Gambler In Sword Oratoria 作:コイントス
アイズとカジノに行ってからもう二週間が経つ。あれから約束通り一週間半もの間俺とアイズはダンジョンにこもり、今は休息を取るためにホームにいる。
「なあ、ロキ」
「なんや?」
ロキと酒を飲み交わす。ホームにある一番高い塔、その最上階がロキの部屋だ。その窓から眺める月は地上から見るより僅かに大きいような気がした。
月光を浴びながらグラスを傾けて残っていた酒を飲み干す。氷がカラカラと心地よい音を鳴らす。
「なんで、俺なんだ?」
「なんでって、何がや?」
「アイズのことだ」
酒を注ぐためにロキの座るテーブルへと戻る。朱色の髪、細い目、どこか軽薄そうな笑み、ロキは何時も通りだった。
「あぁー、そのことかいな」
「俺なんかよかよっぽど適任の奴が、いると思うんだがね俺は」
「んー、まあリヴェリアに任せても良かったんやけどな」
ロキもグラスを傾け、そしてつまみの干し肉をひとかじり。そしてニヤリと笑いながら、いつもの調子で一言。
「ニコに任せたほうがおもろそうやん?」
「……で、今のところ面白いのか?」
目の前の神の性格の悪さを再確認し、できるだけ冷静に俺は聞く。
「ああ、おもろいでー」
「どこがだよ」
「ニコがだんだん優しくなってるとことか」
「――あ? 馬鹿言ってんじゃねえよ」
その一言に対して俺はロキを睨んだ。しかし、言葉は続かない。薄く目を開き、ロキは俺を見ていた、見透かしていた。
「ニコは根は優しい子やからな」
「違えよ」
「そか? なら何でカジノなんかに連れてったんや? 最近は色々街にも連れ出してるみたいやし」
「……付きっきりでって言ったのはてめえだろうが」
「んー? アイズたんがカジノ行きたいって言ったんか? ん-?」
ロキは分かっていて質問をしてくる。舌打ちをして俺は干し肉を乱暴に齧り嚥下する。そもそもロキにはすべてお見通しなのだ。それでいて煽るような言い方をするから更にイラつく。
「まさか、ニコが誰かと一緒にカジノ行くなんて思ってもなかったでー。今度ウチも連れてってや」
「断固拒否する」
「でも、アイズたんは連れてくんやろ?」
「……」
「なあ、ニコ。もうニコん中でアイズたんは特別なんやろ?」
確信を付いてくる言動、分かりきっていることを聞かれ自覚させられる。特別であるかないか、そんなものは分かりきっている。
「俺にとってあいつは――」
特別である。見ているだけで心がざわつき、苛立ちが心をささくれ立たせる。どうしようもなく、その歪みを、その悲しみを解消したくなる。無表情で戦うあいつに向かって鏡を見ろと怒鳴りたくなる。
隠してると思っていて、まったく隠せていないところが大嫌いだ。
「――
そう、アイズはいつか見た誰かの写し鏡だ。世界のすべてがつまらないと、自分の命すら価値がないと、ただ親の欲を満たすための道具なのだと思っていた誰かの再現だ。
違う、そんなわけがない。今の俺ならそれが分かる。親など関係ない、幸か不幸か自分は自分でしかいられない。
「でもな、ロキ」
撫でた髪の感触が蘇る。戦うことばかりに集中して手入れなどしていないだろうに、絹のような触り心地。指の隙間を通り抜ける時のくすぐったさ。そして、嫌がるアイズを思い出す。
抓った頬の感触が蘇る。温かい、血の通った人間であることを教えてくれる。柔らかい、まだ無垢であるはずの幼子だと教えてくれる。そして、更に嫌がるアイズを思い出す。
抱えた時の感触が蘇る。確かにそこにいるのだと教えてくれる重み。その重さより重い武器なんていくらでもあるだろうに、そのどれよりも鋭いと思わせるそんな少女だ。そして、じたばた暴れるアイズを思い出す。
「
有り触れてはいないのかもしれない。それでも、特別な存在なんかじゃない。少なくとも、俺にとっては特別な存在であっても、存在は特別ではない。自分となんら変わらない、この世界に生きる人間だ。まだ親に頼っているはずの子供だ。
「あいつはただの
傷付けば泣く、辛ければ諦める、嬉しければ喜ぶ、そんな当たり前が当たり前じゃなくなり歪んでしまった少女だ。それさえもが特別でもなんでもない、この世に有り触れた歪みだ。それをすべて正すことなんて、誰にもできやしない。でも――
「誰かが、教えてやらねえといけねえだろうが」
テーブルに肘をついて頭を支えて俯く。自分らしくもないと心の中で苛立ちがざわつく。そんな面倒くさい役割、俺が買って出るなんて頭がおかしくなったと思われてもおかしくない。自分本位で自分勝手、己が道を突っ走るのがニコライ・ティーケであったはずだ。
それなのに、今はたった一人の少女に乱されている。
「そうやな。なら、ニコが守ってやってや。そんでたくさん教えてあげてや」
「それが……お前の願いか」
「いんや、これは――」
思ってもいなかった否定の言葉に顔をあげる。そこには軽薄そうな笑みではなく、楽しそうな嬉しそうな、あの日見たロキの暖かな笑みがあった。
「――ニコの願いやで」
グラスを握る手から力が抜ける。手から溢れたグラスはテーブルへと落ち、僅かに残っていた酒はテーブルを濡らした。ロキは気にせずグラスを立て、そして注いだ。
「でも、ニコはなかなか素直になってくれへんからな。やから、ウチからの
俺のグラスに注いだ分で丁度酒が終わった。最後の一滴までもを俺のグラスに注ぎ、そして俺に差し出す。これを受け取るということは、その願いを受け入れいるということ。守る、そんな曖昧で期限すら不明確な願いを叶え続けるいうこと。
だが、それは違うだろう。
「馬鹿言うんじゃねえよ」
誰かからお願いされたから、俺はあいつを守るのか?
「ああ、こんなことお前にしか言えねえな。だから、言ってやる」
違うだろう、俺は俺が守りたいと思ったからあいつを守るんだろう?
「あいつを俺が守ってやる、でもそれはお前が言ったからじゃねえ」
始まりは自分ではなかったのかもしれない。ロキがいなければアイズは俺の視界に入らず、その凍てついた心のまま育っていたのかもしれない。それとも、どこか知らない場所で死んでいたのかもしれない。
でも今は違う。言葉を交わし苛ついた。共に食事をして苛ついた。戦っている姿を見て苛ついた。何をしていても俺の心をざわつかせる奴だ、しかしだからこそ守りたいと思えた。
「俺は、俺の意志であいつを守る。なあ、後悔するなよロキ? 俺に火を付けたのは、お前だぞ?」
「にっしっし、こんだけやる気があるニコを見んのは久しぶりやな。フォルトゥナに挑んだ時以来かもなぁ」
「言ってろ」
注がれた酒を一気に飲み干し、グラスをテーブルに叩きつけるようにして置く。勢い良く立ち上がり、立ち去る。そんな俺にロキが言葉を投げかける。
「にしても、これはアイズたんとの賭けはニコの負けみたいやな」
「はっ、だからこれはその腹いせだ。なにせあいつ、守られるのが滅法嫌いみたいだからな」
「性格悪いなぁ、ニコ」
「お前にだけは言われたくねえ!」
ロキの部屋から出て階段を降りていく。その最中考えることは、どうやって凍てついたアイズの心を溶かしていくか。簡単ではない、だからこそやり甲斐がある、やりたいと思う。
ちまちまと溶かしていくのは性に合わない。何か、何かきっかけがあれば一気に燃え上がる気がする。しかし、その何かが何なのか分からない。ここまで来ると、やはり後は――
「――運任せ、だな」
♣♣♣
ニコライとロキの酒盛りから更に一週間、特にきっかけもなく何かと色々な場所に連れて行くもニコライは未だにアイズの心に触れることができずにいた。さてこれは困ったと思っていたニコライは、一ヶ月経っても進展がなければロキが期間延長を言い渡したと嘘を吐こうとさえ思っていた。
ロキにああ言った手前、退くことはできない。
「またのご利用お待ちしております」
そう言って魔石換金所の職員は小さなお辞儀をした。アイズは特に何も答えず、むしろ職員に見向きもせず立ち去る。夕方ともなると多くの冒険者がダンジョンから帰還し、換金所の近くの混み合い具合はピークだ。人混みの中、アイズが向かった先は出口で自分のことを待っていたニコライの所だ。
「換金できたか?」
「うん」
「んじゃ、帰るか」
ニコライはアイズを引き連れホームへ歩き始める。
ニコライは最近アイズに冒険者の基本的な活動を教えていた。防具や武器の選び方、最低限必要な荷物が揃う見せ、
「小腹が空いたし、なんか食って帰るか」
「別に、いい」
――ぐぅ
ニコライの提案をアイズが即却下するが、そんなアイズに即答するように彼女の胃が空腹を訴えた。ニコライは思わず吹き出しそうになったが、なんとか堪らえようとした。
「ぷはっ! はっはっはっは!!」
「――――っ」
「蹴るな蹴るな! あっはっは!」
しかし堪え切れるはずもなく、いつものアイズを知っているがため声を上げて笑ってしまった。アイズは頬を染めニコライの脛を蹴った。
「ま、小っせえ身体であんな戦ってんだ。腹も減るだろうぜ」
しばらくして笑い終わったニコライはそう言ってアイズの頭を撫でた。アイズはニコライの手を払い除け、さっさと帰ろうとする。
「待ちやがれ、なんか買ってきてやるから待ってろ」
アイズの返事を聞かずにニコライは通りの向こう側にある屋台へと歩いていってしまった。アイズは、ここで言うことを聞かなければ後々何を言われるか分からないと自分に言い訳をして待つことにした。実際の所、彼女は空腹だった。
喧騒の中一人アイズは取り残される。思い返してみると、通りを歩いている時は殆どニコライが一緒だった。外に出掛ける時はニコライと一緒というのが習慣となってしまっている。と言っても、アイズが自分でホームの外い出歩くことはなく、ニコライに連れられて何処かへ行くことしかなかったのだが。
人々の話し声、人々の笑い声、活気が溢れ人の営みが盛んな世界で最も熱い街の空気がアイズを包む。ニコライの隣にいると言ってもいないのに構ってくることに辟易してさっさと帰ることばかりを考えていたからだろうか、今まで真面目に街を見たことがなかった。
基本的にニコライはホームの外でアイズを一人にすることがなかった。今も、然程離れてはいないが、人混みの向こう側に言ってしまったニコライを視認することは小さいアイズには不可能だった。
アイズは辺りを見渡す。ダンジョンのあるオラリオはその性質上冒険者が多いが、冒険者しかいないというわけではない。冒険者の食べる食料を生産する者、その食料を料理として提供する酒場、娯楽品を売りさばく商人、そして普通にオラリオに暮らす人々。見渡すだけで様々な人がいた。
そんな人々の中、アイズの耳に一つの会話が届く。
『お母さん、今日の夕飯何ー?』
『んー、そうねえ……シチューの材料があったから、シチューかしらね』
『やったー! ねえねえ、今日はお父さんも帰ってくる?』
『ええ、夕飯には帰ってくるって言ってたわ』
凍てついた思考とは関係なく、アイズは声のした方向に振り向いた。そこには少女と母親が手を繋いで歩いている姿があった。自分の喉が引き攣るのがアイズには分かった。呼吸をするだけで自分の中の何かが軋んだ。
『何かお父さんに聞きたいことでもあるの?』
『ううん別にー! でも、お父さんとお母さんがいるだけで私は嬉しい!』
『ふふ、そうね。私も、あなたとお父さんがいるだけで幸せよ』
止めろ、そんなものを見せるな。そう思いながらも目が離せなかった。
心は凍てつき、刃のように冷たくなったはずだった。しかし、そんなはずもない、そんなことできるわけがなかった。心は忘れていない、身体も忘れていない。父と母を失った悲しみと、それまであった幸せをどうして忘れることができるだろうか。
「――ぁ」
その二人に向かって手を伸ばし、何かを掴もうとする。虚空しかないと、何も掴めないと知りながらも、止まらない。
「おい、アイズ」
「ッッ!」
「どうかしたのか?」
ニコライが戻ってきたことにも気付いていなかったアイズは声を掛けられてびくりと反応してしまった。不思議に思ったニコライはアイズの見ていた方向に視線を向けたが、あるのは雑踏だけだった。
「ほれ、お前の分だ」
何もなかったことを確認したニコライはアイズに買ってきたジャガ丸くんを差し出した。潰した芋に調味料を加え、衣で包み揚げた料理だ。加える調味料には店によって様々だ。
「すまん、すぐに買えたのこれだけでよ」
ニコライは塩胡椒で味付けされた
「これなら歩きながら食えるし、いいだろ」
ほれ帰るぞ、と言ってニコライは再び帰路につく。アイズは手に持ったジャガ丸くんに口をつけることなく、痛む心を引きずってニコライの後を歩いた。今まで、自分を追い詰めるように戦闘に身を投じてきた。それなのに、目の前の男は余裕を持たせようと自分に様々なものを見せてくる。
それが、とても痛い、とても辛い、とても苦しい。心の何処かで楽しんでいる自分がいることに、彼女は気付いていた。だが、無視して、斬り捨て、殺してきた。
こんなのあんまりだ、何故この男は自分の邪魔をするのかと何度も考えた。しかし、新しい世界を、新しい景色を理性では望まなくとも心が望んでいた。ニコライに連れ出されるのに本気で抵抗したことはなかった。抱えられたら暴れる程度の可愛い抵抗しかしてこなかった。
でも、もうそれも止めよう。やはり喜びなんて、楽しみなんていらなかった。だって、それを知ってしまえば痛みは大きくなる、苦しみは大きくなる。
――自分はただあの鈍色の刃のように冷たくあればいい
ホームの前に着くまでアイズはただそれだけを心の中で唱えた。言い聞かせるように、その嘘が真実であると思い込ませるように。
「ん、なんだ一口も食ってねえじゃねえか」
ニコライの中では、アイズは食いしん坊な部類である。基本的に夕飯に誘えば付いてくるあたり、食べ物には興味があるとニコライは思っている。
そんなアイズがジャガ丸くんに口一つ付けないことが意外だったし、買ってもらったら多分殆どの人が食べるだろう。ニコライはしゃがんでアイズの顔を覗き込んだ。
「調子でも悪いのか?」
「――っ」
その姿が、アイズには在りし日の父に見えた。泣いているアイズをあやすために視線を合わせてくれた、あの優しい父の姿が重なってしまった。
「……めて……」
「あ?」
「やめて」
亀裂が広がる、心が裂けそうだった。自分には愛する母がいた、自分には愛する父がいた。でも、もういない。いないから、自分は戦うことを決心したのだ。それ以外のことはすべて捨て、辿り着かなければいけない場所に辿り着くために剣を執ったのだ。
なのに、なんでこんなに悲しい、なんでこんなに嬉しい。
「もう、やめてっ!!」
「アイズ」
「私に、構わないでっ」
アイズの心はぐちゃぐちゃになっていた。当然だ、まだ八歳の少女だ。両親の死を受け入れ、それを乗り越えるなんてことできるわけがない。近くに頼って良い誰かがいたら頼ってしまうだろう。人の温もりを感じれば喜ぶだろう、失ってしまったものを思って悲しむだろう。
しかし、少女は強くなると決断した。もう揺るがないと、頑なに自分を否定した。泣き出しそうな自分を殺した、楽しもうとする自分を殺した、殺して殺して、そして立ち上がった。
覗き込むニコライの横をアイズが走り抜ける。
「おいっ」
すかさずニコライは走り出したアイズの腕を掴んだ。
「いらないっ」
掴まれた勢いでアイズは振り向かされる。その顔は今にも泣き出しそうで、ニコライは初めてそんな感情的なアイズを見た。
「私は、何もいらない。喜びも、悲しみも、他人も、自分もっ!」
乱暴にアイズは腕を掴んでいるニコライの手を引き剥がした。強く握ったからかニコライの手にアイズの爪が跡を残す。
「強さがあれば、それでいいのにっ」
それだけ言ってアイズはホームの中へと駆け込んでいった。何事かと見に来た守衛にニコライは手を振って何もなかったと伝えた。
ニコライは立ち尽くす。きっと、あそこまでアイズを追い込んでいるのは自分なのだ。苦しんでいる少女を更に苦しめているのは自分だ。頑なにいらないと言う少女に押し付けてものを与えている。それが、少女にとって幸せであるはずがない。
「はぁ……ふられちまったなあ」
手に残ったアイズの爪痕を撫でる。子供とは素直なものだ。だからこそ、思い込んでしまえば本当にその通りになってしまう。なってしまったら最後、それを戻すことは簡単ではない。
やけに痛い、爪痕に触れながらニコライは溜息を吐いた。
「強さがあればそれでいいのに、か」
そう呟いてから、ニコライもホームへ戻っていった。
ドアを勢い良く開け、アイズは自室へと転がり込む。ドアを閉めて、その場に座り込んだ。全身が悲鳴を上げている、心が泣き叫んでいる。それをアイズは無視し続ける。
「いらないっ」
自分に言い聞かせる。自分が欲しいものはそんなものじゃない。家族の温もりでも、大切な人といる安らぎでも、娯楽の楽しみでもない。それはもうすべて失ってしまったものだ。それはもう誰にも感じられないものだ。
「強く、なるんだ……」
目から光が消える。うわ言のようにそれだけを繰り返す。心に罅が入る、身体から力が抜ける。それでも、彼女は立ち上がった。剣を杖のようにして立ち上がり、よろめく身体を支える。そうだ、自分はこの剣のように冷たく硬く、ただ強くあれば良い。
言い聞かせ続ける。
ふと、視界に紙に包まれたジャガ丸くんが転がっていた。
ニコライに買ってもらった食べ物。大したものではない、きっとこのオラリオには有り触れた軽食だ。しかし、僅かでもそこにはニコライの好意があった、ニコライの温もりがあった。この一ヶ月ずっと一緒に過ごしてきた。
がさつな態度とは裏腹にアイズのことを気遣っていることもあった。アイズとの約束を違えたことはなかったし、夜カジノに行った時は寝てしまったアイズを抱えて帰った。
アイズの心は揺らいだ。その温もりに縋り付きたくなる時もあった。
「ああ、ああああ、あああぁぁぁっっ――――」
でも、そうしたいと思った自分を殺した。誰かに縋り付いていては強くなんてなれない。温もりを感じている暇があれば、敵を斬り殺し血を浴び強くなれと自分に念じた。
磨り減っていく心を知りながら、狂気的とも言える精神力で突き進んだ。一ヶ月でこの様だ。もし、これが何年も何年も、自分の辿り着きたい領域へと辿り着くその時まで続くと思うと前に踏み出す脚がすくんだ。それでも、前のめりに走り続けた。
「ニコライの、せいでっ、私は、私はっ――」
弱くなってしまう。だから、切り捨てろ。そう念じると、心は落ち着きを取り戻し始めた。だが、それと同時にニコライに対する好意も嫌悪も、今まで一緒に過ごしてきた記憶も色褪せ、薄れ、そして消えていく。
心を空にしろ、それが一番楽だ。剣に成れ、何も感じない、何も考えない、剣で在れ。
転がっていたジャガ丸くんを拾い上げ、そしてゴミ箱へと投げ捨てた。丁度目の前にあった姿見の鏡に映し出される自分をアイズは見た。泣き出しそうな、どこか壊れた人形のような表情をしていた。
「強く、ならなきゃいけないんだ」
手を伸ばし鏡に触れ、そして罅をいれる。剣を携え、傷だらけの身体と心で走り出す。求めるは敵、目指すは最強、その道は正に修羅道。
♣♣♣
「あれ、珍しいねニコ」
「何がだよ?」
廊下を歩いているとフィンに話しかけられた。まさか歩いているだけで珍しがられる日が来るとは思ってもいなかった。
「アイズと一緒じゃないんだね?」
「別にホームの中に居る時くらい一緒にいなくてもいいだろ」
「……ん?」
「どした」
フィンは俺の言ったことに首を傾げた。
「アイズなら結構前に外に飛び出ていったけど、ニコと一緒じゃなかったのかい?」
「はぁ!?」
思わず屈んでフィンの肩を掴んでしまった。揺すりながら続きを要求する。
「何時だそれ!?」
「えっと、四時間前くらいだったような……?」
「くそっ!! フィン、その時あいつ装備とかどうしてた?」
「付けてたよ」
フィンの答えを聞いて走り出す。向かう先はアイズの部屋だった。最早体当たりのようにドアを開け放つ。部屋はもぬけの殻、フィンの言った通りアイズはホームにいないようだ。
見渡すと鏡が割れていて、近くにあったゴミ箱の中に手付かずのジャガ丸くんが捨ててあった。
「くっそ、あの馬鹿!!」
四時間前に装備を付けたまま外に飛び出たのなら、それは恐らく帰ってきてすぐに出ていったということになる。只ならぬ雰囲気だったから少し放っておこうと思ったことが間違いだった。向った先は分かっている。そもそもその場所以外にアイズが行きそうな場所が思いつかない。
その場所が問題だ。
「あああああ、らしくねえことするもんじゃねえなぁっ!!」
あの時、アイズのことなんて構わずに追いかけていればよかった。自分も昔、アイズのようになっていた時期があった。その時ロキに色々言われ、心の底から苛立ちを感じたことを今も忘れない。そんな経験があったから、放っておこうと思ってしまった。
らしくない、全くらしくない。本当にしたいことなら、人のことなど構っている暇なんてじゃないか。
自分の部屋に戻って装備を整えている時間も勿体無い。俺はそのままホームを飛び出し街を駆ける。アイズの行き先なんて分かりきっていた。
分かっていない。アイズ・ヴァレインシュタインはまだ分かっていない。
その命がどれほど尊く、かけがえのないものなのか、あいつは理解していない。それを知らずに死なせることなどあってはならない。だから――
「――死ぬんじゃねえぞ、アイズッ!!」
脚に更に力を込めて人混みで速度を出せない通りから建物の屋根へと跳び乗る。屋根の一部が一歩踏み出す度に砕けていくが、今はそんなことを気にしている場合ではない。目指すは怪物たちが闊歩する地下迷宮、人の命など呆気なく吹き飛ぶような人外魔境。
ノリで書いているところが大部分です。
許して。