Fate/Imagine Breaker   作:小櫻遼我

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お久しぶりです
しばらく心身の休息をいただいていました
執筆という行為はあくまで「娯楽」「趣味」のひとつとして、書きたい時に書きたいものを書く、そんな緩く自分に優しいスタンスでこれからも好きなようにやっていきたいと思っております


Spell25[金色の闖入者 The_Kaleid_Foreigner.]

 夜の大橋で、その少年の後方に浮かぶ円陣がまるで太陽のように輝いていた。キリト・エインズワース。そう名乗った少年は、上条と一方通行(アクセラレータ)にとっては因縁の相手でもあった。

 

「お前は……!」

「ああ。いつぶりだろうな、上条当麻? それと第一位」

 

 一方通行(アクセラレータ)は言葉を返さない。自身が絶対的な上位にいると思い込んでいるキリトに返答するのは、その自信を肯定してしまうことになる。状況はさらに悪くなるし、単に気に入らない。わざわざ敵に寄り添う必要もあるまい。

 ……そう、この少年は「敵」だ。まだ幼く、その世代の中では大人っぽくはあるのだろうがイリヤと同じくらいの歳であろう彼だが、その力と悪意は本物だった。その証拠が、今もうずくまっている上里だ。その目の前に転がるのは、彼のものだった右腕。それが繋がっていた断面からは、まるで壊れた蛇口のように際限なく血が溢れ出ている。

 

「くっ……!」

 

 うずくまる上里に接近したのは、青子だった。時間に干渉するその魔法で上里の傷を治療──いや、無かったことにしようとする。斬り抉る軍神の剣(フラガラック)を打ち消したように、右腕を切断されたという”事実”を時間の彼方に飛ばしてしまえば……。しかし、青子がいくら集中してもそうはならなかった。可能性は二つ。青子がやり方をド忘れしているか。あるいは、右腕を切断したキリトの剣が魔法に匹敵する神秘を秘めているか。

 青子は方針を変えた。右腕の治療は諦め、傷口の応急処置に注力する。青子が魔力を込めると、右腕断面が次第に塞がっていき、出血量も少なくなっていく。断面部の時間のみを加速させ、高速の自然治癒を促したのだ。これでひとまずひと段落はついただろうが、上里はいまだにうめきながらその顔を上げない。その左手は右腕があった場所を押さえ、悶えてる。右腕を切られた痛みが失せたところでその余韻は消えず、幻肢痛さえ存在している。結局のところ、上里は傷口が塞がっただけで、他は何も解決していないのだった。

 

「……エインズワース」

 

 呟いたのはバゼットだった。誰に向けるでもなく、ただ自分の中で考えを巡らせるきっかけとしての一言だった。しかしその家名に心当たりのない上条は、バゼットの言葉について尋ねる。

 

「知ってるのか?」

「こちらの世界ではそれなりに歴史のある一族です。基礎魔術の一つである『置換』に長け、その魔術で後継ぎの性質さえ置換し継続してきた名家……というのは、かつての評判です。今ではその噂さえ聞かず、没落したと言われていますが……」

「そうか。こっちではそうなってるのか」

 

 キリトが言う。初耳だ、といった彼の態度は、バゼット達の知るエインズワースの人間だとするならば奇妙だった。その疑問に答えを示したのは、ゼルレッチ。

 

「お前……この世界の人間ではないのか。並行世界からやってきたな」

「ああ、そうだ。向こうでもエインズワースは大概瓦解してるが……他もそんなだったからな」

「通りで、覚えのないカレイドステッキを持っているわけだ」

 

 では、彼は何をしにこの世界にやってきたのか。何のために上条と一方通行(アクセラレータ)を拉致したのか。ゼルレッチの言う、剪定事象の固定化の先に何を企んでいるのか。当然ながら、キリトはそれを話そうとはしない。”敵”に、何も教える義理はない。

 

「お前……なんで、今になってやってきた! 何が目的なんだ!」

「陳腐な言葉だな。だが、そうだな……全てが一点に集まった、とだけ言っておくか」

「一点に……?」

 

 と、ここで上条はハッとした。クラスカードだ。フュンフツェンアーチャーのものを含め、取り逃がしたというアハトアーチャーのカード以外は全て集めた。強奪されたつヴォルフセイバーのカードも、上里勢力の手にあることでここで再び集った。キリトはそこを狙い撃ちするつもりだったのか? 

 しかし、そんな彼に殺気を向ける人影がひとつ。人差し指に魔力を込めキリトに突きつけているのは、青子だった。

 

「何が集まったんだか知らないけど、翔流くんをこんな目に遭わせてよくヘラヘラしてられるものね。相手が誰かわかってるの?」

「勿論だ。よくわかっている。……蒼崎青子。随分上里翔流にご執心みたいだが……それは主従関係か? 友情か? それとも……いや、ハハ。そんなことしたら、()()()が悲しむか」

「ッ──!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、青子は間髪入れずにバーナーを点火し光線を放った。凛達との戦いで見せたものよりも勢いも出力も桁違い。我を忘れている、と言うべきなのかもしれない。確実に殺すという念が力を解放させ、あるいは力の制御を失わせる。そこまでに激昂する彼女を見るに、キリトが述べたキープとは青子のデリケートな話題……他の誰も知るはずのない彼女の聖域だったのかもしれない。ではなぜそれを知っているのか。ゼルレッチのように並行世界を運営する力は持っていないはず──キリトの場合、おそらく世界間を移動できるのみ──だが、何の力が彼にはたらいているのか?

 だが、翻って考えてみると……そんな青子の秘密を知っているキリトは、この場の皆の弱点を識っている可能性も大いにあるのだ。

 キリトは青子の光線に動じることなく、黄金の円陣を開く。そこから出てきたのは、鏡の盾。キリトはそれを手に取ると、光線に向かって構えた。特別大きい盾というわけでもなく、青子の光線も非常に力強い──離れた上条達でさえ肌がピリピリするほどだったが、その二つは決定的に相性が悪かった。青子の光線はその魔法によるものではない。時間を加速させ魔力の充填を早めることはできるだろうが、光線自体は青子のもつ破壊魔術の力だ。単なる魔力の投射。しかしそれが”光”線のかたちを取っている以上、鏡の類いとかち合えば起きることはただ一つ。”反射”だ。

 光線が盾に触れる。その瞬間、ギィィィン──と鉄を擦り合わせるような金切り音と共に、光線は明後日の方向へ跳ね返っていった。

 

「な──」

 

 呆気に取られる青子。しかし、キリトは不満げだった。それは光線を撃ち返すことができなかった点だ。光の反射は、鏡面から垂直であればあるほど正反対に反射する。逆に直角から少しでも角度がつけば、その二倍の角度で跳ね返っていく。たった今光線を跳ね返した盾がもっと真っ直ぐ構えられていたら、光線は数度の狂いもなく──一方通行(アクセラレータ)の能力のように、青子へ返っていったはずだ。それを成し得なかったのは、単にキリトの未熟である。だがその「光線を跳ね返した」という事実があるだけで、上条達を威圧するには十分だったようだ。

 

「ハァ。面倒臭いな……」

 

 ポキ、ポキと首を鳴らすキリト。その直後──彼の姿が消えた。

 

「ッ!? どこに──」

「ここだよ」

 

 ビクッ、と上条の肩が震えた。背後から聞こえてきたのは、確かにキリトの声。しかしおかしい。一瞬でここまで移動してきたにしても上条だけ孤立しているわけではなく、彼の仲間や上里勢力の皆でさえたった今まで気づかなかったのはなぜだ。上条は振り返る。首が向くより前に、目線でその姿をと捉える。声をかけたキリトはすでに、あの円陣から取り出したであろう剣を振りかぶっていた。

 

「──おおおおッ!!!」

 

 上条は首が向くまでもなく、咄嗟に黒い大剣を手の内に出現させ背後のキリトを薙ぎ払った。右手に宿るアサシンの力、その一端がこの大剣。上里とのステゴロ一騎打ちが破算となった時点で、これを封じる意味は無くなった。

 しかし、確かに手応えはあった──斬ったのではなく、避けさせたという手応えだ──のだが、キリトはそこにはいなかった。飛び退いたわけでもなく、物理的な回避では移動が不可能であろう遠くにいたのだ。瞬間移動でもしたとしか思えない。しかし、瞬間移動したにしても気配がそのまますぎる。まるで、キリトのいる位置と別の位置が文字通り入れ替わっているかのような……。

 

「……そうか、置換魔術!」

 

 からくりに気づいたのはバゼットだった。置換魔術とはその名の通り、あるものとあるものを入れ替える魔術であり、錬金術の一種。その対象は必ずしも物体に限定されず、つまりキリトはそれまでいた位置と上条から遠く離れた位置とを置換し実質的な瞬間移動を成したのだ。また置換されたものに他者は気づきづらいという特徴も持ち、先ほどのキリトの瞬間移動に対する違和感へのアンサーとなっている。一方で、置換魔術はその性質上、劣化したものとしか交換できないという弱点がある。何度も同じ置換を繰り返せばその成果物は回数を重ねるごとに劣化していく。

 だがキリトに、そのような様子はない。彼の居る空間にも、彼自身にも。

 

「……原理が、そもそも異なるのか……?」

「どうした、バゼット・フラガ・マクレミッツ。言っていたじゃないか、エインズワースは置換魔術の名家だと。何を不思議がってる?」

 

 バゼットは思わず一歩退いた。──伝承保菌者(ゴッズホルダー)の名家フラガの人間として、バゼットは高度な教養を身につけていた。それは封印指定執行者として、さまざまな状況に適応する助けになる。相手はどんな魔術を使うのか、その原理、弱点は何か。……その教養が今、崩れた。常ならざるものとしては黒化英霊(サーヴァント)も同様だったが、あれはまだ第三魔法の一例として原理が通っていた。キリトの置換魔術にはそれがない。研鑽に研鑽を重ね形作った”常識”、それが通じない。

 バゼットは恐れていた。自身の理解外の未知を。だがそれだけではない。既存の原理が通用しないとなると、置換魔術は何だってできてしまう。劣化物しか創造できないところに等価交換が成立してしまえば、現実はキリトの意のままだ。この世の全てのものが、彼の武器になってしまうのだ。

 ……だが、忘れてはならない。キリトの武器は、決して置換魔術のみではないことを。

 

「──まずいっ!」

 

 キリトの後方に黄金の円陣が輝く。ギラッ、と一際大きな閃光と共に円陣から剣が射出される。だがその瞬間、クロエも同じように剣を投影し、キリトの剣に向かって投射した。

 

「今のは……俺が使った剣か?」

「ええ、そうよ。確かに、投影魔術は贋作(コピー)である以上、究極の一(オリジナル)には敵わない。でもあなたのそれも、あなた自身の所有物(オリジナル)じゃないはずよ。その点で言うなら、投影魔術で先に武器を用意した私が上手(うわて)ね!」

「……学んだっていうのか、あのわずかなやり合いで」

 

 学んだ、というのは厳密には異なる。投影魔術において武器をレパートリーに加えることは”分析”を要する。触れ、骨子を解明し、材質を知る。クロエやフュンフツェンアーチャーのような極まった投影魔術使いは、触れることなくわずか数秒にも満たない短時間武器を”目視”するだけで分析の過程全てを完了する。即ち、クロエは一目見ればその武器を自分のものにできる。それは学んだと言うよりも、盗んだ・奪ったと言う方が言葉は悪くも適切かもしれない。

 

「とうま! あれはここで倒さなきゃダメ! キャスター、供給(パス)は!?」

「ああ、まだ繋がってる!」

「よし! なら、一気に行くわよ!」

 

 クロエが地を蹴った。その瞬間、台風の最中にいるような暴風が一瞬発生し、クロエの姿が消える。クロエが高速で動いたことによる衝撃波だ。気づけば彼女はすでに遠く離れたキリトの目の前にいる。歳は同じくらいだろうが、体格はキリトの方が目に見えて大きい。だがその一方で、体格の小さいクロエはすり抜けるようにキリトを撹乱できる。

 

「せいっ──!!」

 

 クロエはこの一瞬で干将・莫耶を投影し、キリトに斬りかかった。彼女が地を蹴ってから、時間にして五秒にも満たない。二秒程度にさえ感じるその一瞬の進撃はもはやクラスカードを核としているだの夢幻召喚(インストール)だのの問題ではなく、彼女をリアルなサーヴァントの領域まで押し上げ、その証明となっていた。

 だが、キリトは狼狽えない。サーヴァントの域にまで達したクロエに対し、キリトは単純に行使する力──アハトアーチャー、英雄王ギルガメッシュのクラスカード自体の出力で肉薄することができていた。人類最古の英雄王にして史上最古の叙事詩の英雄、ギルガメッシュ。そのカードに秘められた神秘は、もはや神代の領域でさえある。実際に実体のギルガメッシュ──子供の姿ではあったが──と交戦したクロエ達にはそれを嫌というほど理解していた。だがら……クロエの双剣を見切り、刃と肉体の間に数ミリの余裕を持たせて飛び退いたキリトに何の疑問も違和感も抱かなかった。

 二人の間に距離が空いた……。この距離感は、互いに自らの間合いであった。クロエは複数の剣を投影し、キリトは複数の円陣を展開する。速度で勝ったのはクロエだった。キリトが円陣を開く・武器を向ける・射出するという三つの工程(ステップ)を踏むのに対し、クロエの投影魔術は投影する・射出すると言う二工程で、同時に展開したとしてもキリトを上回って攻勢に出られる。

 迷うことなく、クロエは剣を射出した。剣が向かっていく先のキリトは、今円陣の武器を構え終えたところだ。工程ひとつ分のタイムラグは、戦闘という行為においては大きすぎた。

 ……だが、次の瞬間、キリトはその一工程分のラグさえ縮めて、クロエの剣よりも素早く一瞬で飛翔する武器を射出した。気配を察したクロエは咄嗟の判断で熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)を広げる。その一瞬、クロエは見た。向かってくるのは、双刃の槍のような形状をした黄金の武器。クロエには知る由もないが、これはインド神話に伝わる法具・金剛杵(ヴァジュラ)。邪竜ヴリトラを討つため、聖仙ダディーチャの人骨より生まれた神器。インドラに授けられたヴァジュラは強力な稲妻の力を持つ。だがいくら稲妻といっても、人の常識で侮ってはいけない。インドは”ゼロ”の概念が生まれた国。神々の大きさも、神器の破壊力も、(ゼロ)によってインフレしていく。

 飛翔するヴァジュラの衝撃波によってクロエの投影剣が明後日の方向へ吹き飛んでいく。それでもなおヴァジュラだけは真っ直ぐクロエを射線上に捉えていた。一瞬の出来事だった。眼球が捉えた映像情報が電気信号となって脳に伝わるよりも早く、ヴァジュラはクロエの元へ到達する。誰

もそれを目視することはできない。それを防ぎ得るのはただ人の域を超えた直観のみ。クロエにはそれができていた。

 ……だが、神の兵器の前に、彼女の花の盾は──決して原典(オリジナル)へ至れないそれは──あまりにも無力だった。ヴァジュラが盾に触れた瞬間、想像を絶する雷電の爆発が起きた。その衝撃凄まじく、盾はあっという間に破壊され──否、かき消され、クロエは何かに引かれでもするかのように大きく吹き飛んだ。熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)は飛び道具に対しての概念的防御力を持つ。しかしそれが破壊されたのは神器としてのヴァジュラの単純なスペック差と、クロエの練度の未熟であった。

 

贋作(フェイク)程度で──っと、まだ来るか!」

 

 吹き飛ぶクロエの傍を、イリヤと美遊が駆け抜けていく。それぞれフィルツェンバーサーカーとフュンフセイバーの夢幻召喚(インストール)を保ったまま、キリトへと襲いかかる。

 キリトは羽虫を払うように、彼女らに向けて剣を射出した。ミサイルのように突き進むそれは、しかし夢幻召喚(インストール)した二人には確かに捉えることができた。迫り来る剣を、イリヤは爪で弾き、美遊は剣で弾く。この力──王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の本来の主であるギルガメッシュとの交戦経験があるからこそ、そのノウハウが彼女らにそうさせるのだ。

 瞬く間に、二人はキリトへと肉薄していた。置換魔術を使えば何なく距離を空けることができる……だが、その余裕があるのか? その実、キリトは慢心していた。それは彼自身も英雄王ギルガメッシュの能力をよく理解していたからだ。ありとあらゆる宝物を収め、最古の王として君臨した半神の英雄に勝る者なし──そう思っていた。

 だが彼にも想定外だったのは、イリヤ達がギルガメッシュとの戦いを経ているとはいえ、ここまでにギルガメッシュの力に順応する──女子小学生でありながら戦いに身を置いている、いや──身を置きすぎているということだった。ただの女子小学生にできていい順応ではない。キリトの慢心とはギルガメッシュの力への過信だけではなく、彼女らを子供と侮ったことでもあったのだ。

 しかし一方で、イリヤ達もギルガメッシュの力をよく理解しているが故に最も基本的なことを忘れていた。剣とは本来、手に持って振るうものだ。

 

「っ、危ない!」

 

 油断しきっていたイリヤを退けるように、美遊はキリトの前に立ち塞がる。直後、円陣から剣を手に取ったキリトが剣を振るい、美遊の聖剣がそれを防いだ。

 

「慢心と油断は違う──もう油断はしないぞ!」

 

 と、キリトはもう片手にも剣を取り振りかぶる。だがそこへ状況を理解したイリヤが割って入り、剣の片割れを防ぐ。二人に対し剣二本。数のバランスは取れていたが、それだけで戦況は確定しない。二本の剣を扱うのはキリトただ一人である一方、キリト本人の技量や置換魔術の応用も視野に入れると戦力は拮抗しているようでもある。だが……。

 

「(あの剣……()()()()()()()()()! こっちは聖剣を使っているのに……!)」

 

 美遊は数滴の冷や汗を流す。事実、彼女の杞憂は的中していた。剣で打ち合った時の手応えが大きいのも当然のこと。美遊の聖剣もさることながらキリトの振るう得物はみな宝物庫(ゲート・オブ・バビロン)に収められた財宝──即ちあらゆる宝具の原典である遺物(アーティファクト)達。神殺し、不死殺し、聖剣、魔剣……ものによっては、それを元にした宝具よりも強力でさえある。

 二人の猛攻を、キリトは難なく捌いていく。上級の英霊(サーヴァント)夢幻召喚(インストール)した二人に、キリトの防勢は安定している。彼の剣は無銘でありながらも……いや、無銘であることは何らおかしくない。なぜならその剣達は、名という概念が生まれる前より存在していたからだ。故にあらゆる宝具へと姿を変え得、原典となり得る。後世にて語り継がれる伝承や力、その集積するものを操ることこそが王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の真価であった。

 神秘の差の前、キリトの剣戟の前に、イリヤ達は体勢を崩す。それでも立ち上がり、二人はキリトに襲いかかる。……しかし、二人が姿勢を崩した一瞬の隙にキリトは置換魔術の準備を整え、二人の攻撃が命中する瞬間に転移した。上条がそうであったように、二人はたった今までそこに存在していたキリトを斬ったつもりだったし、手応えもあった。しかしその認識こそ置換魔術の作用であり、実際のキリトはその後方にいた。

 

「しまった! でも──」

「もう遅い!」

 

 キリトは剣を宝物庫に納め……次の瞬間、その円陣と同じほどに眩い火球を生成し発射した。

 

「なっ……!?」

 

 二人は動揺する。それこそが、キリトの狙っていた反応だ。彼の力はギルガメッシュのカードによる王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)と置換魔術の瞬間移動のみではない。特に置換魔術は、彼女達──魔術に明るいバゼットでさえ想像を絶するほどの応用性があり、キリトはそれを熟知していた。自身の肉体を虚空へ飛ばすことができるのなら、虚空に炎を作り出すことも何ら不思議ではない。

 

「くっ──!」

 

 反応が遅れた。美遊は光を強め出力を強化した聖剣で火球を迎撃する。だが手に力が入りきらず、聖剣が押されてしまう。火事場の馬鹿力で何とか火球を弾き飛ばすと、火球はネズミ花火のようにアスファルトを這いずり回りながら抉り、最後には夜空に打ち上がって爆ぜた。

 

「あり得ない……何もないところに炎を創造したというのですか……?」

「そうだ。それがどうした? 発火魔術と何が違う?」

「ですが、それは……」

 

 バゼットはそこで言葉に詰まった。彼女が危惧しているのは、まさに彼女が恐れていた通りのことだった。キリトの言う通り、単なる発火魔術ならこのくらいは──と言ってもあの火球は相当高度なものとなろうが──できても何ら異常はない。異常なのはそれが発火の魔術ではなく置換魔術であるという点だ。バゼットの知識に照らし合わせてみても、発火の類いを起こす様々な魔術とは魔力のパターンが違う。即ちあれは置換魔術なのである──だが、置換魔術であるならば無から火球を創造するというのは理屈が通らない。置換元となる何かを用意する必要があり、また置換魔術とは基本的に劣化交換であるために置換元はあの火球よりも強大なものでなければならない。……キリトの置換魔術は、それらの前提をまるまるすっ飛ばしている。例えるなら──「無」という物体を置換し火球を生み出しているのだ。

 一番の問題は、この理屈が実際に通ってしまったなら、彼にとって世界を滅ぼすことさえ容易くなってしまうということだ。それはまさにバゼットが恐れた通り、”何だってできてしまう”。無から火球を創造できたなら、空中に隕石を創造したり、核爆発を起こしたり──もはや現象さえ引き起こせる可能性もあり──地が割れるほどの大地震を起こすこともできるだろう。全ては、キリトの気分と匙加減で決まってしまうのだ。

 

「──ッ!」

 

 バゼットは咄嗟に駆け出した。その先にいるのはもちろんキリト。イリヤ達との剣戟によって、自身の反応速度を超える相手には対応しきれないことはわかっている。半ば自惚れでもあろうが、バゼットは自身の戦闘速度については他よりも秀でている自覚があった。ならば、反応される前に拳を打ち込む──!

 

「遠坂凛!」

「オッケー、やりたいことは大体わかった!」

 

 エリートの一端である凛もバゼットと同じようなことを考え、バゼットの意図も理解していた。凛は黄色い宝石を取り出し、キリトに向かって投げる。閃光弾だ。宝石がバゼットを飛び越えたところで、バゼットは目を瞑る。一方のキリトは咄嗟に対応できず目を開けたまま、宝石は眩い光を放って爆ぜた。

 

「ッ、小癪……!」

 

 継続して続く閃光の中、キリトは薄目を空けるだけでも目を焼かれてしまいそうな苦痛に襲われる。だが、同じ閃光の中にいるバゼットは動じない。目を開きさえしない。バゼットにとって視覚情報は対して重要ではない。空気感、音、気配、魔力……相手の位置を探れるツールは山ほどある。しかしその一方で、バゼットの放つ凄まじい拳気はキリトにも十分に伝わっていた。

 ヒュッ、と拳が飛ぶ。誰もそれを目視できてはいないが、その風圧と音、気配で何が起きているかは十分察せられた。そんな気配を感じ取り、キリトは体を横へ逸らした。彼の片耳に弾けるような音が響き、風圧で髪がなびく。拳を外したバゼットは僅かに動揺した。位置関係は確かだった。閃光はいまだにまぶた越しにも輝いている。英霊(サーヴァント)クラスの危機察知能力がなければ避けられないだろうと思っていたが──置換魔術を極め、英雄王の力を振るう。キリトには、それに値する資格があったようだ。

 ともすれば……と、バゼットは焦る。いくらこれだけ強力な閃光だろうと、ずっと視覚を奪えるわけではない。もってあと十数秒、それも希望的観測による最大値だ。それまでに仕留めなければ──いや、いける。先程の拳を避けられたことで、キリトの行動パターンはある程度理解できた。回避の用意があるのなら、それを踏まえた上での立ち回りをすればいい。つまりいつも通り、相手を牽制し追い詰めるだけだ。

 ……その魂胆さえキリトにはお見通しだった。彼女ほどの相手なら、一撃を凌がれただけで状況に適応できるだろう、と。ならば、自分達を取り巻くこの閃光そのものを変える。キリトは僅かにまぶたを開く。突き刺すような光が目に入ってくる。だがこの一瞬、この僅かな光量だけで準備は整った。グッ、とキリトが念じる。すると……一瞬で閃光が消失し、互いの姿があらわになった。

 

「な──」

 

 その出来事に、バゼットは思わず動きを止める。確かにあの閃光の持続は残り少なかった。だがここまで短い寿命ではなかったはずだ。キリトの仕業か? だがこの開けた視界に、黄金の円陣は一つも見当たらない。だとすれば、考えられるのは置換魔術……。

 ……そう、これは置換魔術の仕業だ。キリトはほんの僅かにだけ目を開くことで、置換の対象物──閃光を捉えた。これにより置換のイメージをより鮮明に描くことができる。そして置換先の対象は……視界にとらえるまでもなかった。彼が対象としたのは、光も物体も何もない空間……宇宙だった。意識するまでもなくこの頭上に広がっている宇宙(よぞら)。暗く、なにもない……その「無」を、閃光と置換したのだ。真空ではない。閃光の外にある大気が流れ込むことにより、それは「宇宙空間」ではなく正真正銘の「無」となる。そう……無から有を生み出せて、有から無を生み出せない道理はない。

 そしてこれで、視界が開けた。キリトはもちろん、バゼットの姿も丸見えだ。

 

「そこかッ!」

 

 キリトが黄金の円陣を展開し、剣を射出する。超至近距離で向かい合っていたバゼットはその気配を察知して事前の回避行動をとることはできたものの、距離が距離なので全てを避けきることはできず迎撃を余儀なくされる。多くは弾き、受け流すことができたが、幾らかは肌を掠め、さらにうち一本はバゼットの右肩に深々と突き刺さってしまったのだ。

 

「ぐ、あ──っ!」

 

 キリトの隙を見てバゼットは飛び退く。バゼットは肩に刺さった剣を乱雑に引き抜き、傷跡に治癒魔術を当てるが、如何せんフラガ家の専門ではないため万全な回復とはいかないようだ。

 

「バゼット! クソッ……!」

 

 見兼ねた上条が大剣を携え前に出る。しかしそんな彼を引き止めるかのように、キリトは笑い語りかけた。

 

「いいのか? 上条当麻。俺の置換魔術は”ただ置き換えるだけ”。さっきの火球も魔術で置き換えただけで、あの火球自体は異能の力による産物じゃない。お前の右手じゃ、俺の魔術は防げないぞ」

「ああ、確かにそうだな。けど、今の俺には……剣だってあんだよ!」

 

 上条はその大剣の柄を強く握りしめ、駆け出した。愚かなことを、とキリトは見下すような目つきで上条を捉え、円陣から剣を射出する。迫り来る剣を、上条は大剣で弾き返しながら進んでいく。

 ……上条は、薄々思っていた。キリトの使う置換魔術の力。本当はそれも、幻想殺し(イマジンブレイカー)で防げていたのではないか。だが上条でも直感するようにそれを不可能にさせるのは、彼自身日に日に感じていた右手の力の減退、弱体化だ。置換魔術云々ではなく、そもそもの防げる規模が狭まってきているのを感じていた。防げたとしても、押されるか鍔迫り合うか。原因を考えた時に思いつくのは、やはりこの幻想召喚(インヴァイト)の力だ。この力に加えアサシンの憑依、そもそもの世界間の転移もあり、右手の能力が上書きされつつあるのではないか、というのだ。

 だがそれでも、上条は負けた気はしない。減退したところで、幻想殺し(イマジンブレイカー)はまだ生きている。それに幻想召喚(インヴァイト)での戦い方にも随分慣れた。力でこの手に現した大剣が幻想殺し(イマジンブレイカー)によって消えないというのは、存外戦い易いものだ。

 

「おおおおッ!!」

「こいつ、早い……ッ!?」

 

 魔術師でもない、高位の能力者(レベル5)でもない、そのほとんどが一般男子高校生でしかない上条が飛び交う剣の全てを弾き目前まで接近してきたのを見て、さすがのキリトも動揺を隠せなかった。やがて、キリトは円陣から剣を抜く。この距離では、円陣を開く時間さえ惜しい。

 

「子供だからって、容赦しねぇぞ!」

 

 上条はアサシン譲りの剣技でキリトに攻めかかる。本人には遠く及ばずとも、幻想召喚(インヴァイト)がもたらす力ならキリトまで届く。キリトとて英霊本人ではない、同じ力の借り物をしているに過ぎないからだ。

 キリトは二本の剣を操り、上条の斬撃をしのぐ。気圧されるキリト。しかし彼の武器は剣だけではない。キリトの剣が弾かれ、上条が大剣を大きく振りかぶった隙に、キリトは置換魔術を行使して瞬間移動した。

 

「消えた……!」

「(生命の波動、殺意の波動を感じよ。生きとし生ける者、そして汝を殺めんとする者ならばそれを隠すことはできぬ)」

「──そこだッ!」

 

 アサシンの助言を得て心の眼を研ぎ澄ました上条は、背後に感じた殺気めがけて大剣を振るう。キリトはそれを防ぎ切るも、瞬間移動が通じないことには面食らっているようだった。アサシン曰く──敵を真に殺すのは得物ではなく己の意志である。漏れ出た殺気そのものが刃となる。強い殺意さえあれば、得物は大剣だろうと毒だろうと、魔神の腕であろうと大差はない。逆に言えば、その殺気は相手にも素早く気取られる。故により強い殺意を持ちより早く殺すことが、暗殺の本分なのだ。

 その意味で言えば、双方確かな殺気を放っていた。キリトは瞬間移動を繰り返し、上条はそれを察知し防ぐ。しかしそれによってキリトは確かに上条を翻弄し、互角に渡り合う。これもまた同じく、二人とも状況を打開できる決定打を持っていた。だが剣戟の応酬の中、それを行使できる余裕がない。一瞬でも気の緩んだ方が負ける……。

 二人は剣を打ち合わせ、ぎりぎりと鍔迫り合う。膂力でいえば体格の大きい上条が有利。だが武器の神性でキリトのそれに敵うものはない。上条は全ての体重を大剣にかけ、一歩ずつ踏み出しキリトを圧倒する。キリトは押し返されながらもその手を緩めない。

 

「数は有利、パワーも俺が有利! そろそろ懲りるべきじゃないのか!」

「ハハ──確かにな。たが、手数は俺が有利だ!」

 

 上条が気づいた時には遅かった。キリトは鍔迫り合いに押し負ける、そんなタマではない。他のことに集中していたのだ──円陣の展開に。

 上条の真上に黄金の円陣が複数展開される。シャンデリアのように上条を見下ろすそれは、それぞれ剣の切っ先を覗かせている。

 

「クソ──ッ!」

 

 上条は咄嗟に飛び退いた。だが反応遅く、飛び退いた直後、足があった場所に円陣から放たれた剣が着弾する。内蔵されたエネルギーが地面で爆ぜ魔力爆発を起こし、退避が遅れた上条を吹き飛ばす。姿勢を崩し、着地は叶わず足をひねり地面を転がる。

 

「っ、しまっ────」

「遅い、何もかも!」

 

 上条との間が開き大いなる余裕を得たキリトは背後に無数の円陣を展開する。また、あの一斉掃射がやってくる。”面”の制圧でありながら恐ろしいほどの破壊力を秘めたそれは、同様の力を持つクロエか、大魔術師たるキャスターにしか防げまい。肝心の二人は──、

 

「遅いのはそっちもよ!」

 

 妙に威勢のいいクロエの声。同時に肌がピリピリするような魔力の波を感じ振り返ると、そこにはクロエと、その肩に手を添えるキャスターがいた。二人のまわりだけがまるで別次元と化したかのように強大な魔力が二人を囲んでいる。なんらかの儀式の工程だ。

 

「とうまとチンタラやり合ってくれたおかげで準備できたわ! キャスター!」

「ああ! 高速詠唱っ──!」

 

 キャスターが魔力を注ぎ、クロエが口を開く。だがその口は何を言っているのか全くわからなかった口の形からも察せられない。だがそれでよかった。その言葉は意味を介さないのではない──聞き取れないほど素早く長文を述べていたのだ。キャスターが自身の魔力と技術を一時的に貸与し、魔術師としての極地である高速詠唱をクロエに可能とさせたのである。そして高速詠唱を必要とするようなクロエの儀式とはただひとつ────。

 

「──”その体はきっと、無限の剣で出来ていた”っ!!」

 

 

 

 バッと光が満ち、あの氷原が広がった。無数の剣が立ち、並びには何の規則性もありはしなかったが、その中心には確かにクロエがいた。

 

「固有結界か……!」

 

 汗を見せずとも、わずかに狼狽えるキリト。キリトとて強大な力を持つ魔術師であったが、固有結界は尋常の魔術師に与えられる業ではない。クロエは厳密には人間ではないがイリヤの生き写しのような面もあり、ゆえにクロエの潜在能力はキリトにとって想定外だったのだ。

 

「あんたの”財宝”は私の魔術と相性が悪い。さあ……向かってきなさい、あなたの剣で!」

 

 クロエの周囲に突き刺さった剣が宙に浮き、一斉にキリトの方を向く。それを警戒しキリトも円陣を展開し剣を向ける。睨み合うように向かい合う無数の剣。この状況下で、それらが機をうかがおうとするはずもなかった。

 二人が合図を出すまでもなく、剣はミサイルのように飛んでいった。着弾位置の高度な読み合い、そして牽制により、放たれた剣はそれぞれのものが互いにぶつかり合い、爆ぜ、消えていく。国ひとつ動かせてしまうレベルの宝物を湯水のように使い潰していく。それでもキリトの──ギルガメッシュの宝物庫は無尽蔵。どれだけ貴重な剣であろうと小石のように投げ捨てる、だが宝物の数がそんな扱いを補って余りあるのである。その一方でクロエはキリトと同じかそれ以上のペースで投影を続けていた。キリトが撃ち出す剣、それを見ただけで骨子を解明し、自らのものとできる。宝物庫から呼び出す必要がない分、弾幕の展開速度でいえばクロエに分がある。加えてキャスターの魔力供給によって枯渇の心配もない。クロエが一歩だけ上回っていたのだ。

 凄まじい勢いで撃ち出されるクロエの弾幕に、キリトは万全に対処しきれず、少しずつ押されてしまう。射出速度を早めても、宝物庫の構造上敵わない。これがもしキリト・エインズワースというカレイド使いの少年ではなく、クラスカードに宿る英霊本人──英雄王ギルガメッシュその人であったなら、この程度は児戯と嗤い振り払ったことだろう。だがクラスカードの力も結局は借り物・模造品。決してその域に達することはない。クロエが語る理論と同じだ。贋作は決して究極の一には敵わない。クロエはどういうわけかクラスカードの記述を超える力を発揮し、その究極の一となり得てしまったのだ。

 だが、キリトは気づいた。さっき、確かにクロエに向かってヴァジュラを放ち、彼女は目の前でそれを受けた。記憶に残らないはずがない。ということは……投影できるものは、おおよそ”剣”に限られる。

 

「忘れたか……宝物庫には、()()()()()()が貯蔵されている!」

 

 次の瞬間、キリトは一際大きく開いた円陣から細長い何かを射出する。剣ではない、どこかの魔槍の類いだ。キリトへ向かっていく投影剣を除雪車の如く弾き飛ばしてクロエへと真っ直ぐ突き進む。だが投擲物であれば熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)で防ぎ切れる。キリトのセリフもあってか状況の変化を察したクロエは剣の投影を一旦中止し、熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)をもって魔槍を迎え打つ。ヴァジュラでもなければゲイ・ボルクでもないその魔槍は勢いの乗ったクロエが展開する盾に容易く弾き返された。しかしこの時、盾の投影により攻撃の手が緩んでいたのも事実。キリトが狙ったのはその隙だった。

 

「しまった──!」

 

 置換魔術の瞬間移動によりキリトがすぐ背後まで迫る。突如後方に現れた魔力を察知し咄嗟に反応はできたものの、振り向いた時にはキリトは既に剣を振り上げていた。しかし、無限の剣製(ここ)はクロエの支配下にあり、地面に突き刺さった剣には本来の所有者の経験や記憶までもが投影されている。いくら不意をつき接近したからとて、そう簡単にこの牙城は崩せない。

 振り下ろされるキリトの剣をクロエは干将莫邪により斬り払う。単なる防御行動ではあるが、剣同士が触れた瞬間ダンベルを持ち上げたかのような重量感がキリトの手首を襲う。

 

「ぐ──!」

 

 それでもキリトは退くことなく剣戟を繰り広げる。肉体に見合わないクロエの膂力に剣を弾き返され、攻めているはずが不利に陥ってしまう。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を閉じ置換魔術に割ける余力は生まれたものの、この結界内にいる限り彼の瞬間移動先は筒抜けだ。それに加え真性のサーヴァントのような直感さえ持ち、本能的にキリトの方へと剣を向けるのだ。

 だが、クロエに敵わない決定的な点……それは、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は投影魔術とは異なるということだった。投影魔術が本来の持ち主の技術まで使用者に投影する一方、武具ひとつひとつのクオリティで王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)に敵うものはないが、ただ武器を取り出しているだけに過ぎず、本来の持ち主と同じように振り回せるわけではない。故にキリトは技術を不問とする円陣からの直接射出に頼り、英霊としてのギルガメッシュも同様であった。

 剣戟の最中、キリトは剣を地に突き立てる。自分のものではないといえその剣は確かに宝具であり。突き立てただけでも視界を奪う爆発を引き起こすことはできる。それを目くらましとし、キリトは置換魔術でその身を後退する。一方のクロエも、爆炎を受けないため投影の手を止め退く。二人の額に浮かぶ汗。クロエは息を荒げながらも微笑み、余裕を見せる。

 

「魔力の調子はどうだい、クロエちゃん!」

「ええ、バッチリ! ──どうしたの、キリト・エインズワース! ちょこちょこヒヤッともしたけど、傷ひとつつけられてないじゃない! その程度じゃあ、英雄王の名が泣くわね!」

 

 ここぞとばかりに挑発を浴びせるクロエ。自分が優位であると確信してからの吠えっぷりはやや浅慮で、その様は年相応の子供のものだ。いくら戦う力を備えているとはいえ、本来は戦場に出る歳・身分などではない。故にその性も、戦場には相応しくなかった。

 ……そう。力を得ても、彼女はまだ甘すぎたのだ。

 

「……は、ははは……」

「……何がおかしいの?」

「いや、驚いた驚いた。お前、もう立派なサーヴァントだな。人の道を外れてるぞ」

 

 その言葉に、クロエは笑みを失った。自分が気持ちよくなっているところに挑発を返されたからではない。彼の言葉は挑発でもなんでもなく真実を突きつけるものだと、無意識に直感したからだ。……剣を握る手が強ばる。彼の余裕を警戒している。

 

「私が外道、ですって?」

「……褒め方を間違えたみたいだな。俺は讃えてるんだ。これまで多くの強敵を乗り越えてきたはずだ 何騎もの黒化英霊(サーヴァント)、封印指定執行者、そして英雄王ギルガメッシュ──まさか忘れたわけじゃないだろ?」

「忘れるわけな──」

 

 ……なぜ、忘れていたのだろう。思えば上条が来てからはあまりにも鮮烈な日々だった。新たな黒化英霊(サーヴァント)一方通行(アクセラレータ)、殺人鬼事件、力の覚醒、そしてイリヤと共にした夜……そのどれもが忘がたい出来事だ。ほかの物事など、頭のどこかへ消えてしまうほどに。

 そうだ。英雄王ギルガメッシュにも()()()()はある。

 

「ッ、しまった!」

 

 キリトが円陣から取り出した、金色の鍵のような──いや、あれこそまさに王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の鍵なのだろう。彼が王律鍵バヴ=イルと呼ばれるそれで虚空を捻ると、グオオッ、と血管のような赤い回路(サーキット)が天高く伸びていく。それはまるで地図のようだった。迷宮の出口を示すものではなく、宝物の収納場所を示すもの。遥か空高くで何かが光った。回路と同じく赤いそれは、無数に枝分かれした回路をあみだくじのように下っていき、キリトの手元に降りる。

 あれだけ無秩序に宝物を撃ち出していたキリトが、わざわざ地図を使ってまでタンスの奥から引きずり出すもの。その意図は明白だった。

 

「叢雲──」

「もう遅い!!」

 

 手元に浮かぶ赤い光の玉を、ぎゅっと握りしめる。

 ──その瞬間、世界が止まった。

 錯覚ではない。確かに一瞬、世界が一時停止されたかのように止まったのだ。青子やキャスター、ゼルレッチまでもが冷や汗を浮かべている。これは誰かの勘違いなどではない。そして、止まった世界が動き出す時……キリトの手元の空間が砕け、そこに現れたのは一本の武器だった。赤と黒の柱のようなものがついた異形の武器。剣、槍──そのどれでもない。遥か昔、この世に”剣”の概念が生まれるよりも前から存在した魔杖。神の時代の兵器。故に……

 

「(……解明(トレース)、できない…………!?)」

 

 ……人の身で、神の作り出したものを手中にすることはできない。理外である。

 クロエがキリトの魔杖を睨む中、イリヤと美遊もその記憶を思い出した。あの時、小さなギルガメッシュが放った世界を飲み込むほどの赤い竜巻。あれを退けるために、イリヤたちはカレイドステッキのツヴァイフォームを解放した。マジカルルビーとマジカルサファイア、二本のステッキを一本に統合することで変化できる強化態。対界宝具さえ退けた大砲。しかしツヴァイフォームは限界まで力を引き出すために、使用者(イリヤ)の筋系、血管系、リンパ系、神経系……肉体に存在するあらゆる回路を擬似的な魔術回路として流用し魔力を引き出している。生命維持の一部、そして本来想定されない機能を酷使すれば当然、その肉体は弾け飛ぶ。

 強化形態、でイリヤは思い出した。

 

「くっ、クロ! あれ! あれできないの!? アーチャーと戦った時の、ちょっと大人っぽくなって強くなるやつ……えっと……そう、アルティメットクロ!」

「あ、アルティメットぉ!? 変な名前つけないでよこんな時に! あれは……わからないの! あの時は気づいたらああなってたから、いくらキャスターの力を借りてるって言っても再現性が……!」

 

 フュンフツェンアーチャーが霊基の再臨と称した、イリヤが言うところのアルティメットクロエ。あの形態であればあの神造兵装をトレースできたかもしれない。だがそれも確証はない。その上形態変化もできないのであれば、その力は無いのと同じだ。

 しかし……投影だの何だのクロエたちは気にしているが、大事なことを見逃していた。キリトの手にある兵器──乖離剣エアは、まだ()()()()()()()()()()のである。

 

「さあ……起きろ、エア!」

 

 キリトが天高くエアを掲げた。三段に分かれたエアの刀身がそれぞれ回転を始め、その段の切れ目から赤い光が漏れ出す。次の瞬間、赤い光が竜巻のような螺旋を描いて空へと立ち上り、辺り一帯は強烈な熱に満たされた。

 

「熱っ……いや、これ何だ!?」

「神代か……」

 

 上条の独り言に、ゼルレッチが同じく独り言で返した。

 

「神代?」

「かつて神がまだ存在していた時代だ。英雄王ギルガメッシュもその時代の王。神代は大気中の魔力が濃く、並の人間であれば即死は免れん。があの神造兵装……あれはおそらく、天地創造に類する何かだ。故にその周囲は神代に回帰する。熱を感じる程度で済んでいるのは、ひとえにあれがクラスカードによる下位互換品であり、真に神代のそれではないためであろうな」

「天地創造、だって……!?」

 

 世界中で、世界が創造されたきっかけとなる国生み神話は語り継がれている。ある神話では地上を矛でかき混ぜ、ある神話では斃れた巨人の肉体を大地とした。だがあの乖離剣はそれ以前──天と大地の概念が存在しなかった時代にそのふたつを分けたもの。故に()()剣。そんな一撃を、既に天地が分かたれた世界で放ったとすれば……世界は、裂ける。

 その証拠として、見るがいい……エアの光をきっかけとして、固有結界の空がガラスのようにひび割れ、崩れ始めているではないか。

 

「そんな、固有結界が……!?」

 

 クロエは、その恐ろしいものから目が離せなかった。空が割れ、大地が裂け、投影された剣たちも砂のように崩れ落ちていく。世界が死んでいく。クロエにとって──いや、皆にとって虎の子であった固有結界がただ剣の一振りで砕け散ってしまう。恐怖と勇気、愛、人として持てる全てを賭けて作り上げた固有結界。それを呆気なく否定されたクロエの絶望たるや、人としての彼女を否定されたも同義の暗黒であった。

 

「恐れろ! 悔い改めろ! お前の望む”究極の一”をご覧にいれよう、クロエ・フォン・アインツベルン!!」

 

 振り上げられたエアが今にも振り下ろされようとしている。誰も動けない。クロエはもう為す術がない。キャスターも今からでは間に合わない。ゼルレッチとて対界宝具には歯が立たない。青子もこれほど大勢、大規模な時間跳躍はできない。イリヤはツヴァイフォームの苦痛を思い出し、出し渋っている。上条の右手をもってしても、右手に当たる前に蒸発してしまうだろう。誰も打開策を持ち得ないように見えた。

 だがその時、聖剣を携えた美遊に、シグマが叫んだ。

 

「美遊・エーデルフェルト! 鞘を使え!」

「鞘……? 聖剣の?」

「そうだ。あの魔剣(クラレント)の記憶が囁いている──その鞘はただの鞘じゃない、あらゆる外敵を拒絶する対粛清防御! お前もそのカードに、その剣に聞くんだ!」

「剣に……」

 

 美遊は手に持った聖剣を見つめる。マジカルサファイア、そして今は聖剣エクスカリバーであるその剣。クラスカードを取り込み、内に眠る英霊の声に耳を澄ます。その鞘の力、そしてその名を……。

 ……バチンッ、と美遊の脳裏に電撃が走った。情報が流れ込む。岩の剣を引き抜き、我が子に槍を突き立て、楽園の木の下で眠りにつく、かの騎士王の記憶。楽園の名は──。

 美遊は駆け出した。夢幻召喚(インストール)した膂力の前では、この程度の距離は僅か数歩の大股に過ぎなかった。彼女はあっという間にエアの一撃の最前線──クロエの前に到達し、立ちはだかる。

 

「美遊!? 何して──」

「世界もろとも消し飛べ! 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)!!」

 

 エアが振り下ろされ、赤い竜巻が放たれた。暴風と熱がクロエたちを襲う。竜巻が通り過ぎた後は”世界”が崩壊し、真っ暗な虚無だけが残る。直撃を受ければ肉体は消し飛び、この固有結界もろとも消失するだろう。だがそれでも、美遊は一歩も動かない。ただエアの一撃を見つめ、皆を庇うように立ち塞がる。その手に、煌びやかな聖剣の鞘を握りながら。

 

「──全て遠き理想郷(アヴァロン)っ!!」

 

 次の瞬間、クロエたちは温かい光に包まれた。毛布にくるまれ優しく抱かれているかのような安心感。そしてその空気感は、その周囲だけ別世界であることを示すようでもあった。そう、アヴァロンとは別世界に存在する理想郷。戦い疲れたかの騎士王が眠りにつく、誰にも邪魔されない聖域。故にその力を継ぐ結界は、あらゆる干渉を跳ね除ける。

 赤い竜巻がクロエたちを通過していく。竜巻の中に飲み込まれ、しかしその体が砕けることはなく、ただ周りの世界だけが崩壊していく。だが足元がふらついた。身を守れたとしても、我々の立つこの大地までもを守ることはできない。クロエたちを残して、世界が崩れ去っていく。そうして、視界の全てが真っ暗闇に染まろうというその時……めまいのような一瞬の視界の混濁を経て、あの赤い鉄骨の橋へと戻ってきた。

 

「戻った、のか……?」

「っ……固有結界が、こわされた……!」

 

 歯を食いしばりつぶやくクロエ。直後、クロエは重心を失ったようにふらつき、膝をついた。

 

「クロエちゃん!」

 

 崩れたクロエにキャスターが近寄る。固有結界発動に際して必要な魔力は全てキャスターが肩代わりしており、大量の剣を投影してなおクロエの消耗はゼロに等しいはず。そしてクロエにとって魔力がどれだけ重要であるかを最も理解しているイリヤから見ても、彼女の魔力に揺らぎはない。クロエは固有結界──自らの心象風景であるそれを破壊された。文字通り心の一部を砕かれ、彼女の魂そのものが疲弊しているのだ。そうして、魂の不調はやがて精神や肉体にも現れる。病は気から、とはよく言ったものである。

 

「まだ生きているのか、なかなかしぶとい」

 

 と、またしても鉄骨の上からキリトが語りかける。上条たちは弱ったクロエを囲むように陣形をとり、各々の武器を構える。

 

「なんだ、まだやるのか? もう皆、限界だと思うが」

「それはお互い様だ! テメェだって、虎の子の宝具を使ったじゃねぇか!」

「虎の子。そうか……」

 

 そうつぶやくと、キリトは王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の円陣を展開した。すると、その光景に上条一同は唖然としてしまう。無数に広がる円陣の数々……その量が桁違いに増加し、文字通り空を埋め尽くしてしまったのだ。

 そんな中、キリトのそばの円陣から一本の剣が顔を覗かせる。たかが一本、と一瞬油断したのが命取り。剣は、ヒュッ、と鋭い音を立て射出された。今までなら、例えば上条であればアサシン由来の大剣と身体能力により迫り来る剣を弾き返すことができた。……だが、できない。剣が見えない。感じ取れない。先ほどとは比べ物にならないほど、それはあまりにも速すぎた。

 と、そんな中で前に躍り出たのが一人。クロエだった。戦える状態かさえ怪しい彼女が、剣が円陣から顔を出した時点で危険を直感し、キャスターの制止を振り切って立ち塞がったのだ。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)──!」

 

 力を振り絞り、七層にわたる花の盾を投影する。飛び道具を概念的に防ぐ絶対防御。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)にとっての天敵のひとつ。しかしそれを扱う魂が弱っていては、力は十全に発揮できまい。

 射出された剣が盾に着弾する。その時……ふっ、と音が消えたような錯覚と共に、宝具クラスの爆炎と轟音が一帯を満たした。クロエの盾も虚しく砕け散り、壁を失った上条たちもまとめて吹き飛ばされる。幸い熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)が──弱っていながらも──機能し、その威力を大きく減衰させた。だがそれでも体は宙に浮き、爆炎が皮膚を焦がし、皆を散り散りに引き離したのだ。

 

「虎の子っていうのは勘違いだな。あの天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)は、どちらかというと()()()()()()()()()()だ。たかが人間ごときにやられっぱなしで、英雄王もご機嫌斜めだろうからな」

「な……今までずっと、手加減してたってのか……!?」

「手加減と慢心は違うんだが……。だがまぁ、いいだろう。そんなに()()()を期待してたんなら──」

 

 キリトは不敵に微笑むと、円陣からある剣を取り出した。ドリルのような形をした、乖離剣エアだ。まただ、またあの剣が現れた。と同時に、再びあの赤い烈風が立ち上る。彼のカレイドステッキ、名をオニキス。その機能たる無限大の魔力をもってすれば、天地創造の一撃を二連射することだってできてしまうのだ。

 

「だったら、私だって──っ」

 

 一度目の天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)から皆を守った美遊が奮起し、前に出る。その鞘に強く念じ、再びあの結界を展開しようとする。……しかし、どういうわけか美遊は気力を失い、クロエと同じように崩れ落ちてしまった。

 

「そんな、なんで……これじゃあ……」

 

 と、一人つぶやく美遊。キリトはカレイドステッキの力を使い、天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)を二度行使する。それは第二魔法に由来する無制限の魔力供給によるものであると同時に、多元転身(プリズムトランス)により並行世界の自分の力をダウンロードできる。だが、美遊の全て遠き理想郷(アヴァロン)は、天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)よりも一段階上にある宝具。世界からさえも隔絶する対粛清防御は──ステッキのあらゆる機能、そしてカードと宝具の主であるかの騎士王の力をもってしても、二度使うことは叶わないのであった。

 万事休す、である。クロエは戦闘能力を失い、美遊の全て遠き理想郷(アヴァロン)は使用限界に達した。視覚外からの一撃でも飛んでこない限り、生き残る線は極めて薄い。

 

「ッ……オイ、なンとかなンねェのか、ジジイ!」

 

 かの高名な”魔法使い”たるゼルレッチに食ってかかる一方通行(アクセラレータ)。しかしゼルレッチは葛藤する素振りさえ見せず彼の問いに対してきっぱりと否定を述べる。

 

「考え得る限り、無理だ。あの乖離剣は神の力、儂とて手に負える類いのものではない。それにこの魔法の力も気安く振るっていいものではない。確かな見通しがなければ世界そのものを歪めかねんし、そもそも儂がこうやって個の世界に介入していること自体特例なのだ」

「クソッ、ゴチャゴチャと抜かしやがって……!」

 

 頭を掻きむしる一方通行(アクセラレータ)をよそに、ゼルレッチはそわそわしている。ちらちらと動く視線の先には片腕を失い倒れた上里がいた。上里とこの戦場全体を交互に見返し、策を練る。これこそゼルレッチの言う”見通し”だ。誰がいつどう動くか、その全てを計算する。何せゼルレッチはこれまでその計算を世界規模で行なってきたのだ。そしてその見通しは……もっぱら、逃げについてのみであった。熟考するまでもなく、現戦力であれに太刀打ちはできないと判断していたのだ。

 

「シグマ、蒼崎! 上里を守れ! その間に儂と我が師(キャスター)で退路を拓く!」

 

 ゼルレッチの声を聞き、彼が全ての言葉を発するよりも先にシグマは動き出していた。命令を忠実に遂行する肉人形である彼は、条件反射的に指示を理解し筋肉に号令を発するのである。

 だが、一方の青子は……キリトとエアの光を凝視したまま、微動だにしなかった。

 

「な……蒼崎! 破天荒を発揮するのはまたの機会にしろ、今は──」

「待って! 大丈夫……わかる……!」

 

 残念ながら、ゼルレッチの恐れていた破天荒が発動してしまったようである。

 彼が何度声をかけても、青子は動かない。青子自身、何らかの行動を起こす隙を狙っているわけではなかった。それどころか、何が起こるかさえ曖昧であった。しかし彼女の時間の魔法は、そんな直感の時間的制約を撤廃する。彼女の直感は単なる根拠のない空想にとどまらず、未来を汲んだ予言にもなり得るのである。

 

「まだ……まだよ……」

 

 何かを、待っている。何が来るかはわからない、だが何かが来ることは確信している。そして、それが状況を打開してくれることも。

 だがそうしている間にもエアから立ち上る竜巻は勢いを増す。そしてゼルレッチらが各々の受け身行動をとるのを、律儀に待ってやるキリトでもない。

 

「さよならだ。最後に、空間のチリひとかけらでも残っていればいいな。──天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)!」

 

 そしてついに、エアが振り下ろされてしまった。あの時と同じように、真っ赤な竜巻が光そのものを巻き込みながら迫ってくる。脆弱な成形である固有結界とは異なりこの世界はひび割れすら見せない。だがそれでも、エアの起動により満ちる異様な空気だけは共通していた。

 ──ダメだ。ここで終わるわけにはいかない。上条は皆の前に出て、その右手を突き出した。己の身を顧みず、自らあの竜巻に飲み込まれることを望む。……正直なところでは、上条は恐れていた。幻想殺し(イマジンブレイカー)は以前よりも力が弱まったように感じられ、あれを打ち消せるかどうかわからない。それ以前に、触れるより早く体が蒸発してしまうかもしれない。指の関節が伸び切らず、足も小さく震えている。それでも、上条は立ち続けた。どんなに絶望的な状況でも、最後にはこの右手が助けてくれた。だから今回も。それこそ”竜”が飛び出たって、皆を守らなければ。

 

「……それが、俺の役目だ! だからまずは、そのくだらねぇ幻想を──」

 

 目の前の全てが幻想でも、この右手は幻想ではない。確かにそこにあるこの肉感だけが、世界の終焉にも等しいこの空気感の中で、彼を支えていた。

 皆が、上条の背中を見ていた。目がつぶれるほどにまぶしかった天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)の赤い光が彼に遮られている。歴戦の術者であるキャスター、ゼルレッチから見ても、その背中は大きかった。彼の人生の過酷を悟った。故にこそ、二人も上条を信じることが──いや、すがることができた。全員が同じ気持ちだったのだ。荒波の中、彼ひとりの腕に舵を任せる船員たちのように。

 ……ただひとりだけ、彼の舵取りを見ていない女がいた。そして女はただ、荒波がふっと消えるのを待っていた。──いや。消える、と確信したのだ。

 

「…………来た!」

 

 カッ、と青子が叫ぶ。すると次の瞬間──、キリトは背後から何かによって貫かれた。

 

「な、に……っ!?」

 

 その手が崩れ、エアを落としてしまう。それに伴い。上条たちに迫っていた天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)も霧のようにほどけ消えてしまった。

 

「な、何だ!?」

 

 命を捧げる覚悟でいた上条は思わずキリトの心配をしてしまう。理解し得ない何かが起き、彼を貫き、天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)を中断させた。……違う。これは中断ではない、それとはまた別の現象。拳銃から放たれた銃弾は、射手を殺したところで止まらない。決して防ぐことのできないそれを止めるには……そう、考えが行き着いたのは()()()()だった。

 

「……あり得ない……」

 

 バゼットは上条の足元を見る。弾丸(仮称)がキリトを貫き、そのまま進んでいった射線の終着点。そこにあったのは弾丸ではなく、錆びついた短剣のようなものだった。アスファルトに突き刺さったそれはたった今まで熱されていたかのような蒸気を発し、今だ鈍く光っている。バゼットはその短剣に心当たりがあった。ありすぎた。

 

「……斬り抉る軍神の剣(フラガラック)!?」

 

 これはフラガだけが持つ秘伝の現物宝具。それが、ここにあるはずがないのだ。伝承保菌者(ゴッズホルダー)たるバゼットが継承し、現状おそらく世界でバゼットのところにしか存在しない鉄球。詠唱も彼女のみに継承され、仮に詠唱文が漏れたとて並の魔術師では発動などできない。これは”宝具”だ。宝具が認めた主──バゼットにしかこれは使えない。だからこそ、あり得ない。キリトに向かって、これを行使してなどいないのだ。

 

「ふっふっふ──」

 

 全員が困惑する中ひとり場違いにほくそ笑んでいたのは、他でもない青子だった。蒼崎青子……斬り抉る軍神の剣(フラガラック)……。

 

「……まさか、あなた──」

「そう、そのまさかよ! 私が未来にぶっ飛ばしたあなたの斬り抉る軍神の剣(フラガラック)。死にかけの私に当たるんじゃないか〜、なんて言ったけど……そんなことなかったわね。だってこの斬り抉る軍神の剣(フラガラック)は私に向かって撃たれたものじゃない、未来のキリト(あいつ)に向かって撃たれたものだったんだから!」

 

 それを聞いて、バゼットは合点がいったことがあった。青子に向かって斬り抉る軍神の剣(フラガラック)を発動したあの時のことだ。あの時青子はすんでのところで大技を中止し、斬り抉る軍神の剣(フラガラック)を未来にスキップさせた。だがそれ自体おかしかった。本来斬り抉る軍神の剣(フラガラック)が発動してしまえば、因果逆転により技を中止する間もなく相手に命中するはずだ。よく考えればそれ以前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()に対して斬り抉る軍神の剣(フラガラック)が発動できるというのもおかしい話だった。青子の最大の持ち味は魔法であり、あんな魔術程度が切り札なわけがない。

 ……青子の言う通り。あの斬り抉る軍神の剣(フラガラック)は初めから、青子の魔法によって未来に飛ばされることまでもを時系列に織り込み、未来で天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)を放ったキリトをターゲットとしていたのだ。

 

「なん、だ、それは……!」

 

 胴を貫かれたキリトは足元を崩し鉄骨から足を踏み外す。しかしカレイドステッキ由来の空中浮遊の力で墜落することはなく、ふわふわと路面まで降り立つ。その最中も、キリトはうめき続けていた。

 

「隙は、与えなかったはずだ! バゼット・マクレミッツ! 蒼崎青子! なにを……なにをしたんだ!」

「何をしたも何も、斬り抉る軍神の剣(フラガラック)の機能としてはごく正攻法。ただ、あなたが魔法をみくびっていただけの話よ。……わたしもびっくりしたケド」

「くそ……!!」

 

 キリトは血管がはち切れそうな面持ちで、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を開こうとする。しかし想定外の、そして経験したことのない苦痛に精神が揺らぎ、もはや十全に行使することは叶わなかった。

 「終わりだ、キリト・エインズワース」そう言ってやりたいものだが、形勢が逆転したものの皆満身創痍である。疲弊と負傷、圧倒的な力を前にした無力感、そして神の兵器。キリトにもう戦う力は残っていないだろう。だがそれは皆同じだった。啖呵を切ってやるような気力さえ──青子を除き──今は貴重品だ。

 そう、青子は……ずっと、彼から目線を離さずにいる。指先一つ動かしただけでもすぐに殺せる準備がある。キリトに、彼女に立ち向かう気勢はなかった。この傷ではまともに魔術も行使できない。仮にできたとして、置換魔術とステッキの力だけでは青子を打倒することは難しい、彼はそう考えた。彼女の魔法の底知れぬ一面によって付けられたこの傷がそうさせるのだ。

 キリトは最後の力を振り絞り、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)から黒い帽子を取り出す。ハデスの隠れ兜である。神の道具であるこれを被ったが最後、消えたキリトの姿をもう追跡することはできなくなる。だが、誰もそれを止めなかった。

 

「ゼルレッチ、いいの? ここで逃したら……」

「放っておけ、蒼崎。少なくとも打倒し得ることはわかった。カードの被害もない。今は上里の救護が先決だ」

 

 ゼルレッチの言葉を聞き入れ、青子はとうとうキリトから目を背け上里のそばに寄り添う。

 キリトの目……宝石のように赤い目が、上条を見つめていた。右手を握りしめ、キリトを真っ直ぐ見つめる上条。腕を伸ばせば拳が届いてしまいそうなほど、彼を近くに感じていた。上条(と一方通行(アクセラレータ))がこの世界に飛ばされたそもそもの原因。ようやっと、辿り着いた。

 

「……ハハ……そうだ、上条当麻。その目だ。その目を見て、俺は決めたんだ」

「決めた……? 何をだ!」

「言ったところで分かりはしないさ。分かってもらうつもりもない。だが、お前たちを選んだのは偶然ではないとだけ言っておく。なぜ禁書目録(インデックス)ではないのか、なぜ超電磁砲(レールガン)ではないのか……お前の中の”竜”が、一番知っているはずだ」

「”竜”、だと……!? おい、待てっ!!」

 

 上条はその手をキリトへ伸ばす。しかし届きそうに思えた拳は結局物理的に届くわけもなく、その手はただ虚空を揉み、帽子を被り消えていくキリトを止めることはできなかった。

 クソ、と上条は拳を握る。聞きたいことは山ほどあった。彼へ問うべきだった言葉がまだ頭の中でぐるぐると回っている。しかしもう聞けない。次にいつ遭遇するかも定かではない。それを気にしていても仕方がないというのは上条もよくわかっていた。今一番の問題は、最も痛手を負った上里のことだった。

 上条も上里のもとへ駆け寄る。最後に見た時よりも大分落ち着いたようで、ゆっくりと息をしている。それでも、額に浮かぶ汗、そして欠けた右腕は変わりなかった。

 

「上里は……!?」

「処置は済ませたが、問題の右手がな。上条当麻、これを使え」

 

 と、ゼルレッチは上条になにかを投げ渡した。ローブの人物が描かれたカード。キャスター──フィーアキャスターのクラスカードだ。

 

「幻想召喚《インヴァイト》で呼び出した修補すべき全ての疵(ペインブレイカー)であればこの傷も癒えるだろう。今こそ使いどきだ」

「……あ、ああ、わかった!」

 

 言われるがまま上条はカードから杖を呼び出し、上里の右腕に向かって念じる。すると上里の右腕断面の傷跡がまるで時間が遡るかのように開いていき、分離した右腕が傷口へ向かっていく。皮膚と筋肉の繊維が結びつき、融合し、やがてその右腕からは繋ぎ目さえ消えて元通りに修復された。上里の意識は朧げなままだが、じき快復に向かうだろう。

 

「これで大丈夫なのか……?」

「肉体的にはな。だが力が残っているかは定かではない。右手に依存する力な上、それが一度完全に分離してしまったからな。それに精神面も心配だが──」

 

 その時、ゼルレッチにとっても想定外の出来事が起きた。夜鳴きすら聞こえなかったはずが、どこからかサイレンのような音が聞こえてきたのだ。しかも大ごとがあった時の、けたたましく音が重なったやつだ。

 

「は……!? そんな、アレ絶対ここだよな!? 人払いしてたんじゃねぇのかよ!」

「無論だ! だが……まさか天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)起動の余波で結界が吹き飛んだのか? 対界宝具ならばあり得るか……」

 

 などとゼルレッチがぶつぶつ呟いている間に周りはパニックだ。緊張から解き放たれて全身が弛緩していたものだから、皆思い思いに動けずにいる。余力を残してそばにいた青子はぐったりした上里を担ぎ上げ、ゼルレッチを急かしている。……いつの間にか、キャスターが召喚した柱の化け物もいなくなっていた。サイレンを聞いて瞬時に引っ込めたか、あるいは人払いの結界が破壊された段階ですぐさまそれを察知し行動に移っていたか……。

 

「上条当麻! 最後に一つだけ──クラスカードを何枚か分けてもらいたい。儂らはもはや敵ではない、ならば共有し有効活用するのが最善だ。使うことの少ないカードなどあるか?」

「えっ? あー……イリヤ、来てくれ! えっと……ズィーベン以前のカードはイリヤたちがよく使うし、ドライツェン以降はまだ考証の余地があるから……ノインキャスター、ツェーンランサー、エルフライダー、とかか?」

「ジル・ド・レェ、ディルムッド・オディナ、イスカンダルか。()()()()()()()()だな。悪いがお前たちの言うツヴォルフセイバーはこちらが持つ、シグマが使い慣れているのでな。代わりにフィーアキャスターはそちらで治療に役立てろ。お前もそれで良いか、イリヤスフィール?」

「あ、はい、大丈夫です……!」

 

 イリヤは太もものホルダーからカードを三枚取り出しゼルレッチに渡す。ゼルレッチはカードの絵柄を確認すると、よし、と呟いてコートの内側に忍ばせた。

 

「では、退散するとしよう。お前たちは一度鏡面界に逃げるといい。儂の力でいくらか融通は利かせられる。場所と頃合いを見計らって、良きところでこちらに戻ってくるのだ」

「あの……大師シュバインオーグ!」

 

 上里勢力でまとまって瞬間移動しようとしていたところを呼び止めたのは、凛だった。彼女は柄にもなく緊張した面持ちで、言葉を詰まらせながらゼルレッチに問いかける。

 

短い方(ゼルレッチ)でよい。どうした?」

「そ、その……あの子供。あれの目的は、何なのでしょうか? それにあいつが上条くんに話していたインデックスや、レールガンとは……なぜ彼が選ばれた、と……?」

「それを語るには時間がない。それに儂にも不確定要素(はっきりせんところ)がある。彼奴の戯言(ハッタリ)と思って気にするな。いつも通り鍛錬を積み、学業に励み、しかし備えよ。儂は……”不確定要素”を、確かめに行く」

 

 と、意味深な助言を残し、ゼルレッチたちはパッと姿を消してしまった。キリトのそれと似ているが、こちらは完全な瞬間移動だった。

 そうしている間にも、サイレンの音は大きくなっていく。心なしか町の方もざわついてきた。異物に群がる野次馬を侮ってはならない、ここもすぐに彼らに囲まれる。ただでさえアサシンの連続殺人事件があったのだ、これ以上神秘の秘匿を崩すわけにはいかない。

 

「みんな、集まって! 全員で転移するよ! ルビー、お願い!」

「はい! できるだけポータルを広げますよ〜……!」

 

 一人と一本が頑張っている傍らで、上条はどうしても考えを巡らせてしまう。ゼルレッチにはああ言われたが、だからといってこのもやもやを無視しろと言うのも難しい話だ。

 何よりあの少年、キリトは……禁書目録(インデックス)や御坂美琴、そしてそれらだけならまだしも上条に眠る”竜”の力のことさえ知っていた。恐ろしい、というのが彼の率直な感想だ。全てが見透かされているようで不安なのだ。いや……逆に、彼はどこまで見透かしているのだろう。上条のことだけではない、一方通行(アクセラレータ)や彼らの世界のこと、この世界のこと、イリヤたちのこと、そして……。そこまでするキリトの目的とは何なのか。世界の間を渡って、力を見せつけて、”何”が彼をそうまでさせるのだろう。

 ……時間は有限だ。こじれた思考は目の前に広がる眩い光とその歪みによって途切れ、考えても無駄だ、と言わんばかりに上条の肉体を鏡面界へ落としたのだった。

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