――1979年。
アメリカは西海岸にある交易都市・サウスタウン。
その地で史上初となる格闘技イベント『キング・オブ・ファイターズ』が開催された。
厳正なルールに守られた一般的な格闘大会とは、事情が異なる。
街の片隅で行われている喧嘩の延長上にある、真のストリートファイター決定戦。
異色のレギュレーションを伴う本大会は、各地で注目を集め、大成功の内に幕を下ろした。
この福音が、サウスタウンにもたらした変化は大きい。
一つには、都市自体の知名度の向上と、イメージの改善である。
元々は一事業家の趣味として始まったKOFは、やがて、いくつものスポンサーを得て例年化し、サウスタウンの観光・経済振興に大きく寄与する所となる。
そしてKOFの開催は、街に住まうゴロツキたちの争いに、一つの健全な指向性をもたらした。
腕っぷしが強いと言う事が、それだけで尊敬の対象となる街、サウスタウン。
『暴力が支配する危険な街』から『明日のアメリカン・ドリームを夢見る餓狼たちの街』へ。
サウスタウンは、鮮やかに衣を脱ぎ捨てたのだ。
今一つの変化は、KOFの主催者、ギース・ハワードの台頭であった。
KOFの成功を契機に、ギースは旧来の母体であった犯罪組織を刷新。
巨大複合企業『ハワード・コネクション』の総帥に就任し、公に辣腕を振るう所となった。
表に裏に、絶大な富と権力を得たギース・ハワードは、半ば独立勢力として、サウスタウンの支配体制を確立する。
強大なる支配者の庇護の許、サウスタウンは、栄光と発展の時代を迎えるのであった。
けれど、それらの成功は全て、副次的な成果物に過ぎない。
当時、若き頭領であったギースがKOFの開催を目論んだ裏には、もっと別の目的があったと言われている。
遡る事1978年。
サウスタウンの管轄化にあるサイクロプス刑務所、およびダウンタウンを中心として、後にブラック・サバスと呼ばれる暴動が巻き起こった。
この暴動の裏には、街を支配する犯罪組織の煽動があったと言われる。
いや、元を正せば、全ては組織内の有力幹部、Mr.BIGとギース・ハワードの対立に端を発する事件であった、とまで記す見解すらある。
ともあれ、結果、暴動に失敗したBIGは街を去り、組織はギースの掌に帰す所となった。
暴動の最中、闘いの渦中に曝された者の中に、極限流空手総帥、タクマ・サカザキと、その門下で龍虎と謳われた、リョウ・サカザキ、ロバート・ガルシアの名前があった。
老獪なるBIGは極限流を恐れ、その力を手駒として利用しようと目論んだが。
若きギースは極限流に惹かれ、その力を己が血肉に取り込まんと画策した。
キング・オブ・ファイターズとは、極限流の全てを日の下に曝さんがための罠だったのである。
取り分けギースが執心したのは、極限流空手における門外不出の秘奥……。
俗に言う『龍虎乱舞』の存在であった。
・
・
・
「デッドリイィイィィ レェエイィイィィィブ!!」
ギース・ハワードの叫びが、サウスタウンの仮初の夜空を震わせた。
ざわり、と現実の大観衆にも戦慄が走り抜ける。
ギースの叫びの意味を理解できた者たちは、その蛮勇に恐怖した。
接近戦のプロフェッショナル相手に、よりによって『それ』を仕掛ける勇ましさに震えた。
叫びの意味を理解できなかった者も、しかし、同様に震えた。
ギース・ハワードの全身が、燃え上がるように真紅に染まる。
外気功ではない。
機体の内部に残る、全てのプラフスキー粒子を燃焼させているのだ。
仕掛けるつもりだ。
短期決戦。
カミキバーニングに対して最後の攻防を。
「――っ」
その気配を最も鋭敏に感じ取ったのが、真っ向相対したセカイである。
本能的に殺気を通じ、動きを転じる。
対ディナイアルガンダム戦において見せた、流水の入り。
殺意がすり抜け、流れ、必殺の間合いが儚くも遠のき――
否!!
瞬間、詰められた。
始めから逃げる先を読み切っていたかのような超反応で!
文字通り、目にも留まらぬほどの速度で、ギース・ハワードが上を取った。
「オオォオォォ」
右拳!
赤く染まった拳が、ガードの上からバーニングをぶっ叩く。
強引に床板に叩き付け、更に肩甲骨に仕込んだバーニアを蒸かして一直線に迫る。
即座にバーニングも理解して、流れを変える。
柔から剛へ。
剛 対 剛へ。
「螺旋ッ!」
拳! 対 拳!
「紅蓮――! 疾風――! 裂帛――! 聖槍――! 閃光――!」
「ハアァアァァァ――」
拳
拳拳
拳脚拳
肘膝
脚拳脚拳投避拳拳拳崩極脱気気炎風風風風跳脚拳拳拳拳肘拳脚拳拳掌刀拳拳拳――
ギースタワーが震えていた。
高速回転する機影が、恐るべき速度でカチ合っていた。
叩き、崩し、捌き、逃れ、撃ち、返し、凌ぎ、迫り、殴り、蹴り――
一打ごとに閃光が走り、朧な人形が浮かんでは消え、ビリビリと大気を震わせる。
刹那の世界の中で、受け、浴びせ、喰らいながら、一切の動きを止める事なく、両者が必殺の瞬間を狙っていた。
「バ、バーサーカーシステムッ!?
シゲルはんの切り札っちゅうのは、これやったんか!!」
細い眼をカッ、と押し開き、ヤサカ・マオが叫んだ。
バーサーカーシステム。
機動武闘伝Gガンダムにおいて、ネオスウェーデン代表のノーベルガンダムに実装され、相対したボルトガンダムをわずか48秒で葬り去った禁断のシステムである。
成程。
外部操作による機体の真価の解放。
TRANS_AMやEXAMシステム、F91のリミッター解除など、何らかの負荷と引き換えに、瞬間的に爆発力を得られるシステムは幾つも存在する。
だが、その中でも特に、MFを参考に作られたギース・ハワードに最も馴染むのは、このバーサーカーシステムと言う事になろう。
けれど、それでも、と思わずにはいられない。
「……けど、なんでや?
シゲルはんはどうやって、バーサーカーモードのギース様を、あない正確に動かしとるんや?
あの高速戦闘の中、しかも、アシムレイトの痛みに耐えながら」
ポツリと疑問がこぼれる。
これまで、幾人ものビルダーが、バーサーカーモードの制御に挑戦し、そして断念してきた。
理由は明白である。
バーサーカーシステムとは、外部操作によって、意図的に操縦者を
ガンプラバトルで再現した場合、当然、機体は制御不能となり、システムをカットしない限り、エネルギーが尽きるまで暴れ続ける狂戦士と化す。
だがどうであろうか?
眼下のギースの姿は、操縦者の明確な意志の下に制御されているよう、マオの目には映った。
高速で迫るバーニングの連携を、恐ろしく正確に捌き、打ち返している。
ガンプラバトルの根底を覆す矛盾が繰り広げられている。
「……デッドリーレイブが、龍虎乱舞を模倣して編み出された必殺技や、ちゅう説がある事。
知っとったか、マオよ?」
「え……?」
問答のような珍庵の言葉に、思わずマオが怪訝な表情を浮かべる。
「いや、初耳です……、けど。
それが今の状況と、どう関係する言うんです?」
「龍虎乱舞っちゅうのはのう、肉体の極限状態において、体内の気力の全てを爆発させる奥義や。
痛覚も恐怖も吹き飛ばして、ただ闘争本能のままに磨いた技を振るい続ける、魂の連撃や」
「魂の、連撃――!」
はっ、と両肩を震わし、マオが再び舞台を見据える。
「そうか……!
アシムレイトによる極現状態の共有と、バーサーカーモード発動による、闘争本能の解放。
シゲルはんはバトル中の事象を駆使して、デッドリーレイブの発動条件を満たしよったんか。
ガンプラバトルの中で、デッドリーレイブを擬似的に再現しとるんか」
「そして今は、その逆。
アシムレイトによって、今のシゲは、闘神と化したギース・ハワードとシンクロしとる。
おそらくは痛みも、恐怖も、思考の揺らぎすらも無い。
今のあいつの指先は、ただ経験と反射のままに動いとる筈や」
そう断言して、ふう、と珍庵が嘆息をもらした。
「口惜しいのう。
アレは確かに、普通のガンプラバトルでは出来ない事。
ギース・ハワードと言うキャラクターと、彼を心の底から信頼できるプレイヤーが居て……。
それで初めて、ようやく引き出せる潜在能力や」
「師匠……」
ポツリ、とマオが呟く。
ギース・ハワードの、全ての粒子が燃え尽きるまで、あと一分か、三十秒か?
闘いの終わりが、近付いていた。
・
・
・
(勝てる――!)
確信が溢れた。
全身が炎のように熱かった。
マグマのようなギース・ハワードの血液が、体内に流れ込んで来ているのだ。
恐ろしく心が弾んだ。
耳元で、おぞましくも唸るような音が響いていた。
それが自分の息吹であるとは、暫く気付けなかった。
真正面から、唸りを上げるセカイの拳が迫る。
片手でいなし、潜り込む。
現実であれば絶対に出来ない事だ。
ギース・ハワードの肉体を、完全にコントロールしているからこそ出来る事。
デッドリーレイブ。
格闘ゲーム史における初めての、コマンド入力型の乱舞である。
極限流空手はその究極を、闘争本能の解放に依る肉体の神秘に委ねた。
ギース・ハワードは先人の武に一定の敬意を払いつつも、あくまで自らの意志で本能を制御する術を求めた。
デッドリーレイブは、支配者の拳である。
ギース・ハワードが、ギース・ハワードであるが故の必殺技である。
どくり。
心臓が唸る。
分かっている。
こんな最上は、いつまでも続かない。
一打放つごとに、少しずつ狂っていく。
一打受けるごとに、少しずつ乱れていく。
いずれ、線は切れる。
帝王ギース・ハワードを、いつまでも演じきれる筈が無い。
けれど、それはむこうも同じ事だ。
この最上を、いつまでも保てる筈が無い。
だからこそ、先に打たせた。
アシムレイトの極限、確実にセカイの線が、先に切れる。
「オオオォオォォ――ッ!!」
昇天明王打ち。
雷光回し蹴り。
強かに相手の顎を、その胸板を叩いた。
ガツン! と、確かな手ごたえを感じた。
バーニングがよろめく。
そのツインアイから、燃えるような輝きが消えかかっている。
(届いた――!)
確信が、電撃のように疾る。
振り被る、双の掌打。
これで、終わる。
叩き込む、デッドエンド――
どくり。
(――!)
また一つ、心臓が大きく唸った。
瞬間、魂が飛び出してしまった。
気がついた時には、シゲルは大きな傷痕の残るギースの背中を、背後から見ていた。
(バカな!?)
動揺する。
プラフスキー粒子は、まだ残っている。
機体も未だ、十分に動く。
なのに解けて行く。
アシムレイトが、共有する感覚が、バラバラと崩れて行く。
じっとりと濡れた指先が強張る。
焦れば焦るほど、動かし方が分からなくなって行く。
「グッ!?」
不意にずしりと、疲労が死体のようにのしかかって来た。
割れんばかりの観客の悲鳴が、耳元でガンガンと反響する。
スポットライトの白が突き刺さる。
赤一色だった世界が、鮮明な色を取り戻していく。
戻されてしまった。
ミナミマチ・シゲルに、現実に。
「……ミキ、ガン……ラ、りゅ、う……」
対面より呟きが漏れる。
まずい。
バーニングの双眸が、再び輝きを取り戻し始めている。
突っ込んで来る。
だが、まだだ。
こちらの方が、まだ早い。
迎撃する。
双の掌に蓄えていた闘気を、今、高らかと天に――
「レイジィィン――」
『――ガンプラの事が好きじゃなきゃ、作れない機体ですよ!』
どくり!
また一つ、心臓が高鳴った。
瞬間、分かってしまった。
この半年ばかりの、大阪での、そして大陸での修業の日々。
確かに楽しかった。
歪なる改造を施したガンプラが、GPベース上でリョウとなりギースとなる。
そうした機体を、好敵手たちと競い合って技を磨く。
歓びがあり、感動があった。
けれど、それは決して、歪な楽しみ方ではない。
自らの心のままに、思い思いに機体に手を加える。
それは始めから想定されている、まっとうなガンプラの愉しみ方なのだ。
カミキ・セカイの戦いには、何一つ嘘が無い。
次元覇王流も、ガンプラも、格闘ゲームも……。
目の前の少年は、なんのてらいもなく、全てを真っ直ぐに受け入れ、楽しんでいる。
自分はたった一つだけ、ギース・ハワードに嘘を吐いた。
その差。
(けれど――)
それでも、と思う。
この掲げた両掌が、地面を叩きさえすれば、それで終わる。
間に合え!
届け!
届いて、欲しい!
どうか!
どうか、神様――
「……バスタアァアァァ――、餓狼けえぇえエェぇぇ―――んッ!!」
「ウオオオオオォ――――ッッ」
ブッピガン!!
凄い音が鳴った。
思わず身が竦んだ。
だが、打ち抜かれた胸の痛みは、無い。
アシムレイトは、すでに解除されてしまっている。
だからどうしようも無い。
完全に断たれてしまった。
ギース・ハワードとのつながりを。
上を向いた視界に、不意に、流れゆく流星が見えた。
サウスタウンの風が、全身を吹き抜ける。
ワケも分からぬまま、それでも、もがく。
何も出来ないが、もはやギースでは無いが、それでも何もせずにはいられない。
「ギイィ―――スゥゥ―――ッッ」
不意に脳裏に、テリー・ボガードの声が聞こえた。
無我夢中で、必死に声の方に手を伸ばした。
――ガシリ、と。
「……ッ」
「……!」
握り締められた右手首から体温が溢れ、不意に全身に重力が戻って来た。
思わず驚き、はっ、と顔を上げた。
見上げた視線の先に、カミキ・バーニングがいた。
バーニングの中で、カミキ・セカイもまた、はっ、と瞳を丸くしている事に気付いた。
ああ、そうか。
辿り着いてしまったのか、ここに。
とくん、と心臓が高鳴る。
ようやく還って来た。
この土壇場で。
ギース・ハワードを、取り戻せた……!
「Good bye!!」
短く挨拶を交わし、右手を振り払う。
再び落下が始まる。
「ハーッハッハッハッハッハ……」
耳元で、ギース・ハワードの笑い声が聞こえた。
加速して行く。
カミキ・セカイが、カミキバーニングが、ギース・タワーが瞬く間に遠くなる。
それでも笑い声は聞こえていた。
サウスタウンの夜風に乗って。
ギースの声が。
どこまでも。
どこまでも。
どこまでも。
まだ、風は吹いていた。
サウスタウンの風が、どこまでも――
・
・
・
『 ――Battle End 』
静寂に満ちた大阪城ホールで、ただ機械のアナウンスだけが、淡々と仕事をこなしていた。
フィールドが解ける。
テーブルの上に、勝者は、一人。
カミキバーニングガンダム。
右手を差し伸べた形のまま、役目を終えたガンプラが、舞台の袖を見下ろしていた。
それでも、動き出せる者はいなかった。
まだ、風は吹いていた。
人々の心の中に。
サウスタウンの風が、吹いていた。
風に乗り、鎮魂歌が響いていた。
居合わせた満員の観衆の中に――
「ぱあぁぁぁ~~~ぱぁぁ~~~~~~~~♪
ぱーぱーぱーぱぁ~ぱぱぁぁ~~~~~~~~~~ん♪
たたたたたたたたーん たぁ~ん た~ たんたたっ た~ん……」
……いや。
心の中に、ではない。
本当に歌っている奴がいた。
ミナミマチ・シゲルであった。
リアルバウト餓狼伝説のエンドロールを、全力で口ずさんでいるバカがいた。
「……たんたたっ い~まぁ~すべぇ~t」
「――って! シゲさん、それはアカン!?
歌うたらアカン、アカンて!? シゲさんッッ!?」
「イカン! 警備員の皆さんッ!!」
通常の三倍の速さで我に返ったメイジンが、たちまち三倍の速さで指示を出す。
ティターンズめいた格好の警備員たちが通常の三倍の速さで駆け付け、通常の三倍の速さでシゲルを確保する。
所詮か弱きゲーマーの哀しさ。
為す術も無く取り押さえられ、羽交い絞めにされながら、それでもシゲルは、喉が張り裂けんばかりに歌った。
ぽつら、ぽつら、と、会場のそこかしこで合唱が始まっていた。
悲しみがあった。
皆が一つだった。
シゲルが会場から撤去されても、それでも大阪城ホールには、あの日の鎮魂歌が響いていた。
まだ、風は吹いていた。
心が帰依していた。
誰の心の中にも、あの日のサウスタウンの風が吹いていた。
「……え、ええっと、なに、この空気?」
「わ、分かりません、分かりません……、けど……」
呆然と、悲しみに取り残されたフミナたちが呟く。
ワケが分からなかった。
分からないが、とにかくどうしようも無い悲しみの只中に居た。
「そう、こうしてサウスタウンの物語は、一つの節目を迎えるの。
餓狼の伝説は、血を巡り、そうして彼の遺児……、ロック・ハワードの物語、へ……」
「……って、シ、シアちゃん!?
なんでアナタ、泣いてるのッ!?」
「だって! ギース様が死んだのよッ!?」
「あ、様付けなんだ……」
「滅茶苦茶ハマっているじゃないか……」
少女の口から、哀しみの嗚咽がこぼれていた。
会場に集まった誰もが、今日、ギース・ハワードを失った。
この悲しみこそが、彼が確かにここに居た事の証明であった。
まだ、風が吹いていた。
サウスタウンの風が――。
・
・
・
その後、無茶苦茶説教された。
日が沈む。
暮れなずむ大阪の河川敷を、サカイくんと二人、とぼとぼと歩いていた。
「……シゲさん、歌ったらアカンよ」
「スマン」
返す言葉も無い。
今大会に賭けた運営の善意を、思い切り仇で返してしまった。
一人の大人として、申し訳なさで一杯である。
その後、表彰式は退場した俺に代わり、控え選手のサカイくんが受ける手筈となっていたのだが、舞台上で新作、すーぱーふみなDXを披露しようとした結果、目出たく揃って退場の運びとなったらしい。
今頃会場では、準優勝者不在の式典が始まっている事であろう。
色々と自重しろと説教の一つもしてやりたかったが、今の自分にはその資格も無い。
「とにかく、これでシゲさんの挑戦も、一段落ついたっちゅうトコかいな?」
「ああ」
「うん、なんや?
妙にスッキリした顔しとるやないか?」
サカイくんの言葉に、小さく頷く。
確かに奇妙な話ではあるが、自分の中でも、一つの区切りを付ける敗北であったと思う。
今日、カミキくんとの戦いを通じ、自分の中で鮮やかにギース・ハワードが蘇り、そして淡く消えて行った。
この寂しさこそが、彼が想像の世界を超えて、この世に実在した事の証明である。
珍庵師匠の言った通り、NEO-GEOの電源を入れれば、何度だって彼には会える。
機体だって簡単に直せる、望めばいくらだって遊べるのだ。
ああ、KOFの新作が、今から待ち遠しいではないか。
「……それに」
「うん、なんや?」
「その、ガンプラバトルってのは、中々、面白いもんだ……よな?」
「……は?」
今さらな俺の言葉に、サカイくんはしばし、ぽかんと呆れたような顔をしていたが、その内に、ぷーっと吹き出して言った。
「おいおいおいおい! なんや、おっさん、今更になって……。
ガンプラが楽しい?
そないな事、そこいらのジャリガキかてよう知っとるわ」
「な、なんだよ……。
いいじゃないかよ、別に……」
「ああ、そうやな!
だったら今度は、普通のガンプラの作り方でも教えたろか?
シゲさん、好きなシリーズとかは無いんか?」
「ああ、俺は――」
と、言いかけた口が、ふっ、と止まった。
サカイ先輩の提案は、確かに今の俺にとって魅力的な話ではある。
だが、次の遊びに移る前に、俺の中で、半年の旅路の清算が終わっていない事に気が付いた。
「その前にサカイくん。
今回の旅で、香港で世話になった友人のために、どうしても作りたいガンプラが一つあるんだ。
悪いけどもう少しだけ、力を貸しちゃあくれないか?」
「うん? そりゃあ別に構わへんけどな……。
けど、今のシゲさんの腕なら、だいたいのガンプラは一人で作れるんちゃうの?」
「……いや。
あの、すーぱーふみなDXを作り上げた天才ビルダー。
サカイ先輩の協力が、どうしても俺には必要だ」
「へ、へへ。
まあ、そないに頼まれたら、悪い気はせえへんな。
よっしゃ! 道場に戻ったら、さっそく打ち合わせと行こうか」
「ああ、宜しく頼む!」
にっ、と互いに笑顔を交わし、歩調を早める。
ああ、共通の趣味を通じた友との交流、これもまたガンプラと言うやつであろう。
遥か香港の地にいるヤマダくん。
次に出会うその時を、どうか心待ちにしていて欲しい。
――と。
「…………」
思わず息を呑んだ。
軽やかになりかけていた足取りが、不意に重くなった。
傍らのサカイくんも、どうやら状況に気が付いたようだ。
夕焼けで赤く染まった、河川敷の向う側。
立橋の端から、一人の男が、こちらに向かって歩いて来る。
使い込まれた、洗い晒しの白の道着。
その肩に負った、小さなサンドバッグのような荷物袋。
破れた袖から、はちきれんばかりの逞しい筋肉が覗く。
きりっ、と巻いた赤の鉢巻きに黒髪。
瞳にはひとかどの武道家らしい凛々しさが宿る。
すっ、と、自然、背筋に力が入る。
歩き方が若き日のギースのそれへと変わる。
橋の向こうから、ゆっくりと男がやってくる。
こちらも無言で、憚ることなく歩みを進める。
橋の中央、1メートルの距離を挟んで、示し合わせたかのように互いの足が止まった。
しばし、無言。
道着姿の男と、無言で向かい合う。
「……自分より強い奴に会うために、こんな所にまで現れたか」
「お前の作りだした悪夢、堪能させてもらったよ」
す、と道着の男が右手をかざした。
自然、吸い寄せられるかのように、こちらの右手も上がった。
「今度は、俺の挑戦も見てもらおうか?」
「――フッ ならば、確かみさせてもらうとしよう」
パン――、と。
橋の中央で、高らかと右手が重なった。
それが別れの合図であった。
道着の男が通り過ぎて行く。
こちらも敢えて、振り返りはしなかった。
「……狼は眠らない、か」
「シゲさん……?」
「なんでもない、さ。
いくぞビリー、戦いはまだ、始まったばかりだ!」
とくん、と心臓が高鳴る。
知らず、再び足取りが速くなる。
ギース・ハワードの死は、サウスタウンの新たな物語の始まりだ。
第14回、ガンプラバトル選手権。
狼たちの物語は、これからも何処までだって続いて行くのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
橋の向こうから、道着の男の咆哮が響いてきた。
道着の男。
洗い晒しの白のズボンに赤い鉢巻き。
上は何故かへそ出しの赤胴。
そして背中に巨大なブーメランを背負った、白の道着の男が、最強の獅子に挑むように、高らかと咆哮を上げていた。
時代が風雲急を告げようとしていた。
狼は眠らない。
そして、新たな闘いのステージへ――!
その後――
第14回ガンプラバトル選手権、
香港地区予選は、さながら地獄の様相を呈していた。
カムイコタンでの長き眠りより覚めた純白の乙女が、突如、悪鬼羅刹と化して会場を襲った。
十四連斬、怒り爆発、一閃、断末奥義――
噴き出す返り血に怯む事無く、少女は一人、修羅となり、
目の前に立ちはだかる敵全てを、斬って、斬って、斬って、斬って――
斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って
斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って
斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って
斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って
斬って斬って斬って斬って 斬って斬って斬って斬って 斬り捲くった――
時ならざる大自然のお仕置きに。
忘れていた自然の痛みに。
力無き人の子は怯え、震え、ただ災厄が過ぎるのを、じっ、と息を潜めて見送る他に無かった。
会場を訪れていたミナミマチ・シゲル選手は、この惨劇を前に一言、
「天ナコはまずいよ……」
とのみ、こぼしたと言う……。