「響け!ユーフォニアム」二次創作小説。高坂麗奈と田中あすか。特別になりたかった少女と、特別だった少女の、あり得なかった小さな衝突。独自解釈・捏造設定が多々あり、かつ原作のネタバレを含んでいます。念のためですが作者は田中あすかが大好きです。

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とくべつディゾナンス

「……なんか、寂しくない?」

 まだ暗い舞台(ステージ)で、静かに譜面台に楽譜を広げて、彼女は隣に座る後輩に問いかけた。あるいは、それは相手のない自問だったのかもしれない。

 視線を戻してやや俯いて、細くて綺麗な睫毛が黒い瞳を隠す。言葉は気ままに紡がれるまま、後輩の戸惑った表情に少しも囚われない。

「あんなに、楽しかった時間が……終わっちゃうんだよ?」

 日々を思い出すように、瞬きより一瞬だけ長く目を閉じて。しかし寂しげな言葉とは裏腹に、その表情は穏やかな笑みに満たされていた。

「ずっとこのまま、夏が続けばいいのに」

 それを聴いた後輩は、驚きと疑念にはっと息を呑むようにして、

「……なに言ってるんですか、今日が最後じゃないですよ」

 場所を気にしてか、抑えた声音でそう言った。そして、これも自分に言い聞かせるようにして付け足した。

「私たちは、全国に行くんですから」

 彼女の目を、眼鏡越しの黒い瞳を見つめる後輩の熱心な視線は、誰よりも練習に精を出していた先輩に対する、期待だったのかもしれない。彼女が誰よりも全国に行きたいと思っているはずだと、そう信じた的外れな待望だったのかもしれない。

 彼女は──

「そうだったね……そういえばそれが()()だった」

 少しだけ笑って、やがてステージに光が射し込んだ。開幕を告げる眩しい曙光が、彼女たちを明るく照らした──

 

      ◯

 

 ──彼女は、()()になりたかった。

 物心ついた時から、父親のトランペットを聴いて育ってきた。父も母も厳しいけど優しい両親で、彼女をつくるほとんどは、二人からもらったものだと言っても過言ではない。

 思えば、父がきっかけだったのかもしれない。周りの友達にはプロの演奏家の親を持つ子供なんて居なかったし、単純に彼女はそれが誇らしかった。父は音楽界においても結構有名な演奏者で、彼女はそれをいつも誇らしげに語る母から知った。

 彼女はいつしか、トランペットを吹く自分の父親が特別であると考えるようになり、そして彼女自身もトランペットを吹くことによって特別になりたいと考えはじめた。確かな理由があったわけじゃない、きっと幼かったのだ。特別になりたいなんて、成長過程に誰だって夢見ることだ。

 みんな、少しずつ現実に押し返されて、誰かと同じでいることの楽さを知って甘えていく。いずれ、誰かと一緒でなきゃ不安になるくらいになってしまう子もたくさんいる。それでも、彼女は──

 ただ、彼女は自分が他のありふれた人々と同じ、価値のない人間になることが許せなかったのだ。他の人間と同じであることに、ちっとも価値を見出せなかったのだ。

 たとえ、彼女自身を貫くために、他の誰とぶつかり合うことになったとしても──

 

      ◯

 

 ──彼女は、初めから()()だった。

 子供の頃から、「変わってる」と言われることが少なくなかったように顧みる。それは多分、いい意味で使われた言葉じゃない方が多かったことも、()()()()()()彼女には、簡単に察することができた。あるいは、簡単に察することができてしまったからこそ、彼女は周りの子供と()()()()()()()()()のかもしれない。

 彼女は、そんな自分と、自分を認めない周りの人間を好きではなかった。当然だろう。子供はすぐに異分子を排斥する残酷な生き物だ。そして、仲間外れにされるのは決まって彼女だったのだ。

 自分のせいで周囲は自分を認めてくれないのだろうか、などということを彼女は少しも考えなかった。その代わりにじっと、どうすれば周囲に溶け込めるかを学んだ。彼女は少しずつ、仮面をかぶることに上達していった。

 彼女は優秀だった。母親は彼女に求められるだけ求め、彼女はそのすべてに応えた。それが彼女にとって望んだものでなくとも、彼女は母親に対する、飽くまでも扶養への対価として、それを熟していたのである。

 しかし、それでも彼女はたったひとつの望むことを見つけた。父親から教わったユーフォニアム、それだけが彼女の気に入ったのだ。それからの彼女は、音楽のために他を切り捨てる求道者になった。

 そして、いつしか、彼女の仮面を剥がせるような人間は周囲にいなくなっていた──

 

      ◯

 

「──そこはもっとレガートに演奏するところです。クラリネットはなめらかに吹くよう意識して、それからホルンは──」

 優しい声が、暖められた音楽室に響く。彼を初めて見た人は、見た目や声の通り、優しくて紳士的な先生なのだと思うかもしれない。しかし音楽室の中には、そんな勘違いをしている人間はもはや一人もいなかった。

「……では、今日の練習を終わります。最近はめっきり冷え込んできていますし、冬の演奏イベントに向けて体調管理をしっかりしてくださいね」

 滝の長くて()()()()注意が終わって、新しく部長になった優子が号令をかける。挨拶を終えて、音楽室の空気はようやく弛緩した。滝のレッスンはコンクールが終わってから少しは穏やかになったものの、優しい声の中に込められた苛烈な、そしてどこまでも生徒に理想を求める指導方針はコンクールの時と少しも変わらなかった。

 そして、麗奈は滝のそういうところに憧れを抱いていた。音楽に対するひたむきな姿勢、他人にも、そして何よりも自分に厳しい隠されたストイックさ。滝は理想の指導者であり、かつ理想の異性だった。「ライク」じゃなくて、「ラブ」なのだ。

 今日もじっと、彼が音楽室をゆっくりと退室するのを見送って、麗奈はトランペットを置いてほっと息を吐いた。

 滝がいなくなって、ようやく他のことに意識を移すと隣では、同じ一年の吉沢秋子と、二年の加部友恵の二人が何やら私語をしていた。

「なんか今日、田中先輩が……」

「えっ、受験シーズンじゃん! まあ、あの人なら関係ないか……香織先輩は?」

「それが、来てないみたいです……一緒のところ、見たかった……」

「あんた、ほんとにそれ好きだよね……」

 ほわっとした同級生が話すことをぼんやり聞き流していると、麗奈は思わず顔を顰めてしまう名前を耳にした。

 ──田中あすか。夏のコンクールで引退してしまった、ユーフォニアム担当の三年生。

 吹部内では麗奈自身や、香織に並ぶ実力者。こと個人的な演奏技術においては、麗奈は負けるつもりは毛頭ないが、彼女の学業における成績やその他様々、できることすべてを総合して考えれば、到底敵わないと認めざるを得ないような完璧超人。部員内では十人中十人をして()()と言わしめる大才媛。それが、田中あすかだった。

 ……そして、麗奈は彼女のことが苦手だった。

 麗奈の持っていた、田中あすかに対する複雑な感情を、最も相応しい言葉で表現するとするならば──それは、畏怖だ。尊敬や、憧憬などという生温い感情を遥かに置き去りにした、ただ冷たい畏怖。周囲の想像もつかないところを見つめて、凡人には絶対に至れない高みにおいても、平然と周囲と同じことをしているかのように()()()()()

 麗奈には、ただその在り方が恐ろしかったのだ。

「あすかおは永遠……」

「あんた、それわけわかんないし……てか、それを言うならかおあす? じゃないの? 片思いしてるのは……」

「精神的かおあす……肉体的あすかお……」

「よくわからんけどやめなさいってば」

「ちょっと、今日の練習もう終わったんだから早く片付けなさいよ?」

 下らない話を続けていた二人を、ハーモニーディレクターを片付け終えて戻ってきた優子が注意する。その声でようやく我に返った麗奈は、自分の片付けを再開した。

「……どうした、高坂? 調子悪いの?」

「いえ……お疲れ様でした」

 優子が麗奈を案じて声をかけてくれるのもそっけなく断って、麗奈は楽譜と楽器をまとめて音楽室を出た。

 

      ◯

 

 部長になった優子は以前よりも全体を見る人間になった、と麗奈は思う。以前、香織のことで切羽詰まって周りが見えなくなっていた頃とは大違いだ。今ではパート内のことだけでなく、部全体をきちんと見渡して、的確な指示を出せている。

 さっき麗奈に声をかけてくれたのもそうだ。以前の彼女であれば、間違いなく麗奈の様子になど気がついていなかっただろう。どうやら副部長になった中川の影響があるらしい。部長と副部長が話し合っている時など、優子は表面上では仲が悪そうに振る舞うが、もしも彼女に尻尾があればすごい勢いで振ってるのが見える。そういう人なのだ、優子は。

 それを麗奈がわかってきたのも、最近になってからだ。夏のコンクールでぶつかり合った麗奈と優子は、コンクールが終わった今になってようやく、少しずつお互いを知ることができている。人間関係なんてそんなものだ、と麗奈は考えていた。

 と、そうこうしているうちに楽器室に着く。麗奈は無心でドアを引いた。中には、二人の見慣れた先客がいた。コンクール前までは、お馴染みだった風景だ。

「──へえ、後藤も梨子も相変わらずかぁ。ま、ずっとラブラブだったもんねえ……で? もう部内に周知したの?」

「や、それはまだみたいですよ? なんか、梨子先輩が頑なに隠したいって言ってるっぽくて」

「もー恥ずかしがり屋なんだから、梨子は!」

 麗奈は、思わず閉口した。この声は──

「あ、麗奈っ。なんか入試の資料取りに学校来たついでに寄ってくれたんだって! あすか先輩!」

「ぁ……ええ、こんにちは」

 恐る恐る挨拶する。背中を見せていたあすかは、艶めいた黒髪を翻して──振り向いた。彼女お得意の、顔の表面だけで笑う薄い笑顔。

「や、高坂ちゃんじゃーん! 元気してた?」

 両手のひらを広げて、大げさに驚いたように見せる。麗奈は圧倒されて思わず息を呑んだ。そのあすかの笑顔のあまりの()()()()()に。

「……じゃ私、あすか先輩に借りてた楽譜取ってくるねっ」

 久美子が楽器室を出て行く。そして、麗奈とあすかは二人きりで楽器室に取り残されてしまった。麗奈の考え得る限り、最悪の状況だ。

「…………」

 ひとまず、沈黙を貫いてトランペットを片付けにかかる。麗奈が遠ざかるのを見て、あすかは然程興味を見せずに元の向きへ直った。

 ──が、しかし。

「……いやー、まさか全国まで行くとは思ってなかったよ。私たち」

 あすかは平然とそんなことを言ってのけた。自分の出たコンクールの結果を、いかにもどうでもいいことのように。麗奈は自分の中にわだかまるものを感じながらも、聴こえなかった振りをする。

 ひととおりトランペットに水気を拭き取るための布を通して、ケースを開けて、マウスピースと楽器を分けて仕舞う。その間もあすかは独り言のようにつぶやく。

「黄前ちゃんも、初めて会った時は冷めてる子だなあとか思ったけどさ。今じゃすっかり真面目ちゃんだよねえ」

 久美子のことを言われて、嫌でも耳が聞き取ろうとする。聞きたくもない人の話なのに。もう、部活とは関係のない人の──

「──雰囲気って怖いね。()()久美子ちゃんに、絶対全国行きますから、なんて言わせちゃうんだからさ……流されやすい子は特に、ね」

 笑っている。田中あすかは笑っているのだ。

 それを聴いて、麗奈は黙っていられなかった。

「……違います。久美子は流されて練習するようになったんじゃないです。あの子はきっと、ちゃんと自分で考えて──」

 振り返って、反論する。楽器室の中に、自分の幾分かヒステリックになってしまっている声が響くのを聴く。麗奈は、冷静にならねばならないと自分に言い聞かせた。

「へえ? そうなんだ……私には、周りの真面目に練習するって雰囲気に流されてるようにしか見えなかったけど」

「…………違いますっ」

 堪えられない。叫びだしそうになって、麗奈は必死で自分を押さえつけた。いくらもう引退した先輩だからって、いや、むしろ引退した先輩だからこそ、こんなところで喧嘩沙汰を起こせば大きな問題になる。それは麗奈にとって望ましくなかった。

 それを、あすかは当然()()()()()。それでもなお、言葉を止めない。麗奈が、あと少しの衝撃で破裂しそうになっていることも、それが自分の言葉によって簡単に決壊させられることも、すべて分かっているくせに。それらすべてのことに、あすかは()()()だった。

「んー? 高坂ちゃんだって、()()()()()?」

「っ、違うっ! 私は────!」

 麗奈の目には涙さえ浮かんでいた。しかし彼女のそれは、心底から世界に憎しみを持っているみたいに、それでも世界の外に出られないみたいに、必死で現実を見据えた瞳だった。

「私は特別になりたいんです! どこにでもいる、ただの人間なんかになりたくない……誰かと同じになりたくない!」

 あすかは笑った。麗奈の、悲痛な叫びとさえ思える声を聴いても、何の感慨もないかのように。普段のあすかと少しも変わらない、へらついた笑顔を張り付かせて言ったのだ。

「バカだなあ高坂ちゃん、特別になりたい子なんてどこにでもいるんだよ?」

「…………っ」

 麗奈は、楽器室を飛び出した。トランペットを放り込んだだけのケースをおざなりに棚に置いて、詰まる息を堪えて無様に走りながら。

「────ちょっ、麗奈!?」

 すれ違う久美子の顔もまともに見られない。きっと自分は、ろくな顔をしていないから。麗奈はそのまま走って、階段を駆け下りた。

 それから、幾つか階を降りて、廊下を渡って、自分がどこにいるかわからなくなった頃に、すでに暗くなった空き教室で蹲った。

 涙すら出なかった。麗奈はただ自分の身体を掻き抱いて、震えていることしかできなかった。

 

      ◯

 

「……あー、ごめん黄前ちゃん。ちょっと、やり過ぎちゃったかも」

 久美子はあすかと麗奈の走り去った方向を見比べて、明らかに困惑した表情を浮かべる。あすかは裏腹に、いかにも申し訳なさそうな顔をしている。

「え? ……え!?」

 ──それが本当のものか、作られたものかを区別できる人間は、そこにはいなかった。

「ごめんね、ちょっと行ってあげて! 多分だけど、高坂ちゃんも黄前ちゃんのこと待ってると思うからさ」

「あ……はいっ! い、行ってきますっ!」

 久美子が楽器室を出たのを見送ると、あすかは静かにケースから、自分の相棒であるユーフォニアムを取り出して、ピストンに指を載せては感触を確かめる。それは、三年間で自分のしてきたことの確認であり、自分のできなかったことの確認でもある。

 長い、溜息を吐いた。

「……私もつまんないことに、囚われる人間になっちゃったかなあ」

 マウスピースに息を流し込む。数ヶ月ぶりでも、何千回と行ってきた動きに違和感はない。繰り返し息を流して楽器を温めて、それからあすかはそっと、持てる限りの技術を尽くして、なめらかなシラブルで音を紡ぎ出す。壊れないように。傷付けないように。

 ──あすかは懐かしむ。自分が最も愛した、ユーフォニアムの柔らかい音色を聴きながら──自分が過ごした、楽しかった日々を思い出しながら──

 




 突然思いついて、閃きのままに突然書いたものですので、拙い部分は多々あると思われます。気分を害したら申し訳ありません。
 高坂麗奈と田中あすかが好きで、特に最近田中あすかのこういう魅力(本作を読んでいただければお分かりかと思いますが)にやられてしまったので、書きました。反省していません。
 今は清々しい気持ちです……改めまして、最後までお読みいただきありがとうございました!

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