大本営第二特務課の日常   作:zero-45

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前回までのあらすじ

 とある医療研究者の残した日記の中身、そしてそれがもたらす今は。


 それでは何かご意見ご要望があればお気軽にどうぞ。


吉野三郎とただの時雨

「検査の結果を一言で言えば最悪、という状態なのです」

 

 

 大本営医療施設群、通称"医局"地下4F、同施設群総責任者の電が数日掛けて検査・検証を重ねた現在の時雨の状況を総括して述べた。

 

 電の前では吉野と時雨が座り事の次第を聞いていた、時系列で言えば第二特務課が南洋から帰還して八日目の午後であった。

 

 

「最悪……と言うと?」

 

「色々これから説明はしますが、先ず時雨ちゃんには時間が無いという事は覚えておいてほしいのです、そして説明の後、三郎ちゃんと時雨ちゃんには其々選択する事柄がありますが、それは持ち帰って検討する程の猶予は無い物と思って欲しいのです」

 

 

 机に据えられた大型のモニターの前で滅多に見せない眼鏡姿の電は手にした紙の束を整え直し、淡々と好ましくない前置きを口にする。

 

 

「色々言いたい事はあるけど、先ず現況の説明とどうしたらいいのかって話を聞かないとなんとも言えないねぇ……」

 

「僕も提督と同じ意見かな、先に脅しを入れられるより今僕がどうなっているのかを先に聞かせて貰わないとどう反応していいのか判らないよ」

 

「それもそうなのですが、話を聞いた後ちゃんとした判断を下せるか疑問な物が多いので先に言うべき事を言ったのです、特に、三郎ちゃんにはですが」

 

「自分が?」

 

 

 コクリと一度首を縦に振り、電はモニターの電源を入れつつ紙束の一番上の物に視線を落とす。

 

 モニターに映るのは、簡易的な人の形をしたイラストと、色々謎な図がそれに重ね合わせられた物、文字がそれに書き込まれていないのは後からそれが加えられるのか、それとも電が全て口頭で説明する物なのか。

 

 そして胸ポケットに挟んであった伸縮可能なボールペンを延ばしてモニターの人型を刺しつつ、電は諸々の説明を始めるのであった。

 

 

「先ず艦娘というのは艤装と生体セットで成り立っているのは二人共知っている事だと思います、艤装には水上活動に必要な機関と武装、そして船から分霊されたコアが、生体部分は思考や行動を主導する役目を担っています」

 

 

 ボールペンの先が人型の絵全体をなぞる。

 

 

「しかし現在時雨ちゃんの体は艤装が喪失しているにも関わらず生体機能が維持された状態になっており、本来艤装に内包されている筈の"駆逐艦時雨"の分霊が生体内……つまり生身の体の中に存在した状態になっています」

 

「僕の体に?」

 

「はい、本来分霊は"付喪神(つくもがみ)"と呼ばれ、物質を元にした存在である為に生体と接触させると生身の精神や性格を大きく変質させ、最悪無機質な何かに変貌させる危険がある為生身の体とは別にパッケージングされています」

 

「え……でも僕は今の処特におかしな事になってないと思うんだけど」

 

「ですね、驚いた事に時雨ちゃんは分霊を取り込みつつも個としての部分は侵蝕されずに自我を保っている状態なのです、この辺りは経過観察で様子を見ないといけませんが、その前にもっと緊急を要する物が体内に存在しています」

 

 

 モニターに映される人型に重ねられている二つの丸、それを交互にペン先でなぞりつつ、電は眼鏡のフレームを調整する為に鼻の位置に手を添えて厳しい表情を表に出す。

 

 恐らく丸で示されているのは分霊と呼ばれる物だろうと言うのはなんとなく理解できる、しかしその数は一つでは無く二つ描かれている。

 

 

「今時雨ちゃんの中には"駆逐艦時雨"の分霊と、もう一つ別の分霊が存在します」

 

「もう一つ?」

 

「はい、このコアと呼ばれる物はある測定機器を使えば一定の波長を捉える事が出来、その波長は分霊の種類を特定する事が出来るのです、それによってこの時雨ちゃんの中にあるもう一つのコアの特定をした処……」

 

 

 モニターにワイプされた画像が浮かび出す。

 

 それは鮮明な画像では無い物の艦娘でも、ましてや人間の物とは違う存在、それは人型をした深海棲艦の画像であった。

 

 

「個体名称駆逐棲姫、会敵回数は極めて少ないですが、南方インド洋で確認された姫級の個体なのです」

 

「まさか時雨君の中にあるもう一つの分霊って……」

 

「比較対象するデータが少ないので確実とは言えませんが、波長のパターンから86%の確率で同質の物という結果が出ているのです」

 

 

 モニターにワイプされた固体は下半身が双胴型艦船を模した物に人型を乗せた形の姿をしており、やや荒い画像からは微かにだが時雨に似た面影が残る顔が確認出来る。

 

 髪色も肌も白ではあるが、水上を駆けるその様は時雨に謎の既視感を持たせていた。

 

 

「長門さんからの報告書を元に色々検査時に試した事がありましたが、あの時の事を時雨ちゃんは覚えていますか?」

 

「うん、一定以上の興奮を覚えた時とか、戦う姿勢になった時、髪とか肌が変色した事を言ってるんだよね」

 

「です、現状時雨ちゃんの体内では元々のコアが生態の生命維持に、そして戦闘面では駆逐棲姫のコアが強く影響を及ぼしているという形になっていると思われます」

 

「て事は、其々のコアは互いに別の役割を担っていて、且つ時雨君の体内に同居している状態だと?」

 

「そこが問題なのですが……」

 

 

 モニターにワイプされた画像が縮小され、再び人型の絵が映し出されるが、今度はそこにあった二つの丸が消え、変わりに体の中心線に一本線が引かれ、左右は赤と白に塗り分けられていた。

 

 

「時雨ちゃんの体は変異する度に細胞置換が行われ、艦娘と深海棲艦としての変異をしている状態ですが、現在平時での細胞比率は僅かながら艦娘の細胞の方が多い状態になっています」

 

 

 ペン先が中心線をなぞる様にに上下し、それが赤色に塗られた部分で停止する。

 

 

「しかしここ一週間定期的に検査を実施した結果、その細胞比率が徐々にですが深海棲艦寄りの物が増えている状況になっています、そして戦闘時に変異をするとその比率は加速度的に深海棲艦の物へと変わっていっている状況なのです」

 

「え、それって……」

 

「戦闘行為を行えばあと数回で、そうでなくとも放置すれば何れ時雨ちゃんの体細胞は深海棲艦の物と置き換わるのではという事が予想されます」

 

「えっと、もしそうなった場合、僕はどうなっちゃうのかな?」

 

朔夜(防空棲姫)ちゃんや(空母棲鬼)ちゃんの例もありますから断言は出来ませんが、長門さんが出した報告書を鑑みると人とは好意的な関係を築く様な存在になる確率は低いのではと予想するのです」

 

 

 時雨は自分が海から再び還った時の状況を思い出していた。

 

 敵と認識する物を潰すという事に心を染め上げたあの時、長門の事は認識出来ても強く味方とは認識出来なかったあの時、そして吉野という存在がスッポリと心から抜け落ちていたあの時。

 

 その時の事を思い出し、思わず身震いがして体を抱き締める、アレは自分であって自分じゃない何か、そう形容するしか出来ないおぞましい存在。

 

 

「ぼ……僕、全部忘れちゃうのかな、あの時みたいに暴れるだけの、提督の事も皆の事もどうでもいいって思う深海棲艦になっちゃうのかな……」

 

 

 搾り出した言葉は弱々しく、死を告げられた病人の様に視線は床を彷徨いながらゆらゆらと揺れていた。

 

 

「電ちゃん、説明は大事だけど答えがあるなら先にそれを言って貰っても構わないだろうか、余りウチの秘書艦を苛めないで欲しい」

 

 

 少しだけ怒気を孕んだ言葉が口から漏れ出る。

 

 吉野は電の事を個人的にどんな人物かを充分理解していた、そしてその上で不可避な理不尽をこの様な形で告げる性格では無いという事も知っている。

 

 そこから導き出される答えは何かこの状況を打破する手段が存在するという事、これは間違いないだろうとは読んでいた。

 

 なら何故こんな脅しにも取れる様な事を口にするのか、その心理が読めずに吉野の心は少なからずいらつきを覚えている。

 

 

「……こうでもして追い込まないと、多分三郎ちゃんは踏ん切りが付かないからと、思ったからなのです」

 

 

 苦い顔をしつつ、電は机の引き出しから二冊の古ぼけた大学ノートを取り出した。

 

 それには研究記録と書かれた物と、備忘録と書かれた物、共にタイトルの他には達筆な文字で"一之瀬桔梗(いちのせ ききょう)"という名前が記されているのみ。

 

 それを見た吉野の顔が険しい物に変貌する、まるでそれが何かの仇であるかの様な程に雰囲気が固くなる。

 

 

「それ……は」

 

「お母さんの研究ノートと日記なのです、日記の方は以前三郎ちゃんも目を通した事がありましたよね?」

 

 

 無言でそれから目を背ける、そこに綴られているのはほんの数ページに渡る日々の記録、自分が知る唯一の身内の内情。

 

 それは簡素な物だったが、込められた日々の葛藤や苦しみが、自分に向けられたであろう絶望が詰まった呪いの書。

 

 

「今更何でそれを……って、まさか」

 

「はい、三郎ちゃんも知っている通り電はお母さんの遺志を継いで医療研究者になりました、そしてこのノートの中にある情報と、電が研究してきた物で時雨ちゃんの細胞変異の進行を止められる可能性があります、但し」

 

「……但し?」

 

「その結果、時雨ちゃんは艦娘でも深海棲艦でも、人でも無い"何か"になる、今の三郎ちゃんと同じになる可能性がありますね、それに付随して軍部や外の研究機関から目を付けられる恐れがあります、正直これが一番怖いと電は思います」

 

 

 人としての弱さを含み、艦娘の不完全さを持ち、深海棲艦の呪いを背負う、更に研究材料として狙われる日々も予想される。

 

 精神的な欠落を抱え、医療処置と切ってはきれない不便さを受け入れる、それは心も体も自由の一部を差し出して得た命を一生抱えていく事になる、そして自分は人なのでその苦しみはいつか終わるだろうが、自分より長く生きるだろう目の前の少女はもっと長くその辛さと向き合う事になる。

 

 更に自分が居なくなった時、周りを取り巻く有象無象から彼女を守る物が居なくなる可能性も考えられる。

 

 そうまでして命を繋がねばならない物なのか、自分の勝手で目の前の小さな少女にそれを強いらねばならないのか。

 

 様々な思いが混ざり歯を食いしばる、どこまでこんな狂ったモノに自分は引き摺られるのだろうかと。

 

 

「三郎ちゃんは人を素体にした施術、しかも生命活動がほぼ喪失してからの治療だったので精神障害や生体機能の一部喪失という副作用が出ていますが、時雨ちゃんは艦娘、施術を施してもそんなに重篤な状態にはならないと思うのです、まぁ……多少医療的な手間は付き纏う体にはなると思いますが」

 

「……提督と同じだと、どうして駄目なのかな?」

 

 

 眉根を寄せて怒りにも見える表情の吉野の袖を何時の間にか掴みつつ、時雨は体を寄せていた。

 

 

「医局を必要とする体は死ぬまで軍に縛られる呪いを背負う事になる」

 

「僕は艦娘だよ、そんな事問題にならないよ」

 

「感情の一部が欠落している、悲しいという事は理解できても感情としてそれを受け止める事が出来ない、誰かが死んでも涙なんか……流せないんだよ」

 

「悲しい事を必要以上に感じなくなって、苦しまなくてもいいじんじゃない?」

 

「自分が何かも判らなくなるぞ、ずっと自分は何なのかって不安がいつも背中を追いかけて来る、その不安を君に抱えさせる事は……」

 

「……じゃあ僕は提督と同じになるんだから、これからはずっと一緒だね、一人じゃ不安だけど二人なら大丈夫な気がするよ」

 

 

 自分の知らない処で起こった様々な物は知識としては知っていた、しかしそれは逆に自分という存在をあやふやにさせ、心を磨耗する切っ掛けともなる。

 

 そんな歪な精神構造が逆に感情を切り離すという行為を可能にし、吉野三郎という存在を"影法師"という防諜の化け物として成り立たせる要因となっていた。

 

 そんな人でも艦娘でも深海棲艦でも無い何かに電は『研究記録』と書かれたノートを差し出した。

 

 それは擦り切れ、幾度と無く読み返された形跡があり、所々にはテープで補修した跡が残っている。

 

 

「まだ三郎ちゃんはこっちを読んでいませんでしたね、このノートの……最後にはお母さんから三郎ちゃんへのメッセージが書いてあるのです」

 

「……メッセージ?」

 

「はい、今までの三郎ちゃんにこれを見せてもお母さんの気持ちは伝わらないと思っていましたから見せませんでしたが、自分よりも他人の事を思う三郎ちゃんなら、今の三郎ちゃんならこの言葉に込められた意味を理解して貰えると思うのです」

 

 

 電から受け取ったノートには素人が見ても意味不明な言葉や数字の羅列が詰まっていた。

 

 手記とは違いその内容は膨大な物で、軽い口調で記されていた日々を綴ったそれとは正反対な、苦悩と心血を注いだ大量の文字がそこにあった。

 

 その中には艦娘に対するメンタル的な物も散見され、それに対する苦悩が手に取る程に判ってしまう言葉が列挙されていた。

 

 そして最後のページには殴り書きの様な形で誰かに宛てたのであろうメッセージが書かれていた。

 

 

『息子へ、私は私の正義の名の元お前を死の淵から無理やりこの世界へ引き戻した、後悔や悲しみもあるが私がお前に向けたのは研究者としての意地と、母としての愛情だったとその部分だけは胸を張って断言しよう、途中で逃げてしまう様な身勝手な母だが、最後に一言だけ言わせてくれ、生きろ、私の願いはそれだけだ』

 

 

 絶望の淵で己の命を絶った者が今際の際(いまわのきわ)に残した言葉、身勝手極まりない最後の願い、自分だけ逃げて終わらせてしまった卑怯者の遺言。

 

 それでも今なら理解出来る、自分が救いたい存在が居て、その方法が自分が最も忌むべき手段しか残されていない。

 

 しかし自分が背負った苦しみと葛藤を背負わせても尚、生きてて欲しいと願う心は、このノートに最後に書かれた想いと何が違うのだろうか。

 

 歪で身勝手な物であってもそこにあるのは相手に生きてて欲しいという想い、それだけなのだという事は理解出来る。

 

 

「電は色々な物を犠牲にしても、お母さんのやろうとしていた事を継ごうと思いました、そのノートに書かれている事は……それを実際に出来たなら、敵も、味方も全部救う事が出来ると思ったからなのです」

 

 

 古ぼけたノートにポツポツと雫が垂れる、今まで感じた事が無い胸を締め付ける想いは一体何なのか。

 

 歯を食いしばり前を向く、そこには己を見る白衣の小さな女性がこちらを見ている姿が映る。

 

 

「電は敵も、味方も全部救いたいのです、その答えが三郎ちゃんであり、時雨ちゃんになると思うのです」

 

 

 小さな体躯とは裏腹に、その双眸にはある種の決意と力強さが篭っていた。

 

 一之瀬桔梗という研究者は数ヶ月でその重圧に潰され命を絶った、そんな環境で数十年過ごし、今も尚この小さな女性は前を向いている。

 

 己の為では無く、誰かの為に、そしてその想いが今は自分に向けられている。

 

 

「施術の……危険性は?」

 

「健康体に施すので成功した場合重篤な影響は無いと断言できるのです、施術内容は三郎ちゃんの基幹細胞を培養して移植、それによって細胞変異の比率を固定化します……が、全身施術になるので調整は難しい物になると予想されますから成功率は七割程と思って下さい」

 

「予後治療は?」

 

「器官欠損の恐れはありませんので三郎ちゃんの様に恒久的な治療は要さないと予想されます、まぁ経過観察的な検査は適時受診して頂きますが……懸念されるのは軍の中での立場という事になりますが、それは電の力が及ぶ物では無いので三郎ちゃんが頑張るしかないのです」

 

「……時雨君」

 

「何かな?」

 

 

 吉野は諦めたかの如く表情を崩し、今も尚己の袖を握り身を寄せる小さな秘書艦の頭を空いた手で撫でくり回した。

 

 そして静かに溜息を吐くと、申し訳無さそうな表情で言葉を紡いだ。

 

 

「自分は提督という立場だからお願いをしたら艦娘である君は従うしか無いんだろう、それを判ってても自分は君にその言葉を言う以外の選択肢は持っていないようだ」

 

「僕の気持ちはもう言ってた筈なんだけどな…… 提督聞いてなかったの?」

 

 

 少し頬を膨らませた少女を見て苦笑いの表情をしつつ、あえていつもの口調で吉野は言葉を〆る。

 

 

「いつも苦労を掛けるねぇ」

 

「おとっつぁん、それは言わない約束だよ?」

 

 

 嘗て一之瀬恵と呼ばれた者は吉野三郎という別の存在となり、この日"生まれて初めて"悲しいという感情を元に涙を流した。

 

 そして人ならざる者が人らしき感情を搾り出した同じ日、白露型二番艦時雨という存在はこの世から消え去り、代わりに只の時雨という少女が第二特務課へ還って来た。

 

 

 




 誤字脱字あるかも知れません、チェックはしていますが、もしその辺り確認された方は、お手数で無ければお知らせ下さい。

 また、拙作に於ける裏の話、今後の展開等はこっそりと活動報告に記載しております、お暇な方はそちらも見て頂けたらと思います。


それではどうか宜しくお願い致します。

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