詰まった魚介スープ。

 先にパスタをかき込んだ。そうして殻ごと海老を頬張っていると、傍らに人の気配が立った。

 その娘は無遠慮にこちらを覗き込んでくる。

 女給服(ディアンドル)姿とその勝気な瞳だけで誰何は不要だった。

 

「おっ疲れぇ、ハバキ」

「仕事はいいのか」

「いつも通りつれなーい」

 

 アミタはそう言うやハバキの隣の席に座る。店内の賑わいを見るに暇を持て余している訳でもないだろう。

 

「同じ用件か」

「……うん」

 

 前置きも要るまいに。途端、人懐こい態度は鳴りを潜め、娘はなんともしおらしく面を伏せた。

 一昨日の記憶を反芻する。本題は言わずもがな、メリイという少女について。

 アミタからの要望は実にシンプルだった。

 

「よりにもよって俺にあの娘の面倒を見ろ、ってか」

「ハバキだから頼んでるんだよ」

「見込み違いも甚だしい」

「私はっ……今の私は、ハバキのお陰で――」

 

 言葉は続かず、例によって喧騒が何もかも掻き消した。アミタと出会ったのはたかだか一月前。とある“問題”を抱えていたこの娘とハバキは偶然に行き会い、事の成り行きのまま行動を共にし、事態は一応の収束を見た。

 一件を通して、この娘が己に対し何かしら思うところあるのはハバキとて理解している。

 しかし、受け入れる心算(つもり)は毛頭ない。

 

「俺は殺しただけだ」

「っ!」

「ただ外敵を斬ったに過ぎない。それはこの街の社会正義の為でもなければ、況してお前を救う為でもない」

 

 腰に吊るしたままの一差し。これは何の為の道具だ。

 ハルヒロに問うた言葉がここぞとばかり蘇る。

 振るった結果齎される全て、それは刃金を握る己が背負うもの。死、責任、罪科、全て己一人のものだ。己だけの。

 

「違う」

 

 アミタは俯いたまま、しかし厳然と言った。

 

「確かに、やったのはハバキかもしれない。ハバキの目的とたまたまかち合った(・・・・・)から、善意とか同情とか……好意、とか……そんなんじゃないって分かってる。でも」

 

 常ならば明るく溌剌とした少女が、黒いおどろのようなこの男を屹度見据えている。瞳には濡れた光、痛みを堪えるかのように歪む貌。視線だけは決して逸らさず。

 

「アタシの意志でもあった! アタシは願って、でもその力がなかったっ。ハバキに縋って、肩代わりさせた。ハバキは否定するけど、それは事実だから。虫のいい話だって思う……でも、アタシの意志も認めて欲しいの……!」

 

 一筋、娘の白い頬に涙が伝う。

 己はここのところよくよく女の泣き顔を拝まされる。女難を嘆くような面構えでもなかろうに。なんの冗談だ、これは。

 しかし、今宵のそれは硝子細工のような儚さとは遠く。

 譲れない、鋭く硬い意志がハバキに迫っている。それはまるで、研ぎ澄まされた刃のようだ。

 意志。

 

「……」

 

 ビールのジョッキを空にして、ハバキは席を立った。

 すると娘の表情は親に見捨てられた童女のようになる。

 

「……勝手にしろ」

「ふぇ?」

「他人の想い願いまで頓着する気はない。お前の好きにすればいい」

「じ、じゃあ」

 

 返事は聞かず出口を目指す。

 他人の意志にまで口出しする、それは傲岸不遜を超えた厚顔無恥だ。そのような権利など、元よりありはしないものを。

 後頭部を掻き毟りながら、不意に思い出す。

 

「あの娘、メリイだがな。一時的にパーティを組んだ……これで満足か?」

 

 振り返った瞬間、アミタが飛び込んできた。

 

「ありがとハバキぃー!!」

 

 首筋に抱き付いたまま放れやしない。

 何事かと他の客が続々立ち上がる。

 

「野郎……またアミタちゃんと……!」

「毎晩毎晩オレらのアミタちゃんをよくもてめぇ」

「殺す殺す殺す殺す――」

「ハバキてめぇ表出ろやぁ!!」

 

 ごく最近になってようやく理解したことだが。己に向けられる憤怒、苛立ち、殺意。この店に限って言えば、その原因はこの女にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉を開けた先、メリイを待っていたのはいつもの暗い部屋。見慣れた床板、白い壁、天井には小さくシミがある。

 開け放った窓の外はちょっとしたバルコニー。オルタナの街並みがここから望める。それは、この部屋を借りようと決めた理由の一つ。

 入り口の壁際に錫杖を立て掛け、片方ずつブーツを脱いでその辺りに放る。革の胸当てを外し手袋を抜いて神官服に手を掛けたところでとうとう力尽きてしまった。

 ベッドに身を投げる。スプリングが軋み家主に文句を言っている。

 

「……はぁ」

 

 小さな溜息が零れる。けれどその拍子に全身を充満した疲労感の大きさは比べ物にならない。鉛を爪先から頭の天辺まで流し込まれたみたい。指先一本動かしたくない。

 ならば、今日はさぞ、凄まじい働きをしたのだろう。

 神官としてパーティを守ったのだろう。どんな小さな傷でも治し、後衛の魔法使いの盾になり、前衛の攻撃組のフォローまでやって。

 なんて偉いのメリイ。あなたは素晴らしい神官ね。あなたが居ればきっと誰も傷つかず、きっと――死なずに済む。

 

「っ!」

 

 腕をベッドに叩き付けた。家主の癇癪の的にされて可哀想な限りだった。

 自虐に自虐を重ねる自分は滑稽だ。生産性の欠片もない。

 その意味で、今日の自分は役立たずの権化だった。

 

「……」

 

 視線だけを動かし、部屋の中央のテーブルを見る。

 机上には革の袋が一つ、ぽつりと鎮座している。メリイの両の手に余る大きさ、中身は本日の報酬だった。

 雇い主――この場合はマナトとハルヒロではなく――あの男、ハバキから収得物の換金後、即手渡されたもの。銀貨一一二枚、112シルバー。金貨一枚強。

 メリイの常識に照らせば、一日の稼ぎとしては大成功どころか異常だ。

 しかも、稼ぎの全てではない。当然ながらメリイだけが全額受け取る訳がない。折半だった。つまり金貨二枚と少しが今日の収穫である。

 確かに、ベテランの、より上位の義勇兵なら金貨数枚など端金(はしたがね)と言うかもしれない。でも今日道行を共にしたのは、ベテランどころかキャリアはメリイよりも短い新米義勇兵(ルーキー)

 なにより、たった二人のパーティで……違う。実質一人だ。戦力は一人。メリイは、後ろから男の戦う様を眺めていたに過ぎない。

 役立たずのお荷物。今日の成果はそれだけだ。

 なるほど、ではこの胸の裡から湧き上がる感情もそれが原因なのか。

 この、掻き毟るような感覚。焦燥。疼痛。

 常軌を逸した、自己嫌悪は。

 

「……っ……っ」

 

 胸を押さえてくの字に身体を丸める。そんなことしたからってこの嫌なモノがなくなる筈がないのに。

 どうして。

 自分は何もせず、ただ甘い汁だけ啜るような行為が許せないの?

 そんなこと。自分の忌み名くらい知っている。愛想はなく、会話すらまともにしない。パーティの人間が怪我をしてもろくろく治療さえやろうとしない。役立たずの神官、性悪メリイ、冷血女。散々呼ばれてきた。今更寄生行為がなんだという。

 そんな自己嫌悪は、毎日毎晩飽きるほどやってきた。

 これは違う。

 これはもっと、どうしようもない。

 

「あぁ、なんで……!」

 

 何故。

 自分はこんなに弱い。惨めに泣くだけで、何一つ為し遂げられない。駄々を捏ねて喚くだけ、考える頭さえ停止して。

 何一つ……仲間の仇討ちさえ、できない。

 できない。だから、だから(・・・)

 

 

 ハバキに、あの男に縋って、それを肩代わりさせようっていうの?

 

 

「――――」

 

 言葉としての自覚は、痛みではなく虚無感となってメリイの胸に穴を空けた。

 爪先から血の気が引いていく。皮膚の下を冷たい何かが満たしていく。

 滔々と、ただ涙だけが熱かった。

 いつしか意識も落ち、重く暗い眠りの淵にメリイは沈んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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